カテゴリ: ライブドア事件・村上ファンド

太田述正コラム#12822006.6.7

<東大法学部群像(その6)>

 ここでは、陰謀論そのものについての議論に深入りすることは控えますが、以前にも述べたように、いかなる政府部門に対しても民主的統制が貫徹していて、かつメディアの自由が担保されているアングロサクソン諸国・・その中には米国も当然含まれる・・において、政府が積極的な陰謀を行うことなどありえない、というより不可能なのです(注5)。

(注5)その反面、政府の最高権力者による消極的陰謀はありうる。例えば、ローズベルト大統領が、真珠湾攻撃情報を意図的に黙殺した、という可能性は否定できない。

特に米国に関しては、私の経験によれば、軍事に関する新たな対日政策でさえ、軍事機密に関わる部分を除き、米国内のシンクタンク等のレポートや米国政府の文書等を通じ、事前に検知できなかったことはない、と申し上げられます。

米国は、陰謀論が最もそぐわないお国柄なのです。

噴飯物なのは、原田が列挙する、日本が講じるべき対抗手段(259頁以下)です。

それがいかにひどいかは、彼が米国の奥の院として挙げた三つのうち、日本にももちろんある「閉鎖的ネットワーク力」以外の二つである「軍隊」(物理的パワー)と「情報機関」(諜報能力)の保持、を日本の対抗手段として挙げていない点です。

ご存じのとおり、日本に自衛隊はあっても軍隊はなく、情報機関に至っては、その萌芽すら日本は持っていません。

日本がこの二つを持たないで、米国の対日戦略に対抗しようなんて、蟷螂の斧もいいところです。

(3)コメント

 原田の東大法中退・外務省(注6)、という経歴に目を眩まされてはいけません。

 

 (6)外務省も他の中央官庁同様、キャリアに大卒資格を要求するようになっているので、今後は大学中退者は外務省キャリアにはいなくなるはずだ。

 東大法卒ですらせいぜい短大卒相当なのですから、東大法中退はもちろん短大卒相当です。

 原田の場合、外務省入省後、ドイツの大学(大学院?)に留学していますが、これは語学習得・錬磨を第一義的な目的として外務省キャリア全員が経験する留学であって、英語圏への留学でない以上、新しい語学を習得するのに手一杯で、学問の修得にまでは手が及ばないのが通例であり、原田もまたその例外ではなかったはずです。

 しかも、遺憾ながら外務省もまた、吉田ドクトリンに毒されてしまっており、キャリアの大部分は外交・安全保障という本来の仕事より、己の生涯所得の最大化の方により関心があります。

 著者が短大卒程度で、しかもその著者の勤務経験のある唯一の職場の環境が悪かったときているのですから、このような、洞察力ゼロで典拠なしのトンデモ本ができあがるのは決して不思議ではないのです。

4 終わりに

 村上と原田に対する私の評価が厳しすぎるかどうかは、皆さんのご判断にまかせます。

 しかし、一つだけ確かなことがあります。

 それはこの二人が、旧通産省(現経産省)キャリアや外務省キャリアの中で例外的にできの悪い連中では決してないということです。

 この二人は、何の因果か役所を飛び出したため、社会的評価に晒されることとなり、いかなる人物であるかが露呈した、というだけのことであって、例外ももちろんあるけれど、彼らのような人間がむしろキャリア官僚の典型だと思って差し支えない、ということです。

 どうしてキャリアがそんなことになったのでしょうか。

繰り返しを懼れず申し上げれば、二つ原因があります。

 一つは、米国の保護国たる戦後日本は、中央官庁が地方官庁並の仕事しかしておらず、中央官庁のキャリアは鍛錬の機会を十分与えられていないことです。(外務省と経産省の場合では、若干事情を異にするが立ち入らない。)

 二つは、中央官庁のキャリアの中心は法律職であり、その多くが東大法卒ですが、日本では法学部が高等教育機関の体をなしていないため、キャリアは一般教養も学問的素養も十分身につけないまま入省してきており、その後これらを身につける機会は意外に少ないということです。(これが、法科大学院制度の導入で抜本的に変わったのかどうか、つまびらかにしません。)

 日本の知識人像は、キャリア官僚像を範例として形成されてきた面があります。となれば、日本の論壇が不毛なのももっともです。

皆さん。お願いですからもう少し危機意識を持ってください。

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太田述正コラム#12812006.6.7

<東大法学部群像(その5)>

 もう一点お断りしておかなければならないのは、私がこれから書くことは、「原田」の一冊の「本」の批判自体が目的ではなく、この本の空疎さを通じて、かねてから私が感じている日本の論壇全般の空虚さを皆さんに体感していただくのが目的だ、ということです。

 これまで何度も申し上げていると思いますが、私はこの10年来、日本の社会科学や論壇の動向をフォローするのは止めています。ですから、事実やデータを調べたい場合以外は、学術本・学術雑誌以外の本、総合雑誌、新聞掲載の論説・論考の類はまず読みません。

 どうしてか?

