タグ:原爆投下

太田述正コラム#1849(2007.7.3)
<久間防衛相の辞任>(2007.8.12公開) 

1 始めに

 3日午後、原爆投下に関する発言で久間章生防衛相が引責辞任しました(
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070703k0000e010092000c.html
。7月3日アクセス)。

2 久間氏の発言

 久間氏は6月30日に大学での講演で、要旨次のように発言しました。

 「日本が戦後、ドイツのように東西が壁で仕切られずに済んだのは、ソ連の侵略がなかったからだ。米国は戦争に勝つと分かっていた。ところが日本がなかなかしぶとい。しぶといとソ連も出てくる可能性がある。ソ連とベルリンを分けたみたいになりかねない、ということから、日本が負けると分かっているのに、あえて原爆を広島と長崎に落とした。8月9日に長崎に落とした。長崎に落とせば日本も降参するだろう、そうしたらソ連の参戦を止められるということだった。
 幸いに(戦争が)8月15日に終わったから、北海道は占領されずに済んだが、間違えば北海道までソ連に取られてしまう。その当時の日本は取られても何もする方法もないわけですから、私はその点は、原爆が落とされて長崎は本当に無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったんだ、という頭の整理で今、しょうがないな、という風に思っている。
 米国を恨むつもりはないが、勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。国際情勢とか戦後の占領状態などからいくと、そういうことも選択肢としてはありうるのかな。そういうことも我々は十分、頭に入れながら考えなくてはいけないと思った。 」(
http://www.asahi.com/politics/update/0630/TKY200706300263.html
。7月1日アクセス)

3 久間発言への批判

 この久間発言に対する、これは被爆者感情を逆撫でしたものであるという批判(
http://www.asahi.com/national/update/0630/TKY200706300268.html
。7月1日アクセス)はさておくとして、事実認識として久間発言は間違っています。
 まず、広島への原爆投下は1945年8月6日0815ですが、長崎への原爆投下は8月9日1102であり、ソ連の参戦(モスクワ時間の同日午前零時)の7時間2分後です(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E7%88%86%E5%BC%BE
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A3%E5%AF%BE%E6%97%A5%E5%AE%A3%E6%88%A6%E5%B8%83%E5%91%8A
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%A8%99%E6%BA%96%E6%99%82
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AF
(いずれも7月3日アクセス))。
 ですから、広島への原爆投下はともかくとして、久間氏の地元の長崎への原爆投下が「ソ連の参戦を止め・・る」のを目的として行われたということは言えないのです。

 いや、これはちょっとトチっただけで、久間氏は、原爆投下は日本の早期降伏をもたらした、とだけ言えばよかったのでしょうか。
 いや、それでもダメです。
 というのは、以前から太田のコラムを読んでこられた方はご存じでしょうが、2005年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校のハセガワ(Tsuyoshi Hasegawa)教授が、この米国由来の通説を、完膚無きまでに打ち砕いた本を上梓しているからです(コラム#819〜821)。
 この本において、ハセガワ教授は、原爆による被害は、広島でも東京大空襲並みであり、焼夷弾によるものであれ原爆によるものであり、戦略爆撃が続くことには日本の政府も軍部も耐えてきたのであり、広島への原爆投下以降も耐えていくつもりであったところ、日本の政府も軍部も、ソ連参戦に伴い、ソ連軍によって日本本土が席巻されたり占領されたりすることは絶対に回避しなければならないと考え、降伏を決意した、ということを証明したのです(コラム#819)。
 確かに、ハセガワ教授の説は、まだそれほど一般に浸透しているわけではありませんが、長崎を地元とする政治家が、原爆投下について話をするにあたって、この説を知らなかったとすれば、不勉強も甚だしいという誹りは免れません。

 次に、原爆投下は、同じく民間人の殺戮を目的とした東京大空襲等の戦略爆撃より悪質な戦争犯罪である、という認識が久間氏には決定的に欠けているように思えます。
 原爆は、命をとりとめた人に、(当時既に一般国際法上使用が禁止されていた)化学兵器同様、後遺症を与え、長く苦しめる残虐な兵器だからです(典拠省略)。
 だから、小沢民主党代表が、久間発言に関し、そもそも米国に原爆投下で謝罪を求めるべきだと言っているのをどこかのTVニュースで見ましたが、私も全く同感であり、米国の大統領が原爆投下で日本に謝罪をしない限り、日本にとって戦後は終わらない、と言うべきなのです。
 ですから、どう考えても、本件で久間氏をかばい続けた安倍首相(
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2007063001000527.html
。7月1日アクセス)の見識を疑わざるを得ません。

 それにしても、久間氏はどうしてこんな愚劣きわまる発言をしたのでしょうか。
 恐らく、1月に、大量破壊兵器があると誤認して対イラク戦を行ったことや沖縄の世論に配慮が足らないことで米国を批判(
http://www.guardian.co.uk/japan/story/0,,2001251,00.html
1月30日アクセス)して、米国の反発を呼んだ(

http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007021101000429.html
。2月12日アクセス)ことが気になっていて、原爆投下問題で今度は米国のご機嫌を取り結ぼうと思ったのでしょう。
 こんな浅慮な人物でも防衛相が務まる日本を、あなたは心配ではありませんか。

 情報屋台の掲示板への私の投稿を転載しておきます。

       藤田正美氏の「戦争終結と原爆と核廃絶」について

1 始めに

 藤田正美氏が「戦争終結と原爆と核廃絶」(
http://johoyatai.com/?page=yatai&yid=63&yaid=507
)で「1945年の核爆弾についてわれわれはもっと議論しておかなければならないと思う。」と指摘されていますが、同感です。
 とりあえず、藤田氏の論調に対し、二点ほどコメントさせていただきました。

