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太田述正コラム#1862(2007.7.12)
<日本の闇(続x3)>

1 始めに

 読者からの提案(コラム#1860)を受け、思い立って自分自身でこれまでの裁判関係のコラム一覧をつくってみました。
 関心のある方のお役に立てば幸いです。

2 東村山の闇ないし創価学会関係コラム一覧

太田述正コラム#195 (2003.11.26) <今次総選挙と日本の政治(補足1)>:発端となったコラム。矢野穂積・朝木直子「東村山の闇―「女性市議転落死事件」8年目の真実」(第三書館2003年11月)を紹介。
太田述正コラム#1177(2006.4.11)<太田述正コラムをめぐって>:千葉英司氏から訴えられた旨を報告。
太田述正コラム#1180(2006.4.13)<裁判雑記(その1)>:千葉英司氏の訴状の内容を紹介、プラス私の反論の冒頭部分を収録。
太田述正コラム#1182(2006.4.14)<裁判雑記(その2)>:反論の続きを収録(以下同じ)。
太田述正コラム#1184(2006.4.15)<裁判雑記(その3)>:反論の続き。
太田述正コラム#1185(2006.4.15)<裁判雑記(その4)>:反論の続き。
太田述正コラム#1188(2006.4.17)<裁判雑記(その5)>:反論の続き。
太田述正コラム#1190(2006.4.18)<裁判雑記(その6)>:反論の完結部分。
太田述正コラム#1197(2006.4.21)<創価学会のこと(その1)>
太田述正コラム#1198(2006.4.22)<創価学会のこと(その2)>
太田述正コラム#1200(2006.4.24)<裁判雑記(関係判例学説)>:関係判例学説を紹介。
太田述正コラム#1223(2006.5.9)<裁判雑記(続)(その1)>:裁判が東京簡裁から東京地裁に移送された旨の報告プラス私が提出した準備書面の冒頭部分を収録。
太田述正コラム#1225(2006.5.10)<裁判雑記(続)(その2)>:私の準備書面の完結部分を収録。
太田述正コラム#1227(2006.5.11)<裁判雑記(続)(その3)>:千葉英司氏が提出した準備書面を収録。
太田述正コラム#1368(2006.8.7)<裁判雑記(続々)(その1)>:東京地裁での準備手続きの報告、プラス千葉英司氏が提出した第2の準備書面、プラス私が提出した第2の準備書面を収録。
太田述正コラム#1393(2006.8.31)<裁判雑記(続x3)>再度の準備手続きの報告、プラス千葉英司氏が提出した第3の準備書面、プラス私が提出した第3の準備書面を収録。
太田述正コラム#1430(2006.10.3)<裁判雑記(続x4)>:公判を紹介。
太田述正コラム#1593(2006.12.27)<第一審判決について(その1)>:(「その2」はないので注意。)
太田述正コラム#1725(2007.4.9)<例の訴訟の私の弁護士へのメール(その1)>:(有料読者にのみ配信。)
太田述正コラム#1726(2007.4.9)<例の訴訟の私の弁護士へのメール(その2)>:(有料読者にのみ配信。)
太田述正コラム#1746(2007.4.24)<控訴審結審>:公判を紹介。
太田述正コラム#1798(2007.6.7)<名誉革命(その3)/緊急呼びかけ>:敗訴を報告。
太田述正コラム#1856(2007.7.9)<日本の闇>:千葉英司氏の敗訴事例2件を紹介。
太田述正コラム#1858(2007.7.10)<日本の闇(続)>:私に対する判決への批判を展開。
太田述正コラム#1860(2007.7.11)<日本の闇(続々)/原爆投下>:本件に関する読者とのやりとりを披露。
太田述正コラム#1862(2007.7.12)<日本の闇(続x3)>:本篇。

