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太田述正コラム#2109(2007.10.7)
<ナチスの犯罪と戦後ドイツ(その1)>

1 始めに

 英語版ウィキペディアで「ホロコースト」を調べる(
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Holocaust
。10月7日アクセス)と、「<先の大戦中に>ナチスによって直接的または間接的にコントロールされていた領域には800万人から1,000万人のユダヤ人がいた(ソ連にいたユダヤ人の数についての知識が欠けているので数字がはっきりしない)。・・占領されたソ連の領域内で80万人から100万人のユダヤ人が任務集団(Einsatzgruppen。ナチスの民兵組織(太田))によって殺害された(任務集団による殺害についてはしばしば記録が残されていないため、概数しか分からない。)」とあります。
 要するに、ソ連の領域内でのユダヤ人殺害数ははっきりしていないわけです。
 また、「<ナチス>体制によって殺害された<ユダヤ人>以外の集団として、ジプシー、ソ連の捕虜、障害者、同性愛者、物見の塔信徒、カトリック教徒たるポーランド人、そして政治犯が挙げられる。」ともあります。
 しかし、このリストには「黒人」が落ちています。
 
 今回は、ウクライナでのユダヤ人殺害の詳細を明らかにしょうとする試みと、黒人による、ナチスの黒人殺害糾弾の動きをご紹介し、ナチスの犯した犯罪の巨大さに改めて思いを致した上で、戦後ドイツがいかにナチスの犯罪に対する責任と向き合うことを避けてきたかを指摘したいと思います。

2 ウクライナでのユダヤ人殺害

 10月の第1週にパリで、ウクライナでのユダヤ人殺害に関する国際会議が開かれ、フランス・イスラエル・ドイツ・米国等の研究者達が初めて一同に会しました。
 バルト地帯を除くソ連、すなわちウクライナ・ベラルス・モルドバ・ロシア西部における先の大戦中のユダヤ人殺害について、確たる事が分からなかったのには理由があります。
 当然、ナチス当局はこの事実をひた隠しにしました。
 また、ソ連当局は戦後、赤軍のナチスドイツ軍に対する戦いの歴史研究は奨励しても、こんな分野の歴史研究には色よい顔をしませんでした。そもそも、ソ連がロシア時代のポグロムの「伝統」を受け継いでおり、ソ連の人々の嫌ユダヤ人感情を許容していた、ということも研究を妨げました。
 更に、1941年に独ソ戦が始まると、ウクライナの警察はドイツ軍部隊がウクライナ西部に到達することを見越して、「敵性勢力」とみなされたところのユダヤ人達をかり集め殺害を始めていたとか、上記任務集団やドイツ軍のユダヤ人殺害に直接的間接的に協力させられたウクライナ人が多数おり(注1)、中には積極的に協力した者もいた、といったことも研究の足を引っ張ったのです。

 (注1)集団墓地の穴掘り、ナチス民兵やドイツ軍の食事の調理、殺害前にユダヤ人から脱がせた衣服の仕立て直し等に従事した。

 ですから、比較的最近まで、はっきり分かっていたのは、1941年にキエフ近くのバービーヤール(Babi Yar)渓谷で行われたユダヤ人34,000人の殺害くらいだったのです。
 しかし、ようやく1941年から1944年にかけて、ウクライナにいた約240万人のユダヤ人のうち140万人から150万人が殺害されたらしい、という程度までは分かってきました。
 この間、特に大きな研究成果を挙げたのが、フランス人のカトリック神父のデボワ(Patrick Desbois)が率いる研究集団です。
 彼らはこの4年間、ウクライナ人700人以上にインタビューを行い、これまでほとんど知られていなかったところの、殺害されたユダヤ人の集団墓地を600箇所以上つきとめ、関連資料を収集し、ようやくウクライナの三分の一の地域をカバーすることができました。
 インタビューされた人々の証言から、殺害されるユダヤ人の悲鳴を聞きたくないので、殺害中ナチスは空のバケツを叩いていたとか、ユダヤ人女性は強姦されてから殺害されたとか、子供も殺害された、といったことが分かってきました。
 また、殺害に当たってユダヤ人一人当たり一発の弾丸の使用しか認められていなかったため、撃ち損じてまだ生きているのに埋められる人もあり、そのため集団埋葬地が何日間も微動していたこともあった、というのです。

 (以上、特に断っていない限り
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/10/03/AR2007100301719_pf.html
(10月4日アクセス)、及び
http://www.nytimes.com/2007/10/06/world/europe/06priest.html?ref=world&pagewanted=print
(10月7日アクセス)による。)

(続く)
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 有料版のコラム#2110(2007.10.7)「完全なスパイ(その1)」のさわりの部分をご紹介しておきます。

 コラム全文を読みたい方はこちらへ↓
http://www.ohtan.net/melmaga/

1 始めに

 ・・人生をまっとうした有能なスパイ<を>・・二人をご紹介したいと思います。
 一人はベトナム戦争時のベトナム人であり、もう一人は先の大戦時のオーストリア人です。

2 ベトナム人

 まず、ベトナム戦争当時にサイゴンで米タイム誌の記者を務める一方で北ベトナムのスパイを務めていたファム・ホワン・アン・・の話です。

 ・・
 タイムの記者時代の彼は、他社の米国人ジャーナリストにも気軽に情報を与えたり人を紹介したりしたので、南ベトナムに派遣された米国人ジャーナリストはみんな彼の友人になったものです。
 こんな彼だったので、南ベトナム政府要人や軍の幹部、及び在南ベトナムのCIA要員を含む米国政府関係者達に知人友人が多く、彼らから突っ込んだ情報がとれました。

 アンがスパイとしてどんなめざましい働きをしたのか、三つだけ挙げましょう。

 <省略>

 また、1967年末に北ベトナムは彼に1968年初めにテト攻勢をかけると伝えてきました。 アン自身は、テト攻勢をかけても南ベトナム民衆が叛乱に立ち上がることはなく、無意味であると思っていましたが、サイゴン中を回って脆弱な地点を探し出し、事前に北ベトナム軍の指揮官を変装させてサイゴンに連れてきて、直接これらの地点を案内しました。
 これがテト攻勢の時のサイゴン潜入作戦にどんなに役立ったかは言うまでもありません。

