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太田述正コラム#1651(2007.2.7)
<吉田茂小論>(2007.9.16公開)

1 始めに

 防大1期生の平間洋一氏が防大教授兼図書館長の時に私は同大学校の総務部長を勤めていたので、掲示板上で同氏の吉田茂邸訪問記がサイト(
http://www.bea.hi-ho.ne.jp/hirama/yh_ronbun_sengoshi_yoshidahoumon.htm
。2月7日アクセス)に掲げられているという話を聞いて、なつかしくなり、同サイトにアクセスしてみました。
 その結果、この際、吉田茂についての小論を上梓すべきであると感じました。

2 平間氏に会った当時の吉田茂

 吉田茂(1878〜1967年)があらゆる機会に語った以下のような持論が、1957年2月に平間氏らが吉田邸を訪問した時にも吉田の口から語られています(注1)。

 (注1)吉田は、1954年12月に(五度目、かつ最後の)首相職を辞任したが、当時、引き続き衆議院議員ではあった(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E8%8C%82

 「国防は国の基本である。 しかし、 今の日本はアメリカとの安全保障の下に経済復興を図るのが第一で、 アメリカが守ってやるというのだから守って貰えばよいではないか。また、 憲兵に追われ投獄され取調べを受けたが、 かれらのものの解らないのにはどうにもならなかった。 だから僕は陸軍が嫌いだ。 昔のようにものの解らない片輪な人間を作ってはならない。 そのためには東大出身者は固くて分からず屋が多いので駄目だ。」
 「君達は自衛隊在職中決して国民から感謝されたり、 歓迎されることなく自衛隊<生活>を終わるかも知れない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。 御苦労なことだと思う。 しかし、自衛隊が国民から歓迎され、 ちややほやされる事態とは外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか国民が困窮し国家が混乱に直面しているときだけなのだ。 言葉を変えれば君達が日陰者であるときのほうが、国民や日本は幸せなのだ。 堪えて貰いたい。 一生御苦労なことだと思うが、 国家のために忍び堪え頑張って貰いたい。自衛隊の将来は君達の双肩にかかっている。 しっかり頼むよ」

2 最晩年のもう一人の吉田茂

 以上の吉田の言を、1963年に上梓された吉田の著書『世界と日本』(番長書房)における、以下の記述(拙著『防衛庁再生宣言』43〜44頁)(注2)と付き合わせて見てください。

 (注2)吉田は、1963年10月、次期総選挙に出馬せず引退する旨を表明している(ウィキペディア上掲)。

 「再軍備の問題については、<これが、>経済的にも、社会的にも、思想的にも不可能なことである<ことから、>私の内閣在職中一度も考えたことがない。・・・しかし、・・・その後の事態にかんがみるに、私は日本防衛の現状に対して、多くの疑問を抱くようになった。当時の私の考え方は、日本の防衛は主として同盟国アメリカの武力に任せ、日本自体はもっぱら戦争で失われた国力を回復し、低下した民生の向上に力を注ぐべしとするにあった。然るに今日では日本をめぐる内外の諸条件は、当時と比べて甚だしく異なるものとなっている。経済の点においては、既に他国の援助に期待する域を脱し、進んで更新諸国への協力をなしうる状態に達している。防衛の面においていつまでも他国の力に頼る段階は、もう過ぎようとしているのではないか。・・・立派な独立国、しかも経済的にも、技術的にも、はたまた学問的にも、世界の一流に伍するに至った独立国日本が、自己防衛の面において、いつまでも他国依存の改まらないことは、いわば国家として片輪の状態にあるといってよい。国際外交の面においても、決して尊重される所以ではないのである。・・・今日、一流先進国として列国に伍し且つ尊重されるためには、自国の経済力を以って、後進諸国民の生活水準の向上に寄与する半面、危険なる侵略勢力の加害から、人類の自由を守る努力に貢献するのでなければならぬ。そうした意味においては、今日までの日本の如く、国際連合の一員としてその恵沢を期待しながら、国際連合の平和維持の機構に対しては、手を藉そうとしないなどは、身勝手の沙汰、いわゆる虫のよい行き方とせねばなるまい。決して国際社会に重きをなす所以ではないのである。上述のような憲法の建前、国軍の在り方に関しては、私自身の責任を決して回避するものではない。憲法審議の責任者でもあり、その後の国政運営の当事者でもあった私としては、責任を回避するよりは、むしろ責任を痛感するものである。」