 洞察力に欠けるか、(実体験、または信頼できそうな文献の)典拠が示されていないか、もしくはこの両方であるものばかりだからです。

 一番困るのは、学者が書くものですら、学術本・学術雑誌以外に掲載されるものには典拠が示されていない場合が多く、評論家の書くものに至っては、典拠が示されていたためしがないことです。

 極論すればそんなものは、著者の妄想の雑記帳に過ぎないのであって、およそ使いものになりません。

 長ったらしいお断り(disclaimer)はこれくらいにして、本題に入りましょう。

 (2)空疎な内容

 原田の本の「はじめに」の中で、「私たちが生きる戦後日本の「すべて」が、アメリカ合衆国(米国)の対日国家戦略の決定的な影響力の下にある。」(9頁)という一節を眼にした時、ここにも日本が米国の保護国だと考えている人間がいる、これはひょっとして久しぶりに読むに値する本に出会ったかも、という期待感を持ちました。

 しかし、その期待感は、次の頁の「「IT」とは本当は米国が軍事戦略目的の道具として開発し、世界中に<情報の収集という>一定の意図を持って普及させたものだ」というくだりで一挙にしぼんでしまいました。このくだりの前段は常識ですが、後段は非常識な珍説だからです。

 しかし、常識が間違っていることもありうると思い直し、念のため、第四章「決定打としての「IT革命」」を先に斜め読みしてみました。

 そうすると、「インターネットはそもそも米国が開発したものである以上、そこに米国の「奥の院」しか知らないある種の仕掛けがなされていても当然だ。私は非外交ルートを通じて米国の「奥の院」からのささやきを聞くなかで、実は米国政府はすべてのサーバを開き、そこを経由するすべての電子メールを読む技術を有しているという情報に接した。」(143頁)と書かれているではありませんか。ゴルゴ13じゃあるまいし、これでは上記珍説は典拠のない妄想であった、と告白しているようなものです(注3)。

(注3)アングロサクソン諸国による電子メール等傍受システムであるエシュロンの存在は公然の秘密だが、エシュロン(Echelonは「サーバを開く」ものではない(コラム#105)。

 ここで、この本をゴミ箱にたたき込んでもよかったのですが、私のコラム読者の「啓発」材料にできるかと思い、もう少し斜め読みすることにしたのです。

 読み始めてほどなく、この本で原田は、「米国の・・非民主的な・・「奥の院」である三つの要素・・軍隊という「物理的強制力」と、情報機関という「情報力」、そして・・血筋という「閉鎖的ネットワーク力」・・が米国社会の中で一つのネットワークを織り成している・・<ところ、この「奥の院」>が、ある一貫した発想をもって対日政策を展開してきている」(18??21頁)ことを知った上で、対抗手段を講じるべきだ、と言いたいことが分かりました。

 しかし、そのためにはまずもって、「」内の命題が正しいことを典拠でもって示さなければならないはずです。

 しかし、私が探した限りでは、この本の中に、典拠たるべき原田の実体験も、文献も全く出てきません。

 実体験が出てこないのは分からないでもありません。

 なぜなら、原田は「私は米国留学組という意味での「アメリカン・スクール」の一員として、外務省の中で育てられてきた者ではない。また、いわゆる「日米経済交渉」の最前線に立ったこともない」(12頁)からです。

 しかし、文献の典拠すら示されていないのでは話になりません(注4)。

 (注4)「閉鎖的ネットワーク力」の外延なのであろうか、米国の「奥の院」によって、日本のビッグファイブ系公認会計士や、米国系コンサルタント、更には米国でMBAを取得した日本人は、米国のヒューマン・インテリジェンス・ネットワークにからめとられている、とも原田は主張している(131??135)が、その唯一の典拠ならぬ傍証として彼が挙げるのが、米国でMBAを取得した人間には、「世界中どこへ行っても一生使える電子メールアドレス・・<が>渡される。これを使っている間に日本人卒業生たちの行動<を>トレースすることが可能なのである。」という「事実」だ。前述のIT妄想と結びついて、原田の妄想は限りなく膨らんで行く。

考えてもみてほしい。確かに私もスタンフォードMBAとしてメルアドをもらった。(一度も使ったことはない。)しかし、こんなサービスは、日本の旧帝大合同同窓会とも言うべき学士会でも提供している。(私は学士会のメルアドも使ったことはない。)

 これは典型的な陰謀論です。

 しかも、田中宇のように、怪しげな典拠すらつけようとしない、という意味ではより無責任な陰謀論です。

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太田述正コラム#12802006.6.6

<東大法学部群像(その4)>

村上が、「企業が最大の利益を上げ、株主にリターンをもたらし、税金をたくさん払わなければ国も成り立たない。こんな考えに(旧)通産官僚時代に目覚め今の仕事を始めた」と公言していた(http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060606k0000m040149000c.html。6月6日アクセス)ことからすると、その自分の活動をできなくするような日本に将来はない、と彼は言いたかったのでしょう。

確かに、この期に及んでも、「他の株主が全く指摘してこなかった株主価値、企業価値向上を、村上代表が積極的に提案したのは評価できる」とする高木勝・明治大教授(現代日本経済論)や、「今回の一点をもって、村上代表を一面的に評価してしまうのもどうかと思う。株主への説明責任や配当政策の見直しなど「ぬるま湯体質」の経営者に鋭く改革を迫ったプラス面は評価されてもいいし、日本に新しいファンドの形を示したとも言える。村上代表はコーポレートガバナンス(企業統治)論に火を付けた・・」とする企業買収専門家の中島茂弁護士(http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060606k0000m040170000c.html。6月6日アクセス)、また、「日本のコーポレートガバナンス(企業統治)向上に貢献したのは確か。事件で他のモノ言う株主が萎縮(いしゅく)しないか心配だ」とする(村上を社外取締役に招いた)システム開発会社ソフトブレーンの宋文洲会長(http://www.asahi.com/national/update/0606/TKY200606050564.html。6月6日アクセス)等、村上の経歴に幻惑されているとしか思えない識者は少なくありません。