 <省略>

 ・・

 アンが2006年に亡くなった時、軍事的儀式にのっとった公的葬儀が盛大に行われましたが、かつての南ベトナム派遣米ジャーナリスト達から多数の、友人たるアンに敬意を表し、感謝する弔辞が寄せられました。
 これは不思議ではありません。
 アンはベトナム戦争中、何千何万という米国人を死に至らしめた一方で、米ジャーナリスト達の命も数多く救ったからです。
 ・・

(続く)

太田述正コラム#1898(2007.8.8)
<原爆投下62年と米国>(2007.9.9公開)

1 始めに

 原爆投下62周年を迎えたわけですが、米国の主要メディアが原爆投下をどのように報じているのか、あるいは報じていないのかを検証してみようと思い立ちました。
 その結果、ニューヨークタイムス電子版やスレート誌の沈黙が気になりますが、ロサンゼルスタイムスの電子版が二回、CNNの電子版が一回、ワシントンポストの電子版が一回採り上げていることが分かりました。

2 ロサンゼルスタイムス電子版

 (1)ニュース報道

 6日付のロサンゼルスタイムス電子版は短い記事(
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-briefs6aug06,1,7779623.story?coll=la-headlines-world  
。8月7日アクセス)ですが、安倍首相の広島での慰霊祭出席を取り上げていました。
 記事の焦点は、久間前防衛大臣の「仕方がない」発言を同首相が謝罪した点です。
 この記事は、久間発言を、「原爆投下は戦争を早く終わらせた。おかげでソ連に日本の領土を奪われないで済んだ」というものだと紹介していますが、「原爆投下は戦争を早く終わらせることによって米兵多数の命を救った」という米国における社会通念(注)だって、日本では大臣が馘首されるほどの暴言であることを米国人に知らしめることを暗に意図している、と思いたいところです。

 (注)原爆投下は「百万人」の米兵の命を救ったという社会通念の虚構性を暴いた、東大教授(独文学)中澤英雄氏の「原爆百万人米兵救済神話の起源」萬晩報2007年07月08日参照。

 (2)当時の手紙の紹介

 6日付のロサンゼルスタイムス電子版のもう一つの記事(
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-smollar6aug06,0,324571,print.story?coll=la-opinion-rightrail  
。8月7日アクセス)は、同紙の元記者が、1945年当時フィリピンに軍医として滞在していた父親が、広島に原爆が投下されたことを知って米国にいる妻(記者の母親)宛に出した手紙を紹介したものです。
 これで戦争が早く終わると喜んだ手紙を出した後、次第に人類の将来を心配したペシミスティックな内容に手紙は変わって行ったというのです。
 この記事は、原爆が投下された時点では米国人の間ではこのような声があったのに、それから52年経った現在、このような声が余り聞かれないことを問題視している、と私は受け止めました。

 いや、この記事は、もっと根本的な問題提起をしているように思います。
 というのは、この記事の中で、この軍医たる父親が、原爆投下を知る以前に出した手紙の内容・・米軍当局が2軒の売春宿の設立を命じた、一つは白人用でもう一つは有色人種(黒人?)用だった、設立目的は米兵の性病罹患防止だった、軍医は医療面を担当することになっており、部隊の司令官と憲兵士官と「マダム」に会えと言われた・・がわざわざ紹介されているからです。
 つまりこの記事の記者は、米下院の先般の慰安婦決議の偽善性を衝こうとしているのであって、米軍だって先の大戦の時に軍が関与して売春宿をつくったではないか、しかも米軍には日本軍には見られなかった人種差別があったではないか、それだけでも慰安婦決議はなされるべきではなかったし、そもそも、原爆を投下して日本の一般市民を大量虐殺したことへの真摯な謝罪なくして慰安婦問題ごときで日本を声高に非難するのは偽善この上ない、と言いたいのだと私は思うのです。
 
2 CNN電子版

 CNN電子版の記事(
http://www.cnn.com/2007/SHOWBIZ/TV/08/06/HBO.atomic.survivor.ap/index.html  
。8月7日アクセス)はAP電をキャリーしたものですが、日系人のオカザキ(Steve Okazaki)が撮ったTVドキュメンタリー「白い光/黒い雨:広島と長崎の破壊(White Light/Black Rain: The Destruction of Hiroshima and Nagasaki)の紹介です。
 
 この記事は、上記ドキュメンタリーに出てくる原爆投下直後の瓦礫の山と化した広島や長崎の風景やひどく醜い姿になった被爆者の写真や映像を米国で目にすることは これまでほとんどなかったとし、その理由はホロコーストと違ってこれは米国人がやったことゆえ米国人は見たくなかったからだ、と指摘します。
 そして、被爆者から米国人が目をそむけてきたのは、原爆が一瞬にして20万人の命を奪ったと思いたいのであって、後遺症に長く苦しんで亡くなった人や長く苦しみながら生きている人々がいるなどと思いたくないからでもある、と付け加えています。
 日本で被爆者を差別し、被爆者をして余り語らせないようにしてきたこともこれを助長した、というのです。
 その上で、このドキュメンタリーが米国のサンダンス映画祭で上映されたところ、知的には歓迎されたものの、情的には観客はゆさぶらずほとんど誰も涙を流さなかったという奇妙な反応だったことに触れています。

 慰安婦決議を推進したホンダ米下院議員のような日系人もいるけれど、オカザキのような日系人もいることをわれわれは忘れてはならないでしょう。

3 ワシントンポスト

 ワシントンポストの6日付電子版の論考(
http://newsweek.washingtonpost.com/onfaith/guestvoices/2007/08/the_soul_of_the_destroying_nat.html?hpid=opinionsbox1
。8月8日アクセス)は、原爆実験場のニューメキシコ州ロスアラモス(Los Alamos)の近くで育ったギャラハー(Nora Gallagher)が、自分が書いた原爆をテーマにした小説を紹介しつつ、原爆投下に対する彼女の心情を述べたものです。

