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太田述正コラム#9391(2017.10.10)
<アングロサクソンと仏教--米国篇(その27)>(2018.1.23公開)

 「著者の本の仏教は、超自然主義をほぼ完全に洗い落とした仏教だ。
 彼の仏陀は、聖なる存在でも、奇跡的な生誕を遂げたわけでもなく、(その一つがペニス入れ(penis seath)であるところの、)神格(godhead)の32の特有の諸兆<(注28)>もなく、輪廻もない、ところの、賢人にして自助の心理学者である、と想定されている(conceived)。

 (注28)「三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじっしゅこう(ごう))とは、仏の身体に備わっている特徴。見てすぐに分かる三十二相と、微細な特徴である八十種好を併せたもの。「相」と「好」をとって相好(そうこう、そうごう)ともいう。相好はまた転じて、顔かたち・表情のこと」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E4%BA%8C%E7%9B%B8%E5%85%AB%E5%8D%81%E7%A8%AE%E5%A5%BD
 penis seath は penile sheath とも書く。人間は、これを持っていない、少数派の哺乳類の一種。
https://en.wikipedia.org/wiki/Penile_sheath
 なお、これに対応する日本語の単語がないところにも、日本に牧畜文化がないことが表れている。
 ちなみに、北伝仏教(支那)では、これを陰蔵と呼んでいる。
 (<仏は、>「陰蔵相(おんぞうそう)<であり、>や象のように陰相が隠されている(男根が体内に密蔵される)。」(上の上掲))

 これは、実際的な(pragmatic)仏教であって、著者の実際主義(pragmatism)は、彼のこれまでの諸本においてそうであったように、パリサイ主義(Philistinism)<(注29)>に近い(touch the edge of)。

 (注29)パリサイ主義とは、美術、美、精神性、そして、知性、を低く評価し侮蔑する反知性主義的な社会的態度を指している。
https://en.wikipedia.org/wiki/Philistinism

 仏教についての殆ど全ての一般向けの諸本には、詩的引用や印象的な警句群、そして、(禅)仏教のお伽噺群(decor—tales)の一部である、風でもそよ風の中ではためいている旗でもなく、彼らの諸頭だけだ、と決するところの、皮肉たっぷりの公案(koan)群、が溢れている。
 <ところが、>著者のこの本には、どこにも、詩やパラドックスが登場しない。
 仏教の、詩的にして滑稽な側面がその最も魅力的な諸様相であることから、この本は、いささか魅惑に欠けた印象を与える。
 しかし、著者が、あなたに、何か深淵で美しいことを伝えているとは一度も感じなくても、彼が、あなたに、何か不真実を伝えていると感じることもまた一度もないはずだ。
 直截的に、かつ、紛れなく、自分自身の瞑想実践・・それは最終的に彼を一連の一週間にわたる諸隠遁や仏教教理の猛烈な研究へと導いた・・をなぞりつつ、彼は、仏教の諸観念とそれらの歴史を明確に<示>している。
 <いや、>恐らくは、彼は、この諸観念を明確にし過ぎた<ように思う>。
 仏教思想家達には、微笑とパラドックスと手の一振りとでもって諸矛盾を乗り越える(bridge)傾向があった。
 「諸仏は存在するが、それらは現実(real)ではない」、というのが、グルのム・ソン(Mu Soeng)<(注30)>の、彼の、般若心経(Heart Sutra)に関する本の中での、典型的な言明(dictum)だ。

 (注30)フルネームと思しきMu Soeng Sunim
https://tricycle.org/author/musoengsunim/
・・Mu Soengは、得度名か・・の'Sunim'、と、彼の風貌、
http://www.wisdompubs.org/author/mu-soeng ★
からは、インド亜大陸のドラヴィダ系の人物のように思える。
 韓国の禅の訓練を受け、11年間、僧だった。
https://www.bcbsdharma.org/teacher/mu-soeng/
 現在、米マサチューセッツ州バール(Barre)のバール仏教研究センター付学者。(★)

⇒ム・ソンは、素性が明らかでない、というか、本人が素性を明らかにしていない、胡散臭い人物、という印象です。
 非人間主義の曹渓宗で得度した、というだけで、私に言わせれば、アンチキリストならぬアンチ釈迦、ということにもなります。(太田)

 「あなたはそれを信じる必要はないが、それは本当だ」、は、もう一人の有名なグルの微笑しながらの、輪廻教義に関する助言だ。
 この快足の二心(nimble-footed doubleness)には、本当に、深淵なる実存的諸真実が含まれているのかもしれないが、それは、同時に、万能の(all-purpose)分析回避方法を提供している。」(D)

⇒もっとはっきり言うべきだ、仏教経典類の中に出てくる、「二心」的(?)「論理」・・公案が拠っているのもそれです・・は、釈迦の考えとは無関係な、無意味、かつ、無価値、な、コケ脅かしの衒学的戯言、に他ならない、というのが私の率直な気持ちです。(太田)

(続く)

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