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太田述正コラム#7996(2015.10.27)
<仙台オフ会(2015.10.24)次第(その4)>
B:日本が先の大戦での敗戦を回避するにはどうすればよかったのか。
O:第二次世界大戦が始まった後、ドイツが英国進攻を目指してロンドン等に空襲をかけていて、英国が最も苦しかった頃に、対英のみ開戦をすればよかったのだ。
B:なぜ、それをやらなかったのか。
O:陸軍はやりたかったのだが、外務省等が、英米一体論・・実際には英米一体など存在しなかったのであり、1930年代まで、英国は米国の最大の仮想敵国であって、カナダとの国境沿いで対英(加)戦を想定した演習を米国は行っていた・・に立って、(対英開戦をしたら必ず米国が英国側に立って対日開戦する、と)反対したためだ。
B:問題の根は深そうだな。
O:その通りであり、明治維新以降の、軍と軍以外へのエリート教育の分断が問題の根にある。
それまでは、武士が、両方に係るエリートだったというのに・・。
英国の場合は、パブリックスクールの5年間、生徒達にみっちり軍事教育訓練を受けさせる。
だからこそ、英陸士(サンドハースト)では、わずか9か月間の教育で将校に任官させることができるのだ。
(日本の場合は、防大で、通常の大学教育に付加する形で軍事教育訓練を行うので、後者が不十分故、卒業後、更に、幹部候補生学校で1年間の教育を受けさせた後、やっと将校に任官させる。)
B:しかし、日本の戦前にも学校教育において、軍事教練があったではないか。
O:それは、大正末の宇垣軍縮の結果あぶれた軍人達の救済のために導入された制度であり、
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%95%99%E7%B7%B4 )
機能していたかどうか疑問だ。
-------------------------------------------------------------------------------
(参考)
仮に機能していたとしても、以下の通りだ。
「1925年(大正14年)4月11日に、「陸軍現役将校学校配属令」・・・が公布され<、>同令によって、一定の官立又は公立の<旧制中学校相当以上大学学部までの>学校には、原則として義務的に陸軍現役将校が配属された」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%95%99%E7%B7%B4 上掲
ものの、(そのわずか6年後に起こった満州事変はさておき、)日支戦争が始まったのはその12年後、太平洋戦争が始まったのは、その16年後、であり、年次、年齢的に、両戦争に係る政府の意思決定に関与できた、40歳超の軍事以外のエリートの軍事素養は欠如したままだった。
例えば、日支戦争勃発時の外務次官の堀内謙介は1910年の東大法卒
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E5%86%85%E8%AC%99%E4%BB%8B
であるし、太平洋戦争勃発時の外務次官の西晴彦は1918年の東大法卒
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%98%A5%E5%BD%A6
だ。
戦後の比較的最近における、各省の次官就任は入省後平均30年目、局長就任は平均25年目、局筆頭課長就任は平均20年目であるところ、
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0CB0QFjAAahUKEwjR56nBqOLIAhXirKYKHVA0Br0&url=http%3A%2F%2Frepo.nara-u.ac.jp%2Fmodules%2Fxoonips%2Fdownload.php%3Ffile_id%3D1538&usg=AFQjCNEO6qOkVscMg537lNyUEshv2QU3gw&sig2=Ec2TzOxBDTBYW1KRTyIRcw
戦前は、いずれももっと早く、現に堀内は27年目、西は23年目、2人の平均では25年目、に次官に就任している計算になるところ、「次官」と「局長や局筆頭課長」の就任年次差は現在と変わらず、それぞれ、5年、10年程度だったと仮定すると、西次官の就任時でさえ、部下の局長達で軍事教練を受けた者は皆無、筆頭課長で、ようやく、大学時代においてだけだが、軍事教練を受けた者がいたかもしれない、という程度であったことが推察できる。
-------------------------------------------------------------------------------
戦中に東大に設けられた第二工学部
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E9%83%A8 )
に象徴されているように、戦前にも技術面での軍と軍以外の連携はあったが、欧米諸国とは違って、大学に軍学ないし安全保障の講座が設けられることはなかった。
B:米国の著名大統領の人種差別発言が紹介されているスライドを拝見したが、米国人の黒人差別はよく知られていることではないか。
E:米国の上澄み中の上澄みである著名大統領達が、いずれ劣らぬ露骨な人種差別発言を連発してきたことは、日本では必ずしも知られてはいないのでは?