 まず彼女は、原爆投下時点で広島の人口は40万人だったが、10万人が死亡し、1945年の終わりまでにはその数字が14万人になり、5年後には20万人になり、死亡率は54%に達し、死亡者の非軍人・軍人比率は実に6対1だったと指摘します。
 次いで、子供二人を失った被爆者の凄惨な話をします。
 そして、原爆開発に携わったうちの150名の科学者達がトルーマン大統領に対し日本に原爆を投下しないように嘆願書を提出したにもかかわらず、広島に原爆が投下されたと続けます。
 特に興味深いのは、彼女が、原爆投下後に感想を聞かれたガンジーの言葉を引用しているところです。
 ガンジーは、「日本人の魂を破壊する結果に当面はなったが、原爆を使った国の人々の魂に何が起こったかを見て取るにはまだ早すぎる」と語ったというのです。
 その上で彼女は、原爆投下が米国人の道徳感覚を腐食させたのではないか、原爆投下がグアンタナモやアブグレイブをもたらしたのではないか、と問いかけるのです。

4 終わりに

 原爆投下から目をそらす米国の大半の人々は、スターリンの行った大虐殺から目をそらすロシアの大半の人々(
http://www.taipeitimes.com/News/world/archives/2007/08/06/2003372929 
。8月7日アクセス)と好一対ですね。
 これらの人々に真実を直視させることもまた、日本の重要な使命の一つではないでしょうか。 
 そのことは、いわれなき汚辱まみれの戦前史から日本を解放することにもつながるのです。

太田述正コラム#1552(2006.12.7)
<イラン・アラブ・ホロコースト>

1 イランでホロコースト国際会議開催

 (1)始めに
 12月11、12日の両日、イランの首都テヘランでホロコーストに関する国際会議が開催されることになりました。
 何でも、世界30カ国から67人の専門家が集まるそうなので、かつて私のホームページの掲示板上で私とホロコースト論議を戦わせた日本人の読者の中に、この会議に参加される方がおられたら、ぜひ会議の模様を後で報告していただきたいものです。
 
 (2)この会議について
 さて、イランのアフマディネジャド大統領が、昨年、累次に渡って、ホロコーストに言及し、600万人がナチによって殺害されたというのは、誇張か神話かどちらかであると述べ、また、ユダヤ人はホロコーストをイスラエルの利益を伸張させるためのプロパガンダとして用いている、とか、イスラエルは世界地図から消し去られるべきである、といった発言をしたことはご記憶の方が多いと思います。
 今回の国際会議は、大統領のかかる発言を受けて行われることになったものであり、欧州のいくつかの国ではホロコースト否定論は犯罪となっていて自由にホロコーストの研究ができないことに鑑み、ホロコースト論者と否定論者が自由闊達に議論をする機会を設けるために開催する運びとなったという触れ込みです。
 この会議でとりあげられるテーマは、イランやイスラム諸国におけるユダヤ人(注1)、シオニズム、ガス室、意見表明の自由、ホロコースト否定論者を処罰する法律、等30にわたっているといいます。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2006/12/06/world/middleeast/06holocaust.html?_r=1&oref=slogin&ref=world&pagewanted=print
(12月6日アクセス)による。)

 (注1)イランには2万5,000人のユダヤ人が住んでいる。

2 アラブとホロコースト

 イスラム世界でホロコースト否定論寄りの発言をしているのはイランのアフマディネジャド大統領だけではありません。
 彼のお友達であるアラブの超有名人のお二人である、シリアのアサド大統領とレバノンのヒズボラの指導者であるナスララも、それぞれ最近、「ユダヤ人がどうやって殺され、何人殺されたか、良く分からない」、「ユダヤ人はホロコーストという伝説を作り上げた」と述べています。
 この三人の大好きなパレスティナのハマスも、その公式ウェッブサイトで、「いわゆるホロコーストとは、ユダヤ人によって何の根拠もなしに作られた話である」と記しています。
 また、エジプト、カタール、サウディアラビアの各国政府も、ホロコースト否定論に肩入れしています(注2)。

 (注2)エジプトの街頭のキオスクではどこでも、帝政ロシアの秘密警察が1905年に捏造した、ユダヤ人の世界支配の陰謀を記述したシオンの議定書(Protocols of the Elders of Zion)や、ヒットラーの「我が闘争」を売っている(
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/4701162.stm
。2月15日アクセス)。

 更に、米国のホロコースト記念博物館が調べたところ、開館以来の13年間に、アラブ諸国の高官でこの博物館を訪問したのは、湾岸諸国のうちの一つの国の若い王子一人だけであることが判明しました。
 このようなアラブの姿勢の背景には、イランもそうなのですが、自分達はホロコーストとは何の関係もないという思いこみがあります。
 しかし、イランはともかくとして、アラブはホロコーストと、悪い意味でも良い意味でもご縁が大いにあるのです。
 ナチスドイツ、及びその一味であるイタリアのファシスト政権とフランスのヴィシー政権は、北アフリカを1940年6月から1943年5月にかけて支配し、ホロコーストのはしりをここで行ったからです。
 すなわち、北アフリカのユダヤ人は、財産・教育・生計手段・住居・移動の自由、を奪われ、拷問・奴隷労働・移送・処刑、の対象となったのです。
 欧州ではユダヤ人の半分以上が亡くなったのに対し、北アフリカのユダヤ人の約1%に相当する4,000人から5,000人が亡くなっただけでしたが、これは、北アフリカでは戦いの期間が短かった上、欧州の強制収容所にユダヤ人を船に乗せて連行するのが容易ではなかったことが幸いしたのです。
 ここで忘れてはならないのは、多くのアラブ人は、ナチスドイツ等に命じられてとやむなくいうより、どちらかと言えば積極的にユダヤ人迫害に手を貸した、という事実です。その一方で、少数ながら、ユダヤ人を助けたアラブ人もいましたが・・。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/10/06/AR2006100601417_pf.html
(10月9日アクセス)による。)
 
3 コメント

 上述したような、アラブとホロコーストとの関わりは、 テヘランで行われる国際会議でのテーマの一つとして極めてふさわしいと思われるところ、アラブ世界の歴史教科書では全く言及されていない(ワシントンポスト上掲)だけに、恐らくテーマには入っていないことでしょう。
 イランやアラブ諸国は、ホロコーストそのものについて論じる前に、まず、自らがホロコーストと関わった過去と真摯に向き合うべきだと思います。

