カテゴリ: 宗教社会学

太田述正コラム#5418(2012.4.13)
<黙示録の秘密(その11)>(2007.7.29公開)

 なお、念のためですが、釈迦やイエスの奇跡の事績は、もちろん事実であるはずがないのであって、それぞれ、(釈迦の場合はその意図に反して)宗教集団が形成されて行く過程で、宗祖に係る様々な伝説が創造され、経典や聖書に記述されて行った、ということでしょう。

 イエスの言動のうちの終末論的部分を劇画的に誇張したとも言える「黙示録」が、後の欧州、ひいては世界に、どれほどの惨禍をもたらしたかは、以前の「キリスト教・合理論哲学・全体主義」の正続シリーズ(コラム#1865、1866、3212、3216、3218)に譲ります。

3 先進国で崩壊しつつあるキリスト教・・終わりに代えて

 こんなキリスト教が、キリスト教が生まれた頃の世界にある意味で似ているところの、現在の発展途上世界のアフリカや支那では依然として信者を増やしてはいるものの、先進世界では、日本は別格として、(もともと自然宗教志向であったイギリスを始めとする真正アングロサクソン諸国もまた別として、)欧州で、今や消滅しつつあるのは当然でしょう。
 先進世界の中で例外的にキリスト教が衰えを見せていなかった米国においても、ここのところ急速に事態が変わってきました。
 そこで、現在の米国のキリスト教状況を実感させるところの、熱烈かつ「まとも」な一キリスト教徒によるコラムを紹介することにしましょう。

 「・・・キリスト教の諸教義は一体何だったのか。
 <それは、>引き続く何世代にもわたって戦争、異端審問、ポグロム、宗教改革、そして反宗教改革をもたらしたところの、政治と権力と融合した、超自然的な諸主張ではない。

→ここは、(前述したところですが、)誤りであり、(実在したとすれば、)イエス本人の責任です。(太田)

 イエスの諸教義は、実践的諸戒律(practical commandments)だったのであり、それらは、彼が語った、単純で、彼が行ったあらゆることにおいて例示されていたところの、物語群からただちに飛び出た、真に急進的なる諸観念だった。
 単に互いに愛せではなく敵を愛し害を与える者を愛せ、あらゆる物質的富を放棄せよ、全ての事物の背後にある神聖な存在(ineffable Being)を愛せ、そしてこの存在が、実際に、・・そのイメージに沿って人がつくられたところの・・最も真実なる父(Father)であることを知れ。

→(繰り返しますが、)利他主義は普通の人には実践できるわけがないし、人格神の観念だって陳腐この上もないものがあります。(太田)

 就中、他者に対する権力を放棄せよ、何となれば、権力は、それが効果的であるためには、究極的には暴力による威嚇を必要とし、暴力はイエスの教えの聖心(sacred heart)にあるところの、<イエスの>他の全ての人に係る全面的受容と愛と両立することができないからだ。

→ここは、(前述したところから、)私のイエス理解とは異なります。(太田)

 だからこそ、イエスは、その最後の非政治的行為において、裁判で自分の無実の弁明を決してせず、自分の磔刑に抗わず、自分の両手に釘を打ちつける人達に向かって赦しを与え、彼らを愛しさえしたのだ。・・・

 カトリック教会の階統制は、法王パウロ6世の1968年の避妊薬の一方的禁止によって米国の大衆に対して権威の多くを失った。
 しかし、この10年間で、<カトリック教会は、>残っていた道徳的権威の断片すら蒸発させてしまった。
 同教会の階統制が、無数の若者達や子供達を虐待し強姦する国際的陰謀を可能にした上、それを隠蔽したことが露呈した。
 私は、同教会の権威に対する、これ以上大きな告発はありえないと思うけれど、今に至っても、<同教会は、>責任を認め指導部全員が辞任すべきところ、それを拒否している。
 それどころか、彼らは、自分達以外の人々の性的生活のこととか、神父抜きで執り行われる結婚ができるのは誰かとか、誰が健康保険で受胎調整について支払うべきか、といった<些末な>ことにこだわり続けている。
 <その一方で、より重要であるところの、>不平等、貧困、そして何と9.11同時多発テロ以降米国政府によって制度化された拷問、といった諸問題が彼らの公的関心を呼ぶことはないのだ。

→以上のカトリック教会批判には全面的に同意です。(太田)

 これに対し、主流のプロテスタントの諸教会は、長らく宗教的近代化を推進してきたが、この50年間、急速に衰亡してきた。

→以前から私は、宗教改革(プロテスタント運動)とは、要するに世俗化(脱キリスト教)に向けての動きであったと考えている旨申し上げて来ました。
 このことが顕在化してくるのに、できそこないのアングロサクソンの社会である米国ではいささか時間がかかった、というだけのことだと思うのです。(太田)

 この真空状況に福音主義(evangelical)<(=原理主義的(太田))>プロテスタンティズムが入り込んできたが、それは、自身、深刻な欠陥を有する。
 ・・・多くの郊外の福音主義者達は、繁栄の福音(gospel)を抱懐しており、キリスト教徒としての人生を送れば成功し、金持ちになると教える。

→単純明快な現世利益追求ってやつですね。(太田)

 他の福音主義者達は、生硬な聖書直解主義(biblical literalism)を擁護し、列聖された諸福音書は、イエスの時(ministry)より何十年も後に書かれ、誤りを免れない記憶に基づいて語られた諸物語の写しの写しである、ということを紛れの余地なく示したところの、1世紀半に及ぶ学究的研究に頑固に背を向ける。
 更に他の福音主義者達は、地球はできてからわずか6,000年しか経っていないと固執的に主張し、理性と科学の光に照らして我々が知っているところのものを、にべもなく真実でない、とする。
 そして、世論調査でテロ容疑者達を拷問にかけることに最も支持を与えている米国人の集団は何だろうか? 福音主義的キリスト教徒達だ。・・・

→ここまでの、福音主義キリスト教批判についても全面的に同意です。(太田)

 <考えてもみよ、>イエスは同性愛や堕胎について語ったことがないし、彼の結婚についての唯一の発言は、(米国のキリスト教徒の間では日常茶飯事だが)離婚に対する非難と姦淫への赦しだった。
 家族については?
 彼は、10代の時に公然と両親を捨て、彼の追従者達に、私につき従いたいのなら自分達の両親も捨てよと伝えた。
 セックスについてはどうか。
 イエスは、独身主義者(celibate)であり、彼の追従者達と共に、切迫したこの世の終わりを予期しており、<このような状況下において、>子供をつくることは完全に不適切だった。・・・

→福音主義キリスト教への皮肉としては秀逸です。
 ところで、釈迦は、結婚し、子供もつくってから、あくまでも悟りを開くために家族のもとを去ったのであり、終末論的思想とも無縁であったことを思うと、こういった点でもイエスとは全然違いますね。(太田)

 イエスは、追従者達に、「自分が持っているものは全て貧者に与えよ」、2着目の外衣(tunic)といったものをさえ含めて「何も旅に持って行くな」、そして「自分自身を否定」して私の道を辿れ、と伝えた。
 これでおしまいだ。
 だから、聖フランシスは、遺産を放棄し、ホームレスとなり、肉体労働で食物を稼いだ。
 それだけでは十分食事ができなくなると、彼は、自分がまだまだ精神的に至らないことを申し訳なく思いつつ 食物の施しを乞うた。・・・

→何度でも言いますが、こういった利他主義の押し付けは、釈迦には無縁の話です。
 この筆者だって実践しているわけがありません。(太田)

 ・・・ガンディーからキング<牧師>に至るまで、この種の運動の最も偉大な範例は、権力もまた放棄する。

→前述したように、これはイエスの真意に沿ったものではありません。(太田)

 彼らは道徳的範例として非暴力を抱懐するところ、このパラドックスが、政治や暴力ができ、或いは行うであろうところのものよりも、世界を、より変えるのだ。
 <とはいえ、>実情においては、政治が必要となるのだが、私が描写しているところの種類のキリスト教は、他の信条を抱く人々・・・にアピールするように、常に、宗教的諸真実を理性的で世俗的な諸主張に翻訳しようとするのだ。・・・」
http://www.thedailybeast.com/newsweek/2012/04/01/andrew-sullivan-christianity-in-crisis.html
(4月2日アクセス)

 私には、この、米国のキリスト教全宗派をなで斬りにした筆者が、実はイエスにも皮肉たっぷりな視線を注ぐ、隠れ無神論者に思えてなりません。
 こういったコラムが米一流誌に堂々と掲載されるようになった、ということは、米国におけるキリスト教全体が急速に衰退しつつあることを物語っている、というのが私のとりあえずの見解です。

(きりがないので、一旦、完)

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太田述正コラム#5416(2012.4.12)
<黙示録の秘密(その10)>(2012.7.28公開)

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<脚注:奇跡・宗教・マインドコントロール>

 さて、ことのついでに、聖書にも仏典
http://www.eonet.ne.jp/~kotonara/y%20bunkatu-3.htm
にも登場するところの、キリスト教や仏教等、あらゆる宗教につきものの、宗祖等による奇跡をどう考えたらよいのか、更にそれに関連してマインドコントロールとは何か、を検討してみましょう。
 その手がかりとなるニューヨークタイムスの記事があります。
http://www.nytimes.com/2012/04/08/opinion/sunday/in-defense-of-superstition.html?ref=opinion&pagewanted=print
(4月7日アクセス)

 「・・・迷信的思考(superstitious thought)、ないし「魔法的思考(magical thinking)は、たとえそれが現実を歪曲している(misrepresent)としても、メリットがある。
 それは、論理と科学がいつも提供できるとは限らないところの、心理的諸便益・・コントロール感覚と意味の感覚・・を提供するからだ。・・・
 例えば、・・・ある研究では、被験者達が1個のゴルフの球を手渡され、半数の者にはその球がそれまでツイていたと伝えた。
 すると、「ツイてる」球を持った被験者達は、「フツーの」球を持った被験者達よりパット数が35%も少なかった。
 別のシナリオでは、被験者達は、幸運のお守りを持っている時には記憶と言葉のゲームで、より高い成績があげた。
 同様の話の、より現実世界での事例だが、・・・2000年代初めの第二インティファーダ(intifada)の期間中のイスラエルで、暴力攻撃を受けて、イズファト(Izfat)町の世俗的な女性達の36%が詩篇(psalms)を唱えた。
 詩篇を唱えなかったものと比較すると、唱えた女性達は不安の減少によって裨益したことが発見された。
 すなわち、彼女達は、群衆の中に入ったり、買い物に出かけたりバスに乗ったりする時に、より安心でき、その結果として、彼女達はコントロール感覚が増進した、という結論になった。
 もう一つの魔法は、「あらゆるものが原因があって起こる」、つまり、偶然性(randomness)ないし偶発事態(happenstance)などというものはない、というものだ。
 これは、いわゆる目的論的推論(teleological reasoning)であり、ハリケーンのような明白に無目的の存在についてさえ、意図や目標を想定する。
 我々は、社会的動物として、なすべきことをなした誰かと戦ったり協力したりすることができるように、この世の中で意図性の証拠を追求するように生物学的に仕組まれているのかもしれない。
 そして、目に見える下手人(author)がいない場合は、我々は、目に見えないもの・・神、業(karma)、運命、等々・・のせいにする(credit)。
 この幻想もまた、心理学的に有用であることが分かる。
 ある・・・研究では、被験者達は、自分達の人生の中の転換点を回想させられた。
 その転換点が運命付けられていたと感じる程度が増すにつれて、彼らは、より、「それが自分の今日をつくった」とか「それが私の人生に意味を与えた」と信じがちだった。
 運命を信じることは、自分の人生を一貫した物語とすることを助け、自分の目標をより大きな目的感覚で満たす。
 これは、転換点が有害なものであった場合ですら機能する。
 ・・・ある研究によると、良くない出来事を「神の計画の一部」と見た学生達は、爾後、より大きな成長を見せた。
 彼らは、新しい物の見方(new perspectives)により心を開き、人間関係においてより親密になり、試練を克服するにあたってより執拗になった。
 他の人気がある諸迷信に係る類似の諸法則がある。
 例えば、対象物が前の所有者達の「本質」を宿していると信じることだ。(これが、好みの作家が使用したペンを所有したいと思うことがどうしてあるのかを説明する。)
 また、象徴的な対象物がそれが表しているところのものを呼び出すことができると信じることだ。(これが、自分の母親の写真を切り刻むことには慄かざるをえないことを説明する。)
 更に、生命の無い対象物に意識の属性を与えること(attribution)だ。(これが、自分の諸ファイルを削除してしまった携帯パソコンに向かって罵声を浴びせる理由だ。)
 様々な形で、これら全ては基本的な思考(mind)の諸習慣から出現するし、これら全ては混沌として不条理な宇宙に構造と意味を付け加えるのだ。・・・」

 以上から、人が特定の宗教の信者になることがある理由が分かるし、信者になることの心理的メリットもそれなりにあることも分かる。

 ところで、この文章の「宗教」を「異性」、「信者」を「恋愛中の人」に置き換えても成り立つと思わないか。
 信者は特定の宗教家ないし宗教組織に係る魔法の、恋愛中の人は特定の異性に係る魔法の虜になっている、ということだ。
 前者について、これを、当該宗教家ないし宗教組織によるマインドコントロールと形容することがあるが、それなら、後者についても、当該異性によるマインドコントロールということになるだろう。
 しかし、マインドコントロールという言葉を使う時に注意しなければならないのは、それが、一方通行で成立するわけがないことだ。
 つまり、「信者」候補者や「恋愛中の人」候補者の側が望むからこそ、マインドコントロールが成立するのだ。
 最近の卑近な例で言えば、中島知子(一種の信者)の(元)占い師(一種の宗教家)、小林幸子(恋愛中の人)のご主人(異性)が、それぞれ、中島と小林の「回心」・・それぞれの、両親、事務所役員達との断絶・・をもたらした、として、当初、悪者にされていたけれど、中島については、自分で自分自身にマインドコントロールをかけた度合いの方が高いという疑いが強まっている(コラム#5381)し、小林についても、自分自身にマインドコントロールをかけた部分があることが次第に明らかになってきている(コラム#5413)。

 こんなことを言うのは、パウロの回心の事例があるからだ。
 
 「・・・パウロは<生前の、つまり本物の>イエスに一度も会っていない。
 パウロは<自分の前に立ち現れた>天にまします(heavenly)イエスと一度出会った<だけだ>。
 <それなのに、>パウロはこの宗教的経験<だけ>によって<それまで反キリスト教運動に従事していたのに、>完全にキリスト教に改宗してしまった。
 歴史上のイエスはこのことの生起にとって全く必要ではなかったのだ。・・・」
http://religion.blogs.cnn.com/2012/04/07/the-jesus-debate-man-vs-myth/?hpt=hp_mid
(4月9日アクセス)

 つまり、パウロの場合、イエスの方から、あるいはキリスト教の方から、パウロへの働きかけは全くなかったのに、自分で自分自身をマインドコントロールにかけたわけだ。
 
 この、自分で自分自身をマインドコントロールにかけることこそが、執着(しゅうじゃく)なのだ、と私は考えるに至っている。

 「執着(しゅうじゃく、abhiniveza・・・)とは、仏教において、事物に固執し、囚われる事。主に悪い意味で用いられ、修行の障害になる心の働きと考えられている。・・・仏教術語というより、一般的な用語であり、現代語の執着(attachment)によく似た意味で、煩悩の術語としてのraaga(愛)あるいはlobha(貪)に近い。・・・キリスト教では愛を説くが、上記の見解から、仏教では愛ではなく慈悲を唱える。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9F%B7%E7%9D%80

 この点においても、哲学者たる釈迦の言説は、宗教者たるイエスのそれ・・正しくも、宗教愛に異性愛と同じ「Agape(アガペー。新約聖書の原語たるギリシャ語)=love」という言葉を用いている!
http://en.wikipedia.org/wiki/Agape
・・とは比べようもないほど深く、鋭い、と言わざるをえない。

 蛇足ながら、釈迦の実在を疑う人はいないけれど、イエスの実在を疑う人は数多い。
 というのも、聖書中の諸福音書の筆者達を除けば、実在したイエスについて記した文章を残した人が二人しかないからだ。
 一人は1世紀末にイエスについて書いた、ユダヤ人歴史家のヨセフス(Josephus)(注30)(コラム#4055)であり、もう一人は2世紀初にイエスについて書いた、ローマ人歴史家のタキトゥス(Tacitus)(コラム#41、125、372、852、854、857、1397、1488、2494、3023、4396、4408、4412、4801、4803、4857)だ。

 (注30)フラウィウス・ヨセフス(Flavius Josephus。37〜100?)。「エルサレム(ユダヤ属州州都)の祭司の家系に生まれ、・・・64年にはユダヤ人の陳情使節の一員としてローマへ赴き、ネロ帝妃ポッパエア・サビナの知己を得ている。<第一次>ユダヤ戦争の初期(66年)、ヨセフスは防衛のためエルサレムからガリラヤへ派遣され、ガリラヤの町ヨタパタを守ってローマ軍と戦ったが敗れた。異邦人への投降をよしとしない守将たちは自決を決議、くじを引いて互いに殺しあったが、ヨセフスは最後の2人になったところでもう1人の兵士を説得、2人で投降した。ローマ軍司令官ウェスパシアヌス(後のローマ皇帝)の前に引き出され、ウェスパシアヌスがローマ皇帝になると予言して命を助けられる。ネロ帝死後の混乱を経て実際にウェスパシアヌスが皇帝になると、その息子ティトゥスの幕僚として重用され、エルサレム攻撃に参加。70年のエルサレム陥落を目撃し<、>・・・後にこの顛末を記した『ユダヤ戦記』を著した。・・・さらに95年ごろ、・・・『ユダヤ古代誌』も完成させた。『ユダヤ古代誌』18巻63には「フラウィウス証言」と呼ばれるイエスに関する記述があることで有名・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%82%BB%E3%83%95%E3%82%B9

 しかし、学者の中には、ヨセフスによる該当箇所はその後キリスト教関係者によって改竄されたと言う者がいるし、そもそも両者とも歴史家として信頼性が高くないとする学者もいる。
 例えば、両者とも<、何と>ヘラクレス(Hercules)を実在の人物として叙述している。
 (以上、下掲による。
http://religion.blogs.cnn.com/2012/04/07/the-jesus-debate-man-vs-myth/?hpt=hp_mid 上掲)
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(続く)

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太田述正コラム#5414(2012.4.11)
<黙示録の秘密(その9)>(2012.7.27公開)

 イエスの人間主義のもう一つの問題点は、下掲から明らかなように、それが、人間主義ならぬ、利他主義の勧めであったことです。

 「子供たちを自由に来させなさい。邪魔をしてはいけない。神の国は、<純真な>子供たちのような者の国なのだ・・・
 はっきり言っておくが、子供のように神の国を受け入れる人でなければ、けっしてそこに入ることはできない」(マルコ10章)
http://www.fruits.ne.jp/~k-style/sub8.html
 「私の掟はこれである。私があなたがたを愛したように、あなた方も互いを愛しなさい。」(ヨハネ15章)
http://ja.wikiquote.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
 「一人の男がイエスに近寄って来て尋ねた。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればいいのでしょうか」
 イエスは答えた。
 「・・・神の掟を守りなさい」
 この男が、「どの掟ですか」と聞くと、イエスは答えた。
 「『殺すな。姦淫するな。盗むな。偽証する(嘘をつく)な。父母を敬え。また、隣人(他の人々)を自分のように愛せよ』という聖書の掟である」<(※へと続く)>
http://www.fruits.ne.jp/~k-style/sub8.html 前掲

→このあたりまでは、(「隣人・・・を自分のように愛せよ」は利他主義に近いが、)一応、人間主義の勧めと言えるでしょう。(太田)

 「あなたがたの敵を愛せ。」(マタイ5章)
 「人その友のため命を捨てるこれより大いなる愛はない。」(ヨハネ15章)
http://ja.wikiquote.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88 前掲
 ※「その青年は、「それらはみな守ってきたがまだなにか欠けているのでしょうか」と問い、イエスは答えた。
 「もし完全になりたいなら、家に帰って持ち物を売り払い、貧しい人々にあげなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしについて来なさい」
 青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。
 イエスは弟子たちに言った。
 「はっきり言っておくが、金持ちが天の国に入るのは難しいことだ。重ねて言っておくが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがやさしい」
 弟子たちはこれを聞いて非常に驚き「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。イエスは彼らを見つめて、「人間には出来ないが、神は何でもおできになる」と答えた。」(マタイ19章)
 「人の最大の敵は家族の中にいるのです。わたし以上に父や母を愛する者は、わたしの弟子(信じる者)にふさわしくありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしの弟子(信じる者)にふさわしくありません。後生大事に自分の命を守ろうとする者は、それを失いますが、わたしのために、命を失うものは、かえってそれを保つ(自分のものとする)のです」(マタイ10章)
 「「いつか、東や西から大勢の外国人が来て、天の国でその席に着く。でも、もともと天国に入るはずの多くの人が、外の暗闇に追い出され、そこで泣きわめき、歯ぎしりして苦しむ事になるのです・・・はっきり言っておきたい。わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない」」(マタイ8章)
http://www.fruits.ne.jp/~k-style/sub8.html 前掲
 「右のほほを打たれたら、左の頬をも差し出せ」(マタイ5章)(注25)
http://www.kawasaki-m.ac.jp/soc/mw/journal/jp/2002-j12-2/4-hayashi.pdf

 (注25)これは、一般に、「悪に対し悪を以って報いてはならない」という暴力による報復を禁止した言葉、あるいは、無抵抗、無暴力主義を表明した言葉であると解釈されているけれど、アウグスティヌスによるところの、「右の頬」とは霊的なあるいは天上の善きもの、「左の頬」とは肉的あるいは地上の善きものであって、「左の頬をも向けなさい」とは「右の頬も左の頬も打たれるままにせよ」という意味でではなく、「左の頬を向けることによって右の頬を打たれないようにせよ」、つまり「肉的な善きものを犠牲にしても霊的な善きもの(特に信仰)を守りなさい」という意味であるとする指摘
http://www.kawasaki-m.ac.jp/soc/mw/journal/jp/2002-j12-2/4-hayashi.pdf 上掲
は重要だ。
 恐らくアウグスティヌスのこの指摘は正しいのであって、イエスは、私人による自力救済こそ禁止したかもしれないが、(イエスによる前出の実力行使のごとき)キリスト教を守るための暴力の行使も、国家による「正当な」暴力の行使も、認めていたと思われる。
 すなわち、イエスには、反権力的ないし無政府主義的発想は全くなかった、と思うのだ。

 これらは、利他主義の勧めです。
 どうして、利他主義の勧めが問題であるかというと、イエス自身が認めているように、利他主義を実践することは、勧められても普通の「人間には出来ない」からです。
 ということは、個人財産を放擲した独身の、利他主義を実践するところの、少数のプロ集団からなるキリスト教会の誕生と、この集団に喜捨する・・後には教会税を払う・・ことによって神の御利益(ごりやく)のご相伴にあずかるところの、利他主義を実践しない(実践できない)多数のアマ信徒達、への分断が論理必然的に招来されることを意味します。
 これに対し、釈迦は利他主義どころか、人間主義すら他人に注入しようとはせず、誰でも悟りに達することができ(注26)(、その結果として人間主義が内面から発露してく)る、という考えだったのですから、上述したような分断が起こるはずがありませんでした。(注27)

 (注26)「釈迦の<行ったことは、>「苦悩は執着によって起きるということを解明し、それらは正しい行ない(八正道)を実践することによってのみ解決に至る、という極めて常識的な教えを提示することだった・・・従って人生問題の実際的解決は、釈迦に帰依しなくても実践可能であり、釈迦は<、イエスとは違って(太田)、>超能力者でも霊能者でも、増して「最終解脱者」でもなく、勿論「神」のような絶対者でもなかった」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
 このくだりの典拠は、高橋紳吾『超能力と霊能者-叢書 現代の宗教<8>』 (岩波書店 1997年)
http://www.amazon.co.jp/%E8%B6%85%E8%83%BD%E5%8A%9B%E3%81%A8%E9%9C%8A%E8%83%BD%E8%80%85-%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99-%E9%AB%98%E6%A9%8B-%E7%B4%B3%E5%90%BE/dp/4000260782/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1334061796&sr=1-2
215〜216頁、とされている。
 ちなみに、高橋は、医大入試に失敗して大谷大学で2年間仏教を学んだ後、東邦大学医学に入学し、部卒、同大学院卒、ハイデルベルグ大学留学の精神科医で、東邦大学助教授時代に亡くなったところの、憑依やマインドコントロールの専門家である。
http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/takahasi.htm
http://mbp-hiroshima.com/nakanelaw/column/874/
http://mbp-hiroshima.com/nakanelaw/column/873/
 (注27)上座部仏教(Theravada Buddhism/小乗仏教)国の代表とも言うべき「タイにおいては、仏教徒の男子はすべて出家する<こと>・・・が社会的に奨励される・・・僧はいつでも還俗することができ、その意思が妨げられることはない」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E4%BB%8F%E6%95%99
は、初期の仏教において、プロとアマの違いがなかったことの痕跡であろう、と私自身は見ている。
 とはいえ、釈迦の入滅後、釈迦の追従者達によって仏教という宗教が成立し、様々な経典がつくられ、宗派が分かれて行く過程で、仏教においてもプロとアマの分断が生じて行くことになる。

 さて、このことが、前述したところの、イエス由来のキリスト教の他の宗教や宗派に対する戦闘性と結び付くと、キリスト教会は、20世紀に出現した共産党やナチスのような、隠密裏に、情報収集、情宣(布教)活動に従事する独裁組織へと、これまた、ほぼ必然的に「発展」して行くことにならざるをえません。
 そして、このような教会の布教活動、及びその教義(「産めよ、増えよ、地に群がり、地に増えよ」(創世記9章))
http://www.iris.dti.ne.jp/~grace/newpage1263.htm
、によってキリスト教徒が増えて行くと、権力と衝突する可能性が増大します。
 そこで、権力との利害調整を図ることで、権力を味方につける必要が出てきます。
 そのことを予想し、先回りしたのが、(イエス自身が本当にそう言ったかどうかはともかく、)下掲のイエス発言である、と私は解しています。
 
 「カエサルのものはカエサルに収め、神のものは神に納めよ。」(マタイ22章)
http://ja.wikiquote.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88

 このような、利他主義の注入や権力との癒着のいずれとも、釈迦は無縁でした。(注28)

 (注28)パーリ語経典経蔵小部の『ジャータカ』及び漢訳大蔵経の本縁部に収録されている各種の話(ジャータカないし本生譚)の中で、釈迦の前生が「飢えた虎とその7匹の子のためにその身を投げて虎の命を救った」といったような、利他主義を実践する場面がいくつも出てくるが、これらの話を含め、『ジャータカ』は、釈迦入滅後の「紀元前3世紀ごろの古代インドで伝承されていた説話などが元になって・・・そこに仏教的な内容が付加されて成立したものと考えられて」おり、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%AB
釈迦自身が利他主義を勧めた形跡はない。
 なお、権力との利害調整について、釈迦が言及した形跡もまたない。

 そして、イエスの最大の問題点は、以下のように、彼が、ユダヤ教に言うメシア(注29)に自らを擬しつつ、終末論を説いたことです。

 (注29)「メシアは、ヘブライ語・・・で、「(油を)塗られた者」の意。・・・
 出エジプト記には祭司が、サムエル記下には王が、その就任の際に油を塗られたことが書かれている。後にそれは理想的な統治をする為政者を意味するようになり、さらに神的な救済者を指すようになった。ユダヤ教におけるメシア・・・はダビデの子孫から生まれ、イスラエルを再建してダビデの王国を回復し、世界に平和をもたらす存在とされている。
 メシアに対応するギリシャ語はクリストス(Χριστος)で、「キリスト」はその日本語的表記である。キリスト教徒とイスラム教徒はナザレのイエスがそのメシアであると考えている。イエスをメシアとして認めた場合の呼称がイエス・キリストである。・・・
 ・・・当然ながらユダヤ教からはイエスは偽メシアとして見られている。・・・
 イスラームでもユダヤ教、キリスト教からメシアの概念は継承されて<いる>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B7%E3%82%A2

 「キリストは十字架につけられる少し前に、オリーブ山で弟子たちに説教し、・・・「世の終わり」のしるしがどのようなものであるかを語った(マタイによる福音書24<章>〜25<章>)。・・・
<キリストの>再臨の時は父なる神のみが知る事項で、子なる神であるキリストも御使い(天使)も知るところではない(マタイ24<章>)。それゆえ、再臨が近いことは前述のしるしに鑑みて確かではあるが、その時を予言・予測することはできない、また、してはならないとされている。「人の子(キリスト)は思いがけない時に来るのですから」(マタイ24<章>)。
 またその様態は、人々が認知できる様態でキリストは再び来ると聖書では述べられている。「あなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります」(使徒行伝1<章>)。」

 イエスのこれらの言説を受け、使徒パウロは、第一コリント<書>の15<章>で<イエスの再臨>を唱え、『ヨハネの黙示録』では、イエスの再臨について、復活し、天に昇ったとされるイエス・キリストが世界の終わりの日に、キリスト教徒を天へ導き入れるため、また、世界を義をもってさばくために、再び地上に降りてくる、と記されるに至ったのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8D%E8%87%A8

 これに対し、「釈迦にとってより重要だったのは、死後の世界よりもいま現在の人生の問題の実務的解決だった」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6 前掲
(典拠は、高橋ibid.、とされている。)
ことを銘記すべきでしょう。

(続く)

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太田述正コラム#5402(2012.4.5)
<黙示録の秘密(その8)>(2012.7.21公開)

 (2)イエスの過ち・・釈迦と比較して

 さて、私は、コラム#5397で、「黙示録のような大悪書の出現にはイエスにも大いに責任があると・・・思う」と記しましたが、このことについて、ここで説明しておきたいと思います。
 (これまでに既に申し上げたことがある話が少なからず出てきますが、復習ということで、あしからず。)

 私が、最新の人間科学を踏まえつつ、人間は、本来的には狩猟採集社会に適合的であったところの人間主義的な存在であったが、(狩猟採集社会に比べて、貧しく、栄養失調気味で、余暇がなく、権威・権力・富が少数に集中し、定着していて、不衛生で、人口過多で、戦争が多く、ストレスが多い)農業社会(コラム#2780、#3613)ないし(本来の自然から疎外された)都市社会になったために、この人間主義的な本性が壊れてしまっている、という考えであることはご存じのとおりです。(人間主義については、コラム#113、114、3140、3489、3491、3571、3573、3575等参照。)

 このような農業社会ないし都市社会において、人々に対して、現世における悲惨な境遇をそのまま受忍させるべく、来世における救済を約束する形の、(権威・権力・富を持つごく少数の者にとっては好都合な)宗教が発達しました。(コラム#4652)
 しかし、人々の不満、怒りは次第に募っていきます。

 こうした背景の下、イエスは、「福音書やパウロの書簡に<書>かれ<ているように、>・・・愛(<ギリシャ語で言う>・・・アガペー)<すなわち、>・・・自己を捨て他者のために行う無償の愛<を説きました。ちなみに、この愛は>、根底において少しも自己愛を含まない<愛であったのに対し、>異性愛(<ギリシャ語で言う>エロース)には、根底に自己愛が潜んでいる」
http://www.geocities.jp/fujisawa_church/shiryo/bud-chr.htm#(3)
という違いがあります。
 つまり、イエスは、人間主義的な本性が壊れてしまっているところの、人々に対して、人間主義的であれ、と直截的に当為命題の形で説教した、というわけです。

 ところが、イエスの400年ほど前に生きた釈迦の場合は、同じ背景の下で、「生きることの苦から脱するには、真理の正しい理解や洞察が必要であり、そのことによって苦から脱する(=悟りを開く)ことが可能である(四諦)と<し、>それを目的とした出家と修行、また出家はできなくとも善行・・・(八正道)・・・の実践を奨励」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
したのです。
 一見不可解であるけれど、これは、私の見解では、悟りを開くとは、自分の人間主義的な本性を再発見することであって、かかる本性に従って生きるようになれば、自ずから苦から脱し幸せになることができるよ、ということなのです。

 その根拠をお示ししましょう。
 典拠が付されていないものの、仏教に馴染みのある人にとっては常識的なことですが、「我<は>常住であり、他との何らの関係をもたないで単独で存在することができ・・・、それは働きのうえで自由自在の力をも<ち、>この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考える<ところの>・・・ウパニシャッド哲学<の>・・・実我観念を・・・釈迦は・・・批判し、「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた<上で、>これを色受想行識の五蘊について<も>説き、人間生存は無我である五蘊の仮和合したものであるから仮りの存在であると説いた」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91
とされています。
 この趣旨のことは、下掲にも出てきます。
http://www.pbs.org/thebuddha/blog/2010/Mar/17/empathy-and-compassion-buddhism-and-neuroscience-a/

 この釈迦の考えは、最近の人間科学の進展により、科学的な所見であることが次第に明らかにされつつあります。
 まず、釈迦が悟りに至る手段として奨励したことの一つであるところの、座禅の修行を積めば積むほど、自意識(self-focus)に関わる脳の部位が非活性化するために要する時間が短縮する、また、他人の嘆きの声が聞こえた時に、共感(empathy)に関わる脳の部位が、熟練した座禅者は、新参者よりも活性化する度合いが大きい、ことが判明しています。
http://www.pbs.org/thebuddha/blog/2010/Mar/17/empathy-and-compassion-buddhism-and-neuroscience-a/ 上掲
 更に、他人の情的状況を見たり聞いたりすると、同じ状況を処理する自分自身の神経網もまた、あたかも鏡に映したかのように活性化すること、が判明しています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Empathy

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<補注:人間主義的本性が壊れた人々の世界・・インド亜大陸北部とローマ帝国>

 精神病質者(psychopath。反社会的または暴力的傾向をもつ)の若者に人々が不条理に痛みを感じさせられている映像を見せると、健常者たる若者に見せた場合に比べて、どちらかというと痛みを処理する神経回路がより活性化する一方、([情動反応の処理と記憶において主要な役割を持つ])扁桃体(amygdala)と(報償感に反応する部位である)腹側線条体(ventral striatum)が強く活性化し、自己規制と道徳的推論に関わる脳部位は活性化しないことが判明している。
http://en.wikipedia.org/wiki/Empathy 上掲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%81%E6%A1%83%E4%BD%93 ([]内)

 釈迦の生きたのはマハーバーラタ(マハーバラータ)(コラム#777、2008、4279、4290)が描写する「何10年も戦争が続き、偽計・裏切り・殺人が繰り返され、1800万人もの人々が戦死する世界」(コラム#2008)が必ずしも誇張ではなかったところの、インド亜大陸北部だったし、イエスの生きた帝政ローマ(地中海周辺)には200以上の円形闘技場が設置され、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%BD%A2%E9%97%98%E6%8A%80%E5%A0%B4
人々はそこで剣闘士が他の剣闘士や死刑囚や猛獣を相手に殺し合いを演じるのを見るのが一番の楽しみだった
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%A3%E9%97%98%E5%A3%AB
、といったことから、紀元前後のインド亜大陸北部や地中海周辺それぞれにおける人間主義毀損の程度が推し量れるというものだ。

 精神病質者は人間主義的本性が壊れているところ、釈迦やイエスが生きた時代に生きていた人々の多くは一種の精神病質者であった、と見ることもできそうだ。
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 以上からお分かりになるように、釈迦もイエスも、農業社会化ないし都市社会化の進展とともに、人間主義的本性が壊れて堕落してしまっていた人類を救済すべく、人間主義の復活を希求した、という点では違いがなかったものの、人間主義復活への方法論において、両者には大きな違いがあったわけです。
 それは、釈迦は、人間主義の内面からの発露を追求したのに対し、イエスは人間主義の外からの注入を図った、という違いです。
 イエスの場合、このことと表裏の関係にあったのが、彼の眼から見て非人間主義的な存在であったところの既存宗教、とりわけ彼自身が信者であったところのユダヤ教、の「堕落」を、彼自らが糾弾した行動です。

 ヨハネの福音書から引用すれば、「2:15 彼は縄でむちを作り、羊や牛をすべて<エルサレムの>神殿から追い出した。両替屋の通貨をまき散らし、彼らの台をひっくり返した。2:16 ハトを売る者たちに言った、「これらの物をここから持って行け!わたしの父<(神(太田)>の家を市場にするな!・・・2:18 それでユダヤ人たちは彼に答えた、「こんな事をするからには、どんなしるしを見せてくれるのか」。2:19 イエスは彼らに答えた、「この神殿を壊してみなさい。わたしは三日でそれを建て直そう」。2:20 それでユダヤ人たちは言った、「この神殿は四十六年かかって建てられたのに、あなたはそれを三日で建て直すと言うのか」。2:21 しかし、彼は自分の体という神殿について話していた<のだ>。」
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/temple-clean.htm
がそうです。
 「イエス<は>、・・・「<ユダヤ教の総本山ともいうべき>神殿がすでに必要なくなった」と言う<過激極まる(太田)>考えであった」
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/temple-clean2.htm
ことが見て取れます。

 この種の、他の宗教や宗派に対する糾弾行動は、釈迦の事績においては全く見出すことができません。
 イエスは戦闘的な宗教者であったのです。

(続く)

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太田述正コラム#5400(2012.4.4)
<黙示録の秘密(その7)>(2012.7.20公開)

 (7)黙示録の影響

 「・・・パトモスのヨハネに起因するところの、広大無辺な(cosmic)戦争の描写は幾ばくかの欧米文化における最も偉大なる絵画<(注21)>、音楽<(注22)>、そして詩<(注23)>を鼓吹した。

 (注21)Gustave Dore、Albrecht Durer、William Blake、Peter von Cornelius、Hieronymus Bosch、Fra Angelico、Michelangelo、John Martin、William Holman Hunt、Lynn Morgan、Jacobello Alberegno、Bruegel, Pieter the Elder、Edward Coly Burne-Jones 、Roger Wagner、Richard Harrison、のそれぞれによる Book of Revelation(黙示録)絵画が紹介されている。↓
http://www.jesuswalk.com/revelation/revelation-art.htm
 (注22)クラシック曲については、メノッティ、ジャン・カルロ(Gian Carlo Menotti。1911〜2007年)のバレエ音楽「セバスチャン」から組曲、交響詩「黙示録(Apocalypse)」
http://www.hmv.co.jp/product/detail/92608
http://www.youtube.com/watch?v=HsOjcaW9ZA4
くらいしか見つけられなかった。
 (注23)Adrian Henri、Stanley Kunitz、WS Merwin、 W. H. Auden、のそれぞれによる Apocalypse(黙示録)をテーマとする詩が紹介されている。↓
http://www.poetryarchive.org/poetryarchive/search.do?method=theme&searchTerm=apocalypse

 政治家達と説教者達、福音主義的SF作家達と金本位制推進論者(gold-bug)たるファイナンシャル・プランナー達は、全員、どうやって、不安を撒き散らすところの、迫りくる大災厄の大変動図絵群によって利潤をあげるかを知っていた。・・・」(A)

 「・・・それに加えて、ヨハネは、啓示<、すなわち黙示録>を、完全な破壊ではなく、新エルサレム(New Jerusalem)<(注24)>という形で、楽観主義的に終えたことにより、<黙示録>は、我々が恐れるものだけでなく、「我々が希望を抱いているもの」についても語っているのだ、とパゲルスは記す。・・・
 ヨハネは、「人類の歴史を通じて、どこにいようと、人々が、初めて聖なる正義について思いをめぐらせた時以来、尋ね続けてきた切実な問いであるところの、悪が優位にあるのはいつまでで、いつ正義が行われるのか、について語ろうとしている、とパゲルス女史は記す。」(C)

 (注24)エゼキエル書(book of Ezekiel)の中で登場。黙示録の中では天国のエルサレム(Heavenly Jerusalem)として、また、その他の書の中ではシオン(Zion)として登場。黙示録の中のそれは、エゼキエル書の中のそれの1,000倍の規模。
 バビロニア帝国に対してイスラエルの人々が叛乱を起こしたため、バビロニアのネブカドネザル(Nebuchadnezzar)王の軍隊によって紀元前596年に(第一神殿を含む)エルサレムが破壊され、イスラエルの貴族達が捕囚としてバビロンへと拉致された時に、イスラエルの人々の間で黙示録的ないし新エルサレム的発想が生まれた。
http://en.wikipedia.org/wiki/New_Jerusalem

