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太田述正コラム#7746(2015.6.24)
<内藤湖南の『支那論』を読む(その24)>(2015.10.9公開)
「ともかく支那は現状のままでは行き詰って、これより変化すべき見込みはない、何らか変った事情がそこに生ずるのでなければとうてい変化がないということは一般に認められて、政治改革等という問題は、現状のままでは幾度やっても実効のないものという考えが一般に行き渡って来たようである。」(280)
⇒それがどうしてかについて、内藤は郷団自治のせいだと思っていたのかもしれませんが、そうではなく、支那人民の阿Q性(非人間主義性)のためだったのです。
この事情は、現在でも、まだ大きくは変わっていません。(太田)
「<しかし、>少なくとも政治の競技を、競技者としてまで民衆を引き入れなくとも、少なくとも見物人として民衆を引き入れるようにすれば、支那の政治組織は根本から変るのである。」(281)
⇒どうやってこれを現実のものにするかに内藤は触れていませんが、現在の中共においては、インターネットの普及によって、現実のものになっています。
但し、「支那の政治組織」が「根本から変る」かどうかは、中共当局による、現在進行形の人間主義化/日本化戦略の最終的成否いかんにかかっています。(太田)
「支那は無限の富源を持っておって、これを開発する資本と経済機関運転の能力とを全く欠如しておる。資本はどこからか輸入せなければならず、経済機関運転の能力は少なくとも数十年間外国人に訓練されなければならぬ。その資本並びに経済機関の能力を支那に持たしめる原動力はどこから出て来べきであるか、今日の現状ではそれがすなわち、日本、英、米等の間にむつかしい問題になるので、それらの強国の間に各々融和すべき機会が生じて来るにあらずんば容易に解決しない。しかしこれら三国間の問題というものは、各国家としての問題は解決し難いのであるけれども、各国民が個々の仕事としての運動は、その間にも絶えず行われるのであって、それについて最も今日有力な位置に立っておるのは日本国民である。近時の排日問題のごときは、もちろんその進路に時々妨碍を与えるところのものであるが、これは一時的のもので、いずれは何かの事情によって一時的の解決はつくとして、引き続き民衆間の個々の運動が継続される。もし極めて簡単に支那の従来の政治組織を破壊して、新しい民衆的の政治に導くべき原動力は何かということになれば、それは日本国民の支那経済界における運動だといってもよい。
⇒先の大戦における日本の敗北と中国共産党の支那支配の確立によって、日本、英国、米国の資本も人も支那から追放されてしまい、その後四半世紀以上経過した後、トウ小平の下で推進された改革開放の時代になって、日本や欧米の資本が再び導入されるとともに、日本国民の個々の努力ではなく、中共当局による日本化戦略発動のおかげで、支那の日本化が進捗しつつある、というわけであり、内藤の描いたシナリオとは全く違った形で、しかし、内藤の思い描いた結果に近いものが支那で実現しつつある、ということになりそうです。(太田)
支那の革新に対して日本の力が加わるということは、単に一時の事情から来た問題ではない。これは東洋文化の発展上、歴史的の関係から来た当然の約束といってもよろしい。支那とか日本とか朝鮮とか安南とかいう各国民が存在しておるのは、各国家の上に相当に重要な問題ではあろうけれども、東洋文化の発展という全体の問題から考えると、それらは言うに足らない問題であって、東洋文化の発展は国民の区別を無視して、一定の径路を進んで行っておるのである。
⇒誤りです。
内藤がインド亜大陸までを包摂していないのがせめてもの救いですが、支那・日本・朝鮮・ベトナムは、漢字を介しての単語の相当部分の共有、以外に共通項はないのであって、東洋文化なるものは存在していないからです。
(かつて共有していた大乗仏教については、おしなべて壊滅に近い状態ですし、儒教に至っては、やはり壊滅に近い状態ですし、そもそも、その核心部分が日本に普及することはついぞありませんでした。)(太田)
元来今日の支那の本国でも、昔からの民族上の関係等を吟味すると、必ずしも一つの民族と考えるわけにもゆかぬ。少なくとも、二、三種以上の民族から成り立っているのであるが、それらも文化の発展からは民族の区別を滅ぼしてしまって、一つの東洋文化を形作る径路を辿っている。
⇒ここは、「東洋文化」を「漢人文明」に置き換えれば、一応成り立ちます。(太田)
<よって、>支那文化を受くるについて広東等よりも決して遅くないところの日本が、今日において東洋文化の中心とならんとして、それが支那の文化にとって一つの勢力になるということは、何の不思議もないことである。」(282〜286)
⇒完全な誤りであり、日本が「漢人文明」の「中心とな」ることなど、およそありえない、で終わりです。(太田)
(続く)