これらの識者に比べ、村上の名を初めて日本中に知らしめたところの2002年の東京スタイルの委任状争いにおける敗北の後、「日本を良くするなんてNGO(非政府組織)ででもやってくれ。調子にのるな」と村上を罵倒した一投資家(朝日上掲)こそ、村上の本質を抉っていると私は思います。

村上がMFを立ち上げた時に掲げた一見国士的な理念は、最初からあくなき利益追求の手段に過ぎなかった、と見るべきなのです。

恐らく村上はずっと以前から利益追求至上主義者だったに違いありません。

そんな彼が、旧通産省に入り、そこに16年間も勤めたこと・・「安月給」で国家のために16年間も奉仕したこと・・は、まことにもって不可解としか言いようがありません。

3 原田武夫

 (1)お断り

 次は原田武夫です。

最初にお断りしておきたいのは、彼は村上とは違って、犯罪を犯した(容疑をかけられている)わけではないのであって、私が問題にしたいのは、私がたまたま読んだ彼の著書の空疎さだけである、ということです。

 その著書とは、「騙すアメリカ騙される日本」(ちくま新書200512月)です。

 原田には、その他にも「北朝鮮外交の真実」(筑摩書房)、「劇場政治を超えて――ドイツと日本」(ちくま新書)、「サイレント・クレヴァーズ――30代が日本を変える」(中公新書クラレ)、「元外交官が教える24時間でお金持ちになる方法」(インデックス・コミュニケーションズ)と多数の著書があるようですが、私はこれらに一切目を通していないこともお断りしておきます。

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太田述正コラム#12792006.6.6

<東大法学部群像(その3)>

<補足>

一、不肖の三人

 MFの最高幹部は、村上と丸木強と滝沢建也の三名です。

 村上は5日に逮捕され自宅の捜索を受けましたが、丸木、滝沢の両名も他の1名とともに自宅の捜索を受けました。

 村上は1983年東大法卒ですが、丸木は1982年東大法卒で野村證券あがり、滝沢は1984年東大法卒で警察庁入庁、87??89年(恐らく私同政府留学生として)スタンフォードビジネススクール留学、92年ボストンコンサルティンググループ入社、という経歴で、東大法卒のオンパレードです。

 時間外取引のスキームは丸木が考案し、滝沢が海外の機関投資家と時間外取引での売買を交渉していたとされており、MFは村上のワンマン経営だったといういえども、両名は村上によるドジで確信犯的なインサイダー取引の従犯以上の存在である可能性が高いと言えるでしょう。

(以上、http://www.sankei.co.jp/news/060605/sha005.htmhttp://www.sankei.co.jp/news/060605/kei099.htm(6月5日アクセス)、及びhttp://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060605it14.htmhttp://www.maconsulting.co.jp/page_j/kigyou_tori1.html6月6日アクセス)による。)

こうなると、「東大法学部群像」という本シリーズのタイトルはドンピシャリだったな、と言いたくなります。

高学歴どころか、実質はせいぜい短大卒相当のこの三人が何千億円というファンドを運用していたのですから、アブナイことこの上もなかったというべきでしょう。いわんや、「無学」の村上が唱える株主価値理論なんてハナから相手にすべきではなかったのです。

 滝沢だけはスタンフォードMBAだから高学歴だろう、とおっしゃるのですか?

 残念ながらビジネススクールは経営に係る実学を伝授する場であって学問を授ける場ではありません。東大法卒もMBAもペーパーテストに滅法強いことは折り紙付きだけれど、無学であることに変わりはないのです。

 滝沢は、東大法とスタンフォードビジネススクールのいずれにおいても私の後輩ということになりますが、滝沢と私の違いは、私がスタンフォードで政治学も履修し、学術的論文執筆の訓練を受けたことと、MBA取得後、すぐ役所を辞めるようなことはしなかった、という二点です。

大変口幅ったいけれど、私は、前者によってついに無学ではなくなるとともに、後者によって役所、ひいては国のかたちに対する批判の自由を得た、とかねてから自分自身に言い聞かせているのです。

二、改めて「ドジな確信的故意犯」について

 村上らは本来そんなドジではないとし、彼らが本件でかくもドジったのは、

「村上容疑者に近い関係者はライブドアとは親密なあまり「脇に甘さがあったのではないか」・・「村上さん、村上さん」と慕う堀江被告に話し、仲間内のなれ合いの中で、法律を意識する気持ちが薄れてしまった、とみる関係者は多い。」と村上らを「弁護」する記事(http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20060606/mng_____kakushin000.shtml。6月6日アクセス)が出たのはご愛敬です。

しかし、「村上世彰代表(46)について元幹部はこう言った。「あいつは裏切り者」 。村上ファンドは、ライブドアに対して、共同してニッポン放送株を買い集めることを提案。昨年2月にフジテレビとの株争奪戦で株価が高騰しているさなかに売り抜けて、30億円前後を稼いだ。・・「だまされた」。元幹部の言葉には、村上ファンドによる抜け駆けへの憤りがにじんでいた。」(http://www.asahi.com/national/update/0606/TKY200606050534.html。6月6日アクセス)というのですから、これが事実だとしたら、MFの村上達は、「仲間」のLDの堀江達に許し難い背信行為をしたわけです。