3 私が元署長の実名を明記している理由

 もともと、発端となったコラム#195では、個々の人物に批判を加えるのが目的ではなかったこともあり、東村山署元署長とだけ記して千葉英司氏の実名は記していなかったわけですが、私に対して訴えを提起した時点で、彼が匿名性を放棄したと考えられたことから、千葉氏が私との和解を拒否することが明らかになった時点以降、コラム中で実名を記すこととし、現在に至っています。
 なお、千葉氏が私を訴え、かつ勝訴したことは、既にネット上で周知の事実になっています。
 http://72.14.235.104/search?q=cache:ynIcQk--ePIJ:www.yanagiharashigeo.com/kd_diary/kd_diary.html+%E5%A4%AA%E7%94%B0%E8%BF%B0%E6%AD%A3&hl=ja&ct=clnk&cd=89&lr=lang_ja
(6月17日アクセス)をご参照下さい。
 なお、このネット記事は、コラム#1856でご紹介した宝島事件へのコメントが中心の記事であり、どちらかと言うと、千葉氏の側に立ち、乙骨氏側に対して厳しい視点から書かれています。

4 読者の意見

 読者とのやりとりをご披露しておきます。
 皆さんもどしどしご意見をお寄せ下さい。

<読者T>
 千葉氏は、太田さんのメルマガにムカついて訴えたのに、そのメルマガの削除申請しないという馬鹿げたことをやっています。
 千葉氏に対しては、もう少しインターネットの原理を理解してからの批判をお願いいたします、と言いたいですね。
これはネットをやっている者からの感想なので、何の知識もない人に言うのは酷かもしれないけど、裁判所はともかく弁護士が何も言わなかったのが凄い。
ろくな取り巻きがいないってことですね。

<太田>
 千葉氏は本人訴訟なので弁護士には相談していない、ということなのでしょう。
 しかし、私は控訴審で初めて弁護士をつけたのですが、その弁護士も、どんな要求をするかは、原告の自由だとして余り問題視はしていませんでした。
 私は、法曹界の大部分が、インターネットの世界には極めて疎い、という印象を持ちました。

太田述正コラム#1860(2007.7.11)
<日本の闇(続々)/原爆投下>

1 始めに

 バグってハニー(BH)氏からメールがあったので、例によって分断して転載し、その都度私のコメントを付す対話形式のものに仕立てました。
 事柄の性格上、本篇は原爆投下に係る部分を含め、即時公開します。

2 日本の闇について

<BH>
>千葉氏ら2人を創価学会員であると記すという、勘違いによる単純な誤り(#1857)
>千葉氏の背後に創価学会の影がちらついている(#1856)

 元署長を創価学会員にしてしまったのは早とちりだったかもしれませんが、それと元署長が実際に創価学会員であるかどうかは別の問題ですよね。前から気になっていたのですが、元署長の裁判書類には以下の記述があります。

>むしろ、公務と無関係な原告の宗派を特定し公表した本件記事は先行記事よりも悪質性が高いのである。(裁判雑記(続)(その3))

 これは要するに、週刊誌の記事や本では、元署長の宗派は特定されておらず公表もされていなかったのに対して、太田コラムでは元署長が創価学会員であることが特定され公表されているのでもっと性質が悪い、という意味なのでしょう。
 気になるのは「宗派を特定し公表した」という書き方です。
 もしも、元署長が創価学会員でなければこんな書き方はしないのではないでしょうか。
 たとえば、「太田コラムは原告が創価学会員であると決め付けて、自分の信じる教団の利益のために杜撰な捜査を行ったと誹謗中傷した」なんて書き方になるのではないでしょうか。断言はできませんが、元署長は創価学会員なのだと思います。

 つまり、この方は、太田氏が何らかの手段で自分の宗教を特定し、記事や本よりももう一歩踏み込んで攻撃してきた、と思い込んでいるのと違いますか?
 もしも、仮に元署長が創価学会員だとすると、市議の万引き事件を執拗に捜査したり、飛び降りを怠慢捜査ですぐに自殺と断定したりしたとしても不思議ではないですよね。動機があるんですから。

<太田>
 通常の創価学会員であれば、三日にあげずお題目を唱えたりしなければならないところ、東村山署元副署長の千葉英司氏にはそのような形跡はないということなのでしょう。
 もとより、同氏がいわゆる隠れ創価学会員である理論的可能性は排除できませんが、隠れ創価学会員なるものが本当に存在するのかどうかも含め、私には分かりません。
 いずれにせよ、私が、カトリック教会と創価学会をほぼ同列視していて、どちらも好きではないことはお分かりのことと思いますが、だからといって私は、個々の創価学会員に対し、個々のカトリック教徒に対してと同様、特段の偏見を持っているわけではありません。
 創価学会員であると「誤認」されたら、そうではないと指摘し、訂正を求めればよいだけのことなのに、「誤認」にいきり立った千葉氏の心情がいまだに私には理解できない、というのが正直なところです。

