太田述正コラム#7510(2015.2.26)
<映画評論45:ベイマックス(その1)>(2015.6.13公開)

1 始めに

 既に、ディスカッション上で、ToshiさんとUSさんの問題提起に応える形で、表記コラム・シリーズは始まっている、と言っていいでしょう。
 俎上に載せられたのは、このアニメ映画の舞台となる都市がサンフランソウキョウという、サンフランシスコと東京の混淆したような名称であることに象徴されているところの、米国人の日本観であり、もう一つが、オリジナル版と日本版のタイトルの違いともかかわっていると思われる、欧米と日本との、ロボット観の違いです。
 そこで、さっそくこの二つの論点に、逆順で取り組むことにしましょう。

2 欧米と日本のロボット観

 まず、これに関わるネット上での議論を、概ね、古いもの・・といっても2007年ですが・・から新しいもの、の順序で、ピックアップしてみたので、長いし、処々で内容がダブっていますが、ざっと目を通していただきたいと思います。

 「・・・アトムに始まり、ドラえもん、アラレちゃんからキューティーハニーまで、これは日本のアニメの日常であり,ロボットには人間と同じ人格が認められてきたといえる。・・・
 ロボットを家族の一員、社会の一員として描いた日本アニメの世界観は、衝撃と困惑をもって世界に受け止められた。ロボットの描き方はそれほどまでに衝撃的なことであった。というのも、西欧の価値観に基づくと、ロボットは機械であり、無機質で機械的な冷たいもので、決して人間のような存在にはなりえないものだと考えられているためだ。・・・
 これほどに、世界に衝撃を与えた日本人のロボットへの感性の根幹には、日本人の持つアニミズムの呼吸がある。・・・

⇒単なる言葉の問題ではないかと言われそうですが、「アニミズム」という言葉は使って欲しくないですね。
 というのは、「アニミズム(animism)とは・・・若干の原住部族的人々、とりわけ、組織宗教(organized religion)の発展以前の人々・・の信条体系についての言葉」
http://en.wikipedia.org/wiki/Animism
、つまりは、キリスト教的な宗教を先進的なものとする欧米中心主義的世界観が投影されている言葉だからです。
 ですから、せめて、「神道」という言葉を使って欲しいところです。
 神道に関する英語ウィキペディアの中に「アニミズム」は全く登場しません。
http://en.wikipedia.org/wiki/Shinto
 最も望ましいのは、「人間主義」ですが、この言葉がまだ普及していないのが残念です。(太田)

 西洋ではキリスト教の価値観から、人間の尊厳を規定してきた。一神教では、心、あるいは魂は創造主の独占物であり、生命の創造は神の御業とされてきた。魂や霊性としての人間はその他のありとあらゆるいかなる生物とも異なる、尊い存在である。ましてや、人間の被造物に魂がやどるとは考えられてこなかった。むしろ、そうした考え方を偶像崇拝として忌み嫌ってきた歴史さえある。この点では、西洋はロボットを受け入れない土壌があったといえる。
 このように、西洋の人間中心主義的な視点からは、人間の尊厳、たとえば心や魂の問題は不可侵の領域として科学の外に置いてきた。ロボットという概念がSFに登場した時から、それは日本人がロボットに抱く感情とは大きく異なる価値観によって書かれたものであったし、人工の生命―フランケンシュタインの怪物やターミネーター、マトリックスなどのSFに見られるように―は、人間への氾濫を起こす脅威として描かれてきた。人工知能、コンピュータの氾濫−フランケンシュタインコンプレックスと呼ばれる―は、人工生命が人間の尊厳を脅かすことへの不安、すなわち“神への冒涜”への畏れであった。・・・
 ピノキオは暴走も反逆もしない、心をもつ主人公ではあるが、人形である=不完全人間になりたい(人間になることがハッピーエンドである)という価値観は西洋的である。・・・」
http://1st.geocities.jp/volclex/1/robbot.html

⇒上述した点を除けば、日本人と思しき人物の記述には首肯できます。(太田)