3 吉田茂の評価

 吉田茂は、1946年5月に初めて首相に就任する際、「戦争に負けて、外交に勝った歴史はある」と側近に語っています(ウィキペディア上掲)。
 私は、この発言を、大東亜戦争敗戦の意趣返しのため、戦前の日本に代わって、東アジアにおけるソ連等共産主義勢力への防波堤の役割を米国に全面的に負わせるべく首相に就任するという吉田の決意表明であると思っています。
 だからこそ、吉田は、占領軍が「押しつけた」第9条入りの日本国憲法を堅持し、「戦力なき軍隊」(自衛隊に関する吉田自身の議会答弁。ウィキペディア上掲)の保持しか肯んじなかったのだし、1952年のサンフランシスコ講話条約締結にあたって日米安保条約の締結にあれほど執念を燃やした(ウィキペディア上掲)のだ、と私は考えているのです。
 このことは、自衛隊員が日陰者ないし税金泥棒視されることにつながったわけですが、そんなことは、戦時中に憲兵隊に逮捕され、40日間の拘置所暮らしを強いられて旧軍に含むところのあった吉田(上掲の吉田自身の言及びウィキペディア上掲)にとっては、むしろ小気味よいことだったのではないかとさえ私は勘ぐっているのです。
 ですから私には、吉田の「君達は自衛隊在職中決して国民から感謝されたり、 歓迎されることなく自衛隊<生活>を終わるかも知れない。きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。 御苦労なことだと思う」以下の言は、かかる立場に防大出身の自衛隊幹部達を追いやってしまったことについての、吉田のかすかな自責の念に由来する白々しい弁明としか受け止められないのです。
 すなわち、吉田は、米国と旧軍に対する二つの私憤(注3)の意趣返しのため、憲法第9条の堅持と「戦力なき軍隊」の保持という、政治家としてあるまじき政策に固執することによって、結果として、講話条約によって主権を完全に回復するはずであった日本を米国の保護国にしてしまった責任者なのです。

 (注3)吉田の米国に対する怒りは、本来決して私憤ではなく、私自身も共有するところの公憤だが、吉田が、あのような方法で公憤を晴らそうとした瞬間に、それは私憤に堕してしまったと私は思う。吉田は、朝鮮戦争の勃発で尻に火がつき正気に戻った米国に、占領軍を通じて日本の憲法改正を命じさせ、かつ米国の軍事・経済援助を最大限引き出す形で日本の再軍備を実現するとともに、朝鮮戦争への参戦は断固拒否する、という方法で米国に対する怒りを晴らすべきだったのだ。

 ただし、吉田の偉大さは、やや遅きに失したとはいえ、この自分の犯した過ちを全面的に認め、自らを厳しく断罪したところにあります(注4)。

 (注4)吉田のもう一つの偉大さは、首相時代、利益誘導してもらうべく、たびたび自分の選挙区の高知県から有力者が陳情に訪れたが、その都度「私は日本国の代表であって、高知県の利益代表者ではない」と一蹴したことだ(ウィキペディア上掲)。

 上掲の「上述のような憲法の建前、国軍の在り方に関しては、私自身の責任を決して回避するものではない。憲法審議の責任者でもあり、その後の国政運営の当事者でもあった私としては、責任を回避するよりは、むしろ責任を痛感するものである。」という吉田の最晩年の言をどうか噛みしめてください。
 しかし、この吉田の最晩年の言に吉田が引き立てたところの吉田の後継者達は耳を貸さず、吉田自身が誤りを認めた吉田の現役政治家時代の政策が吉田ドクトリンとして吉田の後継者達によって墨守されることとなり、現在に至っているわけです。