2 コメント

 (1)補足

>原爆投下は「しょうがない」と発言した久間章生防衛大臣・・は、長崎出身なのにずいぶん不用意な発言をしたものだと思う。

について補足させていただきます。

 「<米>カリフォルニア大学サンタバーバラ校の・・ハセガワ・・教授は、<2005年に上梓した著書において、>・・「原爆投下は日本の降伏をもたらし、百万人の米兵の命を救った」という神話・・を完膚無きまでに打ち砕<きました。>
 ハセガワは、日本が降伏したのは、原爆投下(8月6日広島、8月9日長崎)のためではなく、ソ連の参戦(8月8日)のためであることを証明したのです。
 すなわち、原爆による被害は、広島でも東京大空襲並みであり、焼夷弾によるものであれ原爆によるものであり、戦略爆撃が続くことには日本の政府も軍部も耐えてきたのであり、原爆投下以降も耐えていくつもりだったのに対し、日本の政府も軍部も、ソ連軍によって日本本土が席巻されたり占領されたりすることは絶対に回避しなければならないと考え、降伏を決意したというのです。」(太田述正コラム#819)

 つまり、原爆投下は、単に一般市民を殺戮し、苦しめただけで、政治的にも軍事的にも何の意味もない愚行であったからこそ、強く非難されるべきなのです。


 (2)疑義の提起

>もし犠牲者の多さや民間人が多数殺されたことがその理由なら、1945年3月10日の東京大空襲についてなぜアメリカを非難しないのか。東京大空襲では 10万人が犠牲になったとされている。そしてもしアメリカの無差別爆撃を非難するなら、1938年に日本軍が行った歴史上類を見ない重慶爆撃をどう反省するというのか(重慶爆撃こそ都市に対する無差別爆撃の事実上の始まりとされている)。

 これについては、若干疑義があります。
 まずは以下をお読み下さい。

 「<イタリア人ドゥーエが提唱した>戦略爆撃の目的は、敵の政治的に重要な<拠点>、軍事的生産拠点、交通のネック<等を>撃滅し、敵の戦争遂行能力を喪失させることである・・。
 <日本による>重慶爆撃は、日中戦争・第二次世界大戦と続くこの時期の世界戦争の中で、1937年の<ドイツによる>ゲルニカ爆撃に続く最初期の都市空襲(戦略爆撃)である。・・<重慶爆撃の>爆撃目標は「戦略施設」であり、・・現地部隊への指示では、「敵の最高統帥、最高政治機関の捕捉撃滅に勤めよ」とあり、アメリカ、イギリスなど第三国の施設への被害は避けるようにと厳命されていた。しかしながら重慶は霧がちで、曇天の日が多いため目視での精密爆撃は難しく、目的施設以外に被害が発生する可能性を承知で爆撃が実施された。・・<また、ゲルニカ爆撃では、>市が立っている市街地を爆撃し、さらに、低空に下りて銃撃(爆撃機がである)を加えたりしている<等>、 ・・明らかに<一般市民を>狙っ<た部分があ>った。
 ・・蒋介石は、重慶爆撃・・の悲惨さを非人道的な無差別爆撃として強調、宣伝することにより、・・外交的にアメリカを日本と中国の戦争に巻き込むことを画策し、・・アメリカの経済制裁に始まって、それに対する資源獲得の為の米軍勢力の払拭の為の日米戦争という形で 見事に成功させた・・。
 <第二次世界大戦においては、>戦争の初期<の>ヨーロッパ戦線では、・・一般市民を殺戮し<てドイツ国民の戦意を喪失させ>・・ようとするイギリス軍と、・・軍事施設と生産施設を・・攻撃するアメリカ軍とは別の理論により<戦略>爆撃が行われていた。・・<しかし、後にアメリカ軍は、>太平洋戦線では、日本相手にB-29爆撃機を用いて、<一般市民を殺戮して日本国民の戦意を喪失させようして、>大規模に都市ごと焼き払う戦法<を>採用<した。>」(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E6%85%B6%E7%88%86%E6%92%83
(7月9日アクセス)。ただし、ゲルニカ爆撃については、
http://en.wikipedia.org/wiki/Bombing_of_Guernica
(7月9日アクセス)により、補正した。)

 つまり、当時でも国際法違反となるところの、一般市民の殺戮を主たる目的とする戦略爆撃を世界で初めて実施したのは、スペイン内戦時のドイツでも日華事変時の日本でもなく、第二次世界大戦時の英国であり米国である、ということです。
 また、原爆投下は、当時でも化学兵器の使用が国際法違反であったことを踏まえれば、原爆が化学兵器以上の後遺症を爆撃生存者に残す残虐な兵器である以上、国際法違反と解すべきなのです。 
 従って、広島と長崎への原爆投下は二重の意味で国際法違反なのであり、だからこそ、ハンブルグ大空襲や東京大空襲等以上に強く非難されてしかるべきなのです。

太田述正コラム#8332005.8.23

<原爆投下と終戦(追補)(その4)>

 この記事の内容の要点をご紹介しましょう。

まだ完全に歴史家の間で決着が付いたとは言えないが、原爆投下は必ずしも終戦を早めなかった可能性がある。

そもそも、1945年の夏までには日本は既に疲労困憊していた。太平洋の諸島やビルマから日本軍は駆逐されていたし、日本の都市は空襲で灰燼に帰していた。とりわけ決定的だったのは、米国の潜水艦が日本の輸送船を殆ど沈めてしまっていたことだ。米軍の中にも日本の降伏は時間の問題だという見方があった。だから、原爆投下はソ連の参戦以前に日本を降伏させようという米国政府の悪しき企みのためだという疑惑が拭えない。

原爆投下直後に早くも急進的無神論者の米国人(Dwight Macdonald)一人と保守的カトリック教徒の英国人一人(Ronald Knox)が原爆投下を声高に非難した。

この米国人は、「このような残虐な行為は、文明の擁護者を自認する「われわれ」を、道徳のレベルにおいて「彼ら」たるマイダネク(Maidanek。ナチスのユダヤ人強制収容所の一つ(太田))の獣達と等しくするものだ。そして、「われわれ」米国人は、「彼ら」ドイツ人と同等の責任をこの凶行(horror)について負っている。」と彼が出版していた雑誌に記した。