太田述正コラム#9792005.12.1

<差別・ホロコースト問題をめぐる残された論点>

1 初めに

 差別・ホロコースト問題をめぐって、一部の読者によるエキサイトした投稿がまだ続いています。

 おかげさまで先週の週間ブログ・アクセス数は957名、と新記録を達成し、昨日は約23時間半にわたってブログへの新コラムのアップロードを行わなかった(行い得なかった)にもかかわらず、アクセス数は100名を超えています。

 しかし、最近アクセスが多いのは、差別・ホロコースト問題を取り扱ったコラムではなく、フィリピンについてのコラムであること等から判断するに、読者の大部分は新しい話題を求めているように思われます。

 しかし、余りにHPの掲示板への差別・ホロコースト問題に係る読者の投稿が多いため、その対応に時間をとられ、コラム執筆の時間がとれなくなってきています。

 しかも、その読者の投稿の大部分は、典拠をつけない印象論を一方的に展開していること、論点の集約を図る努力を怠っていること等のため、対応させていただいている私の投下時間に見合った成果が生まれていません。(そうではない、きちんと成果を生み出した最近の模範例として、コラム#925とコラム#971をめぐる、(両コラムとも同じ)読者と私との掲示板上のやりとりをご参照下さい。)

 そこで、この際、私が考えるところの残された三つの主要論点を提示させていただき、その主要論点に係るコラムのうち少なくとも一篇を、上記読者(複数)が執筆され、私宛送付されるまでの間、差別・ホロコースト問題の議論を凍結したいと思います。

2 差別問題について

 差別問題についての残された論点は、「英国の少数民族差別はフランスと比較してどうなのか」です。

 これをブレークダウンすると、「英国のアングロサクソンの少数民族差別意識はフランスよりひどいのか」、「これまでの英国における少数民族暴動がフランスより頻度も規模も小さかったのはなぜか」、「今後とも少数民族を低熟練・高リスクの職等に受け入れて行くことが英国人の多数意見であるのはなぜか」の三つくらいになります。

 ぜひこの論点について、差別問題の議論を続けてこられた読者に、(例外的に匿名でもいいので(以下同じ))コラムを書いていただきたい。ただし、典拠を踏まえるべきことは当然です。(ただし、ご自分の体験を典拠としたい場合は、本名と肩書きをつけてコラムを書いていただく必要があります。)(やはり以下同じ。)

 蛇足かもしれませんが、私自身、英国に他民族差別がないなどと主張しているわけではないことは、コラム#968の末尾で「英国の植民地統治も日本の植民地統治には及ばず、餓死や虐殺を伴うものであったこと、しかも、計算の仕方によっては1000年にわたって統治したアイルランドを英国はついに統合することに失敗したこと、かつまた故会田雄次をして、著書「アーロン収容所」で英国人の黄色人種差別を糾弾させたこと、はどうしてなのでしょうか。」と記したこと、また、コラム#356で「ビクトリア時代のイギリス人はおしなべて、「イギリス人は働き者で信頼が置けるがアイルランド人は怠け者で裏切り者、そしてイギリス人は大人で男性的だがアイルランド人は子供っぽくて女性的」である、と考えており、「女性的で子供っぽいのだから、アイルランド人は自治などできない」と結論づけていた」と記したこと等から、よくお分かりのはずです。

3 ホロコースト問題について

 (1)ユダヤ人収容目的

 私がコラム#977で申し上げたことの趣旨は、「1942年以降のナチスドイツによるユダヤ人収容目的について、ホロコースト否定論者が、(労働に耐え得ない者を除き)強制労働力として用いることだった、と主張をしている、などという話は、私が参照した二つのホロコースト否定論論駁サイトには出てこない」ということです。

 それに対し依然、1942年以降のユダヤ人収容目的が強制労働力として用いることだったと主張されている読者がおられます。

 そこで、このカギ括弧内の命題の誤りを証明するコラムを書いていただきたい。

 なお、私の参照した二つのホロコースト否定論論駁サイトは、論駁サイト中の例外的存在であることを証明することで、私の論拠を弱めることは可能です。上記コラム内でぜひやってごらんになったらいかがか。

 以下は付け足しです。

 1942年まではユダヤ人収容目的が強制労働力として用いることであったことは私自身が指摘していることですし、1942年以降もアウシュビッツではユダヤ人が強制労働に従事させられたことも私は否定していません。ただし、後者は、殺戮計画を円滑に実施するためであり、強制労働力として用いることが目的ではなかった、と指摘したところです。

 (2)ユダヤ人殺戮数

 固いところで、510万人から590万人のユダヤ人がナチスドイツによって虐殺された、という数字は大きすぎる、と主張されている読者がおられますが、そのご主張には典拠が全く示されていません。

 このご主張について、コラム執筆を求めることは、ご本人がフランス在住であるとおっしゃっていることから、しのびないものがあります。ぜひ、反ホロコースト否定法のない国または地域に在住のご友人にコラム執筆を依頼してください。(ただし、援用される典拠一つ一つについて、いかなる理由で信頼性のあるものと受けとめられたかについての説明が、このコラムについては必要です。)

 さもないと、上記ご主張が、私や他の読者からの批判に晒されることなく、私のHPの掲示板上に残り続けることになってしまい、ご主張をうのみにする読者が出てくることが懸念されるからです。

太田述正コラム#9772005.11.30

<ホロコーストはあったのか?(続x3)>

1 初めに

 なかなか、ホロコースト論議が終息に向かわないのには困ったものです。

 論議の中身より、その周辺的な話の方が気になっています。

 ここでは、二点だけ取り上げます。

2 議論の仕方

 議論の鉄則は、典拠を挙げて行うことです。

 しかし、その典拠をでっちあげて議論をふっかけてくる人があれば、どうしますか。

 そんな議論を受けて立つ必要はない、というよりそんな議論を受けて立ってはいけないのです。

 ホロコースト否定論は、まさにこのような類の議論なのです。

 だから、私に対し、ホロコースト否定論に対しどうして具体的な反論をしないのか、とおっしゃる人に対しては、呆れ、怒らざるを得ないのです。

 なお、ホロコースト否定論にシンパシーを示すことは、いくら匿名だとは言え、ホロコースト否定論を(インターネット上で)流布させたとみなされる懼れがなきにしもあらずであり、フランス等、かかる行為を処罰する国々に入国した時に逮捕されない保証はありません。

