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太田述正コラム#9379(2017.10.4)
<アングロサクソンと仏教--米国篇(その21)>(2018.1.17公開)
「仏教は、幾連鎖もの強力な存在感を米国で周期的に示してきており、著者はその後をたゆまず追っているが、どうしてかかる種類の仏教がここにやってきて、それがどうして「本物」になったのかを示す、若干の諸連続性に光を照射してみよう。
最初に記すに値するところの、<米国における仏教の>出現は、19世紀末のニューイングランドにおいてだった。
そこでは、ヴァン・ウィック・ブルックス(Van Wyck Brooks)<(注18)>がずっと以前に示したように、ヘンリー・アダムス(Henry Adams)<(注19)>が「仏陀の諸地にとりわけ惹かれた」のだった。
(注18)1886〜1963年。米国の文芸評論家、伝記作家、歴史学者。ハーヴァード大卒。
https://en.wikipedia.org/wiki/Van_Wyck_Brooks
(注19)1838〜1918年。祖父も父も米大統領。ハーヴァード大卒、ベルリン大でも学ぶ。ハーヴァード大で中世欧州史と米国史の教鞭を執った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%BA
当時の、ニューイングランドにおけるもう一人の仏教徒<(仏教大好き人間)>は、ウィリアム・スタージス・ビゲロー(William Sturgis Bigelow)<(注20)>だった。
(注20)1850〜1926年。「<米国>の医師で日本美術の研究家、仏教研究家。」ハーヴァード大医学部卒。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%B2%E3%83%AD%E3%83%BC
彼は、ボストンに、約2万点の日本の美術諸作品を持ち帰っているが、ボストンでの臨終の時に、カトリック神父を呼んで自分の魂を消滅(annihilate)させるよう求めた。
(この神父は拒否したため、彼は落胆した。)
これらの米国の仏教徒達は、一つには、金ピカの時代の虚飾(ostentation)を拒絶し、彼らが既に知っていたもの・・ホイットマン(Whitman)<言うところ>の、変わりうる、かつ、多くのものを内包しうる、自身、に係るヴィジョン、或いは、ソロー(Thorea)の、競争的な人生からの世俗的な引退・・に似た諸関心事の一揃いを認識していたことから、東方世界に惹かれたのだった。
(ジョン・カバット・ジン(Jon Kabat-Zinn)<(注21)>の著しく成功を収めた瞑想指南書である『あなたがどこに行こうとあなたはそこにいる(Wherever You Go, There You Are)』には、アジアの諸標語(epigraphs)の代わりに、ソローの諸標語がちりばめられている。)
(注21)1944年〜。「マサチューセッツ大学医学大学院教授・同大マインドフルネスセンターの創設所長。国際観音禅院[(Kwan Um School of Zen)の崇山行願[(Seungsahn)]に禅を師事し、ケンブリッジ禅センターの創設メンバーとなった<人物>。・・・マサチューセッツ工科大学・・・で、分子生物学の博士号を取得し・・・1966年から禅・ヨーガを実践し、1979年に、インサイト瞑想センターでのヴィパッサナー<(念的)>瞑想の実践経験をきっかけに、マサチューセッツ大学にストレス低減センター(マインドフルネスセンター)を起ち上げ、同大医学部教授となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%B3
https://en.wikipedia.org/wiki/Kwan_Um_School_of_Zen ([]内)
崇山行願(1927〜2004年)は、現在の北朝鮮で生まれた、曹溪宗の大禅師(zen master)にして国際観音禅院の創設者。東国大学校で欧米哲学をまなんだが、中退して仏門に入り、厳しい修行をして悟ったとされる。日本で臨済禅(公案禅)を学ぶ。その後、渡米。亡くなったのはソウルにて。
https://en.wikipedia.org/wiki/Seungsahn
https://en.wikipedia.org/wiki/Jogye_Order
「曹渓宗<は、>・・・朝鮮<半島>の禅系仏教宗団。・・・韓国の仏教界最大の勢力を有<し、>・・・国家が認定している伝統的な寺院870ヶ所余りの90%以上が曹渓宗の寺院である。」不祥事と反日姿勢で「有名」。「日本の「禅(ぜん・Zen)」は間違いであり偽物、韓国仏教の「参禅(チャムソン・Thomson)」こそが本物であると<している>。」東国大学校はこの宗が設立。僧侶は不妻帯を守っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%B8%93%E5%AE%97
⇒皮肉交じりに直感的に申し上げれば、米国において、鈴木大拙が紹介した人間主義教たる日本の臨済禅なる良貨が、北伝仏教中の非人間主義派とでも形容すべき、曹渓宗、なる悪貨、によって駆逐されてしまったことによって、南伝仏教系の念的瞑想のみセラピー手法、が米国を席巻する、という、悲喜劇的素地が形成された、といったところですね。(太田)
ニューイングランドの最静寂な心の衝動、と、米国詩における汎神論的な心の衝動、の二つが邂逅し、仏教の教え(tradition)によって明媚なものになった、というわけだ。
(続く)
