太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#8493(2016.7.18)
<2016.7.16東京オフ会次第(続々)>(2016.11.1公開)

O:その「スペクトラム」や「モンゴルの軛」に限らないのだが、・・自然科学は、私見では、複雑な事象をできるだけ単純な原理で理解し説明しようとするものであるところ、・・どんな人間社会でも社会事象は複雑怪奇であるものだが、人々は複雑怪奇な社会事象について、できるだけ単純な見方でもって理解し説明しようとするものであって、その単純な見方に従って社会は動いたり、運営されたりしている、と私は考えており、諸文明(や諸文明同士のせめぎあいが織りなす世界史の諸時代)ごとに、それぞれの文明(や時代)の担い手達の多くが共有していた、固有の単純な原理が何であるか、何であったか、を見出そうと努めてきた。
 (というのも、社会を動かすためにはもちろん、単に運営するだけだって、指導者層単独では不可能なのであって、一般民衆をある程度その気にさせて巻き込まなければならないわけだが、一般民衆が、複雑な見方ができるはずがないし、指導者層だって、どれだけ彼らが知的エリート達を擁していたとしても、基本的にその点で決定的な違いはないからだ。
 複雑怪奇なものを、ほぼそのままの形で受け止め、複雑に理解し説明しようなどとしていたら収拾が付かなくなるどころか精神がおかしくなってしまいかねないし、仮にそれらを免れたとしても、自分達の間での複雑な見方と、一般民衆を巻き込むための単純な見方とをTPOに応じて使い分けるなどといった器用なことを長続きさせるのも容易ではなかろう。)
A:太田さんがユニークなのは、女性の役割を重視している点にもある。
 例えば、水戸学の生誕と興隆における、水戸徳川家の天皇家出身の2人の奥方達の果たした役割<(コラム#8300)>とか、ヒットラーに及ぼした母親の影響<(コラム#8326)>、の重視なんてのがそうだ。
O:学歴を重視するのも私の特徴だろう。
 これは、私自身の経験から、どんな相手と結婚生活を送ったかとか、どんな所でどんなことを学んだか、とかが、いかに決定的な影響を及ぼすか、が身に染みているからだ。
C:そもそも、太田さんが指摘するように、・・これも私の見解が180度変わっているわけだが(太田)、・・日本は、昔から一貫して、基本的に女性優位社会であるし・・。
A:女性優位どころではない。
 現在の日本では、亭主は、奴隷とまでは言わないが、ペットより下の扱いだ。
 その結果が、これまた、太田さんがたびたび指摘しているところの、日本の女性の平均寿命世界1位、男性の平均寿命世界3位、
< http://www.nikkei.com/article/DGKKASDG30H8W_Q5A730C1EA1000/ >
というギャップだ。
O:日本人の平均寿命は、男女総合で、世界1位だ
< http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20150516
/Recordchina_20150516038.html (上掲に比べ、その1年前のデータだが・・。)>というのだから、いかに日本の男性が虐げられているか、ということだ。
C:ところで、当時、最も進んだ民主主義国家と言われたワイマール共和国がヒットラーを生み出したのはなぜなのか。
O:英国は第一次世界大戦後選挙権者が3倍に増えたわけだが、ドイツも(減った領土の分は捨象するとして、2倍超に)増えた。
 (また、ドイツの場合、選挙制度も選挙区割りも「民主化」された。)(注)

(注)「第一次世界大戦とドイツ革命を経て成立した<ワイマール>共和国が初めて行った選挙。ドイツの選挙でははじめて比例代表制を採用、女性参政権を認めた。<また、>・・・選挙権年齢が25歳から20歳に引き下げられ、区割りも一新されて人口集中地に議席が多く配分されるようになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/1919%E5%B9%B4%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E5%9B%BD%E6%B0%91%E8%AD%B0%E4%BC%9A%E9%81%B8%E6%8C%99

 こういったことの結果、何が起きたかと言えば、有権者増に伴うところの、有権者達ひいては国会議員達(政治家達)の平均的な質の低下と相まっての、それまでの政治の、それなりに安定していたルーティンの破壊だ。
 (こうして、戦間期の英国は、大英帝国を過早に瓦解させてしまったのだし、ドイツは、ヒットラーを生み出していわば国家自殺を行ってしまった、というわけだ。)
 ヒットラー自身、ドイツ国民の大部分の、反ユダヤ主義等の暗い情念を、自分自身の意思に反してまで、忠実に代弁し、実行に移した、という意味では、民主主義者の鑑、ワイマール共和国の申し子、であったと言えるのではないか。

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/