 (8)その他

 「パゲルスは、福音主義者達等の保守主義者達の気持ちを角で突き刺したままにして、リベラルなキリスト教徒達にとって全くもってなるほどという(reasonable)感銘を与えるところの、敬意を払うべき学術的な種類に属する主張を提示する。・・・」(E)

→ところが、この本を批判する声が米国のキリスト教原理主義の間から出ている気配はありません。彼らはパゲルスの学術的なこんな本を読むような階層の人々ではない、ということなのかもしれません。(太田)

3 私のコメント

 (1)序

 この際、お時間があれば、「宗教を信じるメリット?」シリーズ(1724、1727、1728、1730、1734、1736)(未完)を読み返して欲しいですね。
 この↑、昔のシリーズにおいて、私は、コラム#1727で「宗教・副産物説」を、また、コラム#1728で「宗教・適応説」を紹介したわけですが、下掲記事を読むと、もう一つ、「宗教・非適応説」があり、むしろこれが米国での通説であるかのような説明がなされています。

 「・・・進化生物学者のデーヴィッド・スローン・ウィルソン(David Sloan Wilson)とエドワード・O・ウィルソン(Edward O. Wilson)が提案したところによると、宗教性は集団を一つに結び付け、「一人が全員のために、全員が一人のために」という思い込み(mind-set)を形成させることを助けるところの進化的適応なのだ。
 感情的に激しく、そして互いを結びつけるところの、諸宗教を発展させた諸集団は、それほど固く結び付けられていない諸集団よりも、長期的には、競争上有利となり永続するからだ<というのだ>。・・・
 <しかし、>大部分の社会科学者達は、宗教は適応ではないという考えをとってきた。
 彼らは、文明の勃興を、血縁関係(kinship)に係る観念・・我々は自分達の遺伝子群を共有している者達には親切にできる・・と相互性・・我々はいつの日か恩を返してくれるかもしれない者達には親切にできる・・とを用いて説明しようとしてきた。
 我々が二度と出会うことがない見知らぬ人々との協力<することがあるの>は、進化的「過ち(mistake)」である、と考えられてきた。
 しかし、仮に<二人のウィルソンのように、>宗教を、諸集団が競争するのを助ける適応であると見れば、宗教は、はるかに大きな意味を持ってくるのだ。・・・」
http://ideas.time.com/2012/03/27/have-we-evolved-to-be-religious/
(3月28日アクセス)

 これは、ちょうど5年前に上記シリーズを執筆していた当時、私が「宗教・非適応説」の存在を調査不足で見落としていたというより、その少し前から、米国で、突然、キリスト教、とりわけ原理主義的キリスト教の急速な退潮が始まっていた(コラム#省略)ことを反映して、「宗教・非適応説」もまた急速に米国で勢いを増したからである可能性が高い、ということに一応させてください。
 なお、私としては、5年前は、「宗教・副産物説」の方がもっともらしいと思っているいと記した(コラム#1734)ところ、これを、私は「宗教・適応説」はとらない、という形へと微修正をさせていただきます。

(完)

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太田述正コラム#5398(2012.4.3)
<黙示録の秘密(その6)>(2012.7.19公開)

 (6)種々の啓示書の中でなにゆえ黙示録だけ生き残ったのか

「・・・パゲルスの本質的ポイント・・啓示<、すなわち黙示録>は小アジアと聖なる地一帯にあった、ヨハネによるものはこの沢山あったもののうちの一つに過ぎない、そして我々は黙示録をそのようなものとして読まなければならない・・は、説得力があり啓蒙的だ。・・・」(B)

 「・・・<黙示録の>著者たるパトモスのヨハネは、ユダヤ人予言者でイエスの追従者であり、彼の母国であるユダヤを荒廃させた戦争を逃れた後、紀元90年前後に恐らく<それを>書き始めた。
 しかし、彼の黙示録はユニークな存在ではなかった。
 当時、ユダヤ人達、異教徒達、そしてキリスト教徒達といった無数の他の人々が、聖なる秘密群を開示すると主張しつつ、山のように「黙示録」を生み出していた。
 そのうちのいくつかは何世紀にもわたって<その存在が>知られてきた。
 それに加えて、約20篇が、1945年にエジプトのナグ・ハマディ(Nag Hammadi)で発見された。<(注20)>

 (注20)「ナグ・ハマディ写本あるいはナグ・ハマディ文書(The Nag Hammadi library)は1945年に上エジプト・ケナ県(《Qena Governorate》)のナグ・ハマディ村の近くで見つかった、パピルスに記された初期キリスト教文書。
 農夫・・・が壷におさめられ、皮で綴じられたコデックス(《codex→codices(複)。》冊子状の写本)を土中から掘り出したことで発見された。写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想<(コラム#411)>に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。・・・、本書はもともとエジプトのパコミオス派([Pachomian])の修道院に所蔵されていたが、司教であったアレクサンドリアのアタナシオスから367年に聖書正典ではない([non-canonical])文書を用いないようにという指示([Festal Letter])が出たために隠匿されたのではないか<という>。
 写本はコプト語で書かれているが、ギリシャ語から翻訳されたものがほとんどであると考えられている。写本の中でもっとも有名なものは新約聖書外典である『トマスによる福音書([Gospel of Thomas])』である(同福音書の完全な写本はナグ・ハマディ写本が唯一)。・・・本写本の成立はギリシャ語で『トマスによる福音書』が書かれた80年[頃]、すなわち1世紀から2世紀で、土中に秘匿されたのが3世紀から4世紀であるとみなされている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E5%86%99%E6%9C%AC ☆
http://en.wikipedia.org/wiki/Nag_Hammadi_library ([]内)
http://en.wikipedia.org/wiki/Nag_Hammadi (《》内)※
 なお、「コプト・エジプト語 (・・・Coptic Egyptian・・・) もしくは近代エジプト語 (Modern Egyptian) とは4世紀以降のエジプト語をさす用語である。この時期のエジプト語は当時のエジプトを<含む東地中海世界・・ヘレニズム世界、及びそれを引き継いだ>東ローマ帝国<・・>の公用語であるギリシア語の影響を語彙・文法・表記などの面で強く受けており、この時代以降のエジプト語の言語体系にも基本的にそれが引き継がれているため、この時期を境にそれ以前のエジプト語と区別している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E8%AA%9E
 私の父親も母親も、揃いも揃って、考古学や宗教にほとんど関心がなかったので、私は、4年近くエジプトに住んでいながら、ナグ・ハマディの南西80kmにあるルクソール(※)・・古代エジプトの都テーベがあった・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%AB
にも、スーダンとの国境近くの、あの有名なアブシンベル神殿
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E7%A5%9E%E6%AE%BF
にも、また、上出のナグ・ハマディ文書が収蔵されている、カイロのコプト博物館(☆)にも、はたまた、カイロのキリスト教コプト派の教会のいずれかにも、連れて行ってもらっていないが、これは、今思えば、まことに残念なことだった。

 <ヨハネの>黙示録とは違って、その他のものの大部分は世界の終末についての書ではなく、世界の中で聖なるものを今発見することについての書だった。
 その多くは、神との直接的接触を求めることの奨励だったが、この<種の>メッセージについては、最終的には初期のキリスト教の指導者達は抑圧することを選択した。・・・
 2世紀以降、ローマの行政長官(magistrate)達が、<キリスト教徒達>のうちの最も直言的なメンバー達を逮捕し処刑することによって自分達に近しい諸集団がズタズタにされるのを見たところの、キリスト教の指導者達は、ヨハネの黙示録は、神のローマに対する勝利を予言していたがゆえに、<自分達が直面している>諸危機について直接的に語って<くれて>いる、と感じた。
 <だから、>このようなキリスト教徒達は、この書をその他のものよりも擁護することとなった。
 <そのうちの>幾ばくかは、<更に一歩を進めて、>自分達の、より普遍的な諸ヴィジョンに基づき、その他の黙示録に対して、それらは非正統的で異端的<な書>である、と<積極的に>指弾(challenge)した。・・・」(F)

 「・・・パゲルス女史による<以前に上梓された>画期的な本が取り上げたところの、いわゆるグノーシス<(コラム#1169、3041、3678、3682、3710、4226)>主義の(Gnostic)福音書群が、上エジプトのナグ・ハマディで1945年に発見された。
 その場所で、学者達は、その他の、それまで知られていなかった何ダースもの黙示録群も発見した。
 これらの巻に関する中心的疑問点の中に以下の一つがあった。
 それは、なにゆえ、ヨハネの黙示録が新約聖書に収録された唯一のものになったのか、だった。
 パゲルス女史は、この疑問点を様々な角度から解明しようとしたが、ヨハネの諸啓示<、すなわち黙示録>は、宗教的(spritual)選良に狙いを定めていたところの、その他の多くの<黙示録群>ほど秘教的ではないと示唆してきていたところの学者達と、<彼女は見解が>一致していた。
 <パゲルスを含め、彼らは、>ヨハネは、広汎な大衆に狙いを定めていた<、という>のだ。・・・」(C)

 「・・・<この本の>最終の諸章は、ナグ・ハマディで発見されたところの、抑圧された「啓示群<、すなわち黙示録群>」のいくつかについてのすっきりとした要約を提供している。
 ここでなされる、最も興味深い分析は、何ゆえにヨハネの「啓示<、すなわち黙示録>」が繁栄し、その他の諸ヴィジョンは息の根を止められてしまったのかを示唆している。
 要するに、グノーシス主義の著述者達<の黙示録群>は、余りに愛らしく、余りに抱懐的で、余りに普遍的であったために政治的効果を有さなかった、とパゲルスは主張する。
 これに対し、パトモスのヨハネは、善と悪との間の赤裸々な戦い、及び、誰でも自分の敵に対して用いることができるところの、<他者を>貶める一連の墓碑銘群・・「臆病者どもの、信仰心の無い、唾棄すべき、汚い…そして全員嘘つきの」・・という堪えられないもの、を提供したのだ。
 真の信者達を神の戦士達という普遍的に柔軟な言葉と同定させることは、福音書群<の>・・「見知らぬ人を歓迎せよ」、「裸の人には衣類を与えよ」、「病の人は世話をしてやれ」、「囚人は訪問してやれ」・・<といった記述に適っているかどうかという>単純なテストよりもどれほど役に立つことか、とパゲルスは言う。
 確かに、その種の水気がなくてぱさぱさした口当たりの(mealy-mouthed)文句でもって支持者達を暴力的行動へと駆り立てることなど誰にもできやしないだろう。・・・」(A)

(続く)

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太田述正コラム#5396(2012.4.2)
<黙示録の秘密(その5)>(2012.7.18公開)

 (4)黙示録の新約聖書への編綴・・黙示録の新解釈

 「・・・4世紀に新約聖書が列聖化(canonize)された時、すなわち、キリスト教会がどの書がキリスト教の聖書の一部となりどの書が落とされるかを決めた時、多くの教会指導者達は、啓示<、すなわち黙示録>については<一部とすることに>躊躇した。
 しかし、最終的に、彼らはそれを含めることにした。
 というのは、それは非信仰的な輩を大いに怯えさせるために使うことができたからだ。・・・」(E)

 「・・・パゲルスは、どのように、そしてどのように完全に、ヨハネが、自分が後に残した物語の解釈についての戦いに敗れたかを証明する。
 彼の「啓示<すなわち、黙示録>」は、キリスト教的終末論の頂点となり、彼のユダヤ的仄めかしはヘブライ語の聖書を「旧約」聖書として<新約聖書の>植民地化したところの、新しい宗派によって着服され、イスラエル人たる預言者達はキリスト教徒の司教達に隷属させられ、そして、ユダヤ人(ユダヤ教徒)達は<神に選ばれた民から>地獄行き<の民>へと役割を変更された。・・・」(A)

 「・・・2世紀初において、小アジアの大部分の司教達は、<黙示録の>テキストは涜神的であると投票でもって決をとって非難した。
 3世紀の60年代になってようやく、火のようなアタナシウス(Athanasius)<(注16)>の統制の下で、啓示<、すなわち黙示録>は新約聖書全体のクライマックスとして挿入されるに至ったのだ。・・・」(B)

 (注16)アレクサンドリアのアタナシオス([Athanasius of Alexandria。296-]298〜373年)。
 「キリスト教の神学者・…教父([Doctor of the Church])・聖職者である。エジプトのアレクサンドリア主教(司教([bishop])、または大主教)を務めた。・・・アレクサンドリア[の司教の秘書]として出席した第1回ニケア公会議([First Council of Nicaea])でアリウス([Arius])に反駁し、アリウス派([Arianism])の「御子は被造物である」との説を退け、三位一体論の形成に寄与した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%82%B9
http://en.wikipedia.org/wiki/Athanasius_of_Alexandria ([]内)

 (5)黙示録の新々解釈

 しかし、「啓示<、すなわち黙示録>」については、なお、「百もの解釈(vision)と再解釈(revision)」が出てくることが運命付けられていた。
 皇帝コンスタンティヌス(Constantine)<(注17)(コラム#413、1026、1761、2766、3475、3483、4009)>の改宗・・パゲルスがこの短い本の中で十分展開することができなかった複雑な案件の一つ・・の結果、ヨハネの予言の新たなる抜本的再解釈が必要となった。

 (注17)Gaius Flavius Valerius Constantinus[=Constantine the Great=Constantine I=Saint Constantine]。272〜337年。ローマの西方副帝:306〜312年、西方正帝:312〜324年、全ローマの皇帝:324〜327年。
 「・・・[フラヴィウス・]コンスタンティウス(《Flavius Constantius。ローマの西方副帝:293〜305年、西方正帝:305〜306年》)の子として生まれたコンスタンティヌスは、・・・ディオクレティアヌス([Diocletian])退位後の内乱を収拾して324年に帝国を再統一した。330年には・・・ビュザンティオン([Byzantium])(後のコンスタンティノポリス([Constantinople])、現イスタンブル)に遷都した。・・・<また、>ディオクレティアヌスが始めた専制君主制(ドミナートゥス({Dominatus}))を強化した。経済・社会面では、ソリドゥス金貨を発行して通貨を安定させ、コロヌスの移動を禁止、身分を固定化することで農地からの収入安定を図った。・・・[なお、彼は、初めてキリスト教に改宗したローマ皇帝であり、313年にもう一人の皇帝だったリシニウス(Licinius)とともにミラノ勅令を発出してキリスト教を含む宗教の自由を認めた。]」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B91%E4%B8%96
http://en.wikipedia.org/wiki/Constantine_the_Great ([]内)
http://en.wikipedia.org/wiki/Constantius_Chlorus (《》内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9 ({}内)
 なお、コロヌス(colonus)は、「古代ローマの小作人。共和政末期から史料に現れるが,帝政期に入って奴隷制の占める比重が下がってくるとともに,農業における生産者層としての重要性を増した。帝政初期のコロヌスの地位は地域によって多様であるが,イタリアでは法律上完全な自由人で,地主との契約によってその土地の一部を耕し,期限(通常5年)終了後は土地を離れる自由を持っていた。しかし多くの史料によると,コロヌスはしばしば地代を滞納し,そのために地主に対して従属的な立場におかれるようになり,小作期間も長期化・世襲化していった。」
http://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8C%E3%82%B9

 自らをキリスト教化したローマを、<もはや>獣とみなすことはできな<くな>った<からだ>。
 そこで、新たな悪魔的悪漢達が指定されなければならなくなった。
 そのことは、ヨハネが書いたもの<、すなわち黙示録>の持続力を説明するものだ。
 ヨハネの<紡ぎ出した>「多価の(multivalent)」言葉は黙示録的なインクのしみ<(注18)>であって、その時々の支配者達が求めるどんな激論的な<一連の>意味群をも可能にするのだ。・・・」(A)

 (注18)「被験者にインクのしみを見せ、それから何を想像するかによって人格を分析しようと<する>・・・ロールシャッハ・テスト(・・・Rorschach test, Rorschach inkblot test)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%8F%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88

 「・・・一旦ローマ帝国がキリスト教会の最良の友人になるや、啓示<、すなわち黙示録>の敵は、ローマ以外において見いださなければならなくなった。
 ・・・皇帝コンスタンティヌスは、・・・エウセビウス(Eusebius)<(注19)>の言葉によれば、「特定の人々は人間世界から毒のように抹殺されなければならない」ことを決定した<というが、ローマにとっての毒を抹殺するために黙示録は活用される運びとなったのだ>。

 (注19)カエサレアのエウセビオス(Eusebius of Caesarea。263?〜339年。
 「教父の一人であり、歴史家にして聖書注釈家。314年前後からカエサレア(《カイサリア》)・マリティマ(《Caesarea Maritima。パレスティナの港湾都市でローマ帝国はここをユダヤ属州の首都とし、ローマ総督と軍隊の駐屯地とした。》)の司教(主教)を務めた。・・・324年ごろからエウセビオスは、その教養と著述家としての名声によってコンスタンティヌス帝の寵愛を受けるようになった。325年のニカイア(ニケア(太田))公会議では、彼は皇帝からカエサレア教会の信条を提出するよう命じられたので、318人の出席者全員の前で読み上げた。しかし、最終的にはこのカエサレア信条に反アリウス主義的文言を付けくわえたニカイア信条が採択されることとなった。エウセビオスは本心からこれに賛成していたわけではなかったが、最終的には署名してこれに同意した。・・・さて、328年ごろにはコンスタンティヌス帝はすでにアリウス主義支持に傾いており、皇帝は334年のカエサレアでの宗教会議にアタナシオスを召喚するが、彼はそれに応じなかった。翌335年には、エウセビオスを議長としてティルス([Tyre])の宗教会議([synod])が開かれ、アタナシオスのアレクサンドリア司教罷免とその追放が決定された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%BB%E3%83%93%E3%82%AA%E3%82%B9
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BE%BA%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%82%A2 (《》内)
http://en.wikipedia.org/wiki/Eusebius_of_Caesarea ([]内)

 <こうして、>ヨハネが、元来、彼らのために広報宣伝活動(campaigning)をしていたところの、ユダヤ人達は、今や「預言者達の殺害者達であり、神の殺害者達である」という<風に立場がひっくり返される>ことにあいなったのだ。・・・」(B)

(続く)

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太田述正コラム#5390(2012.3.30)
<黙示録の秘密(その4)>(2012.7.15公開)

 バラーム(Balaam)<(注10)>とジェジベル(Jezebel)<(注11)>は、啓示<、すなわち黙示録>の中で悪魔的予言者達としての名前が付けられているが、この見解によれば、「聖パウロの(Pauline)」のキリスト教徒達の戯画なのだ。

 (注10)易者で悪しき男とされる人物↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Balaam
の名前をとっている。
 (注11)カルタゴの女王ディドー(Dido)(コラム#2789、3269、3878、3926)の大叔母のジェジベル↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Jezebel
の名前をとっている。
 この大叔母のジェジベルは、ティール(Tyre)・・現在のレバノン南部の都市・・を首都としていたフェニキアの国王の娘でイスラエル・・当時は現在のパレスティナの北半分であり、南半分をユダヤと言った・・の国王の妃となった人物であり、国王と共にユダヤ教ならぬ、バアル(Baal)神信仰を庇護したため、後世、ジェジベルは堕落した女性、性的に放縦な女性、を意味するようになった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jezebel
 「バアル・・・は、カナン地域を中心に各所で崇められた嵐と慈雨の神。その名はセム語<[=アラビア語、ヘブライ語、エチオピア語等]>で「主」を意味する。バール、ベールの表記も。・・・足を前後に開き右手を挙げている独特のポーズで表されることが多い。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A2%E3%83%AB
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%A0%E8%AA%9E%E6%B4%BE ([]内)
 なお、ジェジベルが、対潜水艦戦(ASW)で海上に米国の対潜機のP-2やP-3から投下されるパッシヴ・ソナー・・ジュリーと称されるアクティヴ・ソナーと対で用いられる・・の名称として使用されている
http://www.ww2aircraft.net/forum/modern/legend-julie-jezebel-1413.html
のは興味深い。

 このキリスト教徒達は、あっけらかんとユダヤの食と性の諸法を犯しつつ、なお善きラビのヨシュア(Yeshua)の追従者であると主張していた。

 (注12)Joshua。紀元前1550-1200〜1550-1200。「<旧約聖書によると、エジプトを脱出した>モーセは[、ヨシュアを含む12人のスパイを<ユダヤ人の故郷である>カナン([Canaan])の地に送り込んだが、]120歳になると、自分の後継者としてヨシュアをたてて亡くなった・・・。ヨシュアは指導者として<この神から>約束<された>地に入るべくヨルダン川を渡ってエリコ([Jericho])を攻める。エリコの城壁は祭司たちが吹く角笛と民の叫びの前に崩壊した。ヨシュアはエリコの人民を全て虐殺する。ヨシュアは民を率いてカナンの各地を侵略、抵抗運動を粉砕して全カナンを制圧した後にレビ族を除くイスラエルの十二族にくじびきによって分配し・・・110歳で・・・この世を去った。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%A2
http://en.wikipedia.org/wiki/Joshua ([]内)

 ジェジベルは、ヨハネが評判の悪いカナンの女王<(上出)>の名前をとったものだが、彼女が<パトモス島の>近傍のテアテラ(Thyatira)<(注13)>の町で説教をしているのが見かけられたというのだから、この女性は、パウロ版の運動にとって中心的な、しかし、ヨハネのような敬虔なユダヤ人にとっては大嫌いなものであるところの、福音伝道者(evangelist)であることが示唆されている。

 (注13)小アジア西部の町でセレウコス朝の創始者のセレウコス(Seleucus)1世(紀元前312〜280年)によって創建され、マケドニア人とユダヤ人が住んでいた。現在のトルコのアクヒサル(Akhisar)。
http://gabrielle1.com/aap/jean7.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%82%B3%E3%82%B91%E4%B8%96
http://en.wikipedia.org/wiki/Thyatira

 彼女は、非ユダヤ人たる(shiksa)女神の最初のものなのだ。
 (「ヨハネが「バラーム」と「ジェジベル」が、人々に対して「偶像たちへの犠牲に供された食物を食べたり姦通を行うよう」唆した、と非難したのは、異教徒達と性的関係を持ったり、更に悪いことには、異教徒達と結婚したりしたユダヤ人達との近親相姦関係を結ぶ人々だけは許せないという気持ちが彼にはあったのかもしれない」とパゲルスは注記する。)
 啓示<、すなわち黙示録>中の緋色(scarlet)<(注14)>の売春婦達と狂った獣達は、パウロの異教徒たる追従者達であり、それがゆえに、今日のプロテスタントたる福音伝道者(evangelical)達の精神的祖先にあたるのだ。・・・

 (注14)深紅色。 「罪悪を象徴する色であると同時に、地位・身分の高さをも象徴する色」
http://ejje.weblio.jp/content/scarlet+

 紀元1世紀のイエスの運動はパウロの異教徒・・彼らは割礼やコーシャ食抜きでイエスに追従することを許された・・に対する宣教団(mission)と、エルサレムでイエスの兄弟達によって世話されていたところの、より純粋にユダヤ人的な運動の二つに分裂していた。
 イエス一家は、エルサレムでイエスの宗派専一の表玄関的(storefront)シナゴーグを運営する自由を認められており、依然として、反正統の(dissenting)ユダヤ教という枠組み内においてイエスないしヨシュア(Yeshua)<(注15)>の運動を見ていた。・・・」(B)

 (注15)イエスは、もともとはヨシュア(ヘブライ語)だったが、そのヘレニズム・ギリシャ語訛りのησοu ς がそのままラテン語に引き継がれてイエスス(Iesus)となり、それが更に英語ではジーザス(Jesus)、
http://en.wikipedia.org/wiki/Yeshua_(name)
日本語ではイエスとなった。
 ちなみに、旧約聖書はヘブライ語で、新約聖書はギリシャ語で書かれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8

(続く)

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太田述正コラム#5388(2012.3.29)
<黙示録の秘密(その3)>(2012.7.14公開)

 (3)黙示録の著者の狙い

 「・・・パゲルスは、啓示<、すなわち黙示録>がユダヤ人たるキリスト教徒がユダヤ法を廃止しキリストのメッセージを異教徒(Gentiles)にもたらすというパウロの使命に対して反転攻勢をかける文書である、との近代理論を提示する。・・・」(D)
 「・・・報復を恐れ、ヨハネは、このローマに対する非難をはではでしい暗号で書いた。・・・」(C)
 「より挑発的なことに、パゲルは、ヨハネは、「イエスはイスラエルの救世主(messiah)であって新しい「宗教」に改宗した誰かさんではない、と認めた一人のユダヤ人である、と自分自身をを見ていた」と主張する。
 この区別は重要なのだ。
 というのは、ヨハネは、ローマを獣として描きつつも、同時に、「無名から登場して、イエスのユダヤ人たる追従者達に対して「福音」を極めて違った形で説教し始めたところの、かのタルソス(Tarsus)のパウロ<(注6)>と呼ばれた一匹狼(maverick)」によって鼓吹された異教徒たるイエスの追従者達と関わりを持たないように、との警告も発していたからだ。

 (注6)[5?〜67?]年。「初期キリスト教の理論家であり、新約聖書の著者の一人。・・・古代ローマの属州キリキア(Cilicia)の州都タルソス(今のトルコ中南部メルスィン県のタルスス)生まれのユダヤ人。
 ・・・新約聖書の『使徒行伝([Acts of the Apostles])』によれば、パウロの職業はテント職人で生まれつきのローマ市民権保持者でもあった。・・・もともとファリサイ派([Pharisee])に属し、エルサレムにて高名なラビ・・・のもとで学んだ。パウロはそこでキリスト教徒たちと出会う<が、>・・・、初めはキリスト教徒を迫害する側についていた。ダマスコ<[Damascus]> への途上において、「・・・なぜ、わたしを迫害するのか」と、復活したイエス・キリストに呼びかけられ、その後、目が見えなくなった。アナニア([Ananias])というキリスト教徒が神のお告げによって<彼の>のために祈ると・・・目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった。こうしてパウロ・・・はキリスト教徒となった。この経験は「パウロの回心([conversion=metanoia)])」といわれ、紀元[31〜36]年頃のこととされる。・・・。『使徒行伝』によれば3回の伝道旅行を行ったのち、エルサレムで捕縛され、裁判のためローマに送られた。伝承によれば皇帝ネロのとき・・・にローマで殉教したとされる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD
http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_the_Apostle ([]内)
 
 この解釈においては、黙示録は、イエスの信者達の間の初期の権力闘争の一部であって、善と悪、誠信(faithfulness)と背教(apostasy)、救済(salvation)と破滅(damnation)、というくっきりした言辞でもって定義される内ゲバ(internecine conflict)<を描写したものな>のだ。・・・」(A)
 「・・・ヨハネが獣の七つの頭を「7人の王達」と言う時、それは恐らくアウグストゥス(Augustus)から彼の時代までを統治したローマの皇帝達<(注7)>を意味しているのだろう。

 (注7)アウグストゥス、ティベリウス、カリグラ、クラウディウス、ネロ(以上、ユリウス・クラウディウス朝 )、ガルバ、オト(在位:69年1月〜4月)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D%E4%B8%80%E8%A6%A7

 「獣の数」であるところの、身の毛のよだつような666<(注8)>については、原文が親切にもこう付け加えてくれている。

 (注8)「皇帝ネロ(Nero Caesar)のギリシア語表記(Νέρων Καίσαρ, Nerōn Kaisar)をヘブライ文字に置き換え(נרון קסר, Nrwn Ksr)、これを数値化し(ゲマトリア)、その和が666になるというもの。ヘブライ文字はギリシア文字のように、それぞれの文字が数値を持っており、これによって数記が可能である。この説は、直前の皇帝崇拝らしき記述とも、意味的に整合する・・・。写本によっては、獣の数字は666でなく、616と記されているものもある・・・。この場合は、ギリシア語風の「ネロン」ではなく、本来のラテン語発音の「ネロ」(נרו קסר Nrw Ksr)と発音を正したものと解釈できる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8D%A3%E3%81%AE%E6%95%B0%E5%AD%97
 「<666は、>転じて、俗に悪魔や、悪魔主義的なものを指す数字とされる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/666

 すなわち、「分かっている者に誰でもよいから獣の数を数えさせて見よ、それは一人の人物の番号なのだ」と。
 ユダヤの数霊学(numerological)システムであるゲマトリア(Gematria)によれば、それが当時の皇帝のネロへの言及であることはほとんど間違いない。
 <また、>ヨハネによる、大きな山が爆発するヴィジョンは、その頃起こったばかりの79年の<ポンペイを壊滅させた>ヴェスヴィウス火山の噴火への話の種的な言及なのだ。・・・
 パゲルスの本がより独特なのは、啓示<、すなわち黙示録>が、要するに反キリスト教的激論である、との見解だ。
 すなわち、非割礼の非コーシャ(traif=treif)食<(注9)>の異教徒が自分の宗派に入ることを歓迎した聖パウロによって発明されたばかりの「キリスト教」に反対したところの、<イエスの>運動が完全にユダヤ的文脈内にとどまることを欲した、イエスの追従者でユダヤを離れた一人物によってそれは書かれたというのだ。

 (注9)コーシャ(Kosher)。本来はカシュルート(Kashrut)。「ユダヤ教の食事規定のことで、・・・カーシェール<は、この>食事規定・・・で食べてよい食物のことを指す。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88

 近代的な意味合いで自分自身を「キリスト教徒」と呼ぶ者が、まだ、まずいなかった時にあって、ヨハネは、もし人々が「キリスト教徒」になったら一体何が起こるかを予言しているのだ。
 それは、この書の未来を見据えた懸念なのだ。
 「振り返ってみると、我々は、ヨハネが、巨大な変化の起ころうとしている瞬間(cusp)に佇立していたことを見てとることができる。
 それは、<イエスの>運動全体が、ユダヤ人の救世主的宗派から異教徒達だらけの新しい宗教たる「キリスト教」へとやがて変容するという、巨大な変化だったのだ」とパゲルスは記す。・・・

(続く)

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太田述正コラム#5386(2012.3.28)
<黙示録の秘密(その2)>(2012.7.13公開)

 (2)黙示録の背景

 「・・・パゲルスは、ヨハネは、神殿が破壊された<(注5)>後のエルサレムからのユダヤ人難民であるとする。・・・」(D)

 (注5)第一次ユダヤ戦争(First Jewish–Roman War。66〜73年)中の70年にユダヤ叛乱軍が籠城していたエルサレムがローマ軍によって陥落するが、その際、神殿は火を放たれて焼け落ちる。
 ちなみに、この戦争の経過は以下の通り。
 ローマ帝国のユダヤ属州(Judaea Province)でギリシャ人とユダヤ人の間の宗教紛争が始まり、それが、ローマが科した税金に対するユダヤ人の抗議運動とユダヤ人によるローマ市民達に対する攻撃へとエスカレートして行く。
 ユダヤのローマ軍駐屯地はすぐに叛乱者達に占拠され、親ローマのアグリッパ(Agrippa)2世・・{ヘロデ大王の「王家」の最後の「王」でユダヤ教徒だがローマ化しており、もはやユダヤの国王だったわけではないけれど、エルサレムの神殿の管理権を有していた。}・・は、ローマ人の役人達とともに、ユダヤの北部のガリラヤ(Galilee)へと逃亡した。
 ローマのシリア総督(legate)は、1個軍団(legion)を率いてこの叛乱を鎮圧しようとしたが、待ち伏せ攻撃を受けて敗北を喫してしまう。
 そこで、ローマは、ウェスパシアヌス(Vespasian。[9〜79年。ローマ皇帝:69〜79年])将軍とその息子のティトゥス(Titus。《39〜81年。ローマ皇帝:79〜81年》)率いる4個軍団を派遣し、ガリラヤから平定作戦を開始し、ティトゥスによるエルサレム包囲、陥落を経て、最終的に叛乱の全面的鎮圧に成功する。
http://en.wikipedia.org/wiki/First_Jewish%E2%80%93Roman_War
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%B9%E3%83%91%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%8C%E3%82%B9 ([]内)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%B9 (《》内)
http://en.wikipedia.org/wiki/Agrippa_II ({}内)
 なお、第一次ユダヤ戦争に関する日本語ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E6%88%A6%E4%BA%89
の内容は英語ウィキペディアとはかけ離れたものになっているところ、事柄の性格上、前者の大部分は不正確ないし時代遅れである、と断ぜざるをえない。

 パゲルスは、この書を彼女が呼ぶところの「戦争文学」の文脈の中に置く。
 ヨハネは、66年の小競り合いを目撃した可能性が高い。
 その頃、過激派の(militant)ユダヤ人達は、宗教的熱情で燃え上がり、ローマの退廃とユダヤ(Judea)占領の双方に関してローマに対して戦争をしかける機運が高まっていたのだ。・・・」(C)
 「・・・パゲルスは、黙示録は特定の時と場所で書かれたことを強調する。
 ローマが大神殿を焼け落ちさせ、エルサレムを廃墟にした後の恐らく90年前後にトルコの沿岸沖の小さな島において・・。
 「彼の書が戦争文学であることを見てとった時においてのみ、我々は彼が何を書いたかを理解し始める」と彼女は言う。
 換言すれば、ヨハネによる物語<、すなわち黙示録>の最初の方で描かれた火のような破壊の多くは、予言的なものというより、ユダヤ人達を呆然とさせ、四散させ、震え上がらせたところの、理解不能な種々の恐怖の華麗な描写、すなわち、<同時代の>歴史<の描写>なのだ。
 ローマの暴虐的な<ユダヤ>抑圧とローマ帝国の繁栄の跡を追いつつ、ヨハネは、「イスラエルの予言的諸伝統からその心象風景(imagery)を抽き出したところの」謎めいた「反ローマ・プロパガンダ」を書いたのだ。
 彼の「啓示」<、すなわち黙示録>は、従って、将来における勝利の物語へとうまく織りなしつつ、<ユダヤが喫した>最近の諸敗北を受け入れる一つの方法だったのだ。・・・」(A)
 パゲルスは、「啓示」<、すなわち黙示録>は、幻覚的予言を意味したものでは全くないのであって、実際には、ヨハネがこれを書いていた時に起こっていた種々の出来事についての暗号化された説明であったことを示す。
 それは、要するに、エルサレムが落ち、神殿が破壊され、約束したもかかわらず、救世主(Saviour)がまだ戻って来てくれていない、という1世紀末におけるイエスに係る運動が直面していたところの、様々な危機に関する政治的風刺漫画なのだ。
 原理主義的キリスト教徒達のための聖典(staple)であり続けてきたところの、<黙示録が描く>恍惚(rapt)と狂喜(rapture)の心象風景の全てと、<その黙示録の中で、いわば>「置き去りにされた(Left Behind)」それ以外の部分とは、同時代における人々と様々な出来事の表象(represent)なのであり、そのようなものとして、黙示録の最初の読者達は的確に受け止めていたのだ。・・・」(B)

(続く)

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太田述正コラム#5384(2012.3.27)
<黙示録の秘密(その1)>(2012.7.12公開)

1 始めに

 私は、やや誇張して言えば、終末論(eschatology)/千年王国(millennium)思想は、欧州文明特産と言っても過言ではないところの、世界に害悪を撒き散らした凶悪思想である、ということを、累次申し上げてきていますが、その原点たる黙示録そのものを、これまで取り上げたことがありませんでした。
 このたび、エレイン・パゲルス(Elaine Pagels)が 'Revelations: Visions, Prophecy, and Politics in the Book of Revelation' を上梓したので、書評等をもとに、この本の概要をご紹介するとともに、私のコメントを付すことにしました。

A:http://www.washingtonpost.com/entertainment/books/elaine-pagelss-revelations-tracing-reinterpretations-of-the-apocalypse/2012/02/27/gIQA8pnhvR_print.html
(3月10日アクセス。書評(以下同じ))
B:http://www.newyorker.com/arts/critics/books/2012/03/05/120305crbo_books_gopnik?currentPage=all
(3月22日アクセス(以下同じ))
C:http://www.nytimes.com/2012/03/21/books/revelations-by-elaine-pagels.html
D:https://www.kirkusreviews.com/book-reviews/elaine-pagels/revelations-visions-prophecy/#review
E:http://www.thejewishweek.com/blogs/well_versed/revelation_elaine_pagels_and_jewish_cult_behind_book_revelations
F:http://online.wsj.com/article/SB10001424052970203753704577253611876502848.html (本の抜粋)

 なお、パゲルスは、カリフォルニア州のパロアルト生まれで、スタンフォード大の学士、修士、ハーヴァード大の博士で現在プリンストン大学の宗教学教授であり、著書 'The Gnostic Gospels' (1979) で三つの賞を受賞している女性です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elaine_Pagels

2 黙示録

 (1)序

 「・・・黙示録(The Book of Revelation)<(注1)>・・・は、新約聖書の最後の書であり、歴史的ないし道徳的規範的(morally prescriptive)ではなくて啓示的(=黙示的=apocalyptic)である、唯一の書だ。・・・」(C)

 (注1)「タイトルの「黙示」とはギリシャ語の「アポカリュプス(古典ギリシア語: 'Aπōκάλυψις)」の訳であり、原義は「覆いを取る」ことから転じて「隠されていたものが明らかにされる」という意味であり、英語では「revelation」<だ>。黙示録という名前<が日本で>定着しているが、本来、「黙示」は法律用語では「もくじ」と読んで、「明示」の反対語である ことからも明らかな通り、 訳語としては「啓示」が相応しい。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2

 「黙示録は、聖書の最も変わっている書であるとともに、最も議論の多い書でもある。
 それは、物語や道徳的教えではなく、光景(vision)ないし夢、そして悪夢であるところの、四人の騎士(Four Horsemen)<(注2)>、啓示、地震、疫病、そして戦争、だけを提供している。

 (注2)「小羊(キリスト)が解く七つの封印の内、始めの四つの封印が<順次>解かれた時に<順次一人ずつ>現れるという。四騎士はそれぞれが、・・・[征服]、そして[戦争]と飢饉と[死とを象徴している。]・・・第一の封印が解かれた時に現れる騎士<は>白い馬に乗っており、手には弓を、また頭に冠を被っている。[彼は、征服する]役目を担っているとされる。・・・第二の封印が解かれた時に現れる騎士<は、>赤い馬に乗っており、手に大きな剣を握っている。<彼は、>地上の人間に戦争を起こさせる役目を担っているとされる。・・・第三の封印が解かれた時に現れる騎士<は、>黒い馬に乗っており、手には食料を制限するための天秤を持っている。<彼は、>地上に飢饉をもたらす役目を担っているとされる。・・・第四の封印が解かれた時に現れる騎士<は、>青白い<[green/greenish-yellow]>馬(蒼ざめた<[pale/pallid]>馬)に乗った「死」で、側に黄泉([Hades])を連れている。・・・<彼は、>地上の人間を死に至らしめる役目を担っているとされる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2%E3%81%AE%E5%9B%9B%E9%A8%8E%E5%A3%AB
http://en.wikipedia.org/wiki/Four_Horsemen_of_the_Apocalypse ([]内)

 クライマックスの戦闘シーンで、イエスが聖なる戦士として立ち現れ、悪魔は立穴に投げ入れられ、神を信仰して死んだ人間全員が地球を千年にわたって支配する。・・・」(F)
 「・・・黙示録は、恐らく、1世紀末に、現在のトルコの沿岸のすぐ沖のパトモス(Patmos)という小島のヨハネ(John)<(注3)>という名前の難民たる神秘主義者(mystic)によって書かれた。

 (注3)「伝統的な理解では『ヨハネによる福音書』、『ヨハネの手紙一・二』、『ヨハネの黙示録』の著者をすべて使徒<(apostle)>ヨハネであると考えてきた。・・・『黙示録』の著者は、自らを「しもべヨハネ」と称し、「神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた」と記しているが、これは伝承による使徒ヨハネの晩年の境遇と一致する。また、新約聖書において「小羊」という言葉をキリストの象徴として用いているのは、『ヨハネの黙示録』と『ヨハネによる福音書』だけである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%81%AE%E9%BB%99%E7%A4%BA%E9%8C%B2

 (ただし、このヨハネは、彼女の執拗な主張によれば、イエスが愛した、或いは、同じ名前を冠した福音書の著者たる、ゼベダイ(Zebedee)の<子の>ヨハネ<(注4)>ではない。)

