太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/
太田述正コラム#7788(2015.7.15)
<米独立革命の罪(その1)>(2015.10.30公開)
1 始めに
ジャネット・ポラスキー(Janet Polasky)の『国境なき諸革命--大西洋世界における自由への天命(revolutions without borders-- the Call to Liberty in the Atlantic World)』のさわりを、書評類をもとにご紹介し、私のコメントを付したいと思います。
A:http://www.theguardian.com/books/2015/jun/19/revolutions-without-borders-the-call-to-liberty-in-the-atlantic-world-janet-polasky-review
(6月21日アクセス)
B:http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/revolutions-without-borders--the-call-to-liberty-in-the-atlantic-world-by-janet-polasky-age-of-enlightenment-recalled-in-a-thrilling-history-lesson-10193459.html
(6月22日アクセス)
C:http://cola.unh.edu/article/2015/03/jpolasky
(インタビュー)
D:http://earlyamericanists.com/2015/06/11/revolutions-without-borders/
E:http://www.economist.com/news/books-and-arts/21650066-why-rising-up-and-revolting-became-so-popular-aux-armes-historiens
F:http://www.roanoke.com/arts_and_entertainment/columns_and_blogs/blogs/back_cover/book-review-revolutions-knew-no-borders-in-th-century/article_f9bd0227-5d26-58e9-be6e-f8136bca5cc2.html
なお、ポラスキーは、カールトン(Carleton)単科大学1973年卒、スタンフォード大修士、博士で、現在、ニューハンプシャー大学歴史学教授、という人物です。
http://cola.unh.edu/faculty-member/janet-polasky
(1)概観
「アラブの春よりも2世紀も前に、ソーシャル・メディアどころか国際郵便制度すらなかったというのに、革命家達は、二つの大陸全域で自由と平等の諸理念を共有した。
ジャネット・ポラスキーは、米独立宣言が行われた1776年と1804年のハイチ革命の間の革命諸理念の運動の見取り図を描く。
このぞくぞくする歴史の著作の中で、彼女は、米国(America)と欧州で容易に成功したところの、諸革命に火を付けたのは、マスケット銃群ではなく、パンフレット群だった、と述べる。・・・
諸観念の交易において核心的なのは、旅行は、もはや、特権的な人々の専有物ではなく、中産階級の人々の手に届くものになっていた、という事実だった。
欧州の商人達は、米独立戦争の後に、<生誕した>新しい政治体制が与えた諸機会を探し求めて、米国に赴いたが、その一方で、米国の入植者達の息子達は欧州での教育を求めて東へと旅した。
ポラスキー教授が研究した、ある魅惑的な旅行者集団は、米国の奴隷制を逃れて欧州において自由を追求したところの、黒人たる「世界の市民達」だった。
オラウダ・イクィアーノ(Olaudah Equiano)<(注1)(コラム#592)>のような人々は、アフリカ人たる犠牲者達ではなく、奴隷主達の方こそ怪物達である、ということを示した諸回顧録を書いた。・・・
(注1)[1745〜97年。]「別名グスタヴス・ヴァッサはナイジェリアのイボ族が住む地域に住んでいたが、子どもの頃に妹とともに誘拐されてしまう。さまざまな主人のもとで奴隷として働かされ、軍艦や商船に乗って各地を転々とする中、トラブルに見舞われながらも貿易活動で金をため、[1766年に]主人である[英領北米植民地の]商人ロバート・キングから自由を買い戻すことに成功する。その後は[、翌年からロンドンに居を構え、]自由身分の黒人として各地を航海する。また、キリスト教に帰依し、一時はアフリカに神の教えを広める伝道師を志すが、これは実現しなかった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA%E3%80%81%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF%E3%81%AE%E8%88%88%E5%91%B3%E6%B7%B1%E3%81%84%E7%89%A9%E8%AA%9E
彼は、英奴隷貿易ないし奴隷制に対する反対運動に関わった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Olaudah_Equiano ([]内も)
自由の修辞が国家の道具として整頓されるようになると、<革命にも>終わりがやってきた。
フランスの革命諸政府は、国際普及活動を担当させるために、大使達、弁務官達、そして代表達、を次々と送り出した。
この抑制された、しかし、感動的な物語は、<ナポレオンの>新体制(New Order)の最後の使節達(emissaries)<の派遣>によって終わる。
すなわち、カリブ海地域の奴隷達の蜂起を鎮圧するために、ナポレオンによって20,000人の部隊が動員されたのだ。
彼らは、最終的に武力抵抗と疾病によって行き詰まり、ハイチは独立宣言を行った。
ハイチ人達は、米国人達から何の助けを得ることもできなかった。
米国人達の自由への愛は奴隷達にまでは及ばなかったからだ。
こうして、革命の時代は終わったのだった。」(B)
