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太田述正コラム#9275(2017.8.13)
<イギリス論再び(その3)>(2017.11.26公開)

 (2)解答の模索

 ・概括

 「シェークスピアにとっては、<人それぞれの>性格が<人々の>運命だった。
 <それに対し>著者にとっては、地理が運命だったのだ。
 地理でもって、我々が、イギリスの、地質、気候、植生、そして周辺の諸海、だけでなく、これらの天然諸資源を、何世紀にもわたって、自分達にとって都合よくもぎ取ってきたところの、何千もの才略に富んだ個人達の決意をも意味するとすれば、だが・・。
 例えば、エヘン、狼達を絶滅に至らしめるまで狩猟する<(後出)>、とか・・。・・・
文学的でかつおしゃべりな諸階級は、遅まきながら、いかなる生来のへそまがり性を有する層が、イギリスをしてEUを拒絶するよう促したのかを分析しようとして、「イギリス人とはいかなるものか」、についての諸本の出版が急増している。・・・
 著者は、イギリス性が、累次侵入してきた<人々の>諸影響の雑種的合計である、とのお馴染みの観念を拒絶する。
 <彼は、>何世紀にもわたる、移民の影響を否定するわけではないのだが、全ての移民諸コミュニティが、2〜3世代以内に、その諸心や諸行動が原住民化する、と主張する。
 彼らは、<あたかも>特権が付与されている<かのような>(sceptred)<ブリテン>諸島の地理によって、この地に何世代もわたっていた、諸家族、<の諸心や諸行動>と同じ<諸心を持ち、諸行動をとるよう>になるのだ、と。
 しかし、彼は、我々がまさに島国であったことが我々を一つの民族として形成した、との観念も重視することはない。
 我々の地理は、我々の運命(destiny)を規定(define)するかもしれないが、イギリス人は、茶、コーヒー、砂糖、そして、チョコレート、更に、阿片は言うまでもないが、ここで我々が育てることができないであろう諸物に対する矛盾する強い嗜好を長く持ち続けてきた<からだ>、と彼は記す。」(B)

 「この本の中で、著者は、イギリスのアイデンティティは、数百年にわたって進化を遂げてきた、と主張する。
 <この進化に>影響を与えた諸要素には、諸季節の変遷、農業革命及び産業革命、そしてもちろん、移民、がある。
 この国の最も有名なエンジニアであるイサムバード・キングダム・ブルネル(Isambard Kingdom Brunel)<(コラム#198)>は、フランス人難民の息子だった。
 <また、>オランダの織工達はイギリスの諸醸造所にホップ(hops)<(注5)>を紹介した。

 (注5)「紀元前6世紀頃には、メソポタミア地方の新バビロニア王国やカフカス山脈付近のカフカス民族がビールに野生ホップを使用していたようである。・・・8世紀になるとドイツでホップの使用・栽培が始まり、次第に<欧州>各地に普及した。12世紀にはホップがビールの味付けに使われ始めた。・・・オランダでは14世紀から・・・ビール作りに用いられ、16世紀になってオランダから亡命した新教徒たちがイギリスに伝えた。それ以前は、モルトなどの苦みを持つハーブが用いられていたが、これらはエールと呼ばれ、ホップを用いたものだけがビールと呼ばれるようになった。・・・ドイツでは、1516年バイエルン公ヴィルヘルム4世により、ビール純粋令(「ビールは大麦、ホップ、水のみを原料とすべし」)が定められた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%83%E3%83%97

 <そして、>リンカン大聖堂(Lincoln Cathedral)<(注6)建設工事>には、オランダ、フランス、ドイツ、及びイタリアの熟練職人達がやってきた。

 (注6)「<イギリス>東部リンカンシャー州のリンカンにある大聖堂・・・1072年、ウィリアム1世の命令により建設が始まり、1095年に最初の聖堂が完成したが、その建物の多くは、火事や地震で崩れてしまった。しかし、1185年の地震を機に大幅に建て直され、現在のような形になっていった。中央の塔は1311年に完成した。完成当時は現存する塔の上に尖塔が載っており、なかでも中央塔はそれを含めると160mの高さがあり、当時のリンカン大聖堂はギザの大ピラミッドを抜き世界で最も高い建築物であった。しかし、尖塔は1549年の嵐で吹き飛ばされたため、現存しない。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%B3%E5%A4%A7%E8%81%96%E5%A0%82

 それでも、イギリスのナショナリズムの特定のブランドは、常に、外国人達を経済的侵攻者達と見なしてきた。
 <実際、例えば、>この国の羊毛貿易は、かつて、トスカーナ(Tuscan)<(注7)>の商人達が支配していた<、といったことがあった>。

 (注7)「トスカーナ州<は>・・・イタリア・ルネッサンスの中心地となったフィレンツェをはじめ、ピサ、シエーナなど多くの古都を擁している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8A%E5%B7%9E

 何世紀も後、シンシア・ハーネット(Cynthia Harnett)<(注8)>の中世を舞台にした児童小説である『羊毛の梱(Wool-Pack)』(1951年)では、彼らを脅威(menace)と性格付けたものだ。
 「彼らは、田舎を馬で闊歩し、誠実な人々の諸手から商売を奪った」、と。」(C)

 (注8)1893〜1981年。「英国の児童歴史小説家,挿絵画家。確かな時代考証に基づいた風俗描写の小説家。田舎の生活を詳細に描いた絵本をはじめ、歴史に埋もれた普通の人々の普通の生活を語り描いた。」
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%82%A2+%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88-1628452
 ロンドン芸術大学(University of the Arts London)隷下のチェルシー芸術カレッジ(Chelsea College of Arts)卒。
https://en.wikipedia.org/wiki/Cynthia_Harnett
https://en.wikipedia.org/wiki/Chelsea_College_of_Arts

(続く)

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