 これはちと大げさだとしても、余り軽いノリでこの種の議論はしない方が身のためですよ。

3 第二次資料の読み方

 ある読者が、私が「ユダヤ人を主体とする強制収容所が強制労働を目的とするものであったとする指摘は、ホロコースト否定論者によっても全くなされていない。」という主張をコラム#976で行い、その論拠の一つとして、ホロコースト否定論を論駁しているhttp://www.nizkor.org/qar-complete.cgiというサイトでも、そんな指摘は取り上げられていない旨記したところ、取り上げられている、という反論を寄せられました。

 同サイトの関係ありそうな箇所は、下掲のとおりです。

6. If Auschwitz wasn't a "death camp," what was its true purpose?

The IHR says (original): It was a large-scale manufacturing complex. Synthetic rubber (Buna) was made there, and its inmates were used as a workforce. The Buna process was used in the U.S. during WWII.  

The IHR says (revised): It was an internment center and part of a large-scale manufacturing complex. Synthetic fuel was produced there, and its inmates were used as a workforce.

Nizkor replies: True to some extent. Auschwitz was a huge complex; it had ordinary POW camps (in which British airmen were also held, and they testified of atrocities in the nearby extermination camp). Auschwitz II, or Birkenau, was the largest camp, and the gas chambers were there. Auschwitz III, or Monowitz, was the industrial manufacturing plant. Many prisoners were indeed used for forced labor in Auschwitz. But the "unfit" -- meaning the elderly, the children, and most of the women -- were immediately sent to the gas chambers.

(太田訳)

第6問 アウシュヴィッツ「死の収容所」ではないとして、一体それは何だったのだろうか。

IHRの以前の答え:大規模な製造施設だった。合成ゴムがここでつくられ、収容者は労働者として使われた。同様の合成ゴム工場は先の大戦中に米国にもあった。

IHRの現在の答え:大規模な製造施設の名称であると同時にその一隅にあった収容センターの名称。合成燃料がここでつくられ、収容者は労働者として使われた。

Nizkorによる論駁:部分的には正しい。アウシュヴィッツは巨大な施設だった。通常の捕虜収容所(そこに捕らわれていた英空軍兵士達は、近くの絶滅収容所での残虐行為の証人となった)もあった。アウシュヴィッツ?Uまたの名はビルケナウ(Birkenau)は最大の収容所であり、ガス室(複数)がそこにはあった。アウシュヴィッツ?Vまたの名はモノヴィッツ(Monowitz)は産業製造工場だった。沢山の囚人達がアウシュヴィッツで強制労働に使われた。しかし、「不適者」、すなわち老人と子供と大部分の女性は、直ちにガス室に送られた。

 これは、IHRInstitute for Historical Review)というホロコースト否定団体によるQA形式のパンフレットの、各Aに対し、Nizkor名で反駁を加えたもののうちの一部です。

 さて、ユダヤ人絶滅計画が実施に移された1942年以降、ユダヤ人が収容されていた収容所は、ポーランド内だけでも6箇所もあり、このほか、ソ連領内にも同様の収容所があるにもかかわらず、IHRが(ユダヤ人が収容されていた収容所としては一番大きいとはいえ、)アウシュヴィッツしか工場を併設していた収容所を挙げていない、というのが留意すべき第一点です。

 しかも、「収容者は労働者として使われた」と言っているだけで、「ユダヤ人収容者は(あるいは、ユダヤ人収容者も)労働者として使われた」とは言っていない、というのが留意すべき第二点です。

 つまり、IHRは、アウシュヴィッツだけではユダヤ人も強制労働に使われていたと言いたいわけではなく、要は、アウシュヴィッツは工場施設であって、労働力として(通常の労働者のほか)収容者も使われていたけれど、ユダヤ人絶滅施設ではなかった、ということが言いたいのでしょう。

 ですから、ホロコースト否定論者が、収容されたユダヤ人は、(労働に耐え得ない者を除き、)全員強制労働に使われていた、ということを主張していた、ということには、冒頭の典拠からはなりません。

 後は蛇足です。

 ナチスは、時間をかけて次第にユダヤ人迫害のレベルを上げて行ったのであって、(地域によって時期的にはズレがあるが)やがてユダヤ人全員が収容所に入れられ、強制労働に使われるに至り、その後、1942年からは絶滅目的でユダヤ人虐殺が開始され、逃げたり隠れたりして収容所行きを逃れた者以外の欧州及び占領下のソ連のユダヤ人は、終戦までにほぼ絶滅されます。

(以上、http://72.14.203.104/search?q=cache:6PUhBLKjwaEJ:www.virtualmuseum.ca/Exhibitions/orphans/english/themes/pdf/glossary.pdf+Jew%3Bforced+labour%3BNazis&hl=jahttp://www.holocaust-education.dk/tidslinjer.aspも参照した。)

 虐殺の過程で、老人・子供・大部分の女性、を先に殺し、大人の男性は強制労働に従事させることがあったのは、毎日キャパシティ一杯の人数の虐殺を整斉と実施していくに際して、「在庫」たる大人の男性に生存への希望を抱かせ、蜂起の芽を摘まんがためであり、強制労働させることが目的ではありませんでした。

太田述正コラム#9762005.11.29

ホロコーストはあったのか?(続々)

 私が、ホロコースト否定論は与太話である、と指摘したことに対し、お二人の読者の方々から、

><ホロコースト否定論は>資料が恣意的に用いられている感は否めませんね。しかし、なるほど論法自体は一応論理的だと思います。(同意はしませんが)・・これに反論するならば、こちらもそれに相当する資料を示す必要があります。「英米、就中英国の高級紙の記事・論説や、英米、就中英国の一流大学の学者の言」では連合国側に有利なものばかりで、著しく公平性に欠けるでしょう。