また、この英国人は、本を出版し、原爆投下が人道的見地からも宗教的見地からも許されない、と主張した。

もっとも、原爆投下は、それまで行われてきた一般住民を対象とする戦略爆撃と質的にそう違うものではない。

先の大戦開戦時の1939年、当時の英首相のチェンバレン(Neville Chamberlainは、議会で「敵がどういうことをやってこようと、わが政府は単にテロ目的で女性や子供等の一般住民(civilian)を意図的攻撃の対象とすることはない」と胸を張って言い切ったものだ。

しかし、戦争の進捗につれて、何の議論もないどころか、誰も気がつかない間に、英国と米国は、「単にテロ目的で」ドイツの大部分の都市を破壊し、10万人の子供を含む数多くの住民を殺戮するに至った。

これには慄然とせざるを得ない。

20世紀の初めに、英軍兵士の誰に対してでもよい、20世紀中に、戦争はもっぱら一般住民の殺戮を意味するようになろう、と言ったとする。言われた兵士はあなたが気がふれていると思うことだろう。

しかし、コソボ紛争(1998?2000年)を見よ。

人類史上初めて、一般住民だけが殺された戦争が20世紀に生起したのだ。

先の大戦は、ここに向かって人類がとめどもなく堕ちていく第一歩だったのだ。何せ先の大戦においては、30万人の英軍兵士が死んだが、ドイツでは一般住民が60万人も殺されたのだから。

一般住民を相手にする戦争は、極東では一層の進展を見せた。

東京大空襲だけで長崎への原爆投下より沢山の8万5,000人の一般住民が殺され、原爆投下を除いても、合計30万人の一般住民が焼夷弾攻撃で殺されたのだから。

3 終わりに代えて

 ご感想はいかがですか。

 英国のメディア(の最上級のもの)のクオリティーの高さがお分かりいただけたのではないでしょうか。

 それにひきかえ、米国のメディアの最上級のものでさえ、自己中心的な見方から免れていないことも同時にお分かりいただけたことと思います。

 そんな米国が世界の覇権国であることは、非アングロサクソン国が覇権国であることに比べればはるかにマシではあるものの、日本を含む米国以外の世界の国々にとっては不幸なことだと言って良いでしょう。

 それよりも何よりも、そんな米国の保護国であることに日本が甘んじ続けていることを、皆さん、どう思われますか。それはわれわれ日本人にとっての不幸であるだけでなく、世界第二の経済大国である日本が米国を助け、あるいはたしなめる役割を放棄してきたことは、(米国を含めた)世界にとっての不幸でもある、とお思いになりませんか。

 私が役所を飛び出して(米国からの)日本の自立を訴え始めてから4年半近くが経過しましたが、今回の総選挙においても依然として、このことはイッシューにすらなっていません。

 李登輝総統の台湾に生まれた悲哀ではありませんが、戦後日本に生まれた悲哀に加え、自らの非力さを、痛切に嘆じる今日この頃です。

太田述正コラム#8322005.8.23

<原爆投下と終戦(追補)(その3)>

 (本篇は、形式的にはコラム#831の続きですが、実質的にはコラム#830の続きであり、8月21日に上梓しました。)

  イ NYタイムス

インターナショナル・ヘラルド・トリビューンは現在ではNYタイムスの完全子会社ですから、ご紹介する同紙記事(http://www.iht.com/articles/2005/08/05/news/hiro.php。8月13日アクセス)は、NYタイムスの論調と申し上げて良いと思います。

この記事は、広島の原爆記念館を俎上に乗せ、同館が展示の中で、広島が軍事都市でもあったこと、日本が先の大戦において行った侵略行為の数々、そして先の大戦における日本軍の残虐行為、に全く触れないで、日本の犠牲者としての側面だけを取り上げていることをあげつらっています。

また、展示の中で、原爆投下が終戦を早めた点に触れていないことも批判しています。

そして、この原爆記念館に限らず、戦後日本が、先の大戦における日本の犠牲者としての側面だけを取り上げてきたことが、日本が他国に対する侵略についての責任を認めることを妨げてきた、という日本の識者なる者の声を紹介しています。

この記事は、ある広島の被爆者が中共を訪れて、日本軍が支那で何をやったかを知り、日本が戦争責任を認めない限り、いつまで経っても日本とアジアは和解できないことを悟った、という話を紹介して終わっています。

この記事は、先にご紹介したワシントンポストの記事とは180度異なり、未来志向ではなく、過去に拘泥しており、NYタイムスの質の低下を如実に示しています。

  ウ ロサンゼルスタイムス

 しかし、良かれ悪しかれ旗幟を鮮明にしているNYタイムスに比べると、ロサンゼルスタイムスは判断停止をして逃げていると言うほかなく、より嘆かわしいのではないでしょうか。

 同紙の8月3日付の記事(http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-boot3aug03,0,2044686,print.column?coll=la-news-comment-opinions。8月3日アクセス)は、原爆投下は、それまで日本等に対して英米が行ってきた戦略爆撃とねらいにおいても被害の大きさにおいても大差ない(注4)のであって、ことさら原爆投下を問題視するのはおかしい、という形式論で逃げているだけでなく、それまで英米がもっぱら一般住民の殺戮を目的とした戦略爆撃も行ったことすら正視していません。しかも、原爆投下が日本の終戦を早め、米兵の犠牲を回避したことを当然視しています。

 (注4)原爆投下によって10万人が死んだが、それまでに空襲で、ドイツでは少なくとも60万人が死に、日本では少なくとも20万人が死んでいた。原爆投下による死者は日本のの空襲による死者の三分の一、都市における破壊面積の3.5%しか占めていない。

蛇足ながら、原爆投下を扱ったものではありませんが、同紙の8月20日付の記事(http://www.latimes.com/news/opinion/editorials/la-ed-japan20aug20,0,5238661,print.story?coll=la-news-comment-editorials。8月21日アクセス)は、ある意味では上記記事よりも更にたちが悪く、あたかも土人同士の争いに白人が高いところから裁断を下しているような代物です。

