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太田述正コラム#7444(2015.1.24)
<2015.1.24東京オフ会次第>(2015.5.11公開)
1 始めに
本日のオフ会の概要については、先ほどツイートした通りです。
概ね毎週1回、日曜日に1時間ピアノを弾いているだけの私が、komuroさんからのピアノ演奏のリクエストもあり、18日の日曜日から毎日1時間弾いて練習しようと思ったところ、木曜日の練習中に、右手親指が痛みだし、中断し、金曜日の練習中も中断する羽目になり、そもそも、本日、ピアノが弾けるか心配していたのですが、本日は痛みが大したことがなく、ピアノの指使いの心許なさの言い訳ができて、むしろ助かりました。
夕刻には、オーディオ鑑賞を、中森明菜の『駅』(フルオーケストラ伴奏)、Julia Fischerの『グリーク・ピアノ協奏曲』の最初の3分の1で行い、次いで、私のピアノ演奏で、聴いたばかりの『駅』、ショパン『ワルツ19番(遺作)』、ショパン『ノクターン21番(遺作)』、ベートーベン『月光ソナタ』(1〜3楽章)を弾きました。
ところで、これまたkomuroさんリクエストの焙煎コーヒーについては、komuroさんがお帰りになってから、出していなかったことに気付き、最後まで残った5人に出しました。
マグカップは私用の1個しかなく、残りのカップは小ぶりのものばかりだったので、各自3分の2程度の分量の豆を使用してもらうことになり、一杯(70円ならぬ)50円ずつ頂戴しました。
前後しましたが、「講演」の際、「原稿」を新富士通携帯パソコンで読みながら、旧富士通携帯パソコンで「付図」をTVモニターに出力しようと考えていたところ、旧パソコンの方のUSB端子が全部死んでいることを発見し、マウスが使えないのでは、とその使用を断念し、新パソコンのほうで、「原稿」と「付図」をどちらもTVモニターに出力することとし、両者を切り替えながら「講演」を行いました。
なお、今回の「講演」は、録画担当のBERNIEさんが一次会に出席できなかったこともあり、将来とも、太田HPにアップされることはありません。
2 質疑応答の概略(順不同)(Oは太田。同じアルファベットが同じ人を示すわけでは必ずしもない。)
A:Isisに関する太田さんの見解にどうしてみんなもっと注目しないのだろう。
O:それは、中共の対日戦略や慰安婦問題や太平洋戦争史観に関する私の見解に注目がなされないことと同じだろう。
前にも言ったことがあるが、私は、役所勤め時代から、自分もサル山の一員のくせに、時々文化人類学者気取りで、自分の周りのサルならぬ日本人達の魔訶不可思議なふるまいを興味を持って観察してきた。
戦後日本人の言動は本当に面白い。
人間主義者の、とりわけ、縄文モードにおけるその言動は面白い、ということなのだろう。
A:どうして、イスラム教徒はこのところ過激化してきているのだろうか。
O:教育やインターネットの普及によって、多くの一般のイスラム教徒がムハンマドの頃を含む初期イスラム社会の実態についての知識を得るに至ったからだ。
そうなると、自分達が実践しているイスラム教が、それとは異なったものだ、堕落したものだ、という認識に到達せざるをえない、ということだ。
B:日本のネットでは、Isisに捕まった二人は自己責任だという意見が強いが・・。
O:私は、Isisが短い期限を切り、法外な身代金を要求してきた時点で、人質を殺すつもりはないのではないか、という気がしたが、そうコラムに書くことは控えた。
Isisのものの考え方を、常識的に判断するのは危険だからだ。
しかし、殺されずに解放される可能性はある、と今でも思ってはいる。
C:どうして日本の戦前の外交官は、あんなに劣化したのか。
O:イギリスの政治家や官僚の大部分は5年間のパブリックスクール教育の中で軍事教練を受けており、実弾射撃や部隊行動の教練を通じて、軍事素養を身に付けている。
(軍人になる者が入る、英陸軍士官学校が9か月コースに過ぎないのに、それだけで少尉に任官できるのは、彼らの多くもパブリックスクールで既に軍事素養を身に付けているからだろう。)
日本の場合は、明治維新後、しばらくの間は、政治家も(外交官を含む)官僚も、武士上がりだったので、軍事素養が身に付いていた。
ところが、旧制高校や帝大では学生に軍事素養を身に付けさせなかった。
そういう学生で、外交官試験に通った者が外交官になるようになると、てきめんに日本の外交官が劣化した、というわけだ。
C:山本五十六はどう評価しているのか。
O:2点問題があった。
米国に長期滞在経験があるにもかかわらず、米英の違いを認識せず、対英のみ開戦を主張しなかったこと、真珠湾奇襲攻撃に固執し、その場合の米国民の激しい反発を予想しなかったことだ。
C:しかし、米英の違いを認識していた、当時の日本人知識人なんて、殆どいなかったのではないか。
O:確かに、英米一体論を外務省が唱えていただけではなく、日本の学者達も、英米一体どころか、欧米一体・・この場合は、欧州とアングロサクソンが同じ文明に属するという意味だが・・だと考えていたわけだから、帝国海軍、とりわけ、山本を、この点で責めるのは酷のように見える。
(いずれにせよ、この点で帝国陸軍を責められないことは確かだ。
陸軍は赤露と支那大陸だけで精いっぱいであり、米国についてまで研究対象が及んでいなかった。)
しかし、海軍は、組織エゴもあり、米国を最大の仮想敵国としてきていただけに、外務省よりも、そして、学者達よりも、むしろ米国に通暁していてしかるべきだったのであり、責められるべきではなかろうか。
