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太田述正コラム#7978(2015.10.18)
<米海兵隊について(その3)>(2016.2.2公開)

 (4)先の大戦後の米海兵隊

  ア 自己規定

 「・・・1943年に、<時の>海兵隊司令官<(注6)>は、「戦争は、5分の1は肉体、5分の4は心(mind)と精神(spirit)<で決まる>」、と述べた。・・・」(E)

 (注6)トマス・ホルカム(Thomas Holcomb)。海兵隊司令官:1936〜43年12月31日。高卒。1941年4月に海軍内での会議で海兵隊には黒人は入れないと表明、また、1943年2月には海兵隊に女性を受け入れると表明。海兵隊司令官のまま退職したが、退職日が特異なのは、1943年8月に停年退職のところを功績により年末まで職にとどまることとされたため。退職と同時に大将に昇任したが、これは海兵隊員としては初めての大将。
https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Holcomb

 「・・・「海兵隊の凝集力(cohesion)を説明するものは、愛情(affection)の内部的諸紐帯」、及び、「選良主義、優越性のイデオロギー、及び、今日の海兵隊の例外主義の強力な諸物語(narratives)を通じて流れるところの、疑い深い諸要素、であり続けてきた。」
 「そういったイデオロギー・・それは、米国の例外主義の諸物語と若干の類似性を共有している・・は、海兵隊を恒久的に攻撃状態に置き続けてきた。
 「ゴリアテ(Goliath)のような諸敵」とあいまみえる「ダビデ(David)のような戦闘隊(fighting unit)」であるとの彼らの感覚は、彼らの今日の成功の主要な理由なのだ。」・・・」(E)

 「1957年に、海兵隊司令官のランドルフ・ペート(Randolph Pate)<(注7)>大将は、短いメモ(note)を海兵隊教育本部(Marine Corps Educational Center)のヴィクター・クルーラック(Victor Krulak)<(注8)>准将に送った。

 (注7)1898〜1961年。海兵隊司令官:1956〜59年。先の大戦ではガダルカナルと硫黄島上陸作戦に参加、朝鮮戦争にも参加。陸軍入隊、その後、ヴァージニア軍事学院(Virginia Military Institute)卒(学士)、海兵隊に将校として入隊。
https://en.wikipedia.org/wiki/Randolph_M._Pate
 (注8)1913〜2008年。海兵隊将校として、先の大戦、朝鮮半島、ベトナム戦争、に参加。最終階級は中将。海軍士官学校卒後海兵隊に将校として入隊。'First to Fight: An Inside View of the U.S. Marine Corps'の著者。長男は海兵隊司令官になった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Victor_H._Krulak

 その中で、彼は、「どうして米国は海兵隊を必要とするのか」、と尋ねた。
 クルーラックは、既に海兵隊の中で伝説になっていた男だったが、長い回答文を書き記した。
 すなわち、「米国は、要は、立派な近代陸軍と精強な(vigorous)空軍をもっているのだから、海兵隊など必要がない。…
 我々[海兵隊]が今日存在し、繁栄しているのは、我々が自分達が何であるかを知っている、或いは、我々が、自分達が何ができるかを知っている、からではなく、我々の国の庶民達(grassroots)が我々が何であるか<を知っていると>信じており、我々が<何が>できると信じているからだ」、と。
 クルーラックは、更に、米国の人々は、海兵隊について3つのことを信じている、と述べた。
 それは、急に言われても戦う準備ができているであろう、彼らは劇的で決定的に成功裏のパフォーマンスをあげるだろう、そして、「海兵隊は我らの国における男らしさ(manhood)に寄与する正真正銘の善(downright good)である、更には、海兵隊は、漂流する(un-oriented)若者達を堂々たる(proud)独立独行の(self-reliant)しっかりした(stable)市民達・・この国の諸事を安心して託せる市民達・・へと作り変える、失敗することなき錬金術の一つの型(form)の熟練者達(masters)だ、の3つだ。
 クルーラックは、米国の人々が「我々がこの3つを本当にできると確信を持っている」限り、「我々は海兵隊を持ち続けることになる。…そして、同様に、殆んど宗教的な(spiritual)諸基準に合致することに失敗した結果、人々がその確信を失うようなことがあれば、海兵隊はすぐに消滅することだろう」、と結論付けた。・・・」(F)

  イ 米陸軍との比較

 「・・・海兵隊の、彼らとともに戦った陸軍の諸部隊よりも高い死傷率を被むったところの、太平洋での島嶼戦闘での諸犠牲は、彼らに公的な尊敬を得せしめ、今日に至るまで、海兵隊は陸軍に比べてより攻撃的であるとして知られてきた。
 オコンネルは、この哲学における違いを、陸軍は、その地上戦の伝統から「奪取される時間ないし地域(terrain)を犠牲にして人力を保持することを信念としていた(believed in)」のに対し、海兵隊は、より水陸両用諸攻勢(assaults)に焦点をあて、彼らは、長く待てば待つほど沖合にいる海軍の諸艦艇に危険が及ぶことを知っていたため、いかなる犠牲をも厭わず前進することをより好んだからだ、と説明する。
 海兵隊の見解は、「征服の速度が決定的に重要だ。すなわち、それが生み出す惨劇は勝利のために不幸だが必要な代償なのだ」、というものだった。
 海兵隊の方がより高い死傷率を被むったという事実は、少なくとも彼らの自己満足の観点からは、陸軍よりもよりタフでより価値がある(deserving)ことを証明した、というわけだ。・・・」(A)

(続く)

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