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太田述正コラム#8977(2017.3.17)
<再び英国のインド亜大陸統治について(その4)>(2017.7.1公開)

 (6)統治手法

  ア 立法

 「タルールは、英国が、インド亜大陸を1947年に機能している民主主義を<少なくとも分割された一方のインドに(太田)>残したとの自慢話についても、これを破壊する。
 彼は、植民地になる前における村の自治・・ジョン・ウィルソンの柔らかい用語では「小さな社会群からなる社会」・・が理想的なものであったことを誇張しているきらいがあるけれど、「彼らの繁栄は我らの力であり、彼らの満足は我らの安全保障であり、彼らの感謝は我らにとっての最上の褒賞(reward)、である」、とのヴィクトリア女王による1858年の宣言の空虚さを暴露している。

  イ 行政

 インド帝国官僚(Indian civil service)<(コラム#26、893、4677、4685、4866、5056、5300、5302、5690、7159、7660.8607)>という憧れの諸職位に係るインド亜大陸人達の占める割合は、1930年の時点に至ってさえ、4%に過ぎなかった。
 ナショナリストたる指導者のジャワハルラル・ネール(Jawaharlal Nehru)は、インド帝国官僚制を却下して、それが「インド亜大陸的でも、親切でも、役務提供機関でもない(neither Indian, nor civil, nor a service)」という言葉を<歴史に>刻んだ。
 1890年時点では、約6,000人の英国人官吏達が2億5,000万人のインド亜大陸人達を統治していたが、「敗者の側も、臆病さ、貪欲、機会主義、そして、組織的抵抗の欠如、があった。」・・・

  ウ 司法

 ・・・人種主義は、刑事法にも反映されていた。
 すなわち、「英国のヴィクトリア時代人達がそれを導入するまでは、インド亜大陸の文化と慣行の中で同性愛に対する禁忌が存在したことはなかった」、と。」(B)

 「英国による統治の2世紀間全体で、イギリス人達がインド亜大陸人達を殺害して処刑されたのは4人に過ぎなかったのに対し、英国人の諸仕業による何千人もの諸殺害は処罰されることがなかった。」(A)

  エ その他

 「そして、これは枢要なことなのだが、英国は、「カースト制度の邪悪性を、より強固にし恒久化するのを助けた」のであり、かつてそうであったよりも、それを、より画一的にして広範なものへと確立したのだ。
 宗教は分割して統治するための有用な諸手段になった。
 そうして、二民族理論(two-nation theory)が醸成され、最終的に、この国が分割されることを不可避にした。

⇒概ねその通りですが、「不可避にした」とまでは私は思いません。
 日本が編成したインド国民軍に関して、ヒンドゥー教徒(やシーク教徒)とイスラム教徒との対立についての具体的記述を目にしたことがないからです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%9B%BD%E6%B0%91%E8%BB%8D
 唯一、「インド国民軍にしてからが、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立という問題を抱えていた。」(林信吾・清谷信一『真大東亜戦争15』)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%9B%BD%E6%B0%91%E8%BB%8D
という記述を「発見」したけれど、具体的記述がないばかりか、この部分に典拠も付されていません。
 インパール作戦に勝利し、インド国民軍と共に日本軍がインド亜大陸の英軍を駆逐できておれば、或いは逆に、日本がインド国民軍を編成せず、インパール作戦も発動しない形で先の大戦に敗れておれば、前者では現実の歴史同様、早期に、しかしインド亜大陸は分割されない形で、独立していたことでしょうし、後者ではインド亜大陸の独立は大幅に遅れたでしょうが、チャンドラ・ボースさえドイツで生き残り、帰還できないまでも国外から影響力を行使できておれば、やはり、分割されない形で独立していた可能性がある、と私は想像しています。(太田)

 その結果、<分割時に>100万人が殺され、1700万人が故郷を追われたのだ。・・・
 インド亜大陸の諸新聞もまた食い殺された。
 1875年には、推定で、その大部分がインド亜大陸人達によって所有され編集されていたところの、計475紙が存在していたが、厳しい諸規制がその諸運用や編集者達に対してかけられていた。」(B)

(続く)

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