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太田述正コラム#7342(2014.12.4)
<米国人の人間主義論(続)>(2015.3.21公開)
1 始めに
うれしい認識違いで、数日を経て、今度はT・M・ラーマン(T.M. Luhrmann)<(注1)>という、「一流」大学たるスタンフォード大の教授(人類学。女性)が個人主義を批判し、(私の言うところの、)人間主義を推奨したコラム・・Why Are Some Cultures More Individualistic Than Others?
http://www.nytimes.com/2014/12/04/opinion/why-are-some-cultures-more-individualistic-than-others.html?ref=opinion&_r=0
(12月4日アクセス)がNYタイムスに掲載されたので、さっそく、そのさわりをご紹介しましょう。
(注1)Tanya Marie Luhrmann(1959年〜)。ラドクリフ/ハーヴァード大卒、ケンブリッジ大で博士号。カリフォルニア大学サンディエゴ校、シカゴ大学を経て現職。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tanya_Luhrmann
突然とはいえ、これほど人間主義に目覚めた同紙が、どうして、最人間主義国である日本に関する無知蒙昧な箸にも棒にも掛からぬ、批判的な記事・コラムを、依然、連日のように掲載しているのか不思議でなりません。
なお、下掲中に、ずっと以前にご紹介済の研究が処々に出てきますが、ご容赦を。
2 米国人の人間主義論(続)
「米国人達と欧州人達は、自分達自身が諸個人であるという感覚において、その他の世界とは異なっている(stand out)。
我々は、自分達自身を、<それぞれ、>独特(unique)で、自治的(autonomous)で、自利追求的(self-motivated)で、独立独行的(self-made)であると考えることを好むが、これは特異な(peculiar)観念なのだ。
その他の世界の人々は、独立的(independent)ではなく相互依存的(interdependent)に、自分達自身が他の人々と織り交ぜられている(interwoven)ことを理解している可能性がより高い。・・・
社会心理学者のリチャード・E・ニスベット(Richard E. Nisbett)<(コラム#3662、5806)>と彼の同僚達は、この、独立と相互依存という二つの異なった方向性群(orientations)は認知的処理(cognitive processing)に影響を与えている、としている。
例えば、米国人達は、文脈をより無視しがちであるのに対し、アジア人達はそれを気に掛ける(attend to)。
<被験者達に、>大きな魚が他の魚群や海藻葉状体群(seaweed fronds)の間を泳いでいる画像を見せてみよ。
米国人達は、まず第一に他の魚群の間を泳いでいた一尾の大きな魚を記憶することだろう。
それこそが、彼らのそれぞれの頭の中にとどまることなのだ。
<一方、>日本人の観衆達(viewers)は、思い出す際、背景の方から始めるだろう。
彼らは、また、その光景の中の海藻その他の諸対象物のことをより記憶していることだろう。
もう一人の社会心理学者のヘイゼル・ローズ・マーカス(Hazel Rose Markus)<(注2)>は、サンフランシスコ国際空港に到着する人々にアンケート用紙を渡して回答を求め、例えば、4本の橙色と1本の緑色のペン群を渡した。
(注2)1949年〜。ロンドンで、カトリックたる英国人の母とユダヤ系米国人の父の間に生まれた女性。4歳の時に一家でカリフォルニア州サンディエゴに移住。サンディエゴ州立大学卒、ミシガン大学で博士号取得。ミシガン大学を経てスタンフォード大教授(心理学)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hazel_Rose_Markus
すると、欧州系(European descent)の人々は、目立つ<緑色の>1本のペンを選ぶことが多かったが、アジア人達は同じようなものが沢山ある<橙色の>ペンを選んだ。
マーカス博士と彼女の同僚達は、この差異は、健康に影響(affect)を与えうることを発見した。
否定的影響・・自分自身が悪いと思う<場合の>・・は、もしあなたが欧米人であれば、大きく、持続的な諸帰結(consequences)をあなたの身体に与える。
これらの諸効果(effects)は、もしあなたが日本人であれば、さほどではない。