 村上達は、やくざ同士の仁義さえ破って恥じないのですから、やくざ以下だったということです。しかも、仁義を破れば、しっぺ返しを食らうのは当然であると思わなければならないのに、そのしっぺ返しに備えた形跡は皆無です。

結局、村上達は、いかなる意味においてもドジな確信的故意犯だった、と言えそうですね。

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太田述正コラム#12782006.6.5

<東大法学部群像(その2)>

 村上には酷な言い方ですが、村上を見ていると、山のように証拠を残した上で、逃亡しないまま逮捕された秋田男児殺害事件の被疑者の女性そっくりだな、と思ってしまいます。

 村上が記者会見で故意ではなかったと主張している(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060605k0000e040049000c.html)点も、女性が死体遺棄だけしか認めていない(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060605k0000m040100000c.html)点とそっくりの往生際の悪さです。

 

 (2)ひっかかる村上の言葉

  ア 株式投資は投機ではない

特に眉を顰めたのは、村上の前記記者会見です。

 「構成要件」なんて法学部出らしい言葉を使ったりしていました(http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060605k0000e040049000c.html)が、彼が、「株式投資は投機ではない」と言う(記者会見TV中継)のを聞いてまず耳を疑いました。

 なぜなら、投機(speculation)とは、「偶然の利益をねらって行う行為」もしくは「将来の価格変動を予想して、価格差から生ずる利益を得ることを目的として行う売買取引」(大辞林第二版)であることからすれば、どちらの意味においても、株式投資は投機そのものだからです。

 ちなみに、投機の後者の意味は、ほぼ裁定取引(arbitrage市場間の価格差を利用して利益をあげる経済行為。その結果として両市場の価格差は縮小する(大辞林上掲))と同じ意味です。

ひょっとして村上は、自分のやってきた株式投資は「裁定取引」であって「偶然の利益をねらって行う行為」(=浮利の追求=狭義の投機)ではなかったと言いたかったのでしょうか。

 しかし、村上流の株式投資は、「随所にメディアを使って情報を小出しにし、株価をつり上げ」(毎日上掲)た上で売り抜けるという点ですこぶるつきに浮利追求的でした。

 より大事なことは、村上流の株式投資はインチキな裁定取引であった、という点です。

 裁定取引も投機である以上、本来はリスクを伴うはずです。

 しかし、村上が狙った投資先は、ことごとく、アングロサクソン型企業(株主だけをステークホルダーとする企業)ではないどころか、典型的な日本型企業(株主がステークホルダーのうちの一つに過ぎない企業)でかつ買収防止策が不十分なところばかりです。日本の企業に係る法制度が急速にアングロサクソン的グローバルスタンダード化しつつあり、日本型企業は遅かれ早かれアングロサクソン型企業へと変身すべきであるとされているところ、典型的な日本型企業に関し、変身した将来時点での企業価値と現在の企業価値との間に高低のギャップがあるのは当たり前であり、かかる企業の株は割安であって当然なのです。だから買収防止策が不十分でかつ典型的な日本型企業の株を、資金力に物言わせて買い集めれば、株価つり上げの小細工を弄さなくても株は確実に、すなわちリスクなしで値上がりするものなのです。

 このように、村上の投資先は確実に株価が上がると知っているからこそ、「随所にメディアを使って情報を小出しに」するだけで、一般投資家が同じ株を買いに殺到し、「株価がつり上」がり、その結果、MFは年60%とも言われる利益を外国のファンドに還元してくることができた(6月5日1900NHKTVニュース)のです。

 確かにこれは投機ではなく、錬金術です。

 こう考えてくると、株式投資は投機ではない、というのは村上の本心だ、ということになりそうですね。

  イ 金儲けがなぜ悪い

 前記記者会見で村上が、「自分はカネを儲けすぎたから目の敵にされるのだ」と言った(http://www.sankei.co.jp/news/060605/sha033.htm)のにもカチンときました。(上述のようなあこぎな儲け方をした人間がよく言うよ、と思いますが、そのことはしばし忘れることにしましょう。)

 村上にとっては、アングロサクソン型企業からなるアングロサクソン社会こそ理想の社会であるようですが、このような社会が維持できるのは、それが営利追求だけの社会ではないからです。すなわちアングロサクソン社会は、法の支配(コラム#90)と反産業主義(コラム#81)の社会でもある、とかねてより私は指摘してきたところです。

 村上は、確信犯的故意で法律違反を犯したと目されている人間であり、かつまた恐らくは慈善活動など個人としてもMFとしても全く行っていなかったに違いないことからすれば、彼は、営利追求だけの人間であって、仮にアングロサクソン社会においても、間違いなく目の敵にされる人間なのです。

  ウ 日本は悪い国になりつつある

 更に同じ記者会見で、彼が「日本は悪い国になりつつある」と宣ったの(産経上掲)には私は思わずのけぞりました。

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太田述正コラム#12772006.6.5

<東大法学部群像(その1)>

1 始めに

 ある読者からもらった原田武夫(敬称略。以下同様)の本を昨夜斜め読みしたところつまらなくて1時間余を無駄にしたと思ったら、本日は村上世彰によるインサイダー取引自認の新聞記事やTV記者会見(注1)を見て眉を顰めました。

 (注1)村上は、5日午前、東証でインサイダー取引を自認する記者会見を行い、同日午後、逮捕された(http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060606k0000m040001000c.html。6月5日アクセス)