<2015.1.24東京オフ会次第>(2015.5.11公開)
1 始めに
本日のオフ会の概要については、先ほどツイートした通りです。
概ね毎週1回、日曜日に1時間ピアノを弾いているだけの私が、komuroさんからのピアノ演奏のリクエストもあり、18日の日曜日から毎日1時間弾いて練習しようと思ったところ、木曜日の練習中に、右手親指が痛みだし、中断し、金曜日の練習中も中断する羽目になり、そもそも、本日、ピアノが弾けるか心配していたのですが、本日は痛みが大したことがなく、ピアノの指使いの心許なさの言い訳ができて、むしろ助かりました。
夕刻には、オーディオ鑑賞を、中森明菜の『駅』(フルオーケストラ伴奏)、Julia Fischerの『グリーク・ピアノ協奏曲』の最初の3分の1で行い、次いで、私のピアノ演奏で、聴いたばかりの『駅』、ショパン『ワルツ19番(遺作)』、ショパン『ノクターン21番(遺作)』、ベートーベン『月光ソナタ』(1〜3楽章)を弾きました。
ところで、これまたkomuroさんリクエストの焙煎コーヒーについては、komuroさんがお帰りになってから、出していなかったことに気付き、最後まで残った5人に出しました。
マグカップは私用の1個しかなく、残りのカップは小ぶりのものばかりだったので、各自3分の2程度の分量の豆を使用してもらうことになり、一杯(70円ならぬ)50円ずつ頂戴しました。
前後しましたが、「講演」の際、「原稿」を新富士通携帯パソコンで読みながら、旧富士通携帯パソコンで「付図」をTVモニターに出力しようと考えていたところ、旧パソコンの方のUSB端子が全部死んでいることを発見し、マウスが使えないのでは、とその使用を断念し、新パソコンのほうで、「原稿」と「付図」をどちらもTVモニターに出力することとし、両者を切り替えながら「講演」を行いました。
なお、今回の「講演」は、録画担当のBERNIEさんが一次会に出席できなかったこともあり、将来とも、太田HPにアップされることはありません。
2 質疑応答の概略(順不同)(Oは太田。同じアルファベットが同じ人を示すわけでは必ずしもない。)
A:Isisに関する太田さんの見解にどうしてみんなもっと注目しないのだろう。
O:それは、中共の対日戦略や慰安婦問題や太平洋戦争史観に関する私の見解に注目がなされないことと同じだろう。
前にも言ったことがあるが、私は、役所勤め時代から、自分もサル山の一員のくせに、時々文化人類学者気取りで、自分の周りのサルならぬ日本人達の魔訶不可思議なふるまいを興味を持って観察してきた。
戦後日本人の言動は本当に面白い。
人間主義者の、とりわけ、縄文モードにおけるその言動は面白い、ということなのだろう。
A:どうして、イスラム教徒はこのところ過激化してきているのだろうか。
O:教育やインターネットの普及によって、多くの一般のイスラム教徒がムハンマドの頃を含む初期イスラム社会の実態についての知識を得るに至ったからだ。
そうなると、自分達が実践しているイスラム教が、それとは異なったものだ、堕落したものだ、という認識に到達せざるをえない、ということだ。
B:日本のネットでは、Isisに捕まった二人は自己責任だという意見が強いが・・。
O:私は、Isisが短い期限を切り、法外な身代金を要求してきた時点で、人質を殺すつもりはないのではないか、という気がしたが、そうコラムに書くことは控えた。
Isisのものの考え方を、常識的に判断するのは危険だからだ。
しかし、殺されずに解放される可能性はある、と今でも思ってはいる。
C:どうして日本の戦前の外交官は、あんなに劣化したのか。
O:イギリスの政治家や官僚の大部分は5年間のパブリックスクール教育の中で軍事教練を受けており、実弾射撃や部隊行動の教練を通じて、軍事素養を身に付けている。
(軍人になる者が入る、英陸軍士官学校が9か月コースに過ぎないのに、それだけで少尉に任官できるのは、彼らの多くもパブリックスクールで既に軍事素養を身に付けているからだろう。)
日本の場合は、明治維新後、しばらくの間は、政治家も(外交官を含む)官僚も、武士上がりだったので、軍事素養が身に付いていた。
ところが、旧制高校や帝大では学生に軍事素養を身に付けさせなかった。
そういう学生で、外交官試験に通った者が外交官になるようになると、てきめんに日本の外交官が劣化した、というわけだ。
C:山本五十六はどう評価しているのか。
O:2点問題があった。
米国に長期滞在経験があるにもかかわらず、米英の違いを認識せず、対英のみ開戦を主張しなかったこと、真珠湾奇襲攻撃に固執し、その場合の米国民の激しい反発を予想しなかったことだ。
C:しかし、米英の違いを認識していた、当時の日本人知識人なんて、殆どいなかったのではないか。
O:確かに、英米一体論を外務省が唱えていただけではなく、日本の学者達も、英米一体どころか、欧米一体・・この場合は、欧州とアングロサクソンが同じ文明に属するという意味だが・・だと考えていたわけだから、帝国海軍、とりわけ、山本を、この点で責めるのは酷のように見える。
(いずれにせよ、この点で帝国陸軍を責められないことは確かだ。
陸軍は赤露と支那大陸だけで精いっぱいであり、米国についてまで研究対象が及んでいなかった。)
しかし、海軍は、組織エゴもあり、米国を最大の仮想敵国としてきていただけに、外務省よりも、そして、学者達よりも、むしろ米国に通暁していてしかるべきだったのであり、責められるべきではなかろうか。
太田述正ブログは移転しました 。
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