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太田述正コラム#9179(2017.6.26)
<改めて米独立革命について(第II部)(その5)>(2017.10.10公開)

 (2)背景

 「結局のところ、英国が植民地諸問題への関与を一挙に増やし、英国の国家債務を倍近くに増やしたのは、フランス、スペイン、及びアメリカ原住民達、が関与したところの、7年戦争だった。
 ところが、植民地人達は、大英帝国に対し、直接的には、一人当たり1シリング(shilling)しか支払っていなかったというのに、イギリスでは一人当たり26シリングも支払っていたのだ。
 これが部分的には植民地人達のために戦われた戦争であったことから、英国人達は、こんなことは変えなければならない、と執拗に主張した。
 植民地の指導者達は、指導者達で、自分達自身を、議会のではなく、国王の臣民達と見るようになりつつあった。

⇒太田コラムの昔からの読者諸氏にとっては、英国(イギリス)が「議会主権国/King in Parliament」であることから、これは、即、英国の全面否定を意味することがお分かりだと思います。(太田)

 印紙法(Stamp Tax)は、英国人達の妥協の試みであり、<英領北米植民地人達の負担を>英国人達が支払っていた額の3分の2<に引き上げるのにとどめること>にした。
 <これへの>反応は爆発的であり、自分達自身を「自由の息子達」<(前出)>と呼んだ諸集団は、これに対してボイコット運動を実施したが、それは、しばしば、従わない者達に対する、侵襲的で抑圧的な諸措置を伴った。
 その後、この紛争は、どんどん、より小汚く、より破壊的なものに堕して行った。」(e)

 「既に、進歩主義時代(Progressive Era)<(注5)>に、歴史学者達は、英国に対する建国の父たちの戦争は、高尚な民主主義的諸理想のために行われたのではなく、彼ら自身の物質的諸利害に合致すべく行われた、と主張したものだ。

 (注5)「<米国の>1890年代から1920年代にかけて、社会と政治の改革が著しく進んだ時代である。進歩主義運動の主たる目的の1つは政府の浄化であり、政治を蝕んでいた政治マシーンとボスの内情を暴露し、その力を弱めることで政府内の腐敗を取り去ろうとした。進歩主義者の全員ではないがその多くは、酒場を基盤とする地方ボスの政治力を殺ぐために禁酒法を支持した。これと同時に「より純粋な」女性の票を政治に取り込むために女性参政権の承認取得を推進した。運動の2つめの目的は、近代化を必要とする古いやり方を特定し、科学的、医学的かつ工学的な解決策を強調することで、あらゆる分野における効率化を成し遂げることだった。・・・1914年の連邦準備制度<もその一環だった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B2%E6%AD%A9%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E6%99%82%E4%BB%A3_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD)
 但し、連邦準備制度の邦語ウィキペディアには、進歩主義時代への言及はない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A3%E9%82%A6%E6%BA%96%E5%82%99%E5%88%B6%E5%BA%A6

⇒本筋ではありませんが、そもそも、(米憲法改正を伴った)禁酒法の導入などトンデモない話ですし、進歩主義の時代を代表する政治家として、共和党からはセオドア・ローズベルト、民主党からはウッドロー・ウィルソンが挙げられています(進歩主義時代の邦語ウィキペディア前景)が、この2人はいずれ劣らぬ醜悪な人種主義者であり、それだけで、どこが「進歩」主義なのか、と言いたくなります。
 (本来、英語ウィキペディアまで手を広げてみたかったところですが・・。)(太田)

 この数十年においては、学術的歴史学者達は、女性達、黒人達、そしてアメリカ原住民達が、独立戦争で演じた役割と共に、この独立革命がほんの一部であったところの、より大きな帝国間諸闘争、を暴露してきた。
 この本の中で、著者は、この、より最近の学術的成果を綜合しているが、それを明敏に、建国の父達が、民衆の怒りを自分達自身の諸目論見のために操った手口についての、進歩主義の時代の主張と結合している。
 瞠目すべき明晰さと手練れでもって書かれたところの、この本は、この時代についての将来の全ての諸歴史書が比較されるべき、卓越した範例になることだろう。

(続く)

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