 奇しくも、卒業してもせいぜい短大卒相当に過ぎないとかねてから(コラム#1062等で)私が申し上げてきた法学部(どちらも東大)を、方や原田は中退して外務省に入ったけれど一昨年自ら飛び出した人間であり、方や村上は卒業して旧通産省に入ったけれど7年前に自ら飛び出した人間である、と極めて共通点の多い人物であり、二人を並べて月旦するのも面白かろうと考えました。

 年長の村上の方から始めましょう。

2 村上世彰

 (1)ドジな確信的故意犯

 逮捕や起訴前に被疑者について書かれる記事の確度が非常に高いことは皆さんご存じですよね。

 これは、検察が意図的に情報をリークしているからであり、いわば検察とメディアが談合してつくったニュースをわれわれはありがたく拝聴している、という図式です。

 これは検察の、守秘義務違反による被疑者の人権蹂躙であり、メディアを利用した悪質な世論操作であり裁判誘導だ、と私は思うのですが、この問題はいずれ取り上げるとして、今回は先を急ぎましょう。

 新聞記事をつなぎ合わせると、事実関係はざっと、「村上ファンド(MF)は大量購入していたニッポン放送株をライブドア(LD)にも購入を勧め、その上でMFLDの両者のニッポン放送株を合わせれば、同放送を、ひいてはフジテレビを支配できるとLDに提案したところ、LDが正式にこの提案に応じたので、MFは、日本放送株を更に買いますとともにLDに時間外取引という方法での同株の購入をアドバイスし、この時間外取引等で大量にLD等に同株を売却して大儲けした」ということのようです。

 これは、MFが猿回しでLDは猿にほかならず、すべてを仕切っていたのは村上だったということです。

 このように村上がインサイダー取引(注2)の確信的故意犯だった可能性が高いとして、驚くべきは、その杜撰極まる犯行です。

 (注2証取法では5%以上の株式取得を公開買い付け(TOB)に準じる行為と規定し、その情報を事前に知ったうえで株式を購入することを禁じ、違反すれば3年以下の懲役か300万円以下の罰金と定めている。LDがニッポン放送株購入を応諾した以降にMFが同株を買い増した行為がこの規定に違反するインサイダー取引に当たる、と考えられている(毎日上掲)。

 MF側とLD側のそれぞれ多数の人間が関与し、異なった人間が相互に累次密談をしただけではなく、メールまで交換していたのでは、何もなくても秘密が守られるはずがありません。

 少なくとも、LDの粉飾問題等が立件された時点で、ニッポン放送株のインサイダー取引も露見すると思わない方がおかしいのです。

 この時点で、村上は一人で全面的に罪をかぶって、MFの経営から手を引き、検察に出頭して自白するか、さもなくば、日本が犯罪人引き渡し協定を結んでいない国に資金を移した上でその国に逃亡を図るべきだったのですが、彼はどこまでも杜撰にタカをくくり、更に阪神に手を出し、シンガポールに拠点を移す、という愚行を続けた、ということです。

 (以上、事実関係は、毎日上掲、http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/jiken/news/20060605k0000m040097000c.htmlhttp://www.sankei.co.jp/news/060605/sha009.htmhttp://www.sankei.co.jp/news/060605/sha005.htm、及びhttp://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060605/eve_____sya_____000.shtml(いずれも6月5日アクセス。以下同じ)による。

 国そのものが吉田ドクトリンの下、米国に安全保障を丸投げしているという平和ボケの国だからこそ、こんなに危機管理意識ゼロの極楽とんぼのような官僚あがりができてしまうのでしょう。

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太田述正コラム#10592006.1.25

on the job training・実学・学問(その1)>

1 始めに

 このところ世間の耳目を集めている構造計算偽造事件とライブドア事件には、奇妙な共通点があります。

 両事件のキーマン達が、ことごとく大学を出ていないことです。

 構造計算偽造事件では、姉歯(元)一級建築士・小嶋ヒューザー社長が高卒、内河総合経営研究所所長が短大卒、木村・木村建設社長・篠塚木村建設(元)取締役・東京支社長が高卒ですし、ライブドア事件では、堀江ライブドア社長が東大中退(注1)、宮内ライブドア財務担当取締役(ナンバー2)が高卒です。(複数のTVのニュース番組より。)

 (注1)堀江は、東京大学にストレートで入学しているし、その気があったら卒業できたはずなのに、文学部の宗教学科を卒業しなかった。入学後5年目(!)にライブドアの前身のオン・ザ・エッジを設立していることからして、その設立準備のため、在学中余り勉強はしなかったものと思われる。もっとも、入学以降一定の成績を残さなければ専攻の学部に進学はできないので、堀江は短大卒には相当すると言ってよかろう。(事実関係は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E6%B1%9F%E8%B2%B4%E6%96%87(1月24日アクセス)等による。)

 このうち、姉歯氏以外はすべて経営者です。

2 考察

 

 「高卒や短大卒でもいいじゃないか。学歴なんてどうでもいい」という声が聞こえてきそうですね。

 確かに一般論としてはそのとおりなのだけれど、このご時世、新しいビジネスモデルを確立しようというのであれば、経営者に学歴がないことはかなり致命的なのではないか、と私は考えています(注2)。