太田述正コラム#0495(2004.10.7)
<吉田ドクトリンの呪縛(その3)>

  エ 日本及び日本人の「再生」
 言うまでもなく、米国政府と台湾政府の要請や韓国の声なき声は、いずれもそれぞれの国の国益に即しているわけですが、対テロ戦争の遂行にせよ、中共の台湾攻撃阻止にせよ、或いは北朝鮮の韓国攻撃阻止にせよ、それらが日本の国益にも資することに思いをいたせば、そろそろ日本も吉田ドクトリンの呪縛から自ら脱する潮時ではないでしょうか。
  具体的には、以前から力説していることの繰り返しになりますが、第一に、集団的自衛権行使の禁止という政府憲法解釈の変更であり、第二に、在日米軍の駐留経費負担の廃止です。
 若干補足しておきますが、第一については、政府憲法解釈変更の宣言だけで足りるのであり、対テロ戦争に加わるとか、中共の台湾攻撃や北朝鮮の韓国攻撃の際には参戦するといった「ぶっそうな」ことをその時点で言う必要はありませんし、第二については、5カ年程度をかけてゼロに持って行くが、この間、防衛関係費は削減しない(つまり、駐留経費負担の削減分は自衛隊経費の増に充当する)と米国に通告すれば穏便におさまることでしょう。
 第一の宣言は、それだけで中共や北朝鮮の抑止につながりますし、第二の通告は、第一の宣言とあいまって、在日米軍の大幅な削減となって現れる(在日海兵隊は必ず大幅に削減される)はずです。
 そして、以上のような政府のイニシアティブがあって、初めて第三に、日本国民の意識変革がもたらされ、国民が軍事力の意義に再び目覚めることとなるでしょう。
 このように日本が吉田ドクトリンから脱することによって、ようやく沖縄の基地問題は解消されるに至るのです。
ここで銘記すべきことは、吉田ドクトリンからの脱却・・軍事力の意義の復権と言い換えてもよい・・は、日本及び日本人の「再生」のためにも必要不可欠であるという点です。
(以上、詳しくは、拙著「防衛庁再生宣言」日本評論社2001年を参照。)
 
 この点については、成人になるまで日本人であった台湾の李登輝前総統がかねてより武士道精神の喚起の形で力説されている(注6)ことはよく知られているところです。

 (注6)もっとも私は、李登輝氏が、(氏にとって農業経済学者としての先輩でもある)新渡戸稲造の「武士道」を援用して武士道論を展開されていることについて、お二方ともクリスチャンであることから(武士道とキリスト教精神が果たして原理的に両立可能か疑問があるので)違和感を覚えている。また李登輝氏は、かつて日本人であったとはいえ、現在では台湾「独立」運動の重鎮たる台湾の政治家である以上、客観的に見れば武士道論を日本の世論を台湾「独立」運動に惹き付ける手段として利用されていることになるのであって、この点も(武士道と台湾「独立」運動のいずれにもシンパシーを抱く一日本人として)遺憾に思っている。これについては、また機会を改めて論じたい。

 ここで、成人になるまで日本人であった韓国人(奇しくも李登輝氏と同じ1923年生まれ)の崔 基鎬氏が行っている同様の指摘をご紹介しておきましょう。以下、最近読んだ崔氏の「日韓併合の真実―韓国史家の証言」(ビジネス社2003年)(注7)からの引用です。

 (注7)コラム読者の高田雄二さんは、この本の方が、私が以前(コラム#249、260、264で)引用したキム・ワンソプ「親日派のための弁明」(草思社2002年。原著は韓国語)より歴史の本としては優れているとされるが、どちらも典拠等の注釈のつけかたが甘く、歴史の本とは言い難い。とまれ、崔氏のこの本が韓国語訳されて韓国で、キム氏の本(発禁処分を受けている)とともに広く読まれることを願ってやまない。