<内藤湖南の『支那論』を読む(その24)>(2015.10.9公開)
「ともかく支那は現状のままでは行き詰って、これより変化すべき見込みはない、何らか変った事情がそこに生ずるのでなければとうてい変化がないということは一般に認められて、政治改革等という問題は、現状のままでは幾度やっても実効のないものという考えが一般に行き渡って来たようである。」(280)
⇒それがどうしてかについて、内藤は郷団自治のせいだと思っていたのかもしれませんが、そうではなく、支那人民の阿Q性(非人間主義性)のためだったのです。
この事情は、現在でも、まだ大きくは変わっていません。(太田)
「<しかし、>少なくとも政治の競技を、競技者としてまで民衆を引き入れなくとも、少なくとも見物人として民衆を引き入れるようにすれば、支那の政治組織は根本から変るのである。」(281)
⇒どうやってこれを現実のものにするかに内藤は触れていませんが、現在の中共においては、インターネットの普及によって、現実のものになっています。
但し、「支那の政治組織」が「根本から変る」かどうかは、中共当局による、現在進行形の人間主義化/日本化戦略の最終的成否いかんにかかっています。(太田)
「支那は無限の富源を持っておって、これを開発する資本と経済機関運転の能力とを全く欠如しておる。資本はどこからか輸入せなければならず、経済機関運転の能力は少なくとも数十年間外国人に訓練されなければならぬ。その資本並びに経済機関の能力を支那に持たしめる原動力はどこから出て来べきであるか、今日の現状ではそれがすなわち、日本、英、米等の間にむつかしい問題になるので、それらの強国の間に各々融和すべき機会が生じて来るにあらずんば容易に解決しない。しかしこれら三国間の問題というものは、各国家としての問題は解決し難いのであるけれども、各国民が個々の仕事としての運動は、その間にも絶えず行われるのであって、それについて最も今日有力な位置に立っておるのは日本国民である。近時の排日問題のごときは、もちろんその進路に時々妨碍を与えるところのものであるが、これは一時的のもので、いずれは何かの事情によって一時的の解決はつくとして、引き続き民衆間の個々の運動が継続される。もし極めて簡単に支那の従来の政治組織を破壊して、新しい民衆的の政治に導くべき原動力は何かということになれば、それは日本国民の支那経済界における運動だといってもよい。
⇒先の大戦における日本の敗北と中国共産党の支那支配の確立によって、日本、英国、米国の資本も人も支那から追放されてしまい、その後四半世紀以上経過した後、トウ小平の下で推進された改革開放の時代になって、日本や欧米の資本が再び導入されるとともに、日本国民の個々の努力ではなく、中共当局による日本化戦略発動のおかげで、支那の日本化が進捗しつつある、というわけであり、内藤の描いたシナリオとは全く違った形で、しかし、内藤の思い描いた結果に近いものが支那で実現しつつある、ということになりそうです。(太田)
支那の革新に対して日本の力が加わるということは、単に一時の事情から来た問題ではない。これは東洋文化の発展上、歴史的の関係から来た当然の約束といってもよろしい。支那とか日本とか朝鮮とか安南とかいう各国民が存在しておるのは、各国家の上に相当に重要な問題ではあろうけれども、東洋文化の発展という全体の問題から考えると、それらは言うに足らない問題であって、東洋文化の発展は国民の区別を無視して、一定の径路を進んで行っておるのである。
⇒誤りです。
内藤がインド亜大陸までを包摂していないのがせめてもの救いですが、支那・日本・朝鮮・ベトナムは、漢字を介しての単語の相当部分の共有、以外に共通項はないのであって、東洋文化なるものは存在していないからです。
(かつて共有していた大乗仏教については、おしなべて壊滅に近い状態ですし、儒教に至っては、やはり壊滅に近い状態ですし、そもそも、その核心部分が日本に普及することはついぞありませんでした。)(太田)
元来今日の支那の本国でも、昔からの民族上の関係等を吟味すると、必ずしも一つの民族と考えるわけにもゆかぬ。少なくとも、二、三種以上の民族から成り立っているのであるが、それらも文化の発展からは民族の区別を滅ぼしてしまって、一つの東洋文化を形作る径路を辿っている。
⇒ここは、「東洋文化」を「漢人文明」に置き換えれば、一応成り立ちます。(太田)
<よって、>支那文化を受くるについて広東等よりも決して遅くないところの日本が、今日において東洋文化の中心とならんとして、それが支那の文化にとって一つの勢力になるということは、何の不思議もないことである。」(282〜286)
⇒完全な誤りであり、日本が「漢人文明」の「中心とな」ることなど、およそありえない、で終わりです。(太田)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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