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太田述正コラム#8282(2016.3.18)
<20世紀欧州内戦(その9)>(2016.7.19公開)
(6)各論2--17世紀からの欧州内戦史
「・・・著者は、20世紀の欧州内戦には、30年戦争(1618〜48年)とフランス革命・・二つの諸出来事は「欧州大陸の容貌を変えた」・・という「二つの祖先達」がいる、と記す。
マルクスの協力者のフリードリッヒ・エンゲルス(Frederich Engels)は、17世紀の戦争と将来の世界戦争との間に共通点(parallel)があることを心に描くほど先見の明があった。
彼は、30年戦争の諸破壊的行動(depredations)が「3〜4年に圧縮され、全欧州大陸へと拡大される」ことだろう、と予言した。
⇒マルクスは世界戦争を予言したとされています
http://stsummersky.blogspot.jp/2013/09/random-review-1867.html
し、レーニンは、第一次世界大戦が始まってから、後出しジャンケン的に『帝国主義論』の中で、帝国主義(世界)戦争の不可避性を述べた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%AB%96
ところ、エンゲルスが、30年戦争をベースに世界大戦を予言した、というのは初耳です。(太田)
このような世界戦争は、諸国経済を破壊し、既存の諸国家の崩壊をもたらすとともに、「全般的な野蛮への堕落(lapse)」に引き金となるだろう、と。・・・
第一のそれは、カトリシズムとプロテスタンティズム、封建主義と絶対主義との間の紛争を表していた。
第一次世界大戦は、「欧州大陸における覇権のための諸大国間の古典的な紛争」から始まり、1917年とボルシェヴィキ革命の後は、革命と反革命との間の紛争になり、第二次世界大戦において、「敵対的な諸世界観(visions of the world)の間の単純化できない戦争」でもって最高潮に達した。・・・
トラヴェルソは、どちらの「30年戦争」も、ドイツが中心に据えられ、どちらも、「1648年同様1945年に、その分割」によって終わった<(注16)>、と明記する。・・・」(C)
(注16)「神聖ローマ帝国は、<30年戦争>の後も1806年に解体されるまでの間存続した。オーストリア・ハプスブルク家は帝位は保つが、実態としてはドイツ王ではなくオーストリア大公、後にオーストリア皇帝として18世紀、19世紀を生き延びることとなった」が、「伝統的な封建階級は没落し、代わってユンカー層など新たな階層が勃興する契機となり、領邦各国が絶対王政的な主権国家化し<、>このような中、求心力を弱めたハプスブルク家に代わりホーエンツォレルン家が台頭、ドイツ民族の政治的重心が北上し、後世のドイツ統一における、小ドイツ主義の萌芽となった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89#.E7.B5.90.E6.9E.9C.E3.83.BB.E5.BD.B1.E9.9F.BF
という意味では、トラヴェルソの指摘は中らずと雖も遠からずだ。
(7)トラヴェルソ批判
「トラヴェルソの分析は諸弱点を有する。
その一つが、欧州での紛争がどんどん全球的危機の一側面に過ぎなくなってきたことについて、不十分にしか言及していない点だ。
20世紀における、最も重要な事実が、1914年には欧州の諸大国が人類の大部分を植民地的ないし準植民地的緊縛の下に置いていたにもかかわらず、1945年までにではないとしても、その後それほど経過しないうちに、もはやそうではなくなった、ということにやがてなるのではなかろうか。・・・」(B)
⇒この書評子の指摘は高く評価されるべきでしょう。
問題は、どうして、そのような結果がもたらされたか、です。
それに答えるためには、私が最近唱え始めた、日露百年戦争という視点が必要になります。
すなわち、この百年戦争の前半において、日本が、アジア・アフリカにおいて、ほぼ唯一、完全植民地化を免れていたところの、北東アジアを、ロシアの植民地化攻勢を、自らを「近代化」させつつ、熱戦、冷戦を織り交ぜながら跳ね返したこと、及び、先の大戦において、一時的とはいえ、ロシア以外の欧米列強のアジアにおける相当部分を占領下に置いたこと、等、でもって、アジア・アフリカ諸国の植民地・半植民地地域の人々を独立・完全独立に向けて覚醒、鼓舞させたからなのです。
そして、この百年戦争の後半・・第二次世界大戦後・・において、(客観的に見ればの話ですが、)日本は、米国を使嗾するとともに、米国の軍事戦略内で重要不可欠な役割を果たすことによって、対ロシア抑止/封じ込めを行い、最終的にロシアを冷戦で敗北させ、ロシアのアジア諸植民地、及び、第二次世界大戦後にロシアが獲得していた欧州諸植民地、の解放を成し遂げるわけです。
