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太田述正コラム#9387(2017.10.8)
<アングロサクソンと仏教--米国篇(その25)>(2018.1.21公開)
仏教の精神(spirit)、ないしは、その易しい米国版、が、ビート(Beat)文学の中で花が咲き、(ケルアックの「ダルマ<(注23)>浮浪者達(Dharma Bums)といった若干の素敵な造語群を生み出した。
(注23)法。「具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。本来は「保持するもの」「支持するもの」の意で、それらの働いてゆくすがたを意味して「秩序」「掟」「法則」「慣習」など様々な事柄を示す。三宝のひとつに数えられる。仏教における法を内法と呼び、それ以外の法を外法と呼ぶ。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95_(%E4%BB%8F%E6%95%99)
禅は、仏教の中では明らかに非典型的な厳しい(severe)宗派であるにもかかわらず、<米国では、仏教の>旗手になった。
まさに、「禅」は、米国の文学的文化において、(どのように矢の狙いを付けるかについての)『弓と禅(Zen and the Art of Archery)』<(注24)>、或いは、(どのようにハーレーダビッドソンにおいて精神的鍛練(spritual practice)を見出すかについての)見事な(masterly)『禅とオートバイ修理技術(Zen and the Art of Motorcycle Maintenance)』<(注25)>のように、「甚だしく反直感的なこと」、を意味する万能修飾語句になったのだ。
(注24)日本の弓について論じている、元は独語の本であるところ、日本と米国での関心の高さの違いからか、邦語ウィキペディアはなく、英語ウィキペディアはある。
ちなみに、1948年に独語で出版され、1955年に英訳、1981年に邦訳、が出ている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Zen_in_the_Art_of_Archery
https://www.amazon.co.jp/%E5%BC%93%E3%81%A8%E7%A6%85-%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%AB/dp/4571300271
オイゲン・ヘリゲル(Eugen Herrigel。1884〜1955年)著。ヘリゲルは、ドイツの哲学者。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%AB
彼は、師範から「弓を引くためには身体の力を抜くことが必要だったが、放れのためには、精神の力も抜かないといけない。徹底的な無我<を、>・・・呼吸に意識を集中することで、外部からの刺激を感じなくなる。さらに、呼吸そのものも意識に囚われない状態に移行していく。そしてそこから精神を「飛躍」させることで、理想的な集中状態となる」、と教わったと記す。
http://numb86.hatenablog.com/entry/20150404/1428133284
元ドイツ弓術連盟会長フェリックス・ホフ(Feliks F. Hoff)は、よい射を日本語で「それです」と誉めるのを<、ヘリゲルが>ドイツ語: Esを主語にしたため意味が変わってしまったという説をとなえた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%AB 前掲
(注25)1974年出版。ロバート・パーシグ(Robert M. Pirsig)著。
https://en.wikipedia.org/wiki/Zen_and_the_Art_of_Motorcycle_Maintenance
「かつて大学講師であった著者は失われた記憶を求め、心を閉ざす息子とともに大陸横断の旅へと繰り出す。道中自らのために行なう思考の「講義」もまた、バイクの修理に端を発して、禅の教えからギリシャ哲学まであらゆる思想体系に挑みつつ、以前彼が探求していた“クオリティ”の核心へと近づいていく。だが辿り着いた記憶の深淵で彼を待っていたのはあまりにも残酷な真実だった...。」
https://books.google.co.jp/books/about/%E7%A6%85%E3%81%A8%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%90%E3%82%A4%E4%BF%AE%E7%90%86%E6%8A%80%E8%A1%93.html?id=YqeBQgAACAAJ&redir_esc=y&hl=ja
