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太田述正コラム#7454(2015.1.29)
<『超マクロ展望--世界経済の真実』を読む(その2)>(2015.5.16公開)
K:なぜアメリカはイラクを攻撃したのか。・・・複数の要因のなかでもとりわけ重要な要因があります。
まず、1999年にEUにおける共通通貨、ユーロが発足しますね。その1年後の2000年2月にイラク大統領だったフセインが、これからは石油の売上代金をドルでは受け取らない、すべてユーロで受け取る、ということを国連に対して宣言し承認されました。当時まだイラクは湾岸戦争後の経済制裁を受けていたので、石油の輸出を制限され、その売上代金はすべて国連が管理していました。その口座のお金を、フセインはドルからユーロに変えてしまったのです。・・・
このフセインの決定に、たとえばリビアのような反米の産油国も追従する動きをみせます。・・・
ドル以外の通貨でも石油を買えるようになれば、誰も赤字まみれのドルを受け取ってくれなくなり、場合によってはドルが暴落してしまうかもしれません・・・。
だからアメリカはどうしてもフセインの決定をつぶさなくてはならなかった。フセインを倒して、基軸通貨としてのドルの地位を守らなくてはならなかったのです。こうして・・・アメリカは・・・2003年3月にイラク攻撃をはじめたのです。・・・
⇒完全な誤りです。
米国が、石油利権だろうがドル基軸通貨制度だろうが、経済的理由を主たる理由として対外戦争を始めることはありえません。
過去に一例もありません。
そうである以上、イラク戦争の時が、その例外である可能性などまずない、と言うべきでしょう。
にもかかわらずそういった議論をするのであれば、強力で具体的な典拠を挙げるべきですが、挙げられていません。そもそも、そんな典拠など存在するわけがありません。
(経済的理由等で起こった1775〜83年の米独立戦争は米国ができる前の話ですし、英国本国とその植民地の間の内戦と見ることができますし、同じく経済的理由等で起こった1861〜65年の南北戦争は文字通りの内戦です。
なお、1812年の米英戦争は、英領カナダの併合等を期して起こしたものですが、併合の目的は経済的というよりは対英安全保障的なものでしたし、1846〜48年の米墨戦争は、メキシコ内の米国人入植者達が経済的理由等で対メキシコ武力闘争を始め、彼らの保護に藉口して後に米国が領土拡張目的で参戦したものであったところ、これもまた、経済的理由によるとは必ずしも言えません。インディアン「文明」やスペイン(欧州)文明に対するアングロサクソン文明の優位意識に基づく、北アメリカ大陸におけるマニフェストデスティニーの成就、というイデオロギー的理由によるものだったからです。)(太田)
M:なるほど、イラク戦争は、石油そのものではなく、石油についての国際的な経済ルールをめぐってなされた戦争だということですね。・・・
セブン・シスターズもOPECも、領土主権を前提とした利益獲得の枠組みにあったわけですね。それが、石油が金融商品化されることで、領土の枠をはみだし、戦争のかたちも変わっていく。
K:先進国にとっての戦争が、ある領土の支配権を獲得するためのものではなくなり、脱領土的なシステムを防衛するためのものとなったのです。領土、ではなく、抽象的なシステムによって自らの利益を守ることに、軍事力の目的が変わっていったのです。
⇒米国の前に世界覇権国であったところの、英国の帝国形成は、商業的(経済的)利益を追求した結果として成り行きの積み重ねでなされたものに過ぎず、従って、その間の英国の戦争も、領土の支配権を獲得することを主眼とするものであったことは殆んどありませんでした。
領土の支配権を獲得することを主眼とする戦争を繰り返して帝国形成を行った典型例は、欧州文明のフランスや欧州文明の外延のロシアです。(米国については上述。)
萱野はフランスで博士号を取得していますし、水野は「フェルナン・ブローデルや・・・イマニュエル・ウォーラスティンなどの、歴史書や思想書を読<んだ>」(12〜13)らしいところ、ブローデルはフランスの学者であり、ウォーラスティンは、「唯物弁証法や史的唯物論、国際政治経済学での従属理論、それに歴史学のアナール学派の代表的存在であるフェルナン・ブローデルの研究方法を踏まえて・・・政治経済学と社会学を包括した世界システム論を提唱、確立した」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%B3
ところの、思想的・方法論的に欧州系の学者(ユダヤ人)であることから、萱野も水野も、上述のような、少なくともイギリス人的観点からは歪んだ歴史認識を抱くに至ったものと考えられます。(太田)
かつての植民地支配では、<植民地の領土>・・・は完全に宗主国のコントロールのもとにあった。それが現在では、領土主権は一応その土地にあるものとして認められたうえで、しかし、その領土主権を無化してしまうような国際経済のルールをつうじて、覇権国の利益が維持されるのです。・・・
もともとアメリカの覇権がそれまでのイギリスの覇権と違うのは、アメリカは基本的に植民地をもたないという点です・・・。・・・
アメリカは中東にほとんど石油利権をもっていません。<そもそも、>アメリカが中東から輸入している原油は、アメリカの石油消費量に対して1割ほどしかない。・・・それにもかかわらず、中東で何かあれば一気に国際石油市場のあり方に影響をあたえてしまうので、アメリカはそこに軍事介入せざるをえない。イラクがドルでの取引をやめると言えば、そこに軍事介入せざるをえないのです。」(45〜51)
(続く)