このように見て来るならば、両大戦、ないし、欧州第二次30年戦争、など、日本のせいで、植民地拡大の夢を断たれたところの、持たざる欧州勢力が、仕方なく欧州内でゼロサムゲーム的な領土の奪い合いをやったという、ローカルかつ惨めな戦いに、欧州以外の諸国・・主として英米日・・も巻き込まれた、という、陳腐な挿話でしかない、ということになりそうです。(太田)
3 終わりに
とまれ、トラヴェルソが、欧州第二次30年戦争をその第一次30年戦争に準えたことは、興味深い視点だと思います。
私見によれば、さしずめ、第一次が、マクロ的には、「終焉を迎えつつあったプロト欧州文明」と「出現しつつあった欧州文明(アングロサクソン文明の一部継受文明)」との間の戦い、ミクロ的には、「封建制/皇帝・法王」と「絶対王政/(主権)領邦国家・主権国家(アングロサクソン文明政体)」との間の戦い、及び、領邦国家・主権国家相互の戦い、が複合したものであったのに対し、第二次は、マクロ的には、「共産主義(アングロサクソン文明におけるホンネである人間主義的性の継受を目指す主義)」と「ファシズム(アングロサクソン文明のタテマエ中の経済体制である資本主義の維持発展を旨とする主義)」との間の戦い、及び、主権国家相互の戦い、が複合したものであった、と言えそうです。
しかし、トラヴェルソが、この戦いにおいて、共産主義の側にシンパシーを寄せていることはナンセンスです。
なぜならば、欧州第二次30年戦争において、現実に意味ある戦いを行った共産主義は、スターリン主義のみであったところ、それは、(トロツキーやルクセンブルク等の共産主義とは違って、)主権国家ロシアの維持発展を正当化する国家イデオロギーに他ならなかったのであって、主権国家たるファシスト諸国それぞれの維持発展を正当化するそれぞれ独自のファシスト的国家イデオロギー、と、全く同次元の代物であったからです。
更に付け加えれば、既に記したように、国外の敵に対する殺害と国内の敵に対する殺害のどちらに比重があったかという点で若干の違いこそあったとはいえ、殺害性向において、両者の間で大差はなかったのであり、白紙的にイデオロギーの「内容」を比べて、共産主義の方がファシズムよりも、理想主義性と普遍性において優っていたとしても、そんなことは、殺される側からすれば、どうでもいいことだからです。
(完)
<20世紀欧州内戦(その9)>(2016.7.19公開)
(6)各論2--17世紀からの欧州内戦史
「・・・著者は、20世紀の欧州内戦には、30年戦争(1618〜48年)とフランス革命・・二つの諸出来事は「欧州大陸の容貌を変えた」・・という「二つの祖先達」がいる、と記す。
マルクスの協力者のフリードリッヒ・エンゲルス(Frederich Engels)は、17世紀の戦争と将来の世界戦争との間に共通点(parallel)があることを心に描くほど先見の明があった。
彼は、30年戦争の諸破壊的行動(depredations)が「3〜4年に圧縮され、全欧州大陸へと拡大される」ことだろう、と予言した。
⇒マルクスは世界戦争を予言したとされています
http://stsummersky.blogspot.jp/2013/09/random-review-1867.html
し、レーニンは、第一次世界大戦が始まってから、後出しジャンケン的に『帝国主義論』の中で、帝国主義(世界)戦争の不可避性を述べた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%AB%96
ところ、エンゲルスが、30年戦争をベースに世界大戦を予言した、というのは初耳です。(太田)
このような世界戦争は、諸国経済を破壊し、既存の諸国家の崩壊をもたらすとともに、「全般的な野蛮への堕落(lapse)」に引き金となるだろう、と。・・・
第一のそれは、カトリシズムとプロテスタンティズム、封建主義と絶対主義との間の紛争を表していた。
第一次世界大戦は、「欧州大陸における覇権のための諸大国間の古典的な紛争」から始まり、1917年とボルシェヴィキ革命の後は、革命と反革命との間の紛争になり、第二次世界大戦において、「敵対的な諸世界観(visions of the world)の間の単純化できない戦争」でもって最高潮に達した。・・・
トラヴェルソは、どちらの「30年戦争」も、ドイツが中心に据えられ、どちらも、「1648年同様1945年に、その分割」によって終わった<(注16)>、と明記する。・・・」(C)