この記事は、日本による朝鮮半島の過酷な植民地化(?!)(注5)や先の大戦におけるアジア諸国の占領並びに教科書改悪(?!)と、中共建国以降に中共内で行われた無数の無辜の民の殺戮並びに中共の臭いものに蓋をした教科書、とを相打ちにした上で、先般小泉首相が戦後60周年に際して行った謝罪表明を評価し、中共はこれ以上日本に謝罪を要求すべきではない、と結んでいます。

(注51899年から1913年に及んだ米国のフィリピン征服戦争(米比戦争)で、フィリピン側に兵士16,000人、及び一般住民25万人から100万人の死者を出した(http://en.wikipedia.org/wiki/Philippine-American_War。8月21日アクセス)のに対し、1910年の日韓併合の際の韓国側の死者など聞いたことがない。ちなみに、1917年の3.1運動(独立運動)の際の朝鮮半島住民側の死者は死者405人(韓国の主張では7,509人)に過ぎない(http://blog.livedoor.jp/lancer1/archives/23804109.html。8月21日アクセス)。「過酷な植民地化」と米国のメディアがのたまう神経を疑う。

まことにありがたいご託宣ではありませんか。

(3)英国

 そこに行くと、英ガーディアンの記事(台北タイムスに転載されたもの。http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2005/08/08/2003266930(8月10日アクセス))は秀逸です。

太田述正コラム#8312005.8.22

<原爆投下と終戦(追補)(その2)>

 (コラム#828を「(注12-2)」を挿入する等拡充してHPとブログに再掲載してあります。)

<参考:戦略爆撃について>

ここで、戦略爆撃について、概念整理をしておきましょう。

a:全般

戦略爆撃(Strategic bombing)とは、総力戦において、交戦相手の戦争遂行基盤(広義の経済力)を破壊することを目的として、空から行われる組織的攻撃のことです。

 戦略爆撃と戦術爆撃(Tactical bombing)との違いは、前者が戦争遂行基盤たる工場・鉄道・石油精製施設等に対する攻撃(、すなわちこれら施設等が多く所在する都市を主たる対象とする攻撃)であるのに対し、後者が軍事力、すなわち部隊集積地・指揮統制施設・飛行場・弾薬庫等、に対して行われるところにあります。

 また、戦略爆撃の方法としては、絨毯爆撃(carpet bombing)と照準爆撃(precision bombing)があります。(方法に過ぎないのだから、戦術爆撃たる絨毯爆撃もありうる。)戦略爆撃としての絨毯爆撃の究極形態が広島と長崎に対して行われた原爆投下です。また、最近では核兵器による照準爆撃や戦術爆撃が可能になったとされています。

一般には、戦略爆撃と言う場合、在来兵器によるもの、就中絨毯爆撃によるものを指すことが多いと言えます。

 私は、戦略爆撃という言葉を、もっぱらこの狭義の意味で用いています。

 先の大戦後は、狭義の意味での戦略爆撃(以下、「戦略爆撃」という)は行われなくなりました。

 それは、効果があまりない(注1)だけでなく、一般住民が巻き添えになるという人道上の問題があるためです。特に最近では、精密誘導兵器(precision quided munition)の発達によって、人道上の問題を回避しつつ効果的に照準爆撃ができなくなったことから、戦略爆撃の必要性は全くなくなったと言って良いでしょう。

 (注1)先進国同士の戦争が殆どなくなったことも挙げなければならない、ベトナム戦争当時の北ベトナムのような発展途上国相手では、そもそも戦略爆撃の対象とすべき戦争遂行基盤としてめぼしいものが少ない。

b:歴史

 以前、空軍(エアーパワー)の創始者達についてご紹介したことがあり、その中で戦略爆撃についても触れているので、関心のある方は、そちら(コラム#520?523527)もご覧下さい。

 さて、戦略爆撃の歴史は、第一次世界大戦の時にドイツが飛行船や爆撃機で英国の都市盲爆を行った時から始まります。他方、英国は当時、都市盲爆は行っていません。

 最初の戦略爆撃は、スペイン内戦でのナチス・ドイツ軍による1937年4月のゲルニカ爆撃であるとされています。

 先の大戦が始まる直前まで英国が対ナチスドイツ宥和政策をとったのは、英国が、例えば、ドイツとの間で戦争が起きると最初の3週間で英国の家の35%が爆撃による被害を受ける、という英内閣による1938年の試算等、戦略爆撃の効果を過大視していたためだ、という説があります。

 いよいよ先の大戦が始まると、枢軸側のドイツは爆撃機や戦争末期にはV1(巡航ミサイル)やV2(弾道ミサイル)によって英国に戦略爆撃を行いましたが、連合国側の英米がドイツに行った戦略爆撃や米国が戦争末期に日本に対して行った戦略爆撃の方が桁違いに大規模でした。

(以上、http://en.wikipedia.org/wiki/Strategic_bombing及びhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E7%95%A5%E7%88%86%E6%92%83(どちらも8月21日アクセス)による。)

 ちなみに、日支事変時代を含め、日本が支那の都市に対して行った爆撃でまともなものは、19382月?438月の長期にわたったところの国民党政府の臨時首都重慶に対する爆撃くらいです。しかし、これは戦略爆撃と言えるかどうか微妙ですし、少なくとも東京大空襲や原爆投下とは違って一般住民の殺戮を主たる目的とするものでなかったことは確かです(http://www.janjan.jp/living/0507/0507039093/1.phphttp://www.sankei.co.jp/pr/seiron/koukoku/2004/0406/hi-se.htmlhttp://www.warbirds.jp/ansq/6/F2000089.html(いずれも8月21日アクセス)(注2)。