<アングロサクソンと仏教--米国篇(その21)>(2018.1.17公開)
「仏教は、幾連鎖もの強力な存在感を米国で周期的に示してきており、著者はその後をたゆまず追っているが、どうしてかかる種類の仏教がここにやってきて、それがどうして「本物」になったのかを示す、若干の諸連続性に光を照射してみよう。
最初に記すに値するところの、<米国における仏教の>出現は、19世紀末のニューイングランドにおいてだった。
そこでは、ヴァン・ウィック・ブルックス(Van Wyck Brooks)<(注18)>がずっと以前に示したように、ヘンリー・アダムス(Henry Adams)<(注19)>が「仏陀の諸地にとりわけ惹かれた」のだった。
(注18)1886〜1963年。米国の文芸評論家、伝記作家、歴史学者。ハーヴァード大卒。
https://en.wikipedia.org/wiki/Van_Wyck_Brooks
(注19)1838〜1918年。祖父も父も米大統領。ハーヴァード大卒、ベルリン大でも学ぶ。ハーヴァード大で中世欧州史と米国史の教鞭を執った。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%82%BA
当時の、ニューイングランドにおけるもう一人の仏教徒<(仏教大好き人間)>は、ウィリアム・スタージス・ビゲロー(William Sturgis Bigelow)<(注20)>だった。
(注20)1850〜1926年。「<米国>の医師で日本美術の研究家、仏教研究家。」ハーヴァード大医学部卒。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%B2%E3%83%AD%E3%83%BC
彼は、ボストンに、約2万点の日本の美術諸作品を持ち帰っているが、ボストンでの臨終の時に、カトリック神父を呼んで自分の魂を消滅(annihilate)させるよう求めた。
(この神父は拒否したため、彼は落胆した。)
これらの米国の仏教徒達は、一つには、金ピカの時代の虚飾(ostentation)を拒絶し、彼らが既に知っていたもの・・ホイットマン(Whitman)<言うところ>の、変わりうる、かつ、多くのものを内包しうる、自身、に係るヴィジョン、或いは、ソロー(Thorea)の、競争的な人生からの世俗的な引退・・に似た諸関心事の一揃いを認識していたことから、東方世界に惹かれたのだった。
(ジョン・カバット・ジン(Jon Kabat-Zinn)<(注21)>の著しく成功を収めた瞑想指南書である『あなたがどこに行こうとあなたはそこにいる(Wherever You Go, There You Are)』には、アジアの諸標語(epigraphs)の代わりに、ソローの諸標語がちりばめられている。)
(注21)1944年〜。「マサチューセッツ大学医学大学院教授・同大マインドフルネスセンターの創設所長。国際観音禅院[(Kwan Um School of Zen)の崇山行願[(Seungsahn)]に禅を師事し、ケンブリッジ禅センターの創設メンバーとなった<人物>。・・・マサチューセッツ工科大学・・・で、分子生物学の博士号を取得し・・・1966年から禅・ヨーガを実践し、1979年に、インサイト瞑想センターでのヴィパッサナー<(念的)>瞑想の実践経験をきっかけに、マサチューセッツ大学にストレス低減センター(マインドフルネスセンター)を起ち上げ、同大医学部教授となった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%B3
https://en.wikipedia.org/wiki/Kwan_Um_School_of_Zen ([]内)
崇山行願(1927〜2004年)は、現在の北朝鮮で生まれた、曹溪宗の大禅師(zen master)にして国際観音禅院の創設者。東国大学校で欧米哲学をまなんだが、中退して仏門に入り、厳しい修行をして悟ったとされる。日本で臨済禅(公案禅)を学ぶ。その後、渡米。亡くなったのはソウルにて。
https://en.wikipedia.org/wiki/Seungsahn
https://en.wikipedia.org/wiki/Jogye_Order
「曹渓宗<は、>・・・朝鮮<半島>の禅系仏教宗団。・・・韓国の仏教界最大の勢力を有<し、>・・・国家が認定している伝統的な寺院870ヶ所余りの90%以上が曹渓宗の寺院である。」不祥事と反日姿勢で「有名」。「日本の「禅(ぜん・Zen)」は間違いであり偽物、韓国仏教の「参禅(チャムソン・Thomson)」こそが本物であると<している>。」東国大学校はこの宗が設立。僧侶は不妻帯を守っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%B8%93%E5%AE%97
⇒皮肉交じりに直感的に申し上げれば、米国において、鈴木大拙が紹介した人間主義教たる日本の臨済禅なる良貨が、北伝仏教中の非人間主義派とでも形容すべき、曹渓宗、なる悪貨、によって駆逐されてしまったことによって、南伝仏教系の念的瞑想のみセラピー手法、が米国を席巻する、という、悲喜劇的素地が形成された、といったところですね。(太田)
ニューイングランドの最静寂な心の衝動、と、米国詩における汎神論的な心の衝動、の二つが邂逅し、仏教の教え(tradition)によって明媚なものになった、というわけだ。
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
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