カテゴリ: 従軍慰安婦

太田述正コラム#2424(2008.3.15)
<買春で辞職したNY州知事>(2008.4.17公開)

1 始めに

 その一週間前にニューヨークタイムスの特ダネで買春をしていたことを報じられた、米ニューヨーク州知事のスピッツァー(Eliot Spitzer)が12日、辞職しました。
 米国の世論調査では、85%が辞職は当然だと答え、64%はスピッツァーは刑事訴追されるべきだと答えました。
 (以上、
http://www.ft.com/cms/s/0/92891adc-f041-11dc-ba7c-0000779fd2ac.html
(3月13日アクセス)による。)
 彼が利用した高級売春クラブでは、通常一時間1,000から5,500米ドル料金がかかり、それ以上高いオプションもあったようです。料金の支払いはクレジットカードであり、このクラブに司直の手が入り、売春禁止法違反とマネーロンダリングで摘発中に顧客にスピッツァーがいることをニューヨークタイムスがつかみ、特ダネと相成ったわけです(
http://blogs.ft.com/gapperblog/
。3月11日アクセス)。
 2004年に米国政府は、「米国政府は売春を合法化する提案には断固反対する。売春は現代における奴隷貿易を直接的に促進するとともに本質的に品位に悖ることだからだ。」と声明を発しており、上記世論調査からも分かるようにスピッツァーが非難されるのは当たり前である、と言いたいところですが、その米国でネバダ州の相当部分で売春が合法化されているのですから、米国も面白い国です(
http://www.slate.com/id/2186243/
。3月11日アクセス)。

2 改めて交わされた売春論議

 (1)総論

 面白いと言えば、立場が立場だけに、ニューヨークタイムスこそ、売春は悪いことだというお手盛り記事を載せました(
http://www.nytimes.com/2008/03/12/opinion/12farley.html?ref=opinion&pagewanted=print
。3月12日アクセス)が、米国の新聞の多くが、この事件を踏まえて、売春合法化論を掲げていました。
 特にロサンゼルスタイムスが熱心に売春合法化論を展開していたので、同紙のコラム2篇の要旨をご紹介しましょう。

 (2)第一のコラム

 ここ15年というもの、それまで単婚的(monogamous)と思われていた動物の大部分が浮気(科学用語では、番(つがい)外性交=extra-pair copulations= EPCs)をすることが分かってきた。
 つまり、動物の殆どは社会的単婚・・雄と雌による番と子育て・・だが、性的単婚は希だということが判明したのだ。
 性的単婚を貫くひょっとして唯一の動物がDiplozoon paradoxumであり、これは魚の消化器官に宿る寄生虫だが、雄と雌が番になると物理的に一体化し、どちらかに死が訪れるまで性的単婚を続ける。
 精子の数は多く、親としての面倒をほとんど見なくてもよいので、大部分の種で雄は貪欲な性的冒険者であり、それが可能であれば複数のパートナーとセックスを行う。それに成功した雄は沢山の子孫を残すことができる。
 キッシンジャーが喝破したように、権力は究極の媚薬であり、大部分の哺乳類ではメスはボス的な雄と番おうとし、子分どもになぞ目もくれない。そして多くの場合ハレムが形成される。
 だから、欧米の植民地主義によって世界の文化の均質化が行われる以前は、人類社会の85%は複婚(polygamy)志向だった。
 (以上、
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-barash12mar12,0,6338866,print.story
(3月12日アクセス)による。)

 (3)第二のコラム

 米国の成人男子の10人に1人は生涯のいつかの時点で買春をしている。そして米国では、2005年には約84,000人が売春がらみの犯罪で逮捕されている。
 他方、米国のお隣のメキシコでは、三分の一の州で売春は合法化されている。
 また、スウェーデンでは、買春やヒモ/女衒を非合法としつつ、売春を合法化するという新しい試みを行ったが、価格が低下し顧客は減ったものの、カネはもっと出してコンドーム無しでやらせろと言うようなアブナイ顧客が増えた一方で、逮捕されることを懼れてヒモ/女衒が顧客がアブナイかどうかを見極めることができなくなったという弊害が生じている。
 一番推奨されるのがニュージーランドでの取り組みだ。
 この国では、2003年に売春を合法化しただけでなく、売春婦の人権を守り彼女らを搾取から保護し、その福祉と職業的健康と安全性を確保することによって公衆衛生の改善を図るとともに18歳未満の売春婦を禁じた。
 (以上、
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-kelly13mar13,0,7801341,print.story
(3月13日アクセス)による。)

 (3)ニューヨークタイムスまで売春合法化論のコラム!

 実は、ニューヨークタイムス自身、売春合法化論の以下のようなコラムを掲載しているのです。

 オランダは売春を合法化した。
 しかし、女性密輸入数は減らなかったし、公衆衛生の改善も大したことはなかった。
 推奨されるのはスウェーデンでの取り組みだ。売春を合法化したが買春は非合法とした。
 その結果、女性密輸入数は減り、強制売春も減った。
 売春を地下に追いやっただけだという意見もあるが、スウェーデンでの世論調査では、この実験は成功したという意見の人が多い。
 (以上、
http://kristof.blogs.nytimes.com/2008/03/10/prostitution-and-the-law/index.html?ref=opinion
(3月11日アクセス)による。

3 終わりに

 スウェーデンでの取り組みの評価については、色んな意見があるようですが、いずれにせよ、学者の間では、売買春の全面的禁止は愚策であるという点でコンセンサスが成立しているようです。
 日本でも、大麻やカジノや売買春の合法化論議がもっと起こってもいいですね。
 一律の取り組みは困難であるとしても、道州制の下で、これらの問題についても日本国内で多様な取り組みが見られるような時代が早く到来して欲しいものです。

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太田述正コラム#1717(2007.4.2)
<慰安婦問題の「理論的」考察(番外編)(続)>(2007.5.4公開)

1 始めに

 もう少し、視野を広げて慰安婦問題にアプローチしてみましょう。

2 日本人人身売買の歴史

 (1)全般

 「平安時代後期に、日本が中世へと以降すると、社会秩序の崩壊にしたがって人身売買が増加し、「勾引」(こういん)や「子取り」と称する略取も横行した。また、貨幣経済の発展に伴って、人身を担保とする融資も行われた。こうして、様々な事情で自由を失った人々が下人となり、主人に所有され、売買の対象になった。有名な『安寿と厨子王(山椒大夫)』の物語は、この時代を舞台としている。このように、中世には人身売買が産業として定着し、略取した人間を売る行為は「人売り」、仲買人は「人商人」(ひとあきびと)や「売買仲人」と呼ばれた。また、奴隷が主人から逃亡することは財産権の侵害と見なされ、これも「人勾引」と称された。
 鎌倉時代には、元帝国と高麗の連合軍が壱岐・対馬と九州北部に侵攻し(元寇)、文永の役では、捕らえられた日本人の婦女子およそ200人が、高麗王に奴隷として献上された。国内においては、鎌倉幕府や朝廷は、人身売買や勾引行為に対して、顔面に焼印を押す拷問刑を課した(注1)こともあった。しかし、14世紀以降、勾引は盗犯に準ずる扱いとされ、奴隷の所有は黙認された(注2)。南北朝時代として知られる内戦期になると、中央の統制が弱まって軍閥化した前期倭寇が、朝鮮や中国で奴隷狩りを行った。
 いわゆる戦国時代には、戦闘に伴って「人取り」と呼ばれる略取が盛んに行われており、日本人奴隷は、主にポルトガル商人を通して世界中に輸出された(当時の日本の主要な輸出品の一つは奴隷であった)。関白の豊臣秀吉は、バテレン追放令でこれを禁じた。反対に、文禄・慶長の役では、数万の朝鮮人が日本へと略取され、大半はやはりポルトガル商人へと売却された。また、他には、ヤスケという名のアフリカ系奴隷が、戦国大名の織田信長に宣教師から献上され、家来として仕えたとの記録が残っている。
 江戸時代に勾引は死罪とされ、奴隷身分も廃止されたが、年貢を上納するための娘の身売りは認められた。「人買」(ひとかい)は、こうした遊女の売買を行う女衒を指す語として、この時代に一般化したものである。また、前借金による児童や青少年の奴隷労働(年季奉公)も広く行われた。これらの奴隷的拘束は、明治維新による近代化の後も形を変えて根強く残った。ただし、1872年のマリア・ルーズ号事件をきっかけに、ときの司法卿・江藤新平によって、芸娼妓解放令が太政官布告として発せられ、このような人身売買は法的には禁じられた。また、それより以前の1870年には、外国人への児童の売却を禁ずる太政官弁官布告が出された。」
 (以上、特に断っていない限り
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7
(4月2日アクセス)による。)

 (注1)貞永式目に正応3年(1290年)に、この条目が追加された。(加来耕三『信長の謎<徹底検証>』講談社文庫2000年 224頁)
 (注2)嘉元元年(1303年)に出された鎌倉幕府の法令の項目に、「一、拘引人の事 売買のためにその業を専らにするの輩は、盗賊に準じてその沙汰あるべし」とある。この種の犯罪者を侍所方の管轄にすると述べている。(加来上掲 224頁)

 (2)戦国時代末期の人身売買

 『妙法寺記』の天文15年(1546年)の記録によれば、武田信玄(1521〜73年)は侵略地の男女を価格2貫から6貫で売り飛ばした。当時の銭と米の相場は、銭1貫(銭1000文)が米40升に相当するから、2000当時の自主流通米で換算すると、わずか人一人約4万円から12万円という安さだったことになる(加来上掲 220〜221、225頁)。
 他方、『信長公記』の巻12(=天正7年(1579年)に、80人もの女性を誘拐し、堺で売っていた女性の人売りが、織田信長(1534〜82年)配下の所司代によって成敗された、という話が載っている(加来上掲 223頁)。
 時代が33年隔たっているが、信玄と信長の違いがうかがえて興味深い。

 (3)キリシタンによる日本人奴隷貿易

 「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし」。ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団として、ローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。「行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている」と。日本のカトリック教徒たち(プロテスタントもふくめて)は、キリシタン殉教者の悲劇を語り継ぐ。しかし、かの少年使節団の書いた(50万人の悲劇)を、火薬一樽で50人の娘が売られていった悲劇をどうして語り継ごうとしないのか。キリシタン大名たちに神杜・仏閣を焼かれた悲劇の歴史を無視し続けるのか。数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた事実を、今こそ、日本のキリスト教徒たちは考え、語り継がれよ。その勇気があれぱの話だが.
」(鬼塚英昭氏『天皇のロザリオ』249〜257頁)
 (以上、
http://www.gameou.com/~rendaico/nihonchristokyoshico/zinshinbaibaico.htm
(4月2日アクセス)による。)

 天正15年(1587年)に豊臣秀吉が「バテレン追放令」を発出し、その国内向けとみられる法令中で、日本人を南蛮に売り渡す(奴隷売買)ことを禁止している。ここから、バテレン船で現実に九州地方の人々が外国に奴隷として売られていたことが分かる(
http://www.hokkoku.co.jp/kagakikou/ukon/ukon19.html
。4月2日アクセス)。

3 先の大戦中の日本による支那人の強制労働

 「第二次大戦中に中国から強制連行され労働を強いられた・・原告らは一九四四年から四五年にかけて、日本軍に強制連行された。麻袋に穴を開けただけの服を着せられ、氷点下の新潟港ではだしで強制労働させられ<、その結果、>新潟港では九百一人が連行され<たところ>、栄養失調や暴行などにより百五十九人が死亡した<と主張>・・として、中国人男性六人と死亡した五人の遺族の計二十八人が、国と港湾輸送会社「リンコーコーポレーション」(旧新潟港運、新潟市)に、総額二億七千五百万円の損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が東京高裁であった。安倍嘉人裁判長は「強制連行という不法行為に対する賠償請求権は二十年を過ぎて消滅している」などと述べ、国と企業に計八千八百万円の損害賠償を命じた一審の新潟地裁判決を取り消し、原告の訴えを退けた。
 一審は「企業の労働管理が不十分で、国も十分な管理を怠り、両者に安全義務違反があった」として、国と企業両方の責任を初めて認めていた。原告側は上告する方針。
 安倍裁判長は「国は日本軍の協力で、中国人を暴力などで拘束し国策で強制連行した。企業も劣悪な環境で暴力も用いて過酷な労働を強制した」と不法行為を認定。
 しかし、国家賠償法制定以前の不法行為に、国は損害賠償<責任>を負わないとする「国家無答責」<の法理>を適用し、国に賠償責任はないとした。さらに国と企業の不法行為に対する賠償請求権は、除斥期間(二十年)を過ぎて権利が消滅したと述べた。
 企業の安全配慮義務違反についても認めたものの、義務違反に基づく賠償請求権は時効(十年)で消滅したとした。」
 (以上、
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070315/mng_____sya_____008.shtml
(3月15日アクセス)による。)

3 コメント

 以上から、日本では、江戸時代以降、保護者ないしは本人の同意なき人身売買・・強制連行(拉致)・・は厳しく禁じられてきた一方で、保護者ないしは本人の同意に基づく年季奉公・・その一環として娘の身売りがあった・・は、法的に、もしくは事実上認められてきたことが分かります。
 また、先の大戦中の支那人の強制労働問題と慰安婦問題は、どちらも官憲が関与していた点では同じですが、強制連行の有無と処遇の良否において、大きく異なっていたことが分かります。
 慰安婦問題は、このような視点をも加味しつつ、検証がなされるべきでしょう。

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太田述正コラム#1714(2007.3.31)
<慰安婦問題の「理論的」考察(その11)>(2007.5.2公開)


 その後、朝鮮日報が、「カナダ議会では従軍慰安婦への謝罪はもちろん、賠償を要求する決議案が推進されている。新民主党所属のウェイン・マストン議員が提出したこの決議案は、 27日にカナダ下院の外交・国際開発委員会傘下にある人権小委員会の票決で賛成4票、反対3票で可決され、常任委員会に付された。決議案を提出したマストン議員は「第2次世界大戦当時、性の奴隷として虐待された数万人の女性たちに対し安倍首相は謝罪し、賠償プログラムを整えるよう圧力を加えるべき」と主張した。」と報じています(
http://www.chosunonline.com/app/ArticleView.do?id=20070330000015 
。3月30日アクセス)。
 また、ニューヨークタイムスは、吉見義明・中央大学教授の主張を大々的に取り上げつつ、安部首相の慰安婦問題に関する新米議員当時から現在に至る姿勢を厳しく批判した東京特派員記事をを掲げました。
 ただし、その中で吉見教授は、慰安所(brothel)の設置への軍の関与を記した公式文書は存在しているが、軍による女性の強制連行(abduction)を記した公式文書は、そんなことが公式文書に書かれることはありえないことから、今後とも出てくる可能性はほとんどなかろうと言っています(
http://www.nytimes.com/2007/03/31/world/asia/31yoshimi.html?_r=1&oref=slogin&ref=world&pagewanted=print
。3月31日アクセス)。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ちょっと先を急ぎすぎたので、ここでマッキノン(現在ミシガン大学ロースクール教授)の主張の全体像をお示ししておきたいと思います。その概要は次のとおりです。
 