⇒ヘリゲルの方の話ですが、師範の阿波研造(1880〜1939年)は、「術(テクニック)としての弓を否定し、道(精神修養)としての弓を探求する宗教的な素養が強かった」とされ、現に、「大日本射道教(大射道教)を開き、自ら教主とな<った>」人物です。「射は術ではない。的中は我が心を射抜き、仏陀に到る」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E7%A0%94%E9%80%A0 (「」内等)
というのですから、念的瞑想を弓を借りて行うといった趣の、新しい仏教宗派を起こした、とは言えそうだけど、この「宗派」は、サマタ瞑想がウリの支那や日本の禅宗とは異なるし、もちろん、鎌倉仏教なる人間主義教の一宗派としての日本の禅宗とも異なる、と考えるべきでしょう。
ヘリゲルの、こんな、いささか厳しい言い方をすれば、勘違いに基づくズレまくり本が、米国で流布したことも、鈴木大拙があえて殆ど触れなかった瞑想(座禅)に、米国の一部知識人が、関心を、しかも、精神集中法としての功利的な関心を、抱くに至る要因の一つになったのではないでしょうか。(太田)
この第二の動きが、大真面目な座る諸レッスンの実践や一連の諸施設(institutions)・・その多分最も有名なのは、サンフランシスコ禅センターだろう・・<の設置>へと花開いた。
何世代も隔たっていたが、この二つの仏教的覚醒の深いところにある論理(grammer)は本質的に同じだった。
米国における仏教は、異国情緒的であると同時に親近感のあるものでもあった<という意味で・・>。
つまり、それは、米国的生活における物質主義から出で立たせるところの、東洋的な諸罠と諸儀典を多く持っているけれど、それは、とりわけ米国人的な、公的に生産的な精神的実践への希求、に訴えかけるものでもあったのだ。
米国の仏教は、博物館の諸コレクションや能の演目の諸翻訳や菜食諸レストランや哲学的な諸本や、パートタイマー仏教徒たるフィル・ジャクソン(Phil Jackson)<(注26)>の手にかかることによるところの、バスケットボールにおけるトライアングル・オフェンス(triangle offense)、を派生させた。」(D)
(注26)1945年〜。「<米>国のバスケットボール指導者・・・監督として11度の優勝はリーグ最多であり、70.7%(2010年時点)の通算勝率はリーグ歴代最高。禅導師を意味する「ゼン・マスター」というあだ名がある。・・・
禅<を>禅僧に師事して学び、自らも折を見つけては瞑想するだけでなくバスケットボールの指導にも採り入れている。・・・
選手時代の経験から、ジャクソンはチームの和を重視した指導を行う。これを具現化させたものが・・・トライアングル・オフェンス導入だった。頻繁にボールを回して攻撃を分散させるシステムにより、マイケル・ジョーダンやシャキール・オニール、コービー・ブライアントなど得点能力の高い選手の負荷を減らし、相手のディフェンスを分散させる効果をもたらしている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3
なお、彼の英語ウィキペディアには、禅僧に師事云々の話は登場しない一方で、『禅とオートバイ修理技術』が最も影響を受けた本であると自認している、とある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Phil_Jackson
(注27)「このシステムを考案したのは1950年代に<米>カンザス州立大のコーチをしていたテックス・ウインターである。・・・攻撃の時に3人の選手が三角形を作るように位置し、互いにボールをパスし合って攻撃のチャンスをうかがうという特徴がある。・・・
ウインターはこのシステムを使ってカンザス州立大を全米優勝に導いた。その成功によって彼はNBAのコーチとなったが、プロ選手に対してはあまり上手く機能せず、・・・ トライアングル・オフェンスは長く忘れられていたが、1987年に・・・ブルズのアシスタント・コーチに就任したフィル・ジャクソンが・・・<その時に、同じチーム>のアシスタント・コーチを務めていた<ウィンターが、かつて考案した、>このシステムに心酔し、ジャクソンがヘッドコーチに就任した1988年からシカゴ・ブルズで採用された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B9
⇒トライアングル・オフェンスのどこが「禅」的であるのか、今一つよく分かりませんが、チームワークを重視した、個人主義的ではないプレイ法であること、を指しているのでしょうね。(太田)
(続く)