 (注4)「ゼベダイの子らは新約聖書に登場するイエスの弟子、使徒ヤコブ<(Jacob)>(大ヤコブ)と使徒ヨハネの兄弟2人を指す。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%99%E3%83%80%E3%82%A4%E3%81%AE%E5%AD%90
 「ヨハネは兄のヤコブとともにガリラヤ湖で漁師をしていたが、ナザレ<(Nazareth)>のイエスと出会い、その最初の弟子の一人となった。ペトロ<(Peter)>、兄弟ヤコブとともに特に地位の高い弟子とされ、イエスの変容<(Transfiguration)>の場面や、ゲッセマネ<(Gethsemane)>におけるイエス最後の祈りの場面では、彼ら三人だけが伴われている。『ルカ<(Luke)>による福音書』ではイエスから最後の晩餐<《lord's supper=last supper》>の準備をペトロとヨハネの2人が仰せつかっている。『ヨハネによる福音書』ではイエスが十字架にかけられたときも弟子としてただ一人「[イエスの愛しておられた]弟子<[The Beloved Disciple]>」が十字架の下にいたと書かれている。・・・また、『ヨハネ福音書』ではイエスの墓が空であることを聞いてペトロとかけつけ、真っ先に墓にたどりついたのもこの弟子であり、伝統的に使徒ヨハネのことだと信じられている・・・。ヨハネは初代教会においてペトロとともに指導的立場にあった。古い伝承では使徒たちの中で唯一殉教しなかったとされる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E5%BE%92%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%84%9B%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8A%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%BC%9F%E5%AD%90 ([]内)
http://ejje.weblio.jp/content/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%99%A9%E9%A4%90 (《》内)

 彼女は、劇的な活劇(action)を巧みに要約する。 
 ヨハネは、自分が神の座の前にいることに気づき、キリストの象徴(image)たる子羊を見、七つの封印が施された巻物を受領する。
 これらの封印は次々に解かれ、その都度、神秘的な光景が現れる。
 神への供え物として14万4,000の「初物(firstfruit)」が蓄えられる・・有名な「喜悦(rapture)」<の場面>だ。
 様々な大災厄を知らせるところの、7つのトランペットが奏でられる。
 そして、星々は落ち、太陽は昏くなり、山々は爆発し、野獣達が出現する。
 6番目のトランペットの音がすると、2億人の騎士達が全人類の3分の1を絶滅させる。
 この全てが千年<王国>へと導く。
 それは、全てのものの終わりではなく、千年にわたるキリストによる地上の統治であり、今度はそれが、最終的に、火の湖での悪魔の終焉に導き、本当のクライマックスとなる。
 我々の知っている天と地は破壊され、よりよき天と地によって置き換えられる。・・・」(B)

(続く)

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太田述正コラム#5240(2012.1.16)
<煮え切らない無神論について(その2)>(2012.5.3公開)

 マシュー・アーノルド(Matthew Arnold)<(注6)>は、神がいないこと(godlessness)がヴィクトリア時代の勤労階級の間に広まることを恐れた。

 (注6)1822〜88年。イギリスの詩人、批評家。「聖職者・・・の長男として誕生。イギリスの耽美派詩人の代表であり、文明批評家でもある。ヴィクトリア朝時代における信仰の危機をうたった絶唱の「ドーヴァー・ビーチ」<で>有名・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%83%89 

 それに対しては、彼自身が信じることを止めて久しかったところの、詩化されたキリスト教の形態でもって対抗できるのではないか、と彼は考えた。
 19世紀のフランスの哲学者のオーギュスト・コント(Auguste Comte)<(コラム#3216、3676)>は、徹底的な唯物主義者だったが、神、聖職者、聖餐式、祈祷、そして祝祭日を備えたところの、神の世俗バージョンが完全に備わった、理想社会を思い描いた。・・・
 ド・ボトンは、人々が文字通り<の神を>信じることこそ欲しないけれど、彼の極端な(high)ヴィクトリア時代的口調がはっきり示しているように、彼は、後世のマシュー・アーノルドであり続けているのだ。
 宗教は、「我々に慇懃であること、互いを尊重すること、忠実で冷静(sober)であること」を教え、かつ、我々に「コミュニティの様々な魅力」を教示してくれる、と。
 この全てが、冗長にこぎれいで上品(tediously neat and civilized)に聞こえる。
 これは、正義のためにこと挙げして拷問された上処刑され、同僚達に自分の範例に倣うならば同じ運命に見舞われるだろうと警告したところの、福音の説教者<たるイエス>とは全然異なる。
 ド・ボトンのマニキュアが念入りに施された両手によって、この<もともとは>血腥かった営みは、「道徳性を促進しコミュニティ精神を醸成する」ことができるところの、精神的療法の心和ませる(soothing)形態、とあいなるわけだ。・・・」(A)

 「・・・この本の前提は、傾倒的無神論者であり続けつつも、諸宗教が、時たま有用で興味深く、かつ慰めてくれると認めること、そして、諸宗教の特定の諸観念と諸慣行を世俗的領域に輸入するという可能性について好奇心を持つこと、が可能であるに違いない、というものだ。 
 人は、キリスト教の三位一体や仏教の五つの道(Fivefold Path)<(注7)>については冷笑的であっても、同時に、諸宗教の、説教を行い、道徳性を促進し、コミュニティの精神を醸成し、美術と建築を活用し、旅へと誘い、頭を鍛え、春の美しさへの感謝の念を奨励する、という方法論に関心を持つことはできる。

 (注7)仏教で五つと言えば、通常思い出すのは、五戒、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99
すなわち、「仏教において在家の信者が守るべきとされる基本的な五つの戒・・・不殺生戒・・・不偸盗戒・・・不邪淫戒・・・不妄語戒・・・不飲酒戒・・・のこと」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E6%88%92
だが、これ以外にも、五にちなむものは、以下のように色々ある。
五欲(食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲)、
http://bukkyouwakaru.com/yoku/yoku1.html
と五色(如来の精神や智慧を5つの色で表したもの)、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%89%B2_(%E4%BB%8F%E6%95%99)
と五行(菩薩がする5つの修行。起信論では布施・持戒・忍辱・精進・止観)だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%8C_(%E6%9B%96%E6%98%A7%E3%81%95%E5%9B%9E%E9%81%BF)
 文脈からして、ポッドは、五行のことを言っているのかもしれない。

 信教と世俗の、様々な原理主義者達に悩まされる現代にあって、宗教的信条の拒絶、と宗教的儀典や概念に対する選択的敬意、<の二つ>を均衡させることが可能であるに違いないのだ。・・・
 ・・・我々は、諸宗教を二つの中心的な必要性に応えるために発明したのだ。・・・
 一つは、我々に深く根差す利己的で暴力的な諸衝動にもかかわらず、諸コミュニティの中で調和のうちに一緒に生活する必要性だ。
 もう一つは、仕事の上の失敗、うまくいかなくなった人間関係、更には、愛する者の死、そして我々の老いと死、に係る脆弱性に由来する痛みの甚だしさに対処する必要性だ。・・・
 私は、宗教的信条をサンタクロースに対する愛着とほとんど同次元でとらえる二人の世俗的なユダヤ人の息子として、明確に(commitedly)無神論的な家庭で育くまれた人間なのだ。・・・」(B)

3 終わりに

 要するに、ド・ボトンは、宗教原理主義とその変形物であるところの、(原理主義的)無神論・・往々にして特定の政治的宗教(イデオロギー)と結びついている・・が猖獗する欧州からイギリスに渡来したことで、イギリス人の大部分が共に抱いているところの、自然宗教的な神不可知論の洗礼を受けた結果、両者を折衷したような宗教観に到達し、その宗教観に近い側面のある、欧州とイギリスの有識者を無理やりかき集めることで自分の所説の裏付けとした、ということです。
 私としては、こんなド・ボトンの所説は、人間の本性や自然宗教の人間主義性(道徳性や自然親和性)を看過した、浅薄、かつ有害無益な所説である、と切り捨てざるをえません。
 この際、随分昔のものですが、(アングロサクソン論としても重要であるところの、)「無神論と神不可知論」シリーズ(コラム#496、497、498)を再読されることをお勧めします。

(完)

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太田述正コラム#5238(2012.1.15)
<煮え切らない無神論について(その1)>(2012.5.2公開)

1 始めに

 アラン・ド・ボトン(Alain de Botton)の 'Religion for Atheists: A Non-Believer's Guide to the Uses of Religion' を、その書評と本からの抜粋をもとに紹介、私のコメントを付そうと思います。

A:http://www.guardian.co.uk/books/2012/jan/12/religion-for-atheists-de-botton-review
(書評)(1月13日アクセス。以下同じ)
B:http://www.penguin.com.au/products/9780241144770/religion-atheists-non-believer-s-guide-uses-religion/72563/extract
(本からの抜粋)

 ボトンは、1969年にチューリッヒで生まれたユダヤ系スイス人であり、8年間スイスで初等教育を受けた後、イギリスの寄宿舎学校に入り、ハロー校を経てケンブリッジ大学を卒業し、ロンドンのキングスカレッジで哲学の修士号を取得、更にロンドン大学でフランス哲学の博士号を取得し、その後も引き続きイギリスに住み、TVプレゼンター、企業家として活躍する傍ら、一般向けの本を出版してきた、という人物です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alain_de_Botton

2 煮え切らない無神論

 「・・・煮え切らない(reluctant)非信心(non-belief)ははるかな昔からある。
 マキアヴェッリ(マキャベリ=Machiavelli)<(コラム#471、544、568、3403、3813)>は、宗教的な諸観念は、どれほど空虚であろうと、群衆を震え上がらせる(terrorise)有用な方法であると考えた。
 ヴォルテール(Voltaire)<(コラム#516n801、996、1079、1254、1255、1256、1259、1665、1865、2382、2454、2502、3413、3559、3684、3702、3722、3754、4023、4443、5134)>は、キリスト教の神を拒絶したけれど、自分の懐疑主義で自分の召使い達を感染することを防ぐ心配をした。
 無神論は、選良にとっては結構だけれど、大衆の間に異議申し立て感情を醸成するかもしれない、というわけだ。
 18世紀のアイルランドの哲学者のジョン・トーランド(John Toland)<(注1)>は、売春婦と堕落した僧侶の庶子であると噂された人物だが、自分自身は「合理的(rational)」宗教に執着しつつ、下層階級の人々(rabble)は自分達の種々の迷信を信じ続けるべきであると考えた。

 (注1)1670〜1722年。合理主義哲学者にして自由思想家で時折の風刺家でもあり、政治哲学と宗教哲学の本やパンフレットを多数書いた。アイルランドのカトリック地区かつアイルランド語地区に生まれたが父母は不祥。グラスゴー、エディンバラ、ライデン、そしてオックスフォードの各大学で学び、ジョン・ロックの影響を受けた。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Toland

 金持ちのための神とは別の神が貧乏人のためにはあるというわけだ。
 エドワード・ギボン(Edward Gibbon)<(注2)(コラム#858、1768、2138、2882、3483、4822)>は、あらゆる時代を通じての最も悪名高い懐疑主義者の一人だが、彼は、自分が軽蔑していた宗教的諸教義も、なお社会的には有用でありうる、と思っていた。

 (注2)「父親は若かりし頃の彼が信仰<が>・・・カトリック教会へ傾きかけた時、不安に思った。その頃のオックスフォード大学では宗教論争が激しく、イギリスで紳士階級の人間がカトリックへ改宗するというのは18世紀の当時、人生においてとてつもな<く悪>い意味を持っていた。紳士階級社会の多くからは排斥されるであろうし、また昇進が望めるような門は閉ざされる、ということである。それを恐れた父親は息子を大学から追い出し、彼をスイスのローザンヌに住むプロテスタントの牧師であり個人教授も行っていたパヴィリアード(M. Pavilliard)の元へ送った。彼がローザンヌで受けた教育は終世、彼に大きな影響力を持った。彼は覚え書きにこう書いている。「我が教育の成したものがなんであろうと、それらは私をローザンヌへ追いやった幸運な追放のたまものである<、と>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AE%E3%83%9C%E3%83%B3
 パヴィリアードはカルヴィン派の牧師であり、英語がほとんどできなかったが、ギボンがフランス語を身に着けることで意思疎通ができるようになり、ギボンは、彼から、ラテン語のほかギリシャ語も少々、そして論理学、数学、形而上学、法理学を学んだ。
http://www.freefictionbooks.org/books/e/44100-encyclopaedia-britannica-11th-edition-volume-11-slice-8-germany-to-gibson-william?start=207

 今日においては、ドイツの哲学者のユルゲン・ハーバーマス(Jurgen Habermas)<(注3)>がやはりそうだ。

 (注3)1929年〜。ドイツの社会学者、哲学者。「1929年・・・デュッセルドルフに生まれた。少年期をナチス政権下で過ごし、ドイツ少年団、ヒトラー・ユーゲントに組み込まれていた。・・・1954年にボン大学で博士号を習得した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9
 「ハーバーマスは、マックス・ヴェーバーの合理化論に起源を持つところの近代概念に関する著作で知られる。彼は、米国のプラグマティズムや行動理論(action theory)、更にはフランスのポスト構造主義(poststructuralism)の影響を受けつつも、その思想の諸教義(tenets)において広義のマルクス主義者であり続けた。」
http://en.wikipedia.org/wiki/J%C3%BCrgen_Habermas

-------------------------------------------------------------------------------
<脚注:構造主義とポスト構造主義>

 「構造主義とは、狭義には1960年代に登場して発展していった20世紀の現代思想のひとつである。広義には、現代思想から拡張されて、あらゆる現象に対して、その現象に潜在する構造を抽出し、その構造によって現象を理解し、場合によっては制御するための方法論を指す言葉である。・・・
 フェルディナン・ド・ソシュールの言語学や文芸批評におけるロマーン・ヤーコブソンらのロシア・フォルマリズム、プラハ学派、アレクサンドル・コジェーヴのヘーゲル理解などを祖とする。1960年代、人類学者のクロード・レヴィ=ストロースによって普及することになった。レヴィ=ストロースはサルトルとの論争(この論争により、事実上、サルトルと実存主義は葬られた)を展開したことなども手伝ってフランス語圏で影響力を増し、ロラン・バルト(文芸批評)、ジュリア・クリステヴァ(文芸批評、言語学)、ジャック・ラカン(精神分析)、ミシェル・フーコー(哲学)、ルイ・アルチュセール(構造主義的マルクス主義社会学)など人文系の諸分野でその発想を受け継ぐ者が現れた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A7%8B%E9%80%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 「構造主義は、人間やイデオロギーを細分化し客観的で普遍な構造を追求していたが、人間が絶対的な構造に支配されているという絶望感により政治や社会への参画に冷ややかであると考えられていたため目の前の現実に対処する力を持たなかった。デリダによると人間が言葉(ロゴス)によって世界の全てを構造化できるという構造主義の発想も西欧形而上学から抜け出せておらず、構造主義によって形而上学を解体しようという試みもまた形而上学にすぎないと指摘した。そこでデリダは脱構築を行<った。>」(ポスト構造主義のウィキペディア前掲)
 「ポスト構造主義は1960年後半から1970年後半ごろまでにフランスで誕生した思想運動の総称である。アメリカの学会で付けられた名称であり当のフランスではあまり用いられなかった。・・・明確な定義や体系は存在しない。構造主義、アンチヒューマニズム、ポストモダンとそれぞれ関係があり啓蒙思想を否定する。・・・代表的な思想家はジャック・デリダ、ロラン・バルト、ジャン=フランソワ・リオタール、ジル・ドゥルーズ、ミシェル・フーコーなど。ただしこれら思想家の間には思想的な共通性や関連性は必ずしもな<い>・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E6%A7%8B%E9%80%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
-------------------------------------------------------------------------------

 ディドロ(Diderot)<(コラム#496、516、1257、1259、3329)>は、フランス啓蒙主義の最古参者(doyen)だが、キリスト教の福音は、イエスがカナ(Cana)の結婚式<(注4)>で花嫁付き添いの若い女性達の乳房をもてあそんだり、聖ヨハネ(John)<(注5)の尻を愛撫したりしておれば、もうちょっと明るいものになっただろう、と記したものだ。
 しかし、そんな彼もまた、宗教は社会的統合のために不可欠だと信じていた。

 (注4)新約聖書のヨハネによる福音書で、イエスが、使徒達とともにカナでの結婚式に出席していた時、ワインがなくなったところ、水をワインに変えるという最初の奇跡を行ったと記されている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Marriage_at_Cana
 (注5)6?〜100?年。イエスの12使徒の一人で使徒の中で最も長生きした。新約聖書中のヨハネによる福音書、黙示録等の著者とされる。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_the_Apostle

(続く)

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太田述正コラム#5236(2012.1.14)
<一米国人有識者の欧米思想史観>(2012.5.1公開)

1 始めに

 ロンドン在住の米国人のスティーヴン・トロムブレー(Stephen Trombley)が 'A Short History of Western Thought' を上梓したので、この本についての2つの書評をもとに、この本を俎上に載せたいと思います。

A:http://www.guardian.co.uk/books/2012/jan/08/history-western-thought-trombley-review (ガーディアンがどうしてこの本を書評で取り上げたのかは興味深い。)
(1月9日アクセス)
B:http://www.foyles.co.uk/item/Philosophy-Psychology-Social-Sciences/A-Very-Short-History-of-Western-Thought,Stephen-Trombley-9780857896285
(1月11日アクセス)

 なお、トロムブレーは1954年生まれの著述家で映画制作者であり、現在、ロンドンの映画・TVプロダクション会社の社長をしています。
 彼は、ニューヨーク州立大学プラッツバーグ(Plattsburgh)校修士課程(英語)を1975年に卒業しています。学部3年の時にイギリスのノッティンガム(Nottingham)大学に留学したことがあるのですが、修士課程卒業後ただちにこのイギリスの大学に戻り、そこで博士号を取得し、そのままロンドンに住みつきます。
 そして、1989年に上記プロダクション会社を設立し、現在に至ります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Stephen_Trombley
 この経歴からすると、こう言ったら語弊があるかもしれませんが、イギリス在住とはいえども、トロムブレーは、まさに平均的有識者たる米国人である、と私は思います。

2 一米国有識者の欧米思想史観

 「・・・トロムブレーはキリスト教思想の発展について議論を行う。
 そのおかげで、我々は、(単一の啓蒙主義へと単純に煎じ詰めることのないところの、)フランス、ドイツ、及びスコットランドのそれぞれの啓蒙主義が、キリスト教神学にその起源をもつ、個人の重要性の徐々なる成長の中から出現したことを見てとることができる。

→もともと自然宗教志向で、もとから個人主義でそもそも「啓蒙」されていたところの、イギリスはキリスト教思想の影響を余り受けておらず、従ってまた、かかるイギリスには「個人」の「出現」も「啓蒙主義」もなかった(コラム#省略)ことが示唆されており、語るに落ちた感があります。(太田)

 「個人の解放(liberation)」というテーマが、この本の中心的話題である、とほぼ言ってよかろう。

→ということは、この本は、西洋思想史ないし欧米思想史ではなく、(イギリスは入らず、米国は入るところの)欧州思想史の本なのだな、と茶々を入れたくなりますね。(太田)

 トロムブレーは、アウグスティヌス<(コラム#1020、1023、1169、1761、3618、3676、3678、3718、3908、5061、5100)(注1)>の『告白』<(注2)>を「一人称単数の「私」が精神的かつ知的議論に登場する最初の文章」であるとする。

 (注1)Aurelius Augustinus。354〜430年。「古代キリスト教世界のラテン語圏において最大の影響力をもつ理論家。カトリック教会・聖公会・ルーテル教会・正教会・非カルケドン派で聖人。・・・現在<の>アルジェリア・・・に生まれた。・・・新プラトン主義とキリスト教思想<を>統合<するとともに、>ストア派ことにその禁欲主義への共感を促進<した。また、>・・・人間の意志を非常に無力なものとみなし、神の恩寵なしには善をなしえないと考えた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9
 (注2)「397年から翌年に至るまでに書かれた・・・自伝。・・・青年時代の罪深い生活からキリスト教へのめざめをたどっている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%8A%E7%99%BD_(%E3%82%A2%E3%82%A6%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%8C%E3%82%B9)

→アウグスティヌスは、プロト欧州文明、従ってまた、欧州文明の闇の部分を基礎づけた思想家である、というのが私の考えであり、私はアウグスティヌスを全く評価していません。彼に関する私の過去コラムを振り返ってみてください。(太田)

 その1,000年後、<彼が蒔いた>この種(たね)が、宗教改革における個人の神との直接的な関係の強調という花を咲かせるのだ。

→トロンブレーのアウグスティヌス解釈はおかしいのではないでしょうか。
 アウグスティヌスの同時代人にブリテン諸島出身のキリスト教修道僧ペラギウス(Pelagius。354?〜420/440?) がいます
http://en.wikipedia.org/wiki/Pelagius
が、
 「ペラギウス主義は・・・人間の意志は神の救いを必要としないという<ものであったのに対し>、・・・アウグスティヌスは・・・人間<に>は選択の自由はあるが・・・自由の中にも実は神意の采配が宿っているとしており、人間単身の選択では救いの道は開けず、神の恩寵と結びついた選択により道が開けるとし・・・た。・・・<結局、>431年のエフェソス公会議で異端である事が<確定された>。・・・べラギウス主義<は、>・・・人間の自由意志を強調する点でヒューマニズムの思想の原点ともいえる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%A9%E3%82%AE%E3%82%A6%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
ということからして、個人を強調し、その「個人の神との直接的な関係」を説いたのは、アウグスティヌスと言うより、むしろペラギウス主義であったからです。
 何度も記した(コラム#461、497、1519、4408、4452)ように、イギリス人は、この自然宗教的なペラギウス主義の影響を強く受けて現在に至っているのです。(太田)

 トロムブレーは、知的諸変化を背後から推進したところの、社会的かつ技術的諸発展にもスペースを割く。
 例えば、広く知られていることではあるものの、思想史(histories of ideas)の中では触れられないことがしばしばあるところの、印刷術と自国語による本の入手可能性の重要性を彼は取り上げている。・・・」(A)
 
 「・・・ギリシャ・ローマ時代(Classical Antiquity)から今日の思想家達に至るまで、トロムブレーが関心を払わない欧米思想の重要な流れにおける主要な代表的人物はない。
 中世のキリスト教のスコラ神学者達、啓蒙主義の大哲学者達、カントからヘーゲルに至るドイツ観念論者達、超絶主義者達<(コラム#4334、4412)>のエマソンとソロー、キルケゴール(Kierkegaard)と実存主義者達、分析哲学者達のラッセル(Russell)、ムアー(Moore)、ホワイトヘッド(Whitehead)、ヴィトゲンシュタイン(Wittgenstein)、そして、最後に述べるが決して軽んずべきではないところの、我々の現代世界の4人の主任形成者達である、哲学者・歴史家・政治理論家のカール・マルクス、自然学者で進化理論を提案したチャールス・ダーウィン、精神分析の父のシグムント・フロイト、そして理論物理学者でポスト・ニュートン物理学の創建者であるアルベルト・アインシュタイン。」(B)

→ギリシャ・ローマの諸賢哲から始めることといい、その後の登場人物群といい、戦後日本における標準的な世界思想史の概説本の中身とほぼ同じ感じです。(典拠省略)
 占領下の日本において、GHQがそのように教え込んだのかい、と言いたくなります。(太田)

3 終わりに

 一米国人有識者の欧米思想史観を通じて、米国人有識者一般の世界観が見えてくる、といったところでしょうか。

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太田述正コラム#2753(2008.8.26)
<音楽の数学的分析>(2012.1.19公開)

1 始めに

 ずっと以前(コラム#454で)、「近代はことごとくイギリスの産物と言っていいのですが、唯一の例外がドイツの産物であるクラシック音楽、すなわち近代音楽です。近代音楽は、鍵盤楽器という特異な楽器と記譜法を持ち、平均率音階・和声法/対位法(和声(Harmony)の重視)等の特徴を有する、それまでの音楽に比べて格段に特異にして合理的な音楽であり、マックス・ヴェーバーの「音楽社会学」(邦訳。創文社1986年)がそのドイツにおける生誕の経緯を解き明かしています。」と申し上げたことがあります。
 既に約2,500年前、古典ギリシャ時代のピタゴラス(Pythagoras)が、鉄床等が単純な整数比の振動数で調和的な音を奏でると数学と音楽との関係を指摘していますが、上記のような合理的な音楽たる近代音楽生誕後、ライプニッツ(Gottfried Leibniz。1646〜1716年)は、「音楽とはわれわれの数学的資質(faculties)の無意識的行使である」と喝破しました。
 しかし、意外にも音楽の数学的分析が本格的に始まったのは最近になってからです。
 今回はこのことを取り上げることにしました。

2 幾何学的アプローチ

 第一が、数学者が言うところの商空間(quotient space)ないしバイフォールド(bifold)に係る幾何学(geometry)ないし位相幾何学(topology)・・順不同のコレクション(unordered collections)の幾何学・・を用いて音楽を分析しようとする試みです。
 このアプローチにおいては、近代音楽は究極的には諸異次元における点と線分のシリーズとして表されるのですが、残念ながらまだこの研究は2006年から始まったばかりです。
 しかし、一見全く異なった様式であるところの、ルネッサンス、古典、ロマン派音楽、ジャズ、ロック、及び他のポピュラー音楽は、上記幾何学的には極めて似た形で表すことができることが既に明らかになっています。
 ロマン派の作曲家のショパンなどは、当時の数学者達がまだきちんとは把握できていなかったところの、非ユークリッド高次元諸空間についての直感的感覚を有していたに違いない、ということになるのです。
 また、音楽理論と経済学の類似性を指摘する数学者も出現しています。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.seedmagazine.com/news/2008/07/the_shape_of_music.php
(8月23日アクセス)による。)

3 統計学的アプローチ

 第二が統計学的アプローチです。
 ジフの法則を言語の分野に応用したサイモンのモデル(Simon’s model for Zipf ’s law)(注)を音楽にも適用できるという研究が1980年代末から現れてきたのです。

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<脚注>(2012.1.19)
 「ジップの法則(Zipf's law)あるいはジフの法則とは、出現頻度がk 番目に大きい要素が全体に占める割合が1/k に比例するという経験則である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%89%87
-------------------------------------------------------------------------------

 (注)いかなる言語においても、特定の単語の出現頻度は、その順序の逆数に比例するという指摘。なお、研究の結果、「単語」を「単語とn-gram句の組み合わせ」に置き換えれば、この指摘は、少なくとも英語と北京官話については、正しいことが明らかになっている。(
http://en.wikipedia.org/wiki/Zipf%27s_law
http://www.aclweb.org/anthology-new/C/C02/C02-1117.pdf
。どちらも8月26日アクセス)
    n-gramについては、グーグル等の検索方式(
http://googlejapan.blogspot.com/2007/11/n-gram.html
。8月26日アクセス)をご存じの方にはお馴染みだろう。
    なお、同じ言語でも個人ごとに使用する「単語とn-gram句の組み合わせ」の出現頻度は微妙に異なるが、それが順序の逆数に比例する点では変わりがない。

 その結果文章を書くことと音楽を作曲することは、強い類似性を有することが明らかになったのです。
 (なお、この考え方は、遺伝子配列(genetic code)の分析にも応用できることが分かってきました。)

 (以上、特に断っていない限り、SCIENCE & MUSIC OPINION, NATURE|Vol 453|19 June 2008(バグってハニーさん提供)による。)

4 終わりに代えて

 米国の女性作家のエヴァ・ホフマン(Eva Hoffman)が、文章を書くことと音楽を(作曲ならぬ)演奏することの類似性を、彼女の経験に照らし、直感的に指摘しています。
 すなわち、彼女は文章を書くにあたって音楽がいわば雛形(template)となり、語彙と文法だけでなく、抑揚、リズム、及びその文章にふさわしい音楽性にも配意しているというのです。
 彼女は、ユダヤ系ポーランド人であり、青年期に両親とともに米国に移住し、10代においてはピアニストになることを目指し、その後作家に転身したという経歴の人物です。

 彼女が言っている他のこともご紹介しておきましょう。

 ウォルター・ペーター(Walter Pater)は「全ての芸術は音楽を模範としている」と述べた。
 自分は、ピアノの練習を通じ、軽々に興奮しないようにすること、間をとるべきこと、厳しい規律が逆に自発性を生み出すこと、何か、ないしは自分以外の誰かについて学ぶにあたっての努力と受容性(receptivity)の組み合わせの必要性、を学んだ。
 音楽の演奏にあたっては、肉体的、理性的、感性的能力の全てが駆使される。
 物理学者にして神経施療士(neurotherapist)たるオリバー・サックス(Oliver Sacks)は、音楽は重度の痴呆症状を治癒し、脳炎の予後の患者(post-encephalitic patients)の機能障害からの回復を助け、重度の記憶喪失患者もしばしば音楽の記憶だけは失わない、と指摘している。
 (以上、
http://www.guardian.co.uk/music/2008/aug/19/classicalmusicandopera.poland
(8月19日アクセス)による。)

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太田述正コラム#4908(2011.8.3)
<終末論・太平天国・白蓮教(その6)>(2011.10.24公開)

 [義和団の乱(Boxer Rebellion)] (1900〜01年)

 「飢饉などの天災により寄る辺をなくした民衆などは宣教師の慈善活動に救いを見出し、家族ぐるみ・村ぐるみで帰依することもあった。また当時中国の内部対立の結果社会的弱者となった人々も庇護を求めて入信し、クリスチャンの勢力拡大に寄与した。・・・義和団の母胎となったと言われてきた白蓮教徒も、官憲の弾圧から逃れるために、その一部がキリスト教に入信していた・・・。・・・
 外国人宣教師やその信者たちと、郷紳や一般民衆との確執・事件を仇教事件(・・・「教案」・・・)という。具体的には信者と一般民衆との土地境界線争いに宣教師が介入したり、教会建設への反感からくる確執といった民事事件などから発展したものが多い。1860年代から・・・見られはじめ、1890年代になると主に長江流域で多発するようになる。事件の発生は、列強への反感を次第に募らせていった。何故なら、布教活動や宣教師のみならず、同じ中国人であるはずの信者も不平等条約によって強固に守られ、時には軍事力による威嚇を用いることさえあったため、おおむね事件は教会側に有利に妥結することが多かったからである。地方官の裁定に不満な民衆は、教会や神父たち、信者を襲い、暴力的に解決しようとすることが多かった。・・・民衆の間には外国人は官僚より三等上という認識が広がっていった。
 こうした対立に、異文化遭遇の際に起こりがちな迷信・風説の流布が拍車をかけた。当時、宣教師たちは道路に溢れていた孤児たちを保護し、孤児院に入院させていたが、それは子供の肝臓を摘出し、薬の材料にするためだといった類のものである。
 仇教事件の頻発は、一般民衆の中に、西欧及びキリスト教への反感を醸成し、外国人に平身低頭せざるを得ない官僚・郷紳への失望感を拡大させたといえる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1

→日本や中共では、「義和団は、 太平天国における拝上帝会のようにその起源を単一のものに特定できない。そのためもあって白蓮教的な拳法に由来するという説と、団練という地方官公認の自警団に求める説とがある」としつつも、団練由来説が通説のようです。
 そして、これに関連し、「中国や日本では、欧米及び日本の帝国主義に反対する愛国運動という捉え方をするのに対し、アメリカなどでは闇雲に外国人を攻撃した排外運動という捉え方をしてい」ます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%A9%E5%92%8C%E5%9B%A3%E3%81%AE%E4%B9%B1 上掲 最後に、欧米の見解で記述されていると考えられる、「弥勒」に関する英語ウィキペディアの一節を紹介しておきましょう。(太田)

 「英語で、しばしば「和(調和的)拳会(Society of Harmonious Fists)」と呼ばれるところの義和団は、部分的に白蓮教(White Lotus Society)によって鼓吹された19世紀の格闘技セクトだった。
 「和拳」の構成員達は、欧米では、彼らが支那の格闘技を訓練したことから、「拳法者達(Boxers)」として知られるようになった。
 「1900年8月までに、230人の外国人、数万人の支那人たるキリスト教徒、そして数知れない数の叛徒達、シンパ、その他の無辜の第三者が混沌の中で殺された。
 1900年8月14日に20,000人の外国軍が支那の首都の北京に入城した時、この反乱は瓦解した。
 弥勒の名の下に遂行されたわけではないが、<(第二次)白蓮教の乱も義和団の乱も、>そのどちらの反乱も、叛乱的弥勒セクトたる白蓮教によって単独で、或いはその一部が白蓮教によって遂行された。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Maitreya 前掲

→このように、支那における弥勒下生信仰は、時代や国際環境が異なることから発現形態こそ違え、20世紀初頭において、6世紀の昔の身の毛のよだつ大乗に先祖帰りしたかのような醜悪な姿を、義和団として、今度は支那のみならず世界に対して、再び晒すことになったわけです。(太田)


 [三合会(Triad)]

 「三合会・・・は、香港を拠点とする幾数かの犯罪組織を総称する呼名である。地下社会や裏社会などという抽象的な意の言葉ではなく(これらを表す現地の言葉としては黒社会が適当なものである)、実体をもつ犯罪組織のネットワークを指していう、結社という意を表すものと解釈できる。英語圏においてはTriad(トライアド)あるいはTriad Societyと呼ばれている。・・・
 その発生は清の時代、清朝による支配に抵抗すべく結成された反体制的結社を源流とするといわれている。類似するものとして天地会(洪門)などが存在した。その目的は、漢民族の復権、すなわち清朝の打倒、支配層としての満州族の排斥、『漢民族による中国大陸』の奪還(明の復興)であった。こうした結社は中国大陸の諸地域に広がると同時に、多くのグループに分岐し続け、また多くの名前で知られることとなる。そのうちの一つが三合会であった。
 三合会という名称は、天、地、そして人という、三つの要素の調和を表すものとされた。そして三合会は自らの表象として三角形を利用した。・・・
 1949年に中国共産党が中国大陸における支配権を得ると、組織犯罪に携わる社会は厳しい法の締め付けにさらされることになる。三合会の成員は自らの活動を継続するため、中国大陸を南下、当時英国の直轄植民地であった香港への移動を開始した。・・・
 1970年時点で、香港警察のうちの実に三分の一の人間が黒社会の成員を兼ねている者かまたは黒社会と何らかの繋がりを持つ関係者であるという証言が存在した。・・・
 しかしながら、香港はもとよりマカオや中国大陸における反三合会勢力との苦闘のうちに、彼らの活動領域はしだいに狭められていったのであった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%90%88%E4%BC%9A

→ところが、英米等では、以下のように、文字通りの犯罪組織たるこの三合会もまた、白蓮教と関わりがあるもの、と捉えられているのです。(太田)

 「証明はされたことはないが、三合会諸組織が、白蓮教と呼ばれた革命運動の後継、ないしはもともとはその一部であった「可能性が極めて高い(highly probable)」。[2]
・・・
Reference 2. Triad Societies. page 4・・・Further reading Books Kingsley Bolton; Christopher Hutton (2000). Triad societies: western accounts of the history, sociology and linguistics of Chinese secret societies. Taylor & Francis.」
http://en.wikipedia.org/wiki/Triad_(underground_societies)

5 終わりに

 要するに、支那において、土着の無生老母信仰と結びついた弥勒下生信仰は、ランデスの言う、支那における千年王国的伝統を形作り、その中から、白蓮教系の様々なセクトや、白蓮教的なものが更に旧欧州由来のカトリシズムと結びついたところの太平天国が生まれ、それらのものを綜合的に咀嚼しつつ、更に新欧州由来の共産主義(スターリン主義)なる千年王国思想を取り入れて、中国共産党が生まれた、ということです。
 また、現在の支那世界の表を取り仕切るのが中国共産党であるのに対し、裏の世界を取り仕切るのが三合会であり、そのどちらも支那における千年王国的なものの現代版である、と見ることもできそうです。
 毛沢東の私党であったと言っても過言ではない、毛時代の中国共産党が、政権をとってから、特に身の毛のよだつような姿を現し、大躍進、文革等を通じて天文学的な数の支那人を虐殺したのは、支那の過去の千年王国的セクトが支那人等の虐殺を繰り返してきたことを思い起こせば、少しも不思議なことではない、ということにもなりそうです。

 このように見てくると、支那において自由民主主義を実現するためには、その遊牧民的要素に基づく自由民主主義的伝統に着目するだけでは十分ではないのであって、千年王国的伝統そのものを克服し、廃棄する必要があるので必ずしも容易ではない、ということになるのではないでしょうか。

 それにしても、日本の戦後の歴史学者達は、マルクス主義史観の呪縛の下にあることから、日本の戦前史を自虐的に歪曲する傾向があるわけですが、彼らの描く支那近現代史もまた、中国共産党迎合的に歪曲される傾向があるとすれば、日支両国、ひいては世界のために二重に遺憾なことである、と言わざるをえません。

(完) 

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太田述正コラム#4906(2011.8.2)
<終末論・太平天国・白蓮教(その5)>(2011.10.23公開)

 (4)白蓮教

   ア 序

 「白蓮教(びゃくれんきょう<=White Lotus>)は、中国に・・・宋代から清代まで存在した宗教。本来は・・・浄土教結社(白蓮宗)であったが、・・・当初から国家からも既成教団からも異端視されていた。それは、半僧半俗で妻帯の教団幹部により、男女を分けない集会を開いたからだとされる。・・・
 元代に、呪術的な信仰と共に、弥勒信仰が混入して変質し、革命思想が強くなり、何度も禁教令を受けた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%93%AE%E6%95%99
(7月29日アクセス。以下同じ)

 上に出てくる「呪術的な信仰」とは、以下のようなものです。

 「千年王国において、彼女の子供達全員を集めて一つの家族にするところの、「まだ生まれていない、あるいは永遠の、敬うべき母(無生老母)」信仰。
http://en.wikipedia.org/wiki/White_Lotus
 「無生老母(むしょうろうぼ)は明・清代以降、様々な民間宗教、宗教結社で崇められてきた女神」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E7%94%9F%E8%80%81%E6%AF%8D

   イ 紅巾の乱(Red Turban Rebellion)・・第一次白蓮教の乱

 「紅巾の乱(・・・1351年 - 1366年)は、中国元末期の1351年<(1352年?)>・・・に起こった宗教的農民反乱。白蓮教を紐帯とし、目印として紅い布を付けた事からこの名がある。反乱軍は紅巾賊または白蓮教徒が弥勒に焼香をするため香軍と呼ばれる。・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E5%B7%BE%E3%81%AE%E4%B9%B1
 「白蓮教の指導者の韓山童(Han Shantong)・・・の反満スローガンは、「この帝国はひどい混沌の下にある。弥勒仏が人の姿をとって(incarnated)、マニ教の光の王としてこの世に現れた」というものだった。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Maitreya 前掲

 「明の太祖朱元璋<(Zhu Yuanzhang)>も当初は白蓮教徒だったが、元を追い落とし皇帝となると一転して白蓮教を弾圧した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%93%AE%E6%95%99 前掲

 もう少し、詳しく、その経緯を説明すると以下のとおりです。

 「仏教僧で元少年乞食であった朱元璋が反乱に加わった。
 彼の傑出した知力は彼を反乱軍の頭目へと押し上げた。
 彼は、兵士達に、白蓮教の信仰を守って掠奪をしないよう命じた。
http://en.wikipedia.org/wiki/White_Lotus
 「<また、>自分の出自を・・・活かして貧民の味方という立場を打ち出し、元軍の中の徴兵された農民達を取り込んで勢力を増していった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%85%83%E7%92%8B
 1355年には反乱は支那の多くの地域へ波及した。
 1356年に朱元璋は、重要な都市であった<現在の>南京を占領し、・・・自分の首都とした。」
http://en.wikipedia.org/wiki/White_Lotus 前掲
 「1366年<には、>・・・朱元璋は方針を大きく転換し白蓮教と縁を切り、逆に邪教として弾圧するようになった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%85%83%E7%92%8B 前掲
 「<すなわち、現在の南京で>、彼は異端の信仰を放棄し、新しい王朝による支配を樹立する第一歩として、彼のために声明を発し、彼の名において天命宣下(Mandate of Heaven)の儀式を執り行うこととなる儒教の学者達の助力を勝ち得た。・・・
 1387年には、30年以上にわたる戦争の後、朱元璋は全支那を解放した。
 天命宣下と皇帝としての位を得、彼は・・・新しい王朝たる明を樹立した。」
http://en.wikipedia.org/wiki/White_Lotus 前掲