(注16)「神聖ローマ帝国は、<30年戦争>の後も1806年に解体されるまでの間存続した。オーストリア・ハプスブルク家は帝位は保つが、実態としてはドイツ王ではなくオーストリア大公、後にオーストリア皇帝として18世紀、19世紀を生き延びることとなった」が、「伝統的な封建階級は没落し、代わってユンカー層など新たな階層が勃興する契機となり、領邦各国が絶対王政的な主権国家化し<、>このような中、求心力を弱めたハプスブルク家に代わりホーエンツォレルン家が台頭、ドイツ民族の政治的重心が北上し、後世のドイツ統一における、小ドイツ主義の萌芽となった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%8D%81%E5%B9%B4%E6%88%A6%E4%BA%89#.E7.B5.90.E6.9E.9C.E3.83.BB.E5.BD.B1.E9.9F.BF
という意味では、トラヴェルソの指摘は中らずと雖も遠からずだ。
(7)トラヴェルソ批判
「トラヴェルソの分析は諸弱点を有する。
その一つが、欧州での紛争がどんどん全球的危機の一側面に過ぎなくなってきたことについて、不十分にしか言及していない点だ。
20世紀における、最も重要な事実が、1914年には欧州の諸大国が人類の大部分を植民地的ないし準植民地的緊縛の下に置いていたにもかかわらず、1945年までにではないとしても、その後それほど経過しないうちに、もはやそうではなくなった、ということにやがてなるのではなかろうか。・・・」(B)
⇒この書評子の指摘は高く評価されるべきでしょう。
問題は、どうして、そのような結果がもたらされたか、です。
それに答えるためには、私が最近唱え始めた、日露百年戦争という視点が必要になります。
すなわち、この百年戦争の前半において、日本が、アジア・アフリカにおいて、ほぼ唯一、完全植民地化を免れていたところの、北東アジアを、ロシアの植民地化攻勢を、自らを「近代化」させつつ、熱戦、冷戦を織り交ぜながら跳ね返したこと、及び、先の大戦において、一時的とはいえ、ロシア以外の欧米列強のアジアにおける相当部分を占領下に置いたこと、等、でもって、アジア・アフリカ諸国の植民地・半植民地地域の人々を独立・完全独立に向けて覚醒、鼓舞させたからなのです。
そして、この百年戦争の後半・・第二次世界大戦後・・において、(客観的に見ればの話ですが、)日本は、米国を使嗾するとともに、米国の軍事戦略内で重要不可欠な役割を果たすことによって、対ロシア抑止/封じ込めを行い、最終的にロシアを冷戦で敗北させ、ロシアのアジア諸植民地、及び、第二次世界大戦後にロシアが獲得していた欧州諸植民地、の解放を成し遂げるわけです。
このように見て来るならば、両大戦、ないし、欧州第二次30年戦争、など、日本のせいで、植民地拡大の夢を断たれたところの、持たざる欧州勢力が、仕方なく欧州内でゼロサムゲーム的な領土の奪い合いをやったという、ローカルかつ惨めな戦いに、欧州以外の諸国・・主として英米日・・も巻き込まれた、という、陳腐な挿話でしかない、ということになりそうです。(太田)
3 終わりに
とまれ、トラヴェルソが、欧州第二次30年戦争をその第一次30年戦争に準えたことは、興味深い視点だと思います。
私見によれば、さしずめ、第一次が、マクロ的には、「終焉を迎えつつあったプロト欧州文明」と「出現しつつあった欧州文明(アングロサクソン文明の一部継受文明)」との間の戦い、ミクロ的には、「封建制/皇帝・法王」と「絶対王政/(主権)領邦国家・主権国家(アングロサクソン文明政体)」との間の戦い、及び、領邦国家・主権国家相互の戦い、が複合したものであったのに対し、第二次は、マクロ的には、「共産主義(アングロサクソン文明におけるホンネである人間主義的性の継受を目指す主義)」と「ファシズム(アングロサクソン文明のタテマエ中の経済体制である資本主義の維持発展を旨とする主義)」との間の戦い、及び、主権国家相互の戦い、が複合したものであった、と言えそうです。
しかし、トラヴェルソが、この戦いにおいて、共産主義の側にシンパシーを寄せていることはナンセンスです。
なぜならば、欧州第二次30年戦争において、現実に意味ある戦いを行った共産主義は、スターリン主義のみであったところ、それは、(トロツキーやルクセンブルク等の共産主義とは違って、)主権国家ロシアの維持発展を正当化する国家イデオロギーに他ならなかったのであって、主権国家たるファシスト諸国それぞれの維持発展を正当化するそれぞれ独自のファシスト的国家イデオロギー、と、全く同次元の代物であったからです。
更に付け加えれば、既に記したように、国外の敵に対する殺害と国内の敵に対する殺害のどちらに比重があったかという点で若干の違いこそあったとはいえ、殺害性向において、両者の間で大差はなかったのであり、白紙的にイデオロギーの「内容」を比べて、共産主義の方がファシズムよりも、理想主義性と普遍性において優っていたとしても、そんなことは、殺される側からすれば、どうでもいいことだからです。
(完)
太田述正ブログは移転しました 。
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