 本来平等とはアリストテレス的平等を意味するのであって、同じような個人は同じように、違うような個人は違うように扱うというものだ。しかし、このような平等の考え方は、あるグループが社会のヒエラルキーの中で法または力によって従属的な地位に置かれている場合には、ねじまげられてしまう。
 例えば、女性と男性は、妊娠できるかどうかという点では違うというのに、米国の法は両者が同じだとみなして、女性に生理休暇はもとより(太田)産休(maternity leave)すら与えておらず、裁判所もこの取り扱いを是認している。
 また、女性と男性は、愛のない性交を苦痛と感じるかどうかという点でも違う(太田)というのに、先進国ではおおむねどこでも(太田)、強姦者が相手の女性が性交に同意したと信じたことに落ち度がないとみなされた時はおとがめなしだ。そもそも強姦が罪とされるのは、女性の精神的肉体的権利を侵害するからではなく、強姦者以外の男性が持っているところの女性に対する潜在的な財産的権利を侵害するからだ。
 更に、売春に対する禁忌は、一見女性を守るためのものに見えるが、その実、男性の性的利益に奉仕するためのものなのだ。
 そしてポルノは、強姦、殴打、セクハラ、売春、子供の性的虐待を男性的観点からとらえる(sexualize)ことによって、これらの行為を祝福し、促進し、容認し、正当化している。
 このポルノ等を通じて女性は、男性の視点で世の中を眺めさせられており、女性は自分を自由だと思っているものの、自由意思を行使できないのが現実だ。
 このように女性が構造的に従属的な地位に置かれている状況下では、女性の相手が愛人であれ夫であれ強姦者であれ、あらゆる性交が強制されたもの(forced sex)であると言ってよい。それどころか、あらゆる性交は強姦(rape)であるとさえ言えるかもしれない。

 マッキノンは最先端のフェミニストを自認しつつ、このような主張を行っているわけですが、要するにそれは、ビクトリア朝的倫理・・男性を性的野獣とみなし、女性を男性の情熱の犠牲者ととらえた・・への先祖返りではないか、と評されているのももっともです。
 マッキノンの名前が最初に世に出たのは、1976年の米連邦最高裁判決(Williams v. Saxbe)・・セクハラは性的差別禁止法令違反たりうると判示した・・が彼女のセクハラに関する学説を採用したことによってでした(注15)。

 (注15)セクハラ(sexual harassment)という言葉が生まれたのは1974年だが、マッキノンの造語ではない(
http://en.wikipedia.org/wiki/Sexual_harassment
。3月31日アクセス)。しかし、彼女は実質的にセクハラなる新しい概念の母であると言ってよかろう。

 マッキノンが一躍全米に名前が知られるようになったのは、1982年にミネソタ州のインディアナポリスの市議会の依頼を受けて、女性を蔑視するポルノ(コラム#1709)を禁止する市条例案の策定に携わった時のことです。
 この条例案は、市長が拒否権を発動したため、制定には至りませんでしたが、次いでインディアナ州のインディアナポリスでは、市長が先頭に立って同様の条例の制定にこぎつけます。
 インディアナポリスは、カーレースの祭典であるインディ500の開催地として有名な都市ですが、同市が米国で最も保守的な市のうちの一つであることは象徴的です。
 つまり、性革命を苦々しく思っていた米国の保守層と「最先端の」フェミニストや左翼が同床異夢の野合をするに至ったのです。
 その背景には、米国社会のキリスト教原理主義化がある、と私は思うのです。
 しかし、上記インディアナポリス市条例は、1986年2月、米連邦最高裁において、米憲法修正第1条の言論の自由規定に抵触するとして違憲判決が下されてしまいます。
 この判決が既に出ていたというのに、レーガン大統領が設置したポルノに関する審議会(コラム#1667)が1986年7月にとりまとめた報告書が、全米の州議会に対し、マッキノンのポルノに関する学説をあえて推薦したところに、米国の保守層のマッキノンへの思い入れの深さがよく現れています。
 そして、1990年代に入るとマッキノンの名声はこの上もなく高まります。
 1992年に、隣国のカナダの最高裁が彼女のポルノに関する学説を採用し、暴力的で女性蔑視的なポルノを禁止する条例を合憲だと判示したからです。
 米国はまだかろうじて踏みとどまっているけれど、この判決によって、カナダは言論の自由を大きく制約する社会、すなわち非アングロサクソン社会への第一歩を踏み出してしまったのではないでしょうか。
 ポルノに対してかくも厳しいのですから、当然、愛のない性交を女性が経済的事情等で「強いられる」ところの、売春に対しても厳しい姿勢がとられることになるはずです(注16)。

 (注16) 先般、米連邦控訴審は、中共で、(ざらにあることだが、)2,200米ドル相当で親によって結婚相手に売られた女性(現在19歳)が、将来この意に沿わぬ結婚相手に虐待を受ける恐れがあるとして、米国に申請した亡命を認めた。米国政府はただちに連邦最高裁に上告したが、愛のない結婚などとんでもないという現在の米国世論がうかがえて興味深い。
     (以上、
http://www.csmonitor.com/2007/0323/p01s02-usju.htm
(3月24日アクセス)による。こうなると、米国人の結婚観と日本人の結婚観は180度違う、ということになろう(コラム#1508参照)。

 以上が、米国とカナダで今湧き上がっている「従軍」慰安婦非難の合唱の背景である、と私は考えているのです。(完)

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太田述正コラム#1709(2007.3.28)
<慰安婦問題の「理論的」考察(その10)>(2007.5.1公開)


<その後の米英での動き(続き)>

 その後、ロサンゼルスタイムスも、安部首相が、官憲による強制連行を否定しつつも、謝罪したと報じました(
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-abe27mar27,1,4539575,print.story?coll=la-headlines-world
。3月28日アクセス)
 他方、日本の識者である加瀬英明がニューズウィークのアジア(電子)版に日本政府のスタンスを擁護する論陣を張ったと朝鮮日報が報じました(
http://english.chosun.com/w21data/html/news/200703/200703280028.htm 
。3月28日アクセス)。
 ただ、加瀬氏が、南京事件がでっちあげであると同じ論考の中で書いているらしいのは残念なことです。少なくとも英語圏の読者はそれだけで加瀬氏の書いていることを疑いの目で見ることでしょう。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 米国は先の大戦をビクトリア朝的倫理感を墨守したまま迎えました。
 だからこそ米国は、日本の占領にあたって公娼制を廃止させ、更には売春防止法の制定寸前まで持っていった(コラム#1698)わけです。
 ところがその米国で、まず、1950年代から、種々の新しい避妊法、とりわけピルの発明が女性を望まぬ妊娠の恐怖から解放し、その一方でマスターとジョンソンが性交渉の研究・奨励を行い、やがて離婚法の改正により愛なき結婚の解消が容易となり、さらに1970年代初頭からはハードコア雑誌・映画が解禁になります。
 この結果、米国では男性と女性の関係が短時日で変わってしまいます。いわゆる米性革命(sexual revolution)です(コラム#1666)。
 こうして、(性革命地域と性革命オフリミット地域とを截然と分けるゾーニングこそなされていたとはいえ、)ビクトリア朝的倫理感とは無縁であり続けた日本人ですら目をむくようなハードコア雑誌・映画等が、米国で溢れかえるようになったのです(注14)。

 (注14)70年代後半から80年代前半にかけて、米国に出張した防衛庁関係者のおみやげの定番はトランクの奥に隠して密かに持ち込んだハードコア雑誌だった。また、1981年の日米次官級安全保障会議(日本からは外務審議官と防衛事務次官以下が出席)がハワイのホノルルで行われた時のこと、会議が終わった夜、防衛庁代表団は、次官以下がうちそろってハードコア映画を見に行ったものだ。ただし、原徹次官(大蔵省出身)は、お疲れの様子で、映画が始まってすぐ眠りに落ちた。当時の日本も米性革命の熱気に煽られていた。

 それは、同時にフェミニズムが猖獗を極めた時代でもありました。
 (以下、、
http://www-personal.umich.edu/~sdarwall/355l2796.htm
http://www.mediacoalition.org/reports/mackinnon.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Catharine_MacKinnon
(いずれも3月20日アクセス)による。)
 そしてフェミニズムは、両性間の関係の抜本的変革に敵対的な勢力に手を貸すことになるとして、あらゆる検閲に反対しました。
 つまり、フェミニズムは、ポルノ解禁を含めた戦後の米性革命を是としたのです。
 このポルノ解禁を是とする考えは、1970年にニクソン米大統領に対し、ジョンソン米大統領が1968年に設立した猥褻とポルノに関する審議会(Commission on Obscenity and Pornography)が、ポルノと非行や犯罪との間に因果関係なし、という結論を答申した(コラム#1667)時点で完全に市民権を得た感がありました。
 ところがその米国で、1980年代に入って、ポルノは人権侵害であるとして、性革命に真っ向から異議申し立てを突きつけたのがマッキノンなのです。

 マッキノンは、米国の女性の44%は生涯の間に一回以上強姦され、85%がセクハラを受け、25%から33%がパートナーから殴打され、38%の未成年が性的いたずらを受けるとし、それは、ポルノが、女性に対する強制的客体化、屈辱感の付与、暴力を表現し、認め、助長し、強姦、殴打、セクハラ、売春、子供への性的虐待をもたらした、すなわち男性の女性支配、女性の男性への服従を性を通じてもたらした、結果であると指摘します。
 その上でマッキノンは、女性蔑視のポルノ(Misogynist Pornography)は禁止されるべきだとします。
 女性蔑視のポルノとは、女性が、下記のうち一つ以上があてはまる形で登場する情報媒体を指しています。
 痛みや屈辱を好む性的対象物
 強姦されることに性的快楽を覚える性的対象物
 縛られたり切られたり傷つけられたりなどされる性的対象物
 蔑み、傷害、屈辱、拷問といったシナリオの中で、汚くまたは劣等で出血し、もしくは傷つけらる姿が、性的状況の中で描写される
 支配、征服、暴力、搾取、所有、または使用のための性的対象物、もしくは隷属や露出(submission of display)の姿勢や態度を通じた性的対象物

(続く)

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太田述正コラム#1707(2007.3.27)

<慰安婦問題の「理論的」考察(その8)>(2007.4.30公開)





<その後の米英での動き>



 準アングロサクソンのオランダでは、同国の外務省がホームページに、「日本は1993年の声明(河野談話)で日本軍が第2次大戦で数千人の女性を性奴隷にした点を認めたが、日本政府の最近の発表ではこれらの認識に疑問が示されている。日本の新しい声明は歴史的証拠と反し、被害者やその家族を苦しめている」と記し、カナダのマッケイ外相は20日の国会での答弁で、「カナダは第2次大戦で多くの苦痛を味わった女性に対して大きな同情心を持っている。彼女たちへの誤った行動やその苦しい時代を決して忘れてはならず、この問題は放置されてはならない・・日本の外相にこの意見を今週中に伝える。日本の首相の発言に対して遺憾を表明し、女性たちに対する謝罪問題には明確な態度を要請する」と述べました。



 また、ニューヨークタイムスが社説で日本政府を非難した(

http://www.nytimes.com/2007/03/06/opinion/06tues3.html?_r=1&oref=slogin



ことについては先に太田掲示板上で話題になりましたが、今度はワシントン・ポストまで24日、社説で、安倍首相が日本軍「慰安婦」に対する日本政府の過去の立場から後退するのは「民主国家の指導者として恥ずかしい」と非難するとともに、安倍首相が北朝鮮の日本人拉致問題については執拗な一方、「第2次大戦中に数万人を拉致、性暴行し、性奴隷とした日本の責任に対して後退しているのは無礼なこと」と指摘し、更に、慰安婦問題についての「歴史的記録は北朝鮮による拉致事件に劣らず証拠がはっきりしている。歴史専門家は20万人に達する女性が韓国、中国、フィリピンなどアジア諸国から奴隷として連行され、日本軍が拉致に加担したと明らかにしている」と強調しました。

 (以上、http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/26/20070326000009.html

(3月26日アクセス)による。)



 そこへ本日、日本のメディアや韓国のメディアの電子版はほとんどとりあげなかった話を、米英のメディアが大きくとりあげました。

 26日の国会で、安部首相が、「従軍」慰安婦について謝罪をし、にもかかわらず、官憲による強制連行は再度否定したのですが、これは河野談話を踏襲しただけのことであるところ、何故これがニュースになるのかいささか理解に苦しむのですが、ニューヨークタイムスと英ガーディアンがこれをそのまま報じたのはまだしも、英ファイナンシャルタイムスと英BBCに至っては、安部首相が強制連行を再度否定したことには触れず、謝罪をしたことだけを報じたのです。



 これらメディア、とりわけファイナンシャルタイムスとBBCの報道から、アングロサクソンは、強制性の有無を問わず、慰安婦制そのものを問題にしているのではないか、という私の推測が裏付けられた思いがしました。

 この文脈で見過ごすことができないのは、ニューヨークタイムスが、「しかし、私は本件が非常にむつかしい問題であると考えており、われわれは日本の人々がこの問題に引き続き取り組み、犯した犯罪(crimes)の重さを認めるという率直かつ責任ある姿勢でこの問題に対応することを心から期待している」という異常なまでに厳しい米国務省報道官の言を報じていることです。

(以上、

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6495115.stm

http://www.ft.com/cms/s/c0e64506-dbb3-11db-9233-000b5df10621.html

http://www.nytimes.com/2007/03/27/world/asia/27japan.html?pagewanted=print

http://www.guardian.co.uk/japan/story/0,,2043671,00.html

(いずれも3月27日アクセス)による。)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



 19世紀を迎えた頃の英国は、良く言えばバイロン、シェリーらのロマン主義の英国であり、悪く言えば、俗悪で、酔っぱらいの多い、歯に衣を着せない物言いをする、直截的にして性的放縦の英国でしたが、1937年のビクトリア女王就任の頃になると、英国は、すっかり様変わりしてしまいました。

 重苦しい中産階級的価値観が支配する、禁欲的、婉曲的、同調的にして性的抑制の国、英国へと変貌したのです。



 この180度的な大きな変化は、フランスの軍事的脅威、フランス革命伝播への恐怖、そして急速に発展する不安定な産業資本主義、が引き起こした社会的不安に危機意識を募らせ、犯罪・貧困・社会的騒擾の増大は放置できないとし、問題は貧困層や労働者階級の背徳にあると考えたところの、ウィルバーフォース(William Wilberforce。1759〜1833年)らのプロテスタント新宗派の博愛主義者達、ベンサム(Jeremy Bentham。1748〜1832年)らの世俗的な効用学派の哲学者達、及び自由市場を信奉する経済学者達が手を携えて、貧困層や労働者階級を主たるターゲットとして、性的節制・勤勉・自己抑制・洗練された行儀作法、を旨とする社会改革/道徳改革運動を展開したために生じたものです(注13)。 



 (注13)慈善事業も、貧困層の自立を促すような方法と姿勢で行わなければならないとした。



 1859年にミル(John Stuart Mill)が自由論を書いたのは、このビクトリア朝的倫理感への異議申し立てであったのです。

 やがて英国は、この禁欲的なビクトリア朝的倫理感から次第に解放されて行きます。

 ところが最近、英国では、保守党を中心にこのビクトリア朝倫理感への郷愁が高まっています。

 サッチャーは首相当時の1983年、「私はビクトリア朝的な祖母に育てられたことに感謝している。そのおかげで、われわれは勤勉、自分の何たるかを証明すること、人頼みをしないこと、浪費をしないことを叩き込まれた。これらのビクトリア朝的価値観こそ、わが英国を偉大にしたゆえんなのだ。」と宣言したものですし、つい最近も、保守党の影の司法大臣(attorney general)もビクトリア朝的価値観を褒め称えたところです。