 (注21940年後半におこなわれた重慶爆撃が絨毯爆撃であったことに疑問の余地はない。しかしそれは、重慶爆撃の目的が戦争遂行基盤の破壊と言うよりは、首都所在の(最高指揮統制施設を含む)軍事力を壊滅させ、もって国民党政府の継戦意欲をくじくことであったところ、市街地の中にも多数の対空砲(軍事力)が設置されており、空襲を安全に継続するためにもこれをつぶす必要があったためだ。

c:ドイツへの戦略爆撃

戦後、ドイツに対する米国戦略爆撃調査団(the United States strategic bombing survey)を率いたのは、後に著書「豊かな社会」等で有名になったガルブレイス(James K. Galbraith)でした。

この調査団の結論は、ドイツに対する戦略爆撃の効果はあまりなかった、というものでした。

すなわち調査団は、ドイツの軍用機や弾薬類の生産は1943年、1944年を通じて伸び続け、それが減少に転じたのは、ドイツ敗戦のわずか数ヶ月前からであり、これはドイツが生産機械や工場の疎開(分散配置)を行ったり、民需工場を軍需工場に転換したり、代替品を用いたりして対処したからだ、と指摘したのです。

なお、調査団の指摘ではありませんが、もっぱら一般住民の殺戮を目的としたものだという論議が絶えない、ハンブルグやドレスデンに対するものを含め、戦略爆撃が、ドイツ国民の継戦意欲を削ぐことにはつながらなかったことも明らかになっています。

(以上、http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,12271,1261747,00.html、及びhttp://www.texasobserver.org/showArticle.asp?ArticleFileName=990514_jg.htmによる。このような指摘に対する反論については、http://yarchive.net/mil/strategic_bombing.html参照(典拠はいずれも8月21日アクセス)。)

d:日本への戦略爆撃

 ドイツに対する爆撃で投下された爆弾は136万トンで、日本に対する爆撃で投下された爆弾(当然核爆弾は除く)は168,000トンの9倍でしたが、与えた損害はほぼ同じくらいでした。

 これは、日本の目標がドイツに比べて脆弱であり、しかも集中していたためです。

 しかし、日本に対する米国戦略爆撃調査団は、日本本土周辺意外の制海・制空権が連合国に移った1944年半ば以降、日本のあらゆる生産力は減少の一途をたどったけれど、その原因は空襲ではなく、制海権の喪失と船舶不足、1945年に入ってからは本土周辺海域の機雷封鎖による原料輸入の途絶が原因である、としており、日本の軍需産業を破壊したのも、国民の継戦意欲を削いで日本を終戦に追い込んだのも、(東京大空襲等、もっぱら一般住民の虐殺を目的とした戦略爆撃が行われたにもかかわらず、)空襲ではなかったことを示唆しています。

 (以上、http://www.soshisha.com/book_read/htm/0610.html(8月21日アクセス)による。)

太田述正コラム#8302005.8.21

<原爆投下と終戦(追補)(その1)>

1 始めに

 原爆投下60周年前後の仏米英のメディアの論調をご紹介し、それぞれに私の簡単なコメントを加えたいと思います(注1)。

 (注1)私の休暇中に記事・論説集めをしてくださった読者お二方に改めて御礼を申し上げる。私が本篇で引用する記事・論説以外にお気づきの記事・論説があれば、お教えいただきたい。

2 仏米英のメディアの論調

 (1)フランス

私はフランスのメディアを参照することはないのですが、たまたま台北タイムスがフランスの通信社であるAFPの記事を転載していたので、ご紹介しておきたいと思います。

この記事は、終戦時の海軍大臣であった米内光政が、広島及び長崎への原爆投下及びソ連参戦直後に、「このような言い方は必ずしも適切ではないかもしれないが、原爆投下とソ連参戦は、ある意味では天の配剤(God’s gifts)だ。これで、国内情勢のゆえに戦争を終えなければならないことに言及せずして戦争を終えることができる。私はかねてより戦争を終えなければならないと主張してきた。これは、敵の攻撃や原爆投下やソ連参戦を恐れたからではない。私が最も憂慮しているのは国内情勢<・・戦況が不利になってから天皇や日本政府に対する国民の反感が募ってきている・・>なのだ。」(<>内はAFP記事の解説部分)と語ったことが最近明らかになったというのです(http://www.taipeitimes.com/News/front/archives/2005/08/07/2003266728。8月10日アクセス)。

この記事が、Hasegawaの本(コラム#819?821)への反論を意図したものであるのかどうかは定かではありませんが、米内発言の典拠が明確ではなく、また、戦争末期に近衛文麿らが、早期に終戦にもちこまないと日本に共産革命が起こりかねない、という杞憂を抱いていた、という事実はある(典拠失念)ものの、これは、原爆投下ではなく、(共産主義勢力たる)ソ連参戦こそ日本政府に終戦を決断させたとのHasegawaの主張を補強する事実以外のなにものでもありません。

ですから、この記事の正確性を疑わざるを得ないし、そもそもこの記事が、何を言いたいのかもよく分かりません。

やはり、フランスのメディアは参照するに値しないようです。

(2)米国

  ア ワシントンポスト

米国のメディアでは、ワシントンポストが最もまともです。

8月6日付の記事(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/08/05/AR2005080501648.html。8月13日アクセス)では、原爆投下については、これを是とする者は、支那人に対してひどいことをしたり、米兵捕虜をバターン死の行進で多数死に追いやったりした「悪い」日本(注2)の降伏を早め、多くの人命を救ったと主張しているのに対し、これを非とする者は、米国は明白な人道に対する罪を犯したと主張していると指摘した上で、広島・長崎の状況を含めた終戦直後の日本を米国が撮影したカラー記録映画を紹介しつつ、この記録映画を撮ったハリウッドの人々も、当時できたばかりだった米空軍省も、原爆投下により多数の女性や子供が亡くなったことに罪悪感を抱いていた、と結んでいます。