 「・・・<スイスの>ローザンヌ工科大学のAI ( 人工知能研究者 ) フレデリック・カプラ・・・が 日本と西欧におけるロボット観の違いを語る。・・・
 日本では・・・ソニーのロボット犬Aibo・・・に対して拒絶感はなく、熱意を持って受け入れられました。これに対して、フランスではこのようなロボットは「危険」とか「子供に悪影響」などと言われ、理性的でない、感情的な拒絶反応が多かったのです。
 多くの人はこの差を、テクノロジーが日本人にとても重要だからだと言いました。私はそうではなく、西欧では人間性にかかわる哲学的問題として捉えているのに対して、日本人は単なるテクノロジーと思っているのではないかと思いました。・・・
 西欧では・・・人間の定義がロボットに対立するものとして捉えられています。これは根深く、聖書までさかのぼります。まず、神は第1段階で人間の像を作ります。これは陶芸家のような人間のテクノロジーです。第2段階で、その像に息を吹き込みます。人間をつくるには人のテクノロジーと神のテクノロジーの両者が必要ということです。
 人間の定義は「機械 ( テクノロジー ) プラス何か」なのです。しかし、その「何か」がはっきりと分かっていないために、新しい機械が現れると常に「人間とは何か」という哲学的問題にぶつかるのです。このため、ロボットが進歩するたびに人間との差異を定義し直すのです。
 それでは何故、日本でロボットは積極的に受け入れられるの<かですが、>・・・明治維新の「和魂洋才」という言葉がありますね。テクノロジー ( 洋才 ) は和魂を脅かすことはないのです。テクノロジーは殻のように外を守るもので、中身に影響を与えないと日本人は考えているのです。・・・
 <そもそも、>日本では自然に似せて造った人工的なのものは美しく、ポジティブなのです。日本庭園の美しさもそうです。ですから、ロボットが人間に似ていても問題はありません。
 ところが、西欧では「フランケンシュタイン・コンプレックス」<・・>神に代わって人間やロボットといった被創造物を創造することへの憧れと、その創造物によって創造主である人間が滅ぼされる恐れ。<・・>に現れるように神話や伝説で人間が人工のものを造ろうとすると必ず、大問題が起こります。神に助けを乞う場合は辛うじて大丈夫ですが。ギリシア神話でもピグマリオンがそうです。・・・
 キプロス島の王がガラテアという理想の女性を彫刻し、アフロディテが彫像に生命を吹きいれ、ピグマリオンが妻として迎える<、という物語です>。
 西欧では産業が役に立たないものを開発するという発想はありません。日本には西欧にはない自由があるのではないでしょうか。Aiboは日本でなければ生まれなかったでしょう。・・・」
http://www.swissinfo.ch/jpn/%E3%83%AD%E3%83%9C%E3%83%83%E3%83%88%E3%81%8B%E3%82%89%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B/5812916

⇒このスイス人による欧米人のロボット観についての分析は、先ほどの日本人と思しき人物とほぼ同じ説明ですが、日本人のロボット観についての分析は面白いですし、この分析もまたアリだと思います。
 とにかく、アニミズムという言葉を使っていない点を評価したいところです。(太田)

 「・・・パーソナルロボット市場で、日本は世界をリードする国だ。軍事目的が主流のアメリカと違い、日本では主に娯楽や介護、監視用に開発されている。
 「日本のロボット開発が評価される理由は、その文化的・宗教的な歴史にある」と・・・ジェニファー・ロバートソン(人類学者、ミシガン大学教授)・・・は説明する。神道では石や木などあらゆるモノに生命を吹き込むから、「ロボットは生あるものとみなされ、日本の開発者はロボットに感情や良心をもたせられると信じている」という。・・・」
http://www.newsweekjapan.jp/stories/2010/08/post-1503.php

⇒引用されている米国人教授が、「神道」で説明している点は好感が持てます。(太田)
 
 「・・・アメリカ人の・・・ロボット・コレクター、ジャスティン・ピンチョット・・・はこう答えている。
 「不安の種はいつも、ロボットが知能をあまりにもちすぎて、自分のやりたいように行動を決定してしまうのではないかということでした。初期のSFの大きなテーマは、私たちが創ったロボットの暴走でしたし。
 こんにちでも、これはコンピュータに対して広く行き渡っている感覚です。・・・
 現代の玩具のロボットの真の隆盛というのは、戦後の日本が発端です。日本が米国の支援を受けて復興していた時代ですね。もっとも、日本には戦前からブリキの玩具製造がしっかり根付いていましたから、彼らにとって玩具産業を再興し、継続していくことはしごく簡単なことだったんですが。