F:太田さんが、(最初に)防衛白書を編纂した時、ソ連が極東においては軍事的脅威ではない、というのが太田さんの認識であったが故に、ソ連は悪者だから脅威だ、という内容の白書にした、ということだが・・。
O:そうだ。
そういう経験が私にあったので、習近平が、(核は除き、)日本に対して軍事的脅威たりえないところの、非精強な軍事力を振り回すのはすぐ止め、大昔の日支戦争のことで、(実際には感謝しているというのに、)日本に対する悪罵をエスカレートさせる、という、悪者ぶりを演じ始めたココロが、私にはよく理解できるのだ。
(続く)
<仙台オフ会(2015.10.24)次第(その4)>
B:日本が先の大戦での敗戦を回避するにはどうすればよかったのか。
O:第二次世界大戦が始まった後、ドイツが英国進攻を目指してロンドン等に空襲をかけていて、英国が最も苦しかった頃に、対英のみ開戦をすればよかったのだ。
B:なぜ、それをやらなかったのか。
O:陸軍はやりたかったのだが、外務省等が、英米一体論・・実際には英米一体など存在しなかったのであり、1930年代まで、英国は米国の最大の仮想敵国であって、カナダとの国境沿いで対英(加)戦を想定した演習を米国は行っていた・・に立って、(対英開戦をしたら必ず米国が英国側に立って対日開戦する、と)反対したためだ。
B:問題の根は深そうだな。
O:その通りであり、明治維新以降の、軍と軍以外へのエリート教育の分断が問題の根にある。
それまでは、武士が、両方に係るエリートだったというのに・・。
英国の場合は、パブリックスクールの5年間、生徒達にみっちり軍事教育訓練を受けさせる。
だからこそ、英陸士(サンドハースト)では、わずか9か月間の教育で将校に任官させることができるのだ。
(日本の場合は、防大で、通常の大学教育に付加する形で軍事教育訓練を行うので、後者が不十分故、卒業後、更に、幹部候補生学校で1年間の教育を受けさせた後、やっと将校に任官させる。)
B:しかし、日本の戦前にも学校教育において、軍事教練があったではないか。
O:それは、大正末の宇垣軍縮の結果あぶれた軍人達の救済のために導入された制度であり、
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%95%99%E7%B7%B4 )
機能していたかどうか疑問だ。
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(参考)
仮に機能していたとしても、以下の通りだ。
「1925年(大正14年)4月11日に、「陸軍現役将校学校配属令」・・・が公布され<、>同令によって、一定の官立又は公立の<旧制中学校相当以上大学学部までの>学校には、原則として義務的に陸軍現役将校が配属された」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%95%99%E7%B7%B4 上掲
ものの、(そのわずか6年後に起こった満州事変はさておき、)日支戦争が始まったのはその12年後、太平洋戦争が始まったのは、その16年後、であり、年次、年齢的に、両戦争に係る政府の意思決定に関与できた、40歳超の軍事以外のエリートの軍事素養は欠如したままだった。
例えば、日支戦争勃発時の外務次官の堀内謙介は1910年の東大法卒
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E5%86%85%E8%AC%99%E4%BB%8B
であるし、太平洋戦争勃発時の外務次官の西晴彦は1918年の東大法卒
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%98%A5%E5%BD%A6
だ。
戦後の比較的最近における、各省の次官就任は入省後平均30年目、局長就任は平均25年目、局筆頭課長就任は平均20年目であるところ、
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=1&ved=0CB0QFjAAahUKEwjR56nBqOLIAhXirKYKHVA0Br0&url=http%3A%2F%2Frepo.nara-u.ac.jp%2Fmodules%2Fxoonips%2Fdownload.php%3Ffile_id%3D1538&usg=AFQjCNEO6qOkVscMg537lNyUEshv2QU3gw&sig2=Ec2TzOxBDTBYW1KRTyIRcw
戦前は、いずれももっと早く、現に堀内は27年目、西は23年目、2人の平均では25年目、に次官に就任している計算になるところ、「次官」と「局長や局筆頭課長」の就任年次差は現在と変わらず、それぞれ、5年、10年程度だったと仮定すると、西次官の就任時でさえ、部下の局長達で軍事教練を受けた者は皆無、筆頭課長で、ようやく、大学時代においてだけだが、軍事教練を受けた者がいたかもしれない、という程度であったことが推察できる。
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戦中に東大に設けられた第二工学部
( https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%B7%A5%E5%AD%A6%E9%83%A8 )
に象徴されているように、戦前にも技術面での軍と軍以外の連携はあったが、欧米諸国とは違って、大学に軍学ないし安全保障の講座が設けられることはなかった。
B:米国の著名大統領の人種差別発言が紹介されているスライドを拝見したが、米国人の黒人差別はよく知られていることではないか。
E:米国の上澄み中の上澄みである著名大統領達が、いずれ劣らぬ露骨な人種差別発言を連発してきたことは、日本では必ずしも知られてはいないのでは?
F:太田さんが、(最初に)防衛白書を編纂した時、ソ連が極東においては軍事的脅威ではない、というのが太田さんの認識であったが故に、ソ連は悪者だから脅威だ、という内容の白書にした、ということだが・・。
O:そうだ。
そういう経験が私にあったので、習近平が、(核は除き、)日本に対して軍事的脅威たりえないところの、非精強な軍事力を振り回すのはすぐ止め、大昔の日支戦争のことで、(実際には感謝しているというのに、)日本に対する悪罵をエスカレートさせる、という、悪者ぶりを演じ始めたココロが、私にはよく理解できるのだ。
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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