>具体的な内容の検証(××の部分が××という理由で間違っている)が全くないくせに『ヨタ話』と決め付ける<くせに、>『?とは考えられません。』『?があるはずです。』<と>・・ヨタ話と決め付けている根拠が憶測だけである。この論法はどこかで見たことがあります。そうです。『アメリカは宇宙人の死体を隠している』とか『聖書には未来を予言した暗号が隠されている』というエセ科学です。・・コラムに書かれている論法はまぎれもなくエセ科学のそれです。

という批判が寄せられています。

 前者の読者は、継続的に私のコラムをお読みになっておられるようですが、後者の読者は、たまたま私のホロコースト・シリーズだけをお読みになったのかもしれません。

 いずれにせよ、私の方法論はいかなるコラムを書く時も一貫しているのであって、その方法論が「著しく公平性に欠ける」とか「エセ科学」的であると本当に思っておられるのだとすれば、そもそも私のコラムをお読みになるのは時間のムダ、ということになります。ぜひもっと有効な時間の過ごし方をされるよう、老婆心ながらお勧めしておきます。

 しかし、ひょっとしたら、他の読者の中にも同じように思っておられる方が少なくないのかも知れません。これらの方々の「著しく公平性に欠ける」「エセ科学」的なものの考え方に猛省を促すため、本来不必要なこのコラムを書くことにしました。

2 ホロコースト否定論与太話論の補足

 私は、英国の裁判官が判決の中で、「<アーヴィングが>ホロコーストに関しては、一貫して意図的に第一次資料をねじまげ<た>」とした(コラム#970)のは、ケンブリッジ大学のエヴァンス教授の証言、「アーヴィングのすべての本や講演や論考の中のたった一つの段落、たった一つの文章でさえ、それが扱っている歴史的事案の正確な描写であると信じられるものはない。」(コラム#970)を、アーヴィングのホロコーストに関する本・講演・論考に限定して、採択したもの(注1)であり、「ねじまげ」は、第一次資料の意図的誤読(misrepresent)と改竄(fabricate)からなる、と解しています。

 (注1)エヴァンスの証言が、アーヴィングのホロコースト否定論に関して、誤りであることを証明できれば、権威あるケンブリッジの歴史学教授の席が一つ空くことにつながる可能性が高いことから、この証言はこの席を虎視眈々とねらっている世界の大勢の歴史学者の厳しいpeer review の対象になっているはずだが、裁判が終わった2000年以降今まで、一切、誤りを指摘する声は挙げられていない。だから、エヴァンスのこの証言は正しいと考えざるをえない。

 

他方、アーヴィングは、並み居るホロコースト否定論者の中では、最も学問的業績がある「まとも」な人物です(コラム#969970)。

 いわんや、アーヴィング以外の、より「まとも」でないホロコースト否定論者なら当然、その立論を第一次資料の「ねじまげ」によって展開しているに違いない、と判断した次第です。

 実際そうなのであって、そのことは、詳細にホロコースト否定論を論駁するサイト http://www.nizkor.org/qar-complete.cgiを読むまでもなく、簡易なサイトhttp://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/Holocaust/denial.htmlを読むだけでも明らかです。

 そんなホロコースト否定論及び否定論への論駁論の中身に立ち入ってこれを紹介すること自体、時間の無駄だと考え、差し控えたわけです。

 しかし、読者の方々が、それこそ何の根拠もなしに無茶苦茶なことを言っておられるので、この際、少しだけ中身に結論的に触れておきます。

 ナチスによる欧州におけるユダヤ人の絶滅計画はあった。

 東方戦線以外ではユダヤ人は、もっぱらガスによって殺害され、焼却されたのに対し、東方戦線ではユダヤ人は、もっぱら集団で銃殺され、埋められた。

 ユダヤ人殺害数は、前者は300万人から400万人と推定され、前者・後者合わせて、510万人から590万人が固いところ、とされている。(ニュルンベルグ裁判の時点では、約570万人と推定されていた。)

 ユダヤ人を主体とする強制収容所が強制労働を目的とするものであったとする指摘は、ホロコースト否定論者によっても全くなされていない。

 (以上、上記二サイトによる。)

3 私の方法論の補足

 私は記者でもないし、既に(コラム#669で)申し上げたように歴史家でもありません。

 すなわち、主としてインターネット・サイトに掲載された第二次資料に典拠して立論を展開してきました。

 そのことに、疑義を呈されても、どうしようもありません。私には、ニュースの現場をかけずり回ったり、あるいは第一次資料に直接当たって(その資料の信頼性や偽造の有無を判断する)資料批判を行ったりしているカネとヒマはないからです。

 いずれにせよ、私が立論を展開する際に鍵となるのは、典拠とするサイトの信頼性であり、その信頼性を判定する私の能力です(注2)。

 (注2)悩ましいことに、信頼性の比較的高いサイト同士でも、記述された事実が食い違っていることがある。そういう場合、どちらに書いてある事実を採択するかについても、私の能力が問われることになる。

 

この私の能力について、皆さんに改めてご判断を願うためにも、(コラム#974で)プーチン訪日への日本と英米のメディアの評価を比べ、どうして後者の方が信頼性が高いと判断したかを記した次第です。

 それにしても、皆さんの議論を見ていて、日本でも欧米のようにディベート教育を行う必要を痛感しています。

太田述正コラム#9722005.11.27

<ホロコーストはあったのか?(続)>

1 初めに

 ある読者から、「ドイツやオーストリアではホロコースト否定を罰する法律があるのですね。異論を法律で禁止しようとする体質がナチスの台頭を許す素地になったのではないでしょうか。」という問題提起がありました。

 この問題提起を、「ホロコースト否定論を法律で禁止する必要のある社会、あるいはホロコースト否定論が盛んな社会は、ファシズムの台頭を許す素地があるのではないでしょうか」と読み替えれば、お答えは、そのとおりです、ということになろうかと思います。

 その理由をお話ししましょう。

2 ホロコースト否定論を禁止している社会

 ホロコーストが起こったことを公の場で否定すると法律で処罰される国は、オーストリア・ベルギー・チェコ・スロバキア・フランス・ドイツ・リトアニア・ポーランド・ルーマニア、それにイスラエルです。