「李朝では王族とこの時代に跋扈した両班という一部の特権高級官僚が結託し、徹底的に民を搾取した・・」(14頁)、「北朝鮮は昔の李氏朝鮮が人民共和国の装いをして、そのまま蘇ったものである。・・韓国<も>李氏朝鮮的な体質を捨てないかぎり、発展することを望むことができない。」(17頁)、「日本では近年になって中国か韓国の影響を蒙ったのか、<李氏朝鮮のように>綱紀がだいぶ乱れるようになっている・・」(50頁)、「<李氏朝鮮のように>エリートが武―軍事を軽視する国は、強国のいうことを聞くよりなく、独立を維持することができない。」(104頁)、「私は今日の日本は、かつて李氏朝鮮が臣従した中国に依存したように、アメリカを慕って国の安全を委ね、アメリカの属国になり下がっていると思う。これで、よいのだろうか。」(15頁)、「<李氏朝鮮のように>国が尚武の心と独立の精神を失うと、人々が公益を忘れて、私利だけを追求するようになり、社会が乱れて、国が亡びることになる。私は今日の日本が、李氏朝鮮に急速に似るようになっていることを、憂いている。」(133頁)、「<元来>日本は精神構造からいって、中国や、韓国よりも、・・地理的に大きく離れていても、公益を尊ぶ、アングロサクソン諸民族に近いといえる。」(183頁)、「<ところが>戦後、アメリカの属国の地位に甘んじるうちに、日本国民が慕華思想に似た慕米思想に憑かれるようになったために、毎年、日本人らしさが失われている。独立心を失った国民は堕落する。」(199頁)「<こうして>日本はかつて明治以後、アジアの光であったのに、すっかり曇るようになった。国家の消長は結局のところ、国民精神によるものである。」(200頁)。

 これらは、私がかねてより拙著やこのコラム(李氏朝鮮の両班精神についてはコラム#404、406参照)で訴えてきたことと全く同じであり、崔氏に心から敬意を表したいと思います。
 最後に、崔氏の本の中から私が意表をつかれた一節を引用して本篇を終えることにします。

「第二次大戦の国難に際しては、日本は昭和天皇という史上稀にみる賢君を仰いだ。昭和天皇は同じアジア人として、誇りである。日本は十九世紀なかばから短期間で、白人と並ぶ大国を築き、第二次大戦後も短期間で経済大国となった。韓国人のなかには明治天皇と昭和天皇を尊敬し、崇拝する者が多い。」(258頁)

(完)

太田述正コラム#0494(2004.10.6)
<吉田ドクトリンの呪縛(その2)>

 (本篇は、コラム#491の続きです。なお、前回のコラム(#493)をめぐっての一読者とのやりとりがホームページ(http://www.ohtan.net)の掲示板の#739??742にあります。)

 (3)吉田ドクトリン克服オプション
 ア 米国政府の要請
米国のパウエル国務長官は8月の共同通信とのインタビューで、「もし日本が世界で十全な役割を果たそうと思い、かつ国連安保委で常任理事国になりたいのであれば・・憲法第9条は見直される必要がある・・ただし第9条が修正されるか否かは一にかかって日本国民の決定による」と述べ、日本に憲法第9条の見直した上で、積極的に国際軍事貢献を行うよう求めました(http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20040813/eve_____kok_____000.shtml。8月14日アクセス)(注2)。

(注2)このニュースに接した時、私はカーター政権末期の24年前の1980年12月にマスキー国務長官(当時)が時事通信とのインタビューで、NATOを拡大して日本もメンバーになるべきだ、日本が軍事大国になることに周辺諸国の若者達は懸念など持っていない旨語った配信を、防衛庁勤務中に読んで仰天した時のこと(コラム#30)を思い出した。このマスキー発言とパウエル発言との間に実に四半世紀近い歳月が経過しているが、依然として吉田ドクトリンの呪縛の下にあるという点で日本は全く変わっていない。

このニュースは海外のプレスでも注目されました(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/3561378.stm。8月14日アクセス)。
 パウエル発言は、(2001年の9.11同時多発テロを契機に米国が始めた)対テロ戦争を日本にも積極的に担って欲しいという気持ちの表れでしょう(注3)。

 (注3)これに対しマスキー発言は、(1979年12月のソ連のアフガニスタン侵攻を契機に米国が始めた)第二次冷戦を日本にも積極的に担って欲しいという気持ちの表れだったに違いない。

  イ 台湾政府の要請
また、10月3日には、台湾の遊(Yu Shyi-kun)首相(行政院長)が、台湾は日本のシーレーンを扼しており、日米安保上重要な位置にあると指摘した上で、「日本が「普通の国」になって地域の安全と防衛問題に積極的な役割を演じるべきである」という論議が日本で起きているが、「我々もそう願っている」と発言しました(http://www.taipeitimes.com/News/front/archives/2004/10/04/2003205466。10月5日アクセス)。
中共の経済発展に伴い、その軍事力の整備が進み、例えば台湾を標的にした500個の弾道弾を配備する等、台湾に対する攻撃能力を急速に高めてきていますが、台湾はこれを相殺するような攻撃能力を現時点では保有していません(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/3701114.stm。9月29日アクセス)。しかも、米国は台湾に対し、防御的武器の供給義務は負っていますが、防衛義務は負っていない、という点で安保条約によって守られている日本とは違います。
遊首相の発言は、日本にも台湾海峡の防衛を担って欲しいという切実な気持ちの表れなのです(注4)。