→外来の仏教に起源を持つ弥勒下生信仰の白蓮教を利用して自分の権力的野望を実現した朱元璋は、外来の共産主義(スターリン主義)を利用して自分の権力的野望を実現した毛沢東の原型と言えるのではないでしょうか。
 反外国スローガンといい、自分の軍に掠奪をさせず、貧民の見方を標榜した点といい、朱と毛は生き写しですね。(太田)

   ウ 白蓮教の乱(White Lotus Rebellion)・・第二次白蓮教の乱

 「<18世紀末>の<清>の人口は100年前が2億ほどだったのに対して4億を突破していた(全体的にみれば比較的平和な状勢が続いたこと、そして何より、この頃に新大陸原産の作物であるトウモロコシやサツマイモ、落花生などが導入され、農業生産が伸びたためである)。しかしその一方で農業耕地はわずか一割ほどしか増加しておらず、必然的に一人当たりの生産量は低下し、民衆の暮らしは苦しくなっていった。そうした民衆は匪賊となり、白蓮教を紐帯とすることで政府に対する反乱となった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E6%85%B6%E5%B8%9D

 「1796年(嘉慶元年)に湖北省で・・・白蓮教団<が>・・・反乱を起こした。これを契機として陝西省・四川省でも反乱が起こり、更に河南省・甘粛省にも飛び火した。
 白蓮教徒たちは弥勒下生を唱え、死ねば来世にて幸福が訪れるとの考えから命を惜しまずに戦った。この反乱には白蓮教徒以外にも各地の窮迫農民や塩の密売人なども参加しており、参加した人数は数十万といわれる。・・・1802年頃にはほぼ鎮圧された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%93%AE%E6%95%99%E5%BE%92%E3%81%AE%E4%B9%B1
 「白蓮教の乱(・・・1796〜1804年)は、・・・明らかに、反税闘争として始まった。
 白蓮教団(White Lotus Society)は、弥勒下生(advent of Maitreya)を予報し、支那土着の明王朝の復活を擁護し、従う者達に個人的救済を約束した。
 清政府は、和珅(Heshen)<(1750〜99年)(注9)>の統制下にあったが、叛徒達の組織がバラバラであったというのに、当初、鎮圧するのには不十分な規模の政府軍しか送らなかった。

 (注9)乾隆帝(1711〜99年。皇帝:1735〜96年。実権:1735〜99年)は、「中国におけるイエズス会の活動を禁止し、完全な鎖国体制に入ったことでのちの欧米の侵攻に対する清政府の抵抗力を奪ってしまった。・・・1795年、治世60年に達した乾隆帝は祖父康熙帝の治世61年を超えてはならないという名目で引退し太上皇となり、実権を手放さず、清寧宮で院政を敷いた。乾隆帝は和珅という奸臣を、引き続いて重用していた。和珅は嘉慶帝と他の臣たち全てに憎まれていたのだが、乾隆帝が生きている間はどうにも出来ず、宮廷内外の綱紀は弛緩した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%BE%E9%9A%86%E5%B8%9D

 1799年に実権を握った嘉慶帝(Jiaqing Emperor)(<1760〜1820年。>皇帝:1796〜1820年)は、和珅一派を粛清<(注10)>し、よりやる気のある満州族の司令官達に<政府軍の>規律と士気を回復させようとした。

 (注10)「和珅の息子に、乾隆帝の娘、つまり嘉慶帝の妹が降嫁していた為、<和珅は>族滅は免れた。和珅は絶望し自殺。その財産は没収された。財産は黄金150万両を含む、国家予算15年分に上った。当時の世界情勢から見て、和珅は世界一の富豪であったと考えられる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E3%82%B7%E3%83%B3

 体系的な平定計画が実行され、防御柵で囲まれた数百の村に再定住させられ民兵へと組織された。
 最終段階においては、清は、反乱ゲリラ一味の絶滅と脱走者への恩赦計画を組み合わせた鎮圧政策を追求した。
 この反乱は、清政府によって、最終的に1804年に鎮圧されたが、それは清王朝史の転換点となった。
 かくして、19世紀において、清の支配は弱体化し、繁栄は後退したのだ。
 この反乱で、約1,600万人が亡くなった。」
http://en.wikipedia.org/wiki/White_Lotus_Rebellion
 「清は何とか乱を乗り切った。しかし・・・満州族の軍隊が今では全く役に立たないことを暴露したことは、多数派の漢族に対する満州族支配に大きな不安を抱かせた。また反乱を鎮圧した郷勇が発展して、のちに曽国藩や李鴻章によって作られる軍閥となり、満州族の地位を危ういものとした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E6%85%B6%E5%B8%9D 前掲
 嘉慶帝の息子で次に皇帝となった道光帝(Daoguang Emperor。1782〜1850年。皇帝:1820〜50年)は、「その詔で、「民を<白蓮教の>反乱へと追い立てたのは、地方官吏による恐喝であった」ことを認めている。」
http://en.wikipedia.org/wiki/White_Lotus 前掲

→第一次の時と違って、第二次の白蓮教の乱は失敗に終わったわけですが、この二つの乱の様相は極めて近似していますね。
 それにしても、支那で乱が起こると、犠牲者の数は、いつも天文学的なものになるようです。(太田)

   エ その他

 [天理教の乱](1813年)

 「天理教・・・は、19世紀の中国(清代)の宗教秘密結社である。白蓮教の分派の一つであり、八卦教ともいう。白蓮教徒の乱が鎮圧された後に、その残党により結成された。・・・1813年に・・・北京及び河南省で蜂起したが、3ヶ月で鎮圧された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99_(%E4%B8%AD%E5%9B%BD)
 「天理教徒の乱では・・・、反乱軍に紫禁城にまで踏み込まれ、(癸酉の変)矢を壁に射立てられた(この跡は現在でも残っている)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%89%E6%85%B6%E5%B8%9D 前掲

(続く)

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太田述正コラム#4904(2011.8.1)
<終末論・太平天国・白蓮教(その4)>(2011.10.22公開)

4 白蓮教

 (1)序

 ランデスの言う、「<支那>土着の千年王国の様々な伝統」のうちの最有力なものが白蓮教です。
 白蓮教を理解するためには、まず、弥勒下生信仰について理解する必要があります。

 (2)弥勒下生信仰

 「小乗仏教(Theravada Buddhism)においては、菩薩(bodhisattva)は悟り(enlightenment。パーリ語ではArahantship)を得るために努力している人を指すのに対し、大乗仏教(Mahayana Buddhism)においては、菩薩は既に高次元の品格(grace)ないし悟りに到達しているけれど、他の人々を助けるために涅槃(nirvana)に入らない<(=成仏しない)>でいる人を指す。」(注5)
http://en.wikipedia.org/wiki/Maitreya

 (注5)菩薩に関する日本語ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E8%96%A9
は分かりにくい上、小乗蔑視的だ。

 「弥勒菩薩・・・、梵名マイトレーヤ<(Maitreya)・・・は仏教の菩薩の一尊である。・・・釈迦仏の化導を受け、未来において成道し、その時代の仏陀<(注6)>となるという記を与えられたという。・・・

 (注6)「<仏教では、>基本的には仏教を開いた釈迦ただ一人を仏陀とする。・・・悟りを得た人物を意味する場合は阿羅漢など別の呼び名が使われる。・・・しかして時代を経ると、・・・釈迦自身以外にも数多くの仏陀が大宇宙に存在している事が説かれた。例を挙げると、初期経典では「根本説一切有部毘奈耶薬事」など、大乗仏典では『阿弥陀経』や『法華経』などである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E9%99%80

 弥勒は・・・釈迦<仏>・・・の次に<仏陀>となることが約束された菩薩・・・で、<釈迦>入滅後56億7千万年後の未来に姿を現して、多くの人々を救済するとされる。それまでは兜率天<(注7)>で修行(あるいは説法)しているといわれ、中国・朝鮮半島・日本では、弥勒菩薩の兜率天に往生しようと願う信仰(上生信仰)が流行した。・・・

 (注7)「仏教では、六道(地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界)、また十界(六道の上に声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界を加えたもの)といった世界観がある。このうち、六道の地獄から人間までは欲望に捉われた世界、つまり欲界という。・・・ただし、天上界の中でも人間界に近い下部の6つの天は、依然として欲望に束縛される世界であるため、これを六欲天という。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%AC%B2%E5%A4%A9
 「兜率天・・・は、欲界における六欲天の第4の天部である。・・・これに内外の二院がある。外院は天衆の欲楽処にして、内院を弥勒菩薩の浄土兜率浄土とする。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C%E7%8E%87%E5%A4%A9

 弥勒信仰には、上生信仰とともに、下生信仰も存在し、中国においては、こちらの信仰の方が流行した。下生信仰とは、弥勒菩薩の兜率天に上生を願う上生信仰に対し、弥勒如来の下生が56億7千万年の未来ではなく現に「今」なされるからそれに備えなければならないという信仰である。
 浄土信仰に類した上生信仰に対して、下生信仰の方は、弥勒下生に合わせて現世を変革しなければならないという終末論、救世主待望論的な要素が強い。そのため、反体制の集団に利用される、あるいは、下生信仰の集団が反体制化する、という例が、各時代に数多く見られる。北魏の大乗の乱や、・・・宋・元・明・清の白蓮教が、その代表である。」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9

 (3)支那と日本における弥勒下生信仰の発現

 弥勒下生信仰の支那における最初の顕著な発現が大乗の乱です。

 「大乗の乱<(Mahayana Rebellion)>・・・とは、中国北魏の宗教反乱である。人を殺せば殺すほど、教団内での位が上がるという教説に従った殺人集団であり、その背景には弥勒下生信仰があるとされる。また、同時期に中国に伝来していたとされるマニ教によるとする説もある。・・・
 515年・・・、沙門の法慶<(Faqing)>が冀州<(Jizhou)>(山東省)で反乱を起こし、渤海郡を破り、阜城県の県令を殺し、官吏を殺害した。法慶は自らを「大乗」と称した。・・・その教えでは、一人を殺すものは一住菩薩、十人を殺すものは十住<(Tenth-stage)>菩薩<(注8)>であるという。また狂薬を調合し、肉親も認知できない状態にして、ただ殺害のみに当たるようにさせた。

 (注8)「『華厳経』及び『菩薩瓔珞本業經』では、菩薩の境涯、あるいは修行の階位は、上から妙覚、等覚、十地、十廻向、十行、十住、十信の52の位にまで分けられ<た。>・・・十住<は、>菩薩修行の位階である52位の中、第11〜20位まで。・・・あるいは菩薩の十地・・・<これは、>第41〜50位まで・・・を十住という説もある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E8%96%A9 前掲

 ・・・。凶徒は5万余人に及び、至る所で寺舎を破壊し、僧尼を惨殺し、経像を焼き捨てた。そのスローガンは「新仏が世に出んとす、旧魔を除き去れ」というものであったという。
 <やがて、>反乱<は>鎮圧・・・された。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%97%E3%81%AE%E4%B9%B1
 「<大乗は>「新仏」に言及したが、現在の学者達は<、この>反乱は「弥勒的」ではなかったと考えている。
 しかし、大乗は、「弥勒的」と主張して反乱を起こした後の宗教指導者達に影響を与えた。
 よって、この文脈の中で大乗の乱に言及することが重要だ。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Maitreya 前掲

 外来の大乗仏教を支那が継受して弥勒下生信仰が生まれ、それがデフォルメして、身の毛がよだつようなトンデモ宗派である、大乗が生まれたということです。

 他方、支那由来の弥勒下生信仰は日本ではどうなったのでしょうか。

 「日蓮宗では・・・個々人が「仏性(Buddha nature)」を持っていることから、・・・法華経(Lotus Sutra)を勤行することで、・・・一生の間に<その仏性を>顕現させることができる<、と考える>。
 <このような考え方は、>天から未来の仏陀が降臨してくるという<弥勒下生の>考え方とはしっくりこない。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Maitreya 前掲
 「日本でも戦国時代に、弥勒仏がこの世に出現するという信仰が流行し、ユートピアである「弥勒仏の世」の現世への出現が期待された。一種のメシアニズムであるが、弥勒を穀霊とし、弥勒の世を稲の豊熟した平和な世界であるとする農耕民族的観念が強い。この観念を軸とし、東方海上から弥勒船の到来するという信仰が、弥勒踊りなどの形で太平洋沿岸部に展開した。江戸期には富士信仰とも融合し、元禄年間に富士講の行者、食行身禄が活動している。また百姓一揆、特に世直し一揆の中に、弥勒思想の強い影響があることが指摘されている。・・・
 <ちなみに、>日本では七福神の一人として知られる布袋は、中国では、弥勒の化身・・・、下生した弥勒如来<であるとされる。>」

 すなわち、日本では、弥勒下生信仰は、敬して遠ざけられるか、温和化してしまったわけです。
 文明が異なる、というのはこういうことなのです。

(続く)

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太田述正コラム#4902(2011.7.31)
<終末論・太平天国・白蓮教(その3)>(2011.10.21公開)

3 太平天国(Taiping Heavenly Kingdom)

 (1)序

 では、以下の典拠等に拠って、太平天国とは何であったのかを押さえておきましょう。

A:http://en.wikipedia.org/wiki/Taiping_Rebellion
B:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E5%A4%A9%E5%9B%BD%E3%81%AE%E4%B9%B1
C:http://en.wikipedia.org/wiki/Hong_Xiuquan
D:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%AA%E7%A7%80%E5%85%A8

 (2)背景

 「清王朝の下の支那は、19世紀中頃、自然災害が頻発し、経済問題と西側諸大国への度重なる敗北に苦しめられていた。
 とりわけ、第一次アヘン戦争における1842年の英国への屈辱的敗北があった。
 清国政府は、民族的には満州族だったが、主として漢人であった支那の民衆の多くから、非効果的で腐敗した外国人支配者達であると見られていた。
 反満感情は南部の労働者階級において最も強く、これらの不満分子が、宋王朝の時に南部に移住した客家(Hakka)民族集団の一員であったカリスマ性のある夢想家の洪秀全の下に蝟集した。
 これら労働者階級は、最良の土地を獲得するには到着した時期が遅すぎた。
 そのため、彼らは恒常的に紛争に関わっていた。
 深刻な問題の一つは、女嬰児殺しが盛んに行われていたことであり、巨大な不均衡が出来し、女性不足は、太平天国の初期の中心地域において最も甚だしかった。」(A)
 「<教団>組織の拡大は、公権力やその土地の有力者との摩擦を生じさせた。・・・拝上帝会の成員の逮捕が相次ぎ、洪秀全はそれまでの宗教活動から政治革命へと踏み出すことを決意する。」(B)

→このような混乱の時代が、支那では、20世紀中頃まで続くわけです。(太田)

 (2)太平天国の乱(Taiping Rebellion)

 「太平天国の乱は、近代支那における最初の全体戦争だった。
 太平天国のほとんどすべての市民が軍事訓練を受け、徴兵され、清帝国軍と戦わされた。・・・
 この戦争は全体的なものだった。
 というのは、どちらの側においても、非戦闘員がかなりの程度戦争の営みに参加させられ、かつ、どちらの側の軍も戦闘員に対してだけでなく非戦闘員一般に対しても戦争行為を行ったからだ。・・・
 15年間にわたった乱の間の死者総数の最も正確な諸典拠は、それを戦闘員と非戦闘員合せて約2,000〜3,000万人としている。
 <ただし、>死の大部分は疫病と飢饉によるものだ。
 1862年に南京をめぐって行われた3回目の戦いでは、3日間で100,000人を超える死者が出た。」(A)

→日支戦争や国共内戦の時と同じですね。(太田)

 (3)太平天国の敗北理由

 「太平天国は外国人傭兵部隊とも戦わねばならなかった。上海の官僚と商人が資金を拠出して、西洋式の銃・大砲を整え租界にいた外国人を兵として雇用したのである。この軍はアメリカ人フレデリック・タウンゼント・ウォードを指揮官とし洋槍隊という名で発足した。翌年には、中国人を4,5千人徴兵し常勝軍と改名した。中国初の西洋風軍隊といってよい。ウォードの戦死後、多少混乱があったが、イギリス人チャールズ・ゴードンが指揮官に就任すると再び破竹の勢いを取り戻した。常勝軍の成功に倣い、各地に同様の軍隊がつくられた。常安軍や定勝軍、常捷軍がそれである。同じ中国人であっても洋式の軍隊装備をすれば強くなれる、ということを常勝軍は証明していた。この強さを目の当たりにした曽国藩らは以後軍隊の近代化に力を入れるようになる。つまり常勝軍は洋務運動の原点ともいえるのである。」(B)

→ざっくり申し上げれば、太平天国は、実質的に米英を敵に回したために敗北し、中国共産党は、名実ともに米英を味方につけたために、日中戦争及び国共内戦に勝利した、ということです。
 毛沢東は、この点についても、太平天国の前例から学習したのでしょう。(太田)

 (4)太平天国の特徴

  ア キリスト教の借用

 「洪秀全は農村の読書人の家庭に生まれ科挙及第を目指していたが、郷試に失敗し、特に25歳の時の3度目の失敗では失望感から病床についている。その病床で老人より現世の妖魔を取り除くべく派遣したとの幻覚を見る。しかし科挙に執着していた洪秀全は6年後の1843年春に再度郷試に臨むも落第した。この時梁発の『勧世良言』の影響を受けた洪秀全は孔孟の書を捨て、キリスト教へ改宗し儒生としての人生に終止符を打った。」(D)
 「太平天国は、洪秀全がイエスの弟であるとし、儒教、仏教、そして支那の民俗宗教をキリスト教の一形態で置き換えようとした。」(A)
 「1847年初め、洪秀全は広州に戻り教会で数ヶ月教義を学習し洗礼を求めたが、教会は教義に対する認識が不十分として拒絶した。」(D)
 「1847年に、洪は、米南バプティスト宣教師・・・に広州(Guangzhou)で2か月師事した。
 この時、彼はキリスト教の知識の大部分を得た。
 彼は、公式に旧約聖書を勉強した。
 その後で、洪は<この宣教師>に自分の興した宗派を維持することを助けてくれるよう求めたが、<この宣教師>は、(支那人達が経済的支援を得るためにキリスト教に改宗することに嫌気がさしていたことから、)彼に洗礼を施すことを拒否した。」(C)

→こうして、洪のキリスト教理解の誤りは正されないままになったわけですが、結局のところ、洪の宗派も、当時のキリスト教徒たる支那人同様、救済というよりは、現世利益を求めていた、と言えそうですね。
 後の中国共産党は、欧州由来のカトリシズムならぬ共産主義を借用し、無神論を標榜したわけですから、当然救済を求めたのではなく、現世利益を求めたわけであり、この点で、やはり太平天国と重なり合いますね。(太田)

  イ 最底辺階層たる蝟集者達

 「拝上帝会<(洪秀全のつくった宗派)>の参加者は、炭焼き・貧農・鉱山労働者・客家などの低階層が中心であった。郷里花県で成功せず、この桂平県で成功した大きな理由の一つに病調伏等の現世利益重視の布教がある。単なる宗教的熱意や倫理を説くばかりでなく、現在の生活でのメリットを強調することで・・・多くの信徒を獲得したのである。」(B)
 「社会的かつ経済的に、太平天国の叛乱者達は、大部分がもっぱら最底辺の階層出身だった。・・・
 帝国の官僚機構出身の指導者階層に属する太平天国軍要員はほとんどいなかった。
 地主はほとんど皆無だったし、占領地では地主達は、しばしば処刑された。」(A)

→この点でも、後の中国共産党とほとんど同じですね。(太田)

  ウ 対女性政策の「近代性」

 「太平天国の社会編成は軍事的な色彩を帯び兵農一致が原則であった。たとえば決起直後から男女は夫婦といえど別々の集団に分けられていたが、天京<(太平天国は南京を首都とした)>においてもそれは継続された。ただ天王以下首脳部は例外で、庶民には一夫一婦制を求めながら、旧約聖書における一夫多妻を理由に多数の妻女をもっていた。実際には中国皇帝の後宮制度に影響を受けたものであろうが、こうした王と庶民との格差に不満が高まり1855年に男女を分かつことは廃止され、新占領地でのみ実施された。
 この他、纏足も禁止された。元々客家出身が多い太平天国では纏足の習慣がなかった上に、戦闘において女性も輸送等の重要な役割を担っていたことが、纏足禁止令を出した理由である。この纏足の禁止や売春の禁止、女性向けに科挙を実施したことから、太平天国では男女平等を理念としていたかのように見える。しかし実際には女科挙合格者が重用されなかったり、後に濫発された王位に一人の女性も含まれてなかったことから判るように、男尊女卑的な考え方が払拭されることは無かったといえる。」(B)

→中共の男女平等政策と毛沢東の女狂いは、太平天国と洪秀全のカリカチュアであると言いたくなるほどです。(太田)

  エ 軍の規律・士気の高さ

 「軍は流賊的ではあったが、集団の性格は通常の流賊とは大きく異なっていた。匪賊を吸収しても軍内の規律は厳正で高いモラルを有していた。少なくとも南京建都まではその傾向が強かった。
 たとえば略奪行為そのものは言うまでもなく、勝手に民家に侵入することすら禁止され、「右足を民家に入れた者は右足を切る」といった厳罰主義でもって規律維持に当たったといわれる。一方で清朝軍の方が賊軍らしく不正略奪行為を行なっていたという。
 また志気の高さも太平天国軍の特徴である。」(B)
 「先立つアヘン戦争で消耗し、またアロー号戦争をも同時進行で戦わなければならない正規軍は広大な国内に分散配置せざるを得ず、正面からぶつかる事も不可能な事態さえ起こった。そして、大衆を吸収して膨れあがった太平天国軍は清軍を何度も打ち破った。」(B)

→後の中国共産党軍(八路軍)を、文字通り彷彿とさせますね。(太田)

  オ 最高指導者の継受方式

 洪秀全が死ぬと、その子供の洪天貴福(Hong Tianguifu。1848〜64年。天王:6 June 1864〜18 November 1864)が後を継ぎます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hong_Tianguifu
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%AA%E5%A4%A9%E8%B2%B4%E7%A6%8F

→この点は、中国共産党は踏襲しなかったところ、以前申し上げたことがあると思いますが、私は、それは毛沢東が、エゴの塊であったからであり、彼がもう少し正常な普通の人間であったならば、北朝鮮と同じような、毛王朝が支那に出現していたとしても不思議ではなかった、と思っています。(太田)

 (5)太平天国の継承者たる中国共産党

 「中国国民党の創始者である孫逸仙は、太平天国の乱から霊感を得たし、支那の最高指導者の毛沢東は太平天国の叛乱者達を腐敗した封建制度に抗した初期の英雄的革命家達と賛美した。」(A)
 「毛沢東率いる共産主義者達は、一般に洪と彼の運動を、彼ら自身のものの先駆けとなった正統な農民蜂起であるとして称賛した。
 孫逸仙は、洪と同じ地域出身であり、少年時代から、自分自身と洪とを同一視し続けた。」(C)

→客観的には既に記してきたところから明らかですが、主観的にも、(中国国民党は、とりわけ創立時においては容共政党の最たるものであったこともあり、)太平天国は、中国共産党の前身であったと言ってもあながち過言ではない、ということです。(太田)

 (6)日本人の受け止め方

 「洪秀全が明朝の後裔ではないこと、キリスト教を信仰していることが伝わ<ると、>・・・前者は朱子学的な大義名分論と正統論の点で嫌悪感を与え、後者は島原の乱を想起させ、幕末の世論に影響を与えた。・・・
 江戸幕府<は>・・・<太平天国の乱の平定に関与したところの>英仏両軍に1千頭ずつ・・・軍用馬<を>・・・売却・・・<し>た(この前後の日本の輸出品の中には主力品である生糸や茶の他にイギリス・フランス軍のために用いられたと思われる雑穀や油などの生活必需品の輸出記録が目立っている)。
 ・・・太平天国への嫌悪感は、実際に乱を見聞した人々にも継承されていた。太平天国の末期にあたる1862年6月2日、幕府の御用船千歳丸というイギリスから買い取った船が上海に到着した。交易が表面上の理由であったが、清朝の情報収集が本当の任務だった。江戸幕府は、清朝の動乱や欧米列強のアジアでのあり方に深い関心を寄せていたのである。乗船していたのは、各藩の俊秀が中心で薩摩藩の五代友厚や長州藩の高杉晋作らがいた。乗船していた藩士の日記には太平天国について「惟邪教を以て愚民を惑溺し」、「乱暴狼藉をなすのみ」という表現がならぶ。」(B)

→カトリシズム(プロト欧州文明)への嫌悪感が、同時代の日本人の間に反太平天国意識を呼び起こしたことが分かります。
 このプロト欧州文明的なものへの嫌悪感が、後に欧州文明的なものへの嫌悪感へとつながり、ファシスト政党たる中国国民党や、とりわけ共産主義政党たる中国共産党への嫌悪感を戦間期の日本人の間に掻き立てることになるわけです。(太田)

(続く)

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太田述正コラム#4900(2011.7.30)
<終末論・太平天国・白蓮教(その2)>(2011.10.20公開)

 著者に対するインタビューでのやりとりもご紹介しておきましょう。

 「・・・欧米文化は基本的に終末論的だ。
 それは、最初の宣教師達が欧州の諸部族を改宗させるために北方にやってきた時に一緒についてきた。・・・
 千年王国主義は、十字軍やナチのジェノサイド的な激しさ(rage)から、<聖>フランシス(Francis< of Assisi。1181/82〜1226年
http://en.wikipedia.org/wiki/Francis_of_Assisi
>)<(コラム#1736)>やガンディーの途方もない(extravagant)愛に至るまで、人間のふるまいの最も高貴から最も下卑(base)に至るものを引き出す。
 もし我々が千年王国主義を理解しなければ、我々は、我々の文化の最も偉大なる諸熱情の一つである重要な(critical)要素を理解できないだろう。
 それは、強力で蠱惑的だ。
 そして、確かに、それは、信じ難いほど破壊的(subversive)であり、信じ難いほど危険だ。
 19世紀の支那で、村の学校の洪秀全という教師が、キリスト教のいくつかの小冊子を土着の千年王国の様々な伝統とを融合させて太平天国軍(Taiping Heavenly Army)を編成した。
 洪が地上に天国を建設しようと戦ったことで、最高3,500万人が死んだ。
 しかも、これ<だけの死者が出たの>は近代兵器出現前だ!
 私としては、ナチとボルシェヴィキもまた、世俗的終末論運動と理解されるべきだと主張したいところだ。・・・
 注目せずにはいられない(compelling)、我々の時代たる現代の世俗的な終末論的予言は、地球温暖化(Climate Change)と全球的聖戦(Global Jihad)だ。
 世俗的とは、私は、天国的ビジョンや古の文献よりも経験的証拠に立脚したものを指している。
 しかし、これらはなお、破壊と再生という終末論的脈絡(thread)に従い、千年王国的運動に変態(transformation)する準備ができている(ripe for)。・・・
 神学者で1520年代のドイツの農民戦争の指導者だったトマス・ミュンツァー(Thomas Muntzer)<(注3)>は、教育程度の高い男だった。

 (注3)1489?〜1525年。神学的には反ルターで親再洗礼派(Anabaptists)。「宗教改革史においては、ミュンツァーはしばしば無視される。プロテスタント史家達は、彼は短期間急進的であっただけだとする。ミュンツァーは、やがて社会主義者達によって、財の共有が実行される新しい平等社会を推進した点をとらえて、初期の階級闘争の象徴として取り上げられることになる。ミュンツァーの運動と農民叛乱は、フリードリッヒ・エンゲルスの・・・『ドイツ農民戦争(The Peasant War in Germany)』の重要な話題を形成した。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_M%C3%BCntzer

 支那の洪秀全もまた、信じ難いほど知的能力が高く、天才少年だったが、科挙についに合格できなかった。
 <科挙は>不合格率が98%の試験だったが、これにうまくいかなかった後、彼は、終末論的信条を抱懐するに至った。
 全球的聖戦の指導者達もまた、金持ちの家族出身の教育程度の高い男達だった。
 そして間違いなく、全球的聖戦は、絶対的な終末論的運動だった。
 それは、イスラム紀元1400年であったところの、1979年に開始された。
 その年にイランで革命が起こったし、自分をイスラム教の救世主であるマーディ(Mahdi)と自分自身で宣言した男によって率いられた蜂起がメッカで起こった。<(注4)>

 (注4)「1979年11月20日、サウディアラビア人の説教者のジュハイマン・アル=オタイビ(Juhayman al-Otaibi)に率いられた200人の武装イスラム教反体制派が<メッカの>大モスク(Grand Mosque)を占拠した。彼らは、サウディアラビアの王室は、もはや純粋なイスラム教を代表しておらず、マスジッド・アル=ハラム(Masjid al-Haram(聖モスク(The Sacred Mosque))とカーバ(Kaaba)<神殿>は真の信仰者によって保持されなければならないと主張した。叛乱者達は、何万人もの巡礼達を人質とし、バリケードをつくって大モスク内に立てこもった。攻囲戦は2週間続き、数百人の死者が出・・・た。最終的な攻撃を行ったのはパキスタン軍だった。<フランス軍チームが武器、兵站、作戦面で支援した。>」
http://en.wikipedia.org/wiki/Mecca#Destruction_of_Islamic_heritage_sites

 (・・・アルカーイダは終末とかマーディへの言及は行っていないが・・・?)
 彼らは、世の終わりについて語るという意味で終末論的ではない。
 しかし、彼らが千年王国的であることは疑う余地はない。
 1990年代に、アルカーイダは、欧米的全球化の写し絵のように、世界を乗っ取ることができると決定した。
 彼らは、イスラム法(Sharia)をあらゆるところで樹立しようと夢見、それをいかに追求するかについて、まず古い世界を破壊することによって地上に天国を樹立しようとしたわけであり、積極的に終末論的だった。
 これは、超近代的テクノロジーを活用した前近代的運動だった。・・・
 (聖戦運動は、今後どれだけ続くと思うか。ナチスのような、他の千年王国/終末論的集団の寿命(lifespan)は比較的短かった。ソ連のボルシェヴィキが真に血腥く千年王国的であったのは約30年間にとどまる。<また、>今現在、イランの体制は深刻な問題に直面しているように見える。これだって息絶えるのでは?)
 そうかもしれないが、今日の世界と過去の状況とは大きな違いがある。
 インターネットのおかげで、聖戦推進者達(jihadis)は潜在的志願者のはるかに大きな貯水池からメンバーを集めることができる。
 世界には12億人のイスラム教徒がいる。
 全球的聖戦は、無限に自己生成する潜在的可能性を持っている。・・・」
http://bigjournalism.com/dkalder/2010/01/24/we-are-we-so-in-love-with-the-apocalypse/

 要するに、著者は、太平天国は、キリスト教そのものの終末論的/千年王国的要素と、<支那>「土着の千年王国の様々な伝統とを融合させ」たものである、と主張しているわけです。

(続く)

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太田述正コラム#4898(2011.7.29)
<終末論・太平天国・白蓮教(その1)>(2011.10.19公開)

1 始めに

 支那の歴史における自由民主主義的要素をめぐる議論はこれまで、何度か行ってきたところですが、リチャード・ランデス(Richard Landes)の本、『地上の天国(Heaven on Earth)] の書評がウォールストリートジャーナルに載っていて、欧州の終末論の話の中に、太平天国の話も出てきた時、そういえば、支那の歴史における共産主義(スターリン主義)的要素を論じたことがないことに気付きました。
 そして、私が、支那の歴史には自由民主主義的要素がないわけではないと一方で指摘しながら、支那の歴史におけるスターリン主義的要素について論じるのを怠ってきたことを反省したわけです。
 以下、申し上げるのは、私の仮説です。
 もっとも、既にこの種の指摘がなされているとしても不思議ではありません。
 もしご存じなら、ご教示ください。

 なお、ランデスは、米ボストン大学の歴史学准教授であり、千年王国問題の専門家です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Landes

2 ランデスの主張
 
 終末論については、かつてかなり詳しくとりあげたことがあったかと思いますが、復習も兼ね、ランデスの主張をまずご紹介しましょう。

 「・・・<ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の>三つの一神教の宗教においては、終末論的啓示(apocalyptic revelation)はまことにお馴染みだ。・・・
 <しかし、>終末論的逆上(frenzy)は宗教分野にとどまらない。
 常識的理解が可能と見える世俗的世界においても<終末論は>その底に横たわっているのだ。・・・
 20世紀の最も血腥い何十年かにおいて、世界の広範な地域がマルクス主義ないしナチの千年王国主義(millennialism)に一身を捧げた人々によって統治された。・・・
 ランデス氏が「部族的(tribal)千年王国主義」と呼ぶものが、彼の主張によれば、アフリカのコサ(Xhosa)族<(注1)>の事例において観察できる。

 (注1)白人がやってきた当時に、(現在の)南アフリカの南西部に居住していた、バンツー系の言語を用いる部族。現在南アフリカに約800万人が住む。ネルソン・マンデラ、タボ・ムベキ(マンデラの次の南ア大統領)、デスモンド・ツツ(英国教会ケープタウン大司教でノーベル平和賞受賞者)がコサ族だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Xhosa_people

 この部族は、1856年に、若い預言者的少女によって、彼らの先祖達が彼らを白人から救い自分達の畜牛と穀物を過去の偉大な時代の水準へと回復してくれると説得された。
 この幸せな結果をもたらすためには、コサ族は、単に、魔法(witchcraft)を擲ち、畜牛を殺し、穀物を植えるのを止めればよかった。
 その予言が次々にはずれたことについては、コサが計画の全体をきちんと実行することに失敗したことに帰せしめられた。<(注2)>

 (注2)コサ族約40,000人が餓死し、その畜牛約400,000頭が殺された。ことのきっかけは、恐らくは白人が持ち込んだ疫病による、畜牛の大量死だった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Cattle-killing_movement#Xhosa_cattle-killing_movement_and_famine

 また、ランデス氏が「農業的(agrarian)千年王国主義」と定義づけるものは、19世紀央の太平天国の乱<(1850〜64年。後述)>によって例示される。
 預言者の洪秀全(Hong Xiuquan。1814〜64年。後述)は、自分自身をイエスの弟と解釈した。
 この千年王国的冒険と清帝国のそれへの対応が終わってみると、推定で2,000万人の支那人が殺されていた。
 終末論的思考が常にこういった恐ろしい(grim)勘定書を必然的に伴うわけではないとランデス氏は明言するが、それは歴史においてしばしば起こることであって(it does come freighted with history)、多くの人々が認めようとするよりもはるかに深刻な考慮に値する。・・・」
http://online.wsj.com/article/SB10001424052702303812104576440703134161980.html?mod=WSJ_Opinion_LEFTTopOpinion
(7月28日アクセス。以下同じ)

(続く)

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太田述正コラム#4884(2011.7.22)
<人間主義・唯一神・人権(その3)>(2011.10.12公開)

 なお、どうして韓国が「キリスト教」国家化したのでしょうか。
 それは、戦前から朝鮮半島にプロテスタントを中心にキリスト教の宣教活動行われ、戦後は韓国は米国の強い影響の下に置かれたからです。

 次に米国ですが、これは韓国等よりも話は簡単です。
 米国は個人主義社会であり、最初から家族的紐帯は壊れているのですから、米国が宗教教原理主義社会であることは当たり前である、ということです。
 では、どうして米国は「キリスト教」原理主義社会なのか?
 更に言えば、その米国が、「カトリック」原理主義社会でないのはなぜか?
 それは、北米大陸への初期移民に、反カトリックのキリスト教徒たるイギリス人が多かったからです。
 (いわでもがなですが、イギリスがキリスト教原理主義化しないのは、イギリスは、そのイデオロギーこそ個人主義であるものの、イギリス社会は、実は一貫して人間主義(的)社会であったからです。
 前出のジョン・ボウルビーのことを思い出していただきたいが、彼は中流の上の階級の家庭に生まれ、個人主義者たるべく育てられたけれど、恐らくは個人主義者にはなっていないはずです。
 市橋被告に殺害されたリンゼー・アン・ホーカーさんは、高卒の父親という家庭で育ったわけですが、彼女の両親は、これまで何度も来日する等、貯金と年金を娘の無念を晴らすために惜しげもなく散じて来ました。
http://www.bbc.co.uk/news/uk-england-coventry-warwickshire-14234404
 また、リンゼーさん自身、very gregarious な女性でした。(彼女の高校の元校長の言)(同上)
 gregariousとは、一般に、「集団を好む」、あるいは「社交的な」と訳されます
http://ejje.weblio.jp/content/gregarious
が、私言わせれば、人間主義的である、ということです。
 私には、イギリス人の中で際立って人間主義者であった彼女が、人間主義社会である日本が大好きで、日本にやってきた気持ちがよく分かります。)
 
 では、ブログからの引用を続けましょう。
 
 「米国立衛生研究所(National Institutes of Health)の脳スキャンによる諸研究は、被験者達が宗教に関する文章を読み聞かせられてそれに同意か不同意かを聞かれると、我々が他人との関係を取り結ぶ(negotiate relationships)という人間としての社会的ふるまいを処理する場合と同じ脳神経網が活性化する(engaged)ことを示した。・・・
 エール大学の心理学教授のポール・ブルーム(Paul Bloom)<(注8)>は、「人間は、しばしば、一緒に作業をした方がうまくいく(beneficial)と記す。

 (注8)1963年〜。カナダで生まれ、そこで大学を出てから米国へ。現在、エール大学の心理学及び認知科学の教授。
http://en.wikipedia.org/wiki/Paul_Bloom_(psychologist)

 つまり、他の個人達のいい点、ダメな点を評価することは<我々の>適応に資してきたということだ」と記す。
 画期的な研究において、彼とそのチームは、幼児達は、生まれた最初の1年に、何が悪くて何が良いか、だけでなく、何が公正か不公正かに係る生得の感覚<を持っているか>の<ような>外見(aspects)を示すことを発見した。
 登山をしている操り人形を見せ、その人形がもう一つの操り人形によって助けられるか妨害されると、赤ん坊達は助けている操り人形の肩を持つ。
 赤ん坊達は、ある意味、道徳的反応であるところの、評価的な社会的判断を行うことができるわけだ。
 ドイツのライプチッヒのマックス・プランク進化人類学研究所の共同所長のマイケル・トマセロ(Michael Tomasello)<(注9)>は道徳性と幼児に関する研究もやってきた。

 (注9)1950年〜。米国の発達心理学者で1998年から現職。
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Tomasello

 彼と彼の同僚達は、子供達に利他主義(altruism)の素地(capacities)があることを証明する多数の研究成果を生み出してきた。
 彼は、我々は生まれつきの利他主義者であるところ、生まれてから、戦略的利己心(self-interest)を学<び身に付けなけれ>ばなければならないのだ、と主張する。
 心理的な適応とメカニズムを超えて、科学者達は、その多くが神聖なる存在の証拠と解釈するところの、神経学的説明を発見してきた。
 脳の側頭葉(temporal lobe)を活性化する(stimulate)光景や音を遮断する「神のヘルメット」と彼が呼ぶところのものを開発した、カナダの心理学者のマイケル・パーシンガー(Michael Persinger)<(注10)>は、彼のヘルメットをかぶらされた被験者の多くが、「他者(another)」の実在(presence)の感覚を報告したことを記す。

 (注10)1945年〜。米国生まれの認知神経科学研究者で博士課程以降はカナダへ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Persinger

 自身の個人的歴史と文化的歴史に依拠しつつ、この被験者達は、次いで、この感覚した実在を、超自然的な象徴(figure)または宗教的な人物(figure)である、と解釈した。
 ダマスカスへの路上における聖パウロの劇的回心(St. Paul's dramatic conversion)<(注11)>は、実際には、側頭葉のてんかん(epilepsy)によっておこった発作(seizure)であったと想像することができるのだ。・・・」
http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-thompson-atheism-20110718,0,314031,print.story 前掲