 1998年にアーヴィングによって提起された名誉毀損裁判で、被告側の弁護人を務めたリブソン(James Libson)・・当然、ホロコースト否定論に批判的・・でさえ、「その歴史に鑑みれば、英国がホロコースト否定論を禁止する法律を導入するなどということはばかげている(注1)。他方、極右やネオナチ政党がこれ見よがしに活動しているドイツやオーストリアのような国(注2)では事情が異なる。しかし、法律があっても、<これら諸国では>ホロコースト否定論の流布は後を絶たない。」と述べています。

 (以上、http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/4449212.stm1127日アクセス、以下同じ)による。)

 (注1)まだ野にあって労働党を率いていたブレアは、1997年の総選挙の時、ホロコースト否定論を禁止する法律の制定に前向きの姿勢を示したことがある。しかし、総選挙に勝利して政権を保守党から奪取した後、ブレア政権は、法律を制定しないことにした。(http://www.telegraph.co.uk/htmlContent.jhtml?html=/archive/2000/01/21/nazi21.html

その後、EUで、「公の場で1945年に設置された国際軍事法廷で取り扱われた犯罪を公の場で否定したり矮小化する言動」を加盟国共通の犯罪に指定しようとする動きが出た時にもブレア政権はこれに反対している(http://www.rense.com/general21/shi.htm

 (注2)オーストリアでは、つい数年前に極右のハイダー(Haider)を党首とする自由党(Freedom Party)が連立与党の一角を占めて問題になったことを思い出して欲しい(http://www.nytimes.com/2005/11/26/international/europe/26irving.html?pagewanted=print)。

 

戦後に建国されたイスラエルを除き、これらは、いずれも反ユダヤ主義の伝統のある諸国であること、かつ、いずれも戦前から先の大戦にかけてファシスト政権が樹立されたか、ファシズムの強い影響を受けた諸国であること・・より中立的な表現を用いれば、ナチスドイツによって大きな被害を受けた諸国であること・・は暗示的です。(この中にファシズムの本家、イタリアの姿が見えないことは不思議です。)

 そもそも、憲法を持たないイスラエルを除き(注3)、これら諸国は、すべて憲法を持ち、そのいずれの憲法にも表現の自由の規定があるにもかかわらず、ホロコースト否定論を禁止するという、表現の自由と抵触する法律をつくらざるをえないところに、これら諸国の苦衷がしのばれます(注4)。

 (以上、http://webjcli.ncl.ac.uk/1997/issue4/butler4.htmlを参考にした。)

 (注3)よくご存じのように、英国も憲法を持たない。だから、英国でホロコースト否定論を禁止する法律を制定したとしても憲法上の問題は生じない。なお、建国に至る歴史が歴史だけに、イスラエル国民にとってホロコースト否定論は、国家反逆罪的な深刻な罪と受け止められている。

 (注4)カナダは、誤った事実を流布させることを罰する法律を制定したことがあるが、カナダ憲法の表現の自由規定に抵触するとして、1992年にカナダ最高裁の判決でこの法律は違憲無効とされた。

3 ホロコースト否定論が盛んな社会

 ホロコースト否定論が盛んなのは中東諸国です。

 シリア・イラン・パレスティナ当局は、政府がホロコースト否定論を公認しています。他の中東諸国でも、ホロコースト否定論は大流行です。

 何と、現在のパレスティナ当局のアッバス(Mahmoud Abbas (Abu Mazen)議長が21年前に書いた博士論文は、ナチスによって殺されたユダヤ人の数は100万人以下だったというものです。

 つまり、中東では、ホロコースト否定論はイスラエルを貶めるための根拠として広く信じられているのです。

(以上、http://www.nsm88.com/articles/holocaust%20denial%20law.html、及び

.http://en.wikipedia.org/wiki/Holocaust_denialによる。)

 中東には、まともな自由・民主主義国は、(イスラエルを除いて、)一カ国もないことは、ご存じのとおりです。

太田述正コラム#9702005.11.26

<ホロコーストはあったのか?(その2)>

5 アーヴィングの改心

 (1)ホロコースト否定論終焉へ

 ところが、どうやらアーヴィングは改心した模様なのです。

 そうだとすると、ホロコースト否定陣営は、回復しがたいダメージを蒙ったことになります。

 (2)敗訴まで

 1998年にアーヴィングは、英国の出版社が出した本の米国人女性研究者に対し、英国で名誉毀損の裁判を起こします。この本でアーヴィングが最も危険なホロコースト否定者と名指しされたことが事実に反する、というのです。

 これは、彼がホロコースト否定者であったことはない、という趣旨なのか、この本が出た時点では既にホロコースト否定者ではなくなっていた、という趣旨なのかは、(典拠では)定かではありません。

 被告側証人となった、ケンブリッジ大学現代史教授のエヴァンス(Richard Evans)は、2年間にわたってアーヴィングの著作と第一次資料とをつきあわせた上で、以下のように証言します。

 「アーヴィングのすべての本や講演や論考の中のたった一つの段落、たった一つの文章でさえ、それが扱っている歴史的事案の正確な描写であると信じられるものはない。・・彼はおよそ歴史家の名に値しない。」と。

 しかし、このアーヴィングに対する酷評は、エヴァンス自身の歴史学者としての良心と資質に疑問を投げかけさせるものです。

 というのは、アーヴィングがこの裁判を起こす前の1996年に、長らくスタンフォード大学でドイツ史の教授を務めた米歴史学界の重鎮であるクレイグ(Gordon Craig。現在は故人)が、The New York Review of Booksに掲載されたアーヴィングの(ゲッペルスに関する)本に対する書評の中で、アーヴィングのホロコースト否定論は歯切れが悪いし、それが誤りであることはすぐ分かるので、大部分の人は彼をうさんくさく思うだろうが、アーヴィングのこの本は、先の大戦をドイツ側から見たものとしては、最良の研究であり、われわれは彼を無視するわけにはいかない、と記している(注)からです(http://www.nybooks.com/articles/article-preview?article_id=14211125日アクセス)も参照した)。