(注4)台湾では核武装が論議されるに至っている(http://www.taipeitimes.com/News/edit/archives/2004/08/13/2003198573。8月14日アクセス)。なお、台湾の民進党政権からすれば、米国という「占領当局」が「押しつけた」憲法の拘束下にある日本は、中国国民党という外来「占領当局」が「押しつけた」憲法の拘束下にある台湾とだぶって見えているはずだ。

このように、米国政府と同様、台湾政府も日本が憲法第9条を見直した上で、積極的な国際軍事貢献をするよう促しているわけです。

  ウ 韓国の状況
 「反米・反日」政権である(金大中からノ・ムヒョン政権へと続く)現在の韓国政府から、米国政府や台湾政府のような日本に対する意思表明が行われるわけはありませんが、韓国と米国との関係が険悪化している(コラム#473)状況下にあって、韓国政府内外の心ある人々は危機意識に苛まれ、日本の安保・防衛面での協力を切望しているものと思われます。
 危機意識がいかに大きいかを推測させるのが、先日最大野党の議員が暴露した、昨年韓国国防省の研究所がとりまとめた、北朝鮮が韓国を攻撃した場合を想定したレポートのショッキングな内容です。
 すなわち、攻撃開始と同時に、ソウルを射程に入れた1000門の北朝鮮の火砲が一時間で最大25,000発の砲弾をソウルに撃ち込み、市街の三分の一が破壊され、米空軍が出動しなければ、16日間でソウルが陥落する、というのです(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200410/200410040027.html。10月5日アクセス)。
 韓国が2000年に、核開発につながる、レーザーを用いたウラン濃縮実験を行った(http://www.asahi.com/international/update/0903/004.html(9月3日アクセス)。コラム#473参照)ことも、この文脈で理解することができそうです(注5)。

(注5)もっとも、韓国は1980年代にも、核開発につながる、プルトニウム抽出実験を行っている(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200409/200409090027.html。9月10日アクセス)。

(続く)

太田述正コラム#0491(2004.10.3)
<吉田ドクトリンの呪縛(その1)>

1 始めに

 小泉首相は9月1日に突然、沖縄の負担軽減のためと称し、沖縄の米軍基地の本土移転を唱えました。(http://www.asahi.com/politics/update/1001/005.html。10月3日アクセス。
  これに対し岡田民主党代表は、首相発言は具体策を伴っていないとケチをつけるだけで、「民主党が政権を獲得した場合でも、一部の基地を本土に移転することがありうるとの認識を示し」ました(http://www.asahi.com/politics/update/1002/003.html。10月3日アクセス)。要するに、民主党は何の代替案も持ち合わせていない、ということです。
 日本の与党と野党を代表するこの二人の政治家の筋悪の発言を聞くと、一体いつになったら日本は吉田ドクトリンの呪縛から逃れられるのか、と改めて嘆息させられます。

2 米軍基地問題とは何か

 そもそも、沖縄の米軍基地問題とは一体何なのでしょうか。
 在日米軍基地が本土に比較して沖縄に集中していること自体が問題の本質であるわけがありません。日本経済新聞論説委員の伊奈久喜氏が数日前の紙面で指摘していたように、観光地として知られるハワイのオアフ島の面積に占める基地の割合は沖縄本島以上に大きいにもかかわらず、ハワイでは、同じく観光地である沖縄におけるような基地問題が存在せず、基地の負担が米本土に比べて重いといった議論もまた耳にしたことがないからです(注1)。

 (注1)もう四半世紀前も前になるが、初めて防衛庁の仕事でハワイのオアフ島を訪れた時、繁華街であるワイキキ・ビーチ周辺はともかくとして、玄関であるホノルル国際空港からして空軍基地であり、あの海軍艦艇基地のパールハーバー、海軍航空基地のバーバスポイント、そして太平洋軍司令部等、島中基地ばかりであることにびっくりすると同時に、地図を見ると高速道路が基本的に各基地の間だけを走っていることに二度びっくりした記憶がある。