 しかも、できそこないとはいえ、米国もアングロサクソンである証拠に、その倫理感の変遷は、以上ご紹介した英国の変遷を、タイムラグはあっても忠実に追って現在に至っているのです。

 (以上、ビクトリア朝的倫理感については、

http://www.slate.com/id/2162372/pagenum/all/#page_start

http://www.nysun.com/article/49949

http://www.amazon.com/Making-Victorian-Values-Decency-1789-1837/dp/1594201161

(いずれも3月23日アクセス)による。)



(続く)


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太田述正コラム#1704(2007.3.25)

<慰安婦問題の「理論的」考察(その6)>(2007.4.28公開)



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――



<日本の廓の発生史>

 このあたりで、日本の廓(公認売春宿)の発生史を押さえておきましょう。





 日本で国家による売春の管理が初めて行われたのが、鎌倉時代初期の1212年に朝廷の検非違使が発した京都における結婚・売春仲介業への規制であるところの、中媒(仲人)たる下女の禁制です。

 これは、良家の子女を巧みに誘って賤しい男にめあわせ、密会の場所を提供すること、すなわち身分違いの結合を、身分秩序の紊乱をもたらすとして禁止したものです。

 このことから逆に、身分秩序の紊乱をもたらさない仲介は正当な業務として認められていたことが分かります。



 そして、中媒や好色(売春婦)や遊女や白拍子らの風俗営業は、当時、女性が直接にその身体を使用して行う芸能、道の一つとして認められており、内蔵寮(くらりょう)が調度品や繊維産業を、造酒司(みきのつかさ)が酒造業界を、朝廷の料理を預かる御厨子所(みずしどころ)が京都の生鮮魚介市場を、それぞれ利権的に公事(税金(賦役を含む))徴収の対象としていたことから、京都の警察を担当していた検非違使庁が、風俗営業従事者から税金を徴収していたであろうことが、容易に想像できます(注11)。



 (注11)朝廷では9世紀頃から女性官人が急激に締め出され、朝廷では女性はもっぱら私的な雑用に従事することとなる。その結果貴族層では、女性の労働を賎視する風潮が生まれ、また、官職を持つ夫への経済的従属が強まった。こうした風潮は上から下へと広がっていき、女性が公的な場から私的な場へと活動の場を狭められて行ったと考えられている。しかし、女性性そのものが「家産」であるという遊女の特殊性から、遊女社会においては、中世後期まで家父長制が根付かず、女性の「長者」に率いられた自治的な社会でありつづけた。(

http://www.ikedakai.com/ryukeikanren1.html

。3月25日アクセス(以下同じ))





 風俗営業は税金徴収の対象となっていただけではありません。

 また、平安時代から、天皇の代替わりに際しての大嘗祭の場には、大嘗会(え)の検校(けんぎょう)の納言、悠紀(ゆき)・主基(すき)の国司、諸所の預(あずかり)などの座席とともに、大工等の技能に優れた人々=「才技長上(さいぎちょうじょう)」の座席も設けられていたことから、風俗営業従事者中の代表者達も大嘗祭に招かれていたと考えられるのです。



 (恐らく鎌倉時代末期からのことだと考えられていますが、)室町時代から江戸時代初期にかけて、公家中の名門である久我(こが)家(注12)が、盲目座(当道座)から公事を徴収していたほか、検非違使の勢多(せた)氏を直接の担当者として「洛中傾城(けいせい)局」として京都の傾城達から公事を徴収していたことが明らかになっています。



 (注12)久我家は村上天皇の皇子に発する村上源氏の嫡流。堀川、土御門、中院、六条、愛宕、西園寺、岩倉、久世、東久世は分家。女優の久我美子(くがよしこ。1931年〜)はこの久我家の嫡流。ただし、本名は「こがはるこ」と読む。(

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E6%88%91%E5%AE%B6







 鎌倉時代末期に生きた女房、後深草院二条は、この久我氏の出身であるところ、彼女は後深草院の愛妾であったが、同時に同母弟亀山院や、鷹司兼平・西園寺実兼などとの「密通」に身を焦がし、その記録、『とわずがたり』を執筆していることは、久我家の家業との関連で様々な想像をかきたてます。

 (以上、特に断っていない限り

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E6%88%91%E5%AE%B6

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E6%88%91%E7%BE%8E%E5%AD%90

による。)





 以上をまとめれば、日本では、売春等の風俗営業の世界において例外的に男女同権が長く維持され、また売春等の風俗営業は正当な業務として認められており、しかも、由緒ある公家が売春等の風俗営業の規制・税金徴収を所管していた、ということです。



 では、いわゆる遊郭はいつどのように生まれたのでしょうか。

 それは1589年に京の万里小路に、豊臣秀吉の厩付奉行をしていた男らが傾城街をつくるのを秀吉が許可したことに始まりました。これが日本最初の遊郭「島原」となるのです


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太田述正コラム#1702(2007.3.24)

<慰安婦問題の「理論的」考察(その4)>(2007.4.27公開)





 では、サルと人間との違いはどこにあるのでしょうか。





 最新の研究によれば、倫理感覚を司っているのは、サルも持っているところの、大脳皮質中の原始的な部位のventromedial(下部中央)領域であるところ、人間の場合、新しく発達した大脳皮質の中で費用便益分析を行う領域があり、両領域間で調整が行われた上で倫理的決断を下すことが分かりました。



 このventromedeial領域は、人間(サル)に対し、例えば、他の人間(サル)を殺すことは悪いことだという倫理感覚を付与しています。

 悩ましいのは、他の人間を殺すこと(費用)が、それ以上の便益をもたらす場合です。

 例えば、家族と友人達が隠れている所へこれらの人々を殺しに悪漢が接近してきた時、一緒に隠れている赤ん坊が泣き出したらどうするか(注10)、あるいは、貨車が独りでに動き出し、その先に5人の作業員がいる時、自分の隣に立っている人を貨車の前に突き倒せば、その人は死ぬけれど貨車を止めることができる場合にどうするか、決断を求められたとします。



 (注10)先の大戦末期の沖縄戦の時に、沖縄の人々は、避難住民や日本軍が隠れている洞窟に米軍部隊が接近してきた時に赤ん坊が泣き出す、という状況に何度も直面させられた。



 この場合、ventromedial領域が病気で破壊された人間は、破壊されていない人間に比べて、赤ん坊を窒息死させる、あるいは人を突き倒す、という決断を下す確率が2〜3倍に達するというのです。



 だから人間を、サルより偉大だと見るのか、それとも損得計算を倫理感覚より優先させる危険極まりない存在と見るのかは、むつかしいところです。

 私が注目したのはこの研究そのものではありません。この研究を紹介する記事の中で、ニューヨークタイムスの記者が、恐らく上記実験で実際に用いられることのなかったであろう三番目の状況を勝手に想定していることです。



 具体的には、彼は、他の人間を殺してはならない、という倫理感覚と並ぶ倫理感覚として、赤貧の家計の足しにするためと言えども娘をポルノ産業で働かせてはならない、を挙げているのです。

 (以上、

http://www.nytimes.com/2007/03/22/science/22brain.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print

http://www.slate.com/id/2162104/

(どちらも3月23日アクセス)による。)



 これは、江戸末期の「絵画、彫刻で示される猥褻な品物が、玩具としてどこの店にも堂々とかざられている。・・十歳の子どもでもすでに、・・性愛のすべての秘密となじみになっている・・遊女<が>社会の軽蔑の対象にはならない」日本(コラム#1508)、そして、今なお廓なき廓文明を生きているわれわれ日本人(コラム#1685)からすれば、信じがたい謬見です。



 いずれにせよ、娘をポルノ産業でポルノ女優として、あるいは廓(後任売春宿)で花魁(売春婦)として働かせることを是とするか非とするかは、サルと人間が共有する倫理感覚とは全く無関係であることは、日本人にとっては自明の理ではあっても、米国人、ひいてはアングロサクソンにとっては非常識の最たるものであるらしいことが、このことからも分かりますね。





 (4) 特殊な倫理感たるビクトリア朝的倫理感





 一体、アングロサクソンにかくもポルノや売春に対して否定的な見方をさせるに至ったゆえんは何なのでしょうか。

 それが、人類共通の倫理感ならぬ、特殊な倫理感たるビクトリア朝的倫理感なのです。



(続く)

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太田述正コラム#1701(2007.3.23)
<慰安婦問題の「理論的」考察(その3)>(2007.4.25公開)

4 「理論的」考察のための補助線

 (1)始めに
 
 私による慰安婦問題の「理論的」考察をご理解いただくためには、何本か補助線を引くことが近道です。
 そういうものとして、男女の本質的な違い、人類共通の倫理感、特殊な倫理感たるビクトリア朝的倫理感、とは何か、があります。
 以下、順番にご説明しましょう。

 (2)男女の本質的違い

 男女の違いはたくさんあります。
 女性の天才と魯鈍が男性に比べて少ないことは、平均的な男女の違いとは言えません。
 平均的な男女の違いとしては、膂力の違いもありますが、より重要なのは、女性にとって愛のないセックスは苦痛以外のなにものでもない、という点です(注6)。

 (注6)にもかかわらず、古今東西、男性は、女性の方がより淫乱である、という伝説をつくりあげてきた。

 大部分の女性からすれば、男性によってセックス・シンボルとして褒めそやされることすら苦痛なのです。
 (以上、
http://www.atimes.com/atimes/Front_Page/IC20Aa02.html
(3月20日アクセス)による。)
 他方、男性の方は、愛があろうとなかろうと、セックスは常に快楽であるというのですから、淫乱を画に描いたような生き物です。
 ここから、単純化しすぎであるとの批判は甘受しますが、以下のような現象が生じます。
 一つは売春(バーチャルな売春であるポルノを含む)です。
 金銭的利益が得られない限り、女性は愛のないセックスなどするわけがないからです。
 売春が禁じられているような社会では、需要と供給の法則に従い、売春の対価はつりあげられます。
 そうなると、売春の中間搾取によって得られる利益が大きくなり、女性を拉致してきて強制的に売春行為に従事させるといったことも起きます。これがいわゆる性的奴隷(sex slave)です(注7)。

 (注7)アングロサクソン社会でも、性的奴隷がたくさんいることは、英国に関する
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/england/6459369.stm
(3月20日アクセス)参照。

 もう一つは強姦です。
 結婚相手や売春宿から遠く離れた環境下では、たとえ性的異常者でなくとも、少なからぬ若い男性は、強姦願望を抱き、少数はそれを実行に移します。
 外征軍に強姦がつきものなのはそのためです(注8)。
 
 (注8)米軍、とりわけ在イラク米軍における、男性兵士による女性兵士の強姦の頻発について、
http://www.csmonitor.com/2007/0319/p99s01-duts.html
(3月20日アクセス)、及び
http://www.slate.com/id/2162464/
(3月23日アクセス)参照。

 以下は付け足しです。
 最初から愛をともなわない結婚もあるくらいですが、少なくとも愛が失われた結婚などざらであることを考えると、結婚には、セックスを媒体とする男性から女性への所得移転のメカニズムである、という側面があります。
 これに関連し、男性による女性差別は、売春や結婚という形で構造的に女性によって金銭をまきあげられている男性による、女性に対する意趣返しないし防衛である、という見方もできるかもしれません(注9)。

 (注9)現在の日本における女性差別について、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/01/AR2007030101654_pf.html
(3月3日アクセス)参照。

 また、米国のように、女性差別が基本的に解消した社会において、このところ、管理者的ポストについている女性の割合の減少が見られ、やはりガラスの天井的なものが厳然として存在していることが今更のように話題になっていること(
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-dobrzynski17mar17,0,3038088,print.story?coll=la-opinion-rightrail
。3月18日アクセス)は、セックスを媒体とする男性から女性への不労所得的な所得移転が所与である以上、大部分の女性は、男性をけ落としてまで高収入をめざすことに大きなメリットを見出していない、ということなのではないでしょうか。

 (3)人類共通の倫理感

 さて、「従軍」慰安婦制はよくない、といった議論を戦わせるにあたっては、議論を行う人々が共通の倫理感を抱いていることが大前提になります。
 では、人類共通の倫理感などというものがあるのでしょうか。
 あります。
 人類に共通の倫理感覚が備わっているどころか、類人猿にすら人類と共通の倫理感覚が備わっている、というのが通説になりつつあります。
 すなわち、感情移入(empathy)、社会的ルールの習得・順守、相互性、仲直り、をよしとする感覚はサルでも持っている、というのです。
 当然のことながら、サルは、理性によってこのような感覚を身につけるに至ったわけではありません。
 蛇足ながら、このことから、倫理性は理性によって根拠づけられなければならないとしたカントは誤っており、倫理的判断は感情に由来するとしたヒュームが正しかったことになります。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2007/03/20/science/20moral.html?pagewanted=print
(3月21日アクセス)による。)

(続く)

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太田述正コラム#1697(2007.3.20)
<慰安婦問題の「理論的」考察(その1)>(2007.4.20公開)



1 始めに



 また、慰安婦問題かという声が聞こえてきそうですが、ご容赦を。
 渡部昇一氏がデービッド・ヒューム礼讃をしていることに違和感を持ち、調べている過程で、Garth Kemerlingという米国人らしき人物が開いている哲学サイト(
http://www.philosophypages.com/ph/index.htm
。3月17日アクセス)に出っくわしたところ、そのサイトに、彼が選んだ欧米(West)の哲学者が39名挙げられている中、18人が英国か米国の人物である(注1)ことはご愛敬ながら、その中に2人だけ女性がおり、ウォルストーンクラフト(Mary Wollstonecraft)(コラム#71)と並んでマッキノン(Catharine MacKinnon。1946年??)が出てきたことには驚きました。 



 (注1)この18人には、主たる業績をあげたのが英国ないし米国に移住してからである人物3人を含む。32歳頃から米国住まいのオーストリア出身の論理実証主義者のバーグマン(Gustav Bergmann。1906??87年)はこの中に入れ、31歳頃からイギリス住まいであったけれど、主著の資本論を英国で書いたマルクス(Karl Marx。1818??83年)は除いた。



 ウォルストーンクラフトは世界最初のフェミニストであるし、マッキノンは、フェミニストたる法学者であり政治学者ではあるけれど、どちらも哲学者と果たして言えるのか、と思ったからです。
 なるほど、こんなにマッキノンのファンが多いのであれば、慰安婦問題で米国の人々の多くが日本に対して批判的であるのもむべなるかな、という気がしてきました。
 それはどういう意味か、をご説明しましょう。



2 韓国と米国の対日批判の違いと日本の対応



 (1)韓国と米国の対日批判の違い



 慰安婦問題に関する韓国と米国の反応には違いがあるように思われませんか。
 韓国の方は、少なくとも官憲の関与があったかどうかにこだわる日本政府と同じ土俵の上で対日批判を行っている(注2)のに対し、米国の対日批判の方は、強制性さえ認められれば、官憲の関与の有無は余り問題にしないものだけでなく、強制性の有無さえ問題にしないかのようなものさえ見受けられる(注3)からです。



