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太田述正コラム#7348(2014.12.7)
<ギリシャとチャーチル(その4)>(2015.3.24公開)

 「大英博物館は、驚くべき手筈で最も議論のあるギリシャの文化遺物群をロシアの国立エルミタージュ博物館に貸し出したことでギリシャを怒らせ、金曜<(12月5日)>、地政学的暴風雨に見舞われた。
 この文化遺物・・いわゆるエルギン大理石群のうちの一つ・・は大英博物館のパルテノン彫刻群のコレクションだが、これを貸し出すことは、ウクライナ紛争その他の東西諸紛争の一連のものをめぐってのロシアに対する、欧米による弥増しの貝殻追放、とも齟齬をきたすようにも見えた。
 それは、大英博物館が、このコレクション・・ギリシャは、19世紀のエルギン卿によって略奪されたと主張(contend)している・・の一部を貸し出す最初のことであるだけでなく、秘密裏に行われたのだ。
 ギリシャの川の神であるイリッソス(Ilissos)<(注11)>の頭部が欠けた彫像であるところの、この文化遺物が、サンクトペテルブルグのエルミタージュにこっそり連れ出された後になって、大英博物館はこの貸出について発表したのだ。

 (注11)アテネを流れる川であり、それが神格化された。
http://www.theoi.com/Potamos/PotamosIlissos.html

 それは、土曜日(12月6日)から1月18日まで展示されるが、この博物館の250周年を記念する展示会の一部を形成している。
 長きにわたって、このコレクション全体の返還を求めてきたギリシャ政府は、この貸出を挑発であってあらゆる所にいるギリシャ人達に対する侮辱(affront)であると称した。
 「我々ギリシャ人は、その歴史と文明と一体をなしており、それを分断したり、貸し出したり譲与したりすることはできない!」とアントニス・サマラス(Antonis Samaras)首相は述べた。・・・
 <ちなみに、エルギン>は、それらを船で自宅へ持って行き、ナポレオンを含む、他の諸オファーを固辞し続け、英国政府に当時の35,000ポンドで売ったが、それは、彼が費やした費用の合計額よりも少なかった。
 ギリシャはオスマントルコから独立を勝ち取って以来、この彫刻群の返還を求め続けてきた。
 彼女がギリシャの文化相であった時のメリナ・メルクーリ(Melina Mercouri)<(注12)>からジョージ・クルーニー(George Clooney)<(注13)>と彼の妻である弁護士のアマル(Amal)・クルーニーに至る、政治家達と芸術家達は、EUの一員である独立した近代的なギリシャへのそれらの復帰を勝ち取るために働いてきた。

 (注12)1920〜94年。「ギリシャ・アテネ出身の女優、政治家。・・・祖父はアテネ市長、父親は内務大臣という政治家一族に生まれる。・・・祖国ギリシャに軍事政権が誕生すると反政府運動に加わった。後にギリシャの文化大臣を務めた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AA
 (注13)1961年〜。1961年〜。「<米>国の俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BC
 この日本語ウィキペディアにも、英語ウィキペディア
http://en.wikipedia.org/wiki/George_Clooney
にもこの話は出てこない。
 ちなみに、彼は、様々な政治活動、人道活動で知られているが、米国生まれの米国人であって、先祖にギリシャ人の血は混じっていない。(両ウィキペディア上掲)
 また、彼が今年9月末に結婚したばかりのアマルも、「レバノン生まれ」で「オックスフォード大学とニューヨークスクール・オブ・ロー卒業」で「ロンドンを拠点に活動」
http://matome.naver.jp/odai/2139876908488444401
というのだから、やはり、ギリシャとは縁がなさそうだ。

 エルギン卿の諸活動は、英国以外の多くにおいては窃盗とみなされているが、時々英国でも批判された。
 例えば、詩人のバイロン卿は、アクロポリスに、'Quod non fecerunt Gothi, fecerunt Scoti'(ゴート族がそのままにしておいた(spared)ものをスコットランド人は破壊した)と書き殴ったとされる。
 ギリシャの役人達は、この作品群を保持すべきであるとする、英国の長きにわたる諸主張・・それらは極めて繊細なので動かすことはできない・・は、ロシアに貸し出したことと矛盾する(contradicted)、とも述べた。
 2009年に、ギリシャ首相のサマラス氏は、レプリカ群ではなくこの大理石群<の本物>を展示するために設計されたところの、新しい、最先端の博物館をアクロポリスに開館させた。
 それは、ギリシャは汚染された大気を持っており、これらを保護するための施設群がない、という、返還に反対するもう一つの主張を切り落とす(undercut)こともその目的の一つだった。・・・
 <大英博物館館長の>マックレガー(MacGregor)氏は、同博物館のウェブサイトへの投稿の中で、古典アテネの指導者のペリクレス(Pericles)による、アテネの亡くなった戦士達への弔辞の中に出てくる、「地球全体が彼らの墓石(sepulcher)だ」を引用した。
 「2,500年後の現在、私は、ペリクレスがイリッソスのロシアへの旅に拍手喝采するであろうことを願っている。
 この「遠く離れた外国の諸土地」で、ギリシャの黄金時代及び欧州の諸理想の<体現者たる>石のこの大使は、アテネの諸業績を記すことになる」とマックレガー氏は述べたのだ。・・・
 マックレガー氏は、文化外交に係る2010年のもう一つの努力においても若干の論争を呼び起こした。
 その時、彼は、イラン国立博物館にキュロスの円柱(Cyrus Cylinder)<(注14)>・・最初の諸人権憲章と時々描写されるペルシャの粘土製銘板(clay tablet)・・を貸し出した<(注15)>のだ。
 それは、イランで500,000人もの人々によって見物された。」
http://www.nytimes.com/2014/12/06/world/europe/elgin-marbles-lent-to-hermitage-museum.html?hp&action=click&pgtype=Homepage&module=mini-moth®ion=top-stories-below&WT.nav=top-stories-below
(12月6日アクセス)

 (注14)アケメネス朝ペルシアの初代国王(諸王の王:BC550〜529)キュロス2世(BC600?〜529年)は、「紀元前6世紀半ばにメディア、リディア、新バビロニアを滅ぼし、メソポタミアを統一した<ところ、>この円筒印章には諸民族を解放し、弾圧や圧政を廃し、寛容な支配を繰り広げた様が描かれており、人類初の人権宣言とも称される」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%82%B92%E4%B8%96
 (注15)貸し出しの記事。
http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/13766-%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%81%AE%E9%81%BA%E8%B7%A1%E3%80%8C%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%86%86%E6%9F%B1%E3%80%8D%E3%81%8C%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%81%AB
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(続く)

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