<アングロサクソンと仏教--米国篇(その25)>(2018.1.21公開)
仏教の精神(spirit)、ないしは、その易しい米国版、が、ビート(Beat)文学の中で花が咲き、(ケルアックの「ダルマ<(注23)>浮浪者達(Dharma Bums)といった若干の素敵な造語群を生み出した。
(注23)法。「具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。本来は「保持するもの」「支持するもの」の意で、それらの働いてゆくすがたを意味して「秩序」「掟」「法則」「慣習」など様々な事柄を示す。三宝のひとつに数えられる。仏教における法を内法と呼び、それ以外の法を外法と呼ぶ。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95_(%E4%BB%8F%E6%95%99)
禅は、仏教の中では明らかに非典型的な厳しい(severe)宗派であるにもかかわらず、<米国では、仏教の>旗手になった。
まさに、「禅」は、米国の文学的文化において、(どのように矢の狙いを付けるかについての)『弓と禅(Zen and the Art of Archery)』<(注24)>、或いは、(どのようにハーレーダビッドソンにおいて精神的鍛練(spritual practice)を見出すかについての)見事な(masterly)『禅とオートバイ修理技術(Zen and the Art of Motorcycle Maintenance)』<(注25)>のように、「甚だしく反直感的なこと」、を意味する万能修飾語句になったのだ。
(注24)日本の弓について論じている、元は独語の本であるところ、日本と米国での関心の高さの違いからか、邦語ウィキペディアはなく、英語ウィキペディアはある。
ちなみに、1948年に独語で出版され、1955年に英訳、1981年に邦訳、が出ている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Zen_in_the_Art_of_Archery
https://www.amazon.co.jp/%E5%BC%93%E3%81%A8%E7%A6%85-%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%AB/dp/4571300271
オイゲン・ヘリゲル(Eugen Herrigel。1884〜1955年)著。ヘリゲルは、ドイツの哲学者。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%AB
彼は、師範から「弓を引くためには身体の力を抜くことが必要だったが、放れのためには、精神の力も抜かないといけない。徹底的な無我<を、>・・・呼吸に意識を集中することで、外部からの刺激を感じなくなる。さらに、呼吸そのものも意識に囚われない状態に移行していく。そしてそこから精神を「飛躍」させることで、理想的な集中状態となる」、と教わったと記す。
http://numb86.hatenablog.com/entry/20150404/1428133284
元ドイツ弓術連盟会長フェリックス・ホフ(Feliks F. Hoff)は、よい射を日本語で「それです」と誉めるのを<、ヘリゲルが>ドイツ語: Esを主語にしたため意味が変わってしまったという説をとなえた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%AB 前掲
(注25)1974年出版。ロバート・パーシグ(Robert M. Pirsig)著。
https://en.wikipedia.org/wiki/Zen_and_the_Art_of_Motorcycle_Maintenance
「かつて大学講師であった著者は失われた記憶を求め、心を閉ざす息子とともに大陸横断の旅へと繰り出す。道中自らのために行なう思考の「講義」もまた、バイクの修理に端を発して、禅の教えからギリシャ哲学まであらゆる思想体系に挑みつつ、以前彼が探求していた“クオリティ”の核心へと近づいていく。だが辿り着いた記憶の深淵で彼を待っていたのはあまりにも残酷な真実だった...。」
https://books.google.co.jp/books/about/%E7%A6%85%E3%81%A8%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%90%E3%82%A4%E4%BF%AE%E7%90%86%E6%8A%80%E8%A1%93.html?id=YqeBQgAACAAJ&redir_esc=y&hl=ja