 (注11)「熱心なユダヤ教徒の立場から、初めはキリスト教徒を迫害する側についていた。
 ダマス<カス>への途上において、「サウロ、サウロ、なぜ、わたしを迫害するのか」と、復活したイエス・キリストに呼びかけられ、その後、目が見えなくなった。アナニアというキリスト教徒が神のお告げによってサウロのために祈るとサウロの目から鱗のようなものが落ちて、目が見えるようになった(「目から鱗が落ちた」という言葉の語源)。こうしてパウロ(サウロ)はキリスト教徒となった。この経験は「パウロの回心」といわれ<るが、>・・・この事件はあくまでパウロ自身の主張にすぎず、使徒達や他の歴史的人物達からの証言は一切無いという意味でイエス・キリストの復活劇よりも信頼性に問題があるとの見方もできる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AD

3 終わりに

 ざっくり整理すると、こういうことになりそうです。

 人間は、遺伝子的に、狩猟採集社会に適合的であったところの人間主義者として生まれるが、(現存する狩猟採集社会はもとより、日本のように、例外的に農業社会になっても、更には工業社会になっても、人間主義社会であり続けた所を除く国や地域においては、)他人(大人)は人間主義者ではない・・ただし、イギリスを始めとするアングロサクソン諸国の場合は、人間主義者でないかのように装っているに過ぎない・・ことを知り、自分を守るために利己主義的に行動するようになる。
 しかし、利己主義的に行動する人間ばかりで構成される社会は安定せず、各個人としても不安で仕方がないので、当該社会に共通の倫理体系や共通の宗教が自ずと生成し、それが親や社会や国によって、各個人にインドクトリネートされるようになる。
 前者の倫理体系の典型が支那発祥の(家族の紐帯を核とする)儒教倫理体系であり、後者の宗教の典型が(キリスト教を始めとする)アブラハム系唯一神教である。
 そのどちらも、(既存の支配構造を正当化する)非人間主義的要素とそれと抵触しない限りにおける人間主義的要素を持つ。
 しかし、工業社会においては、科学的思考の普及等により、必然的に漸次、この種の倫理体系や宗教は衰えて行くため、科学の装いを施したところの、民主主義独裁イデオロギーが一時的にそれらにとって代わりえた社会を含め、非人間主義社会(=日本及びアングロサクソン諸国以外の国及び地域)は、一般に長期崩壊過程を辿ることとなる。
 ちなみに、人権観念は、非人間主義社会中のキリスト教を共通の宗教とするところの、欧州文明が、その農業社会から工業社会への移行期の初期に、イギリス社会の理想化を通じてつくり出したところの、硬直化した人間主義とでも形容すべき観念である。

 (皆さん、まだ粗削りなので、遠慮会釈なきコメントをどうぞ。なお、細かいことですが、「他人との関係を取り結ぶ・・・という人間としての社会的ふるまいを処理する場合と同じ脳神経網」は脳のどの部位なのか、どなたかご教示いただけるとありがたい。)

(完)

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太田述正コラム#4882(2011.7.21)
<人間主義・唯一神・人権(その2)>(2011.10.11公開)

 次に2番目のコラムです。

 「・・・我々には、愛着(attachment)への強力な渇望(need)をもって生まれる。
 このことは、ずっと前の1940年代に、精神科医のジョン・ボウルビー(John Bowlby)<(注4)>によって発見され、心理学者のメアリー・アインスワース(Mary Ainsworth)<(注5)>によって発展させられた。

 (注4)1907〜90年。英国の心理学者・精神科医・精神分析家。乳母によって育てられ、7歳の時に寄宿学校に入れられた。ケンブリッジ大学卒、ロンドンのユニバーシティー・カレッジ病院で医師となる。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Bowlby
 (注5)1913〜99年。カナダの発達心理学者。トロント大学で学士、修士、博士号取得。夫とともにロンドンに住んでいた頃に愛着理論を発展させた。その後は米国に居住、ヴァージニア大学で教鞭をとる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mary_Ainsworth

 個人の生存は、母親達を始めとする保護者達によって増進(enhance)させられる。
 愛着は生理学的に脳化学によって補強され、我々は、完全にそれ専用の神経網を生み出し維持している。
 保護者達への生来的(inborn)渇望は、宗教的指導者達や、より顕著には、神々等のありとあらゆる権威的存在(authority figures)への渇望へと容易に拡張される。
 神は超親となり、我々を保護してくれるし、死や遠く離れているために、我々にとってより形而下的な支援システムが消滅した場合ですら、我々のことを気にかけてくれる。・・・」
http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-thompson-atheism-20110718,0,314031,print.story

→ここで、一旦切って、私のコメントを加えたいと思います。
 この問題を考えるにあたって、日本における、いわゆる「アダルトチルドレン(Adult Children)」をめぐる論議が参考になります。(注6)

 「本来、親は子どもに無条件で愛情を注ぐものだが、親の愛情が無条件の愛ではなく、何らかの付帯義務を負わせる「条件付きの愛」であることが問題となる。これが継続的に行使される家庭では、子どもは親の愛を受けるために、常に親の意向に従わなければならず、親との関係維持のために生きるようにな<る。>・・・しつけには単純命令がつきものであり、命令なしに躾はできない。子どもにとって躾のステップは「親の命令に従う」→「命令の意味・理由の理解」→「社会規範の習得と道徳法則の理解」であり、これを幼児の散発的な欲望に、なかば逆らう形で導入しなくてはならない。親の立場からみた場合、面倒なあまり、命令に従わせることが目的化してしまった場合、子どもが道徳法則の理解までのステップが遠のくことになる。ステップを軽視してしまった場合、子どもの立場では単純な強要となる場合があり、子どもの理解度に注視続ける必要がある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%B3

 (注6)これが、米国由来の概念であるにもかかわらず、英語ウィキペディアでこの概念そのものを扱ったものが存在せず、「機能不全家族(Dysfunctional family)」に関する英語ウィキペディアの中で、これに類した話が出てくるにとどまっている
http://en.wikipedia.org/wiki/Dysfunctional_family
ことは興味深い。
 その理由だが、私には、日本では機能不全家族が少なく、従ってアダルトチルドレンも少ないため、アダルトチルドレン問題が精神障害に近い問題として取り上げられるのに対し、米国(や韓国)では、ほとんどの家族が多かれ少なかれ機能不全家族であって、従ってまた、ほとんどの人間がアダルトチルドレン的に人となるからではないか、という気がする。

 アダルトチルドレン問題を私の言葉に置き換えると、まず第一に、親が人間主義的ではなく、利己的に子供に接し続けると、その子供は、(規範が内面化されないまま、)誰かが常に命令してくれるか、外から規範が押し付けられない限り、正常な生活が送れなくなるところ、このような子が親になると、これがその子へと繰り返されて行く、ということでしょうか。
 そして、こういう人が大部分である社会が、例えば、米国であり朝鮮ではないのでしょうか。
 しかし、その米国と朝鮮とでは、人間関係の在り方が全く異なっています。
 実際、個人主義性向を見ると、日本を挟んで、米国と朝鮮(韓国)は対蹠的存在です。(注7)

 (注7)「オランダの社会心理学者ホフステード<の>分析<によると、>・・・個人主義性向<について、>・・・同じ基準で世界56地域で意識調査を実施し、指標で表した<(>100に近いほど個人主義的で、1に近いほど集団主義的<)ところ、>個人主義性向が最も強いのは米国(91)、最も集団主義的な国はグアテマラ(6)だ。韓国(北朝鮮除く)は18で、アジアの平均値24を下回った。中国は20、日本は46だった。」
http://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=137277&servcode=100§code=120

 先に、朝鮮についてですが、改めて朝鮮人とはどういう人々であるのか、ということを思い出させてくれたのが、俳優の高島政伸とモデルの美元の現在進行形の離婚騒動です。

 「・・・美元は父と兄ばかりでなく、親戚含め、家族の繋がりをとても大事に考えていた。苦労してきた分、恩返しをしていきたいとも思っていた。
 「新婚旅行の前に、家族全員で香港へ旅行に行ったり、父親やお兄さんの誕生日も盛大にお祝いしたり…もちろん、支払いは政伸さんだったと思います。・・・」
http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/story.html?q=postseven_26232
 「<美元は、>(帰化した在日朝鮮人)の父と韓国人の母の間に生まれ<た。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%85%83 

 これは、外地において、本国における人間の在り方が、より純粋な形で維持されることがある、という事例なのではないでしょうか。
 すなわち、在日朝鮮人の間では、今なお儒教倫理が支えているところの家族の紐帯が生きているのかもしれない、ということです。
 ところが、その本国では、家族の紐帯が弱まりつつあることから、(今更儒教倫理の再活性化は困難なので、)人間主義的ではないところの、その社会の安定性の確保が困難になったため、宗教やイデオロギーが活用されるに至っています。

 これが、朝鮮半島において、南では、キリスト教国家と化したかのような韓国(コラム#539、543、2338、2537)が生まれ、北では、特異な世襲民主主義独裁国家(コラム#1034)が生まれ、維持されていることの背景ではないか、と私は考えている次第です。

(続く)

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太田述正コラム#4880(2011.7.20)
<人間主義・唯一神・人権(その1)>(2011.10.10公開)

1 始めに

 私が、アブラハム系唯一神宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)をうさんくさい存在と見ていることは良くご存じだと思いますが、人権についても同じ思いなのです。
 (私は、これまで自由主義や法の支配に言及することはあっても、人権にはほとんど言及したことがないはずです。)
 それは、人権観念は、イギリスの法の支配・・コモンローにおける手続き的正義と渾然一体となった実体的正義の担保・・の観念を、コモンローを唯一神に置き換えることによって「普遍化」したものであるところ、そうである以上、人権観念を英米法系以外の法系の国や地域でかつ唯一神宗教が優位にある所には移植できない、ということにならざるをえないからです。
 また、そもそも、法の支配にも唯一神にも人間中心主義的バイアスがあって、自然や人間以外の生物がないがしろにされがちです。
 では、一体、どうすればよいのでしょうか?

 そのヒントを私に与えてくれたのは、世界人権宣言の第一条「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/1b_001.html
です。
 この前半は、冒頭に「イギリスでは」を挿入すれば意味が通りますし、歴史的にはそれが正解ですが、それではpolitical correctnessに反するばかりか、このような文書で謳う意味がなくなってしまうのでダメでしょう。
 結局、意味を通らせようとすれば、末尾に「ように神は人間をつくられた」を挿入するくらいしかないのであって、それが、実際のところ、暗黙の前提となっている、と考えられるのです。
 これが、私の独断でも何でもないことは、1776年の米独立宣言の冒頭近くの、次のくだりから明らかです。

 We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights・・・
 (太田仮訳:すべての男達が、彼らの創造主によって、平等に創られ、一定の不可譲の諸権利を贈られている、という真実は自明のことであると考える・・・。)(注1)
http://en.wikipedia.org/wiki/United_States_Declaration_of_Independence#Text

 (注1)この文書は、創造主(唯一神)という言葉を用いていること、peopleではなく(womenを除く)menを対象にしていること、の2点で、アナクロニズムの極地だ。
 (当然のことながら、創造主(唯一神)が男性であるだけでなく、ユダヤ教の預言者達、キリスト教のイエス、そしてイスラム教の預言者ムハンマドがすべて男性だ。)
 オーストリアで、先般、「、「偉大な息子たちの故郷」との一節がある同国国歌の歌詞に「娘たち」を加える改正」を行うことになった
http://www.47news.jp/CN/201107/CN2011071401000049.html
ことを想起されたい。

 しかし、やや過激に申し上げれば、神(唯一神)の存在など人類の過半が信じていない以上、前半はウソである、ということにならざるをえません。
 他方、この後半は、紛れもなく人間主義という、遺伝子的根拠のある本来的な人間の在り方の確認であり、非の打ちどころがありません。
 これを踏まえ、人類は、前半、すなわち人権観念ないしは唯一神観念を弄ぶのは止め、人間主義の確認と推奨一本に切り替えるべきだ、と私は考えるに至ったのです。

 この私の考えを裏付けるコラムが2本出ていたので、ご紹介しましょう。

2 コラム2本の紹介

 まず、最初のコラムです。

 「・・・ヒラリー・パットナム(Hilary Putnam)<(注2)>は、『生活の指針としてのユダヤ哲学(Jewish Philosophy as a Guide to Life)』の中で、見事に次のように述べている。

 (注2)1926年〜。父親は長らく共産党シンパ、母親はユダヤ人。米国の哲学者・数学者・コンピューター科学者にして米国で日本で言うところの進歩的文化人としての役割を果たし続ける。1965年から2000年までハーバード大学で教鞭をとる。奥さんも母親はユダヤ人で学者。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hilary_Putnam
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0

 「人間は誰でも、他人の貧困(neediness)、苦しみ(suffering)、脆弱性(vulnerability)を何とかせよと命ぜられている(commanded)ことを自覚する(experience)必要がある」と。
 しかし、パットナムの「命ぜられている」という用語に注目して欲しい。
 一体我々は誰によって命ぜられているのだろうか。
 この問いは、道徳的権威の源は誰なのか、あるいは何なのか、神か人間、宗教家倫理か、ということに帰着する。
 私は、それが大いなる差異をもたらすということを言いたい。・・・
 ジャック・ドネリー(Jack Donnelly)<(注3)>が『普遍的人権の理論と実際(Universal Human Rights in Theory and Practice)」の中で、「「伝統的(traditional)」社会は、一般に義務の精緻な体系、すなわち、人権<なる観念>とは全く無関係(independent of)であるところの、人間の尊厳、繁栄、あるいは福祉(well-being)の実現を図るための、正義、政治的正統性、そして人間的繁栄(human flourishing)、の体系を持っている」と述べている。
 これらの制度と慣習は、人権の異なった形態というより、代替物なのだ」と。・・・」
http://opinionator.blogs.nytimes.com/2011/07/17/the-sacred-and-the-humane/?ref=opinion
(7月20日アクセス。以下同じ)

 (注3)米国の政治学者で、専門は、国際関係論、人権論。現在は、デンバー大学教授。(米国の学者に関し、日本語のウィキペディアがあって英語のがない珍しい事例だ。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%83%BC

 ドネリーの言う、「伝統的(traditional)」社会が何を指しているのか、このコラムだけでは判然としませんが、それが(人間主義社会であるところの)狩猟採集社会であるとすれば、実によく腑に落ちます。
 すなわち、人間主義社会においては、人権概念は必要がないのです。

(続く)

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太田述正コラム#3585(2009.10.15)
<民主主義が機能する条件(その3)>

 (4)ホークスリーに対する批判

 「・・・<このホークリー>の論文は、アフリカの一部、アフガニスタン、中東・・ロシアも次第にそうなりつつある・・といった、御しにくく、一票を投じることが必ずしも平和、繁栄、そして進歩につながらないところの世界の地域から背を向けたい保守的なリアルポリティークの悲観論に利用されるのがオチだ。
 <しかし、そもそも、投票が、いつも適切な結果をもたらすなどとはどこの世界でも言えそうもない。>
 結局のところ、ヒットラー(Adolf Hitler<。1889〜1945年>)は、ドイツで過半の票を獲得した(注)のだし、<ジンバブエ>のロバート・ムガベ(Robert Mugabe<。1924年〜>)<大統領>は、彼が票を不正工作し始める前に容易に何度も再選を果たしているし、<旧ユーゴスラヴィアとセルビアの>スロボダン・ミロシェヴィッチ(Slobodan Milosevic<。1941〜2006年>)<大統領(当時)>は、欧州人たるイスラム教徒達を<ボスニアの>スレブレニッツアやコソボで殺害するために殺人者達を解き放ってからでも何度も再選された。・・・

 (注)これは誤り。
 ヒットラーは1932年3月の戦前のドイツ最後の大統領選でもヒンデンブルグ(<Paul von >Hindenburg<。1847〜1934年>)に次ぐ第2位だった
http://en.wikipedia.org/wiki/German_presidential_election,_1932
し、ヒットラーが首相になる前の1932年11月の総選挙でのナチスの得票率は33.1%だったし、その次の、戦前のドイツの最後の自由な1933年3月の総選挙でのナチスの得票率も43.9%だった。
http://en.wikipedia.org/wiki/German_federal_election,_March_1933 (太田)

 世界中で自分の国の人々を含む、イスラム教徒を最もたくさん殺したのはサダム・フセイン(Saddam Hussein<。1937〜2006年)>)<大統領(当時)>だった。
 確かに、イラクの民主主義は<当時も現在も>不完全だが、ジョージ・W・ブッシュの2000年11月の大統領選だって<最後は最高裁で決着がついたという意味では>不完全だった。
 <他方、>パキスタンの不完全な民主主義は、イスラム主義の過激な諸政党を敗退させた。
 <また、>インドの60年間の民主主義は大いに言祝がれているところだが、インドには、英国よりもたくさんの百万長者がいるけれど、サハラ以南のアフリカよりもたくさんの貧乏な人々がいるし、周辺諸国よりもたくさんの文盲がいる。
 それでも、インドの民主主義は、専制的なそのほかのいかなる体制よりも好ましいものだ。
 民主主義が向いていない人々がいるのはなぜかを説明するなめらかな絹のような声よりも、民主主義の無茶苦茶さ、泥沼、そして間違いの方が良い。
 念のために記せば、民主主義の推進には、自由なメディア、法の支配、非保護主義的な経済、そして何よりも教育、教育、教育、とりわけ少女達と若い女性達の教育への支援が必要だ。
 しかし、もしも21世紀においても、20世紀後半と同程度の民主主義の勝利が実現するとすれば、世界は、人類全員にとって、住む場所としてより良い所になるだろう。」(A)

3 終わりに

 20世紀の英米史を教えているジェラード・デグルート(Gerard DeGroot)は、
 「・・・民主主義は文化であり、それは学習されなければならない。
 欧州の人々でも、それを正しく運用できるようになる(get it right)まで何世紀もかかったこを思い出すがよい。・・・」(D)
と指摘していますが、私も同感です。
 
 私は、ホークスリーの、どちらかと言うと貧しい国では民主主義が機能しないという考え方・・デグルートもこの考え方を否定していないように思われる・・はとりません。
 ホークスリーの言う民主主義・・自由民主主義と言い換えた方がよい・・は、たとえ貧しくても、自由民主主義と親和性のある文化ないし文明を持っている国や地域であれば、機能し易いし、そうではない所では、たとえそれが豊かな国や地域であっても、機能し難い、ということだと思うのです。
 自由民主主義と親和性を持つ文化ないし文明とは、具体的には、「自由で責任ある報道機関、腐敗していない効率的な官僚機構、訴訟を解決し決定を行う独立した司法、規律ある警察と軍、強力な選挙管理委員会、銀行当局、そして教育、衛生、交通その他の当局」といった自由民主主義の基盤と親和性のある文化、文明です。
 そのように考えれば、自由民主主義国による長期間にわたる統治を受けることなくして、自由民主主義を継受させ、定着させ、機能させることが可能であるか否かは、それが、自らの文化、ないしは文明の中から、このような自由民主主義の基盤と親和性のある伝統を発掘でき、かつこの伝統に新たな生命を吹き込むことができる国や地域であるかどうかにかかっている、と言えそうです。

(完)

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太田述正コラム#3583(2009.10.14)
<民主主義が機能する条件(その2)>(2009.11.14公開)

  イ 20世紀末における試行錯誤

 「・・・1990年初頭におけるソマリアとルワンダにおける<国際社会の>任務は失敗に終わった。前者は速やかなる米軍の撤退によって、そして後者はジェノサイドによって。
 欧州が主導したボスニアへの軍事介入は千鳥足気味だった。
 しかし、1985年に米国が主導するようになり忍耐強く努力した結果、長期にわたる平和が構築された。
 同様に、1999年におけるコソボでの任務は成功だった。
 大事なことは、ボスニアとコソボの人々が最高の政府権力を自分達の中からではなくよそ者に委ねたことだ。
 銃声が途絶えてから15年近く経ったが、ボスニアの権力は、<今なお>国際的に任命された最高代表によって掌握されている。
 <また、>10年近くにわたって、コソボは国連によって運営されてきた。
 その2008年における独立宣言の後でさえ、権力の多くは依然EUの下にある。
 紛争当事者達の、一定期間、主権を国際的な力に譲ろうとする意思と軍事介入した機関や国の忍耐強い努力が成功にとって必須のように見える。
 まだ現在進行形の<他の>事例だが、西アフリカを見渡すと、2000年のシエラレオネへの軍事介入とその隣国のリベリアへの2003年の軍事介入は、戦争こそ止めたけれど、長期にわたる平和への十分な信頼を確保するにはまだ至っていない。
 民族的かつ宗教的な構成、貧困、腐敗、諸制度と諸インフラの崩壊、そして軍閥主義と暴力への傾向から、この二つの国は、失敗国家にいかに対処するか、そしてそれがそれぞれの国民の安全と福祉、ひいてはそれがより広い世界にいかなる影響を与えるかについて、重要なテストケースを我々に提供している。
 リベリア人とシエラレオネ人の大部分は軍事介入を歓迎し、戦闘を停止した。
 ボスニアとコソボと同じように、リベリア人は、その程度こそ小さかったけれど、彼等の主権侵害を受容した。
 リベリアと国際諸機関が発意した、ガバナンスと経済管理支援計画(The Governance and Economic Management Assistance Programme=GEMAP)は、外国人テクノクラート達に<同国の>政府の各省の予算統制権を与えた。
 その狙いは、腐敗が再建を阻害しないようにすることだった。
 <しかし、>GEMAPは、シエラレオネでは実行されなかった。
 そのため、<同国は、>緊急紛争予防から長期的国家建設への移行において、恐らく間違いなくより多くの問題に直面している。
 腐敗によって主要な病院では必須の薬品が引き続き欠乏したままだ。
 内戦が始まった、東部地域に通じるすべての道路は、<依然、>ほとんど通過不能だ。
 子供の兵士であった青年達は仕事がない。
 <これに対し、>リベリアでは、大部分の病院で薬品類の在庫は十分だ。
 <同国では、>遠隔地における法律家達や行政官達も、欧米の最高の大学のいくつかで訓練を受けてきた。
 <また、同国の>役人達は、人々が正確に何を欲しているかを決定するために草の根に分け入ることを躊躇してこなかったのだ。・・・」(F)

  ウ 対テロ戦争と民主主義

 「・・・<2001年>9月11日の<同時多発テロ>攻撃は、<米国を>アフガニスタンへの軍事介入に駆り立てたが、この攻撃はタリバンが運営していたアフガニスタン政府からのものではなく、そこで聖域を与えられていたオサマ・ビン・ラディンからのものだった。・・・
 というわけで、8年前から、失敗国家を方向転換させる第一次的必要性は、人道的目的から安全保障へと変化している。
 しかしながら、そのためにやらなければならないこと自体は変わっていない。
 それは、人々の生活水準を一定以上に向上させることによって、彼等が自分達の社会を破壊するよりも建設することによってより良い未来を展望できるようにすることだ。
 そのためには、長期にわたる苦労という形のコミットメントを行わなければならない。・・・」(F)

 「ウサマ・レーダ(Usama Rehda)は、バグダッドに住む写真家だ。
 同市をかけめぐって自分の商売に精を出すことは、自爆テロは言うに及ばず、盗賊、強奪者、狙撃手の試練に遭うことを意味する。
 彼は、かつてサダム・フセインを侮蔑していたけれど、この独裁者の下での生活の方が楽であったことを認めている。
 「みんなが何と言っているか知ってるかい」と彼はある同僚に辛辣に言明した。
 「米国人達に良い子にしてないと、連中はお前達に民主主義を押しつけるという刑罰を与えるぜ」と。・・・」(D)

 「・・・元の駐アフガニスタン米大使のザルメイ・ハリルザド(Zalmay Khalilzad)は、現在行われているアフガニスタンの選挙は、この国を更に不安定化し民族的分裂を悪化させる恐れがあると警告してきた。
 これまでのところ、彼が間違っているという証拠はない。・・・
 これらの失敗国家において真に必要なことは、良いガバナンスと諸制度を建設するスタミナだ。
 それには、自由で責任ある報道機関、腐敗していない効率的な官僚機構、訴訟を解決し決定を行う独立した司法、規律ある警察と軍、強力な選挙管理委員会、銀行当局、そして教育、衛生、交通その他の当局であり、そのすべてがそれぞれ責任を負わなければならない。
 それができるようになるには、何十年もかかるのだ。・・・」(F)

(続く)

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太田述正コラム#3581(2009.10.13)
<民主主義が機能する条件(その1)>(2009.11.13公開)

1 始めに

 英BBCの記者のハンフリー・ホークスリー(Humphrey Hawksley)が 'Democracy Kills: What’s So Good About Having the Vote?' という「物騒な」本を上梓しました。
 ある意味で、これは永遠のテーマですが、この本の書評やホースリー自身のコラムを通じて、本件についての最新の議論をご紹介しましょう。

A:http://www.ft.com/cms/s/2/976b77ae-aee3-11de-96d7-00144feabdc0.html
(10月6日アクセス)
B:http://www.erichkofmel.com/2009/09/book-democracy-kills.html
(10月12日アクセス。以下同じ)
C:http://www.thisislondon.co.uk/standard/article-23738524-rush-into-democracy-and-you-rue-the-results.do
(本人によるコラム)
D:http://www.csmonitor.com/2009/0915/p09s02-coop.html
E:http://www.humansecuritygateway.com/showRecord.php?RecordId=30656
F:http://www.dailytimes.com.pk/default.asp?page=2009%5C08%5C24%5Cstory_24-8-2009_pg3_5
(本人によるコラム)

2 民主主義が機能する条件

 (1)かつての常識

 「19世紀末、保守党の首相であるソールズベリー卿(Lord Salisbury)が、彼は「ホッテントットに投票権などやらないのと同様、アイルランド人にもやらない」と記したことはよく知られている。・・・」(A)

 「・・・冷戦中、米国は海外の暴虐なる独裁者達を政治的安定に資するためと称して支えた。・・・
 1979年に退けられた、ニカラグアの暴虐なる独裁者のアナスタシオ・ソモサ(Anastasio Somoza<。1925〜80年>)・・・悪い奴で嘲笑されるべき人物だ・・・は、ある時一人の記者に、「米国における自由と同種のものをニカラグア人達にも与えたいと私は思っている。
 しかし、それは赤ん坊にするようにやらなければならない。
 まず、ミルクを数滴ずつ与える。それから次第に分量を増やして、今度は豚肉を小片をやる。そして最終的に何でも食べさせる。…
 連中には自由の使い方を教えなきゃならないのさ」と語った。・・・」(D)

 <このように、民主主義は限られた国だけで機能する、というのが、かつての世界における常識だった。>

 (2)原理主義的民主主義・市場経済論

 「・・・ところが、1989年以降は、<以上>とは対照的に、米国は、自国と似た政府をつくりだすことで発展途上諸国を安定化させようと試みてきた。・・・」(D)

 「長年にわたって欧米の諸政府は、自由市場経済と民主主義政府の組み合わせを通して長期的繁栄と政治的安定を達成するのが唯一の方法だと執拗に主張してきたのだ。・・・」(B)

 (3)ホークスリーの見解

  ア 総論

 「・・・しかし、今やあらゆる証拠が、このような議論は欠陥があり、戦争、疾病、及び貧困の直接的原因たりうることを指し示している。
 パキスタンからジンバブエまで、パレスティナ地域から昔のユーゴスラヴィアまで、そしてグルジアからハイチまで、選挙を通じて民主主義を打ち立てようとする試みは高い水準の腐敗と暴力を生み出してきた。
 これらの国の議会は、幅広い選挙民を代表していたのではなく、既得権を代表していたし、鳴り物入りで憲法が書かれたけれど、それが守られることはほとんどなかった。・・・」(B)

 「・・・「投票権を持つことにどんないいことがあるというのだ」<という問いかけに>・・・英国、日本、及び米国で答えるのははむつかしいことではない。
 しかし、発展途上の世界では、民主主義の効用をこれだと答えることは容易ではない。
 例えば、<アフリカの>象牙海岸では、民主主義とその相棒である自由市場経済は政治的不安定と経済的廃墟をもたらした。
 カカオの生産者達は、・・・さんざん悪口を言われた独裁者たるフェリックス・ウーフエ=ボワニー(Felix Houphouet-Boigny<。1905〜93年>)がこの国を統治していた<(E)>・・・30年前とキロあたりで同じ金額しか支払ってもらっていない。<この間、>チョコレート板の価格が4倍にもなっているというのに・・。・・・
 証拠が示すところによれば、発展途上世界を民主主義化しようとすると、内部的な緊張がはるかに悪化する。
 イラクでそうなったように、現実にはしばしば投票は、古からの様々な敵意が噴出する新たな場を提供する。
 票を投じることが<あたかも>援助の代替物<のよう>になってしまった。・・・
 理屈はまことに結構なのだが、実施されると、それはしばしば、貧困、疾病、搾取、そして殺人を促進する。
 民主主義が貧困と混ざり合うと、その結果はしばしば、文字通り爆発を引き起こす。
 オックスフォード大学の学者であるポール・コリアー(Paul Collier)は、『戦争、銃と票(Wars, Guns and Votes)』の中で、この不安定な化学を説明する公式を提唱した。
 彼は、年2,700米ドルの一人当たり所得が分岐点であると信じている。
 この水準未満だと民主主義が根を下ろすことは困難だというのだ。・・・
 私は、これに加え、健全な公的教育制度が<民主主義の>不可欠な前提条件であると言いたい。・・・
 第二次世界大戦後のドイツと日本の経験が教訓となる。
 米国は、戦争が終わるかなり前から<この両国の>再建について計画しており、政治改革は包括的な経済発展を伴っていなければならないことを認識していた。
 その種の時間をかけた教育(mentoring)と管理・・カネについては言うまでもないが・・が<、独日両国について、>当時不可欠のように見えたというのなら、どうしてはるかに短気で、お粗末な計画のやり方が、無限により複雑な諸問題を抱えるアフリカや中東で<米国によって>とられたのだろうか。・・・」(D)

 「・・・警察や司法といった機関が腐敗していて弱く、インフラが整っていないのに、完全な主権国家としての選挙を行うのは危険極まりないのであって、そんなことをすれば、しばしば民族的、種族的、そして宗教的な諸コミュニティーの間での暴力を誘発してしまう。
 ・・・余りにも多くのアフリカ人達がより貧しくなり、疾病と暴力のサイクルへの囚われ人となってしまった。
 わずか半世紀ちょっと前まで、それ自身が戦争国家か失敗国家の寄せ集めであったところの、欧州において用いられたものを含め、うまく行くことが検証済みのやり方があるのだ。
 連合国は、第二次世界大戦後、ドイツに主権を返還するまで10年かけた。
 また、現在でさえ、国際コミュニティーは、15年近く前に民族的内戦が終わったボスニアの支配(control)を維持している。
 東アジアでは、日本が米国の支配の下に7年間置かれ、爾来この地域は全体として、民主主義的政府ではなくもっぱら専制的政府の下で経済面で先陣を切ってきた。
 台湾と韓国は、世界に対し、暴力を伴わずにいかに独裁制から民主主義に移行するかを示した。
 しかし、それは数年ではやりとげられたのではなく、何十年もかかったのだ。・・・」(C)

(続く)

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太田述正コラム#3421(2009.7.27)
<過激派はどうして生まれるのか(その2)>(2009.8.28公開)

 「サンスティーンが引用する証拠・・その中には彼自身による研究も含まれている・・の一つが、あの評判の悪いスタンフォード大学における監獄実験<(コラム#364)>だ。
 かなりの数の学生達がランダムに「看守」として選ばれたところ、最終的に彼等の「囚人達」に対し、残忍な仕打ちをするに至ったというわけだ。
 サンスティーンは、「多分我々全員が、一定の状況下では残虐行為を犯す」と結論づける。
 実際、我々全員が非合理的になりうるのだと彼は示唆する。
 直接理性に訴えることでさえ時間の無駄ということになりうるのだ。
 サンスティーン自身が言うところの「とりわけ不快な発見」は、「人々の誤った信条はそれが誤っていることを示されると実際には強化されるということがありうる」、ということだ。
 これはぞっとするような話であり、独裁者達がどうしてあれほどもひどい悪しき諸決定を下すのか、どうしてヒステリーと熱中が広がってしまうのか、どうして諸市場が理論通りには実際には機能しないのか、どうして諸企業がつまずくのか、を説明するのを助けてくれる。
 しかし、この本は、サンスティーンの楽観的側面もまた、示している。
 一つには、諸集団の過激な諸見解は常に悪く間違っているというわけではないというのだ。
 「人々が彼等の権利を追求している場合は、集団分極化は極めて望ましいことだ」とサンスティーンは指摘する。
 「それは米国における奴隷制廃止運動を助けた。それはアパルトヘイトと共産主義の瓦解をもたらすことも助けた」と。
 サンスティーンはまた、ねじ曲がった(wrongheaded)諸見解は正されうると信じている。
 そのための方法の一つは、権力の座に、謙遜、好奇心、そしてオープンさを持つ人物をつけることだというのだ。
 もう一つの方法は、費用便益分析(cost-benefit analysis)から導き出される事実に依拠することだというのだ。
 「職場の安全、身体障害者の権利、国家安全保障、アファーマティブアクションに係る厳しい議論は、…一つのアプローチと他のアプローチがそれぞれいかなる結果をもたらすかを理解することでより冷静なものになりうる」と彼は主張する。・・・」
http://www.businessweek.com/print/magazine/content/09_19/b4130069169557.htm

 「反対者が集団を去った場合は、残った者達の単細胞さ(single-mindedness)が増幅される。
 他方、<反対者が集団に残った場合は、>多数派の見解を裏付けるものとして<(=反面教師として)>取り扱われる。・・・
 サンスティーンは、ミルグラム(Milgram)<実験(コラム#1303)>とスタンフォード大学での監獄実験を彼自身の業績の前駆的なものとしてあげる。
 一番目の実験は、仮に十分に権威のある人によって命じられれば、人々は、殺害さえも含むところの、異常な部類に属す行動をとっても決して不思議ではないことを示した。
 二番目の実験は、人々は役割・・この場合は囚人の看守・・を与えられるという単純な方法でほとんど瞬時に残忍になることを示した。
 1970年代から80年代にかけて一世を風靡した、集団的思考(groupthink)なる理論もあった(注1)。

 (注1)スタンフォード・ビジネススクールの必修科目の組織行動論(Organizational Behavior)の授業で、アーヴィング・ジャニス(Irving L. Janis)の'Victims of Groupthink: A psychological study of foreign-policy decisions and fiascoes'
http://www.amazon.com/Victims-Groupthink-psychological-foreign-policy-decisions/dp/0395140447
を読まされたものだ。(太田)

 この理論は、諸集団は、反対意見の孤立化、否定、そして抑圧によって、一見明白にひどい諸決定を下すことがありうることを示した。
 一つの例は、ジョン・F・ケネディ大統領によるキューバ侵攻だ。
 客観的評価を、それがいかなるものであれ行っていたとすれば、そんなことは愚行だという結論が出ていただろうに・・。(注2)

 (注2)やはり、上記の授業で、後に映画化もされた、アーサー・シュレシンジャー(Arthur Meier Schlesinger)の'Thirteen Days: A Memoir of the Cuban Missile Crisis'
http://www.amazon.co.jp/Thirteen-Days-Memoir-Missile-Crisis/dp/0393318346
を読まされたものだ。
    これらの本は、政治学科の課題図書として指定されていても不思議ではない内容の本であり、私は1974〜76年にビジネススクールと政治学科に学んだ結果、組織管理や政治における行動科学(behavioral science)的アプローチの重要性を叩き込まれた。(太田)

 サンスティーンは、集団分極化は、極めて集団的思考に近いことを認める。
 しかし、なるほどと言うべきか、彼は、集団分極化は<集団的思考>より強力であると言う。
 なぜなら、彼は、集団分極化は、実験に基づく研究によって支えられていて、統計的証拠に立脚した検証可能な諸予測を行うことができるからだと言う。
 そうだとしてどういうことになるのか?
 お馴染みのことだが、最もナウな話題と言えばインターネットだ。
 <インターネットの世界は、>競い合う様々な声の一見夥しく多様な風景を提供しているようだが、人々は、明らかにそれを彼等の様々な確信を補強するために用いている。
 これが「サイバー・バルカン半島化(cyberbalkanisation)」を生み出す。
 すなわち、インターネット利用者達は、致命的なまでに集団分極化に陥りやすい特別利益集団を形成するのだ。
 これに対して、新聞は、我々の様々な偏見をゆるがすものに容易に出会うことができるところの、サンスティーンが「思わぬものを偶然に発見する能力の構造(architecture of serendipity)」と呼ぶものを提供するのだ。・・・」
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article6543005.ece?print=yes&randnum=1248514933671 

3 終わりに

 過激派はどうして生まれるのかというテーマとはちょっとずれますが、行動科学を身につけたサンスティーンのような法律学者が米国の行政府に入って規制行政全般の評価を行う、という事実に注目して下さい。
 このように、最先端の社会科学が行政に適用され、その結果が社会科学にフィードバックされ、こうして社会科学も行政も不断の進化発展を遂げていく、ということが、米国では、というかアングロサクソン世界では日常的に行われているのです。

(完)

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太田述正コラム#3419(2009.7.26)
<過激派はどうして生まれるのか(その1)>(2009.8.27公開)

1 始めに

 キャス・サンスティーン(Cass R. Sunstein。1954年〜)は、ハーバード大学の憲法・行政法の教授であり、彼は、シカゴ大学ロースクールの教授をやっていた時にオバマが同僚であった縁で、近々、米連邦行政管理予算局の情報・規制部・部長(director of the Office of Information & Regulatory Affairs (OIRA) in the Office of Management & Budget)に就任する予定です。
 彼の最初の奥さんは、互いにハーバード大学の学部学生であった時にキャンパスで出会ったところの、現在シカゴ大学の英語・英文学教授をやっている女性であり、彼女と別れてからの彼の事実婚の相手は、現在シカゴ大学の哲学者・古典学者にして法律学教授であり、また、彼が昨年結婚したばかりの2番目の奥さんは、ハーバード大学の公共政策の教授サマンサ・パワー(Samantha Power)である、というわけで、彼の歴代のパートナーの凄さは驚きです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Cass_Sunstein
 ちなみに、パワーは、ジェノサイドと人権問題の専門家であり、先般の大統領選挙の際、オバマの選挙参謀の一人だったのですが、ヒラリー・クリントンのことを「モンスター」と呼んだために辞任を余儀なくされています。
http://www.ft.com/cms/s/2/429b4e2a-7261-11de-ba94-00144feabdc0.html
(7月24日アクセス)
 このサンスティーンが、このたび、新たな著書、'Going to Extremes: How Like Minds Unite and Divide' を上梓しました。
 書評を下に、その内容をかいつまんでご紹介しましょう。

2 集団分極化について

 「サンスティーンは、・・・「集団分極化(group polarization)」という現象について論じる。
 諸研究が示すところによれば、特定の案件について穏健な見解を抱いている人は、議論の後には、その見解がより強固になる。
 このことが、テロ、陰謀論、イラク侵攻決定、地球温暖化否定、その他様々な現代における病のよってきたるゆえんを説明することに資する、とサンスティーンは断定(posit)する。・・・」
http://www.guardian.co.uk/books/2009/jul/10/going-extremes-cass-sunstein-review
(7月25日アクセス。以下同じ)

 「・・・1930年代のファシズムの勃興、1960年代の学生過激主義の出現、1990年代のイスラム・テロリズムの増加、1994年のルワンダにおけるジェノサイド、元ユーゴスラヴィアであった地域やイラクにおける民族間紛争、<イラクの>アブグレイブ牢獄における米兵達による<捕虜に対して>拷問と屈辱を与える行為、2008年の米国における金融危機、イスラエルないし米国が2001年9月11日の攻撃について責任があるとする世界のいくつかの場所において広く流布している話、だって、すべて<集団分極化に>関係しているのかもしれないのだ。・・・」
http://www.spectator.co.uk/print/the-magazine/features/3731248/to-become-an-extremist-hang-around-with-people-you-agree-with.thtml

 「・・・宗教組織、企業の取締役会、投資クラブ、ホワイトハウスの役人達、といった様々な集団に<集団分極化論>はあてはまる。
 サンスティーンは、リベラルが集まってアファーマティブ・アクションについて議論をすると、最終的にはこれをみんながより一層支持するようになるし、保守主義者達が同性同士の結婚について集まって議論するとそれについて懐疑的になる、という自分がやった研究を紹介する。
 裁判所、ラジオ局、チャットルームのように、同じような考えの人々が群れ集う巣窟は、諸過激派運動が醸成される場となる。
 サンスティーンは、あらゆる種類の過激派集団ないしカルトを作り出す一番簡単な方法は、メンバー達を社会のそれ以外の人々から物理的または心理的に隔離することであることを示す。・・・」
http://book.pdfchm.net/Going-to-Extremes-How-Like-Minds-Unite-and-Divide/9780195378016/
(7月25日アクセス)