⇒止むを得ないことでしょうが、この米国人は、「17世紀頃から、<欧州由来の>時計などに使われていた歯車などの技術を人形を動かす装置として応用したからくり人形が作られ始めた。これは主に台の上の人形が様々の動作を見せるもので、当初は公家や大名、豪商などの高級玩具であったが、祭礼や縁日などの見世物として一般の目に触れると人気を呼ぶようになって日本各地に普及し、専門の職人も現れ非常に精巧なものが作られるようになった」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%8F%E3%82%8A
という史実をご存知ないのですね。(太田)

 戦後の日本のロボットのマーケティングやパッケージに大きな影響を与えたのは原爆でした。これは、(訳注:日本人にとって)技術的に進化した巨大なスーパーパワーが別のスーパーパワーを粉砕するという物語でした。このテーマ全体が宇宙ものの玩具やロボットに形を変えたのです。初期のロボットの包装箱を見ればわかります。街中をロボットが踏み荒らし、破壊を引き起こしている。これは、爆弾でなにが起こったかという暗喩だったんです。・・・」・・・

⇒これは、このブログ主たる日本人の指摘ですが、怪獣映画の登場の説明にもなっており、首肯できます。(太田)

 <また、>フランス人の現代日本研究者、Jean-Marie Bouisso・・・も、「原爆=科学の勝利=日本の戦後の科学への没頭」という流れを『鉄腕アトム』で解説していました。

⇒このフランス人は、日本人の匠への崇敬や和算の隆盛等から伺える学問好き、といった伝統を知らないとみえます。(太田)

 ただ、なぜその原爆を原体験とするスーパーパワーを恐怖ではなく、愛情の対象にしたかというあたりが大事かと思うのですが、この経緯にはやっぱり強大で恐ろしいものが信仰や憧憬の対象になりうる宗教観、そうして「物にすら神が宿る」というアミニズムが深く関係してくるのかなあと思います。・・・

⇒このブログ主たる日本人、やはり、「アニミズム」という言葉を使ってしまっていますね。(太田)

 <更にまた、>クリストファー・ミムズはテクノロジー関連のジャーナリスト<ですが、次のように書いています。>・・・
 そもそも、ロボットという言葉はチェコの戯曲(訳注:カレル・チャペック作『R.U.R.』)の中で1921年にデビューし、そのときからすでにロボットは最終的には決起し、主人である人間を殺すものだった<、と>。・・・
 <はたまた、女性の>ヘザー・ナイト・・・は、ロボットに対する日本人と米国人の態度の差は、ロボットという概念が生まれるよりもっとずっと古い時代に端を発していると結論を下している。つまり、宗教だ。
 「日本では…アニミズムのせいで、みな文化的にロボットに対してオープンです。日本人は、無生物と人間を区別しません。」
 アニミズムは、仏教の伝来より前から存在し、今なお日本文化に大きな影響力をもつ神道信仰の構成要素だ。アニミズムとは、すべてのもの、人間が作った物にさえ霊が宿るという考え方である。社会科学者、北野菜穂の論文『Animism, Rinri, Modernizationp; the Base of Japanese Robotics(アニミズム、倫理、近代化:日本のロボット工学の基盤)』にはこうある。
 「太陽、月、山、木、それぞれに霊や神が宿っている。神々にはそれぞれ名前があり、特徴をもち、自然と人間の現象をコントロールしていると信じられている。こうした考え方はいまだ信じられており、自然と霊的存在への日本人の関わり方に影響を及ぼしている。これはのちに、人工物へも波及した。そのため、(日本人は)日用品や常用器具すべてに霊が宿っていると考え、こうした日用品に宿る霊が人間とうまく調和することを信じている。」<と。>

⇒こういった日本人の学者が、「アニミズム」という言葉を使うから、米国人と思しき、女性がその言葉を右から左に使ってしまうのです。(太田)

 対照的に、西欧では、生命の創造は必然的に創造者を破壊に導くものだ。メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』に始まった話ではないのだ。作家の梅沢類(訳注:日系カナダ人作家)はこう指摘している。
 「ロボット工学に対する西欧の態度に宗教が完全に影響を与えていることを理解するためには、ユダヤ教とキリスト教に共通の一神論が忠実に守っている教義を思い出さねばならない。つまり、生命を創ることができるのは神だけであること。また、創世記の一般的な解釈では、初めに存在したのは神だけであり、すべての生物は神の創造物なのだ。出エジプト記もまた、偶像崇拝は罪であると定めている。
 こうしたことから、無生物に息を吹き込む者は、神の役割を担っていることになり、とどのつまり、偽りの偶像に自身がなっていることになる。こんな冒涜者には罰を与えるのがふさわしいし、SFの慣例だとロボットの裏切りと言う形式をとる。ロボットという用語を造ったことで評価されている1920年の作品、『R.U.R』に始まり、映画『ターミネーター 』、『宇宙空母ギャラクティカ 』にいたるまで、人間の自惚れは常にその創造物から反乱を起こされるはめになるのだ。」<と。>・・・