 (注2)松下幸之助は小卒だったが、「水道哲学」経営という新しいビジネスモデルをつくりあげ、自分の創業した松下電器を大企業に育て上げた(http://www.enjyuku.com/k/kp62.htm。1月24日アクセス)。その松下は、「あなたが経営者として成功できた理由は何ですか?」と質問された時、「学歴がなかったこと。体が弱かったこと。家が貧乏だったこと」と答え、「学歴がなかったから何も知らなかった。おかげで、何事でも、誰にでも聞く耳を持てた。そして何を聞いても感心した。それが経営を間違わずに行うことができた最大の要因である」と説いた(http://www.hotweb.or.jp/yoshidao/idea124.html。1月24日アクセス)。しかし、凡人にはこのような「謙虚さ」は求めうべくもない上、松下電器の創業期(戦前)に比べると、現在のビジネス環境ははるかに複雑であり、変化のスピードも早いことを考慮すべきだろう。

構造計算偽造に関わったグループ(内河グループ)とライブドアに関して言えば、どちらも取り扱う商品そのものには同業の他グループや他社に比べて全く優位性はなかったので、経営規模の拡大を新しいビジネスモデルの確立によって果たそうとしたところ、学歴のある者が経営者の中に一人もいなかったため、片や「超低コスト建設」、片や「株式時価総額経営」、という綱渡り的ビジネスモデルしか発想できなかったところに問題の根源があったのではないか、という感が拭えないのです。

綱渡り的ビジネスモデルだったからこそ、片や一人の無能でモラルの欠如したキーパーソンたる従業員(姉歯)(注3)のグループへの「採用」によりボトムアップで、片やナンバーワンとナンバーツーの経営者(堀江・宮内)の無際限な欲望とモラルの鈍磨によりトップダウンで、半ば必然的に破綻に至った、と私は見ているのです。

 (注3)この内河グループが使っていた一級建築士であれ、その他の一級建築士であれ、一級建築士が構造計算偽造を行ったケースは、姉歯氏以外、これだけ鵜の目鷹の目でみんなが探しているというのに、これまでのところ一件も発覚していない。

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太田述正コラム#677(2005.4.1)
<ライブドア・フジサンケイグループ「抗争」(その3)> 
 高度成長「当時の日本は資本主義でも社会主義でもないが、計画経済ではなく自由主義経済」だった(コラム#42)と私は考えていますが、今でも日本の経済体制は、自由主義経済(非計画経済)ではあっても資本主義ではないのでしょう。
 もっとも、「資本主義」=「個人主義」=「イングリッシュ(アングロサクソン)・ウェイ・オブ・ライフ」(注5)と言ってもよいのであり、資本主義経済体制の国は世界の国々の中で少数派です。他方、北朝鮮やキューバなどのレトロな計画経済体制を維持している国はもっと少数です。となると、欧州諸国を含め、世界の大部分の国は、「資本主義もどき」の経済体制の国ということになるのであって、日本は多数派に属するわけであり、いたずらで劣等感に苛まれる必要はありません。

  • (注5)後の方の等号が成り立つことについては、以前(コラム#88、89で)説明した。前の方の等号が成り立つことの説明はまだ行っていない。もっとも、資本主義は人間の労働力を含むあらゆるものが商品化される経済体制だが、労働力が商品化されるためには、個々の人間があらゆるしがらみから解放されている必要がある、と考えるだけで、資本主義と個人主義が密接不可分な関係にあることが直感的に分かるはずだ。

 (4)吉田ドクトリン
  ア 始めに
 思い起こせば、日本型経済体制は、数多ある「資本主義もどき」・・人間関係がモノをいう自由経済体制・・の中で、最もパーフォーマンスが高く、同時に比較的腐敗が少ない(注6)、世界に冠たる経済体制でした。

  • (注6)人間関係がモノをいう自由経済体制は、一般には、合理的経済計算になじまず、かつネポティズム的腐敗がはびこることから、「資本主義」諸国よりはるかにパーフォーマンスが低い。ところが、日本型経済体制は「資本主義」並にパーフォーマンスが高かった。これは、日本には大家族制ないし部族制がなく階級もなく、実力主義が貫徹しており、また日本が基本的に単一民族によって構成され、更に日本人が世俗的で宗派的発想から自由である、という、世界で数少ない国であったおかげだろう。初期の日本型経済体制下の日本には、conglution(癒着)はあっても、corruption(腐敗)はなかったといってよい。

 その日本型経済体制がダイナミズムを失い、かつ官も大企業も不祥事にまみれるようになったのはどうしてなのでしょうか。
 いつも馬鹿の一つ覚えのようで恐縮ですが、吉田ドクトリンのせいです。
 日本型経済体制は、総力戦遂行のための経済体制であり、先の大戦に向けて、安全保障上の必要性から構築された経済体制であるところ、敗戦後、吉田ドクトリンの下で安全保障を米国に丸投げしてしまった瞬間から、この経済体制はいわば「魂」を失い、ここから、日本の政治経済中枢の脳軟化症発症とその重篤化、そしてとめどのない堕落が始まったのです。
 今にして思えば、戦後日本は、吉田ドクトリンを一刻も早く廃棄するとともに、軟着陸的に日本型経済体制の平時化を図らなければならなかったのです。しかし、戦後日本の政治や経済のリーダー達は、これらを二つながら怠ったまま、ついに冷戦時代の終焉を迎えてしまうのです(注7)。