 (注2)朝鮮日報は、支那で従軍した元日本人兵士に取材し、「わたしは同僚たちと駐屯地近くの村を回り、女性たちを拉致した」という証言を引き出したり(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/12/20070312000009.html。3月12日アクセス)、あの使い古された、当時インドネシア居住のオランダ人女性の証言(米下院でも証言を行った)を転載したり(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/19/20070319000023.html
。3月19日アクセス)して、官憲の関与を裏付けるべく大わらわだ。
 (注3)シーファー駐日米大使が16日、太平洋戦争中の従軍慰安婦について「強制的に売春をさせられたのだと思う。つまり、旧日本軍に強姦されたということだ」、2月に米下院外交委員会の公聴会で証言した元慰安婦を「信じる」、慰安婦が強制的に売春させられたのは「自明の理だ」と語り、かつ、河野談話を日本政府が見直すことのないよう期待を表明し、、従軍慰安婦問題で4月下旬に予定されている首相訪米が「台無しにならないよう望んでいる」と述べた(
http://www.nytimes.com/2007/03/17/world/asia/17japan.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070318k0000m030032000c.html
。3月17日アクセス)のは記憶に新しい。この発言は、保護国日本に君臨する宗主国「総督」の傲慢さの表れであると言うより、米国の識者の最大公約数的見解の表明と受け止めるべきだろう。



 (2)日本の対応



 日本政府は16日、河野談話発表までに「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すような記述は見あたらなかった」とする答弁書を閣議決定し、そのスタンスを改めて明確に表明しました(
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070316it14.htm
。3月17日アクセス)。
 この日本政府のスタンスを当然視した上で、在ワシントンの古森義久・産経新聞記者のように、元慰安婦の証言の信憑性に疑問を投げかけたり、米下院で慰安婦問題問責決議案の提出者であるホンダ議員の選挙区事情を暴いたりする(
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070310/usa070310004.htm
(3月10日アクセス)、
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070315/usa070315001.htm
(3月15日アクセス)、及び
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/i/44/
(3月19日アクセス))日本人識者は少なくありません。
 しかし、官憲の関与の有無など米国の識者は余り関心がないとしたら、関与はなかったといくら主張したところでせんないことですし、選挙区事情を云々するのは、民主主義で選挙民の意向を反映するのがなぜ悪いと開き直られるのがオチです。
 ですから、どうして強制性の有無や官憲の関与の有無が重要なのかをわれわれはきちんと米側に説明しなければならないのですが、その前に、どうして強制性の有無や官憲の関与の有無について米国の識者は余り関心がないのかを理解する必要があります。
 これを理解するためのヒントがマッキノンの主張なのです。

(続く)

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太田述正コラム#1686(2007.3.9)
<慰安婦問題余話(その2)>(2007.4.9公開)



4 つきつけられた選択



 情報屋台で、元朝日新聞論説委員の高成田享氏が、私の慰安婦問題のコラムにも言及しつつ、「米議会で日本政府に対して慰安婦への謝罪を求める決議案が出されていることをめぐって、安倍首相が苦しい立場におかれているようですね。・・安倍首相らに代表される「親米」と「保守」とがときに矛盾する場合があり、慰安婦問題もそのひとつだということを指摘したい・・日本で「親米」と「保守」を両立しようとすれば、不本意ながら、第2次大戦における日本の指導者の戦争責任を追及した東京裁判を認めるしかないし、朝鮮半島の植民地支配や中国への侵略を認めた「村山談話」も、そして「河野談話」も認めるしかないのだと思います。国内向けには、東京裁判は不当で、村山談話も河野談話も間違っているから見直すべきだと主張しておいて、米国に対しては、東京裁判は認めるし、村山談話や河野談話で日本は謝罪している、というのを使い分けるのは無理だと思います。論理的な矛盾をすっきりさせて「保守」を貫くには、・・米国と距離を置いて自主独立の保守を主張するしかないと思います。逆に、「親米」が国益にかなうというのであれば、村山談話も河野談話も認めるということから出発するほうが現実的ということでしょう。」と指摘しています(
http://johoyatai.com/?page=yatai&yid=50&yaid=362
。3月9日アクセス)。
 この指摘をより一般的な形で言い換えると、日本は、米国の保護国として米国の世界観や歴史観を受け入れ続けるのか、米国と自由・民主主義という基本的価値は共有しつつも、独自の世界観や歴史観を持った独立国になるのか、選択を、遅ればせながらつきつけられている、ということになろうかと思います。
 なさけないのは、こんな重大な選択を日本につきつけることになったのが、米下院での慰安婦問題問責決議案の上程であり、その決議案の肝いり役が以下のような取るに足らない人物であったことです。
 「この決議案を出したマイク・ホンダという下院議員と何度か話をしたことがあります。正直に言って、慰安婦に心から同情した、というような人道主義者とは思えませんでした。カリフォルニア州の選出ですから、選挙区には、アジア系の人たちがたくさんいると思います。日系ですが、選挙民には日系よりも中国系や韓国系が多いと思いますから、この問題を取り上げることは、票になるのだと思います。」(高成田上掲)



5 自民党政権に慰安婦問題について語る資格ありや?



 これに関連して問題になるのは、果たして安倍自民党政権がかかる重大な選択を行う資格を有するのか、ということです。
 というのは、伊吹文部科学大臣が、2月に、教育基本法改正に触れて、同法の前文に「公共の精神を尊び」という文言が加わったことについて、「日本がこれまで個人の立場を重視しすぎたため」と説明し、人権をバターに例えて「栄養がある大切な食べ物だが、食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる」と述べ、安倍首相から何のお咎めもなかった(
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=265
。3月9日アクセス)ことに象徴されているように、果たして安倍自民党政権が、自由・民主主義という基本的価値を米国と共有しているかどうか、疑問があるからです。
 慰安婦問題は、女性の人権が侵されたかどうかの問題ですが、2003年に太田誠一元総務庁長官(当時)が、早稲田大スーパーフリー事件で、「集団レイプする人はまだ元気があるからいい」、同じく2003年に井上喜一有事法制担当大臣(当時)が、佐世保市の小6女児同級生殺人事件で「元気な女性が多くなってきた」、2006年に森喜朗元総理が、「子供を一人も作らない女性が、好き勝手…、自由を謳歌して、楽しんで、年とって、税金で面倒見なさいというのはおかしい」、そして今年1月にに柳沢厚生労働大臣が、「女性は子供を産む機械」と発言した(
http://kukkuri.jpn.org/boyakikukkuri2/log/eid231.html
。3月9日アクセス)ことからして、現内閣の有力閣僚を含め、自民党の有力議員達のかなり多くが女性を蔑視していることは争いがたいのではないでしょうか。
 私は、伊吹、柳沢両大臣・・ご両人とも元大蔵官僚であることは偶然とは思えない・・をクビにしろとは言いませんが、安倍首相の任命責任は免れません。もっとも、女性を蔑視しないような自民党の男性有力議員は少ないため、選択の余地がないのかも知れませんが・・。
 いずれにせよ、こんな大臣連中を率いる安倍首相が、「慰安婦の狭義の強制連行はなかった」などと言っても、なかなか米国の人々は聞く耳をもたないでしょうね。
 ところで、朝鮮日報日本語電子版が、中山成彬元文部科学大臣について、大臣当時に「そもそも“従軍慰安婦”という言葉は(戦争当時)なかった。これまでなかったことが(教科書に)あるということが問題。(歴史教科書から)従軍慰安婦や強制連行などの言葉が減ってよかった」と言ったとした上で、彼が「「河野談話」を紙くずにしようとしている・・「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」の会長を務めている」とし、その「中山氏の妻は安倍首相の北朝鮮による日本人拉致問題補佐官を務めている。・・夫は自国の拉致犯罪を懸命に否定し、妻は北朝鮮の拉致犯罪を懸命に世に知らしめている。このような二律背反が現在の日本の姿だ。そしてこれを日本の指導層だけが理解していないのだ。」と締めくくる論説を掲載しています(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/07/20070307000070.html
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/07/20070307000071.html
。3月8日アクセス)。
 中山夫妻はどちらも元大蔵官僚ですが、これはちょっと中山夫妻に厳しすぎる論説ですね。
 慰安婦問題を取り上げざるを得ない朝鮮日報の苦心の程が偲ばれます。

(完)

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太田述正コラム#1685(2007.3.8)
<慰安婦問題余話(その1)>(2007.4.8公開)



1 始めに



 このところ雑事で忙しいので、しばらく雑談をすることをお許し下さい。




2 たけくらべ



 樋口一葉の『たけくらべ』(1896年)が父親の蔵書の中にあり、子供の頃に何度か読みかけては、その雅俗折衷の独特の文体に歯が立たず、ついに一度も読了することはありませんでした。
 確か、廓の話だったということを思い出し、インターネットで探したところ、全文が青空文庫で公開されていました(
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/hikaku/takekurabe.html
。3月6日アクセス)。
 「・・住む人の多くは廓者にて良人は小格子の何とやら、下足札そろへてがらんがらんの音もいそがしや夕暮より羽織引かけて立出れば、うしろに切火打かくる女房の顏・・」とまさに廓とその関係者が住む界隈が『たけくらべ』の舞台であることは確認できたものの、やはりこの文章を読むのはしんどいなと思っていたら、山下敦史氏によるなかなか秀逸な『たけくらべ』の紹介が東急グループの広報誌『SALUS』2007年3月号に載っていたので、その切り貼りで、私による紹介に代えさせていただきます。
 (山下氏は、『たけくらべ』の現代語訳(河出文庫)に拠っている。)



 「『たけくらべ』<は、>明治の吉原を舞台に、指折りの花魁を姉に持つ快活な少女・美登利と、寺の跡取り・親如の淡い恋が綴られる。2人が相容れない立場によって離れていく様が切ない。<もう一人重要な登場人物がいる。>・・美登利の幼なじみ的少年で、・・ひとつ歳上の美登利を慕う・・正太(郎)・・は人望も厚く、家も裕福という好少年だが、美登利にとっては弟のような存在でしかない。・・一人前になったらきれいな嫁さんをもらうんだ、と話す彼に大人たちは、町内で美人といえば何屋の誰それ、でももっと美人はあんたの隣に座っているね、とからかう。図星を指された正太は顔を赤くするが、隣の美登利はただ笑うだけだ。信如に対しては素直に話すこともできない美登利は、正太の前では屈託のない笑顔を見せる。でもそのまぶしさがどうしようもなく胸を突く。終盤、美登利が髪を島田に結ったと聞いた正太は、幼い日々、丈比べの時が終わったことを知る。」



 とまあこんな具合に、山下氏は、正太の目から『たけくらべ』を再構成して紹介しているのですが、この短い紹介からも、別に貧しくもなんともない家の、しかも飛びきり美人の姉妹が次々に廓奉公に出ても誰も不思議に思わないどころか、この姉妹がこの界隈のスターであることが分かりますね。
 100年以上も前の話じゃないか、と言われるかもしれません。
 しかし、秋山氏は、次のように正太になりきって想像を膨らませます。



 「僕は思う。いつか彼<(正太)>は遊女となった美登利のもとへ行くだろうかと。行くさ!行くに決まっている。行って死ぬほど後悔するんだ。彼は美登利の心が信如にあったと知っていた。将来彼女を身請けたとしても、それを忘れることはできないだろう。思い出ならいつまでも輝いていたものを、欲しい欲しいと手を伸ばして、あげく粉々に割ってしまうんだ。いくら泣き叫んでも二度と戻らない。とんだ間抜けだ。書かれなかった正太や美登利のその後を想って、僕はひとり身悶える。」



 『たけくらべ』の世界は、現代日本人がこのように感情移入ができる世界なのであり、われわれは今でも廓なき、廓文明を生きているのです。
 だからこそ、AV女優が幸せな結婚ができ、AV稼業から足を洗ってTV界で活躍することこともまた当たり前なのです。



3 ストロース投稿



 米国の日本研究者のストロース(Rick Straus)が紹介するところの、北ビルマの慰安婦の話(
http://blogs.yahoo.co.jp/ash1saki/47124619.html。3月8日アクセス)は、『たけくらべ』と現代の中間時点の話ですが、以上、申し上げたことを踏まえれば、実によく腑に落ちます。
 (ただし、ストロースの見解にはいささか歪みが見える。戦前の農村の困窮は甚だしく、農家の主人は娘を女衒に売り渡して借金のカタに農地をとられるのを免れていたとか、女性の権利が法的に全く認められていなかったとか述べている。)
 ストロースは、業者が言葉巧みに韓国で慰安婦募集をやっていたことに触れた上で、現地で業者が5割方ピンハネしていたものの、慰安婦達はカネをたっぷりもらっていて、着物・靴・タバコ・香水等色んなものを買えたこと、スポーツ大会に将校や兵士達とともに参加したりしていたこと、ピクニックに行ったり催し物や晩餐会に出席したりしていたこと、前借り金を返済した者は郷里に帰ることができたこと、等を述べています。
 特に印象深いのは、ストロースが、兵士達に送られてきた慰問袋の中に、缶詰・雑誌・石鹸・ハンカチ・歯ブラシのほか、人形・口紅・髪止め、等が入っていることが多かったことに触れている点です。
 これらは兵士達が慰安婦達へのプレゼントに用いることを期待して内地の家族が送ってきたとしか考えられないというのです。
まことに麗しい話ではありませんか。

(続く)

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太田述正コラム#1716(2007.4.1)
<慰安婦問題の「理論的」考察(番外編)>

 本件での一有料読者とのやりとりをご紹介します。

<一有料読者>
 私はこの間のアメリカの動向を日本のマスコミを通じて眺めていると、「従軍慰安婦問題」はアメリカの訴訟産業の事業活動ではないのかという感じがしてきました。(注1・2)

(注1)「・・むしろコラム子が思うに、米国の弁護士連中が、慰安婦をネタに日本政府を相手どった訴訟を起こせるような環境を整えようとしているのだと思う。・・」「国際派時事コラム「商社マンに技あり!」(平成19年3月7日発行)(
http://www.f5.dion.ne.jp/~t-izumi/
(注2)「慰安婦問題と水面下でつながる一連の120兆円もの対日企業訴訟を忘れるな」 (
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/03/120.html

 訴訟産業の事業活動であれば道義は関係なく金が目的ですから今後も色々な形で訴訟が起こされると私は考えます。アメリカの訴訟産業の悪辣な意図を 認識しているトルコ政府の対応を日本も見習うべきだと私も思います。アメリカ国内の訴訟産業の歴史と現在の動向分析を期待します。

<太田>
1 泉・櫻井両名の指摘

 ご教示いただいたように、

 「商社マン」泉幸男は、「No Comfort(「慰安なし」)<と題した>・・3月6日の『ニューヨーク・タイムズ』紙の社説は・・≪いまや日本の政治家たちに、それもまずミスター安倍を筆頭に、認識してもらいたいことがある。恥辱に満ちた過去を克服するための第一歩は、それをはっきり認めることなのだと。≫<と記しているが、>・・≪1993年の声明(泉注:「河野談話」のこと)は、うやむやにするのではなく、もっと詳しく踏み込むべきだ。日本の国会は率直な謝罪を行い、存命中の犠牲者たち(泉注:元慰安婦のこと)に対して公的資金による惜しみない補償金を供するべきである。≫・・<と>バカ正直なこと<に>・・最終段落にホンネが集約されています。」と指摘し、「米国国籍もない韓国人やフィリピン人の元慰安婦が、なぜ米国で訴訟を起こせるのか? と疑問を持たれる向きもあると思いますが、 これが、できちゃうんですねぇ。・・勝訴しても、日本にある資産の差押えはできませんが、米国にある資産の差押えは、やればできる(かも)。・・ところが「まずい」ことに、日本政府から補償金をとりたてられるような犯罪的行為の証拠がないことなんですね。だって、日本軍による「慰安婦にする女性の拉致」なんて事象は1件も見つかっていないわけですから。・・日本政府に対して、いま新たな訴訟を起こそうとするなら、河野洋平談話以上の新たな謝罪を日本政府から言明してもらう必要がある。それさえあれば、「お聞きなさい。日本政府がようやく謝罪しました。これはサンフランシスコ平和条約では手つかずの問題でした。だからこそ、わざわざ日本政府が今になって正式に謝罪したのですよ。ですから、補償金の問題も一から議論する必要があるのです」 と論理展開ができる。だから、弁護士連中の都合としては、どうしても新しい形の、一歩踏み込んだ新たな謝罪を日本政府から引き出すことが欠かせないわけです。」と述べておられます。

