太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/
太田述正コラム#9071(2017.5.3)
<ナチが模範と仰いだ米国(その16)>(2017.8.17公開)
「<戦間期のナチスドイツと米国南部との>このような物の考え方(thinking)の悪しき合流の本質は、1930年代の10年間にナチスドイツと米国南部の双方が感染していた、著者が呼ぶところの、「人種狂気」なのだ。
⇒著者が、南部に限らない、と何度も言っているのに、米国「南部」とするところに、この書評子の、米国側の状況を矮小化したい、しよう、という魂胆が透けて見えます。(太田)
この10年間において、この二つの場所は、2人の米南部の歴史学者達の諸言葉によれば、「鏡像」のような外見がしたのだ、と著者は記す。
これらは、二つの悪びれることなき人種主義体制であり、<どちらも、>容赦なさにおいて比類がなかった。
1930年代初にドイツのユダヤ人達は、群衆や国のどちらによっても同じように、追い立てられ、打擲され、そして、時には殺害された。
同じ年々に、米国南部の黒人達は、追い立てられ、打擲され、そして、時には殺害された。・・・
1930年代におけるこの両国の諸相似性(parallels)から、著者の報じるところによれば、ナチスドイツの若干の評論家達「は、共有しているところの、白人至上主義へのコミットメントに立脚して、米国に「友好の手を差し伸べる」ことができるのではないか、という点でとりわけ期待をしていた」のだ。
もちろん、結果的には、米国が、同国が武装するのを助けたところの、同盟諸国と共に、地球の表面からナチズムを拭い去ることに成功したことで、これらの<ナチ側の>諸幻想の全ては無に帰したわけだ。
<しかし、>米国とナチとの著者の言う共通性の図柄と全く一致しない<、このような>歴史的帰結をどう説明(square)するのか?
彼がこの疑問に答えようとしないどころか、考慮する仕草さえ見せないことは、彼の主張のお粗末な(rickety)質を示唆している。・・・
彼は、1934年の時点で凍結された本・・ホロコーストにはついでにしか言及しないにもかかわらず、ナチのユダヤ人達の取り扱いに関するものであると称する本・・を生み出したのだ。・・・
・・・著者は、自信ありげに、しかし誤りであるところの、肩透かしを食らわせ、「ユダヤ人達の絶滅がナチ達の当初の狙いではなかったことを強調することが大事」なのであって、彼らは強制的移住しか心に描いてはいなかった、と主張する。・・・
<しかし、>要するに、ヒットラーのヴィジョンにとって、ドイツからのユダヤ人達の移住で充分であった、という風には到底見えない。・・・
⇒このくだりについて、この書評子は根拠を挙げていません。
そもそも、ヒットラー自身は、本当は反ユダヤ主義者ですらなかった(コラム#省略)のですから、彼がユダヤ人達の絶滅を期していた可能性を裏付ける根拠などあるはずがないのです。(太田)
<そもそも、>著者は、「ナチズムの起源(genesis)」についても、我々に何も語ってくれていないし、また、「人種主義の世界史」についても我々に何も語っていない。・・・
⇒世界史上、法で公認された人種主義は、基本的にナチスドイツと米国にしか存在しなかった、ということを著者は論じているのであり、話を拡散させてはいけません。(太田)
米国の黒人達が被った差別と迫害はひどかったし恥ずべきことだが、それを、欧州によるアフリカとアジアの多くの部分の隷属化、トルコ人達によるアルメニア人達の大量殺害、日本による南京大虐殺と支那人達数百万人の殺害、ファシストのイタリアによるアビシニア人達の扱い、ソ連当局による小さな民族諸集団全員の容赦なき隷属化とその後の諸民族全体の域外追放(deportation)、地球の様々な辺鄙な諸場所での諸部族間、諸民族間、諸宗教間、の血腥い諸紛争、との比較でどう秤量するのか?
