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太田述正コラム#8891(2017.2.2)
<米帝国主義の生誕(続)(その2)>(2017.5.19公開)
2 米帝国主義の生誕(続)
(1)序
「・・・著者の辛辣なる新しい本である<、この>『本当の旗』は、スペイン帝国の種々の諸部分における容易なる諸勝利の連鎖により、キューバ、プエルトリコ、グアム、及び、フィリピン、を、米国が保持する結果となったところ、その次に何が起こったか、を扱っている。
問題は、これらの広範囲にわたる諸島をどうするかだった。
著者は、それは、「米国が建国された時期」以来、見たことのない類の議論を引き起こした、と主張する。・・・」(A)
「米国が孤立主義から外国介入主義に変わったのは、しばしば第二次世界大戦のせいにされるが、<実は、>それは、米西戦争とそれがもたらした米国によるフィリピンの征服の結果だった。
これが、・・・この本の中での著者のテーマだ。
1898年以来の全ての外交に係る諸議論は、この時代の諸テーマの木霊である、と著者は主張する。
「かくも才気ある(brilliant)米国人達が、かくも流暢に、全人類ににとって意味のあるものに満ちている問題について議論をしたのは、それより前には、米国が建国した時期だけだ」、と。・・・」(B)
⇒徐々にお分かりになるように、著者は、(その批判の妥当性はともかくとして、)米帝国主義を批判的に見ているのですが、米帝国主義是認派と反対派の旗手達をおしなべて「才気ある」・・brilliantの意味はかなり華々しいものであることに注意・・と形容したり、建国時と帝国主義生誕時の議論を夜郎自大的に「全人類にとって意味のある」云々と書いたりするところに、著者自身の米帝国主義性、が言い過ぎなら、少なくとも、米国の例外主義信奉性、が表れており、苦笑せざるをえません。(太田)
「・・・著者の例証的な新しい歴史書であるこの本は、読者を、20世紀になったばかりの、海外帝国の最初の諸行為が議論され行為に移された時、へと連れ戻す。・・・
・・・彼が焦点を合わせるのは、1898年から1901年にかけての、海外諸領域に係る諸議論が、スペイン帝国のキューバ、グアム、プエルトリコ、フィリピン、そして、当時は主権国家であったハワイ、に焦点を合わせていたところの、旋回的年々だ。・・・」(C)
⇒(中米のキューバ、プエルトリコはさて置き、)グアム、フィリピン、ハワイ、という、太平洋地域に領土を得たこと、とりわけ、フィリピン領有が、日米戦争の遠因となり、その戦争での「勝利」の結果、米国が、日本の「姦計」もあって、(戦後のフィリピンの独立にも関わらず、)西太平洋でのプレゼンスを維持することを余儀なくされ、ちっぽけとはいえ、グアム、ハワイ、の引き続きの領有とも相俟って、米国にとって、太平洋全域から引くに引けない状態になってしまっている点が、太平洋地域が、いつでも完全に引くことができる欧州・大西洋地域と比較して決定的に異なる、そして、それは、米国が、完全な孤立主義には戻りえないことを意味する、ということを改めて痛感します。(太田)
「・・・19世紀の最後の年々、米国は、全球に及ぶ影響力、外国の諸市場、世界大の道徳的権威、を求めてガツガツしており、この若い国はその歴史の中で最も運命的なもののうちの一つである諸議論を開始した。・・・」(D)
⇒米国とは、生来的に煩悩の塊のごとき存在である、という感を深くします。
そのことによって、日本を含む世界が、恐るべき被害を被ったわけですが、そういう自覚すらいまだに殆どない米国民達に対しては、苦笑するとともに、憐憫の情すら覚えます。(太田)
(続く)
<米帝国主義の生誕(続)(その2)>(2017.5.19公開)
2 米帝国主義の生誕(続)
(1)序
「・・・著者の辛辣なる新しい本である<、この>『本当の旗』は、スペイン帝国の種々の諸部分における容易なる諸勝利の連鎖により、キューバ、プエルトリコ、グアム、及び、フィリピン、を、米国が保持する結果となったところ、その次に何が起こったか、を扱っている。
問題は、これらの広範囲にわたる諸島をどうするかだった。
著者は、それは、「米国が建国された時期」以来、見たことのない類の議論を引き起こした、と主張する。・・・」(A)
「米国が孤立主義から外国介入主義に変わったのは、しばしば第二次世界大戦のせいにされるが、<実は、>それは、米西戦争とそれがもたらした米国によるフィリピンの征服の結果だった。
これが、・・・この本の中での著者のテーマだ。
1898年以来の全ての外交に係る諸議論は、この時代の諸テーマの木霊である、と著者は主張する。
「かくも才気ある(brilliant)米国人達が、かくも流暢に、全人類ににとって意味のあるものに満ちている問題について議論をしたのは、それより前には、米国が建国した時期だけだ」、と。・・・」(B)
⇒徐々にお分かりになるように、著者は、(その批判の妥当性はともかくとして、)米帝国主義を批判的に見ているのですが、米帝国主義是認派と反対派の旗手達をおしなべて「才気ある」・・brilliantの意味はかなり華々しいものであることに注意・・と形容したり、建国時と帝国主義生誕時の議論を夜郎自大的に「全人類にとって意味のある」云々と書いたりするところに、著者自身の米帝国主義性、が言い過ぎなら、少なくとも、米国の例外主義信奉性、が表れており、苦笑せざるをえません。(太田)
「・・・著者の例証的な新しい歴史書であるこの本は、読者を、20世紀になったばかりの、海外帝国の最初の諸行為が議論され行為に移された時、へと連れ戻す。・・・
・・・彼が焦点を合わせるのは、1898年から1901年にかけての、海外諸領域に係る諸議論が、スペイン帝国のキューバ、グアム、プエルトリコ、フィリピン、そして、当時は主権国家であったハワイ、に焦点を合わせていたところの、旋回的年々だ。・・・」(C)
⇒(中米のキューバ、プエルトリコはさて置き、)グアム、フィリピン、ハワイ、という、太平洋地域に領土を得たこと、とりわけ、フィリピン領有が、日米戦争の遠因となり、その戦争での「勝利」の結果、米国が、日本の「姦計」もあって、(戦後のフィリピンの独立にも関わらず、)西太平洋でのプレゼンスを維持することを余儀なくされ、ちっぽけとはいえ、グアム、ハワイ、の引き続きの領有とも相俟って、米国にとって、太平洋全域から引くに引けない状態になってしまっている点が、太平洋地域が、いつでも完全に引くことができる欧州・大西洋地域と比較して決定的に異なる、そして、それは、米国が、完全な孤立主義には戻りえないことを意味する、ということを改めて痛感します。(太田)
「・・・19世紀の最後の年々、米国は、全球に及ぶ影響力、外国の諸市場、世界大の道徳的権威、を求めてガツガツしており、この若い国はその歴史の中で最も運命的なもののうちの一つである諸議論を開始した。・・・」(D)
⇒米国とは、生来的に煩悩の塊のごとき存在である、という感を深くします。
そのことによって、日本を含む世界が、恐るべき被害を被ったわけですが、そういう自覚すらいまだに殆どない米国民達に対しては、苦笑するとともに、憐憫の情すら覚えます。(太田)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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