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太田述正コラム#9347(2017.9.18)
<アングロサクソンと仏教--米国篇(その7)>(2018.1.1公開)
以下は、上述の私の説の傍証だ。
ジャータカの邦語ウィキペディアには載っていないが、英語ウィキペディアには、南伝仏教諸国では、ジャータカ物語群の中から、「十二姉妹(The Twelve Sisters)」と「須大拏太子(Vessantara Jataka)」が、現在でも、舞踊、劇、そして半公的朗誦が行われ続けている」
https://en.wikipedia.org/wiki/Jataka_tales ※
というが、前者はグリム的な残酷な童話という趣の物語である
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Twelve_Sisters
のに対して、後者は、国王が、自身の利他的欲求を満たすために、自国の民の願いに背いたかと思ったら、ついには、自分の二人の子供までバラモンにくれてしまう、という、利他の行き過ぎは利己に通じてしまうという印象を私は受ける物語だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Vessantara_Jataka
この二つとも、「舞踊、劇、そして半公的朗誦が行われて続けている」のは、カンボディア、ラオス、までであって、隣接する、北伝仏教のベトナムでは行われてこなかったことは示唆的だ。
支那に関しては、ネット上で、直ぐには目に付かなかったこともあり、触れないが、北伝仏教諸国の中で、(チベットという地域は別として、)現時点で最も仏教徒のシェアが大きいと思われる日本ではどうだっただろうか。
日本では、ネット上では、「十二姉妹」については、東南アジアで流布する仏教説話として取り上げられるだけ
https://www.cias.kyoto-u.ac.jp/~yama/film/event/20170527.12sisters.html
https://www.cias.kyoto-u.ac.jp/~yama/film/sea12sisters.html
であり、あたかも日本に伝わっていなかったかのような状況だし、「須大拏太子」については、※に、日本にもこのタイトルで伝わったという記述はあるものの、「十二姉妹」とは違って、説話の内容を説明したものすらネット上に見当たらない状況だ。
これは、この2つの物語のどちらも、人間主義とは無縁であって、仏教説話として相応しくない、との認識からだろう、というのが私の見立てだ。
その日本で、ジャータカに関連して最も有名なのが玉虫厨子だ。↓
「玉虫厨子<は、>・・・法隆寺が所蔵する飛鳥時代(7世紀)の仏教工芸品。・・・須弥座部は、正面に「舎利供養図」、向かって左側面に<出典は『涅槃経』の>「「施身聞偈図」(せしんもんげず)、右側面に<出典は『金光明経』の>「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)、背面に「須弥山世界図」を描く。・・・須弥座の絵画のうち「捨身飼虎図」と「施身聞偈図」はジャータカ、つまり釈迦の前世の物語である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E8%99%AB%E5%8E%A8%E5%AD%90
「<「舎利供養図」には、>釈迦の遺骨を塔に納めて供養する僧侶の姿が描かれている。
<「施身聞偈図」には、>雪山童子(釈迦が前生で雪山にて菩薩として修行していた時の呼称)が羅刹(鬼)の唱えている偈(仏の教え) を聞きつけ、続きの偈を得るため自らが羅刹の餌食となることを約束し残りの偈を得る。 そして得た教えを後生のために岩盤に書き写し、崖から身を投げ出したところ、羅刹が帝釈天(仏法守護の主神) に姿を変え落下する雪山童子を両手で受け止め童子の修行に対する真剣さを試したという物語が段階的に描かれ ている。
<「捨身飼虎図」には>飢えた母虎と七匹の子虎を哀れに思い、虎の餌食となるため高台から我が身を捧げ投げる釈迦の前世の姿が段階的に描かれている。
<「須弥山世界図」は、>仏教世界の中心である海上に茸状に伸びた須弥山を表現した図。山の頂上に聳えるのが帝釈天が住む喜見城で、中腹には部下である四天王の住む4つの楼閣が東西南北に 聳える。下部中央には竜宮城があり中央には釈迦、その両脇には菩薩のような人物がみられ、釈迦が説法する様子 が描かれている。須弥山山腹には双竜が取り巻き須弥山を守護している。」
http://www.nakada-net.jp/chanoyu/tamamushi/pictures.html
私の言葉に置き換えてコメントすれば、「舎利供養図」は釈迦への追慕、「須弥山世界図」は釈迦の偉大さ、をそれぞれ示しているところ、「捨身飼虎図」は人間主義を実践することそれ自体の意義を訴えたもの、であるのに対し、「施身聞偈図」は人間主義者になる方法は人間主義的実践を行うことであると教え諭したたもの、だ
日本人の大部分は、日本の始まり(縄文時代)以来、人間主義者であったことから、いわば、人間主義教へと変貌した仏教である、北伝仏教、の何たるかを、玉虫厨子が象徴しているように、最も的確に理解し・・チベット仏教のことはここでは立ち入らない・・、その結果、北伝仏教が、最も、深く、広く根付くことになった、といったところか。