 「・・・かてて加えて、このような集団の中に権威のある人々がいて、当該集団のメンバー達に何をすべきかを指示したり、彼等に一定の社会的役割を割り振ったりすると、極めて悪しきことが起きる。・・・
 集団分極化は、人々が互いに自分達が知っていることを伝えあい、かつ彼等が知っていることが・・・歪んでいる場合に往々にして生じるものなのだ。
 彼等が互いに耳を傾けあうと、彼等は<あらぬ方向に>動き出してしまう。・・・」(英スペクテーター誌上掲)

 「・・・サンスティーンは、いかなるものであれ、強固に抱かれた見解を「過激主義(extremism)」と呼ぶ。
 しかしもちろん、人々が激しく抱く諸見解がしばしば真実で道徳的に立派であることがありうる。
 つまり、ちょっと滑稽ではあるが、「正当化される」ないしは「良い」過激主義・・例えば、<黒人>市民権運動家達のそれ・・がありうる、ということだ。
 悪しき過激主義者達は、「かたわの認識論」の被害を受けている(彼等は多くを知らず、また知っていることは間違っている)が、良い過激主義者達は「良い感覚をしていて正しい」と言える。
 結局のところ、集団分極化が常に悪いことだというワケではない。
 サンスティーンは、必要なのは、「二次的多様性(second-order diversity)」であると結論づける。
 すなわち、<必要なのは、>たくさんの分極化した集団が公共の場で諸案件について意見を戦わせることだ、と。・・・」(ガーディアン上掲)

 「・・・なお、<サンスティーンは、>望ましくない<集団分極化の>場合でさえ、過激な主張すること自体が大いに意義がある場合だってある<と指摘する>。・・・」(英スペクテーター誌上掲)

(続く)

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太田述正コラム#3318(2009.6.6)
<現代芸術が生まれた瞬間>

1 始めに

 ダーウィンの性的淘汰(sex selection)の考え方を援用した芸術起源論を提起しているダットン(Denis Dutton)が、現代芸術(modernないしavant garde art)は芸術の名に値しないと主張している、という話を(コラム#3305、3307、3309(いずれも未公開)で)申し上げたばかりです。
 遊び(play)から芸術が始まったとするボイド(Brian Boyd)は、このダットンの芸術起源論を論駁しています(コラム#3311、3313(どちらも未公開))が、ボイドが自分の説の根拠として引き合いに出しているところの、欧米文学の祖とも言うべき『イリアス』と『オデュッセイア』にしても、物語の背景たるトロイ戦争は、ヘレネー(Helen)という美女の争奪戦として始まったことになっている上、物語自身、クリュセイス(Chryseis)とブリセイス(Briseis)という二人の絶世の美女をめぐる争いから始まる
http://en.wikipedia.org/wiki/Iliad
のですから、どちらもいわば美女に捧げる叙事詩といった趣があり、むしろ、ダットン説の根拠たりうる要素を持っています。
 また、日本の文学の祖とも言うべき万葉集に至っては、その実に7割を恋の歌が占めており、
http://www.nhk.or.jp/nara/manyou/love_uta.html
ダットン説は、まだ仮説にとどまっているとはいえ、その信憑性は相当高い、と言うべきでしょう。

 さて、私が本日お話ししたいことは次の3点です。

 第一に、現代芸術を生誕させる契機になったのは、理想的な番の相手を確保しようとする芸術家達の欲求であったこと。
 第二に、しかし、現代芸術を生誕させた人々がそれまでの芸術家と違うのは、彼らが、この事実を無意識的に、あるいは意識的に自覚しており、やがて、理想的な番の相手を確保する手段ではなく、芸術至上主義的な芸術を生誕させようとするに至ったこと。
 第三に、その結果として、芸術は、それまで手段であったが故の様々な決まり事を捨て去ることとなり、ここに、素材化した芸術たる現代芸術が生誕したこと。
 
 このような意味での現代芸術は、20世紀の初頭において、欧米の全域にわたって、いわば同時多発的に、しかも、音楽、絵画、文学等すべてのジャンルにわたって生誕するのですが、この全体について語ることは私の能力をはるかに超えることから、私が最も注目しているところの、ウィーンにおける、クリムトとシェーンベルグそれぞれによる、現代絵画と現代音楽の生誕に焦点をしぼって、お話ししたいと思います。

 そんな硬い話は御免被ると思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、絵と音楽を楽しんでいただければそれはそれで結構であり、私の解説などは聞き流していただいても文句は申し上げません。
 そう言うけど、現代絵画はともかく、現代音楽なんて難解で楽しめないさとおっしゃる方が今度はいらっしゃるかもしれませんね。
 いや、話の導入部では非現代音楽もお聴かせしますし、先入観を取り去って聴いていただければ、現代音楽だってどうってことないですよ。
 このほか、そもそも、自分としてはそんな趣味の類の話ではなく、政治や安全保障について聞きたいんだとおっしゃりたい方もいらっしゃるでしょうね。
 ですが、現代芸術の生誕について考えるということは、現在の政治や安全保障の舞台である現代とはいかなる時代であるかを考えることなのであって、我々は避けては通れない、と私自身は考えています。
 それでは、とにかく、始めましょうか。

2 現代芸術前夜

 (1)クリムト

 コラム#3265でご紹介した、ウィーンで活躍した画家クリムト(Gustav Klimt。1862〜1918年)の1890〜91年の作品である壁画を思い出して下さい。
http://4travel.jp/traveler/mojo/pict/15472230/src.html

 これは、女性の古典的裸体美を追求した作品であり、クリムトの元々の作風は、極めてオーソドックスなものであったことがお分かりいただけると思います。

 (2)シェーンベルグ

 さて、クリムトと同じ頃に、やはりウィーンで活躍した音楽家がユダヤ人のアーノルド・シェーンベルグ(Arnold Schoenberg。1874〜1951年)です。
 彼の1901年(増補改訂1910、1911年)の作品であるオラトリオ、グレの歌(gurrelieder)の一部をお聴き下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=EEnR7nIrYns&feature=related

 すこぶるオーソドックスかつロマンチックな曲でしょう。
http://en.wikipedia.org/wiki/Gurre-Lieder
http://junsky07.blog89.fc2.com/blog-entry-682.html

3 現代芸術へのゆらぎ

 (1)クリムト

 そのクリムトに現代芸術へのゆらぎが見えるのが、1898年の「ソニア・クニプス(Sonja Knips)」の肖像画です。
http://www.abcgallery.com/K/klimt/klimt7.html

 ソニアの左手に異常に力が込められているのは、彼女の心の闇・・私に言わせれば性的欲求不満・・の現れであると一般に評されていますが、同じくウィーンで活躍していた、ユダヤ人のシグモンド・フロイド(Sigmund Freud。1856〜1939年)が、性衝動(sexual desire)を人間の行動の主因であるとした『夢判断』(The Interpretation of Dreams)を上梓したのは1899〜1900年であることから、当時のウィーンの空気がいかなるものであったかがうかがい知ることができます(注1)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sigmund_Freud
http://www.guardian.co.uk/music/2009/may/15/philharmonia-vienna-classical-music

(注1)自然淘汰と性的淘汰・・両者の関係については、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E6%B7%98%E6%B1%B0
参照・・からなるダーウィンの進化論(『種の起源』の上梓は1859年)、とりわけ性的淘汰の考え方は、フロイドが大学時代にダーウィン進化論の洗礼を受けていることから、フロイドに大きな影響を与えたと考えられる。

 (2)シェーンベルグ

 シェーンベルグの方は、グレの歌とほぼ同じ時期に、弦楽六重奏曲、「浄められた夜(Verklarte Nacht =Transfigured night)」を作曲しています。
 その終わりの方をお聴きください。
http://www.youtube.com/watch?v=DdIN703W5pY&feature=related

 かなり、グレの歌の曲調とは違うでしょう。
 これは、「半音階を多用した、当時としては斬新な響きや、調性の浮遊するパッセージ、さらには、あけすけに性を主題とするデーメルの・・・詩・・・を出典に作曲する姿勢をめぐって、波紋を呼んだ」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E3%82%81%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%A4%9C
という、現代芸術へのゆらぎがうかがえる作品なのです。

 実は、シェーンベルグは、将来結婚することとなる、音楽の恩師の娘と出会って恋に落ちた、まさにその時にこの曲を作曲したのです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Verkl%C3%A4rte_Nacht

4 現代芸術の誕生

 (1)クリムト

 クリムトの画風がはっきり現代芸術的になったのが、彼の1908年の作品である、有名な「接吻(The Kiss)」
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Gustav_Klimt_016.jpg
です。
 二人の人物の普通の肖像画じゃないかって?
 良く見て下さい。
 この画の半分が抽象画であることはお認めにならざるをえないでしょう。
 仮に、この二人の人物を画面から消したとしても、十分作品として成り立ちうると思いませんか?

 このモデルは、クリムトと生涯パートナー関係・・性的関係を伴ったかどうかは決め手がなく不明
http://en.wikipedia.org/wiki/Gustav_Klimt
・・を維持するものの、ついに結婚しなかったエミリエ・フローゲ(Emilie Froge)であるという説があります。
 この作品は、クリムトのエロティシズムとその解放への思い入れを明確に表現したものとされているところです。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Kiss_(Klimt_painting)

 (2)シェーンベルグ

 一方、全く同じ1908年にシェーンベルグが作曲した「第2弦楽四重奏曲(String Quartet No. 2)」は、まさに現代音楽であるところの、大方が無調の音楽です。
 その最終楽章をお聴き下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=90cgDmMhh0E

 1908年の夏、シェーンベルグの妻(上出)は、数ヶ月間若い画家と出奔する・・彼女がシェーンブルグの所に戻った後この画家は自殺する・・のですが、これがシェーンベルグの作風の転機になるのです。
 彼は、その年、クラシック音楽史上、初めて、完全な無調音楽(ただし小品)を作曲しますが、この次に作曲したのが上記第2弦楽四重奏曲だったのです。
 (以上、ガーディアン前掲による。)

 聴いていて全くいいと思わないって?
 クリムトの「接吻」の抽象画部分と違って、独立した作品としては、いささか物足らない思いをされるかもしれませんが、サスペンス映画のサウンドトラック(背景音楽)としてなら、結構いけるとは思いませんか?(注1)(最後の「おまけ」の「現代音楽と映画」の項も参照のこと)

(注1)英国のデイヴィッド・スタブス(David Stubbs)は、「現代音楽を特徴づけるところの不協和音(dissonant)音楽・・無調音楽と言い換えても良い(太田)・・は、人々に容易に感情移入をさせない・・・が、現代絵画を特徴づけるところの抽象(abstract)ないし最小限主義(minimalism)は、往々にして良い装飾たりうる」とし、現代音楽家には名声にも富にも無縁な人が多いが、現代絵画家には名声も富も得た人が少なくないとする。
http://news.bbc.co.uk/today/hi/today/newsid_8024000/8024205.stm

5 現代芸術論

 ウィーンで活躍し、モデル等との間で10数人もの子をなした
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2007/07/20070729ddm015070110000c.html
「・・・グスタフ・クリムトは、・・・「すべての芸術はエロだ」と・・・宣言し・・・た」というフィリップ・ブロム(Philipp Blom の言を、コラム#2874で紹介したことを覚えておられるでしょうか。
 フロイトは、人間を突き動かしているものは性衝動だと信じていたわけですが、クリムトとシェーンベルグは、実際に性衝動に突き動かされて作品を生み出したことがお分かりいただけたことと思います(注2)。

(注2)欧米全体を眺めてみよう。
 同じことが文学の世界でも起こった。
 イギリス人のD・H・ローレンス(DH Lawrence)やアイルランド人のジェームス・ジョイス(James Joyce)は、赤裸々に性を描写し、ジョイスは現代文学への扉を開いた。
 また、絵画の分野では、ピカソ(Picasso)やシュールリアリスト(surrealist)達もその性衝動が創作意欲を突き動かしたことを隠そうともしなかった。
http://www.guardian.co.uk/artanddesign/jonathanjonesblog/2009/may/29/more-sex-in-art-jonathan-jones

 まさに、芸術とは、番の相手を惹き付けるための手段である、というダットンの主張が裏付けられた感がありますね。
 しかし、クリムトもシェーンベルグも、最初のうちこそ番たい相手を惹き付ける手段たる作品を発表したものの、次第にこのような芸術の手段性を廃し、芸術至上主義の立場をとるに至り、それまでの、絵画における具象とか音楽における調性といった決まり事にとらわれないところの、素材化した芸術たる、現代芸術を生誕させたのでした。
 (ダットン自身は、こんな現代芸術を芸術であるとは認めていませんが・・。)
 その背景には、ブロムが言う、「20世紀初期の欧州における顕著で巨大な変容の大部分は、性の役割、すなわち両性の間の関係に関するものだった。女性は独立を勝ち取りつつあった。彼女達は教育を受け、自分達自身でカネを稼ぎ始めていた。どんどん彼女たちは選挙権を追求した」という事情があります。 

 このように、リチャード・ランガム(Richard Wrangham)に言わせれば180万年も前のホモ・エレクトゥスの時代に確立したところの、外から食物を獲得して来る男と家庭内でこの食物を料理する女、という男女間の分業体制(コラム#3299、3315(どちらも未公開))が音を立てて崩れつつあった20世紀初頭において、ウィーン、ひいては広く欧米において、伝統的な男女間の分業を前提とした、番いたい相手を惹き付けるための、しかも様々な決まり事にしばられた伝統的芸術を飽き足らなく思い、芸術至上主義的な、一切の制約を廃した芸術、すなわち現代芸術を生誕させた人々が輩出したことは、必然的なものがあったと言えるでしょう。

 ところで、現在の現代芸術家達の作品は、必ずしも性衝動によって生み出されているようには見えません。
 それは、性が、今や、商品化され、宣伝に用いられ、当たり前の話題になってしまったために、性に突き動かされて性を表現することが、20世紀初頭に持っていたような反逆的な意味合いを失ってしまったからではないでしょうか。
http://www.guardian.co.uk/artanddesign/jonathanjonesblog/2009/may/29/more-sex-in-art-jonathan-jones上掲
 このことは、ダットン説では、芸術の起源や現代芸術の起源を説明することはできても、芸術一般の制作原理を説明することまではできない、ということを示唆しているように私には思われます。

 現代芸術について、お前が言いたいことは何となく分かったが、では、お前が冒頭に提起した、「現在の政治や安全保障の舞台である現代とはいかなる時代」なのか教えろですって?
 私が思うに、現代とは、180万年も前のホモ・エレクトゥスの時代以来、比較的最近まで続いたところの、狩猟採集社会の時代(ないしは石器時代)に最も適合した遺伝子を持っている我ら人類が、時代遅れとなった自らの遺伝子が命ずるところに対して意識的に反逆し、超克しようとしている時代であり、またそうせざるをえない時代なのです。
 現代芸術の生誕等は、かかる現代におけるプラスの動きであるのに対し、共産主義やファシズムの跳梁、二度にわたる世界大戦、イスラム原理主義の先鋭化等はマイナスの動きであり、先進国における少子化/人口減少等はプラスともマイナスとも言い切れない動きである、と見ることができるのではないでしょうか。

6 おまけ

 最後に、
http://news.bbc.co.uk/today/hi/today/newsid_8024000/8024205.stm
をもとにおまけを作成しました。
 お時間のある時に、文章に目を通しつつ、ご鑑賞いたければ幸いです。

一、現代音楽の起源

 現代音楽の起源は、1894年に初演されたクロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy)の「牧神の午後への序奏(Prelude To The Afternoon Of A Faun)」
http://www.youtube.com/watch?v=jaKlvabR4kQ
・・調と和声のそれまでの決まり事から乖離している・・である、という説もある。
 ただし、私はそうは思わない。
 フランスを中心に隆盛を極めた、絵画の印象派に対応する音楽上の動きであるという位置づけでよいのではないか。

二、現代音楽と映画

 スタンレー・キューブリック監督の1980年の作品である恐怖映画「シャイニング(The Shining)」
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Shining_(film)
は、新たに作曲された音楽や既存のポップ音楽のほか、以下の現代音楽をサウンドトラックとして効果的に用いている。

・Music For Strings, Percussion & Celesta -- ベラ・バルトーク(Bela Bartok)
http://www.youtube.com/watch?v=jfdubIhGqLY&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=dK4YyDBoboU&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=BeKWcOBlds4
http://www.youtube.com/watch?v=jz7z_OTeILM&feature=related
・Music for Strings, Percussion and Celesta -- バルトーク(Bartok)
・Lontano -- ジョルジ・リゲティ(Gyorgy Ligeti)
http://www.youtube.com/watch?v=l2OQbA3r78M
・Ewangelia and Kanon Paschy movements -- クリストフ・ペンデレツキ(Krzysztof Penderecki)
http://www.youtube.com/watch?v=2QLdbCQhzfI
・The Awakening of Jacob (Als Jakob Erwacht) -- ペンデレツキ(Penderecki)
http://www.youtube.com/watch?v=g6sTdCW13X8
・De Natura Sonoris No. 1 -- ペンデレツキ(Penderecki)
http://www.youtube.com/watch?v=suuwg24QHYM
・同上No.2 -- ペンデレツキ(Penderecki)
http://www.youtube.com/watch?v=t9d8OopJrhg&feature=related
・Kanon (for string orchestra) -- ペンデレツキ(Penderecki)
・Polymorphia (for string orchestra) -- ペンデレツキ(Penderecki)
http://www.youtube.com/watch?v=HxhdhTBMPg4

三、現代音楽とビートルズ

 カールハインツ・シュトックハウゼン(Karlheinz Stockhausen)の「コンタクテ(Kontakte)」
http://www.youtube.com/watch?v=aNt6a5xFOnE
http://www.youtube.com/watch?v=Z-K1P92aZk8&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=WwIdglRbgnw&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=m_3GhM2hKe0&feature=related

という1960年の電子音楽作品は、ポップ音楽に大きな影響を与えた。
 その影響は、ポール・マッカートニーが作曲したビートルズの「ペッパー警部(Sergeant Pepper)」にもはっきり見て取ることができる。
http://www.youtube.com/watch?v=JOO8-Jp-xsg

四、現代絵画と現代音楽

 モートン・フェルドマン(Morton Feldman)の曲である「ロスコ教会(Rothko Chapel)」
http://www.youtube.com/watch?v=qxSt_w2ODaQ

は、画家のマーク・ロスコ(Mark Rothko)
http://www.youtube.com/watch?v=8xrHHn5TR4E
が自殺した1年後の1971年に、彼に捧げられた音楽だ。
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太田述正コラム#3319(2009.6.6)
<2009.6.6オフ会について>

→非公開

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太田述正コラム#3190(2009.4.2)
<米国流キリスト教賛歌本をめぐって(続)>(2009.5.15公開)

1 始めに

 本日、米国流キリスト教に関わる記事を3本たまたま目にしたので、雑談風にそれぞれを簡単にご紹介しましょう。

2 小山 Kosuke 師にして博士

 ニューヨークタイムスが、小山 Kosuke 博士の詳細な弔文を掲げました。
 そのごくごく一部は、次のとおりです。

 「小山 Kosuke師にして博士は、自身の伝道師としての経験から引き出された、瞠目すべき隠喩を用いたところの、<いかに>アジアの<農村や仏教といった>様々な伝統に適合的な<形で>キリスト教<をアジアに布教するか>に関する有力な指針(vision)を提示したことで、国際的に知られるところとなった神学者だったが、マサチューセッツ州スプリングフィールドで亡くなった。享年79歳。・・・、
 小山博士は1929年12月10日に東京で<キリスト教徒の両親の下に>生まれた。
 1945年、米国の爆弾が東京に降り注いでいた頃、彼は15歳でキリスト教の洗礼を受けた。・・・
 小山博士は、東京神学大学(Tokyo Union Theological Seminary)を1952年に卒業し、1954年に<米国の大学で>学士号を取得してから、1959年に同じく米国のプリンストン神学校(Theological Seminary。プリンストン大学とは無関係)で博士号を取得した。
 <以後、タイで伝道活動、シンガポール、ニュージーランド及び米国で教育研究活動を行うという人生を歩んだ。>・・・」
http://www.nytimes.com/2009/04/01/world/asia/01koyama.html?ref=world

 英語版ウィキでかなり詳しく小山博士が紹介されています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Kosuke_Koyama
 
 しかし、東京神学大学のウィキ(日本語版。英語版は無きに等しい)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%A5%9E%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%AD%A6
の大学関係者一覧の所に、小山博士の名前は出てきません。日本で活躍されている(活躍された)人しかとりあげない、ということなのでしょうかね。
 私自身は、キリスト教神学が学問であるとは思っていませんし、キリスト教の伝道活動に何の価値も認めてはいません。
 しかし小山博士が、日本で生まれ、世界で活躍された、ということに関しては、率直に敬意を表したいと思います。合掌。

 このように、移民の手によって、米国流のキリスト教は活力を吹き込まれ続けて現在に至っているということなのでしょう。
 もとより、これは米国のあらゆる分野について言えることです。

3 キリスト教原理主義大学潜入記

 クリスチャン・サイエンス・モニターは、キリスト教原理主義大学に1セメスター(半期)潜入したアイビーリーグ学生の体験記の書評を掲げました。
 そのごく一部分は次のとおりです。

 「・・・<著者>ルース(Roose)が文字通りの神不可知論者(agnostic)から、祈りを捧げる<習慣のついた>半信半疑の<キリスト教>信者へと移行した物語がこの本のテーマだ。
 米国でキリスト教原理主義者達は、往々にして、「私は救済された」とか「私は宗教おばか的です(Religulous<。Religiousとridiculousからの合成語>」とか抜かす連中として嘲笑されているけれど、福音的運動が<米国で>隆盛を極めている折から、リバティー(Liberty)大学のような学校の学生達を理解することはすこぶるつきに重要なことだ。
 仮に<アイビーリーグの超優秀校の一つである>ブラウン大学の学生がわずか1セメスターで両者を隔離する壁に橋をかけ始めることができるのだとすれば、「原理主義者」とか「宗教右派」といったレッテルでしか知らない人々をもっと良く理解しようと苦闘している、ルース以外の我々全員にだって希望はあるというものだ。
 <実際のところ、>ルースはインチキ・クエーカー教徒の一家で育ち、彼の宗教についての勉強と言ったら、彼に「神は、帝国主義及び企業の強欲との全地球的闘争を率いた左翼のスーパーヒーローで、一種の天上界のマイケル・ムーアだった」ということを確信させたところのたった一回きりの高校の授業だけだったという人物であり、彼ほど<こんな営みに関する>使徒として似つかわしくない者はいなかったのだから・・。・・・」
http://features.csmonitor.com/books/2009/03/31/the-unlikely-disciple/

 これが不思議で仕方がないんですねえ。
 もちろん年齢は違うのだけれど、私は、カイロの小学生時代に、選択必修の宗教の授業でキリスト教を選択し、キリスト教徒たる教師と生徒達に囲まれて、教師の話を聞くかたわら、聖書(というか、子供向きに書き直された聖書物語)を随分読みこみましたが、今の子供達がハリーポッター・シリーズといったファンタジー小説を読むのと同じ感覚で楽しませてもらったという記憶しかありません。
 宗教としてのキリスト教については、どうしてこんなばかげた教義が信じられる人がいるんだという感想でしたからね。

4 カトリックの神父から作家への転身

 カトリックの神父から作家に転身した人物の自伝の書評がロサンゼルスタイムスに載っています。
http://www.latimes.com/features/books/la-et-rutten1-2009apr01,0,233691,print.story

 カトリックは、米国流キリスト教ではないからこそ、真面目なカトリック信徒たる米国人であれば、悩みは深いはずです。
 それは分かるのですが、著者の転身の論理と過程が、この書評を読んでもさっぱり分からないのです。
 いや、それ以前の問題として、英語の文章を読み慣れている私でも、もどかしいほどこの書評の読解が困難なのです。
 それこそ、キリスト教信者でないからではないか、と言いたくなるほどです。

5 終わりに

 こういうわけで、私は、イギリス論にはかなり自信があるものの、キリスト教音痴の私の米国論にはどこか大きな弱点があるのではないか、というかすかな疑念がぬぐい去れないでいるのです。

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太田述正コラム#3188(2009.4.1)
<米国流キリスト教賛歌本をめぐって>(2009.5.14公開)

1 始めに

 英エコノミスト誌の編集長のミクレスウェイト(John Micklethwait)と同誌のワシントン支局長のウールドリッジ(Adrian Wooldridge)共著の'God Is Back’の書評が英ファイナンシャルタイムスと米ニューヨークタイムスに1日違いで載ったのですが、前者は肯定的、後者は否定的なトーンです。
 どちらが正しいのでしょうか。
 エコノミスト誌とファイナンシャルタイムスは同系列の媒体です。
 よって前者の書評は客観的書評たりえず、後者の書評が正しいのだろうと考えざるをえません。
 (例えば、こういう具合に、私は典拠の信頼性を個々に判断しているわけです。)
 では、それぞれの書評の内容を、順序を逆にして、ごく簡単にご紹介しましょう。

2 ニューヨークタイムスの書評から

 「<著者達は、>宗教<、とりわけ米国流のキリスト教>が世界中で「公的生活に復帰しつつある」とし、「近代の偉大なる諸力である、テクノロジーと民主主義、選択と自由は、すべて宗教を掘り崩すどころか、みしろ宗教を強化しつつある」と主張する。・・・
 しかし、「宗教の力」が「増大を続けている」と彼らは主張するけれど、その主張に相反する多くの証拠がある。
 (<例えば、>今月公表された2008年の米国宗教意識調査によれば、「米国の人々はどんどん非宗教的になってきている徴候を示している。2008年の米国人の5人に1人は宗教を持っていない」のだ。)・・・
 強いてこの本の意義をあげれば、読者が宗教が世界中でとっている新しい形態を垣間見ることができると同時に、どうして現代の人々が宗教に魅せられるのか、その理由の一端・・どんどん人々がバラバラになりつつある世界における共同体の一つの源として、急速なテクノロジー的かつ社会的変化の時代における確かさ(certainty)の一つの源として、故郷から遠く離れた移住者達にとってのアイデンティティーの一つの源として、そして、経済的に困難な時代における(貧者への食料、教育プログラム、及び医療支援のような)社会的支援の一つの源として・・を明らかにしていることだろう。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/03/31/books/31kaku.html?hpw=&pagewanted=print
(4月1日アクセス)

3 ファイナンシャルタイムスの書評から

 「・・・この本の中心的メッセージは、米国が、国家と教会とを分離し、宗教的自由を宣明することによって、宗教的企業家主義(religious entrepreneurialism)のため及び様々な形態のキリスト教の成功裏の輸出のための恒久的基盤を確立した、ということだ。
 トーマス・ジェファーソンはこの分離を宗教のために良いことだと見ていた。というのは、それが<宗教間の>競争を促進するからだ。
 <他方、>ジェームス・マディソンは、この分離を国家のために良いことだと見ていた。というのは、宗教が「国家の庇護に煩わされることなく公衆の道徳性を促進する」自由を与えられるからだ。・・・
 <このような米国の建国者の意図どおり、競争力抜群となった米国流のキリスト教は、今や世界を席巻しつつある、と著者達は指摘する。>
 <このように、この本では、>キリスト教に圧倒的に叙述の焦点があてられている。
 この意味において、この本は、包括的とは言い難く、その副題であるところの、「いかに全地球的な信仰の興隆が世界を変えつつあるか」にそぐわない。
 戻ってきた神は、米国的アクセント付きのキリスト教の神だった<というわけだ。>
 <彼らは、>イスラム教にも若干は触れているが、イスラム教については、それが、できるだけ世界の多くの地域のイスラム化ないしは再イスラム化を目指す暴力的作戦シリーズへと突然変異してしまったのはなぜかの叙述にもっぱら終始している。
 <また、>正教についてはほとんど触れていないし、ユダヤ教についても大して触れていないし、仏教とヒンズー教に至っては、全く出番がない。
 <この本では、>著者達は、何よりも、反米主義者達によってしばしば行われているところの、米国の福音主義と過激派イスラムの同一視の破壊を意図しているのだ。
 前者は、寛容のみならず、多元主義(pluralism)という前提(assumption)に立脚しているのに対し、後者は、自分の考え(path)が正しい主張するだけでなく、それを力でもって押しつける義務があると主張する<という違いがあるというのだ>。
 ジェファーソンは、「歴史には、僧侶がのさばっている(priest-ridden)国が自由な非軍人の(civil)政府を維持した例は見いだせない」と言った<が、まさにその通りではないかと>。・・・」
http://www.ft.com/cms/s/2/40524ce6-1a5e-11de-9f91-0000779fd2ac.html
(3月31日アクセス)

4 終わりに

 敏腕のビル・エモット編集長が「卒業」した後のエコノミスト誌の行く末が心配されるような本を同誌編集長達が書いたってことです。
 宗教、とりわけ米国流の原理主義的キリスト教がのさばる世界になってたまるか、いやそんな世界にはさせないし、また、そんな世界になるはずがない、というのが率直な私の気持ちです。英米のリベラルだって私と同じ気持ちのはずです。
 なお、ニューヨークタイムスの書評は、日系米人である Michiko Kakutani によるものですが、いつも彼女の批評の冴えに感心させられています。
 時に人種差別的な批判に晒される彼女の今後の更なる健闘を祈っています。

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太田述正コラム#3154(2009.3.15)
<原理主義的自由主義と精神疾患(続)>(2009.4.20公開)

1 始めに

 一年ちょっと前、(コラム#2290-2で)

 「1982年から2000年の間に米国、英国、豪州といった利己的資本主義国・・・において精神疾患は2倍近くに増えた。 現在、これら諸国の精神疾患罹患率はおおむね(不平等度が低く集団主義的な)非利己的資本主義国であるところの西欧諸国のそれの2倍に達している。・・・ 利己的資本主義(新自由主義経済、ないし(太田の言うところの)原理主義的自由主義・・・)こそ、1970年代以英国等において精神疾患の著しい増加をもたらした原因だ。・・・」

という説をご紹介したところです。
 この話をフォローする記事がガーディアンに2篇出たので、その内容をかいつまんでご紹介しましょう。
 なお、この2つの記事の中で、Richard Wilkinson と Kate Pickettの共著の 'The Spirit Level: Why More Equal Societies Almost Always Do Better' と、Richard Layard(コラム#2290-2)の 'Happiness' という2つの本への言及がなされていたことを申し添えます。

2 原理主義的自由主義と精神疾患

 「・・・不平等はより短い、より不健康な、そしてより幸福でない生活をもたらす。
 すなわちそれは十代の妊娠、暴力、肥満、収監、中毒を増大させる。
 それは社会そのもの、その社会の異なった階級へと生まれ落ちた個々人の相互の関係を破壊する。また、不平等は、人々を消費へと駆り立て、地球資源の枯渇をもたらす。・・・
 生活の質、健康、あるいは零落(deprivation)といったあらゆる指標について、ある国の経済的不平等度との間に強い相関関係があるという傾向が見られる。
 <この観点からすると、>おおむね常に、日本とスカンディナビア諸国は好ましい「低い」端に位置し、英、米、及びポルトガルは好ましからざる「高い」端に位置し、また、加、豪、そして欧州大陸諸国はその間に位置する。・・・
 ・・・単に貧困層だけでなく、上層から下層までの社会の全構成員が不平等によって悪影響を受けている。
 英国は他のOECD諸国と比較すると状況が悪い(上、・・・先進国では子供にとって最も状況が悪い国でもある)にもかかわらず、英国が抱える社会的諸問題は米国においてほど知られていない。
 米国に比べると、英国のあらゆる階級の人々の罹病率は低いけれど、勤労年齢帯のスウェーデンの男性達の状況は英国よりも良い。
 米国人の糖尿病罹患率は、教育水準が高いか低いかに関わりなく、英国人の2倍に達している。・・・
 ・・・一番衝撃的なのは、・・・英国の4分の1前後の人々、そして米国の4分の1を超える人々が一年の間に精神的問題を経験しているということだ。ところが日、独、スウェーデン、伊ではそんな人は10%未満なのだ。・・・
 ここで予想される茶々は、世界で最も平等な先進国である日本とスウェーデンにおいて、個々人が、集団的健康への脅威となるとみなされることなく、自分自身の考えを表明する余地が果たして十分あるのか、だろう。
 この二つの国に批判的な人々は、この二つの国では、平等によって創り出され、かつ平等を維持するために必要であるところの大勢順応性に抗することは頗る付きに困難である、と主張する。
 個々人の不平不満を退けたり去勢したりする傾向があることで、・・・この二つの国において、もっと不平等な諸国に比べて自殺率が高い理由を説明できるかもしれない。
 <この二つの国で、>うまくいっていないと感じたり、うまくいかなくなったと感じた人は、<平等な国であるからこそ、>自分達自身以外に責めを負わす人などはいないと感じる、ということなのかもしれないと・・。・・・」
http://www.guardian.co.uk/books/2009/mar/13/the-spirit-level
(3月14日アクセス)

 「・・・世界保健機関(WHO)が11日に発表した調査によれば、・・・これは欧州全域を調査したものであるところ、金持ちだが所得と社会において不平等度が高い英国のような国で精神面での健康上の問題が多い、という結果が出た。・・・
 ある国が金持ちになった場合にそれが物理的な健康の状況に及ぼす傾向を見ると、生存率にはプラスの影響をもたらすものの、精神的健康についてはその反対の影響をもたらす、ということが分かった。・・・
 「不平等度が高まると社会的地位を巡る競争が激化し、地位に係る不安感がすべての所得階層において、かつすべての成人と未成人において高まる」と。
 つまり、「経済成長が高まる」と「社会的不況」というコストが生じる、というわけだ。・・・」
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2009/03/15/2003438475
(3月15日アクセス)

3 終わりに

 最初のガーディアンの記事は日本を極めて平等な国であるとしていますが、
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/4/45/Lisgini.png
を見ると、日本は仏独並の平等度であり、平等であるところのスウェーデンを始めとする北欧諸国と、不平等であるところのアングロサクソン諸国、とりわけ米英との中間くらいに位置していることが分かります。
 また、日本の不平等度が、一貫して上昇傾向にあることも分かります。
 これは、日本の再アングロサクソン化の動きが背景にあると解すべきです。
 いずれにせよ、米英の不平等度の上昇傾向には著しいものがあることは確かであり、これは、それぞれレーガノミックスとサッチャリズムの影響によると解すべきです。
 金融危機に発した今次世界不況もこれあり、米英が、不平等の行き過ぎを是正すべく経済政策の転換を図ることは必至です。
 日本も、民主党を中心とする政権が樹立されれば、不平等度の上昇傾向に歯止めをかける政策が実行に移されることになることでしょう。

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太田述正コラム#3114(2009.2.23)
<「暴力」をめぐって(その2)>(2009.4.5公開)

 「暴力を醸成することに関する宗教の役割は、宗教的テロリズムの心理についての彼のこの本の中でジョーンズが見事にかつ科学的に詳細にわたって探索されている。
 これは、最近の現象であるということでは全くない。世界の全ての主要宗教について、その季節的な醜い変容が何世紀にもわたって何度も見られてきたところだ。
 我々は現在では既に、キリスト教を基本的に平和的なものと見ているけれど、それは十字軍、スペインの異端審問、17世紀における永遠に続くかと思われた諸戦争、そして現代の米国における反妊娠中絶の過激派達を生み出したのだった。
 この本が衝撃的に提示していることの一つは、世界の主要な宗教の原理主義者達が、世俗化し、反道徳的な今日の消費者社会に対してほとんど同様の批判意識を共有しているということだ。・・・
 宗教的テロリズムの特に甚だしい害毒は、その信者達に、彼らの敵を神を蔑ろにする異教徒達であると非人間化する一方で、彼らに自分達が何かより高次元の目的を追求していると思い込ませるところにある。・・・
 「宗教は他のイデオロギーとは違って、単に暴力を正当化するだけではない」とジョーンズは記す。「暴力とジェノサイドが宗教的至上命題になることとがあるのだ。いかなる政治的ないし法的権威が提供するものをも超える宇宙的ないし精神的意味を持つものとして」と。・・・」
 (ファイナンシャルタイムス前掲)

 「・・・私、ジョーンズは、法医学的心理学(forensic psychology)をやっているので、どんな個々のケースにおいても、暴力的行動を予想するなどということは、すこぶるつきに困難であってまずは成功する試しがないことを知っている。・・・
 我々が気をつけるべきところの、警告を発する徴(しるし)的なものがないわけではない。しかし、これらの徴は、決して決定的なものでも自動予想器でもないのだ。・・・
 <また、>理解するか行動するかどちらかを選ばなければならない、両方やることは不可能だ、という観念は、ほとんど病理的であり、テロリストの思い込みの一つであるところの二値的思考法であると言える。・・・
 <テロリスト達の>行為を理解することは、いかなる意味においてもそれを許すということではない。行為を説明することはそれを宥恕することを全く意味しないのだ。
 もっとも、ここにはもっと深い含意がある。他者・・それがあなたを破滅させようとする他者であれ・・を理解することは彼らをより人間的に見せることは確かだ。
だから、理解することは、政治家や政策立案者達の一部がテロリストと戦うために必要だと感じているところの、他者の悪魔視(demonaization)を不可能にする場合があるのだ。
 他者の悪魔視は、宗教的動機に基づくテロリストの武器庫における主要な武器だ。
 テロリズムに対抗するためだからと言って、かくも心理的かつ精神的に高く付く戦術に我々もまた訴えなければならないものだろうか。
 それとも我々は、宗教によって動機づけられたテロリスト達に、彼らのようにならなくても対抗できるのだろうか。」
http://www.bloodthatcriesout.com/2008.07.01_arch.html

 ジョーンズが、主要な宗教と言うとき、ヒンズー教はともかく、仏教までもその中に入っているようですが、それはおかしい。この関連で、彼がオウム真理教を仏教の分派と考えているのだとすれば、それも違うだろうと言いたくなります。
 また、宗教と他のイデオロギーは違うというジョーンズの見解にも首をかしげざるをえません。
 マルクスレーニン主義者やファシストが20世紀に人類にもたらした災厄は、アブラハム系一神教の宗教原理主義者が人類に累次にわたってもたらした2000年に及ぶ災厄に優とも劣らないものがあるからです。

4 終わりに

 極めつきに非暴力的な戦後日本に、テロ集団のオウム真理教が出現した、というのですから、日本の人文社会科学者は、もっと暴力について研究してしかるべきでしょう。
 政治家や官僚のみならず、日本の人文社会科学者の多くも、一体何が楽しくて、無為の人生を生きているのでしょうか。

(完) 

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太田述正コラム#3112(2009.2.22)
<「暴力」をめぐって(その1)>(2009.4.4公開)

1 始めに

 英ファイナンシャルタイムスの書評子が、暴力に関する三つの本を並べて論評を加えています。
 このうちの一冊は、スロヴェニアのマルクス主義哲学者の戯言なので無視するとして、フランスのパリ北大学の歴史学者のロベール・ムシェンブレッド(Robert Muchembled)の 'Une histoire de la violence' と米ラトガース大学宗教学/臨床心理学教授のジェームス・W・ジョーンズ(James W. Jones)の 'Blood That Cries Out From the Earth: The Psychology of Religious Terrorism' 中身の「臭い」をお届けしましょう。