⇒この日本人作家が言っていることは首肯できます。(太田)

 <そしてまた、>ミラー・マッキューン(訳注:米国の科学技術雑誌)に寄稿しているジャーナリスト、サリー・オーガスティンは、「日本人が、日本の能のように曖昧な表情をさせてロボットの感情をほのめかすことで満足するのに対して、アメリカ人はロボットの表情が感情的に豊かであることを重視する」と論じている。

⇒そうですかねえ。(太田)

 もっと具体的に言えば、アメリカ人はロボットの研究を軍事利用の方向へ向かわせることが多いのに対し、日本人は「日々の暮らしの改善を目的とする消費者用のロボットに大枚を投資している」。

⇒単に、戦後日本人が軍事を放擲したから、というだけのことです。(太田)

 アメリカ人がロボットを危険で意図的な人造物であり、いずれ作り手に死をもたらすものと見なし、日本人はその文化によってロボットを協力者、西欧で言うならソウルに近いものを宿したものと考えるというなら、片方の国家がロボットを軍事利用することに肯定的になり、他方が、急速に高齢化が進み、扶養を受ける人口が増大している国を助けるのにふさわしい慈悲深い仲間と考えるのも、ほとんど驚くべきことではないだろう。」
http://gyanko.seesaa.net/article/174247864.html

⇒すぐ上で述べたように、日本が「軍事利用することに」否定的なのは、戦後だけの現象に過ぎません。(太田)

 「・・・今でも日本メーカーは世界の産業用ロボット市場で5割超のシェアを持つ。ソニーのAIBO<や>・・・ホンダのASIMOのようなロボットが生まれてくることに何の抵抗もなかったどころか、今でもロボットの進化に明るい未来のイメージを重ねる人は少なくない。
 だが、欧米ではそうではない。もちろん中には、『宇宙家族ロビンソン』の『フライデー』や『スターウオーズ』の『R2-D2』、『C-3PO』など、人間の友達としてのロボットがいないわけではないが(そして、これらのロボットは皆、日本人に非常に人気があると思うが)、小説、映画やTVなどで一般的に浸透しているロボット/人造人間、あるいはコンピューターのイメージは、『いつ人間に反逆するかわからない不気味な存在』だろう。『フランケンシュタイン』、『2001年宇宙の旅』『ターミネーター』『宇宙空母ギャラクティカ』等々、いくらでもその例をあげることができる。
 ロボットに関しては、性善説の日本と性悪説の欧米というはっきりした対局の構図がある(その背後にはそれぞれの宗教観があるが、その点は今回は深入りしないでおく)・・・

⇒この日本人と思しきブログ主の、以上の叙述は的確ですね。(太田)

[投稿者α]日本は仏教的な心身一元論で、心と体は同じもの(空即是色色即是空)と考えており、体さえ人間と同じなら勝手に心も宿ると考えている節があります。

⇒心身二元論(Cartesian dualism)を否定するのがアニミズムの特徴の一つとされている
http://en.wikipedia.org/wiki/Animism 前掲
ところ、その伝で行けば、組織宗教である仏教も一種のアニミズムであるということになりかねないのであって、この点でも、アニミズムという言葉は排斥されるべきでしょう。(太田)

 逆に欧米はキリスト教的な心身二元論(我思う故に我在り)で、心と体はまったく別にもの心こそ人間の本質であると考えています。よって心(人工知能)への探求は日本の比ではありません。・・・
[投稿者β]「一般的に浸透しているロボット/人造人間、あるいはコンピューターのイメージは、『いつ人間に反逆するかわからない不気味な存在」という記述ですけど、それは奴隷文化のトラウマが反映しているからだと思われます(笑)・・・

⇒これは秀逸な指摘です。(太田)

[投稿者γ]日本が明らかに出遅れたインターネットが当初軍事目的で作られたことをもうお忘れか。・・・」
http://d.hatena.ne.jp/ta26/20140429

⇒これも鋭い指摘です。
 ロボットに限らず、日本が軍事放擲を止めない限り、科学技術面で、真に画期的なブレークスルーを成し遂げることは困難でしょう。(太田)

(続く)