 また、評論家の櫻井よし子さんは、「日本政府は、慰安婦問題についての米国議会の非難に関連して、1999年に、今回と同じくマイク・ホンダ議員らによって提案された対日企業戦時賠償請求訴訟の一件を想起すべきだ。これは、半世紀以上前の第二次世界大戦で日本企業が“不当に安い賃金や劣悪な就労状況”で働かせた人々に賠償すべきだというもので、賠償の主体は、現在米国で活動中の日本企業であるという内容だ。訴訟は2010年まで起こすことが出来るとされ、三井物産、三菱商事、川崎重工業などが訴えられた。賠償請求額は1兆ドル、なんと120兆円に上った。ブッシュ政権の登場でこれらの訴訟は無効とされたが、今回の慰安婦関連の非難は水面下で、間違いなくあの一連の対日企業訴訟とつながっている。」(櫻井、前掲)と言っておられます。

2 私のとりあえずのコメント

 もともと、私が、河野談話での謝罪は(謝罪すべき実態があったかどうかを論ずるまでもなく、)謝罪は法的賠償責任につながることから、行うべきではなかったと考えていることはご承知のことと思います(コラム#1674)。
 それはともかく、私は、強制連行の事実を認める形での新たな謝罪を安部首相が行うはずはないと信じているので、慰安婦問題で日本政府が米国で訴えられることはないし、万が一訴えられたとしても、却下か棄却されることは、ほぼ間違いないと考えています。
 そもそも、「昭和26年のサンフランシスコ平和条約で<先の大戦における連合国の対日請求権は>解決済」(泉、前掲)であるという難問をクリアできたとしても、支那人等の強制労働(徴用)問題では、訴える相手が日本政府のほかに日本企業があったのに対し、慰安婦問題では相手が日本政府だけであり、ここは詳しい方に教えていただきたいが、米国内で日本政府を訴えることも、勝訴することも、勝訴判決を執行することも、いずれも困難なのではないでしょうか。
 それにしても、この「訴訟産業事業活動説」は面白いですね。
この説で、カナダでの慰安婦問題糾弾の動きも説明できるかどうか、この点も検討課題だと思います。
 なお、私の提起した、「フェミニスト・キリスト教原理主義者野合説」と「訴訟産業事業活動説」とは両立可能ですが、前者についての、皆さんのご意見もぜひお聞かせください。

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太田述正コラム#1708(2007.3.28)
<慰安婦問題の「理論的」考察(その9)>



 今回も、本件に係る読者とのやりとりを公開します。
 なお、太田掲示板で、引き続き、情報屋台の掲示板上でのやりとりを転載しています。また、同じ掲示板上で、新人材バンクをめぐっての読者とのやりとりも行われています。ぜひご覧ください。



<バグってハニー>



>これについて、私のシロウト判断をお示ししてありますが、専門家として「正解」お答えいただければ、と思います。(コラム#1706)



 「正解」なんておこがましいですが、というか、太田さんの「シロウト判断」(コラム#1703)が「正解」じゃないですか。もう少し正確に書くと、「ある倫理命題に対して脳の単一の部位が専断的に判断を下すわけではない」ということじゃないですか。つまり、「前頭前野腹内側部はこの手の倫理命題の判定に関与はしているが、それはこの領域のみがこの手の倫理命題の判定を下すことを意味しない」ということです。だからこの領域が機能しなくなると他の領域での判断が優先されるようになってYesの比率が高まるが、それでも当該領域以外でNoの判定を下す別の領域が生き残っているので、100%答えがYesになるわけではない、ということじゃないでしょうか。



 喫煙と肺癌の例えで言えば、喫煙は確かに肺癌の主要因子ではあっても、それ以外の因子もあるわけです。家族歴とかアスベストとか粉塵とかその他の肺の疾病とか。喫煙するかどうかだけで肺癌になるかどうかが決まるわけでもないし、喫煙すれば100%肺癌になるわけでもない、ということと同じだと思います。



 太田先生が指摘した通りで、脳に限らず生物というのは冗長にできていて、ある器官やその一部が損なわれたところで、別の部位やその一部がその機能を代替するということはよくあるわけです。脳の一部が壊れただけで冷徹無比の殺人者に変貌するんだったら、人類は今までもってないですよね。



 さてここからが本題です。
 しつこくて申し訳ないですが、どうしてもこの実験のロジックを理解してほしいので繰り返しますが



>つまり、性的に未成熟な娘をオスと性交させない、というのは、前頭前野腹内側部での判断だ、ということになります。(コラム#1706)



とは言えません。もしも「娘をオスと性交させないのは前頭前野腹内側部での判断」なのであれば、当該領域が損傷すればこの判断に変化が生じるはずなのです。しかし、実際にはそうならなかった。この結果から導かれる結論は「当該領域は娘を性交させるかどうかの判断には関わっていない」ということです。さらに言うと「その判断はどうやら脳の別の部位が担っているらしい」と推定されます。一般化すれば分かりやすいかもしれないですが、この実験では倫理的価値判断を必要としない質問もあり、その場合、損傷のあるなしで答えに変化は生じませんでした。そこから導かれる結論は「前頭前野腹内側部は倫理観と無関係な判断には関わってこない」ということです。



>私は自然人類学の専門家ではないので分りませんが、おそらく追い払うのではないでしょうか。



 これは専門家に聞いてみるのが一番よいでしょう。ということで、今回は同じくネーチャーに掲載された類人猿研究の権威デ・ワール(Frans de Waal)によるOur Inner Apeという入門書の書評を紹介したいと思います。
http://www.nature.com/nature/journal/v437/n7055/full/437033a.html



 初めに断っておきますが、私は動物の行動を擬人化して人間社会に当てはめることには否定的です。後ほどデ・ワールの見解にも触れますが、それは他の動物と比べて複雑怪奇な人間の行動をあまりにも単純化しすぎますし、本能や生得的な行動がどうであろうと、ヒトにはそれに反して本人の意思で自由に行動を選択するという特権が備わっているからです。



 ちなみに日本語では一口に「サル」と言いますが、英語ではMonkey(いわゆるサル)とApe(類人猿)は大概はっきり区別して用いられます。例:Planet of the Apes→猿の惑星(あいまいな訳)。今回はそのApeに分類されるチンパンジーとボノボ(ピグミー・チンパンジー)のお話...



 チンパンジーの悪逆さをつまびらかにしたのは、ジェーン・グドール(Jane Goodall)のドキュメンタリー映画だった。彼らは殺人(殺猿?)、食人(食猿?)、さらには戦争(よく統制された、群れ同士のケンカ)までする。がっかりするのは、我々はこの種と98%もDNAを共有しているということだ。我々は殺人者として運命付けられたようなものだ。



 しかし、救いはある。それがボノボだ。ボノボはおとなしく平和的な種族で、遺伝的にはチンパンジーと同じくらい我々に近い。彼らの社会はメス優位で、エサを分け合い、子孫を残すためにオスは別のオスを押しのける必要がない。



 ボノボのセックスは破廉恥極まりない。動物ドキュメンタリーとはいえ、親は子の目を覆う必要がある。それは受胎不可能なものを含むあらゆる体位で、二頭あるいはそれ以上の間で、異性間、同性間、挨拶のため、外敵から受けた恐怖を和らげるため、エサの発見を祝うため、体を弄してそれを分けてもらうため、そして理由もなく行われる。ボノボは妊娠中のメスや未成熟な子供も性行動をとることで知られている。(以下はややグラフィカルです。要ペアレンタル・コントロール)
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/shakai-seitai/shakai/BONOBOHP/sexual.htm



 では、一体我々はチンパンジーとボノボとどちらに近いのだろうか?デ・ワールはその質問には答えてくれない。理由は三つある。



 まず、チンパンジーもボノボも我々の祖先ではないということだ。約500万年前に枝分かれしてから、彼らは我々同様進化を続けてきた。その意味で彼らは我々の父祖ではなく従兄弟に当たる。



 次に、どのような種を調べたところで、ヒトとの類似点と一緒に相違点も見つかる。つまり、あらゆる種は我々と似通っていて、そして異なっている。



 最後に、チンパンジーは野蛮な保守主義者でボノボはリベラルな平和主義者というのは単なる単純化でしかないということだ。ボノボの社会にも支配??被支配の関係はあるし、彼らは理想として平和主義を選択したのではなく、それは必要に迫られた選択にしか過ぎない。ボノボの破茶滅茶な性行動はまず第一に嬰児殺しを避けるために発達したと考えられている。チンパンジーにも互助や利他行動はあるし、太田コラム#1701で指摘されたようにヒトの同情や共感を思わせる行動をとることもある。彼らの暴力性や競争は社会の秩序を維持するために必須なのである。



 今概観したチンパンジーとボノボの行動様式に照らしてみると、特定のオスがメスを独占するチンパンジーの場合「追い払う」が、ボノボの場合は子どもも性行動をとるので「追い払わずに娘と性交させる」という可能性が高いように私は感じました。少なくともボノボの場合、父と娘婿の間で生じた緊張は暴力に発展する前に性行動によって解消されることが予測されます。つまり、問いに対する答えは「それはサル次第」という見栄えのしない、無難なものになると思います。



<太田>



>日本語では一口に「サル」と言いますが、英語ではMonkey(いわゆるサル)とApe(類人猿)は大概はっきり区別して用いられます。・・チンパンジーとボノボ<は>・・Apeに分類される



 私は、このシリーズの初めの方で、これは類人猿の話だとお断りしてある(コラム#1701)ことから、それ以降私が同じシリーズ内で用いている「サル」が類人猿の意味であることはお分かりいただけるのではないでしょうか。



 さて、ご教示いただいた話からすると、「性的に未成熟な娘をオスと性交させない」というのは、人間と(ボノボを除く)類人猿に関する、倫理的価値判断にかかわらない判断だということのようですから、感情にすらかかわらないところの、本能的判断だ、ということになるのでしょうかね。
 それならなおさら、NYタイムスの例の記者が、(「性的に未成熟な」という限定も付さずに)「娘をポルノ産業で働かせること」(=「娘をオスと性交させること」)を、



All three groups also strongly rejected doing harm to others in situations that did not involve trading one certain death for another. They would not send a daughter to work in the pornography industry to fend off crushing poverty, or kill an infant they felt they could not care for.



という具合に、「赤ん坊を殺すこと」(=「人間を殺すこと」)、と並べて、「他人を害する」事例・・「害する(doing harm)」は倫理的価値判断の入っている表現・・として挙げたことには問題があったと言わざるをえません。



 これに比べると、スレート誌のコラムニストの方は、全く誤解を与えない形で見事に同じ話を要約紹介していると改めて思います。



 なお、以上から(以上にもかかわらず?)、上記NYタイムス記事の結論部分の解釈は、やはり私の解釈(コラム#1703)で正しいのではないか、と考えていることを申し添えます。

(続く)

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太田述正コラム#1706(2007.3.27)
<慰安婦問題の「理論的」考察(その7)>



<太田>
 引き続き、本件に係る、読者とのやりとりを掲げます。
 事柄の性格上、今回も公開させていただきます。
 なお、情報屋台の掲示板で私も参加して現在進行形で行われている議論(日本の核武装の是非、バイオ燃料の評価)を太田掲示板に転載してありますので、こちらも関心のある方はお読みください。



<バグってハニー>
 島田さんへ。
 私が誤解していると書いたのは、この脳の当該部位が倫理判断一般に関わっているのではなくて、その中でも自ら手を下す人殺しを伴う倫理判断だけに関わってくることを示したかったからです。それで、前回は疑問にちゃんとお答えしてなかったので



> この手の実験でいつも思うのは、確率が2??3倍というのが有意な実験結果なのかという疑問です。



 この手の実験結果が有意かどうかは統計的検定を用いて決めます。この研究者達はオッズ比
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%BA%E6%AF%94
の検定を行っています。
 具体的なこと書いても仕方ないので背後にある思想だけ書いときますが、島田さんが書いたとおり、こういう結果が出たのは、たまたま損傷患者群に冷徹な人が多くて、対照群(健常者)にたまたま情に篤い人が多かったからじゃないか、という可能性が必ずあるわけです。
 統計検定ではこの「たまたま」を数値化します。オッズ比が高ければたまたまでない可能性が高まりますし、被験者の数が多くなってもたまたまでない可能性が高まると直感的に理解してもらえると思います。
 (二つのグループの癌の罹患率を調べてあるグループは他のグループの三倍、癌患者がいたとしましょう。各グループで1000人ずつ調べた場合と3人ずつ調べた場合で、1000人の方がその結果はたまたまじゃない可能性が高く、むしろ両者の違いは癌のなりやすさと関係があると結論できます。この論文の場合、損傷患者は6名、対照群はそれぞれ12名でした。)
 全く同じ母集団から二群の標本をランダムに抽出しても必ず二群の間にはある程度の差は出るわけです。両者の差がそういう試行を20回繰り返したときに初めて出るような大きな差であれば、つまり恣意的な数字ですが伝統的に確率が5%未満であれば、二群は同じ母集団から抽出されたがたまたまそれだけの大差が出たとは考えられない、二群は異なる母集団に属していると結論します。これが新聞なんかで「両者には統計的に有意な差があった」などと意味不明は日本語で書かれるやつです。
 この論文の場合、オッズ比がたまたま2??3倍になる確率は4%未満だったので、それはたまたまじゃない、と結論されました。



> VMPC領域に損傷している人でも「赤ん坊を窒息死させる、あるいは人を突き倒す」という選択をしていない人も大勢いるわけです。これをどう説明するのでしょうか?



 これは全くその通りです。
 しかし、こう考えてください。様々なところで喫煙は肺癌のリスクを上昇させると聞いていると思います。それこそ、研究者達は山ほど統計的検定を繰り返してきたでしょう。しかし、そんな研究がいくら蓄積したところで、今隣でタバコを吸っている人が将来癌になるかどうかを言い当てることはいつまでたってもできません。だからといって、これらの喫煙と肺癌の罹患率を調べた疫学的研究には意義がない、とは言えないでしょう?



> ただ、わたしはこの質問の状況が、いまいちレアルに想像できないのですが・・・



 以下、実際に用いた質問文



A runaway trolley is heading down the tracks toward five workmen who will be killed if the trolley proceeds on its present course. You are on a footbridge over the tracks, in between the approaching trolley and the five workmen. Next to you on this footbridge is a stranger who happens to be very large.The only way to save the lives of the five workmen is to push this stranger off the bridge and onto the tracks below where his large body will stop the trolley. The stranger will die if you do this, but the five workmen will be saved.Would you push the stranger on to the tracks in order to save the five workmen?