(注2)いわゆるバターン死の行進については、米側の完全な言いがかりであることがはっきりしている(http://www.jiyuu-shikan.org/faq/asia/bataan.html。8月20日アクセス)。支那人に対して云々については、支那の民間人に対する違法行為が、日本軍によって組織的に行われた例は「殆ど」ない、と言える。機会があれば、どちらもコラムで取り上げたい

この記事は、当時の米国の指導層が、原爆投下の違法性を認識していたことを示している点で重要です。

また、7日付の記事(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/08/06/AR2005080600850.html。8月13日アクセス)では、先般実施された日米における世論調査の結果、日本人の75%が原爆投下は不必要だったと今でも考えているのに対し、米国人の68%が原爆投下は不可避だったと考えていることが分かった、とした上で、日米の和解の必要性を訴えています。

まことに格調の高い記事だ、と言っておきましょう。

ただ、この記事が、米側の原爆投下関係者の一人に、原爆投下は日本の降伏を早めるという意義があったし、日本が真珠湾を奇襲攻撃したり(注3)支那人に対しひどいことをしたりした以上、原爆投下について日本側が謝罪要求することはおこがましい、と言わせ、他方で日本側の原爆被害者の一人に、日本の降伏を早めたことは事実だとしても、やはり原爆投下は許せない、と言わせていることは、あたかも原爆投下が日本の降伏を早めたことが日米双方とも認める史実であるかのごとき誤解を米国の読者に与えかねず、問題です。

(注3)既に語り尽くされている感のある話なので、立ち入らない。

Hesegawa の本は、まさにこの神話を粉砕したのであり、やがて米国人一般にそのことが知れ渡った暁に、上記世論調査を再度実施すれば、日本人側の数字に米国人側の数字も収斂した形の結果が出ることもあながち夢ではありますまい。

いずれにせよ私が言いたいのは、米側が原爆投下の違法性と無意義性を自覚することなくして、日米間の和解など到底ありえない、ということです。

田述正コラム#8212005.8.12

<原爆投下と終戦(その3)>

  (本篇は、8月3日に上梓しました。明4日から12日まで夏休みをとるので、コラム上梓頻度を増しています。)

 二番目の理由は、日本本土への上陸作戦を実施することで見込まれる米軍の大きな損害を回避できる、と考えたことです。

 そして三番目の理由は、ソ連が参戦後、朝鮮半島や日本本土を席巻し、戦後日本の占領に加わること等、戦後東アジアでソ連の存在が巨大になりすぎる前に日本を無条件降伏に追い込むことができる、と考えたことです。

 要するに米国政府からすれば、原爆投下は一石三鳥の効果が見込まれており、原爆投下をしないオプションなど、全く考慮されなかったのです。

 私は、一番目の理由である無条件降伏の強要と二番目の理由である米軍の損害の回避は、自由・民主主義国家において、世論への配慮から戦略判断がねじまげられる典型的な事例であり、三番目の理由であるソ連への警戒については、そもそもソ連の参戦だけで日本政府(及び軍部)が無条件降伏するであろうことを読めなかった米国政府の戦略判断ミス(注6)以外のなにものでもなかったと思います

 (注6)もっとも、この戦略判断ミスは、ロシア(ソ連)を中心とする民主主義独裁国家の脅威から日本ひいては東アジアを守ることを最大の戦略目標としてきた明治維新以降の日本の足を、低劣な嫉妬心と人種差別意識からひっぱり、あまつさえ、ファシズムの中国国民党と共産主義の中国共産党に肩入れして日本を追いつめ(コラムが多すぎるので一々挙げない)、最後は共産主義の大本締めのソ連を領土をエサに対日参戦させた、という、米国のより根本的な戦略判断ミス・・米国が犯した原罪・・の、必然的帰結であったと言えよう。

     どんなに当時の米国が理不尽であり、人種差別的であろうと、米国による一元的占領の方が仇敵のソ連による日本本土の全部または一部の占領よりはマシだと日本が考えるであろうことを、当時の米国政府が全く予見できなかったことは、当時の米国がいかに異常な国であったか、ということだ。

 要するに、米国による日本への原爆投下は、いかなる申し開きもできないところの、人道に対する罪に該当する愚行だった(http://www.hup.harvard.edu/reviews/HASRAC_R.html前掲)、ということです。

5 コメント

 ハセガワの指摘に、米国の研究者は甲を脱いだ(注7)といっても、このような指摘は容易に米国の一般国民の常識になることはないでしょう。

 (注7)つい6年前の1999年に、フランク(Richard B Frank)という米国の研究者は、著書Downfallの中で、「原爆の使用なくして戦争が終わったであろうなどと信ずることは、歴史ではなく、幻想にほかならない」と言い切っていた(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4724793.stm前掲)。

BBCのサイト(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4724793.stm上掲)は、米国民の心情を代弁して、「<原爆投下は、>阿南<惟幾陸相>やその同類に戦争の継続を断念させなかったことは事実だが、裕仁天皇の<降伏に向けての>決定的な介入をもたらした」と記していますし、NYタイムス(http://www.ufppc.org/index2.php?option=content&task=view&id=2788&pop=1&page=0。前掲)は、「原爆投下は、日本の裕仁天皇に、天皇家を守るために8月15日に降伏することを、軍部に強いるために必要な口実(excuse)を与えた」と記したところです。

この種の議論に対する反論も当然ハセガワの本には記されているのでしょうが、一つ、昭和天皇の終戦の御前会議の時の以下の発言を虚心坦懐に読んでみてください。

ちなみに、この会議では、陸軍大臣・参謀総長・軍令部長が終戦に反対する意見を表明し、米内光政海軍大臣を含むその他の御前会議メンバーは終戦に賛成する意見を表明して決着がつかず、鈴木貫太郎首相は自分の意見を表明しないまま天皇の意見を求めたものです。