 つまり、沖縄の米軍基地問題とは、
ア 軍事力の意義を没却した社会において、
イ 外国の軍隊が、
ウ 少なからず市街地の真ん中に盤踞していること
に伴って生じる諸問題であり、日本全体の米軍基地問題の縮図なのです。

3 何をなすべきなのか

 (1)過疎地への移転オプション
 そうである以上、沖縄の基地問題軽減のためにまず考えなければならないことは、市街地にある基地、就中(安全・騒音面から)、航空基地の過疎地への移転です。
とりわけ優先順位が高いのは、周辺の市街地化が沖縄の嘉手納空軍基地よりもはるかに進んでいる同じ沖縄の普天間海兵隊航空基地の、沖縄ないし本土の過疎地への移転です。(本土に移転させる場合には、在沖海兵隊司令部と若干の司令部直轄部隊もその近傍に移転させなければならなくなるでしょう。)
 しかし、沖縄内で移転させるのは事実上不可能です。沖縄では、普天間の移転先として白羽の矢が立てられている名護市辺野古沖を含め、どこに移転しても15年間程度の使用期限を設定することが県是となっており、この条件をクリアすることは米軍との関係で不可能なだけでなく、費用対効果上途方もない愚行であるからです。結局普天間については、本土の過疎地に移転先を求めざるをえないことになります。
 ところが小泉首相は、普天間基地の名護市辺野古沖への移転は既定方針通り行うと言明しており(上記サイト)、ご本人が本土移転を言い出したねらいがよく分かりません。
 いずれにせよ、米軍基地の過疎地への移転というオプションは、地位協定上日本政府がその全経費を負担しなければならず、しかもハンパではない経費がかかるというのに、軍事的には全く意味がないオプションであることから、これを追求することは基本的に得策ではありません。

 (2)日本国民の意識変革オプション
 もう一つ考えられることは、米軍を外国の軍隊ではなく、自国の軍隊であると(沖縄の住民を含む)日本人一般に認識させるための施策を講じることです。
 これは決して奇矯なオプションではありません。
日本国民は在日米軍の駐留経費のうち2,500億円弱も(減らしてきたとは言え、現在でも)負担しています(http://www.dfaa.go.jp/jplibrary/01/index2.html。9月3日アクセス)。カネに色がついているわけではないことから、これは日本が米国の国防費の一部を負担していることを意味するのであって、米国の各州の住民が米国の国防費の一部をそれぞれ負担していることと同じです。
 ところが、日本は米国議会には議員を送り込んでいる米国の一州ではないのですから、これは日本が米国の保護国であることを国際通念上意味します。(広く世界を見渡しても、外国軍の駐留経費を負担している独立主権国家は、日本と韓国・・近傍の日本に米国によって強引に倣わされた・・以外は皆無であるわけはこういうことなのです。)
 ですから、日本という米国の保護国の政府は、この事実を日本国民の前に明らかにした上で、日本国民が米軍を宗主国の軍隊、つまりは自国の軍隊であると認識するように鳴り物入りで教育・宣伝すべきなのです。幸い、韓国とは異なり、現在日本人の対米感情も米国人の対日感情も申し分ありません。
 (もっともそこまでするのなら、もう一歩進めて、米国との合邦(米国の一州化)を追求すべきかもしれませんね。しかし、米国との自由貿易協定(FTA)の締結すら日程にのぼっていない日本が、米国との合邦を追求するのは余りにも時期尚早でしょう。)
 しかし、これを仮にやったとしても、政府のそんな教育・宣伝には恐らく日本国民は耳を貸さないでしょう。誰でも、余りに不愉快な事実からは、たとえそれが真実であっても目を背けたいものだからです。
より根本的な問題は、日本が米国の保護国であり、米軍が自国の軍隊であるという認識を仮に日本国民が持ってくれたとしても、日本が軍事力の意義を没却した社会である限りは、「実際に戦争に使うための」軍隊である米軍に対する違和感や敵意はなくならないことです。
 結局、このオプションはフィージブルではないと言わざるをえません。

(続く)

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