  • (注7)平時化した日本型経済体制とはいかなるものかを構想する力は私にはない。しかし、それが「資本主義」ではないことは確かだ。

 吉田ドクトリンは、ある国が自発的に(安全保障を他国に全面的に依存することによって、その)他国の保護国になるという世界史上他に例を見ない国家戦略です。
 しめたとばかりに宗主国米国は、一貫して保護国日本に対し、自らの世界戦略への同調を「強い」、コストシェアリングや米国債の購入等を「命じ」、自らの世界戦略及び財政・金融の便利屋として日本を使ってきました。
 その見返りに、日本は(安全保障を与えられるとともに)日本型経済体制下の高度成長と保護主義の維持を許されたのです。
 ところが冷戦時代末期には、米国は日本の経済力を脅威に感じるようになります。
 そこでそのころから米国は、日本が将来米国から「独立」する時に備えて、日本の経済にマクロとミクロの両面にわたって掣肘を加える(harnessする)ための布石を打ち始めたのでした。
 マクロ的布石とは、日本のバブルを引き起こした上でバブルをはじけさせて日本型経済体制のダイナミズムを奪ったたことであり、ミクロ的布石とは、グローバルスタンダードと称して米国スタンダードを日本に次々に押しつけて日本型経済体制を機能障害に陥らせたことです。
 しかも念が入ったことに、米国は、これらが米国の布石によるものではなく、自分達のイニシアティブによるものであると日本人に思わせるように仕組み、それに成功したのです。

(続く)

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太田述正コラム#0676(2005.3.31)
<ライブドア・フジサンケイグループ「抗争」(その2)>

(3)文明の衝突
ア リスク選好度
イギリス人の生業が戦争であるとすれば、米国人の生業は博打である、という趣旨のことを以前(コラム#307で)指摘したことがあります。
要するにアングロサクソンはリスク選好度の高い人々(risk taker)だということです。
それに対して、日本人はアングロサクソン以外の大方の人々同様、リスク選好度の低い人々(risk evader)です。
米国産牛肉輸入問題は、アングロサクソンと日本人の選好度の違いが生んだ紛争・・文明の衝突・・であると言えるでしょう。米国人はある程度小さいリスクであればそのリスクは甘受しますが、日本人はどんな小さいリスクでも回避しようとします。
もちろん日本人でも、交通事故による死者が毎年一万人出ても、代用品がない以上、車を廃止せよとは言いませんが、米国産牛肉のように、第三国からの輸入がある程度可能で、しかも豚等といった代用品があるようなものであれば、BSEのリスクゼロを求めます。
米国産牛肉の輸入再開を米国http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050331k0000m050107000c.htmlが強く求めているにもかかわらず、ごく最近の日本の世論調査においても、輸入「再開を急ぐべきではない」71%、「早期に再開すべきだ」17%という結果が出ています(http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20050328k0000m040098000c.html。3月28日アクセス)。
対米協調路線の読売新聞はいたたまれない思いなのでしょう、社説で早期の輸入再開を訴え、日本政府に世論の説得を促しています(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20050328ig90.htm。3月29日アクセス)。
私の見るところ、ライブドアの堀江社長はアングロサクソン的人物であり、これに対してフジサンケイグループは、余りにも日本人的な人々の集合体です。
高いコストのカネを借りて、自分達に比べればはるかに規模の小さい会社が、社運を賭してグループの支配に乗り出してくる、というようなことは、フジサンケイグループの総帥日枝フジTV会長にとっては、宇宙人の襲来に等しい、青天の霹靂であったに違いありません。

イ 企業観
文明の衝突と言えば、ライブドア・フジサンケイグループ「抗争」を通じて露呈したのは、ライブドアとフジサンケイグループそれぞれの企業観の衝突です。
ライブドアはアングロサクソン的企業観を抱いているのに対し、フジサンケイグループは日本型経済体制下の企業観を依然当然視しているように見受けられます。
日本型経済体制とは、先の大戦に至る過程で構築され、日本の戦後の高度成長を支えた経済体制であり、その最大の特徴は、「市場」や「計画」に比した「エージェンシー関係の重層構造」の優位にあります。
私が何を言っているのかさっぱり分からない方は、ずっと以前のコラム(#40、42、43)をご参照いただくとして、一般的な用語でごくごく単純化して申し上げれば、アングロサクソン的企業観とは、企業を財・・株主が所有する財・・ととらえる企業観であるのに対し、日本型経済体制下の企業観とは、人間関係の束として企業をとらえる企業観なのです。注意すべきことは、その人間関係の束が、当然社内でこそ最も密ではあるけれども、財・サービス提供者、顧客、株主、政府にも濃淡はあっても広がっていることです。
その証拠に、ニッポン放送への有力出演者から、もしライブドアがニッポン放送を支配するようなことになれば、出演を拒否するという意向を明らかにする人が続出しましたし、フジTVの番組の提供を受けている日本全国の系列局は、フジTV株を購入してフジTVの買収防止に協力する姿勢を示したところです。また政界からも経済界からも、ライブドアに不快感を表明する声ばかりが聞こえてきます。
日本型経済体制は、企業内においては「計画」優位、企業外においては「市場」優位のアングロサクソン型経済体制の浸食を受けて崩壊しつつあるという見方がもっぱらですが、前者の企業観は意外にも依然健在であったようですね。
海外のメディアの中にも、「堀江は、株主間の透明性ある議論よりも、内輪の人間関係に依存するという牢固とした日本的な経営姿勢を揺さぶった(Horie has shaken deep-rooted Japanese management policies that rely on cozy personal relations rather than transparent shareholder debate.)」という見方を紹介しているもの(http://www.atimes.com/atimes/Japan/GC29Dh01.html。3月29日アクセス)があります。

(続く)

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太田述正コラム#0675(2005.3.30)
<ライブドア・フジサンケイグループ「抗争」(その1)>