<『超マクロ展望--世界経済の真実』を読む(その2)>(2015.5.16公開)
K:なぜアメリカはイラクを攻撃したのか。・・・複数の要因のなかでもとりわけ重要な要因があります。
まず、1999年にEUにおける共通通貨、ユーロが発足しますね。その1年後の2000年2月にイラク大統領だったフセインが、これからは石油の売上代金をドルでは受け取らない、すべてユーロで受け取る、ということを国連に対して宣言し承認されました。当時まだイラクは湾岸戦争後の経済制裁を受けていたので、石油の輸出を制限され、その売上代金はすべて国連が管理していました。その口座のお金を、フセインはドルからユーロに変えてしまったのです。・・・
このフセインの決定に、たとえばリビアのような反米の産油国も追従する動きをみせます。・・・
ドル以外の通貨でも石油を買えるようになれば、誰も赤字まみれのドルを受け取ってくれなくなり、場合によってはドルが暴落してしまうかもしれません・・・。
だからアメリカはどうしてもフセインの決定をつぶさなくてはならなかった。フセインを倒して、基軸通貨としてのドルの地位を守らなくてはならなかったのです。こうして・・・アメリカは・・・2003年3月にイラク攻撃をはじめたのです。・・・
⇒完全な誤りです。
米国が、石油利権だろうがドル基軸通貨制度だろうが、経済的理由を主たる理由として対外戦争を始めることはありえません。
過去に一例もありません。
そうである以上、イラク戦争の時が、その例外である可能性などまずない、と言うべきでしょう。
にもかかわらずそういった議論をするのであれば、強力で具体的な典拠を挙げるべきですが、挙げられていません。そもそも、そんな典拠など存在するわけがありません。
(経済的理由等で起こった1775〜83年の米独立戦争は米国ができる前の話ですし、英国本国とその植民地の間の内戦と見ることができますし、同じく経済的理由等で起こった1861〜65年の南北戦争は文字通りの内戦です。
なお、1812年の米英戦争は、英領カナダの併合等を期して起こしたものですが、併合の目的は経済的というよりは対英安全保障的なものでしたし、1846〜48年の米墨戦争は、メキシコ内の米国人入植者達が経済的理由等で対メキシコ武力闘争を始め、彼らの保護に藉口して後に米国が領土拡張目的で参戦したものであったところ、これもまた、経済的理由によるとは必ずしも言えません。インディアン「文明」やスペイン(欧州)文明に対するアングロサクソン文明の優位意識に基づく、北アメリカ大陸におけるマニフェストデスティニーの成就、というイデオロギー的理由によるものだったからです。)(太田)
M:なるほど、イラク戦争は、石油そのものではなく、石油についての国際的な経済ルールをめぐってなされた戦争だということですね。・・・
セブン・シスターズもOPECも、領土主権を前提とした利益獲得の枠組みにあったわけですね。それが、石油が金融商品化されることで、領土の枠をはみだし、戦争のかたちも変わっていく。
K:先進国にとっての戦争が、ある領土の支配権を獲得するためのものではなくなり、脱領土的なシステムを防衛するためのものとなったのです。領土、ではなく、抽象的なシステムによって自らの利益を守ることに、軍事力の目的が変わっていったのです。
⇒米国の前に世界覇権国であったところの、英国の帝国形成は、商業的(経済的)利益を追求した結果として成り行きの積み重ねでなされたものに過ぎず、従って、その間の英国の戦争も、領土の支配権を獲得することを主眼とするものであったことは殆んどありませんでした。
領土の支配権を獲得することを主眼とする戦争を繰り返して帝国形成を行った典型例は、欧州文明のフランスや欧州文明の外延のロシアです。(米国については上述。)
萱野はフランスで博士号を取得していますし、水野は「フェルナン・ブローデルや・・・イマニュエル・ウォーラスティンなどの、歴史書や思想書を読<んだ>」(12〜13)らしいところ、ブローデルはフランスの学者であり、ウォーラスティンは、「唯物弁証法や史的唯物論、国際政治経済学での従属理論、それに歴史学のアナール学派の代表的存在であるフェルナン・ブローデルの研究方法を踏まえて・・・政治経済学と社会学を包括した世界システム論を提唱、確立した」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%B3
ところの、思想的・方法論的に欧州系の学者(ユダヤ人)であることから、萱野も水野も、上述のような、少なくともイギリス人的観点からは歪んだ歴史認識を抱くに至ったものと考えられます。(太田)
かつての植民地支配では、<植民地の領土>・・・は完全に宗主国のコントロールのもとにあった。それが現在では、領土主権は一応その土地にあるものとして認められたうえで、しかし、その領土主権を無化してしまうような国際経済のルールをつうじて、覇権国の利益が維持されるのです。・・・
もともとアメリカの覇権がそれまでのイギリスの覇権と違うのは、アメリカは基本的に植民地をもたないという点です・・・。・・・
アメリカは中東にほとんど石油利権をもっていません。<そもそも、>アメリカが中東から輸入している原油は、アメリカの石油消費量に対して1割ほどしかない。・・・それにもかかわらず、中東で何かあれば一気に国際石油市場のあり方に影響をあたえてしまうので、アメリカはそこに軍事介入せざるをえない。イラクがドルでの取引をやめると言えば、そこに軍事介入せざるをえないのです。」(45〜51)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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