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(続く)
<アングロサクソンと仏教--米国篇(その7)>(2018.1.1公開)
以下は、上述の私の説の傍証だ。
ジャータカの邦語ウィキペディアには載っていないが、英語ウィキペディアには、南伝仏教諸国では、ジャータカ物語群の中から、「十二姉妹(The Twelve Sisters)」と「須大拏太子(Vessantara Jataka)」が、現在でも、舞踊、劇、そして半公的朗誦が行われ続けている」
https://en.wikipedia.org/wiki/Jataka_tales ※
というが、前者はグリム的な残酷な童話という趣の物語である
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Twelve_Sisters
のに対して、後者は、国王が、自身の利他的欲求を満たすために、自国の民の願いに背いたかと思ったら、ついには、自分の二人の子供までバラモンにくれてしまう、という、利他の行き過ぎは利己に通じてしまうという印象を私は受ける物語だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Vessantara_Jataka
この二つとも、「舞踊、劇、そして半公的朗誦が行われて続けている」のは、カンボディア、ラオス、までであって、隣接する、北伝仏教のベトナムでは行われてこなかったことは示唆的だ。
支那に関しては、ネット上で、直ぐには目に付かなかったこともあり、触れないが、北伝仏教諸国の中で、(チベットという地域は別として、)現時点で最も仏教徒のシェアが大きいと思われる日本ではどうだっただろうか。
日本では、ネット上では、「十二姉妹」については、東南アジアで流布する仏教説話として取り上げられるだけ
https://www.cias.kyoto-u.ac.jp/~yama/film/event/20170527.12sisters.html
https://www.cias.kyoto-u.ac.jp/~yama/film/sea12sisters.html
であり、あたかも日本に伝わっていなかったかのような状況だし、「須大拏太子」については、※に、日本にもこのタイトルで伝わったという記述はあるものの、「十二姉妹」とは違って、説話の内容を説明したものすらネット上に見当たらない状況だ。
これは、この2つの物語のどちらも、人間主義とは無縁であって、仏教説話として相応しくない、との認識からだろう、というのが私の見立てだ。
その日本で、ジャータカに関連して最も有名なのが玉虫厨子だ。↓
「玉虫厨子<は、>・・・法隆寺が所蔵する飛鳥時代(7世紀)の仏教工芸品。・・・須弥座部は、正面に「舎利供養図」、向かって左側面に<出典は『涅槃経』の>「「施身聞偈図」(せしんもんげず)、右側面に<出典は『金光明経』の>「捨身飼虎図」(しゃしんしこず)、背面に「須弥山世界図」を描く。・・・須弥座の絵画のうち「捨身飼虎図」と「施身聞偈図」はジャータカ、つまり釈迦の前世の物語である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%89%E8%99%AB%E5%8E%A8%E5%AD%90
「<「舎利供養図」には、>釈迦の遺骨を塔に納めて供養する僧侶の姿が描かれている。
<「施身聞偈図」には、>雪山童子(釈迦が前生で雪山にて菩薩として修行していた時の呼称)が羅刹(鬼)の唱えている偈(仏の教え) を聞きつけ、続きの偈を得るため自らが羅刹の餌食となることを約束し残りの偈を得る。 そして得た教えを後生のために岩盤に書き写し、崖から身を投げ出したところ、羅刹が帝釈天(仏法守護の主神) に姿を変え落下する雪山童子を両手で受け止め童子の修行に対する真剣さを試したという物語が段階的に描かれ ている。
<「捨身飼虎図」には>飢えた母虎と七匹の子虎を哀れに思い、虎の餌食となるため高台から我が身を捧げ投げる釈迦の前世の姿が段階的に描かれている。
<「須弥山世界図」は、>仏教世界の中心である海上に茸状に伸びた須弥山を表現した図。山の頂上に聳えるのが帝釈天が住む喜見城で、中腹には部下である四天王の住む4つの楼閣が東西南北に 聳える。下部中央には竜宮城があり中央には釈迦、その両脇には菩薩のような人物がみられ、釈迦が説法する様子 が描かれている。須弥山山腹には双竜が取り巻き須弥山を守護している。」
http://www.nakada-net.jp/chanoyu/tamamushi/pictures.html
私の言葉に置き換えてコメントすれば、「舎利供養図」は釈迦への追慕、「須弥山世界図」は釈迦の偉大さ、をそれぞれ示しているところ、「捨身飼虎図」は人間主義を実践することそれ自体の意義を訴えたもの、であるのに対し、「施身聞偈図」は人間主義者になる方法は人間主義的実践を行うことであると教え諭したたもの、だ
日本人の大部分は、日本の始まり(縄文時代)以来、人間主義者であったことから、いわば、人間主義教へと変貌した仏教である、北伝仏教、の何たるかを、玉虫厨子が象徴しているように、最も的確に理解し・・チベット仏教のことはここでは立ち入らない・・、その結果、北伝仏教が、最も、深く、広く根付くことになった、といったところか。
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(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/