2 ムシェンブレッド

 「・・・今日における、毎年の殺人は欧州では100,000人に1人であり、米国では6人だ。
 これが14世紀の欧州では100,000人に130人であったと推定されている。
 ただし、暴力のいくつかの側面は、過去7世紀以上にわたって安定的に推移してきている。すなわち、殺人の90%は男性によって、しかもその大部分は30歳より若い者によって犯されている。また、南欧州における暴力沙汰は北欧州よりも常に多い。一般に血が煮えたぎるラテン系男性というイメージが持たれているが、これにはそれなりの根拠があると言える。
 しかし、どうして<殺人が減るという>文化的変容が生じたのだろうか。・・・
 ムシェンブレッドは、一般に考えられているところの二つの理由・・政治的理由と経済的理由・・を考察する。
 まず、立ち現れた国民国家が、自らによる暴力の独占と許可を追求したことに伴い、社会的暴力は片隅に追いやられることになった。
 そして、加速化する社会の都市化は、市場経済が自由と安全を重視したことから、暴力の減少をもたらした。
 しかし、何と言ってもムシェンブレッドの興味をかき立てたのは、社会階級や国境の垣根を超えて生じた欧州社会の道徳観念の進歩的変容だった。
 教会、学校と軍隊は、すべて社会化の担い手として立ち現れた。
 これらは、昇華の文化を促進し、公共空間からの暴力の着実な消滅をもたらした。
 過去2世紀にわたって、当局は、アブナイ若い男達を標的にし、懲罰することによって積極的に暴力的行動を貶めることに努めてきた。
 ムシェンブレッドによれば、超人気ある大衆文学の発展・・三銃士のロマンティックな逃走劇から19世紀の最初の探偵小説群に至るまで・・は暴力的衝動を追放するのにカタルシス的な役割を果たした。
 現在ムシェンブレッドを心配させているのは、怒れる若い男達にもう一つの社会化の形態を提供しているところの、フランスの郊外等におけるギャング的暴力の再燃だ。
 徴兵制の終焉、大量失業の集中と都市ゲットーにおいて高まるフラストレーションは、ことごとく新しい破壊の文化に油を注いだ。
 「復讐法(law of vengeance)と精力のカルト(cult of virility)は、(旧大陸から)まだ完全には消滅していなかったのだ」と彼は記している。・・・」
http://www.ft.com/cms/s/2/c1c0f9fc-fedf-11dd-b19a-000077b07658.html
(2月22日アクセス。以下同じ。)

 フランス語のサイトも探してみたのですが、まともな書評は、
http://www.lire.fr/critique.asp/idC=52779/idR=213/idG=8

くらいで、これも残念ながらほとんど参考になりませんでした。
 上記FTの書評を読んだ限りでの私が改めて思ったことは、欧州は暴力の文明だ、ということです。
 殺人の頻度について、イギリスのデータを検証しなければ本来いけないのですが・・。

3 ジョーンズ

 「・・・米国のキリスト教福音派・・・、イスラム教における世界的聖戦派、そして日本のカルトであるオウム真理教といった全く異なったものの事例を行ったり来たりして<この本は書かれた>。・・・
 ジェームス・W・ジョーンズは、臨床心理学者であると同時比較宗教の権威でもある。・・・
 ジョーンズは<自分のつくった>モデルを、東京の地下鉄網をサリンで毒ガス攻撃した、仏教の分派であるところのオウム真理教と、妊娠中絶を施術する人々に対し、暴力を唱え、実行したところの米国の過激な宗教右派のメンバー達、という全く異なった宗教集団に適用する。・・・」
http://www.amazon.com/gp/product/product-description/019533597X/ref=dp_proddesc_0?ie=UTF8&n=283155&s=books

 このような比較研究を、日本の学者はやっていないのでしょうか。
 やっていないとしたら、極めて残念なことです。

(続く)

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太田述正コラム#3067(2009.1.31)
<ハンデと戦う女性ピアニスト達>(2009.3.18公開)

 (これは、本日、東京の西大井で行うオフ会の際の私の講演の原稿です。)

1 始めに

 女性の知的能力の標準偏差は男性に比べて小さい。
 ということは、知的に傑出した女性は男性に比べると少ないということです。
 しかも、女性は平均的に男性より筋力が劣るし体格も小さい。
 だから、スポーツはもとより、科学研究や囲碁将棋の分野でも男性と同じ土俵で女性は戦えません。
 作曲家を含む芸術家の世界も料理人の世界もそうですよね。
 じゃ、どういう分野で女性は一流の男性にまけずに活躍しているのでしょうか。
 歌手や俳優の世界は男女全く対等ですが、これは男性じゃ女性の声が出せないし、女性を演じられないからです。宝塚や歌舞伎や大衆演劇の世界はちょっと横に置いておきましょう。
 結局残るのは、小説家/詩人と器楽演奏家の世界くらいです。
 本日は器楽演奏、とりわけクラシックのピアノ演奏においてハンデを女性達がいかに「乗り越えて」頑張っているかについてお話したいと思います。

2 バイオリンとピアノの違い

 グリュック(Christoph Willibald Ritter von Gluck。1714〜87年)作曲のオペラ「オルフェとユリディース」よりメロディーの演奏を4通りお聞き下さい。

一、ヨッシャ・ハイフェッツ(Jascha Heifetz) 演奏時間:2.43
http://jp.youtube.com/watch?v=tenI_FyFeZ0&feature=related
二、サラ・チャン(Sarah Chang)3.10
http://jp.youtube.com/watch?v=utmG3OAjBXs&NR=1
三、セルゲイ・ラフマニノフ(Sergey Rachmaninov)3.30
http://jp.youtube.com/watch?v=_XQ6tjxuJ6g&feature=related
四、エフゲニー・キーシン(Evgeny Kissin)4.45
http://jp.youtube.com/watch?v=YjDHQwLbGms&feature=related

 バイオリンとピアノの違いが分かりますか?
 バイオリンの方はピアノの伴奏がついてますよね。
 他方、ピアノの方はピアノ単独です。
 バイオリン単独では基本的に一つの旋律を奏でられるだけで和声(harmony)は出せない。ピアノの伴奏をつけて和声を確保することによって演奏に奥行きが出てくる。
 他方、ピアノは単独で和声が出すことができます。
 なお、ピアノは12平均律(12 mean temperament)に調律されているのに対し、バイオリンはいかなる音も出すことができるという違いもありますが、今回はこの点には立ち入りません。
 ただし、ピアノをバイオリンと比べた場合、弱点がないわけではなりません。
 ピアノは、原理的には打楽器ですから、音が急速に減衰する。ペダルを踏んでも、減衰の程度を緩和できるだけです。これに対し、バイオリンの方は、音を長く伸ばすことができます。

 さて、4人の演奏者によってそれぞれ演奏されたグリュックの曲を、一部だけお聞かせしましたが、テンポが速かった順番が分かりますか?
 1,2,3,4の順番です。
 ピアノよりバイオリンの方がテンポが速いとは感じなかった方も多いのではないでしょうか。どうしてそうなのか、どなたか教えていただければありがたい。
 いずれにせよ、テンポを決めるのは演奏者です。
 これに加えて、演奏者は、個々の音の長短・・楽譜に書いてある相対的長短通りに演奏しているわけではなく、微妙に長短を変えて演奏する・・と個々の音の強弱・・そもそも楽譜には強弱はアバウトにしか記入されていない・・によって演奏に個性を出します。それが器楽演奏の芸術性につながるわけです。

2 女性ピアニストの健闘と限界

 (1)序

 弦楽器に関しては、女性はハンデがほとんどないけれど、管楽器は肺活量のハンデ、ピアノは筋力と体格のハンデがあります。
 ピアノについて、考えてみましょう。

 (2)まともに勝負する

 最初に、マーサ・アルゲリッチ(Martha Argerich)によるチャイコフスキー・ピアノ協奏曲第1番の演奏を聴いてみましょう。
http://jp.youtube.com/watch?v=JbsvPMbC55A&feature=related

 見事な演奏ですよね。ミスタッチ(弾き損じ)なんてほとんどありません。
 ではもう一つ。彼女によるショパンのポロネーズ第6番作品53「英雄」です。
http://jp.youtube.com/watch?v=KCSEwfqs-VM&feature=related

 こちらも一見完璧な演奏のように聞こえたかと思いますが、実は、スピードと大きい音の連打が求められる箇所で10回くらいミスタッチがあります。
 では、男性のブレハッチ(afal Blechacz)による同じ曲の演奏を聴いてみましょう。
http://jp.youtube.com/watch?v=NHV0ByoaKF0&feature=related

 こちらは、ミスタッチがほとんどありません。
 女性であることを、長い髪(うるさそうです)以外では捨て去ったようなアルゲリッチでも限界があることがお分かりでしょうか。

 時間があったら、以下の3人による同じ曲の演奏も聴いてみてください。
外山啓介(keisuke toyama)
http://jp.youtube.com/watch?v=4bDtBJAumPs&feature=related
ルービンシュタイン(A. Rubinstein)
http://jp.youtube.com/watch?v=nsl7XDTBaJo
ホロヴィッツ(Horowitz)
http://jp.youtube.com/watch?v=KZGi49Bnghs&feature=related

 (3)スピードを抑えて弾く

 今度は、体格も容姿(!)もアルゲリッチよりはるかに女性らしい仲道郁代による、ショパンのノクターン(遺作)の演奏です。
http://jp.youtube.com/watch?v=PU6C1QQnSeY&feature=related

 すばらしいですよね。
 では今度は、スピードと大きい音の連打が求められるベートーベンのソナタ「月光」の第3楽章の仲道による演奏を聴きましょう。
http://jp.youtube.com/watch?v=-GvcHgBEzaw&feature=related

 彼女はスピードを抑えて弾いているけど、それでもミスタッチが結構あります。
 男性のグレン・グールド(Glenn Gould)の同じ曲の演奏を聴いて下さい。
http://jp.youtube.com/watch?v=DVZqAbbkdgw&feature=related

 このようにものすごいスピードで弾くことの是非はともかく、こんなことは仲道には逆立ちしてもできないでしょう。
 最後に、仲道さんよりは早いスピードですが、最も適切なスピードで模範演奏された例・・実はピアニストが男性か女性かも分からないのですが、恐らく男性です・・を聴いて下さい。
http://jp.youtube.com/watch?v=0ZaTzSWqXCU&feature=related

 (4)作曲家ないし曲を選んで弾く

 ほとんどモーツアルト一本槍なのが内田光子です。
 モーツアルトにはスピードが速く、大きな音を連打しなければならない曲はまずありません。
 彼女によるモーツアルトのピアノ協奏曲第20番第1楽章を聴いてみましょう。
http://jp.youtube.com/watch?v=3dkK1iw2SMk&feature=related

 小編成のオケですが、内田が指揮しながらピアノも弾くというのも面白いですね。

 女性は、一般に小柄でもあるので、手が小さく指も短い人が多い。
 加羽沢美濃は、自分でも言っていますが、手が小さいため、基本的に自分が作曲した曲しか弾きません。日本映画の映画音楽も何曲かてがけていますよ。
 彼女の映像入りの演奏がほとんどアップされていないので、彼女の作曲したピアノ曲をシロウトが弾いたもの
http://jp.youtube.com/watch?v=z91_uKqTxWA
と、彼女の写真
http://columbia.jp/~kabasawa/profile.html
をどうぞ。
 仲道とはまた違った、しかし、やはり美人ですよね。
 そう。女性のピアニストは美人であることも武器にすることができるわけです。

 (蛇足です。バイオリニストの諏訪内晶子、高嶋ちさ子、宮本笑里は、どちらも高いレベルではあるけれど、技量と美人度(私の主観)が逆比例してますね。私は、ピアノ贔屓ということもあるのだろうけれど、彼女達よりもピアニストの仲道や加羽沢の方によりセックス・アピールを感じます。)

3 終わりに

 男性諸君、ハンデを背負っているところの、女性の健闘に敬意を表しましょう!

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太田述正コラム#3024(2009.1.9)
<日進月歩の人間科学(続々)>(2009.2.21公開)

1 始めに

 今回は、「永遠の恋は存在する」、及び「頭の良い人は健康でもある」、の2点についてご報告しましょう。

2 永遠の恋は存在する。

 「・・・20年間一緒だったカップルと新たな愛人になったばかりのカップルの大脳を、それぞれスキャンしたところ、長期間のカップルの約10組に1組は初期段階の関係にあるカップルと共通の化学的諸反応を示すことが分かった。
 これまでの研究では、男女間の愛の初期段階の、心理学者達がリマレンス(limerence)と呼ぶところの、気分の揺れ動きと執着は、15ヶ月経過すると薄れ始め、10年経過するとこの化学的潮流はすっかり引いてしまうと考えられていた。・・・
 <しかし、>成熟したリマレンス(limerence mature)<とでも呼ぶべきものが存在し、長期間のカップルも>「濃密な連帯感と性的活発さ(intensive companionship and sexual liveliness)」を享受することが可能である<ことが分かったわけだ。>
 研究者達は、このようなカップルに「白鳥達(swans)」という渾名を付けた。<白鳥、ハタネズミ(vole)(コラム#2798、2799)、ギンギツネ(grey fox)は、生涯つがう相手を変えないことで知られている。>
 「白鳥達」に愛する人の写真を見せると、最初の欲望の奔流にからめとられているカップルに一般に見られるのと同様の、快楽を生み出すところのドーパミン(dopamine)の噴出を、MRIスキャンによって確認することができる。・・・
 <12〜15ヶ月、3年、そして有名な7年目の浮気心、といったカップルの分岐点に関する従来の研究結果は必ずしも正しくない、というわけだ。>」
http://women.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/women/relationships/article5439805.ece
(1月5日アクセス)

 「<成熟した>リマレンスは、<初期段階のリマレンスと違って、>不安や<鬱や>緊張を伴わない。・・・
 「白鳥達」は、経験をできるだけ共有しようとし、かつストレスを避けようとする。これは恐らく原因ではなく症候なのだろう。・・・」
http://www.timesonline.co.uk/tol/comment/leading_article/article5439242.ece
(1月6日アクセス。以下同じ)

 「・・・一般に報酬と動機付けに関わるとされている大脳の部位・・これはコカインを用いた時に活発化する部位と同じだ・・が、被験者が愛する人の写真を見せられた時に活発化する。
 この部位は、・・・性的興奮に関わるとされている部位とは異なる。・・・
 情熱的、かつ長期にわたる<男女>関係に関しては、いくつかのこと(下掲)を共通に見出すことができる。・・・

・カップルはひどい「外部からのストレス原因」、例えば戦争とか子供の死、に直面していない。
・少なくともカップルの片方は強度の鬱または不安に陥っていない。
・カップルのどちらも互いにどうやって意思疎通を図ったらよいかを知っている。
・カップルは新たな挑戦的な事柄を一緒にやっている。
・カップルの片方が何かに成功すると、もう片方もこの成功を喜ぶ。
http://www.newsday.com/news/printedition/longisland/ny-liston065988336jan06,0,1041858,print.story

 愛のみならず、恋についても、ここまで科学のメスが入ったわけです。
 永遠の愛は困難であり、永遠の恋はもっと困難だけど、世の中には愛のエリートが存在し、その中に恋のエリートが存在するってわけです。
 しかし、カップルの片方だけがエリートでも永遠の愛、いわんや永遠の恋は成就しないのですから、永遠の愛、就中永遠の恋が成就した人は、宝くじにあたったようなものですね。

3 頭の良い人は健康でもある

 「・・・知力が高い者ほど精子の量が多く質(motility)も高いことが分かった。・・・ 人間の遺伝子の半分は脳の中でつくられることから、頭の良い人間が良い遺伝子を持っていても不思議はない。
 ・・・知力は過去200万年の進化を通じて女性が男性を評価するたくさんの属性のうちの一つである可能性があるところ、最近のある研究では、女性は結婚相手だろうが一晩だけの関係相手だろうが、頭の良い男性を選ぶ傾向があることが判明した。・・・」
http://english.chosun.com/w21data/html/news/200901/200901070001.html
(1月7日アクセス。以下同じ)

 「<まず一番目に指摘すべきは、>知力・・・は遺伝子によってコントロールされているということだ。・・・
 二番目に指摘すべきは、頭の良い人間は、より知力において恵まれていない人間に比べて本来的に健康だということだ。
 そして三番目に指摘すべきは、これは2番目に指摘したことの帰結でもあるのだが、知力には性的魅力があるということだ。・・・
 一般的知力・・・が寿命を含め、個人の健康の様々な側面と高い正の相関関係にあることが分かった。
 この事実についての考え得る一つの説明は、知力の高い人間は、自分の生活をいかに律するかについて、より適切な選択をするということだ。このような人々は、喫煙を余りしないだろうし、健康的な食品を摂取するだろうし、運動もするだろう、等々。
 またこうも説明することができるかもしれない。知力は、全般的な遺伝子によって規定されたところの健康性の一つの現れであると。・・・
 芸術的能力や音楽的能力の形で顕現した知力は、全般的な遺伝的適者生存性(fitness)の信頼すべき指標として、1000年以上にわたって異性陣営のメンバー達から選択されてきた。
 同じつがいの相手を狙う競争相手を退散させ、つがいを獲得する軍拡競争において、知力は、孔雀の尾っぽがそうであるように、誇張されて見せびらかされてきた。
 <逆に言えば、>このような性的淘汰の過程があったからこそ、・・・人間は、より知力に秀でるようになったのだ。・・・
 精子の濃さ(1立米中の精子数)、精子数(射精時の全精子数)、そして精子の質<において秀でていればいるほど、>・・・その人間は、少なくともダーウィン的な意味における適者生存性という意味で、全般的に健康な身体を持ち、つがいの相手をより惹き付け、より子孫を残すことができるのだ。・・・」
http://www.economist.com/science/PrinterFriendly.cfm?story_id=12719355

 日本人の平均IQは世界有数の高さであることからすれば、日本人の寿命もまた世界有数の高さであることに何の不思議もないわけです。
 ということは、日本人と結婚したい外国人は山といるはずなのに、遺憾ながら日本人は据え膳を食わずして日本国内だけでつがいの相手を捜し、更には一夫一妻制を墨守し、婚外子のタブー視を続けているため、日本人の婚姻率も出生率も低迷しています。
 なんとまあもったいないことでしょうか

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太田述正コラム#2995(2008.12.25)
<日進月歩の人間科学(続)>(2009.2.5公開)

1 始めに

 今回は、人間科学の、既に学会の常識になっているけれど、我々が(、少なくとも私は、)余り耳にしていない話と、最新の話とを一つずつしましょう。

2 「人種」とスポーツ能力

 「・・・ACTN3は筋力の発揮速度を司る遺伝子だ。・・・
 ACTN3は、二種類の変体(variant)を持つ。RとXだ。
 <組み合わせには、XX、XR、RRがあるわけだ。>
 大まかに言うと、X変体に比べてR変体を沢山持つと力と速度を必要とするスポーツに秀でる可能性が高くなる。・・・
 7年前に・・・出版されたデータによれば、X対立遺伝子(allele)の相対的出現率が、アジア人は0.52、欧州白人は0.42、アフリカ系米国人は0.27、アフリカ人は0.16だ。
 更に細かいデータを見ると、XX遺伝子型(genotype)の出現率が、アジア人は0.25、欧州白人は0.20、アフリカ系米国人は0.13、アフリカのバンツー人は0.01だ。逆にRR(速度と力の遺伝子型)の出現率が、アジア人は0.25、欧州白人は0.36、アフリカ系米国人は0.60、アフリカのバンツー人は0.81だ。
 アジア人の間では、XX対RRは1対1、白人の間ではほぼ1対2、アフリカ系米国人の間では1対4以上だ。
 従って、他の条件が一定ならば、この遺伝子が、アフリカ人とアフリカ系米国人が速度と力のスポーツの最も高いレベルにおいて、非常に多く見いだされる結果をもたらすであろうことが分かる。・・・
 結論的に言えば、ACTN3単独で予見できることからして、NBAでは黒人が約2倍の割合で多数を占めることが予想できるわけだ。もとより、その他の要素、すなわち文化、資源、異なった扱い、ほかの遺伝子等々だって無視するわけにはいかないが・・。
 だから、世界人口の50%を占めるというのに、・・・アジアからは著名な短距離走者は出ていない。100メートル走で白人の走者を見いだすことはない。白人の最高記録は10秒だが、これはこれまでの全記録で200番にも入らない。…過去4回のオリンピックでの男子100メートル走のファイナリスト32名は、すべて西アフリカ系だ。
 こんな結果になる確率は、西アフリカ系の黒人で世界中に住んでいる人々を全部合わせても世界人口の8%にしかならないことからすると、0.0000000000000000000000000000000001%だ。
 ・・・ちなみに、西アフリカ系が短距離走の世界を支配しているが、東アフリカ系が遠距離走ではそれ以上に活躍している。・・・」
http://www.slate.com/id/2206088/
(12月5日アクセス)

3 ウソと人類

 「・・・類人猿(primates)の比較調査の結果、・・・大脳の大きさと陰険さ(sneakiness)は直接的な関係があることが分かった。特定の類人猿の大脳新皮質・・大脳の最も「高度」な部位・・の平均的大きさが大きければ大きいほど、その類人猿は・・・次のようなことをよくしでかす。
 怒った母親が罰するべく追いかけている若いヒヒが、突然立ち止まり、わざと地平線を眺め回す。これは、ヒヒの群れ全体を、実際には存在しない侵入者に対して警戒させることで、母親の自分への注意をそらす行為なのだ。・・・
 <別の研究によれば、>大学の学生達は一日平均2回ウソをつくのに対し、大学の周辺住民は1回ウソをつくことが分かった。もっともウソとは言っても、大部分はたわいのないものだが・・。・・・
 <ところで、>これまで行われた100以上の研究で、研究者達は、例えば、ビデオを見せてある人物がウソをついているかどうかをあてさせたところ、実験対象者達の正答率は54%程度であり、硬貨を投げて答えを決めるのと大差ないことが分かっている。
 このように人間は、ウソを見抜くことができないことから、研究者の中には、人間にはだまされることへの欲求がある、つまり、赤裸々な真実より、かっこよく装ったおとぎ話の方を好む欲求があると考える者がいる。・・・
 <人間を除く>霊長類(Great Apes)は、偉大なるウソつき(faker)だ。・・・捕らえられたチンパンジーやオランウータンは、見知らぬ人間を自分達が囲われている場所へおびき寄せることがある。藁を差し出し最も親しげな顔つきをして・・。
 ・・・「人間は、おや、奴はオレが好きだから、ああいう仕草をしてるんだなと思う」というわけだ。「<こうして近づいた人間の>膝をつかみ、噛みかかる。実に危険な状況になる。」
 類人猿は、こんなことを同類に対しては決して試みない。・・・「奴らはお互いによく知っていてそんなことにはひっかからないのだ」というわけだ。「藁を差し出し最も親しげな顔つきをするなんて単純な手にひっかかるのは、根っから純真である(naive)ところの人間だけだ。」
 <類人猿は、お互いには、もっと複雑なだましのテクニックを使いあう。>
 恐らく、人間は根っからのとんま(sucker)な生物である、と言ってもよかろう。・・・」
http://www.nytimes.com/2008/12/23/science/23angi.html?pagewanted=print
(12月24日アクセス)

4 終わりに

 前の方の話は、遺伝子の違いによるわけではあっても、要するに、平均的人種の間には身体能力において大きな違いがあること、だから、それ以外の能力においても大きな違いがあっても不思議ではないこと、を示していると言えるでしょう。
 これは、我々の常識に合致する話です。
 後の方の話は、ある意味ショッキングです。
 平均的知的能力が一定レベルを超えた高い種と種同士では、知的能力が高い種ほどより純真でだまされやすい、ということが、同じ人間同士でも言えそうだからです。
 高度な文明が蛮族によって滅ぼされる、という歴史を人類が繰り返してきた理由はここにあるのかもしれませんね。
 また、知的エリートばかりの組織や社会は脆弱である、ということも言えるのかもしれません。
 更に、知的レベルがそれほど高いとは思われない麻原彰晃が、高学歴のオウム真理教の幹部達をだまして意のままに操ったり、同じく知的レベルがそれほど高いとは思われないヒットラーが、知的レベルの高いドイツ人官僚達や軍人達をだまして意のままに操ったりした事例も思い出しますね。 

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太田述正コラム#2958(2008.12.7)
<社会的存在としての人間>

1 始めに

 「人間は社会的動物である」と記したのはアリストテレス(注1)ですが、欧州において、とりわけデカルトやスピノザ以来、哲学や社会科学で徹底した個人主義的アプローチがとられるようになり、人間が社会的存在(注2)であることが忘れられがちになってしまいました。
http://findarticles.com/p/articles/mi_m0411/is_/ai_14234274
(12月7日アクセス)

 (注1)実際にはアリストテレスは、「人間はポリス的動物である」と『国家(Politics)』や『ニコマコス倫理学』で記し、英語では、"man is by nature a political animal"と訳される。だからなのか、日本語で「国家的動物」とか「政治的動物」と訳されることもある。しかし、「社会的動物」と訳すのが、原意に最も忠実だ。
http://findarticles.com/p/articles/mi_m0411/is_/ai_14234274
http://oll.libertyfund.org/index.php?Itemid=275&id=1183&option=com_content&task=view
(どちらも12月7日アクセス)
 (注2)人間(じんかん)的存在、と言ってもよい。コラム#113、114、1157(のQ&A)参照。

 アングロサクソン文明は個人主義文明であり、この文明を理想視したフランスのデカルトやオランダのスピノザらによって、アングロサクソンの本家であるイギリスにおいては見られないところの、徹底した個人主義的アプローチが欧州でとられるようになったところ、できそこないのアングロサクソンたる米国の哲学や社会科学もまた同様である、というのが私の考えです。
 
 こういう背景を頭に入れておくと、本日ご紹介する二つの研究の意義がお分かりになろうというものです。

2 禁煙の伝染性

 ハーバード大学医学大学院のニコラス・クリスタキス(Nicholas Christakis)とカリフォルニア大学サンディエゴ校のジェームス・ファウラー(James Fowler)<の研究によれば以下のとおり。>

 ・・・喫煙者は集団で禁煙する。
 つまり、禁煙プログラムは、個人ではなく集団に着目した方が効果を上げるということだ。同時にこれは、ある人が禁煙することで、自分だけでなく沢山の人が裨益するということでもある。1人が禁煙することは、さざ波のような効果で社会的ネットワーク全体の禁煙へと誘うということだ。
 「我々」は喫煙が自分の健康によくないことを知っている・・・が、それは自分の社会的健康にもよくない・・・<ということだ。>・・・
 教育程度が高い人ほど、友人達に影響される程度も高い・・・。・・・
 配偶者の禁煙は友人の禁煙より影響力が大きいし、友人の禁煙は自分の子供の禁煙より影響力が大きい。・・・
 我々は個人を原子化された単位と考えがちであり、政策を個人にとってよいか悪いかで判断しがちだ。・・・しかし、この研究は、我々がお互いに結びつき合っていることを思い起こさせてくれた。我々が何かをある人にすると、波及効果が生じるわけだ。・・・
 <昨年、この二人は、肥満についても、同じような研究を発表している。>
http://www.nytimes.com/2008/05/22/science/22smoke.html?ref=health&pagewanted=print
(12月6日アクセス)

3 幸せの伝染性

 <このクリスタキス(医師で社会科学者)とファウラー(政治学者)が、また研究を発表した。>

 ・・・感情は集合的存在か。感情は単なる個人的現象ではない。・・・
 もしあなたの友人の友人が幸福になれば、5,000米ドルもらうより大きな幸福(happiness)をあなたに与える。・・・
 配偶者の幸福は隣人の幸福ほどあなたを幸福にはしない。・・・これは人が同性の感情により注目していることのあらわれなのではないか・・・。 
 しかし、他人の不幸は蜜の味(schadenfreude)・・・ではなかったのか。
 友人が幸福になると不幸になる人がいないわけではないが、・・・幸福になる人の方が多いことが分かったということだ。・・・
 肥満と喫煙の研究では、友人は遠隔地に住んでいても影響を与えることが分かった。
 しかし、幸福の効果に関しては、友人、自分の子供、あるいは近くに住んでいる隣人による効果の方がはるかに大きいことが分かった。・・・実際に会ったり物理的に、そして暫定的にせよ、近くにいなきゃいけないわけだ。・・・
 しぐさ(body language)と感情表現(emotional signal)が大切なのだろう・・・。
 ビデオ会議が導入された頃には、飛行機で国中を駆け巡る人は誰もいなくなるだろうと思われたけれど、そうはならなかった。実際にその手をとることができるかどうかということも、ある人との信頼関係を構築するにあたって重要だということだ。
 ただし、・・・Eメールとウェブカメラによる通信が普及した場合に、遠隔地効果がやがては減少するのかどうかはまだ明確ではない。
 二人が行った1,700人のフェースブック加入者を対象とした別の研究によれば、笑顔の写真を載せている人は笑顔でない写真を載せている人よりフェースブック上の友人がたくさんできた。・・・
 悲しみ(sadness)も同じように伝達されるが、幸福ほど確実ではない。
 これは、人間が進化の過程で、「よいムードであり続けることができる状況を選択する」性向を身につけたからではないか・・・。
http://www.nytimes.com/2008/12/05/health/05happy.html?pagewanted=print
(12月5日アクセス)

4 終わりに

 人間主義の国である日本で、どうしてこの種の研究がどんどん出てこないのでしょうか。
 いずれにせよ、読者とのオフ会の機会を増やさなければ、と改めて思います。
 読者の皆さんも、お時間があれば、ぜひオフ会に参加されることをお勧めします。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

太田述正コラム#2959(2008.12.7)
<ムンバイでのテロ(続)(その3)>

→非公開

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太田述正コラム#2545(2008.5.13)
<アインシュタインとイスラエル>(2008.11.15公開)

1 始めに

 アインシュタインとイスラエルに関し、それぞれ興味深い記事を発見したので、ご紹介しましょう。

2 アインシュタインの宗教観

 アインシュタインの宗教観については、以前(コラム#498で)触れたことがありますが、最近新たに発掘された彼の手紙が、彼のアブラハム系宗教に対する厳しい見方を示すものとして注目されています。
 アインシュタインは次のように記しています。

 「私にとっては、神という言葉は人間の弱さの表現かつ産物、聖書は尊敬すべきだが同時に極めて子供っぽい原始的な伝説、以上の何物でもない。(私に関する限り、)どんなに精妙などんな解釈もこのことを変えることはできない。」
 「私にとっては、ユダヤ教は他の全ての宗教と同様、最も子供っぽい迷信の化身だ。また、私が、その一員であることを喜んでおり、またその心性(mentality)に大いに親縁性を覚えるところのユダヤ人は、私にとっては、他のすべての人々と異なった質を有しているものではない。私の経験によれば、ユダヤ人は他の人間の集団よりも優れているわけではない。ただし、権力を持っていないが故に最も悪質な癌に冒されることがないだけだ。彼らが選民だなんて全く思わない。」

 ちなみにアインシュタインは、イスラエルの第二代大統領に推されたのですがこれを固辞しています。

 (以上、
http://www.guardian.co.uk/science/2008/may/12/peopleinscience.religion
(5月13日アクセス)による。)

3 世界一幸せなイスラエル国民

 そのユダヤ人が権力を持つに至ったイスラエルは、今年建国60周年を迎えましたが、いかなる悪質な癌に冒されているでしょうか。
 いや、癌に冒されるどころか、イスラエルのユダヤ人は、世界一幸せな民らしい、とスペングラー(仮名)がアジアタイムスに論考を寄せています。
 彼は要旨次のように記しています。

 イスラエルは、世界で最も古い国(nation)だ。いや、古いだけなら、例えばバスクだって古い。だけど、3,000年前と(無理矢理復活したものだが、)同じ言語をしゃべり、おおむね同じ地域を占め、その全歴史を通じて文字による記録を継続的に残している、つまりは、中断することなき国家意識を持ち続けたのはこの国だけだ。
 さて、伝統的社会の桎梏を逃れ、社会が近代化して自由になると、ほとんどの人々は子供を持とうとしなくなる。
 この結果、先進国では軒並み人口が減少し、それぞれ滅亡への道を歩みつつある。
 例外はイスラエルと米国だけだ。
 (以上、移民を除いた話だ。)
 といっても、米国の出生率はぎりぎり人口が維持できる2.1に過ぎないのに対し、イスラエルは2.77もある。ロシアを含む欧州30カ国と米加日、それにシンガポールと香港の35カ国中、ダントツのトップだ。
 私は、これはイスラエルのユダヤ人が生を愛し、自分達を幸せだと思っているからだと考える。
 このことを裏付けるのが、イスラエルの10万人当たり自殺者数が6.2人と、これまた、この35カ国ないし地域中、ギリシャの3.2人に次ぐ第2位の低さであるという事実だ。
 このように出生率が高く自殺率が低いことは、イスラエル人の4分の3は敬虔な信徒とは言えないものの、3分の2が神の存在を信じているだけでなく、彼らが全員初等中等教育の12年間にわたって聖書教育を受けていること、つまりは、イスラエルのユダヤ人が宗教的であることと無縁であるとは思えない。
 というのは、一般に先進国でも後進国でも宗教的な人々の出生率は、世俗的な人々の出生率より高いからだ。
 現にイスラエルでは、超正統派ユダヤ教徒の夫婦は平均で9人も子供をつくる。
 だから、キリスト教が形骸化した欧州では出生率が下がり、自殺率が高いのだ。
 なお、上述したように米国の出生率は高いけれど、米国のユダヤ人の出生率は低い。これはイスラエルのユダヤ人と違って、彼らの大部分が世俗的だからだ。道理で、ベロー(Saul Bellow)やロス(Philip Roth)のようなユダヤ系米国人たる小説家や、アレン(Woody Allen)のようなユダヤ系米国人たる俳優から、ユダヤ人は不安にかられた神経症患者ばかりだ、という印象を一般の人々が抱くわけだ。
 (なお、宗教的なユダヤ人と原理主義的キリスト教徒の共通点は、彼らが共に選民思想を抱いているところだ。選民だと信じておれば、自分達を特に幸せだと思うのも当然だろう。)
 もちろん、(同じアブラハム系の宗教を信じているとはいえ、)イスラム教徒たるアラブ人の出生率が高い理由は、彼らが伝統的社会の桎梏の下で生きているからだ。
 彼らは世界中で、最も自由でなく、最も教育程度の低い、(産油国を除き)最も貧しい人々だが、私に言わせれば、産油国の人々を含め、世界中で最も自分達を不幸だと思っている人々でもある。
 これは、同じアブラハム系の宗教ではあっても、ユダヤ教とキリスト教の神は愛の神であって神と信者は信頼関係で結ばれているのに対し、イスラム教の神は気まぐれの神であり、成功も失敗も神の思し召し次第であると受け止められていることから、アラブ世界が失敗続きであることが、イスラム教徒たるアラブ人にとって耐え難いからだ。しかも、アラブ世界の真っ只中に出現した、異教徒のイスラエルが成功続きであることが、アラブ人のこの耐え難い思いを一層募らせるのだ。
 だからこそ、不幸なアラブ人は、自爆テロを行ってまで、幸せなイスラエルのユダヤ人を殺戮しようとする。これがパレスティナ問題の本質であり、しかるがゆえにパレスティナ問題は永久に解決しないのだ。

 (以上、
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/JE13Ak01.html
(5月13日アクセス)による。

 終わりの方はともかくとして、なかなか鋭い論考であると思いませんか。

4 感想

 アインシュタインもイスラエルも、どちらもホントに面白いですね。

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太田述正コラム#2806(2008.9.22)
<夏休み中の記事より>(2008.11.9公開)

1 始めに

 ようやく少し時間ができたので、9月の第一週の夏休み中にダウンロードだけしてあったファイルを斜め読みしたところ、既に時期遅れになった時事ものを始めとして、余り収穫がありませんでした。
 その中から、比較的面白かった2つの記事の概要をご紹介しましょう。

2 イスラム世界における性
 
 まず、American Freedom Campaignの共同創立者のナオミ・ウルフ(Naomi Wolf)によるコラムです。

 「欧米では、ベールで覆うことは、女性の抑圧であり女性の性の抑制であると解釈している。しかし私がイスラム諸国を旅行しイスラム教徒の家で女性だけの中で議論に招待され、イスラムの女性の格好と女性の性に対する姿勢は抑圧に根ざすものではなく、公と私、つまりは神の領域と夫の領域とを峻別する意識に根ざすものであることが分かった。・・・
 多くの女性達はこういう。「欧米の衣類を着ると、男達は私をみつめ、私を客体化する。他方私はいつも自分自身を雑誌の中の標準的モードと比較してしまう。とてもかなわないし、年をとるとともにもっとかなわなくなるし、いつも男達の目に晒されていることもなおさらつらくなる。ところが、ヘッド・スカーフやチャドルを身に纏うと、人々は私に客体ではなく個人として関わってくれる。私は尊敬されていると感じる。」と。・・・
 女性の性が私的な世界にとどめおかれ、聖なるものとみなされるように仕向けられておれば、そして、夫がその妻(や他の女性)が一日中半分裸でいるのを見ていなければ、家の聖域の中でヘッド・スカーフやチャドルが取り去られた場合の大きな力と濃密さを誰しもが感じることができる。・・・
 あらゆる街角にポルノと性的イメージがあふれる中で成長する欧米の健康な若い男性達の中には、リビドーの減少が次第に一般的になりつつある。だから、女性の性が、もっと慎み深い文化の中で持っている力がいかほどのものか想像できようというものだ。欧米の人々は、フランスや英国の女性がベールを選択する時、それは必ずしも彼女の抑圧を示すものではないことを認識する必要がある。・・・」

 (以上、
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2008/09/05/2003422327
(9月5日アクセス)による。)

3 ロシア正教とグルジア正教

 次は、ニューヨークタイムス掲載の記事です。

 「1億人以上のロシア人が正教徒であり、キリスト教世界の中で最大の正教を構成している。ポスト・ソ連期のロシア政府は正教を国家宗教とした。・・・
 ロシア世論調査センターが昨年行った調査によれば、ロシアの総人口1億4,100万人のうちの約75%がが正教徒であるけれど、規則的に教会に行くのはわずか10%に過ぎない。・・・
 グルジアは、人口は500万人にみたないが、最も古いキリスト教諸国の一つだ。その教会は4世紀まで遡ることができ、キエフのウラディミール公がドニエプル河の岸辺に正教をもたらし、ルス(Rus)族の洗礼を行った988年までしかそのルーツを遡ることができないロシア教会よりはるかに古い。・・・
 この二つの教会の歴史は長く、相互の関係は入り組んでいる。1801年にロシアは、ペルシャからの保護を求めていたグルジアを併合し、その教会を吸収した。そしてロシアはグルジア司教区(patriarchate)を廃止したが、この司教区は、ボルシェビキが権力を掌握した後は、少なくとも名目的には回復された。帝政時代からソ連時代にかけて、グルジアの僧侶達はロシアとキエフで訓練を受けた。ソ連時代には、グルジアはロシアで迫害された坊さん達の避難所となった。・・・
 ロシア教会は、ロシア政府によるアブハジアと南オセチアの承認に対して煮え切らない態度をとっている。・・・
 この両地域の正教会は必ずしもモスクワの管轄下に入るわけではない<というのだ。>・・・
 ロシア教会は自らを帝国的な教会であると内心思っている。しかし、現在の<グルジアの>紛争からロシア教会が得るものはほとんどない。ロシア教会の<ある>学者は、「この何十年かの間で、ロシア正教会の外交政策が国家のそれと乖離したのは初めてだ」と語っている。」

 (以上、
http://www.nytimes.com/2008/09/06/world/europe/06orthodox.html?ref=world&pagewanted=print
(9月6日アクセス)による。)

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太田述正コラム#1736(2007.4.17)
<宗教を信じるメリット?(その6)>(2007.11.3公開)

 (本日は過去の非公開コラムを2篇アップないし配信させていただきました。最初のコラムは「時事篇」であり、このコラムは「理論篇」です。通常の私のコラムの感じをつかんでいただけるのではないでしょうか。(太田))
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 さて、世界の主要宗教(無宗教を含む)を、信者数の多い順に並べると、21億人のキリスト教、13億人のイスラム教から始まって、11億人の無宗教、ヒンズー教、支那系宗教、仏教、原始的宗教、アフリカ系伝統的宗教、シーク教、北朝鮮の2300万人の主体思想(注8)、精霊信仰(Spiritism)、ユダヤ教、バハイ教、ジャイナ教、400万人の神道、カオダイ教、ゾロアスター教、200万人の天理教(以下略)なのだそうです。

 (注8)主体(Juche)思想が宗教に分類されていることに注意。脱北者の多くがキリスト教徒になるのは、脱北の手助けをする団体に韓国のキリスト教系団体が多いこともあるが、宗教信徒的マインドを北朝鮮時代に叩き込まれているからでもあろう。

