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太田述正コラム#8869(2017.1.22)
<米帝国主義の生誕(その4)>(2017.5.8公開)

 「・・・米国は<北>米大陸の全ての…部分を…植民地化する特権を自分達自身で独占しようと願っている」、と当時のある英国の新聞が喝破した。・・・」(D)

 「・・・<その後起こったことはこうだ。>
 19世紀が終わり、20世紀になった頃には全てが収まっていた。
 「中央銀行制度は維持されるであろうし、諸鉄道と諸電信は民間の諸手のもとに残り続けるであろうし、グリーンバックスと自由銀(free silver)<(注4)>についての議論は片隅に押しやられた。」

 (注3)「銀貨を自由に鋳造すること。1870年代から19世紀末にかけての<米国>では、西部の銀鉱山業関係者と農民を中心に、政府による銀の大量買上げと銀貨の無制限鋳造、すなわち自由銀を要求する声が強くなった。当時の・・・農民は、慢性的な農村不況に苦しんでおり、また彼らの多くは債務を背負っていたので、通貨の増発によるインフレ政策を主張したのであった。金銀複本位制を唱える彼らは、金本位制に反対し、1ドル銀貨鋳造を中止した貨幣鋳造法(1873)を「1873年の犯罪」とよんで激しく非難した。自由銀論者の勢力は、1893年にシャーマン銀買上げ法(1890制定)が廃止されたのを契機に超党派的に拡大強化され、96年の大統領選挙において民主党銀派の指導者ウィリアム・J・ブライアンが同党の候補者として出馬するに及んで最高潮に達した。ブライアンは、人民党の指名も受けて善戦したが、共和党のマッキンリーに敗れ、以後、自由銀派の勢力は急速に衰えた。」
https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%94%B1%E9%8A%80-1548999

 米国は、<爾来、>諸境界線のない国になって<現在に至って>いる、と著者は主張する。
 ウィリアム・アップルマン・ウィリアムズ(William Appleman Williams)<(注4)>及びかつての修正主義歴史学者達から一頁を取って、著者は、物理的支配(physical domination)<を目的とする考え方>ではなく、経済的支配<を目的とする考え方>に立脚した、米帝国主義について語る。

 (注4)1921〜90年。米海兵卒、ウィスコンシン大マディソン校博士。同校及びオレゴン州立大学で教鞭を執る。「主著『アメリカ外交の悲劇』ではマルクス主義に影響を受けた分析を行ない、<米国>の対外政策の基調が海外市場を追求する「門戸開放」イデオロギーにあるとして、建国以来続く<米国>の膨張的資本主義を分析した。ウィリアムズは同書で冷戦の発生をめぐって、当時支配的だったソ連の膨張にその原因を求める議論を批判し、ヨーロッパの市場を求める<米国>の非妥協的膨張主義がソ連の反発を生んだとして、<米国>が冷戦の勃発に主要な責任があるという修正主義的な解釈を提示し・・・「ニュー・レフト史学」の代表的論者として知られることとなる。・・・
 「ニュー・レフト史学」は、ソ連崩壊後に公開された公文書に基づくジョン・ルイス・ギャディスに代表される「脱修正主義(post-revisionism)」研究の結果、「廃棄された理論」「学説として、すでに寿命が尽きた」という評価があ<る。>」

 例えば、英国とは違って、米国は、その国旗・・諸部隊と行政官達・・を世界の遠く離れた諸地域に立てる必要がなかった。
 商業上の支配的地位(dominance)の下では、米国が必要とした全てのことは、その優越性を確保するための、開かれた海上交通路、と、時に応じての獲得(ハワイ、フィリピン)、或いは、軍事介入(キューバ、メキシコ)、が後ろ盾になったところの、平等な競技場、ないしは、門戸開放(open door)だった。・・・」(A)

⇒英国は、19世紀央までの、その「商業上の支配的地位(dominance)の下」、「経済的支配<を目的とする考え方>に立脚し」つつ、「その国旗・・諸部隊と行政官達・・を世界の遠く離れた諸地域に立てる必要」から、「物理的支配(physical domination)<を目的と・・・する考え方>に立脚した・・・帝国主義」だった(・・但し、英国は商業上の支配的地位を米国によって失ってからもそういう帝国主義国であり続けた・・)、のですから、この英米の帝国主義の違いを説明できないハーンの論理は破綻しています。
 私見では、米国は、、南北戦争終了以降、ハーンの言うように「経済的支配<を目的とする考え方>に立脚し」て外に出て行ったとは考えにくいのです。
 というのも、米国の貿易等、経済面での外国依存度は一貫して非常に低く(注5)、外国に「経済的支配<を目的と>」して出て行く必要性が、英国等に比べればはるかに小さかったのですから・・。

 (注5)日米英独仏の貿易依存度の推移(1820〜2014年)表
https://www.facebook.com/shimakurahajime/photos/a.765798070181740.1073741827.550087395086143/973432906084921/?type=3&theater
参照。
 なお、日本の貿易依存度も、米国ほどではないが低いものの、米国と違って日本はエネルギー等の資源を外国に依存していることから、貿易は死活問題であることに注意。

 私が先ほど、「米国の場合は、力によって<外国諸国を>睥睨することが自己目的化した」、と記したのは、そうとしか形容ができないからです。(太田)

 「・・・この<米国の>営み(task)の困難さの一つは、それが我々の本性に反するところにある。
 すなわち、「分離主義(secessionism)が最初から空中に漂っていたのだ・・独立革命それ自体が分離主義の一形態だった」、と。
 この営み<の維持>は、新しくできた共和党とエイブラハム・リンカーンに託され、彼らの偉大な遺産は、彼らが、奴隷制を廃止しただけでなく、統合を制度化したことなのだ。・・・」(D)

⇒これは、米国の領域的拡大の時代だけあてはまる話でしょうね。(太田)

(続く)

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