「太平洋戦争がはじまってから、陸海軍のしてきたことをみると、予定と結果が、たいへんちがう場合が多い。大臣や総長は、本土決戦の自信があるようなことを、さきほどものべたが、しかし侍従武官の視察報告によると、兵士には銃剣さえも、ゆきわたってはいないということである。このような状態で、本土決戦に突入したらどうなるか、ひじょうに心配である。あるいは日本民族は、皆死んでしまわなければ、ならなくなるのでは、なかろうかと思う。そうなったら、どうしてこの日本を子孫につたえることができるであろうか。自分の任務は、祖先から受けついだこの日本を、子孫につたえることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらって、その人たちが将来ふたたび立ち上がってもらうほかに、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。このまま戦をつづけることは、世界人類にとっても不幸なことである。自分は、明治天皇の三国干渉のときのお心もちをも考えて、自分のことはどうなってもかまわない。堪え難いこと、忍びがたいことであるが、かように考えて、この戦争をやめる決心をした次第である。」

(以上、http://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/jhist4_5_5.htm(8月3日アクセス)による。)

ここで天皇は、軍事的素養のある人間として当然のことを発言したまでです。

つまり天皇は、彼我の現在の戦力比から見て日本は既に敗れており、これ以上戦争を続けることは、一方的に殺戮を甘受するだけの無意味な行為であるので降伏すべきだ、という趣旨を述べたのであり、後のことは修飾的言辞に過ぎません。

この天皇の発言から原爆投下の「成果」を読み取ることは、およそ無理な算段である、と思います。(いわんや、NYタイムスのように、天皇ないしは天皇家の自己保身を読み取ることは、下種の勘ぐり以外のなにものでもないでしょう。)

太田述正コラム#8202005.8.11

<原爆投下と終戦(その2)>

 (本篇は、8月3日に上梓しました。明4日から12日まで夏休みをとるので、コラム上梓頻度を増しています。)

3 スターリン論

 ここでちょっと回り道をしましょう。

 ご紹介した形式論については、日本が降伏を決意し、その意思を表明した後も降伏を認めなかった、ということであって、日本に降伏を決意させかどうか、という話とは無関係ではないか、という疑問の声が寄せられそうですね。

 確かにこの疑問はもっともです。

 1945年2月11日、スターリンは米英に対し、南樺太と千島列島の割譲を受けることを条件に対日参戦を約束したのですから、8月8日に参戦(満州侵攻開始は9日)し、8月15日に日本が降伏の意思を表明した時点で、日本の降伏を受け入れ、停戦しても領土は手に入ったはずなのに、どうして降伏を受け入れなかったのでしょうか。

 振り返って見れば、1945年4月5日にソ連は日本に日ソ中立条約の不延長を通告し、それ以降、藁をもすがる思いで日本がソ連に終戦の仲介を何度も頼んできたのを無視し(注4)、自分が対日参戦を果たすまでに終戦が実現すること(つまりは日本が降伏すること)を妨げたわけですが、これはリアルポリティークの観点からすれば、しごく合理的な対応でした。

 (注4)5月14日、日本、対ソ交渉方針を決定(終戦工作開始)。6月3日、広田外相マリク駐日ソ連大使と会談。7月10日、日本、近衛特使のソ連派遣を決定。7月18日、ソ連、近衛特使派遣に否定的回答。7月26日、連合国、ポツダム宣言を発表。7月30日、佐藤駐ソ大使、ソ連に和平斡旋を依頼。(http://www.c20.jp/1945/08s_san.html。8月2日アクセス)

 しかし、それから先のソ連の対応は、いたずらに日ソ双方の死傷者を増やしただけの愚行でした。

 これは、ソ連の独裁者スターリンが、日本からの領土獲得は、(秘密交渉によってではなく)自分が戦いとった、という体裁を整えることにこだわったからです。

 スターリンが自分の個人的栄光のために愚行を行った例は枚挙にいとまがありません。

 例えば、独ソ開戦後にスターリンが行った粛清です。

 元米CIA幹部のマーフィー(David E. Murphy)の著書 What Stalin Knew:The Enigma of Barbarossa, Yale University Press, 2005等によると、次のとおりです。

スターリンは、1941年6月22日の独ソ開戦の前日、ソ連の指導者達が集まった会合で、なお、ドイツが対ソ開戦することはありえない、と述べてみんなをあきれさせました。

ドイツの対ソ開戦情報があらゆるところから入ってきていたにもかかわらず、スターリンはヒットラーと個人的通信を行っており、その中でのヒットラーの対ソ不戦の言葉を信じ込んでいたのです。

ここまでは、ソ連のような独裁国家のみならず、自由・民主主義国家でも時には起こりうることです。反対の情報に耳を貸さず、ブッシュ米大統領もブレア英首相もイラクのフセイン政権が大量破壊兵器を持っている、と信じて疑わなかったという事例は記憶に新しいところです。

異常なのは、独ソ開戦によってソ連が大打撃を蒙った後にスターリンがとった行動です。

日本にいたソ連のスパイのゾルゲ(Richard Sorge)は、既に5月15日の時点で、ドイツの対ソ開戦は6月20日から22日の間だ、と通報してきていました。6月13日には、その日は6月22日だ、とまで改めて通報してきていました。しかし、スターリンはこれらの通報を無視しただけでなく、その後日本当局に逮捕されたゾルゲについて、日本がソ連によって逮捕されていた日本の軍人某との交換を打診してきたとき、スターリンはこれに応じず、ゾルゲを処刑に追いやるのです。

またスターリンは、ソ連の空軍参謀長を独ソ開戦後5日目に処刑しています。

このようにスターリンは、自分の犯した大失策について知りすぎた人間を、次々に物理的に抹殺して行き、自分に対する一切の批判を封じたのでした。

(以上、http://hnn.us/roundup/comments/11994.html前掲、による。)

4 米国はなぜ原爆を投下したのか

 米国政府は、日本の暗号を解読していたので日ソ交渉の経緯等を承知しており、日本が天皇制の維持等ができれば降伏するであろう(注5)ことを熟知していました。

 (注5)終戦の際、日本の国民の生命よりも天皇制の存続の方を重視した、という批判が日本人の間にもあるが、当時の日本政府や軍部のこの判断は理解できる。日本の近代化が天皇「親政」への「復古」によって成し遂げられた(コラム#816)ことを持ち出すまでもなく、天皇制がつぶされておれば、あのような日本の敗戦からの急速な復興はありえなかったろう。