それは、日本人は、恐らくは、その諸感情を彼らの大きな状況のせいであって自分達自身を非難すべきではない、と考えがちだからだ。
近代化仮説・・社会的諸世界がより富んでくると、人々はより個人主義的にもなる・・には若干の真実はあるが、それは、<近代化したところの、>日本、韓国、及び、香港における、持続的な相互依存的なスタイル<のゆえん>を説明しない。
5月に、<学術>雑誌の『サイエンス(Science)』に、ヴァージニア大学の心理学者のトーマス・タルヘルム(Thomas Talhelm)<(注3)>が率いた一つの研究が掲載された。
(注3)博士課程在籍中。中共に2007〜2011年に滞在し、高校教師やフリーランスのジャーナリストとして働いたりNGOを創設したりし、2012〜2013年にはフルブライト奨学金を得る。
https://avillage.web.virginia.edu/Psych/Faculty/Profile/Thomas-Talhelm
それは、この方向性の差異を、麦作と稲作によって創造された社会的諸世界に帰せしめた(ascribed)のだ。
稲は気難しい穀物だ。
なぜなら、諸水田は、溜り水(standing water)を必要とし、毎年、構築され排水されなければならないところの、複雑な灌漑システムを要求するからだ。
一人の農民の水利用は、彼の隣人の収穫量に影響を与えるのだ。
稲作農民達のコミュニティは、緊密かつ統合された諸方法でもって一緒に働く必要がある。
ところが、麦作農民達はそうではない。
麦に必要なのは降雨だけであって、灌漑ではない<からだ>。
作付と収穫は稲の場合に比べて半分の労働で済むし、調整と協力も顕著に少なくて済む。
そして、歴史的に、欧州人達は麦作農民達であり、アジア人達は稲を育ててきたのだ。
この研究についての<論文の>筆者達は、『サイエンス』誌の中で、何千年にわたって、稲作と麦作の二つの社会は、明確に区別される二つの文化を<それぞれ>発展させた、と主張する。
「稲文化を相続するためには、あなた自身が稲作をやる必要はない」、と。
彼らのテストケースは支那だ。
そこでは、揚子江が、北方の麦作者達と南方の稲作者達とを分かつ。
この調査者達は、この異なった二つの地域出身の漢人達に一連の任務を課した。
例えば、彼らは、三つのもの・・バス、列車、線路・・を提示され、それらのうちのどの二つが一括りにできるかを尋ねられた。
より分析的で、文脈に鈍感な(context-insensitive)思考者達(麦作者達)は、同じ抽象的範疇に属することから、バスと列車を番いにした。
より全体論的(holistic)で、文脈に敏感な(context-sensitive)思考者達(稲作者達)は、一緒に働く(work)ことから、列車と線路を番いにした。
自分達の社会的ネットワークを描くように求められると、麦地域の被験者達は、彼らの友人達よりも自分達自身の方を大きく描いたのに対し、稲作諸地域出身の被験者達は、彼らの友人達を自分達自身よりも大きく描いた。
<また、>もしもある友人があなたにビジネスで損をさせた場合、どうふるまうか聞いたところ、稲地域出身の被験者達は、麦地域出身の被験者達よりもその友人を罰する度合いが小さかった。
<更にまた、>麦諸州(provinces)の人々は<稲諸州の人々>よりも多くの特許群を保有していた。
<そして、>稲諸州の人々は<麦諸州の人々よりも>離婚率が低かった。・・・
我々は、自分でやる的(do-it-yourself)個人主義の諸価値が我々の議会を支配しがちな季節に入るにあたり、この思考方法は我々の祖先達が自分達の食物を育てた方法の産物に過ぎないのであって、全人類が繁栄する方法に関する根本的真実ではないことを覚えておくことは有意義だ。」
3 終わりに
私の母校でもあるスタンフォード大学が、米国における人間主義のセンターオブエクセレンスになりうる予感が得られたことは喜ばしい限りです。
ラーマンの場合、日本に人間主義の理念型を見出しつつあるようにも受け止められるのであって、この点も高く評価したいと思います。
しかし、彼女がうすうす感じているらしい、日本の人間主義の韓国や中共に比しての徹底性のよってきたるゆえんが、稲作文化だけではなく、それ以上に、縄文文化にあることにまで気付いていないことは残念です。
機会があったら、彼女やマーカスに、そのことを、直接、教えてあげたいものです。
<米国人の人間主義論(続)>(2015.3.21公開)
1 始めに
うれしい認識違いで、数日を経て、今度はT・M・ラーマン(T.M. Luhrmann)<(注1)>という、「一流」大学たるスタンフォード大の教授(人類学。女性)が個人主義を批判し、(私の言うところの、)人間主義を推奨したコラム・・Why Are Some Cultures More Individualistic Than Others?
