太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#7643(2015.5.4)
<皆さんとディスカッション(続x2617)>

<太田>(ツイッターより)

 どうして、日本の植民地だった韓国の方が日本理解において中共の後塵を拝するようになったのか?
 1979年の改革開放以来、日本の大衆文化を受容し続けている中共
http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2008-09/10/content_170614.htm
1998年にようやく解禁を一部始めるも未だにTV番組を解禁していない韓国。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E3%81%A7%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E8%A1%86%E6%96%87%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%B5%81%E5%85%A5%E5%88%B6%E9%99%90
 これに象徴されているところの、20〜40年弱の差、じゃないか、と思うようになったな。
 なにせ、韓国の植民地時代はわずか35年だったんだから、その遺産を食い潰しただけじゃなく、どんどん中共に水をあけられつつあるわけだ。
 痛ましいね。

<太田>

 関連記事だ。

 遅かりし由良ノ介。↓

 「「妖怪ウォッチ」韓国でも人気爆発!大手スーパーでこどもの日プレゼントの人気1位に・・・」
http://news.kstyle.com/article.ksn?articleNo=2019618

 こういうレベルに早く達しな。↓

 「日本の「食文化」に賛嘆と感嘆!・・・器や盛り付けは「視覚芸術」=中国メディア・・・」
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e3%81%ae%e3%80%8c%e9%a3%9f%e6%96%87%e5%8c%96%e3%80%8d%e3%81%ab%e8%b3%9b%e5%98%86%e3%81%a8%e6%84%9f%e5%98%86%ef%bc%81%e3%83%bb%e3%83%bb%e3%83%bb%e5%99%a8%e3%82%84%e7%9b%9b%e3%82%8a%e4%bb%98%e3%81%91%e3%81%af%e3%80%8c%e8%a6%96%e8%a6%9a%e8%8a%b8%e8%a1%93%e3%80%8d%ef%bc%9d%e4%b8%ad%e5%9b%bd%e3%83%a1%e3%83%87%e3%82%a3%e3%82%a2/ar-BBj5GGr?ocid=iehp#page=2

<檸檬歌曲>

 安倍総理の米議会演説の件、早速お答えを頂戴し、大変ありがとうございました。
 言及された2曲、Carole King, You've got a friend(1971年)、Ain't No Mountain High Enough(1967年)は、私も初めて耳にする曲でした。

<MH>

≫<その結果>の混沌<に困った東>印度会社は・・・1686年に最初の印度遠征軍派遣を<し>ました<(注12)>が、<敗北を喫します。>・・・
注12)ここは、大川の勘違いか、針小棒大に書いているかだが、1686年にそんなことはなかったと考えた方がよさそうだ。
http://en.wikipedia.org/wiki/East_India_Company (←東インド会社の英語wiki)「特許植民会社制度研究」、恐らくは英蘭仏の東インド会社等の研究、で博士号を取得した大川の上手の手から水が漏れたと考えるより、大川の史実に関する記述の全てを疑ってかかった方がよい。≪(コラム#7640(未公開)。太田)


※余り英語は得意ではないですが、これではないでしょうか?

In 1686 new negotiations started in Chuttanutty
<http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Chuttanutty&action=edit&redlink=1>
which the Mughals prolonged till their troops could be assembled to attack the
English encampment, and English commander Job Charnock retired with his
soldiers and establishments to the island of Ingelee, at the mouth of
the Hooghly
River <http://en.wikipedia.org/wiki/Hooghly_River>. It was a low and deadly
swamp, covered with long grass, without any fresh water. In three months
one half of the English troops were dead from disease.
http://en.wikipedia.org/wiki/Child%27s_War


East India Company 1686-87
1686. An attempt, projected by Sir J. Child, to acquire territorial empire
In India failed.
http://gluedideas.com/content-collection/cyclopedia-of-india-1/East-India-Company-1686-87.html