<BH>
 私自身はこの転落事故は自殺だと思っています。
 というのは、飛び降りてからすぐに死んだのではなく、下に入っていたモスバーガーの店長が助けに駆け寄ると救急車の申し出を断ったそうなのです。殺されかけた人のとる行動じゃないですよね。
 また飛び降りのあったビルは、駅前のロータリーや交番から丸見えの位置にあって、誰かを無理やり連れて行くのは難しい、という意見も耳にしたことがあります。
 今の日本のような開かれた社会で陰謀・謀殺がひっそりと進行しているというのは私にはどうしても受け入れられないです。

<太田>
 飛び降りた市議には精神的な疾患があったわけでもなければ自殺する動機もなかった、そんな人間が自殺をしようとするだろうか、ということが例の本で縷々説明されています。
 残念ながら、今となっては、自殺であったかどうかの決着をつけることは不可能でしょう。
 ただ、

>今の日本のような開かれた社会で陰謀・謀殺がひっそりと進行しているというのは私にはどうしても受け入れられないです。

は、日本政府については私も同感ですが、暴力団のようなグループや保険金詐欺を企むような個人についてはあてはまらないことは、申し上げるまでもありません。

<BH>
 ところで、提案があるのですが、いまどきアンチ創価学会というのはそこそこ需要があるので、そういう人たちに訴えられるようにまとめサイトを作ってみてはどうでしょうか。
 太田コラムを初めて目にする人には今の状態ではちんぷんかんぷんですよね。詳しく知りたければ、太田コラムから関連するコラムを探し出して熟読しないと事件の全容がつかめないです。これだと支援の輪は広がらないと思います。
 そうじゃなくて、時系列を追って事件の全容を簡潔にまとめたサイトを作って、必要に応じて適宜対応する太田コラムが呼び出せるようにすれば、一般大衆には受けがいいと思います。そして、創価学会批判を行っているブログやサイトにトラックバックや相互リンク、紹介宣伝をお願いするのです。
 ちなみに、言い出しといてなんですが、明後日から夏休みに入るので私には無理です。
<太田>
 太田ブログを管理運営していただいているタテジマさん。
  私のコラムのバックナンバーの分類を呼びかけていただいていますが、上記提案を実行に移してくださる読者の募集もやっていただければ幸いです。

3 原爆投下について

<BH>
 もうひとつ、全然別の話題。情報屋台のコメントに対するコメントです。
 片方で日本の核武装を訴え、他方で原爆は国際法違反だと訴えるのは首尾一貫していないのでは。
 原爆が用いられた状況とか、保持することと使用することはまったく別次元だ、などという言い方はできると思いますが、それでも核兵器を使用しづらくする世論を喚起することは、どう考えても核による抑止力を低減させるだけだと思います。
 久間前大臣のニュースを読んでると、語り部・被爆者の方が「終戦を早めたのはソ連参戦というのは常識だし、原爆は国際法違反!」と太田氏と同じように語っていて、「だから核は廃絶しなければならないし、被爆国・日本はそれを主導しなければならない」と言葉を継いでいました。

<太田>
 当時の国際法では、一般市民の殺戮を目的とする軍事力の行使は禁じられていましたが、化学兵器に関しては一般市民の殺戮を目的としない形の行使も禁じられていました。
 ところが、その化学兵器の保有は禁じられていませんでした。
 それは、敵が化学兵器を使用した場合に報復することは認められていたからです。
 つまり、抑止力としての化学兵器保有は認められていたということです。
 だからこそ、先の大戦では、主要国はすべて化学兵器を持っていたけれど、基本的に科学兵器は使われなかったのです。
 (本来は、詳細な典拠をつけなければならないところ、ご勘弁を。)