 つまり、5人を救うためにたまたま歩道橋の上に居合わせたでかいやつを線路に投げ込むかどうか。ありえねえーって感じですか?
 なんか、日本映画で乗客を救うため、暴走列車を止めるために自らの身を線路に投じるというの、なかったでしたっけ?
 全ての質問は、はい、いいえで答えることになっています。



 太田さんへ。
 私が間違いだと思ったのは二つあります。
 まず、「娘を売り飛ばす」という設問は記者の想定でも筆の綾でもなく、実際に用いられた設問で、損傷患者と対照群(健常者)の間で答えに差が出なかった設問の一例として紹介されたに過ぎない、ということです。まあ、この記事の書き方では記者がそう思って作った質問だ、と読めなくもないですが。別にこの実験の目的は平均的な米国人の倫理観を調べるためではないですから、予備実験や先行研究で設問に対する答えを予測していたとしても、たまたま設問の中に全員一致したり、損傷患者だけYesの答えが妙に多いのがあったりして、それを解析した結果、この脳の部位にはこんな働きがあるのではなかろうか、という結論に至ったわけでして。もちろん、太田先生のスタンスは「そもそも、この研究者がこんな設問をコンフリクトのある倫理問題として挙げるのはおかしい、記者が数ある質問の中でわざわざ、この質問に言及するのはおかしい」ということなんでしょうが。最後に実際の質問文をあげときますが、実際これ読んでYesと答えるのはかなり勇気がいるんじゃないですかね(実際の実験では全員がNoと答えています)。児童ポルノとか言われちゃってるし。
 二点目は「貧乏のためだったら娘を売り飛ばすか」という質問に対して損傷患者も対照群も同じ答え(No)を出している、という事実から導かれるのは、まさに



 「これは、前頭前野腹内側部での判断と損得勘定をする前頭葉の領域での判断に矛盾が生じ得ないケースということになります(太田コラム#1703)」



 言い換えると「娘を売り飛ばすかどうかの判断には前頭前野腹内側部は関わってこない」ということです。実験的には答えがNoであったということよりも同じであったことに意味があります。ですから、



 「「娘をカネで売り飛ばす」ことへの禁忌は前頭前野腹内側部での判断・・サルと共有する倫理感覚・・だということを意味します。(太田コラム#1703)」



というのは全く逆です。これは、質問を受けた米国人被験者がそう思った、ということを太田先生が言いたかったのかも知れないですが、実験をしたDamasio先生もその意を受けた記者もそうなふうに考えているとはこの記事からは読み取れないです。この記事だけからでははっきりしないですが、研究者や記者は進化の過程でサルとは異なり前頭葉の別の部位が発達してそのような倫理観を獲得したのか、あるいは文化として後天的に習得したのか、と考えているはずです。「娘を売り飛ばさない」という倫理観に対しては、私は(おそらく彼らも)後者だと考えます。というのは、おそらく太田先生はこれから日本の売春文化がどれだけ長い歴史を誇るのか、それに比べてアングロサクソンの性意識がどれだけ日が浅く浅薄なのか、といったことを議論するのだと思いますが、文化に差異が生じたり変遷するぐらいのタイムスケールでは、進化は生じないからです。



5. Hard Times (Mean emotion rating: 5.8, Low-conflict)
You are the head of a poor household in a developing country. Your crops have failed for the second year in a row, and it appears that you have no way to feed your family. Your sons, ages eight and ten, are too young to go off to the city where there jobs, but your daughter could fare better.
You know a man from your village who lives in the city and who makes sexually explicit films featuring small children such as your daughter. He tells you that in one year of working in his studio your daughter could earn enough money to keep your family fed for several growing seasons.
Would you employ your daughter in the child pornography industry in order to feed your family?



<太田>
 娘の年齢が出てきませんが、息子のほうは8歳と10歳というのですから、8??10歳ということでしょう。 
 私は、性的に成熟した娘、というイメージでとらえていたので、「誤解」が生じたようです。 
 さて、性的に未成熟な娘だとすれば、はたして親であるサルは、オスのサルがその娘に性的に興奮して近づいてきた時にどうするかです。 
私は自然人類学の専門家ではないので分りませんが、おそらく追い払うのではないでしょうか。 
 つまり、性的に未成熟な娘をオスと性交させない、というのは、前頭前野腹内側部での判断だ、ということになります。 
 結論的に申し上げれば、NYタイムスの記者のネーチャーの記事の要約の仕方に問題があったということが第一点、しかし、この記者による記事の最後の箇所の解釈は、やはり私の解釈が正しいのではないか、というのが第二点です。 
島田さんご指摘のように、本件は私の本シリーズの趣旨からすれば、傍論にあたるわけですが、英文解釈や科学的方法論をめぐる頭の体操にはなったのではないでしょうか。



 ところで、



> この手の実験でいつも思うのは、確率が2??3倍というのが有意な実験結果なのかという疑問です。



 この島田さんの疑問は、どうして「2??3倍」の差しか出ないのか、であると私は受け止めています。 
 これについて、私のシロウト判断をお示ししてありますが、専門家として「正解」お答えいただければ、と思います。

(続く)

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太田述正コラム#1703(2007.3.25)
<慰安婦問題の「理論的」考察(その5)>



<太田>
 前回のコラム(掲示板の#197参照)に係る、読者とのやりとりを掲げます。
 事柄の性格上、公開させていただきます。



<島田>
>この場合、ventromedeial領域が病気で破壊された人間は、破壊されていない人間に比べて、赤ん坊を窒息死させる、あるいは人を突き倒す、という決断を下す確率が2??3倍に達するというのです。



 (ventromedial prefrontal cortex=VMPC=腹内側前頭葉皮質))       
 この手の実験でいつも思うのは、確率が2??3倍というのが有意な実験結果なのかという疑問です。
 VMPC領域に損傷している人でも「赤ん坊を窒息死させる、あるいは人を突き倒す」という選択をしていない人も大勢いるわけです。これをどう説明するのでしょうか?
 「VMPC(腹内側前頭葉皮質)という脳領域が、私達の道徳的な判断に関して【重要な】役割を果たしている」という命題はどう考えても論理的に成り立たないと思います。



 こんな実験で
>Yet the findings, appearing online yesterday, in the journal Nature, confirm the central role of the damaged region, the ventromedial prefrontal cortex, which is thought to give rise to social emotions, like compassion.



なんて言えるのでしょうか?
 「VMPC(腹内側前頭葉皮質)という脳領域が、私達の道徳的な判断に関して影響を与えている可能性がある」という程度のものでしょう。
 以上、傍論ですが。
 
<太田>
 人間の大脳には、損傷を受けた領域を他の領域が代替する機能が備わっています。
 脳梗塞で言語能力や身体能力が損傷を受けた患者がリハビリによってある程度回復することがその証左です。
 従って、たとえ確率が2??3倍でも、それが統計学的に有意でさえあれば、上記のような結論を導き出すことは可能であると考えます。



<バグってハニー>
 あのですね、ちょっと誤解が(先生のコラムにも)あるようなので補足したいのですが・・・。
 まず、どんな実験をしたのかですね。実験には三つの被験者群がいました。ventromedial prefrontal cortex(前頭前野腹内側部)に損傷のある人(実験群)、損傷のない人(ネガティブ・コントロール群)、別の部位に損傷のある人(ポジティブ・コントロール群)。
 それでまあ、いろいろ質問するわけです。例えば、5人の作業員の命を助けるために暴走列車の進路を転轍機で変えるか(その進路の先には別の一人がいてそれでもその一人は死ぬことになる)、貧乏のために娘を遊郭に売り飛ばすか、どうでもいい赤子を見殺しにするか、といった類の質問です。これらの質問に対してはどの被験者群も同じように答えます。つまり、5人のためだったら転轍機を操作する、娘を売り飛ばすなんてもってのほか、赤ん坊はたとえどうでもよくでも殺したりなんかしない、といった具合です。
 答えが大きく違うのは次の質問です。5人の作業員を救うためには自分がその場にいる誰か一人を線路に突き落とさなければならない、という質問です。二つのコントロール群がそれはしない、と答えるのに対して、前頭前野腹内側部に損傷のある被験者はそれをためらわない、と答えます。つまり、構造的によく似た質問では差が出ないのに、この自分が直接手を下すのかどうかで答えに大きな差が出るようになる、というのがこの実験のミソですね。
 違いが一点だけ出てくるのでその違いを脳の特定の部位に結び付けることができるわけです。言い換えると、健常な人にとって、少数を犠牲にして多数を救えるのは頭(損得勘定)では良いことだと分かってはいても、生身の人間を誰か一人直接自分で殺すのは到底できない、ということですね。それで、よく訓練された狙撃手でもどうたらこうたら、という話に繋がります。
 前頭前野腹内側部がこの「仲間(他の人間)を直接殺すことができない」という原始的な倫理観を司っているのではないか、というのがこの実験をした人たちの結論ですね(私、このDamasioと言う人だけ名前を聞いたことあります)。
 それでDamasio先生、記事の最後でこう言ってます。“A nice way to think about it is that we have this emotional system built in, and over the years culture has worked on it to make it even better.”前段は今言った通りの生得的な倫理観のことで、後段の文化を通して獲得する倫理観とは、多数のために少数を犠牲にする、ポルノを忌避する、赤ん坊を大事にするといった倫理観を指しているのではないでしょうか。
 つまり、「娘をポルノ産業でポルノ女優として...働かせることを是とするか非とするかは、サルと人間が共有する倫理感覚とは全く無関係である」と、太田先生同様、このDamasio先生も考えているわけです。むしろ、ポルノを忌避するのはヒトがサルではない、人を人たらしめている倫理観である、という風に考えているんじゃないでしょうか。
 まあ、私はアングロサクソン論をぶつ立場にはないですが、今までアメリカ人・文化を見てきて、この人たち人間は進歩し続けなければならないという強迫観念に取り付かれているような気がします。ポルノに対する態度はそういう強迫観念とよく合致していると思いますね。
 ところで、従軍慰安婦シリーズは「小林よしのりを英訳」とか言い出したときはどうなることかと思いましたが、いい感じになってきたと思いますよ。なんつうか、両者の論点がかみ合ってないんですよね(まあ、政治論争にはつきものですが)。ただ、相手の言い分、なぜそう主張するのか、目的は何なのかをよく理解せずに、論争に勝てるはずはないです。小林よしのりは、主張が一貫していず、反米が嵩じて左翼と迎合したりすることもあって、軍事オタク(私は”広義”の軍オタ)の間では非常に評判が芳しくないです。



<島田>
 解説どうもです。
 ネイチャーに30ドル払わなければ読めないので残念ですが、
http://www.nytimes.com/imagepages/2007/03/22/science/22moral_graphic.html
瀕死の人一人を捨てれば、救命ボートが沈没しなくてすむ場合、前頭前野腹内側部に損傷のある人は80%強、損傷のない人は20%強が捨てることを選ぶ、という実験結果を紹介した記事(太田))



 80%強がyesなんですね。これは驚き。
 即座に損得計算をして、感情に惑わされず(または殺して)に実行できる「軍事頭脳」「危機管理頭脳」みたいで、国防総省のマッドサイエンティストが喜びそう。



>答えが大きく違うのは次の質問です。5人の作業員を救うためには自分がその場にいる誰か一人を線路に突き落とさなければならない、という質問です。



 5人対1人と命の比較とか、質問の立て方が異文化的で面白いですね。自己犠牲の選択肢がないのも面白い。
 ただ、わたしはこの質問の状況が、いまいちレアルに想像できないのですが・・・



<太田>
 私は、大元のネーチャー誌にあたらず、NYタイムスとスレート誌の記事だけに拠って前回のコラムを書いているわけであり、NYタイムスとスレート誌がネーチャー掲載論文を正しく要約紹介しているかどうかは、私の関知するところではないことをお断りしておきます。
 その前提で、バグってハニーさんのご指摘を受け、この二つの私の典拠、とりわけNYタイムスを改めて読み返してみたのですが、



・・they had to decide whether to divert a runaway boxcar that was about to kill a group of five workmen. To save the workers they would have to flip a switch, sending the car hurtling into another man, who would be killed. <All・・groups>favored flipping the switch. All・・groups also・・would not send a daughter to work in the pornography industry to fend off crushing poverty, or kill an infant they felt they could not care for. But a large difference in the participants’ decisions emerged when there was no switch to flip ? when they had to choose between taking direct action to kill or harm someone (pushing him in front of the runaway boxcar, for example) and serving a greater good.



という肝心な箇所を、私は「誤解」することなく、正しく要約紹介していると思います。
 (コントロールグループの話や、スイッチ(転轍機?)の話をはしょったのは、適切な要約でしょ。)
 さて、「娘を売り飛ばすなんてもってのほか、赤ん坊はたとえどうでもよくでも殺したりなんかしない」と前頭前野腹内側部に損傷のある人も損傷のない人も同様に判断するというのですから、「娘をカネで売り飛ばす」ことと「人間を殺す」ことは同次元の禁忌だと米国人は考えていることになります。
 これは、前頭前野腹内側部での判断と損得勘定をする前頭葉の領域での判断に矛盾が生じ得ないケースということになりますから、「娘をカネで売り飛ばす」ことへの禁忌は前頭前野腹内側部での判断・・サルと共有する倫理感覚・・だということを意味します。
私は、米国の脳科学者達までがそう考え、実際に「娘を売り飛ばす」という想定の実験を行ったとは思いたくない・・そうだとすれば、慰安婦問題での日米間の対話など絶対に不可能だということになりかねない・・ことから、この記者の筆の綾ではないかとあえて記した次第です。
 また、結論の部分(下掲)をもう少し広く眺めると、



 The area probably adapted to help the brain make snap moral decisions in small kin groups ? to spare a valuable group member’s life after a fight, for instance. As human communities became increasingly complex, so did the cortical structures involved in parsing ethical dilemmas. But the more primitive ventromedial area continued to anchor it with emotional insistence on an ancient principle: respect for the life of another human being.
“A nice way to think about it,” Dr. Damasio said, “is that we have this emotional system built in, and over the years culture has worked on it to make it even better.”