 (注)この裁判が終わった後の2000年に、現存者としては世界一の軍事史家であるとされる英国のキーガン(Sir John Keegan)は、アーヴィングは創造的な歴史家としての多くの資質を備えており、彼の書誌家としての技術は比類がなく、彼の著作は人を飽きさせないが、そのホロコースト否定論に関しては、アーヴィング自身、本当だとは思ったことは一度もないのではないか、と指摘している(http://en.wikipedia.org/wiki/John_Keegan1126日アクセス)も参照した)。

 結局、判決は要旨次のようなものになりました。

 アーヴィングは秀でた知性を持ち、先の大戦の歴史について該博な知識を有しており、第一次資料を広く渉猟して徹底的に研究し、様々な新発見を行った。しかし、アーヴィングは自分のイデオロギー上の理由から、ホロコーストに関しては、一貫して意図的に第一次資料をねじまげ、例えばヒットラーのホロコーストへの関与がなかったものとした。アーヴィングはまぎれもないホロコースト否定論者だ。しかも彼は反ユダヤ主義者であり、人種主義者であり、ネオナチズムを掲げる極右勢力に加担している・・・。

 アーヴィングは控訴しますが、再び敗れ、敗訴が確定します。

その結果、アーヴィングには歴史家失格の烙印が押されただけでなく、彼は訴訟費用等で破産に追い込まれます。

(3)オーストリアにて

 逮捕されて以来、ウィーンで拘置され、保釈も却下されたアーヴィングは、弁護士に対し、要旨次のような意向を明らかにしています。

 陪審には有罪を認めた上で、自分は改心しているとして情状酌量を求めたい。自分は、1989年にオーストリアでホロコースト否定論を講演した後、解禁された旧ソ連時代の第一次資料を1990年代に研究した結果、それが誤っていることが分かった。ユダヤ人が収容所のガス室で大量に殺されたことは間違いなく、ホロコーストは確かにあったのだ。もはや議論の余地はない。

(以上、http://www.guardian.co.uk/secondworldwar/story/0,14058,1651305,00.html1126日アクセス)による。)

太田述正コラム#9692005.11.26

<ホロコーストはあったのか?(その1)>

1 初めに

 一人の読者から、あるサイト(http://maa999999.hp.infoseek.co.jp/ruri/sohiasenseinogyakutensaiban2_mokuji.html)を読んだ感想として、「強制収容所があったのは確かだけれど、・・ガスで殺された人の検死結果がないとの話もあり・・絶滅収容所などではなく「強制労働所」だったのではないように読めます。ユダヤ人のホロコースト話には中国共産党が南京大虐殺30万人と言っているのと同じようなうさん臭さを感じます。太田さんからすれば考慮にあたらない与太話なんですかね。」という問題提起がありました。

 はい、ヨタ話です。

2 私の方法論

 私は、歴史家ではありません。

 つまり、原則として第一次資料に直接あたることはしません。

 物事の真偽を見極める際には、第二次資料源の信頼性を判断した上で、それに拠る、ということです。

 いかなる第二次資料源を信頼するのか?

 英米、就中英国の高級紙の記事・論説や、英米、就中英国の一流大学の学者の言であれば、信頼性が高い、と考えています。

 その理由については、ここでは立ち入りません。

3 ホロコースト否定サイトの信頼性

 まず、上記サイトの信頼性は低いと言うべきでしょう。

 そのコミック調の体裁を問題にしているのではありません。

 まず、このサイトの執筆者が明らかにされていません。

 しかも、一見第一次資料に典拠して執筆されているように見えるけれど、典拠サイトや資料が膨大なだけでなく、その中には英語、ドイツ語、ロシア語のものが含まれており、到底このサイトの執筆者が自分でこれら原典にあたったとは考えられません。

 となれば、何か種本があるはずです。

 しかし、その種本の名前がどこにも出てきません。これはアンフェアです。

4 ホロコースト否定論者アーヴィング

 このサイトの執筆者は、どうやら、英国の「歴史家」アーヴィングDavid Irving1938年?)の説に拠っているようです。種本までは分かりませんが、彼のHitler's War’あたりではないでしょうか。

(以下、特に断っていない限り、http://en.wikipedia.org/wiki/David_Irving1125日アクセス)による。)

 アーヴィングは、今月11日、オーストリアに入国した時に逮捕されました。容疑は、1989年に彼がウィーン等で行った講演で、ホロコーストの存在を否定したというものです。ドイツでもそうなのですが、オーストリアでは、ホロコーストの存在を否定することを禁止する法律があるのです。

 彼の主張は、ヒットラーは「ホロコースト」については全く知らなかったし、そもそも、「ホロコースト」を裏付ける証拠は皆無だ、というものです。そして、ユダヤ人がナチスによって「殺された」ことは事実だが、その数とユダヤ人収容所でユダヤ人がガス室で殺されたということに疑義を呈しています。すなわち、ユダヤ人の死亡数は、世上言われている数よりはるかに少なかったし、収容所で死んだ理由は、もっぱらチフス等の病気による、というのです。

(以上、http://www.nytimes.com/aponline/international/AP-Austria-Irving-Arrested.html?pagewanted=print1118日アクセス)による。)

ホロコースト否定論者は少なくないのですが、その中で、アーヴィングは最も知られています。

というのは、今でこそ、歴史学者としては彼は生命を絶たれていますが、かつては学界でもそれなりの評価を受けたことがある人物だからです。

彼は、1963年に初めて出した本で、先の大戦における連合軍によるドレスデンの絨毯爆撃(コラム#423831879)を非難し、一躍有名になります。連合国側にも戦争犯罪があった、という彼の問題提起は、ドイツでもてはやされただけでなく、既にドレスデン等への絨毯爆撃が議論になりつつあった英国で、多くの人々の支持を得、この本はベストセラーになるのです。

しかし、この本の中で、彼はドレスデン爆撃による死者数を約135,000人と過大に見積もりすぎており、現在では約2万5,000人から約3万5,000人、というのが定説になっています。この時点では、彼が第一次資料を都合良くねじ曲げたのは、この数字くらいでしたが、その後、次第に彼は、連合国が犯した罪は大きく、ドイツが犯した罪は小さく、第一次資料をねじ曲げる度合いが多くなって行き、それに伴って彼の信用は急速に低下して行くのです。

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