http://www.nytimes.com/2014/12/04/opinion/why-are-some-cultures-more-individualistic-than-others.html?ref=opinion&_r=0
(12月4日アクセス)がNYタイムスに掲載されたので、さっそく、そのさわりをご紹介しましょう。
(注1)Tanya Marie Luhrmann(1959年〜)。ラドクリフ/ハーヴァード大卒、ケンブリッジ大で博士号。カリフォルニア大学サンディエゴ校、シカゴ大学を経て現職。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tanya_Luhrmann
突然とはいえ、これほど人間主義に目覚めた同紙が、どうして、最人間主義国である日本に関する無知蒙昧な箸にも棒にも掛からぬ、批判的な記事・コラムを、依然、連日のように掲載しているのか不思議でなりません。
なお、下掲中に、ずっと以前にご紹介済の研究が処々に出てきますが、ご容赦を。
2 米国人の人間主義論(続)
「米国人達と欧州人達は、自分達自身が諸個人であるという感覚において、その他の世界とは異なっている(stand out)。
我々は、自分達自身を、<それぞれ、>独特(unique)で、自治的(autonomous)で、自利追求的(self-motivated)で、独立独行的(self-made)であると考えることを好むが、これは特異な(peculiar)観念なのだ。
その他の世界の人々は、独立的(independent)ではなく相互依存的(interdependent)に、自分達自身が他の人々と織り交ぜられている(interwoven)ことを理解している可能性がより高い。・・・
社会心理学者のリチャード・E・ニスベット(Richard E. Nisbett)<(コラム#3662、5806)>と彼の同僚達は、この、独立と相互依存という二つの異なった方向性群(orientations)は認知的処理(cognitive processing)に影響を与えている、としている。
例えば、米国人達は、文脈をより無視しがちであるのに対し、アジア人達はそれを気に掛ける(attend to)。
<被験者達に、>大きな魚が他の魚群や海藻葉状体群(seaweed fronds)の間を泳いでいる画像を見せてみよ。
米国人達は、まず第一に他の魚群の間を泳いでいた一尾の大きな魚を記憶することだろう。
それこそが、彼らのそれぞれの頭の中にとどまることなのだ。
<一方、>日本人の観衆達(viewers)は、思い出す際、背景の方から始めるだろう。
彼らは、また、その光景の中の海藻その他の諸対象物のことをより記憶していることだろう。
もう一人の社会心理学者のヘイゼル・ローズ・マーカス(Hazel Rose Markus)<(注2)>は、サンフランシスコ国際空港に到着する人々にアンケート用紙を渡して回答を求め、例えば、4本の橙色と1本の緑色のペン群を渡した。
(注2)1949年〜。ロンドンで、カトリックたる英国人の母とユダヤ系米国人の父の間に生まれた女性。4歳の時に一家でカリフォルニア州サンディエゴに移住。サンディエゴ州立大学卒、ミシガン大学で博士号取得。ミシガン大学を経てスタンフォード大教授(心理学)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hazel_Rose_Markus
すると、欧州系(European descent)の人々は、目立つ<緑色の>1本のペンを選ぶことが多かったが、アジア人達は同じようなものが沢山ある<橙色の>ペンを選んだ。
マーカス博士と彼女の同僚達は、この差異は、健康に影響(affect)を与えうることを発見した。
否定的影響・・自分自身が悪いと思う<場合の>・・は、もしあなたが欧米人であれば、大きく、持続的な諸帰結(consequences)をあなたの身体に与える。
これらの諸効果(effects)は、もしあなたが日本人であれば、さほどではない。
それは、日本人は、恐らくは、その諸感情を彼らの大きな状況のせいであって自分達自身を非難すべきではない、と考えがちだからだ。