 この箇所は、前頭前野腹内側部は「人間を殺す」ことへの禁忌に頑固に固執してきたものの、前頭葉の損得勘定をする領域を次第に発達させることで、人間はより複雑な判断を的確に下せるようになってきた、というDamasio博士の楽観的な考えを紹介したものである、と理解すべきでしょう。

(続く

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太田述正コラム#1698(2007.3.21)
<慰安婦問題の「理論的」考察(その2)>



3 読者とのやりとり



<一有料読者>
 強制性の有無や官憲の関与の有無について米国の識者は余り関心がない(太田掲示板投稿#181参照)のならば、連合軍占領下におけるかのAmusement Center についての米国識者の考えはどうなんでしょうか。ACでは「飢 えと寒さ」以外の強制は一応なかったと思います。
 当時の米国兵顧客の名簿が残っていませんかね。



<太田>
 その後米国が変わったのです。
 正確に言うと、先祖返りしたのです。
 捕鯨のために日本を開国させ、終戦後には日本に鯨肉を食べることを奨励した米国が、捕鯨無条件全面禁止の旗振り役に変わったわけですが、この点では米国に早く先祖返りして欲しいものです。



 ところで、投稿子は、「特殊慰安施設協会(RAA)」が設置・運営した米軍慰安所のことをおっしゃっていると思われます。
 しかし、そのことは、慰安婦問題を糾弾するニューヨークタイムスの記事(
http://www.nytimes.com/2007/03/08/world/asia/08japan.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
。3月9日アクセス)の一つでも言及されており・・Japan’s deep fear of rampaging soldiers also led it to establish brothels with Japanese prostitutes across Japan for American soldiers during the first months of the postwar occupation, a fact that complicates American involvement in the current debate.・・、ポツダム宣言受諾直後の1945年8月21日に早くも設置が近衛文麿国務相によって設置が決定されたこのRAAは、この記事でも言っているように、(性病の蔓延もあって、GHQによって、)早くも1946年3月10日に米軍慰安所への米軍兵士の立ち入りが禁止され、RAAは閉鎖に追い込まれます。
 GHQは同時に、日本政府に対して一切の公娼の廃止を求め、公娼が廃止されます(注4)。更に、GHQの示唆により、売防法(1956年)の元になる売春等処罰法案がつくられました。同法案は結局成立しませんでしたが、法案と同趣旨の条例が、米軍基地を抱える都市を中心に続々と63都市で制定されるに至ったのです。



 (注4)日本政府は公娼制度を廃止したものの、実際は特殊飲食街を指定しその地域内での売春行為は取り締まらないようになった。これが「赤線」の始まりである。



 つまり、当時の米国は、(米兵による)買春は禁止しないという偽善的なやり方ではあったものの、終戦直後を除き、日本において公娼制度を廃止させただけでなく、事実上売春も禁止させたことになります(注5)。
 (以上、
http://www.hit-press.jp/column/old/shakai/shakai26.html
http://www.medical-tribune.co.jp/ss/2004-8/ss0408-1.htm
(どちらも3月21日アクセス)



 (注5)当時米本国では、連邦政府が売春を禁止していたのは米軍基地周辺だけだった。



 なお、ニューヨークタイムスが、「フェア」にも、終戦直後の占領軍の方針の揺れに言及したことは、一応「評価」しておきましょう。
 このように見てくると、終戦直後の米国も現在の米国も、公娼制度、ひいては売春を「悪」とするビクトリア朝的倫理観を抱いており、その倫理観を日本に、より厳格な形で押しつけようとしている点で共通していることが分かりますね。



<一井義教>
 今回の考察は(その一)ということですので,差し出がましい限りですが,今後の考察用に投稿しておきます.



・奴隷制糾弾の一貫としての慰安婦制糾弾



 共和党が米連邦議会両院で未だ多数派だった昨春,米国のJ・トーマス・シーファー駐日大使が一時帰米し,とある大学で講演した際に見かけた光景です.同大使の講演が終了し質疑応答の部になったところで,Alexis Dudden (Connecticut College准教授)という慰安婦研究者が,米連邦下院で審議中の慰安婦問題に関する対日非難決議案の可決の見通しについて質しました.同大使は大使らしい所謂diplomaticな応答でさらりと捌きましたが,彼女は此れに納得せず「これこれの理由で今年は可決されるのではないか」云々と質問を繰出して畳み掛けましたが,大使も言質を与えない短い答えを続けたため,質疑は平行線のままで終わりました.
 このDudden准教授の研究活動をWeb検索するとすぐ分かるのですが,日本の大学関係者の慰安婦等の「研究」活動を基にした日・米・豪等在住の研究者兼活動家による英文情報発信・活動網があり,その一媒体がJapan Focusという日本研究英文雑誌(http://www.japanfocus.org/)です.当誌に集う研究者を調べると,今回の対日非難決議案だけでなく,女性国際戦犯法廷及びその後のNHK対朝日新聞誤報事件,扶桑社の歴史教科書への抗議等にも関与していることが分かります.また,俵義文氏のサイトにある「日本の歴史教科書に関する国際研究者アピールについて」という頁(http://www.linkclub.or.jp/~teppei-y/tawara%20HP/rekisi2001.html)にリストされている内外の研究者を見れば,今後慰安婦問題に関して海外在住のどのような日本研究者からコメントが登場するか,ある程度予想できるでしょう.
 Dudden準教授の米国における研究仲間を辿っていくと彼等の活動方針の一端が其れなりに分かります.例えば,米アイヴィー・リーグの一校であるブラウン大所属のKerry Smithという準教授がいます(先の国際研究者リストにも含まれています).同大学での彼が関与した委員会が以下の報告書をまとめています:
Slavery and Justice: Report of the Brown University, Steering Committee on Slavery and Justice
http://brown.edu/Research/Slavery_Justice/report/index.html
(慰安婦に関しては42頁他)



 太田様の過去のコラムで既に言及済みと思いますが,米国では90年代ころから,アフリカ系米国人を中心に黒人奴隷売買の賠償・謝罪要求活動が主流メディア上でポツポツ報道されるようになりました.例えば,米国における奴隷取引に関与したという廉(かど)で現存の老舗保険会社が訴訟されるという具合です.
この背景には,日系米国人の戦時強制収容に対する米政府による謝罪や賠償金支給の立法化という影響があります.
 このような世相において,慰安婦活動家達は,米国及び世界において「慰安婦」が「性奴隷」であったという説得に成功したならば,慰安婦問題がより普遍的な「奴隷」問題の一部として世間の認知を受けるだけでなく,賠償活動等においても同等の手段が適用可能と考えているようです.上記の委員会報告書には,そのような活動方向が展望されています.
 よって,これ等の慰安婦問題活動家達は,活動の本義上,慰安婦とは,経済的理由による自発的売春婦(prostitute)で運が悪いと略取の対象になった者ではなく,官憲の関与は兎も角,略取・誘拐された性奴隷(sex slave)であった,という主張を貫く必要があり,慰安婦が英文報道される場合はsex slaveという強烈な見出し語が使われなくては困るわけです.
 自分達の御先祖様が残した原罪に対する贖罪活動を,日本等の他国まで巻き込んで同活動の規模拡大を図り,人類・世界規模での崇高な贖罪・正義追求活動としての体裁を整え,自らその唱道者に納まるというのは,民主主義の唱導国として米国の面目躍如,国際連盟を提唱した国の遺伝子を垣間見る感じです.



 心情的反米日本人学者と反日米国人学者の共生



 今日,米国あたりでは,英文による日本研究の蓄積が相当な規模になったため,日本語に難があっても英文文献を主体とした研究で「日本研究者」を名乗れる時代となりました.よって,在外研究で来日した日本語が不得意な外国人研究者に,英語に弱い日本人研究者がネタを提供することにより,ある種の共生状態(日本人側:自分の研究が英文研究論文に引用されて世界に知られる;外国人側:世界に余り知られていない日本の研究を仕入れそれらを素に上手く調理・加工すれば,素早く研究業績を積める・自分の活動に使える)が生まれています.その一例が,2003年『文藝春秋』に掲載された秦郁彦氏の論文「歪められた昭和天皇像??話題のビックス本は呆れるほど間違いだらけ」(同論文は『歪められる日本現代史』(PHP研究所2006年刊)に再録された)が指摘している,ハーバート・ビックスとかつて在籍した一橋大学での同僚との関係です.
 いい加減な日本研究を米国で学会発表しても,不埒千万とわざわざ米国まで乗り込んで英語で論難したり,また英文誌上で論争を挑むだけの執念が,一般的に英語が不得意な日本人研究者にあるかどうか疑問です.更に,日本語が不得手な者による英文日本研究は二流以下という中華的先入観に縛られていれば,無視に至るのも当然でしょう.たとえ日本語媒体上で内弁慶的に批判しても,その読者は高々1.2億ですから,65億マイナス1.2億に浸透した英語経由の「世界の常識・史実」を動かすことは非常に難しいことになります.



 心情的に反米の日本人研究者と反日基調の米国人研究者とが何故このような共生を維持できるのか,太田氏のコラム読者や政治学者片岡鉄哉氏の著作を読まれている方には直ぐお分かりでしょう.
 現在反米姿勢の左翼系日本人研究者は,元々占領終了後における米軍日本占領正史の語り部になることを期待され,公職追放・言論統制・検閲という占領軍の用意した温室で特別に育成された申し子です.よって,これ等の語り部は,戦前の日本が如何に反民主的で軍国主義に染まり残虐であったか等の占領軍の初期プロパガンダを鸚鵡返し的に復唱することが求められます.しかし,日本を含むアジアに対する無知や希望的観測による国際認識に基づいた所謂占領初期の「民主化路線」は冷戦の顕在化で破綻し,占領軍は現実的な妥協路線の選択を余儀なくされ,占領の申し子として手塩をかけて育てた彼等は仇花扱いとなりました.
 しかし,ここで話がややこしくなるのは,米国の寵愛を受けながら状況が変われば簡単に見捨てられた南米諸国の独裁者やイラクのフセイン元大統領の例とは違い,占領初期に人為的に咲かせた申し子達を米国は今も必要としているというジレンマです.何故ならば,米国が対外的に日本占領を「民主化の成功例」と引き合いに出す際,占領の申し子が,自らが過去において「戦争犯罪人・自由民主主義の敵である軍国主義主義者」という烙印を押しながら冷戦激化後に御都合主義的に復活させた旧体制エリートという二番目の申し子では,占領政策に矛盾・失敗があった事が一目瞭然となります.
 よって,日本占領が民主化成功譚として語られる際のショー・ケースは,民主化路線上で育成しながら見捨てた第一の申し子でなければならず,この申し子達が,米国によるヤラセではなく,彼等の本音として「初期」占領政策を賛美(例えば現行[占領]憲法の絶対堅持や占領初期憧憬[占領初期は黄金時代でそれ以降は反動の一途]等)すればするほど,米国の主張に説得力を持たせることになります.更に,当該申し子達が,自尊心の発露としてのプチ反米を抑えられず,戦後の日本の諸制度変更は占領軍への面従腹背的collaborationではなく,戦後変革の種子は戦前から日本に内在していて,日本人による自主的開花という側面が強い,というような米軍が与えた枠組みや指示を過小評価した神話を主張するに至れば,米国にとってこれ程望ましいことはないでしょう.
 予断を許さない極東外交において日本に求めるのは,現実路線から,旧大日本帝国の末裔である第二の申し子で,世界に向かって民主主義の唱道者として振舞う際は,極東軍事裁判史観の建前に従い,民主化路線で育てた一番目の申し子と,適宜パートナーを取り換えなくてはいけない,此処に米国の苦衷があります.よって極東軍事裁判史観に未だ疑念を抱かない反日米国人と占領初期民主化路線で育成された日本の申し子達はそのドグマ(日本の戦前・戦中の対アジア蛮行の謝罪・賠償は済んでいない等)を共有する点において親和性が高く,先のコメントで述べたような研究・活動上の相利共生が維持できるのです.



 最後に,慰安婦問題をめぐる当該第一の申し子と極東諸国の関係については,筑波大学教授古田博司氏が『東アジア・イデオロギーを超えて』(新書館2003年刊)の170頁で次のように述べています:



 [日本の対東アジア贖罪派は]日本が道徳的に劣っているがゆえに,彼らは韓国や中国と連帯し,日本を内側から撃とうとする.のみならず,外から撃たせるべく,中・韓の諸官庁に向けて日本批判の資料を秘かに郵送・配布することを怠らないと,現地の役人より聞いている.彼いわく,「我々のナショナリズムを擁護するために,日本のナショナリズムを,我々ともども撃ってくれる人々だ」と.「しかし少々困る.その資料があまりに多すぎて,われわれは辟易しているのだ」ともいうのである.([]内は当筆者補足)



 古田氏は,対東アジア贖罪派(米軍占領の第一の申し子)が自国のナショナリズムを論難しておきながら,極東諸国のナショナリズムに対しては,頬かむりどころか,むしろ助長させる方向で関与するという,一貫性のなさを指摘しています.詳しくは,同書及び同氏の『東アジア「反日」トライアングル』(文春新書467,2005年刊)を御覧になってください.



<太田>
 質量共に経緯に価する投稿をありがとうございました。
 特に、奴隷制糾弾運動と「従軍」慰安婦制糾弾運動との連関についてご説明いただいた前半は、私自身が気づいていなかった点であり、大変参考になりました。
 しかし、それだけでは現在の米国の識者の(対日批判の)コンセンサスは生まれなかったのではないのでしょうか。私はやはり、「従軍」慰安婦制糾弾運動とマッキノン流フェミニズムとの連関を重視したいと思うのです。
 なお、米国の識者のコンセンサスは、「慰安婦とは、経済的理由による自発的売春婦(prostitute)で運が悪いと略取の対象になった者ではなく、官憲の関与は兎も角、略取・誘拐された性奴隷(sex slave)であった」という考え方にとどまらず、売春そのものが「悪」であるとの終戦直後の米国の考え方に近づいている、というのが私の見方であることは既に申し上げたところです。

(続く)

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太田述正コラム#1682(2007.3.6)
<慰安婦問題で日本人に訴える>



1 始めに



 3日に「慰安婦問題の深刻化」と題してコラム#1679(未公開)を上梓した後、私の掲示板(http://sol.la.coocan.jp/wforum/wforum.cgi
)上である読者から公開を勧められました。
 熟慮の上、まず、このコラム#1679を上記掲示板上でのやりとり付きで公開した上、今回のこのコラムもただちに公開することにしました。
 これは、事柄の緊急性、重大性に鑑みた例外中の例外措置であり、有料読者の皆さんにぜひご容赦いただきたいと思います。



2 この件で孤立無援の日本



 (1)アルメニア人虐殺問責決議案



 ことの発端は、米下院における慰安婦問責決議案の上程だったわけですが、実はトルコに対するアルメニア人虐殺問責決議案も上程されています。
 第一次世界大戦でオスマントルコ帝国が解体された時(1915??16年)にアルメニア人が何十万人(数について争いあり)も死亡した事件(コラム#1451)については、欧米の学者はすべてトルコ当局による虐殺であったとしているのに対し、トルコだけが、オスマントルコに住んでいた人々は多かれ少なかれこの混乱期多大の犠牲を被ったとして、組織的計画的な虐殺などなかったと主張しています。
 トルコでは、現在でもアルメニア人が虐殺されたと主張すると刑罰を科されます。
 上記問責決議案の上程に、トルコは外相を米国に送り込んで決議阻止のロビイスト活動を行っています。
 トルコの軍部も、こんな決議が通ったら、米軍のイラクやアフガニスタンでの作戦に重要な役割を果たしている、トルコのインシルリク(Incirlik)空軍基地を米軍には使わせないことをほのめかしています。
 しかも、ワシントンポストは、この決議案上程の背後には、推進議員や下院議長の選挙区にアルメニア系の人が多いことを指摘しつつ、元駐トルコ米大使も決議案の採択に反対していることに触れ、更に、大部分の米下院議員の外国の知識のお粗末さ・・スンニ派とシーア派の違いが分かっている者は少ない・・を挙げ、1世紀近くも前に起こった事件について下院議員達がまともな判断ができるわけがない、とまで揶揄した論考(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/04/AR2007030401047_pf.html
。3月6日アクセス)を掲載しています。



 (2)孤立無援の日本



 慰安婦問題については、強制連行を認めているのは、全く学問の自由のない中共の学者や、学問の自由が世論によって制約されている韓国の学者だけであり、日本では強制連行を否定する学者が大部分です。
 にもかかわらず、慰安婦問題問責決議案については、60年以上前に起こったことだ、等とそれに水をかける記事、論考は全く米国や英国の主要メディアには登場していません(注1)。