(続く)
<米独立革命の罪(その1)>(2015.10.30公開)
1 始めに
ジャネット・ポラスキー(Janet Polasky)の『国境なき諸革命--大西洋世界における自由への天命(revolutions without borders-- the Call to Liberty in the Atlantic World)』のさわりを、書評類をもとにご紹介し、私のコメントを付したいと思います。
A:http://www.theguardian.com/books/2015/jun/19/revolutions-without-borders-the-call-to-liberty-in-the-atlantic-world-janet-polasky-review
(6月21日アクセス)
B:http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/books/reviews/revolutions-without-borders--the-call-to-liberty-in-the-atlantic-world-by-janet-polasky-age-of-enlightenment-recalled-in-a-thrilling-history-lesson-10193459.html
(6月22日アクセス)
C:http://cola.unh.edu/article/2015/03/jpolasky
(インタビュー)
D:http://earlyamericanists.com/2015/06/11/revolutions-without-borders/
E:http://www.economist.com/news/books-and-arts/21650066-why-rising-up-and-revolting-became-so-popular-aux-armes-historiens
F:http://www.roanoke.com/arts_and_entertainment/columns_and_blogs/blogs/back_cover/book-review-revolutions-knew-no-borders-in-th-century/article_f9bd0227-5d26-58e9-be6e-f8136bca5cc2.html
なお、ポラスキーは、カールトン(Carleton)単科大学1973年卒、スタンフォード大修士、博士で、現在、ニューハンプシャー大学歴史学教授、という人物です。
http://cola.unh.edu/faculty-member/janet-polasky
(1)概観
「アラブの春よりも2世紀も前に、ソーシャル・メディアどころか国際郵便制度すらなかったというのに、革命家達は、二つの大陸全域で自由と平等の諸理念を共有した。
ジャネット・ポラスキーは、米独立宣言が行われた1776年と1804年のハイチ革命の間の革命諸理念の運動の見取り図を描く。
このぞくぞくする歴史の著作の中で、彼女は、米国(America)と欧州で容易に成功したところの、諸革命に火を付けたのは、マスケット銃群ではなく、パンフレット群だった、と述べる。・・・
諸観念の交易において核心的なのは、旅行は、もはや、特権的な人々の専有物ではなく、中産階級の人々の手に届くものになっていた、という事実だった。
欧州の商人達は、米独立戦争の後に、<生誕した>新しい政治体制が与えた諸機会を探し求めて、米国に赴いたが、その一方で、米国の入植者達の息子達は欧州での教育を求めて東へと旅した。
ポラスキー教授が研究した、ある魅惑的な旅行者集団は、米国の奴隷制を逃れて欧州において自由を追求したところの、黒人たる「世界の市民達」だった。
オラウダ・イクィアーノ(Olaudah Equiano)<(注1)(コラム#592)>のような人々は、アフリカ人たる犠牲者達ではなく、奴隷主達の方こそ怪物達である、ということを示した諸回顧録を書いた。・・・
(注1)[1745〜97年。]「別名グスタヴス・ヴァッサはナイジェリアのイボ族が住む地域に住んでいたが、子どもの頃に妹とともに誘拐されてしまう。さまざまな主人のもとで奴隷として働かされ、軍艦や商船に乗って各地を転々とする中、トラブルに見舞われながらも貿易活動で金をため、[1766年に]主人である[英領北米植民地の]商人ロバート・キングから自由を買い戻すことに成功する。その後は[、翌年からロンドンに居を構え、]自由身分の黒人として各地を航海する。また、キリスト教に帰依し、一時はアフリカに神の教えを広める伝道師を志すが、これは実現しなかった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BA%BA%E3%80%81%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF%E3%81%AE%E8%88%88%E5%91%B3%E6%B7%B1%E3%81%84%E7%89%A9%E8%AA%9E
彼は、英奴隷貿易ないし奴隷制に対する反対運動に関わった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Olaudah_Equiano ([]内も)
自由の修辞が国家の道具として整頓されるようになると、<革命にも>終わりがやってきた。
フランスの革命諸政府は、国際普及活動を担当させるために、大使達、弁務官達、そして代表達、を次々と送り出した。
この抑制された、しかし、感動的な物語は、<ナポレオンの>新体制(New Order)の最後の使節達(emissaries)<の派遣>によって終わる。
すなわち、カリブ海地域の奴隷達の蜂起を鎮圧するために、ナポレオンによって20,000人の部隊が動員されたのだ。
彼らは、最終的に武力抵抗と疾病によって行き詰まり、ハイチは独立宣言を行った。
ハイチ人達は、米国人達から何の助けを得ることもできなかった。
米国人達の自由への愛は奴隷達にまでは及ばなかったからだ。
こうして、革命の時代は終わったのだった。」(B)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/