⇒ここでも、この書評子は、著者が指摘しているところの、米国における有色人達全体に対する差別と迫害を黒人達に対するものだけに矮小化しているところ、それは、対象別に、A:先住民たるインディアン達、B:奴隷であった黒人達、C:移住者であるその他の有色人達、に分け、かつまた、BとCに関しては、戦時と平時に分け、て論じられるべきでしょう。
「日本・・・諸紛争」については、いちいちコメントをしていたらいくら字数を費やしても足らないので止めることにしますが、とにかく、みそもくそも一緒にするな、と、この書評子を叱り飛ばしたい心境です。(太田)
世界中における、一つの集団による他の集団の虐めの多くは、法に訴えることなく、或いは、しばしば法に訴えることなく、遂行された。
⇒古今東西、それがいけないことだという認識が通常あるからこそ、法で公認するわけにはいかなかった、ということなのであって、ナチスドイツと米国は極めて稀な例外である異常な存在なのです。(太田)
ナチの法律家達が米国の法を見やったことに関しては、それは、単に、法律家達が諸法を探したからだ、ということではないのか。
(続く)
<ナチが模範と仰いだ米国(その16)>(2017.8.17公開)
「<戦間期のナチスドイツと米国南部との>このような物の考え方(thinking)の悪しき合流の本質は、1930年代の10年間にナチスドイツと米国南部の双方が感染していた、著者が呼ぶところの、「人種狂気」なのだ。
⇒著者が、南部に限らない、と何度も言っているのに、米国「南部」とするところに、この書評子の、米国側の状況を矮小化したい、しよう、という魂胆が透けて見えます。(太田)
この10年間において、この二つの場所は、2人の米南部の歴史学者達の諸言葉によれば、「鏡像」のような外見がしたのだ、と著者は記す。
これらは、二つの悪びれることなき人種主義体制であり、<どちらも、>容赦なさにおいて比類がなかった。
1930年代初にドイツのユダヤ人達は、群衆や国のどちらによっても同じように、追い立てられ、打擲され、そして、時には殺害された。
同じ年々に、米国南部の黒人達は、追い立てられ、打擲され、そして、時には殺害された。・・・
1930年代におけるこの両国の諸相似性(parallels)から、著者の報じるところによれば、ナチスドイツの若干の評論家達「は、共有しているところの、白人至上主義へのコミットメントに立脚して、米国に「友好の手を差し伸べる」ことができるのではないか、という点でとりわけ期待をしていた」のだ。
もちろん、結果的には、米国が、同国が武装するのを助けたところの、同盟諸国と共に、地球の表面からナチズムを拭い去ることに成功したことで、これらの<ナチ側の>諸幻想の全ては無に帰したわけだ。
<しかし、>米国とナチとの著者の言う共通性の図柄と全く一致しない<、このような>歴史的帰結をどう説明(square)するのか?
彼がこの疑問に答えようとしないどころか、考慮する仕草さえ見せないことは、彼の主張のお粗末な(rickety)質を示唆している。・・・
彼は、1934年の時点で凍結された本・・ホロコーストにはついでにしか言及しないにもかかわらず、ナチのユダヤ人達の取り扱いに関するものであると称する本・・を生み出したのだ。・・・
・・・著者は、自信ありげに、しかし誤りであるところの、肩透かしを食らわせ、「ユダヤ人達の絶滅がナチ達の当初の狙いではなかったことを強調することが大事」なのであって、彼らは強制的移住しか心に描いてはいなかった、と主張する。・・・
<しかし、>要するに、ヒットラーのヴィジョンにとって、ドイツからのユダヤ人達の移住で充分であった、という風には到底見えない。・・・
⇒このくだりについて、この書評子は根拠を挙げていません。
そもそも、ヒットラー自身は、本当は反ユダヤ主義者ですらなかった(コラム#省略)のですから、彼がユダヤ人達の絶滅を期していた可能性を裏付ける根拠などあるはずがないのです。(太田)
<そもそも、>著者は、「ナチズムの起源(genesis)」についても、我々に何も語ってくれていないし、また、「人種主義の世界史」についても我々に何も語っていない。・・・
⇒世界史上、法で公認された人種主義は、基本的にナチスドイツと米国にしか存在しなかった、ということを著者は論じているのであり、話を拡散させてはいけません。(太田)
米国の黒人達が被った差別と迫害はひどかったし恥ずべきことだが、それを、欧州によるアフリカとアジアの多くの部分の隷属化、トルコ人達によるアルメニア人達の大量殺害、日本による南京大虐殺と支那人達数百万人の殺害、ファシストのイタリアによるアビシニア人達の扱い、ソ連当局による小さな民族諸集団全員の容赦なき隷属化とその後の諸民族全体の域外追放(deportation)、地球の様々な辺鄙な諸場所での諸部族間、諸民族間、諸宗教間、の血腥い諸紛争、との比較でどう秤量するのか?
⇒ここでも、この書評子は、著者が指摘しているところの、米国における有色人達全体に対する差別と迫害を黒人達に対するものだけに矮小化しているところ、それは、対象別に、A:先住民たるインディアン達、B:奴隷であった黒人達、C:移住者であるその他の有色人達、に分け、かつまた、BとCに関しては、戦時と平時に分け、て論じられるべきでしょう。
「日本・・・諸紛争」については、いちいちコメントをしていたらいくら字数を費やしても足らないので止めることにしますが、とにかく、みそもくそも一緒にするな、と、この書評子を叱り飛ばしたい心境です。(太田)
世界中における、一つの集団による他の集団の虐めの多くは、法に訴えることなく、或いは、しばしば法に訴えることなく、遂行された。
⇒古今東西、それがいけないことだという認識が通常あるからこそ、法で公認するわけにはいかなかった、ということなのであって、ナチスドイツと米国は極めて稀な例外である異常な存在なのです。(太田)
ナチの法律家達が米国の法を見やったことに関しては、それは、単に、法律家達が諸法を探したからだ、ということではないのか。
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/