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太田述正コラム#7902(2015.9.10)
<米国人の黙示録的思考(その11)>(2015.12.26)

 サットンの本は、20世紀の最も著名なキリスト教原理主義者たる人物達の殆んど完全な名簿に読者達を誘う・・マージョエ・ゴルトナー(Marjoe Gortner)<(注34)>、ビリー・ジェームス・ハージス(Billie James Hargis)、ジミー・スワガート(Jimmy Swaggart)<(注36)>、或いは、テッド・ハガード(Ted Haggard)といった、醜聞的諸人物はただ単に省略されている・・が、名簿が完全なものではないだけでなく、個々の諸物語もまた完全なものではない。

 (注34)1944年〜。両親が彼を伝道師へと仕込み、4歳でデビューし、興醒めして一旦はヒッピー化するも復帰し、伝道師の赤裸々かつ醜い実態を自分自身のドキュメンタリーで披露し、有名になり、俳優としても活躍。無学歴。
https://en.wikipedia.org/wiki/Marjoe_Gortner
 (注35)1925〜2004年。性教育反対・反共・黒人分離の主張で一世を風靡。神学系の大学を何校か卒業。
https://en.wikipedia.org/wiki/Billy_James_Hargis
 (注36)1935年〜。ゴスペル音楽家にしてラジオ/TV伝道師。1980年代末から1990年代初にかけて明るみに出たところの、売春婦との性的醜聞で、ペンテコステ派系の所属団体から聖職資格を剥奪され、「独立」したが、人気は衰えた。無学歴。
https://en.wikipedia.org/wiki/Jimmy_Swaggart
 (注37)1956年〜。2006〜2007年にかけて男色趣味と覚醒剤購入醜聞が浮上。神学系の大学を卒業。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ted_Haggard

⇒醜聞揃い踏みのこの4人中、2人が、福音主義の指導的人物としては珍しく大卒とは皮肉なことです。
 もっとも、どれも聞いたことのない大学でしたが・・。(太田) 

 ウィリアム・ブラックストーンやビリー・サンデーやマーク・マシューズ(Mark Matthews)<(注38)>の短い諸伝記は、人種主義、女性蔑視(sexism)、或いは、収賄(graft)、へのいかなる<彼らの>言及も悪びれることもなく落とされているし、更に悪いことには、語りの修辞が、とりわけ、彼らが本能的に自分達の天敵群であると見たところの、分別あるリベラル・プロテスタント達に対する、彼らの陰険な諸詐欺をどちらかと言えば常に擁護するものになっている。

 (注38)時代を全く異にする2人をネット上で発見したが、どちらのことか分からず、また、経歴等は全く分からなかった。
https://books.google.co.jp/books?id=1uTd_ao_gJsC&pg=PA14&lpg=PA14&dq=Mark+Matthews;evangelist&source=bl&ots=Dgp-_rMeVA&sig=pHiAWcSvZ92fvY9iroxyl5Q5SV0&hl=ja&sa=X&ved=0CGsQ6AEwDWoVChMIuqvym9XpxwIVgpqUCh1GYQBW#v=onepage&q=Mark%20Matthews%3Bevangelist&f=false
http://www.tradewindministries.com/#/home

 そのうちの一人で、比較的開明派である(enlightened)・・・エマーソン・フォスディック(Emerson Fosdick)<(注39)>は、1922年に彼がマンハッタンで行った説教、「キリスト教原理主義者達は勝利を収めるだろうか」でもって<、彼がキリスト教原理主義者でありつつも、一般のキリスト教原理主義者のリベラル・プロテスタント達に対する姿勢を批判し(太田)、>ある程度の名声を確立したけれど、サットンの<彼についての>諸描影(shadins)は、通路の反対側へと読者をそっと押<して、彼が実はキリスト教原理主義者ではなくリベラル・キリスト教徒なのだ、と読者を思わ(太田)>すのだ。

 (注39)1878〜1969年。コルゲート大卒。バプテスト教会の牧師。この説教で、彼は、聖書は神の意思の展開(unfolding)であって、文字通りの「神の言葉」ではなく、また、キリスト教の歴史は、発展、進歩、漸進的変化である、とした。
https://en.wikipedia.org/wiki/Harry_Emerson_Fosdick

⇒敬虔なキリスト教徒であれ、まともな大学を出ておれば、(学問的思考がある程度身に着くので、)キリスト教原理主義者ないし福音主義者たりえず、リベラルキリスト教徒となる、というのが、現在のところ、私の見立てです。
 従って、フォスディックは、リベラルキリスト教徒であって、サットンのフォスディック評価は正しい、と思います。
 ここで、率直に申し上げておきますが、私は、キリスト教原理主義と福音主義とがどの程度重なり合うのかが今一つよく呑み込めていませんし、また、それらと、プロテスタント諸宗派との関係はもっと分かっていません。
 このあたり、一覧図的なものがあれば助かるのですが・・。(太田)

 自分達を近代主義者達(modernists)と呼んだところの、リベラル傾向のあるプロテスタント達は、キリスト教原理主義者達を、短期的な戦時の逸脱であると規定しようと試みはしたけれど、彼らは、それが鰻上りに増えつつあることもまた知っていた。
 キリスト教原理主義者達は、暇な夢想家達(disinterested stargazers)というステレオタイプはぴったりこないのであって、むしろ、進歩主義者達の力と影響を脅かしたところの、能動的かつ忙しくしている(active and engaged)戦闘的な信者達の一群(army)だった。
 急進的な福音主義者達は、聖書の中の言葉群(scriptures)の歴史的真実性(historicity)と諸奇跡を否定するところの、プロテスタント神学のリベラル諸趨勢と攻撃的に戦ったのであり、それが、聖書を、神の聖なるテキストというよりは、社会的諸倫理の本へと転換させた。・・・」(I)

(続く)

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