 さて、上記ロジックを踏まえれば、現在の国際法でも、核兵器の行使については、一般市民の殺戮を目的としない形の行使も含めて禁じられているが、抑止力として核兵器を保有することは認められている、と考えるべきでしょう。
 私の核保有論は、このようなものとして唱えているつもりです。
 私が積極的な核保有論者ではないことも、お分かりいただいていますね。

 なお、米国の核抑止力に依存するとの現在の日本の「政策」は、米国が核の先制使用を否定していないだけに、米国が核を使用した場合、日本が米国とともに国際法違反の連帯責任を負わされる、というリスクがあることに注意が必要です。

太田述正コラム#1198(2006.4.22)

<創価学会のこと(その2)>

 他方、乙骨氏等が言いたいことは、池田大作創価学会名誉会長のかつての、「日本をみれば自民党、社会党、創価学会の三国志なんだ。共産党なんか問題ではない。世界もまた三国志である」という1960年1月1日付聖教新聞掲載発言や、秋谷榮之助会長のかつての、「<国立>戒壇建立の暁には、わが男子青年部の手によって内閣を結成」という大白蓮華1964年2月号掲載発言を引用(5頁)しつつ、「批判を拒否するばかりか、金力・政治力等そのもてる力を駆使して批判や論評を封じ込めようとする・・排他的で独善的かつファッショ的な・・公明党=創価学会が政権に参画し・・いまや自民党の生命維持装置として、政権の帰趨を左右するだけの影響力を持つにいたった」(218頁)結果、「<例えば、>公明党は都議会<についても、>キャスティングボードを握っており、警視庁は、人事、予算<が>都議会の警察消防委員会で審議され<るため、>・・都議会公明党の言いなり<であり>」(122頁)、「日本の自由と民主主義は、いま真に正念場に差しかかっている。・・<この>創価学会・・についての正確な情報を・・より多くの方々に知っていただきたい」(26、219頁)、ということです。

 枝葉を切り落とせば、要するに山崎氏や乙骨氏等は、日本の治安・司法機関と政治は創価学会に牛耳られている、と指摘しているわけです。

 政治についての彼らの指摘は、誰の眼から見ても大方その通りのように見えますが、治安・司法機関についての彼らの指摘の真偽は、にわかに判断のしようがありません。

もっとも、現在、元創価学会青年部副部長で、東大法卒、検事出身の神崎武法(1943年??)が公明党の代表(党首)(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%B4%8E%E6%AD%A6%E6%B3%95。4月22日アクセス)、慶大法卒で弁護士出身の浜四津敏子(1945年??)が代表代行(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E5%9B%9B%E6%B4%A5%E6%95%8F%E5%AD%90。4月22日アクセス)、関西大法卒で弁護士出身の冬柴鐵三(1936年??)が幹事長をしている(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%AC%E6%9F%B4%E9%89%84%E4%B8%89。4月22日アクセス)ことは、彼らの指摘と平仄があっていることは事実です。

 創価学会が治安・司法機関を牛耳っているという彼らの指摘が本当だとしたら、ゆゆしい問題ですが、マスコミは本件をあまり取り上げないのはどうしてなのでしょうか。

 山崎氏らのこの指摘が誤りであるのか、それとも、マスコミの大部分が本件を取り上げようとしないのか、そのどちらかでしょう。

 日本のマスコミは、いまだに記者クラブ制で政治・行政と癒着しており(コラム#107、199、251、936、938)、しかも、一流と称されているメディアに限っても、記者の志の高さや記事クオリティーが英米の一流メディアの域に達していない(例えば、コラム#1195、1196)ことに鑑みれば、日本のマスコミが、政治権力の中枢を担うに至った創価学会の批判は控えている、という可能性は否定できません。

 さりとて、、・・これは決して山崎氏らの責任ではないのですが・・山崎氏らの経歴が邪魔をして、われわれとして、素直に彼らの指摘を信じるわけにもいきません。

 つまり、山崎氏はかつて創価学会の幹部であった人物(上記著書の裏表紙)である上、創価学会がらみの事件で1991??93年の間、刑務所に入っていた人物でもあり、乙骨氏は、創価中学・創価大学の卒業生です。