<太田>

 書き方が舌足らずだったので、本日の有料読者向けコラムで、下掲の訂正をしておこうと思っていたところです。(太田)
  ---------
 <コラム#7642の訂正>
 1686年にそんなことはなかった
 →
 1686年に「最初の印度遠征軍派遣」などはなかった   
  ---------

<MH>

 --大川の対英観、対米観及び対米工作--

 田原総一郎著『日本近現代史の「裏の主役」たち--北一輝、大川周明、遠山満、松井石根「アジア主義者」の夢と挫折』 より

 「大川の対支工作編」
 大川が(二:二六事件以来)約一年四カ月ぶりに仮出所を許されたのは1937年10月13日であった。
 そして十二月十日に、大川は秘書の中島信一を同伴して、飛行機で満洲の新京(長春)に飛んだ。出所して二カ月とたたないうちに満洲に飛ぶとは、そのエネルギー、気力はすさまじい。しかも大川はたんなる旅行をしたのではなく、関東軍の幹部と日中戦争の収拾を図る協議を行なうためであった。
 このあたりが現在では考えられないが、五・一五事件という首相を殺害したクーデターの主要犯人が刑務所から出所するや、戦争の収拾のために軍の幹部と、当然ながら秘密の協議のために満洲へ飛ぶ、いや飛べたのは、大川と軍幹部との関係が尋常ではなかったということであろう。 大川が満洲に飛んだのは、日本軍による南京総攻撃が始まった日であった。

 原田幸吉(『大川周明博士の生涯』の著者)によれば、大川は、国民政府の首都である南京を攻略すれば、中国側が硬化して戦争が長期化する恐れがあるとして、進撃を中止させようとしたのだという。日中戦の即時解消案というのは、満洲国の承認という一項を条件に、中国から一兵残らず内地に引き揚げるというものであった。
 これによって介石に、日本に領土的野心がないことを了解させ、さらに全世界に表明しようとしたのであった。
 だが、十三日には南京が陥落してしまった。そして翌日には、日本の軍事力によって北京に王克敏を行政委員長とする中華民国臨時政府が発足した。
 大川は、南京陥落という事態には少なからず困惑した。そして、このことによって日中戦争の早急の解決は困難だと判断した。
 そこで、臨時政府を全力で支援して新政権を成立させる、そして中央政府に発展させる。そのために、介石の国民政府を否認する、と姿勢を変えた。そのほうが戦闘を早く終わらせられると考えたのである。
 さらにイギリス勢力をできるかぎり退却させて、将来的には完全に撤退させるという方針も打ち出した。
 だが、大川の予想に反して、介石の中国軍は徹底抗戦で、容易に屈服する気配はなかった。
 そこで大川は、アメリカを援国から親日に変えるべく、工作を始めた。
 イギリスは 厖大な権益をもっていて、日本にとっても排除すべき存在であったが、アメリカは危険を冒してまで中国に守るべき権益はなく、利をもって誘えば親日に変わる可能性があると睨んだのである

 「大川の対米工作編」
 大川は1941年3月に延べ3年がかりで、米国のハイオクガソリンと中国のウォルフラム鉱(タングステン)とのバーター貿易を行い、日米関係修復と支那派遣軍の撤退の実現というダブル交渉をハリーチャンドラー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC
の示唆を受けて行った。
 ウォルフラム鉱の契約には支那派遣軍の協力が必要で、大川は総参謀長の板垣征四郎中将や第10師団長の佐々木到一中将などに直接会って協力を依頼したのだが、実際に(部隊が)撤収するにには1年近く掛かるという事で、結局、契約は不履行となり、一方低ハイオクガソリンのほうも、アメリカ国務省は、航空機ガソリンの西半球以外への輸出に抵触するとしてバーター取引を認めなかった。
 大川たちの対米工作は結局、失敗に終わったわけである。
 そしてこの年の12月8日に大東亜戦争が勃発したのであった。
 大川は、日本の国力の不足を百も承知していた。無謀な戦争だと捉えていた。だからこそ何としても日米戦争を回避しなければならないと懸命に対米工作を続けたのであった。