近代化仮説・・社会的諸世界がより富んでくると、人々はより個人主義的にもなる・・には若干の真実はあるが、それは、<近代化したところの、>日本、韓国、及び、香港における、持続的な相互依存的なスタイル<のゆえん>を説明しない。
5月に、<学術>雑誌の『サイエンス(Science)』に、ヴァージニア大学の心理学者のトーマス・タルヘルム(Thomas Talhelm)<(注3)>が率いた一つの研究が掲載された。
(注3)博士課程在籍中。中共に2007〜2011年に滞在し、高校教師やフリーランスのジャーナリストとして働いたりNGOを創設したりし、2012〜2013年にはフルブライト奨学金を得る。
https://avillage.web.virginia.edu/Psych/Faculty/Profile/Thomas-Talhelm
それは、この方向性の差異を、麦作と稲作によって創造された社会的諸世界に帰せしめた(ascribed)のだ。
稲は気難しい穀物だ。
なぜなら、諸水田は、溜り水(standing water)を必要とし、毎年、構築され排水されなければならないところの、複雑な灌漑システムを要求するからだ。
一人の農民の水利用は、彼の隣人の収穫量に影響を与えるのだ。
稲作農民達のコミュニティは、緊密かつ統合された諸方法でもって一緒に働く必要がある。
ところが、麦作農民達はそうではない。
麦に必要なのは降雨だけであって、灌漑ではない<からだ>。
作付と収穫は稲の場合に比べて半分の労働で済むし、調整と協力も顕著に少なくて済む。
そして、歴史的に、欧州人達は麦作農民達であり、アジア人達は稲を育ててきたのだ。
この研究についての<論文の>筆者達は、『サイエンス』誌の中で、何千年にわたって、稲作と麦作の二つの社会は、明確に区別される二つの文化を<それぞれ>発展させた、と主張する。
「稲文化を相続するためには、あなた自身が稲作をやる必要はない」、と。
彼らのテストケースは支那だ。
そこでは、揚子江が、北方の麦作者達と南方の稲作者達とを分かつ。
この調査者達は、この異なった二つの地域出身の漢人達に一連の任務を課した。
例えば、彼らは、三つのもの・・バス、列車、線路・・を提示され、それらのうちのどの二つが一括りにできるかを尋ねられた。
より分析的で、文脈に鈍感な(context-insensitive)思考者達(麦作者達)は、同じ抽象的範疇に属することから、バスと列車を番いにした。
より全体論的(holistic)で、文脈に敏感な(context-sensitive)思考者達(稲作者達)は、一緒に働く(work)ことから、列車と線路を番いにした。
自分達の社会的ネットワークを描くように求められると、麦地域の被験者達は、彼らの友人達よりも自分達自身の方を大きく描いたのに対し、稲作諸地域出身の被験者達は、彼らの友人達を自分達自身よりも大きく描いた。
<また、>もしもある友人があなたにビジネスで損をさせた場合、どうふるまうか聞いたところ、稲地域出身の被験者達は、麦地域出身の被験者達よりもその友人を罰する度合いが小さかった。
<更にまた、>麦諸州(provinces)の人々は<稲諸州の人々>よりも多くの特許群を保有していた。
<そして、>稲諸州の人々は<麦諸州の人々よりも>離婚率が低かった。・・・
我々は、自分でやる的(do-it-yourself)個人主義の諸価値が我々の議会を支配しがちな季節に入るにあたり、この思考方法は我々の祖先達が自分達の食物を育てた方法の産物に過ぎないのであって、全人類が繁栄する方法に関する根本的真実ではないことを覚えておくことは有意義だ。」
3 終わりに
私の母校でもあるスタンフォード大学が、米国における人間主義のセンターオブエクセレンスになりうる予感が得られたことは喜ばしい限りです。
ラーマンの場合、日本に人間主義の理念型を見出しつつあるようにも受け止められるのであって、この点も高く評価したいと思います。
しかし、彼女がうすうす感じているらしい、日本の人間主義の韓国や中共に比しての徹底性のよってきたるゆえんが、稲作文化だけではなく、それ以上に、縄文文化にあることにまで気付いていないことは残念です。
機会があったら、彼女やマーカスに、そのことを、直接、教えてあげたいものです。
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