     もとより、当時の日本政府や軍部に批判されるべき点がたくさんあることは否定しない。国際法軽視の姿勢・組織内規律の弛緩・自国軍民の生命の軽視(捕虜になることの否定・玉砕戦法等々)などだ。

 しかし、米国政府は、日本の無条件降伏しか念頭になかったため、日本が無条件降伏の意思を表明するまで日本の降伏は認めない方針だったのです。

 これは、米国政府自身がかきたててきたところの、真珠湾「奇襲」攻撃への米国民の復讐心を満足させるために必要であったと同時に、条件付降伏交渉に応じると、降伏を不満とする日本の国内の勢力を押さえられない、と判断していたからです。

 そこで、日本から無条件降伏をかちとるためには、原爆を投下することが不可欠だ、と米国政府は考えたわけです。

 原爆投下については、後二つ理由がありました。

太田述正コラム#8192005.8.10

<原爆投下と終戦(その1)>

 (本篇の上梓は8月2日です。4日から12日まで夏休みをとるため、上梓頻度を増しています。)

1 始めに

 「英米の歴史学や社会学等人文・社会科学の動向を追っていると、まさに日進月歩であり」(コラム#817)と申し上げたばかりですが、その例を一つ挙げましょう。

 (以下、特に断っていない限り(http://www.2think.org/racingtheenemy.shtmlhttp://www.hup.harvard.edu/reviews/HASRAC_R.htmlhttp://hnn.us/roundup/comments/11994.html(以上は下掲書の書評)、及びhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/4724793.stmhttp://www.csmonitor.com/2005/0802/p17s01-bogn.htmlhttp://www.ufppc.org/index2.php?option=content&task=view&id=2788&pop=1&page=0http://www.history.ucsb.edu/faculty/hasegawa.htm(いずれも8月2日アクセス)による。)

 6月22日に、Tsuyoshi Hasegawa, Racing The Enemy: Stalin, Truman, & the Surrender of Japan, Belknap/Harvard University Press, 2005 が出版されました。

 ハセガワは、カリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授で1969年にワシントン大学でPH.Dを取得しており、ロシア/ソ連を中心とした近代欧州史が専門です。

 ハセガワは日本人の姓名を持つ日系米国人であり、日本語の著書(「ロシア革命下ペトログーラードの市民生活」中央公論社1998年)があり、また、最近では、北方領土問題等、戦後の日ソ関係史の研究者として知られている人物でもありますが、冒頭でご紹介した本に係る一連の米英の書評等の中で、ハセガワが日系人であることに言及したものは皆無であること、つまりハセガワは(正真正銘の)米国人であること、を銘記してください。

 一体どうして日本人の国際政治学者や現代史の研究者の中から、ハセガワのような本を書く人間がこれまで現れなかったのでしょうか。彼らの意欲と能力の余りの低さに、天を仰いで嘆息するほかありません。

2 終戦をもたらしたのは原爆投下ではない

 ハセガワが、米露日三カ国の文献を調べ尽くした上で、この本で、「原爆投下は日本の降伏をもたらし、百万人の米兵の命を救った」という神話(注1)を完膚無きまでに打ち砕いた、という点で米国の研究者(注2)は一致しています。

 (注1)考えても見よ。カギ括弧内はこれまで、米国の研究者及び国民の「通説」だった。それがこの本によって一瞬にして米国の研究者の間で「神話」と化したわけだ。今後は可及的速やかに、米国の国民と日本の研究者・国民に、これまでの「通説」が「神話」であったことを知らしめ理解させなければならない。せめてそれくらいは日本の研究者や日本政府がやってほしいものだ。

 (注2)いずれもビューリッツアー賞受賞者であるダワー(John W. DowerEmbracing Defeat: Japan in the Wake of World War II(邦訳あり)の著者)やビックス(Herbert P. BixHirohito and the Making of Modern Japan(邦訳あり)の著者)を含む。

 ハセガワは、日本が降伏したのは、原爆投下(8月6日広島、8月9日長崎)のためではなく、ソ連の参戦(8月8日)のためであることを証明したのです。

 すなわち、原爆による被害は、広島でも東京大空襲並みであり、焼夷弾によるものであれ原爆によるものであり、戦略爆撃が続くことには日本の政府も軍部も耐えてきたのであり、原爆投下以降も耐えていくつもりだったのに対し、日本の政府も軍部も、ソ連軍によって日本本土が席巻されたり占領されたりすることは絶対に回避しなければならないと考え、降伏を決意したというのです。

 これが実質論です。

 もう一つ、形式論もハセガワは提示しています。

 日本の終戦の期日を決定したのはソ連だったという点です。

 日本は8月15日にポツダム宣言を受諾して降伏した、ということになっていますが、降伏文書に日本政府の代表がミズリー号上で署名したのは9月2日です。

 これは単なる形式行為だったのではありません。日本が降伏したのは8月15日ではなく、9月2日なのです。

 ソ連による全千島列島と歯舞・色丹島の武力侵攻・占領が完了したのがその前日であり、ソ連がそれまで日本の降伏を認めなかったため、米国を始めとする他の連合国も日本の降伏を認めるわけにはいかなかったからです(注3)。

 (注3)ソ連は、8月16日に千島列島の武力侵攻を決定し、8月18日に侵攻を開始した。千島列島最北端の占守(Shimusu)島攻防戦は、先の大戦における最後の戦いであり、途中、日本側は停戦のために白旗を掲げた使者を送ったがソ連側はこの使者を射殺した。日本側資料では日本側死傷者500名以上、ソ連側死傷者約3,000名、ソ連側資料では日本側約1,000名、ソ連側死傷者約1,500名が出た。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E5%AE%88%E5%B3%B6。8月2日アクセス)

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