 大川は「対ソ抑止」→「親米・親中工作」→「反英国=植民地解放政策(陸軍と一致していないかもしれないが)」でありまして、(典拠はありませんがスポンサーの石原広一郎が強烈な反英だった)、英米可分論者だったと言って良いかと思います。
 対米政策をやるだけやって無残な結果に終わり意思消沈した状態で、この「英米東亜侵略史」を読まされたもしくは若干の原稿作成依頼をされたら、全部が支離滅裂になるのは当然ではないでしょうか。
 また現在と違い、各種文献の入手も困難ですし、当然インターネットはありません。
 そこに「戦後、吉田ドクトリン墨守」たる佐藤優が戦前の大川を解説するものですから、話に何もかも辻褄が合わないのは当然かと思います。
 「大川周明≒日本陸軍」であり、陸軍イデオローグを作ったのは大川ですし、また同世代の日本陸軍上層部、並びに先に書いた徳川義親や石原広一郎に支援されたということまでを鑑みて読んで欲しいと思います。

 また大川は1928年の張作霖爆殺事件があり、実行犯河本大作大佐に後に「大川塾」にて「張作霖爆殺事件」の講義をさせていますが、(『大川周明アジア独立の夢』より)事件直後に大川も満州に飛んで、息子の張学良
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E5%AD%A6%E8%89%AF
と奉天特務機関長の秦真次郎少将が同席して2時間掛けて日本軍に協力するよう説得しておりますが、残念ながら不首尾となっております。

 そもそも大川は分散した資料(それも今は廃刊が多い)しかなく、一貫して研究したモノが現在ないので全体像が非常に判りにくい人物であると思います。
 本を提供して何ですが、是非、陸軍派の太田さんに2015年史観による「大川周明」を研究して書いて欲しい位であります。

<太田>

 「大川は「対ソ抑止」」、の根拠は?

<太田>

 それでは、その他の記事の紹介です。

 タイトルの前段については???だが、後段については、概ね同感。↓

 「ネパールへの自衛隊展開は、なぜ遅れたのか 長距離輸送機の調達戦略に問題あり・・・」
http://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%e3%83%8d%e3%83%91%e3%83%bc%e3%83%ab%e3%81%b8%e3%81%ae%e8%87%aa%e8%a1%9b%e9%9a%8a%e5%b1%95%e9%96%8b%e3%81%af%ef%bd%a4%e3%81%aa%e3%81%9c%e9%81%85%e3%82%8c%e3%81%9f%e3%81%ae%e3%81%8b-%e9%95%b7%e8%b7%9d%e9%9b%a2%e8%bc%b8%e9%80%81%e6%a9%9f%e3%81%ae%e8%aa%bf%e9%81%94%e6%88%a6%e7%95%a5%e3%81%ab%e5%95%8f%e9%a1%8c%e3%81%82%e3%82%8a/ar-BBj7Q37?ocid=iehp#page=2

 計算方法がイマイチよー分からんが、母校の日比谷が「ランクイン」したことは祝福したい。↓

 「開成と灘を凌ぐ女子高があった!驚異の東大進学率、“本当の”進学校はこれだ!・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/10076493/
-------------------------------------------------------------------------------

 連休なので、臨時一人題名のない音楽会を3日連続でお送りします。
 歌謡曲の補遺篇です。(順不同)
 本日は初日です。

恋はまぼろし〜Te amo〜(2012年) 作詞:なかにし礼、作曲:浜圭介 歌唱:石井聖子 うまくてエロイ歌手を発見!
https://www.youtube.com/watch?v=HH7cSodcfps