 これまで説明しませんでしたが、アブラハム系宗教(Abrahamic religions)とは、キリスト教・イスラム教・ユダヤ教・バハイ教を指します。(ついでに言うと、ヒンズー教・仏教・シーク教・ジャイナ教は戒律系宗教(Dharmic religions)として括られる。)
 このリストのトップのキリスト教は、一番「成功」した宗教ということになり、南北アメリカ、欧州/ロシア、中部・南部アフリカ、オセアニアを席巻していますが、一人当たりGDPで見ると世界の最も豊かな国から最も貧しい国までが含まれています。
 ですから、キリスト教は信徒たちを最も適切に環境に適応させることができた宗教である、とは言えそうにありません。
 それにデータがないので、あくまで推測ですが、恐らく上記分類の中で、一番一人当たりGDPが高いのは無宗教の人々でしょう。
 これらだけでも、宗教・適応説はウソっぽいことが分かります。

 引き続き、焦点をキリスト教にしぼって議論を進めましょう。
 
<挿話一>
 紀元5世紀前半にアイルランドにおいて、聖パトリック(Patrick)によるキリスト教の布教が始まり、アイルランドは200年かかって完全にキリスト教化した。実はアイルランド、は欧州において、平和裏にキリスト教化された唯一の地方なのだ。(
http://www.slate.com/id/2161842/
。3月17日アクセス)

<挿話二>
 「13世紀初め、修道僧のアッシジのフランシス<(Francis of Assisi。1182〜1226年。フランシスコ修道会創始者)>は、第五回十字軍に戦士としてでなく、平和追求者として参加した。・・フランシスは地中海を渡って、・・第三回十字軍を打ち破った大サラディンの甥であるアル・マリク・アル・カミル(al-Malik al-Kamil)のエジプトの宮廷を訪れた。フランシスはこのサルタンに直接お目見えがかない、キリストのことを話した。・・イスラム教徒に<異教徒が>布教をすれば、その場で首をはねられても仕方がなかったが、カミルは賢明にして穏和なる人物であり、フランシスの勇気と誠実さに深い感銘を受け、彼ともっと話を交わしたいと一週間滞在するよう勧めた。フランシスもまた、イスラム教徒の宗教的献身に深い感銘を受けた・・フランシスはエジプトの海岸の十字軍の陣営に戻り、法王ホノリウス(Honorius)3世から十字軍の目付役に任じられたパラギウス・ガルヴァニ(Pelagius Galvani)枢機卿に対し、サルタンと和平をすべきだと説いた。サルタンの方の軍勢の方がはるかに優勢だったが、サルタンは和平に応じる用意があった。しかし、枢機卿は軍事的栄光の夢を抱いており聞く耳を持たなかった。結局、夥しい人命が失われ、枢機卿は破れ、十字軍の時代は不名誉なる終焉を迎えることになる。・・フランシスこそ、平和追求という革命的な考えを持って欧州から他の大陸に旅した最初の人物だった。」(
http://www.nytimes.com/2006/12/25/opinion/25Cahill.html?pagewanted=print
。2006年12月26日アクセス)

<挿話三>
 「<日本の>戦国時代末期から近世初期にかけてのキリスト教は、ポルトガルやスペインといった世界帝国の国策をになって侵略の尖兵となった・・。・・日本において、ハルマゲドンが最初に信じられたのは、<この時>以降のことである。キリスト教は、日本に入ってきて、主に支配者層を布教のターゲットとした。・・<そもそも、>ヨーロッパでは封建王政とキリスト教が共存しており、領主に反抗すること<はご法度だった。>・・<だから当初は>終末論的な側面はあまり出てこなかった。・・<にもかかわらず、ハルマゲドン>が歴史の表面に噴出したのは、キリスト教が弾圧され、ハルマゲドンを望む思想状況が生まれたからである。寛永14(1637)年、天草・島原地方で勃発したいわゆる島原の乱は、そのような文脈でとらえる<べきである。それは、>追い詰められた信者の絶望的な蜂起というよりも、ハルマゲドンを予感した信者たちの積極的な行動であった。・・天草四郎の奇跡も当時の人に信じられ、「野も山も草も木もみな焼ける」という予言も蜂起によって実行された。秩序の側に立つ者たちにとって、このような命知らずの集団は・・<現代日本で起こったオウム真理教の「蜂起」に瓜二つの>・・狂気としか思えず、恐ろしい存在であっただろう。・・このような蜂起を経験して、幕藩権力がポルトガル人を追放し、より厳しいキリスト教弾圧に乗り出したのは理由のないことではない。」
(山本博文『江戸時代を探検する』新潮文庫2005年(原著は1996年)158〜159頁、177〜178頁。ちなみに、山本は、東京大学史料編纂所教授。)

 このわずか、三つの挿話だけからも、キリスト教は、欧州においてすら、もっぱら強制力を用いて異教徒を改宗させることによって布教され、欧州諸国による世界侵略の尖兵となり、世界に終末論的狂気を輸出したことがお分かりいただけるのではないでしょうか。
 ユダヤ教だけは布教はしないので異教徒の強制的改宗もしませんが、以上は、アブラハム系宗教に共通する属性なのです。
 一体どうしてそんなことになってしまうのでしょうか。
 
(続く)
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太田述正コラム#2158(2007.11.3)
<疲れたァー(続々)>
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太田述正コラム#1734(2007.4.15)
<宗教を信じるメリット?(その5)>(2007.10.12公開)

4 私の見解

 (1)日本の社会科学者への期待

 そこで、私の見解ということになるのですが、私はもとより、専門家ではないので、日本の社会科学者に、ぜひ宗教を信じるメリットの最終的な解明を成し遂げて欲しいと思っています。
 なぜなら、日本の社会科学者しか、それはできないと考えるからです。
 現在社会科学が最も進んでいるのは米国ですが、米国におけるこの種研究には限界があるからです。
 どうしてか?
 ここで重複を厭わず、もう一度いかに米国が宗教的に異常な国であるかを再確認しておきましょう。
 2005年の世論調査によれば、米国の10人に6人は悪魔と地獄の存在を信じており、10人に7人は天使・天国・奇跡・死後の生活の存在、を信じていますし、2006年の調査によれば、米国の92%の人が唯一神の存在を信じています。
 つまり、米国はいわゆるアブラハム系宗教の信者が圧倒的に多い国であり、しかもすこぶるつきの「敬虔な」アブラハム系宗教の信者が多い国である、という点で、世界でも稀な異常な国であるということです。(強いて言えば、サウディアラビアが米国に似ているかもしれません。)
 そしてこの関連でと申し上げてよいと思いますが、上記の2005年の世論調査によれば、米国の成人の54%は進化論が誤りだと思っており、1994年の46%より比率が上昇しています。
 つまり、このところ、「敬虔」な信者の割合が増えつつあるという意味でも、米国は世界の潮流に反する異常な国なのです。
 こんな米国で、宗教・副産物説であれ、宗教・適応説であれ、社会科学者達が、進化論の立場から、宗教のメリットを解明し、宗教の神秘のベールをはがそうとしていることには敬服せざるをえません。
 しかし、あえて申し上げますが、宗教・副産物説のリーダーであるアトランが、ミシガン大学という比較的有名な大学の教授ではあっても臨時教員(Adjunct professor)に過ぎず(注7)、また、宗教・適応説のリーダーであるウィルソンが余り耳にしないビンガムトン(Binghamton)なる大学の教授に過ぎないことが大変気になります。
 これは、米国で、この種の研究が市民権を得られないことを示唆していないでしょうか。

 (注7)ただし、パリの研究所の所長を兼務している。

 また、同じアングロサクソンとは言っても、米国と違って世俗的な国である英国の社会科学者は、世界では宗教を信じる人が大部分であることから、世界中を敵に回しかねないこの種の研究は敬して遠ざけているのではないでしょうか。
 だからこそ、私は、世界で最も世俗的な国であり、しかもアブラハム系の宗教の信者が極めて少ない国であり、かつ、アングロサクソンなるグローバルスタンダード文明に属さないことから英国の社会科学者のような配慮が必ずしも必要でないところの、日本の社会科学者に期待するのです。
 もっとも、その前に、まず日本の社会科学全体の水準を引き上げる必要があります。

 (2)私の見解
 
 このシリーズを読んでこられた方には想像がつくでしょうが、私自身は、宗教・適応説より宗教・副産物説の方に軍配を上げたいと思っています。
 ただし、それはアトラン自身のウィルソン批判のように、宗教・副産物説が、宗教とイデオロギーを区別せずに論じていて、宗教固有のメリットを説明できていないからではありません。
 そもそも私は、アトランのように、マリアが母であると同時に処女であるとか神は人間の姿をしているけれど身体を持たない、といった非常識な物語を人間に信じさせる宗教と、政治的・経済的・科学的に一見説得力のある理論を人間に提供するところのイデオロギーとを截然と区別する考え方をとらないのです。
 確かに、総じて言えばイデオロギーの方が宗教より逸り廃れが激しいといった違いはあるけれど、私は、「非常識」に立脚する宗教も、ある時代のある場所における「常識」に立脚するイデオロギーも、どちらも人間の思考や行動を制約したり歪めたりするドグマであるという点で同類だと思っているのです。

 まず、どうして私が、宗教・副産物説の方の方がもっともらしいと思っているかをご説明した上で、宗教、とりわけアブラハム系宗教の「危険性」について私見を申し述べることにします。

 (以下、特に断っていない限り、世界の主要宗教については、
http://www.adherents.com/Religions_By_Adherents.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Major_religious_groups
(どちらも4月15日アクセス)による。また、アブラハム系宗教と欧州文明のイデオロギーの「同根性」と「危険性」については、
http://www.csmonitor.com/2006/1121/p09s01-coop.html
(2006年11月21日アクセス)、及び
http://www.mises.org/journals/rae/pdf/rae4_1_5.pdf
http://en.wikipedia.org/wiki/Eschatology
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E6%9C%AB%E8%AB%96
(2007年4月15日アクセス)による。)

(続く)

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太田述正コラム#1730(2007.4.12)
<宗教を信じるメリット?(その4)>(2007.10.11公開)

 宗教・適応説の代表格は、米国の生物学者・社会学者・人類学者・宗教学者のウィルソン(David Sloan Wilson)です。
 (以下、追加的に、
http://www.amazon.com/gp/product/product-description/0226901351/ref=dp_proddesc_0/104-8066334-0411969?ie=UTF8&n=283155&s=books
http://www.randomhouse.com/catalog/display.pperl?isbn=9780385340212&view=excerpt
http://www.csulb.edu/~kmacd/books-dswrev.html
http://theoccidentalquarterly.com/vol3no2/rf-wilsona.html
(いずれも4月11日アクセス)も参照した。)

 ウィルソンは、淘汰(natural selection)はもっぱら個体レベルで生じるのであって、集団の間で生じる淘汰など無視してもよい、という米国の学者の間の常識に真っ向から挑戦している学者です。
 つまり彼は、淘汰は個体レベルのみならず、個体が寄せ集まった集団レベルでも起きるとし、人間の場合、宗教やイデオロギーは、人間集団が、一つの単位ないし有機体として、環境に生物学的かつ文化的に進化的に適応できるようにするために不可欠なものである、と主張するのです。
 実際、様々な文明の核心的性格は宗教やイデオロギーによって与えられてきた、というわけです。

 考えてみると、これは1世紀前の、社会進化論を唱え、宗教は社会の絆であると主張した、英国のスペンサー(Herbert Spencer 。1820〜1903年)や、宗教は人間集団が調和がとれよく調整された単位として機能するために生まれたと主張した、フランス生まれのユダヤ人にして社会学の創始者であるデュルケム(Emile Durkheim。1858〜1917年)、更には(これは私見ですが、)宗教を人間集団(文明)の方向性を決定づけるもの(転轍器)であると主張したヴェーバー(Max Weber。1864〜1920年)らの考え方への復帰です。

 ウィルソンら宗教・適応説をとる人々は、宗教やイデオロギーは、個人レベルでは、人間を、快適な気持ちにし、死についての思いに苛まれることから解放し、未来のことにより意識を集中させ、前向きに自分達の生活に取り組ませるとし、おかげで、宗教的(ないしイデオロギー的。以下同じ)な人間は、食物を発見し蓄えることがより上手になり、道徳的で従順であってきちんとした生活を送ることから、よりよい配偶者も得られる、と指摘します。
 彼らはまた、集団レベルでも、宗教的な集団は、団結力が強い上、集団のために自らを犠牲にする個人をより沢山抱えており、資源を分かち合うことや戦争を準備することにより巧みであるから、非宗教的な集団に比べて有利である、と指摘します。
 このような宗教的な集団のメンバーである個人は、非宗教的な集団のメンバーである個人に比べて、自分のエゴを自由に追求できないばかりか、集団のために犠牲になることすら求められることがあるという意味では大きなコストを甘受しなければならないところ、メンバーを平均すれば、そんなコストを支払ってもおつりがくる大きいメリットが得られる、というわけです。
 (もっとも、宗教的な集団が宗教的なメンバーばかりで構成されていると、ひどい誤帰因や誤解(コラム#1727)が原因で集団が一気に滅びてしまう危険性が高いことから、滅亡を免れた宗教的な集団は、非宗教的なメンバーを相当の割合で抱える集団であるらしい。)

 キリスト教を例にとれば、ローマ帝国の伝統的な考え方とは相反し、キリスト教は、大家族、夫婦間の貞節、熱心な子育てを奨励し、堕胎、嬰児殺し、生殖と無関係の性行動を禁止しました。そのおかげでキリスト教徒の女性の出生率は異教徒の女性のそれを上回り、ついにはキリスト教徒は、ローマ帝国において多数派を形成するようになり、やがてキリスト教はローマ帝国の国教になった、というのです。

 宗教やイデオロギーの中には、個人のエゴの追求を合理化するものもありますし、宗教やイデオロギーは一般に権威への従順さを個人に植えつけるため、往々にして専制をもたらします。
 このことから、宗教・適応説をとる人々は、宗教やイデオロギーは集団を非常に強固なものにすることがある一方で非常に危険なものでもあると指摘します。
集団を非常に強固なものにした典型的な例としては、初期キリスト教の信徒集団や強制収容所列島という趣のあったソ連が挙げられます。
 また、危険なものであるというのは、個人の利益にひどく反する規範・・例えば奴隷を容認する規範・・を個人に植え付けたり、集団の環境への適応を長期的には阻害するような規範を集団に植えつけたりする宗教やイデオロギーがあるからです。

(続く)

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太田述正コラム#1728(2007.4.11)
<宗教を信じるメリット?(その3)>(2007.10.9公開)

 (3)宗教が成立するプロセス

 こういう実験があります。
 一郎が箱Aにビー玉を入れたところ、花子が一郎に黙ってそのビー玉を箱Bに入れなおしたとします。
 乳児や自閉症の子供は、一郎はビー玉を取り出そうとする時、箱Bを開けるだろうと指摘します。しかし、年長の幼児は、心理読解/誘導ができるようになっているので、何も知らない一郎は箱Aを開けるに違いないと正しく指摘します。
 
 次にこういう実験があります。
 幼児に、お菓子の写真が貼り付けてある箱を見せて中に何が入っていると思うかと聞きます。
 すると、彼らは、お菓子だと答えます。
 ところが、この箱を開けると中には小石が入っています。
 その上で2番目、3番目の質問をします。
 お母さんなら何が入っていると言うだろうかね。また、神様だったらどうだろうか、と。
 3〜4歳の幼児は、母親は無謬であって、かつ自分達は正解を知っているのだから、母親も正解をお見通しで、入っているのは小石だと言うだろうと答えるのです。
 それに対し、5〜6歳の子供の多くは、母親も他の人間同様間違った認識を持つことがありうることを知っているので、母親は中に入っているのはお菓子だと言うだろうと答えます。
 まさに、彼らは心理読解/誘導ができるようになっているのです。
 その彼らは、神様だったらどうだろうか、と聞かれると、神様はだまされることはないので、中に入っているのは小石だと言い当てる、と答えるのです。(当然、3〜4歳の幼児も同様に答えます。)
 ここから、心理読解/誘導能力の副産物としての宗教感覚が5〜6歳の子供の多くには既に備わっていることが分ります。

 ただし、これがいかなる宗教感覚かは、文化によって違ってきます。身につける言語が違ってくるのと同様、一つの神か沢山の神か、魂は天国に行くのか輪廻するのか、といった違いが生じるわけです。

 ところで、どんなものが宗教意識を高揚させるのでしょうか。
 奇妙な代物をいくつも見せて、どれに一番宗教性を感じるかを聞いた実験があります。
 その結果、人間は、あまりに現実離れしたもの、たとえば、言葉をしゃべったり登ったりする亀とか、悲鳴を上げたり花を咲かせたおはじきより、くすくす笑う海藻とか、すすり泣く樫の木とか、話す馬の方により宗教性を感じることが分りました。
 だからこそ、人間そっくりだけどすべてをご存じである神様とか、精神だけあって身体のない神様、が神様らしいということになるわけです。

 ただし、当然ながら、この、ちょっとだけ現実離れしている、ということだけでは不十分なのであって、それに感情的要素がつけ加わらないと宗教にはなりません。
 そのための仕掛けが儀式です。
 人間は、仕事をしながら歌ったり体を揺ったりするといった、創造的かつリズミカルな営み、すなわち儀式、に自発的に従事することで協力性を高める唯一の動物です。儀式こそ宗教を宗教たらしめるのです。
 その儀式が、死に関連したものであると、効果が最も大きいとされています。
 キリスト教にとって、イエスの受難の絵や彫刻(Stations of the Cross)を前にした儀式が持つ意味の大きさがここにあります(注6)。

 (注6)ただし、カトリック教会と英国教会とルター派に限る。一般に、キリストへの死刑の宣告からキリストの磔を経て埋葬までの14場面が描かれたり彫刻にされたりする。(
http://en.wikipedia.org/wiki/Stations_of_the_Cross
。4月11日アクセス)

 (4)宗教・適応説

 ここで、補足的に宗教・適応説、つまりは宗教が少なくともかつて人間が環境に適応するのに役立ったとする説についてもご説明しておきましょう。

(続く)

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太田述正コラム#1727(2007.4.10)
<宗教を信じるメリット?(その2)>(2007.10.8公開)

3 宗教を信じるメリット

 (以下、特に断っていない限り
http://www.nytimes.com/2007/03/04/magazine/04evolution.t.html?ref=magazine&pagew。anted=print
(3月5日アクセス)、及び、
http://www.citeulike.org/user/crispinb/article/1003486
http://www.acampbell.ukfsn.org/bookreviews/r/atran.html
http://barrysolow.vox.com/library/post/in-gods-we-trust-the-evolutionary-landscape-of-religion.html
http://barrysolow.vox.com/library/post/in-gods-we-trust-part-ii-the-supernatural-quasipropositions-and-ritual.html
(いずれも4月8日アクセス)による。)

 (1)始めに

 宗教は、人間社会のあらゆるところで目にすることができます(注2)が、それが身体的・精神的に多大の負荷を人間にかける(注3)にもかかわらず、それを信じることで、メリットがあるのかどうか、必ずしも明らかではありません。

 (注2)宗教、すなわち、神または神々、後世、祈りや儀式の人間の運命変更効果、を信じる営みは、古今東西の人間社会のほぼすべてで見いだされる。
 (注3)儀式に費やされる時間と資源、タブーを遵守するために捧げられる心理的エネルギー、そして加入儀礼に往々にして伴う痛み、等。

 それどころか、宗教を信じることは、時として、実世界についての誤帰因(misattribution)や誤解(misunderstanding)といったデメリットすら伴います。
 どうしてそんな宗教を人間は信じるのか大変不思議です。
 この謎を解明するための、脳科学者達による、前頭葉に宗教中枢があるのではないかという研究は何も生み出しませんでした。
 他方、進化論学者達による研究は着実に進展しており、この謎が解明されるのもそう遠くはなさそうです。
 進化論学者達が一致していることは、宗教が、人間の歴史の初期において、人間の脳によって生み出された、ということです。
 しかし、そこから先はまだ意見が分かれています。

 人間にとって、宗教は、少なくともかつては環境への適応上メリットがあった(注4)という説を唱える学者(adaptationists)と、宗教は、一度も直接的なメリットがあったことはないのであって、それは脳の進化の副産物(注5)に過ぎないという説を唱える学者(byproduct theoristsないしはspandrel(注6) theorists)とがいるのです。

 (注4)脂肪を蓄える性向は、食物が豊富な現代ではむしろ困ったことだが、かつては、度重なる飢饉にもかかわらず、生命を維持するために不可欠だった。
 (注5)たとえば、酸素を運ぶ赤血球の生誕は、生物の適応上メリットがあったが、血液の赤い色は、赤血球の生誕という生物の進化の副産物にほかならず、そのこと自体に何のメリットもない。
 (注6)たとえば、階段の下にできる意図せざる副産物たる空間が、spandrelだ。そのままでは非機能的な空間だが、そこに押入れを設ければ、機能的な空間に変わる。

 (2)宗教・副産物説

 それではまず、後者の学者たちの説を、その代表格であるところの、米国の認知心理学者兼社会人類学者兼進化生物学者兼哲学者であるアトラン(Scott Atran)の説を基軸としてご説明しましょう。
 アトランは、宗教は、人間の黒幕探知(Agent detection)、因果的思考(causal reasoning)、及び心理読解/誘導(Folkpsychology=theory of mind=intentional stance=social cognition)、という三つの脳の働きの副産物である、と主張しています。

 黒幕探知というのは、木の葉の音がした時に、それが危険な生物が葉に触れた音である可能性があると推論する脳の働きを指します。その副産物として、事象の背後に神ないし神々の存在を推論してしまうということが起きるわけです。

 因果的思考というのは、全く規則性のない出来事が複数生起した場合であっても、それらの出来事の間に時間的継起と因果律を推論する脳の働きを指します。この脳の働きの副産物として、人間は、病気から恢復した場合、単に運がよかったと片付けるのではなく、奇跡が起こった、あるいは祈りのおかげで恢復したと推論しがちです(注5)。

 (注5)日本人以外の慰安婦の中に、(そんな事実はなかった可能性が高いのに)自らの不幸が日本の官憲の強制連行によってもたらされたと思いこむ人が現れたり、(事実はまだはっきりしていないが、)非常時の異常心理による自発的集団自決という悲劇が日本軍の命令で生じたと思い込む沖縄の人が現れたりするのも、同様ではなかろうか。(太田)

 心理読解/誘導とは、他人の行為に先立ってその他人がやろうとしていることを読み取るとともに、その他人の考えを自分にとって有利な方向へと誘導しようとする脳の働きを指します。自閉症の人はこの働きが損われていることが知られています。
 心理読解/誘導の環境適応上のメリットは明らかであり、この能力を用いることで、われわれはご先祖様の頃から、迅速かつ効率的に良い他人と悪い他人とを区別することができてきたのです。
 この心理読解/誘導の副産物は、自分自身や他人が身体とは区別されるところの精神を持っているという観念です。この観念の更なる副産物が、精神と身体は切り離すことができるという観念であり、ここまでくれば、身体と無関係の精神(魂)、そして物質界を超越した神の観念の生誕まではほんの一歩です。

(続く)

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太田述正コラム#1724(2007.4.8)
<宗教を信じるメリット?(その1)>(2007.10.6公開)

1 始めに

 動物と人間を画然とわけるメルクマールと考えられてきたことには、次々と疑問符がつきつけられてきています。
 類人猿も人間と共通する倫理感覚を持っていることについては既にご説明したところです(コラム#1701)。
 また、火を使うことこそできなくても道具を使う動物もいるし、しゃべったり書いたりすることこそできなくても初歩的言語能力を身につけることができる類人猿もいます(典拠省略)。
 しかし、人間にはあって動物には絶対にないものがあります。
 それは宗教です。
 一体、人間が宗教を信じるメリットはどこにあるのでしょうか。
 いまだ完全には解けていないこの難問に迫ってみましょう。
 
2 異界たる米韓

 一般的にあまり信心深くない日本人から見ると、米国や韓国は時に異界に見えることがあります。
 米カリフォルニア州北部のフレモント選出のスターク(Pete Stark)民主党連邦下院議員(1973年選出)は、3月12日、世俗主義の団体である米国世俗者連盟(the Secular Coalition for America)の要請に応え、「自分は神(a supreme being)の存在を信じていない」と宣言しました。
 彼は、無神論者・・反宗教的ニュアンスがあるatheistや、神不可知論者であるagnosticとは区別するために、最近米国ではnontheistという言葉が推奨され始めている・・であることを公に認めた最初の米連邦議会議員である(注1)とともに、無神論者であることを公に認めたところの、これまでで米国で選挙で選出された最も位の高い公務員である、ということになります。

 (注1)米連邦議会の議員の数は上下両院合わせて535名だ。

 本年2月に米国で実施された世論調査によれば、大統領にふさわしい候補者が、カトリック教徒であれば95%、ユダヤ教徒であれば92%、モルモン教徒であれば72%が投票すると答えたのに対し、無神論者であれば投票すると答えたのは45%しかおらず、投票しないと答えたのは53%にのぼりました。
 53%という数字は、同性愛者には投票しないと答えた43%、72歳の人物には投票しないと答えた42%、三度目の結婚をしている人物には投票しないと答えた30%、モルモン教徒には投票しないと答えた24%、女性には投票しないと答えた11%よりも多いのです。
 これは、2002年に米国で実施された世論調査で、宗教の信者であることが善人になるための必要条件であると47%の人が答えていることを考えれば、不思議ではありません。
 ちなみに、ある研究によれば、米国人のうち無神論者の人は3%しかいませんし、ある世論調査によれば、「無宗教、無信仰、無神論者、または神不可知論者」と答えたのは11%だけですし、別の世論調査によれば、無信仰であると答えたのは9%だけです。(ただし、12%が良くわからないと答えています。)
 このような中で、スターク議員が無神論者であることを認めることができたのは、彼がたまたま、米国では異例なほど世俗的な選挙区選出であるためです。
 他の連邦議会議員達の中にも必ず無神論者はいるはずですが、スターク議員に倣ってそのことを認める議員が出てこないのは当然ですね。
 (以上、
http://www.latimes.com/news/nationworld/politics/la-na-atheist13mar13,0,6065304.story?track=mostviewed-homepage
(3月14日アクセス)、及び
http://www.latimes.com/news/opinion/la-ed-stark15mar15,0,3687277.story?coll=la-opinion-leftrail
(3月16日アクセス)による。) 

 「韓流スター、チェ・ジウが海外宣教活動を行う。――――――チェ・ジウの関係者は<2006年10月>29日、チェ・ジウが30・31日に東京・淀橋教会と大阪・NHKホールで2日間かけて行われる韓国の宣教専門衛星放送、CGN TVの日本支局開局イベントに出席することを明らかにした。CGN TVはオンヌリ教会が運営しており、熱心なクリスチャンとして知られるチェ・ジウは現在、この教会に通っている。チェ・ジウは「ラブ・ソナタ」というテーマのイベントで、信仰告白をする予定だ。」という朝鮮日報日本語電子版の記事(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/30/20061030000013.html
。10月31日アクセス)を読んだ時は驚きました。
 議員同様人気商売である俳優が、信心深くない人が多くて、韓国に比べればキリスト教徒がいないにも等しい日本で、キリスト教の特定のセクトの宣教に一役買うというのですから。
 おそらく、韓国ではこんなことは少しもめずらしいことではないのでしょうね。

 信心深くないという点では典型的な日本人である私から見ると、米国や韓国は異界であるとしか言いようがありません。
 一体全体、米国や韓国の多数派や日本の少数派が、何のメリットがあって宗教を信じているのだろうか、という疑問を解明したくなるのは、私だけではありますまい。

(続く)

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太田述正コラム#1671(2007.2.24)
<キブツの終わり>(2007.3.26公開)

1 始めに

 イスラエルの最も古いキブツ(kibbutz)であるデガニア(Degania。1909年設立)が、先週、平等主義を捨てて、メンバーに業績に応じて給与を支払うことにしたことが話題になっています。
 ロサンゼルスタイムスは、自由・民主主義は地球をまだ覆い尽くしてはいないけれど、ついに資本主義は世界の隅々まで席巻したと報じました。
(以上、
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-ash22feb22,0,7338862.story?coll=la-opinion-rightrail
(2月22日アクセス)による。)
 このニュースに全世界のメディアがイスラエルにやってきたのですが、アラブ世界を代表するメディアであるアルジャジーラ(Al Jazeera)とアルアラビーア(Al Arabiya)は来なかった(
http://www.haaretz.com/hasen/spages/829382.html
。2月23日アクセス。以下同じ)ということが気になって、キブツのことを少し調べてみることにしました。

2 キブツについて

 キブツ(KIBBUTZ)とはヘブライ語で「集団・集合」を意味する言葉です。
 ロシア、次いで東欧におけるユダヤ人迫害を逃れてパレスティナの地にやってきたユダヤ人達は、それまでの金融業や商業に従事していた・・従事せざるをえなかった・・生活を改め、肉体労働(農業。後には工業が加わる)中心の生活を始めようと考えました。
 しかし、当時のオスマントルコ領パレスティナは、土地は荒れてやせている所が多く、伝染病猖獗地でもあり、かつ無法地帯であって遊牧アラブ人の襲撃をしばしば受けたこと、入植には個人では負担することが困難な多額の資本が必要であったこと、入植地は全世界のユダヤ人の寄付金で購入したものであったこと、から、ロシアの思想(後述)の影響もあり、入植地の土地は個人個人が所有せず、共同生活を営むことになったものです。
 こうして始まったキブツは、「能力に応じて働き、必要に応じて消費する(from each according to his ability, to each according to his needs)」、自給自足、私有財産の否定、子供の共同生活(注1)、業務のローテーション、世俗主義、といった社会主義的属性を持ちつつも、キブツ内では民主主義が貫徹していましたし、キブツのメンバー達は、イスラエル社会全体をキブツ化するつもりもありませんでした。彼等は、あくまで資本主義社会の中での社会主義的コミュニティーを追求したのです。なお、メンバーをユダヤ人に限ったということもキブツの重要な特徴であると言えるでしょう。

 (注1)血がつながっていなくても一緒に生活して育つと互いに結婚を忌避するようになる、というウェスターマーク効果(Westermarck effect)によって、キブツは少子化と結婚相手を求める若者の流出による人口減少に苦しむことになる。

 キブツのメンバーの数は、キブツの最盛期においても、イスラエルの総人口の6%を超えたことはなかったのですが、その存在感は極めて大きいものがありました。
 キブツのメンバー一人当たりの所得の伸びは、イスラエル国民の一人当たり所得の伸びを上回って現在に至っています。
 また、1948年に始まる累次の中東戦争においては、キブツのメンバーが常にイスラエルの戦力の中心として大活躍しました(注2)。イスラエルの軍需産業もキブツから始まったと言えます。

 (注2)1967年の中東戦争(6日戦争)の時には、ユダヤ人の戦死者約800人中、キブツのメンバーは約200人を占めた。

 イスラエル議会では、長期にわたり、キブツのメンバーが議席の10数%を占めてきましたし、初代首相のベングリオンや女性首相のゴルダ・メイヤーらもキブツの出身者です。
 しかし、「能力に応じて働き、必要に応じて消費する」のでは怠け者が得をしてしまいますし、自給自足など続けられるわけはありません。そして、業務のローテーションなど行っていては専門家が育ちませんし、子供の共同生活は自然の摂理に反します(注3)。

 (注3)現在では、子供は両親と寝起きをし、保育所や小学校に通う生活をしている。

 こういうわけで、キブツの社会主義的属性は次第に水で薄められてきており、ついに最も古く由緒あるキブツまで、冒頭紹介したように、「能力に応じて働き、必要に応じて消費する」考え方を放棄するに至ったわけです。
 それでも、「昔の名前で出ている」ところのキブツの数は現在なお270近くあって、そのメンバー総数は約130,000人でイスラエルの人口の約3%を占めており、イスラエルの農業生産の40%、輸出向け工場 製品の約8%を生み出しています。

 英国の政治学者のI.ドイッチャーは、「キブツはロシアの農民社会主義というナロードニク(人民党)の思想を直接受け継いでいる。」と指摘しています(注4)。またユダヤ人の宗教哲学者M.ブーバーはキブツを「もう一つの社会主義」と呼んでいます。

 (注4)キブツはロシアや東欧出身のユダヤ人であるアシュケナージ(Ashkenazi)以外には広まらなかった。

 つまりキブツは、ロシアの土壌から生まれたところの、20世紀の社会主義たるマルクス・レーニン主義との双子の兄弟なのです。
 面白いことに、マルクス・レーニン主義もキブツも1世紀前後でどちらも事実上終焉を迎えたわけです。
 (以上、ハーレツ前掲、
http://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/Society_&_Culture/kibbutz.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Kibbutz、及び
http://www.geocities.com/genitolat/Utopia/007.html
による。)

3 感想

 どうやら、マルクス・レーニン主義であれ、キブツであれ、社会主義は兵営同志愛(war comradeship)的なもの抜きには存続できないようです。
 つまり、構成員が危機意識を失うと、社会主義は機能しなくなる、と思われるのです。
 キブツは、イスラエルがその存続をかけて戦っていた危機の時代におけるイスラエルの前衛であり、そのキブツが役割を終えつつあるということは、アラブ側が完全に敗北したということであり、そんなことをアラブ世界のメディアが報じたくないのは分からないでもありません。
 これが、アルジャジーラとアルアラビーアが姿を見せなかった理由であろう、と私は思うのです。

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太田述正コラム#1585(2006.12.23)
<英国民の宗教意識>

1 始めに

 英国で行われた最新の宗教意識調査の結果をご紹介しましょう。

2 調査結果

 (1)基礎データ
 その前に、基礎データを押さえておきましょう。
 英国の2001年のデータによれば、71.6%の者がキリスト教徒であり、宗派別の教徒の数の順序は、英国教徒(Anglican)、カトリック教徒、ペンテコステ派(Pentecostalist。キリスト教原理主義の一派)の順になっています。
 ただし、カトリック教徒は11%しかいませんが、定期的に宗教行事に参加している者のうち26%を占めており、定期的に宗教行事に参加している者だけをとれば、カトリックが英国最大の宗派です。2004年にポーランドがEUに加盟してからは、ポーランドからの移民が何十万もやってきており、彼らの約三分の一は熱心なカトリック教徒なので、この数字は上昇傾向にあります。
 また、2005年のデータによれば、英国のキリスト教徒の83%は白人であり、黒人は10%ですが、ロンドンに限ると、黒人が44%でその他の非白人が14%です。
 イギリスとウェールズの修道士(monk)の数は全部で1,345名であり、多くは60台と70台であって、2004年にはわずか12名しか新たに修道士にはなっていません。修道女(nun)の数は全部で1,150名であり、1982年には新たに100名が修道女になりましたが、2004年には7名に減ってしまっています。
(以上、
http://www.guardian.co.uk/religion/Story/0,,1978045,00.html(12月23日アクセス)による。

 (2)今回の調査結果
 
 自分を宗教的な人間であると思う者は33%で、そうでないと思う者は63%に達しました。
 神の存在を信じる者は老人と女性に多く、自分を宗教的であると思う者は、男性では29%なのに、女性では37%でした。
 教会等の宗教施設を週少なくとも1回訪れる者は13%しかなく、43%の者は、一度も宗教行事に参加したことがありません。
 キリスト教徒の数値が特に低いのであって、キリスト教徒以外に限ると、29%が少なくとも週1回宗教行事に参加しています。
ただし、キリスト教徒も、クリスマスの休日の期間中に54%が宗教行事に参加するつもりであると答えています。ちなみに、富裕層では64%がクリスマスの時に宗教行事に参加するつもりであると答えているのに対して、貧困層では、43%だけがそう答えています。
最も注目されるのは、宗教を分裂と緊張の原因であると見るものが82%に達し、そうではないとする者はわずかに16%にとどまったことです。
(以上、
http://www.guardian.co.uk/religion/Story/0,,1978044,00.html
(12月23日アクセス)による。)

3 感想

 米国や日本についても、数字をあげて比較すべきところですが、英国人の宗教意識が、ずいぶん日本人のそれに似通ってきているな、と思いますね。
 早くこの点でも英国と手を携えて、キリスト教原理主義に傾斜しつつある米国を善導しなければ・・。

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太田述正コラム#1234(2006.5.14)

<対外政策と宗教(その2)>

 (ブログへのアクセスが急減し、コラム読者数が目減りしています。「経済社会の英国モデルと米国モデル」シリーズ(未完結)には経済に詳しい方からの、「叙任権論争の今と昔」・「対外政策と宗教」の両シリーズにはクリスチャンの方等からのコメントや反論をたまわることで、太田述正コラムの活気を取り戻したいと考えておりますのでどうぞよろしく。)


 これは、米国憲法が謳う政治と宗教の分離と抵触するような話ではあるまい。
私自身、ユダヤ教徒の祖先を持ち、熱烈なカトリック教徒であり、主人は英国教会信徒であって、神の存在を信じている。そして、私の生地であるチェコスロバキアのマサリク(Masaryk。1918年に近代チェコスロバキア国家を創建)同様、神の信仰とヒューマニズムとは密接不可分の関係にある(linked)と考えている。
念のために言っておくが、私は依然世俗的・自由主義陣営(民主党陣営(太田))の一員だと思っているし、1993年にハンチントン(Samuel Huntington)が打ち出した文明の衝突論にも与しているわけでもない。

3 私のコメント

 (1)始めに
 このオルブライトの本の序で、クリントン前大統領は、彼女がこの本のテーマを、友人達の忠告の逆らって選んだ、と記していますが、「友人達」の中にはクリントン政権時代にオルブライトの政策立案を助けた人々が含まれているに違いないし、クリントンその人も含まれているかもしれない、とワシントンポストの書評(http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/05/11/AR2006051101323_pf.html前掲)にあります。
ことほどさように、米国の対外政策において宗教をもっと重視すべきだとするオルブライトの主張は米国では革新的なのです。
しかし、私に言わせれば、従来の米国の対外政策の考え方がそもそもおかしかったのである上、オルブライトの今回の主張もまた問題があるのです。



 (2)世俗的リアリズムはおかしい

 ナチスドイツの、とりわけホロコーストを思い起こせば、ヒットラー等がドイツ国民の福祉を考えていた合理的な国家的アクターであったとは到底思えませんし、国民が餓死してもおかまいなく核開発に狂奔する北朝鮮の金正日等もまた同様です。

 米国で戦後リアリズムがはやったのは、冷戦時代に米国の主敵であったソ連が、一応・・あくまで一応ですが・・国民の福祉を考えていた合理的な国家的アクターであったことから、リアリズムの考え方がいかにも正しそうに見えたからにほかなりません。

 つまり、世俗的リアリズムは、普遍性のない考え方だ、ということです。


 (3)オルブライトの主張にも問題がある

 さりとて、オルブライトの、「世俗的リアリズムは宗教を軽視しすぎていた」、との主張も、私には舌足らずに思えるのであって、イデオロギー国家であるナチスドイツと北朝鮮の例からも分かるように、「世俗的リアリズムはイデオロギーや宗教を軽視しすぎていた」と主張すべきであったと思うのです。

 彼女の言う「宗教」も狭すぎます。

 オルブライトにとって「宗教」とは、正義・慈善・愛・平和、といった価値観を共有するアブラハム系の宗教を一歩も出ない感があります。逆に言うと、彼女は、アブラハム系の宗教に精通しておれば、相当程度対応しうる、南北アメリカ・欧州・ロシア・アフリカ・中東・オセアニア以外には関心がなかったと疑われても仕方がないのではないでしょうか。

 ヒンズー教や仏教や神道といった非アブラハム系宗教(、更には共産主義やファシズムといったイデオロギー)に対する理解が不可欠であるところの、インド・東南アジア・北東アジアはどうしてくれる、ということです。

 そして何と言っても最大の問題は、米国の有力なアブラハム系宗教たるキリスト教(とユダヤ教)に導かれた米国の対外政策をオルブライトが提唱していることです。

 こんなことをすれば、彼女の先回りした弁明にもかかわらず、米国は文字通りの宗教国家に堕してしまうでしょうし、米国は世界のイスラム教徒や非アブラハム系宗教信徒を敵に回すこととなり、世界の各所で文明の衝突を深刻化させてしまうことでしょう。

 オルブライトの新著は、彼女がキリスト教原理主義国家たる米国を贔屓の引き倒しにする、移民の過剰適応の典型例であることを示しているように、私には思えてなりません。

(完)

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