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太田述正コラム#7310(2014.11.18)
<同じ声で吠え続けることしかできないフクヤマ(その2)>(2015.3.5公開)

 (2)総論

 「フクヤマの議論の核心は、国家形成(state-building)という、具体的な(tangible)諸制度の創造、は血が流れないところのテクノクラート的な活動ではない、ということだ。
 「効果的であるためには、[国家形成は]並行するプロセスであるところの民族形成(nation building)・・諸部族、諸村、諸宗教、或いは諸人種(ethnic)集団への忠誠心を乗り越えるところのアイデンティティ感覚の創造・・を伴う必要がある」が、このプロセスは、血と鉄の任務なのだ、と彼は記す。
 「成功を収めた諸民主主義国は、暴力的かつ非民主主義的諸手段で達成された歴史的民族形成諸プロジェクトによって裨益している」とも。
 そのまさに本性からして、これらの諸プロジェクトは、しばしば、「不寛容と攻撃(aggression)」がつきものであって、「かつ、専制的諸手法を用いて成就されなければならない」と。
 これらすべては、民主主義的答責性と法の支配とは折り合いがよくない。
 インドネシアの最初の大統領の事例を想起しつつ、フクシマは、スカルノ(Sukarno)<(コラム#1876、2091、4742、5874、6330、6578、6744、7528)>は、「欧米の自由主義に興味はなかった。民族アイデンティティを鍛造する統合的役割を演ずるであろう強力な国家の正統性を、まさにこの教義が提供しなかったからだ」と言う。・・・

⇒違うと思いますね。
 私の見解は、以前、(コラム#6330で、)「スカルノもスハルトも、大東亜戦争で日本を敗北させ、インドネシア独立を危殆に瀕せしめた米英、そして、戦後、手のひらを返したように、大東亜戦争での日本の戦争主目的たる共産主義勢力の抑止に躍起となった米英、を心底から軽蔑していたに違いない、と推察しています。」と述べた通りです。(太田)
 
 『秩序と朽廃』の諸議論は、自由民主主義の勝利、すなわち歴史の終わり、は、少なくとも、<フクシマのかつての予想に反して、>延期されたことを認めたに等しい。
 実際、その論理的限界まで突き詰めれば、かかる<彼の>分析は、民族的な狂信的愛国主義(national chauvinism)、そして一定の状況の下では恐らく「戦争を行うことにも意味がある?(Give War a Chance?)」<という発想>を醸成することを受容することを示唆している、と解釈することができよう。・・・
 『秩序と朽廃』は、戦争や狂信的愛国主義の実際的諸代替手段がいかなるものであるかに係る格闘を十分行っているとは言い難い。
 <もっとも、この本の>中心的洞察は、これには私も同意するが、能力ある諸国家を形成するより前に民主主義化した諸国は、ほぼ間違いなく、コネ重視(clientelist)的なもの(lines)に沿って組織されることとなる、というものだ。・・・

⇒ちなみに、フクヤマは、国家形成の前に民主主義化した最初の事例は米国であった、としているところ、私は米国史をそうは見ていません。(後述)(太田)

 アルバート・ハーシュマン(Albert Hirschman)<(注1)(コラム#586)>は、二つの社会科学の型を区別した。

 (注1)1915〜2012年。「ドイツ出身の経済学者。専門は政治経済学、開発経済学。・・・ベルリン大学在学中、反ナチス運動に参加したことで、フランスに出国。ソルボンヌ大学で学ぶ。1930年代中頃 <英LSE>学部学生として学ぶ。1938年 トリエステ大学で博士号を得る。1941年 ロックフェラー財団の奨学金で<米>国に行く。<米>陸軍で戦時勤務を終える。」その後、エール、コロンビア、ハーヴァード、プリンストン各大学で教授を務める。
 'Exit, Voice, and Loyalty: Responses to Decline in Firms, Organizations, and States’(1970年)の中で、「オプションさえ提供すれば健全な状態が維持され、発展していくとする従来の経済概念に疑問を投げ、発言や、発言を促す忠誠(心)の重要性を説いた。」
 なお、この本が邦訳されていないと以前に(コラム#586で)記したのは誤りであり、2つ邦訳が出ている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BBO%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%83%B3

 第一の型は、冷静で厳格に分析的であって、「規則性、安定的諸関係、及び、斉一的諸帰結(uniform sequences)」に焦点を当てる。
 『秩序と朽廃』は、社会科学のこの型の現実の見事な事例だ。
 しかし、<フクシマとは違って、>ハーシュマンは、宿命論の解毒剤を見出すことにも怠りなかった。
 「絶対的諸障害、想像上の諸ジレンマ、そして一方通行の諸帰結、という、誇張された諸観念」から「逃れる諸経路(avenues)」と彼が呼んだところのものを考案したのだ。
 ハーシュマンは、もう一つの型の伝統を描写するために、「可能性主義(possibilism)」という言葉を作った。
 それは、彼が自分自身の著作をどう見ていたかを示している。
 <フクシマは、ハーシュマンの爪の垢でも煎じて飲んで欲しいものだ。
 この観点からは、フクシマの米国の森林行政についての描写には不満が残る(後出)。>
 同様、フクシマは、今日の、地域社会主導型開発(community-driven development)<(注2)>なる哲学・・現代開発諸プログラムの主要部分となったアプローチ・・についても慎重だ。

 (注2)CDD。世銀で生まれた開発に係るアプローチ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Community-driven_development

 CDD諸イニシアティヴは、地方インフラへの投資について標準的な官僚的諸手順を迂回して諸資源を諸地域社会に直接提供するものだ。
 極めてしばしば、それらは瞠目するほどの成功を収めることが確認されてきた。
 インドネシアのケカマタン(Kecamatan)開発プログラム<(注3)>のようなものがそうであり、1990年代初期のささやかな諸出発から今日の20億ドルの累積予算へと進捗してきた。

 (注3)「インドネシアの34,000の村をカバーする13億ドルのコミュニティー開発プログラム」
http://kopernik.info/ja/team/scott-guggenheim

 諸評価の結果、極めて高い収益率を示しており、このアプローチが地方諸レベルにおいて、「民主主義に友好的な」文化を促進することに大いに貢献したことを示唆している。
 しかし、『秩序と朽廃』は、かかる諸プログラムの全体としての影響は「全くもって定かではない」と描写するにとどまっている。」(D)

(続く)

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