傷だらけの人生(1970年) 作詞:藤田まさと 作曲:吉田正 歌唱:鶴田浩二 私の好みギリギリの曲。
http://www.youtube.com/watch?v=NyCG6epl1m8&feature=related

昭和維新の歌(1930年) 作詞:石原巌徹 改訂:三上 卓 作曲:佐藤某(注) 合唱:東京混声合唱団 大川周明がらみのコラム執筆が続いている今、タイムリーな曲。
https://www.youtube.com/watch?v=86dXxZjwQDM

(注)1905〜71年。海兵54期。「日本の海軍軍人。最終階級は海軍中尉。「青年日本の歌」(昭和維新の歌)の作詞者。・・・五・一五事件、および戦後の三無事件の双方に参加した人物として知られる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%B8%8A%E5%8D%93
 「歌詞には土井晩翠の詩集『天地有情』に収められた諸篇(特に「星落秋風五丈原」)および大川周明の「則天行地の歌」からの影響が強くみられます。影響というか、剽窃に近い引用の多さです。今風に言えばパクり、コピペ。」
http://gunka.sakura.ne.jp/nihon/seinen.htm
 「大正十五年頃の『日本』誌上<に発表された>・・・石原巌徹の作詞に三上流の訂正が加えられたものであったと思われる。・・・
 三上<は、>・・・佐世保・・・鎮守府軍楽隊の佐藤軍楽長・・・と語りあって、「俺が作詞する、お前が作曲しろ」と<いうことになった。>」
http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/29366152.html

Stand Alone(坂の上の雲)(2009年)(注) 作詞:小山薫堂 作曲:久石譲 歌唱:三宅由佳莉(コラム#7289)(カバー)
https://www.youtube.com/watch?v=LUPqUq8hhvA

(注)「坂の上の雲」は、「司馬遼太郎には連載中から「本作を映像化させてほしい」とのオファーが殺到していたという。しかし「戦争賛美と誤解される、作品のスケールを描ききれない」として司馬は許可しなかった<が、死後、NHKがTVドラマ化したもの>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E9%9B%B2_(%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)#CD
 改めて司馬を軽蔑するとともに、この曲を自衛官たる女性が見事にカバーしているところに、歴史の皮肉を覚える。

行かないて(1989年)(注) 作詞:松井五郎 作曲:玉置浩二 歌唱:玉置浩二 
https://www.youtube.com/watch?v=gJoALEVeLNY

(注)TVドラマ「さようなら李香蘭」(沢口靖子主演--・1989年)主題歌。
https://www.youtube.com/watch?v=AB-_Xf0uR3k
https://www.youtube.com/watch?v=A9o4jfHX6rE
 なお、上掲ユーチューブ映像の画面上で歌詞が日漢両語でプロットされているところからも分かるように、この曲、中共の歌手達多数によってカバーされており、これもまた、日支両国にまたがって数奇な人生を歩んだ李香蘭の遺産の一つだと言えよう。

僕にまかせてください(1975年) 作詞作曲:さだまさし 歌唱:山本潤子&坂崎幸之助(カバー)
https://www.youtube.com/watch?v=-Jcv-jsTCWw

翼をください(1971年) 作詞:山上路夫 作曲:村井邦彦 歌唱:山本潤子&坂崎幸之助
https://www.youtube.com/watch?v=A7s8aIOYZ1Y

戦争を知らない子供たち(1970年)(注) 作詞:北山修 作曲:杉田二郎 歌唱:杉田二郎 これも、私的感覚からはちょっとはずれた曲(歌詞が、というわけではない)だが・・。
https://www.youtube.com/watch?v=r8hJKdX-a3Q

(注)「世はベトナム戦争の真っ最中であり・・・日本における代表的な反戦歌となった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%9F%E3%81%A1_(%E6%9B%B2)

(続く)
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

太田述正コラム#7644(2015.5.4)
<『日米開戦の真実』を読む(その13)>

→非公開

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/