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太田述正コラム#9429(2017.10.29)
<定住・農業・国家(その12)>(2018.2.11公開)

 植栽された作物についての最初期の実験と完全な農業国家群<の成立>との間は何千年も離れている。
 南部メソポタミアの堆積湿地帯群において、そして、恐らく間違いなく他の文明の諸揺り籠において、ポスト氷河期の諸条件は、狩猟と食べ物漁り(foraging)でもって、その休みに行われる(recess)農業を補うことを可能にした、豊富な自然諸資源への容易なアクセスを保証した。
 暫くの間は、このことが、<このような生き方を、>後の暗転時に比べれば、より煩わしくない、魅力的なものにしていた。
 著者は、次第に募って行った乾燥化<(注21)>が、最終的にこの豊富さを窒息させてしまい、その結果として、各地域において<、そこで>栽培されていた作物群への依存を増大させた、と信じる人々<の見解>に従っている。

 (注21)「メソポタミア(現在のイラク)は、農業が始められた最初の文明が起きた地域と言われている。ここは緑に豊かで土壌が肥えていたが、過度な農業活動により土壌が渇いていったことと、河の上流にあった森林の伐採によって上流に降った雨が一気に河に流れ込むことにより洪水が発生し、下流の表土を流し去った。また、灌漑によって表土の塩性化を招いた。さらには上流からアルカリ性の土砂が流れ込むことにより植物の成育には向かなくなった。同様のプロセスはエジプトやインダス河流域でも起きている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%82%E6%BC%A0%E5%8C%96

⇒著者は、農業が環境破壊を招き、それが国家群の成立をもたらせた、と主張しているわけですが、著者ないしこの書評子が、その根拠や、同じプロセスがエジプト、インダス、黄河、各地域でも起きたのかどうか、を示してくれていないのは残念です。(太田)

 可耕地の諸領域に閉じ込められた(confined)、初期の農民達は、暴力団がその気乗りしない顧客達を<みかじめ料を取って>守るのと同じ形で、彼らを守ってくれた新しい政治的秩序に服すことにしたのだ。
 この初期の国家は、急勾配の諸階統、巨大な不平等、及び、終わりなき戦争、を支えるところの、野心的な指揮統制の諸構造を打ち立てる形で誕生した。
 著者は、栽培化された穀物群である、小麦、大麦、雑穀(millet)、トウモロコシ、そして、米、が、政治権力を維持するのに果たした決定的な役割を正しくも強調する。
 すなわち、地上で育ち、予想できる日程を経て成熟するので、穀物は、徴税者による<収量>見積もりと<それに基づく租税の>割り当てを招いた<、というのだ>。
 <この>穀物諸税、と、強制労働諸役務、とが、初期国家の原動力群になった。・・・
 文字は課税を支えるために発明されたものだ。
 選良達の、家畜化された労働者達に対する飽くなき食欲は、<誕生した>強制労働と奴隷制に拍車をかけた。
 国家の抑圧的性格は、国家それ自身の脆さによって醸成されたことが思い起こさせられるが、それは、<実は、>殆ど救いに近い。
 というのも、混沌への悲惨な滑降が突然引き起こされる場合に比べれば、<国家の>周期的崩壊など、<要は、>より大きな国家群がその構成コミュニティ群に分解するだけのことだったからだ。
 この過程で、沢山の諸足かせが緩められた。
 同様に、中央集権化された政体群の外にいる人々は、一般に、野蛮人達め、と中傷されながらも、国家群の臣民達に比べれば、専制的統治と搾取から逃れていて、隣接する国家群と交易したりこの国家群を襲ったりすることによって裨益している、といった若干の意味において恵まれていた。
 とはいえ、彼らは、国家群の諸魅力から到底逃れることはできなかったのであって、国家群の富を活用すべく、隣人たる諸敵を奴隷達として<国家群に>売りつけたり、<国家群が募集する>諸傭兵に応募したりした。
 野蛮人の社会群は、彼ら自身の社会群を何世代にもわたって維持こそしたけれど、より大勢でより生産的であったところの、家畜化された人々、から徴税する能力に立脚していた国家の経済的引力は、最終的には抗い難いほど強いものになったのだった。」(A)

(続く)

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