 (注1)英BBCの本件に関する掲示板に採用されなかった私の投稿を若干敷衍してニューヨークタイムスの本件に関する掲示板に投稿した下掲がようやく掲載された。
     Before arguing, please recognize the basic facts, folks. Japan had a culture of authorized brothels and top class prostitutes were sometimes highly esteemed, up to the period of the WW2. On the other hand, most of the country other than pre WW2 Japan have Victorian aversion, so to say,  against these stuff. Japanese Imperial Army followed this Japanese tradition and established brothels around the military bases abroad, and even expected rapes against the natives by their soldiers would be prevented by this measure. Total numbers of such prostitutes are estimated to be between 20,000 and 200,000, of which a research concluded roughly 70% were Japanese, 20% were Korean, 10% were Chinese. These prostitutes were all paid lavishly without discrimination irrespective of the ethnicity of the prostitutes.
     <仮訳>諸君、議論に入る前に基本的な事実を認識して欲しい。日本は公認売春宿という文化を持っており、最上級の売春婦達は時に高い尊敬を得ていた。他方、大部分の国は、先の大戦までの日本とは違った、この種の事柄に対する、ビクトリア朝的忌避感ともいうべきものを持っている。日本の帝国陸軍は、この日本の伝統にのっとり、外地の軍事基地の近くに売春宿を設立した。これにより、現地の人々に対する兵士による強姦が防止されることも期待した。かかる売春婦の総数は2万人から20万人と推計され、ある調査の結果によれば、内訳は約70%が日本人、20%が朝鮮人、10%が支那人であった。これらの売春婦は、人種によって差別されることなく、みな極めて高い報酬を得ていた。
 (注2)注1のニューヨークタイムスの掲示板への投稿第一号は、米国人とおぼしき人物による、
The Japanese despite the passage of time are extremely racist,esp.towards fellow Asians like Chinese and Koreans.One does not have to think of the “Rape of Nanking” or the “comfort women” to get an idea of this perverted group who pioneered Kamikaze suicide bombings and have a caste system that keep Borabaru(?) equal in status with the untouchables of India. They have an inferiority complex regarding their height and accent and try to ape Western values. The society is structured to the point of robot-like efficiency and after many visits to Japan, I feel embarrassed by their subservience to Western values. They owe the world big time apologies and need to revamp their values and give up their mistreatment of their own women.
 という代物であり、その余りのおぞましさに、到底翻訳する気になれない。



 元駐日米国大使も誰も声を挙げてくれていないと見えます。
 日本は米国でトルコほども友人がいないようですね。
 日本政府も、外相を米国に送り込んだり、米国や英国の主要メディアの論調(注3)にクレームをつけたり、もっと努力をすべきだと思いますが、これだけ日本が米国で孤立無援にしてしまったことの責任こそ重大です。



 (注3)一方的に日本政府を非難するものばかりが依然目立つ(
http://www.nytimes.com/2007/03/05/world/asia/05cnd-japan.html?pagewanted=printhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6418337.stmhttp://www.ft.com/cms/s/2e899e9c-cadd-11db-b436-000b5df10621.html
。3月6日アクセス)。



 日本の学者や評論家も、日本の国内だけで強制連行がなかったと叫んでいても仕方がないのであって、これまで、もっと国際的な発信をしてきてしかるべきだったと思います。
 慰安婦問題問責決議案がアルメニア人虐殺問題問責決議案より問題なのは、それが日米関係をおかしくするだけでなく、日韓関係まで更におかしくする懼れがあることです。
 せっかく沈黙していた朝鮮日報まで日本政府批判を始めてしまいました
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/06/20070306000010.htmlhttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/05/20070305000010.html
(3月6日アクセス))。
 このままでは、日本政府が1993年の河野談話の(少なくとも)部分的否定に追い込まれたり、この談話に至る、当時の日韓両国政府間の取引(日本政府が強制連行を否定せず、謝罪すれば、韓国政府は爾後本件を持ち出さない)が明るみに出たりして、ノムヒョン政権が窮地に陥り、キチガイじみた反日政策を展開する可能性すらありえます。
 そこまで懇切丁寧に説明すれば、いかに国際知識が欠如した米下院の議員達と言えども、決議案の採択を思いとどまってくれる、と信じたいところです。



3 感想



 私の掲示板(http://sol.la.coocan.jp/wforum/wforum.cgi
)上で、拙著『防衛庁再生宣言』(日本評論社2001年)で展開した、吉田ドクトリンの申し子であるところの、見せ金としての自衛隊論に関する議論がようやく始まりましたが、日本の軍事に関する私の問題提起について、これまで6年間、私は全く孤立無援で発信を続けてきました。
 慰安婦問題についての日本が国際場裏で全く孤立無援であることとこのこととが、私には否応なしにオーバーラップして見えます。
 日本の皆さん。
 皆さんが戦後、米国の保護国に甘んじて、豚のように経済的豊かさだけを追求してきたツケが、慰安婦問題に係る日本への侮蔑と日本の孤立なのです。
 なさけなくないのですか。
 くやしくないのですか。
 少しでもプライドが残っているのなら、怒ってください。
 そして、立ち上がって行動してください。

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太田述正コラム#1679(2007.3.3)
<慰安婦問題の深刻化>



1 始めに



 「安倍晋三首相は1日夜、従軍慰安婦問題を謝罪した1993年の河野洋平官房長官談話について「当初定義されていた強制性を裏付ける証拠がなかったのは事実だ」と述べ、旧日本軍が従軍慰安婦を強制的に集めて管理した証拠はないとの認識を示した。

また、談話見直しの必要性に関しては「定義が大きく変わったことを前提に考えなければならない」と語り、否定しなかった。首相官邸で記者団の質問に答えた。ただ、この発言について首相周辺は「国会で答弁した通りのことを言っただけで、これまでの政府方針と何も変わっていない」と指摘、同談話の見直しを表明したものではないと強調。塩崎恭久官房長官も同日の記者会見で「談話を受け継いでいくのが政府の立場だ」と語った。」と時事通信は報じました。
 この安倍発言が、慰安婦問題を一挙に深刻化させています。



2 英米での反響



 安倍発言に対し、英BBC電子版(
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6414445.stm
。3月3日アクセス)は、慰安婦の強制連行があったかどうかについて、安倍首相が、強制があったことを証明する証拠はないと語ったことが韓国で怒りを呼んでいる、と報じています。
 そして、韓国の外相の、安倍首相の発言は日韓の両国関係の改善を図る上で有益ではなく、日本は事実を直視しなければならない、という声を紹介しています。
 ところでこの記事は、「歴史学者達は、少なくとも20万人の女性が第二次世界大戦中に日本軍の売春宿で強制的に奉仕をさせられたと考えている」、「慰安婦・・の大部分は朝鮮半島と支那出身だ」、「三人の元慰安婦が米国<下院の>聴聞会で、日本軍兵士達の手によって彼女たちが被った強姦や拷問について証言をした」とも記しています(注1)。



 (注1)本件で、BBCは掲示板を開設しているが、投稿は強く日本政府を批判するものばかりといっても過言ではない。そこで、
Before arguing, please recognize basic facts, folks. Japan had authorized brothels then. Japanese Imperial Army’s policy was that authorized brothels should be established around the military bases abroad so that rapes against the natives by their soldiers would be prevented.Total numbers of such prostitutes were about 20,000, of which 70% were Japanese, 20% were Korean, 10% were Chinese.Those Prostitutes were all paid lavishly.
とまず軽く投稿したが、(審査にかけてから採用の可否を決めるというふれこみであったところ、)7時間経った現在、まだ掲載されていない。議論のバランスをとる上でも、BBCの対応に猛省を促したい。
 
 こういった杜撰な報道ぶりは、英米のメディアに共通して見られるところです。
 2日付のロサンゼルスタイムス電子版は、「大部分の歴史学者達や日本政府自身が、軍部が業者と一緒になって、アジア全域の約20万人の女性に強制的に部隊に対してセックスを提供させたという結論を下している」と報じていますし、2日付でAP通信(ワシントンポストが使用)は、「歴史学者達は、大部分が朝鮮半島と支那出身の約20万人の女性がアジア全域の日本軍の売春宿において、1930年代から1940年代にかけて奉仕させられたと指摘している。多くの女性達は、日本の部隊によって自分達が誘拐されて性的奴隷になることを強制されたと言っている」と報じ、日本国内で「誘拐」された韓国人の元慰安婦の体験談を紹介していますし、同じく2日付のニューヨークタイムスは、「歴史学者達は、大部分が朝鮮半島と支那出身の約20万人の女性がアジア全域の日本軍の売春宿で1930年代から1940年代にかけて奉仕させられたと指摘している。証人や犠牲者達や元日本兵の一部は、女性達の多くが誘拐ないし強制され、多数の兵士達に毎日強姦されるべく、売春宿に送り込まれたと証言している。」と報じ、現地で強姦され「誘拐」されたフィリピンの元慰安婦の体験談とフィリピンの国会議員の怒りの声、そして中共で慰安婦の調査をした上海師範大学中国慰安婦研究センター所長(the director of the Chinese Comfort Women Research Center at Shanghai's Normal University)の蘇智良(Su Zhiliang。女性)教授の安倍発言批判、を紹介しています。
 (以上、
http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-japan2mar02,0,7484156,print.story?coll=la-home-headlines
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/01/AR2007030101498_pf.html
(どちらも3月3日アクセス)、
http://www.nytimes.com/aponline/world/AP-Japan-Sex-Slaves.html?ref=world&pagewanted=print(3月2日アクセス)による。)



3 感想



 英米のメディアでは、慰安婦の数が20万人ないし少なくとも20万人であった、慰安婦の大部分が朝鮮半島と支那出身であった、その多くが日本軍によって強制連行された、1993年の河野談話で日本政府が軍による強制連行があったことを認めて謝罪した、という観念が確立していることが分かります。



 日本政府は早急に、次のような趣旨を盛り込んだ声明を、詳細な資料を添付して発表すべきです。
 第一に、慰安婦の数が約20万人ないし少なくとも20万人というのは多すぎる。日本の学者は、日本大学の秦郁彦教授(注2)が2万人説、中央大学の吉見義明教授が5??20万人説をとっている。中共の蘇智良教授は支那人だけで20万人としているが荒唐無稽な数字である。



 (注2)秦教授は、かつての私の勉強会仲間だ。
 
 第二に、秦郁彦教授は、慰安婦のうち約70%が日本人、約20%が朝鮮半島出身者、約10%が支那出身者であるとしている。
 第三に、多くが日本軍によって強制連行された、という事実はない。兵士による女性の誘拐や強姦は違法行為であり、発覚すれば罰せられた。また、業者が誘拐まがいのことをしないように日本軍は指導していた。なお、慰安婦は高額の給料をもらっていた。
 第四に、河野談話は軍が強制連行を行ったことを認めたものではない。当時謝罪したのは、業者に誘拐まがいのことをやられて慰安婦にさせられた等、意に反して慰安婦となった女性達がいたであろうことに対してである。(日本政府のイニシアティブで、民間から寄付を募って「女性のためのアジア平和国民基金」を設立したが、これは賠償する、という趣旨ではない。)
 (以上、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』(新潮選書1999年、及び
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E8%A6%8B%E7%BE%A9%E6%98%8E
3月3日アクセス)による。)





<島田>
(コラム#1676をめるぐ投稿参照)
> せいぜい125人しか読んでいないのだから、不思議ではありません。
> どうせなら、「米国によるイラン攻撃はないと言い切った」とか、125人以外にも分かる形で、紹介していただきたいですね。
 イランの分析と「強制従軍慰安婦」問題のコラムは、無料公開したらどうでしょう?



<太田>
 無料読者の数の維持・将来の有料読者の確保、に対するところの、現在の有料読者の囲い込み、のバランスをどうとるか、という悩ましい問題です。
 時事的なコラムの即時公開は、情報屋台上梓コラムに限る、という原則は維持したいと思います。
 ただ、要約無料版の公開は考慮すべきかもしれません。
 時事的なコラムに限って、要約無料版の公開を再開しますかね。
 私の負担が大変ですが・・。
 以前、お願いしたように、無料読者のどなたかで、有料読者扱いにさせていただくのと見返りに、一定期間、すべてのコラムの要約無料版の作成、アップロードをやっていただける方はおられないものでしょうか。



  慰安婦問題に関するBBCの掲示板は、
http://newsforums.bbc.co.uk/nol/thread.jspa?sortBy=1&threadID=5711&start=135&tstart=0&edition=2&ttl=20070304000554&#paginator
です。
 先ほど覗いてみたら、延々と議論が続いており、日本人の投稿(大部分は安倍発言擁護)がなされていました。
 しかし、私の投稿は採用されていません。
 誰も、すべての慰安婦がlavishly paid であった事実を踏まえて議論していません。それだけでも、私の投稿は意味があったと思うのですが・・・。



<島田>
 あまりにも彼らの「常識」からかけ離れていたのでしょうか?
 urlのソース付で提示しないとダメなのではないでしょう。
 掲示板はあまり生産的ではないですね。



<読者MT>
 太田さんにしても、慰安婦問題を単独に考え事実関係から虚偽としていますが、強制連行が事実かどうかは無関係で単なる政治的問題なのではありませんか。河野談話自体が政治的解決(その場限りですが。)に他なりません。
 日本政府は6者協議で拉致問題に進展がなければ支援はしないとしています。これでは米中韓ともに都合が悪いわけですから、慰安婦問題を人道的、倫理的により悪辣であるとし、拉致をうやむやにせよという政治的な駆け引きに思えるのですが。
 現に外相は拉致に進展がなければ1ドルも出さないとしていますから、「進展」があれば援助するのであり、最初から腰が引けています。米下院と米政府が連携しているとするのはかんぐりが過ぎるかも知れませんが、阿吽の呼吸もあるのではありませんか。知米派としてはどうでしょうか。



<太田>
 国連に提出された例の悪名高い報告書が、米英のメディアの種本なのかもしれませんね。
 とにかく、ここまで出鱈目な話を流布させたままにしておいた日本政府の責任は重大です。
 一つほっとする材料は、英ガーディアン電子版が、このところの慰安婦問題について、完全に無視していることです。私は、ガーディアンの見識であると受け止めています。
 いずれにせよ、ブッシュ政権と米議会と米メディアの三者が結託して日本を拉致問題からおろそうとしているという見方は、国を網羅した陰謀など米国では不可能だ、と考えている私からすれば、ありえない話です。
 それに、仮にそんな陰謀があったとしても、英BBCまでがそれに加担するわけがありません。
 ところで、韓国の反応には興味深いものがあります。
 河野談話が出た背景を、当事者であった韓国政府は百も承知しているためでしょうか、今一つ安倍発言批判に腰が引けているように思うのですがいかがですか。
 面白かったのは例によって朝鮮日報です。
 安倍発言とそれに対する韓国の外相や外交通商部の批判を淡々と紹介した
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/04/20070304000025.html
だけで、この件について論説的なものは一切掲げないばかりか、生存している韓国の元慰安婦の現在の収入状況の調査のいい加減さを批判する記事
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/03/20070303000031.html
を、あえて同日付の日本語電子版に掲載しているからです。
 これは、韓国政府が、現在の自国の元慰安婦に関する事実すら的確に把握していないのだから、戦中の慰安婦に関する事実などまるで把握していない可能性が高いことを読者に訴えようとしている記事である、と私は解釈しています。

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