 彼らのように組織の内部にいた人間の方が、組織の実状に通じているだけに、その組織の批判者としてふさわしいという面もあるけれど、人間誰しも自分が飛び出した(追い出された)組織には含むところがあるものであり、組織に対する批判にバイアスがかかっている懼れもあります。(私による防衛庁批判も、そのように見られているであろうことは否定できない。)

 だからこそ、われわれはマスコミに期待せざるをえないのですが、そのマスコミが批判を控えているという可能性を否定できないのですから、何をか言わんやです。

 かつてであれば、学者に期待することが少しはできた・・例えば、1969年という早い段階で激しい創価学会批判を行った政治評論家の藤原弘達氏(乙骨等前掲書6頁)(1921??99年)は、明治大学教授(政治学者)でもあった(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%BC%98%E9%81%94。4月22日アクセス)・・のですが、最近の日本の学者は、一層志やクオリティーが低くなったのか、本格的な創価学会=公明党論どころか、創価学会=公明党批判論的なものが学者によって上梓された、という話すら、余り耳に入ってはきません。

太田述正コラム#1197(2006.4.21)
<創価学会のこと(その1)>


1 始めに

 このところ、創価学会のことを改めて色々考えさせられています。

 小さい時から宗教嫌いの私でしたが、当初の私の創価学会観は、それほど否定的なものではありませんでした。

 私の中学時代の無二の親友は、現在公明党の東京選出の参議院議員をしている澤雄二でしたし、大学の教養学部の時の同級生の創価学会員で後に弁護士になるIも、謙虚で好感の持てる人物でした。

 大学一年の駒場祭の時に、原理研究会と創価学会を比較して、創価学会に相対的に好意的な展示をしたこともあります(コラム#989)。創価学会の、比較的恵まれない層を取り込み生き甲斐を与えているという社会安定化機能と、似通った層を奪い合う共産党に対する対抗機能、を評価していたということです。

 ですから、創価学会が公明党をつくって政治に乗り出していたことについても、さほど問題視していませんでした。

 しかし、以前にも(コラム#195で)記したように、「創価学会すなわち公明党が、1993年、非自民連立政権の下で初めて政権の一翼を担い、1994年には創設メンバーとして新進党に合流し、1999年からは死に体の自民党を与党として支える、という具合に日本の政治のキャスティングボードを握って」からは、創価学会に強い反発を覚えるようになったのです。

2003年11月に、矢野穂積・朝木直子「東村山の闇―「女性市議転落死事件」8年目の真実」(第三書館2003年11月)を読んで、強く動かされたのは、このような背景があったからです。

この10日余り、ご存じのような事情で、否応なしに再び、創価学会のことを考えさせられているのですが、まずは、ある読者が差し入れてくれ、斜め読みしたばかりの二冊の本、山崎正友「信平裁判の攻防――続々・「月刊ペン」事件」(第三書館2002年9月)と乙骨正生+「フォーラム21」「公明党=創価学会の深層――「自・創」野合政権を撃つ」(かもがわ出版2004年10月)の感想から始めたいと思います。


2 書かれていること


 山崎氏が言いたいことは、「創価学会は、決してただの宗教団体ではない。政治の世界で、経済の世界で、その他あらゆる面に手をのばし、世界に類を見ない巨大で強力なコングロマリットなのだ。強大な権力と、ずばぬけた財力を持ち、又東大、京大等の卒業者等で固めたエリートの官僚機構を持っているのだ。その上、自前の情報機関を持ち、更に、合法、非合法にわたって“特殊活動”を任務とする師団をかかえているのだ。百名をこえる弁護団を擁し、その多くは、小・中・高校生の頃から、「ハイル池田」を骨のずいまでたたき込まれ、英才教育を受けて法曹界に入ったメンバーである。彼らは、国法の秩序より、創価学会の利益を優先させる。・・裁判でも、偽証を行うことなど何とも思っていない。警察に圧力をかけ、検事や裁判官にも、たくみに根回しをする。・・時には、相手方の弁護士すら買収する。」(359??360頁)、「創価学会は、核兵器やテロリスト、オウム真理教が野放しになっているのと同じくらい、異常な、危険な存在だ・・テロよりも、不況よりも、創価学会・公明党が国家権力の一角に食いこんでいることは、はるかに危険なことだ」(377??378頁)、ということです。

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