⇒ヘリゲルの方の話ですが、師範の阿波研造(1880〜1939年)は、「術(テクニック)としての弓を否定し、道(精神修養)としての弓を探求する宗教的な素養が強かった」とされ、現に、「大日本射道教(大射道教)を開き、自ら教主とな<った>」人物です。「射は術ではない。的中は我が心を射抜き、仏陀に到る」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E7%A0%94%E9%80%A0 (「」内等)
というのですから、念的瞑想を弓を借りて行うといった趣の、新しい仏教宗派を起こした、とは言えそうだけど、この「宗派」は、サマタ瞑想がウリの支那や日本の禅宗とは異なるし、もちろん、鎌倉仏教なる人間主義教の一宗派としての日本の禅宗とも異なる、と考えるべきでしょう。
ヘリゲルの、こんな、いささか厳しい言い方をすれば、勘違いに基づくズレまくり本が、米国で流布したことも、鈴木大拙があえて殆ど触れなかった瞑想(座禅)に、米国の一部知識人が、関心を、しかも、精神集中法としての功利的な関心を、抱くに至る要因の一つになったのではないでしょうか。(太田)
この第二の動きが、大真面目な座る諸レッスンの実践や一連の諸施設(institutions)・・その多分最も有名なのは、サンフランシスコ禅センターだろう・・<の設置>へと花開いた。
何世代も隔たっていたが、この二つの仏教的覚醒の深いところにある論理(grammer)は本質的に同じだった。
米国における仏教は、異国情緒的であると同時に親近感のあるものでもあった<という意味で・・>。
つまり、それは、米国的生活における物質主義から出で立たせるところの、東洋的な諸罠と諸儀典を多く持っているけれど、それは、とりわけ米国人的な、公的に生産的な精神的実践への希求、に訴えかけるものでもあったのだ。
米国の仏教は、博物館の諸コレクションや能の演目の諸翻訳や菜食諸レストランや哲学的な諸本や、パートタイマー仏教徒たるフィル・ジャクソン(Phil Jackson)<(注26)>の手にかかることによるところの、バスケットボールにおけるトライアングル・オフェンス(triangle offense)、を派生させた。」(D)
(注26)1945年〜。「<米>国のバスケットボール指導者・・・監督として11度の優勝はリーグ最多であり、70.7%(2010年時点)の通算勝率はリーグ歴代最高。禅導師を意味する「ゼン・マスター」というあだ名がある。・・・
禅<を>禅僧に師事して学び、自らも折を見つけては瞑想するだけでなくバスケットボールの指導にも採り入れている。・・・
選手時代の経験から、ジャクソンはチームの和を重視した指導を行う。これを具現化させたものが・・・トライアングル・オフェンス導入だった。頻繁にボールを回して攻撃を分散させるシステムにより、マイケル・ジョーダンやシャキール・オニール、コービー・ブライアントなど得点能力の高い選手の負荷を減らし、相手のディフェンスを分散させる効果をもたらしている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%83%B3
なお、彼の英語ウィキペディアには、禅僧に師事云々の話は登場しない一方で、『禅とオートバイ修理技術』が最も影響を受けた本であると自認している、とある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Phil_Jackson
(注27)「このシステムを考案したのは1950年代に<米>カンザス州立大のコーチをしていたテックス・ウインターである。・・・攻撃の時に3人の選手が三角形を作るように位置し、互いにボールをパスし合って攻撃のチャンスをうかがうという特徴がある。・・・
ウインターはこのシステムを使ってカンザス州立大を全米優勝に導いた。その成功によって彼はNBAのコーチとなったが、プロ選手に対してはあまり上手く機能せず、・・・ トライアングル・オフェンスは長く忘れられていたが、1987年に・・・ブルズのアシスタント・コーチに就任したフィル・ジャクソンが・・・<その時に、同じチーム>のアシスタント・コーチを務めていた<ウィンターが、かつて考案した、>このシステムに心酔し、ジャクソンがヘッドコーチに就任した1988年からシカゴ・ブルズで採用された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B9
⇒トライアングル・オフェンスのどこが「禅」的であるのか、今一つよく分かりませんが、チームワークを重視した、個人主義的ではないプレイ法であること、を指しているのでしょうね。(太田)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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