1 始めに

 ライブドアとフジサンケイグループの「抗争」が続いています。
 外野的視点から、この抗争をめぐる主要論点を4つ挙げた上で、思いつくままに議論を発展させてみました。
 皆さんのご意見もお聞かせください。

2 論点

(1)社会的機能と法的外観の乖離
新聞・ラジオ局・TV局といったマスメディアは、(その娯楽機能はさておき、)自由・民主主義的な社会を機能させるための不可欠な公共的な機関であり、立法行政司法の三権と並ぶ第四権を呼ばれるくらいの存在です。特にラジオ・TVは(これまでのところ)稀少財である電波を使用するところから、どこの国でも政府の規制を受けています。このことから、ラジオ・TVは殆どの国で外国人による支配が排除されていると承知しています。
ところが、NHKを除き、日本のマスメディアはすべて通常の営利企業である株式会社形態をとっています。株式会社形態をとるしか方法がない、と言った方がいいでしょう。
つまり、日本のマスメディアの大部分は、公共的機関としての社会的機能と株式会社としての法的外観との乖離、という問題を抱えていることになります。
フジTVとニッポン放送は、この乖離をライブドアにつかれ、本来は敵対的買収にはなじまない機関であるにもかかわらず、ライブドアに乗っ取られかけたわけです。
社会的機能と法的外観の乖離と言えば、指名競争入札を思い出します。指名競争入札制度は、法的外観上は、官が安く財・サービスを調達するための制度ということになっています(注1)が、日本においては官製談合制度として社会的に機能しており、あえて高い価格で財・サービスを調達することによって、一般納税者の犠牲において官の受注業者に超過利潤を与え、そのおこぼれに、受注業者が退官後の官僚の再就職を受け入れることにより、官があずかっています。

(注1)入札に参加できる企業を官側が指名することで、技術資格等の要件を満たす業者だけを入札に参加させることができるし、多すぎる企業が入札に参加することに伴う社会的コストを減らすこともできることから、官の財・サービス調達において最も多く用いられる方式。

このような社会的機能と法的外観との乖離は、一昨年官製談合防止法が制定された(http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/daiyookangoku.html。3月29日アクセス)現在でも基本的に変わっていません。
官製談合をなくし、社会的機能を法的外観と一致させるためには、官僚の給与と年金を充実させる一方で、談合が発覚した場合に業者に課される民事上刑事上の「コスト」を懲罰的な高さにする等いくらでも手段はあります。もちろん、できうる限り民営化を推進する(発注側をコスト意識のある主体につくりかえる)ことによって官を縮小させる、つまりは入札制度を用いなければならない機会を減らす、ことも忘れてはならないでしょう(注2)。

(注2)コスト意識のある発注主であれば、競争入札などせずに、周知の2??3社と見積もりあわせをすることによって、最も低価格で財・サービスの調達ができる。皆さんが車のディーラー2??3社とネゴをして車を買う場合のことを思い出して欲しい。

 マスメディアにおける社会的機能と法的外観の乖離についても、官製談合問題のように社会的機能を法的外観に一致させる形で解消させるべきだというのがライブドアの考えなのでしょうが、果たしてそうでしょうか。いくらインターネット時代だと言っても、少なくともまだ時期尚早であるように私は思います。
 となれば、法的外観を社会的機能に合致させ、マスメディアを公共的機関として法律によって敵対的買収から守る必要があるのではないでしょうか。
 いずれにせよ問題は、戦後日本において、社会的機能と法的外観が乖離したまま放置されているケースが多すぎることです(注3)。

 (注3)憲法第9条という法的外観の下で自衛隊という軍隊としての社会的機能を持った国家機関が整備・維持されてきた、という余りにも有名なケースを持ち出すまでもなかろう。

(2)法の欠缺
社会的機能と法的外観の乖離と似ているようで異なるのが、法の欠缺(けんけつ=穴)の問題です。
TOB中の時間外取引は法の趣旨には反するけれどこれを禁止する規定はありませんが、この時間外取引でライブドアがニッポン放送株を大量取得したことが批判されています。
また、リーマンブラザーズがライブドアにニッポン放送株取得資金を提供したことを契機に、法律で外国人による日本のTV局やラジオ局の支配は禁じられているけれど、外国人が支配下に置いている日本の会社による支配、いわゆる間接支配は禁じられていないことが問題視されました。
大和SMBCがニッポン放送株を保有しているというのに、フジTVによるニッポン放送のTOBを手がけたというのもおかしいと思います(注4)。ライブドアがTOB破りをやっていることが分かった段階で、TOBの目標が下げられましたが、その時同時にTOB価格を上げてライブドアに対抗すべきだったのに、大和SMBCの利益相反行為になることからできなかった(http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/jp/biz/366473。3月29日アクセス)ことからも、これがおかしいことは明らかです。

(注4)フジサンケイグループの元オーナーの鹿内家が、鹿内家の保有していたニッポン放送株を、TOBを手がけることを予定していたところの大和SMBCが「購入」したのは無効だ、と主張していることを想起せよ。

資本主義国家における主要な経済アクターたる株式会社の支配に関わる株式の売買等に関する法にこれだけ欠缺がある以上、日本は資本主義国家ではないのかではないか、という疑問が湧いてきます。
もっとも、日本にはより深刻な法の欠缺が数多存在します。日本の現行憲法には、元首に関する規定も、軍隊に関する規定も、国家緊急権に関する規定もありません。
これでは、資本主義国家であるどうかを論じる以前に、日本は国家ですらない、ということになりそうです。

(続く)

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