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太田述正コラム#7212(2014.9.30)
<中東イスラム文明の成立(その14)>(2015.1.15公開)

 では、シーア派の現態勢はどうなっていて、彼らはIsisをどのように迎え撃とうとしているのでしょうか。
 
 「首を切られた複数の頭と一緒にポーズをとる武装した男達、金曜礼拝中のモスク参集者達の累次の虐殺、国境を超える聖戦主義者達への甚だしい依存・・これらはIsisと通常関連付けられる諸犯罪だ。
 しかし、これらは、イラクの勢力拡大しつつあるシーア派の民兵諸組織・・スンニ派聖戦主義者達との闘いで次第に大きくなってきている役割を演じている・・の諸行動でもある。
 これら諸集団・・その多くはイランとイデオロギー的かつ組織的な深い繋がりを持っている・・は、バグダードの政府の権威に係る残された全ての観念を拭い去りつつあり、Isisを押し戻すために、<スンニ派及びクルド人に関して>包摂的なイラク政府と手を携える、とのバラク・オバマ大統領が表明した目標に対する巨大な挑戦を表している。
 50を超えるシーア派の諸民兵が、現在、イラクで成員募集と闘いとを行っている。・・・
 6月初、イラクの治安諸部隊と一緒に、シーア派諸民兵が、子供を含む255人内外の囚人達を処刑したと報じられた。・・・
 イランは、<これら>イラクのシーア派諸民兵の発展を指導してきた。・・・
 <また、>イランのイラク内の最も強力な代理諸団体は、<広義のシーア派が牛耳っているところの、>ダマスカスのアサド体制を支えるために、一緒に緊密に仕事をしてきた。」
http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/09/18/all_the_ayatollahs_men_shiite_militias_iran_iraq_islamic_state
(9月20日アクセス)

 そして、シーア派の総本山であるイランは、イラン革命以来、異端とみなされた人間は処刑される、という、これまた、Isisの「イスラム国」並におぞましい国であり続けています。
http://www.theguardian.com/world/2014/sep/29/iran-executes-man-heresy-mohsen-amir-aslani
(9月30日アクセス)

 興味深いことに、「イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、この月曜、ハマスとIsisを「同じ有毒樹の二つの枝」と呼ぶとともに、イランこそ世界中で最も危険な国である、と述べた」
http://www.nytimes.com/news/un-general-assembly/2014/09/29/netanyahu-links-hamas-with-isis-and-equates-isis-with-iran/?_php=true&_type=blogs&hp&action=click&pgtype=Homepage&version=HpSum&module=second-column-region®ion=top-news&WT.nav=top-news&_r=0
(9月30日アクセス)ところ、この前段は、スンニ派、シーア派を超えて、イスラム教そのもの有毒性を指摘したに等しく、よくここまで踏み込んだ発言をしたな、と感心しますし、世界に様々な危険な国がある中で、(シーア派の総本山である)イランこそ世界中で最も危険な国である、と踏み込んだ発言をしたことも驚きです。
 考えてみれば、Isis等サラフィー主義に立脚する団体は、サラフィー主義が「初期イスラムの時代(サラフ)を模範とし、それに回帰すべきであるとする」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
以上、「サラフ(創世期(太田))」がいつなのか、について若干の誤差はありえても、その創世期の論理によって内部的に羈束されるのに対し、イランは、サーサーン朝ペルシャの遺民達全体の権利の保護・伸張のための手段としてイスラム教、より端的にはシーア派、を用いているに過ぎない以上、イランを内部的に羈束するものなど、基本的に存在しないのですからね。
 しかし、私見では、イランないしシーア派が引き起こしている諸問題は、広義のナショナリズムの病理として、我々が勝手知ったる抑止戦略等でもって対症療法的に対処することが可能です。
 (イスラエルは、イランが核能力を保持するに至れば、イランがスンニ派のハマスやシーア派のヒズボラ、等を通じてイスラエルに対して仕掛ける非対称戦争に、これまでのように対症療法的に対処することが著しく困難になる、と思っているのでしょう。)

5 Isisの挑戦にどう対処すべきか

 とまれ、Isisこそ、ムハンマドの遺志、つまりは、神(アラー)の思し召し、に最も忠実に、イスラム帝国を再構築し、それを伸張しようとしている存在であるところ、それが、いくら内部的に創世期の論理でもって羈束されているとはいえ、イスラム帝国の再構築と伸張など迷惑以外の何物でもない、我々非イスラム教徒として、このIsisの挑戦に、一体、どう対処したらよいのでしょうか。
 これについては、対症療法だけで対処しきれるものではありません。
 それどころか、対症療法だけでは、「聖戦」に馳せ参じるイスラム教徒の数を増やすだけであり、Isis的なものの肥大化をむしろ助長してしまいます。

 そこで、まず第一に、イスラム教そのものが有害なのであって、その無害化(改革)などできない、という認識をできるだけ多くの人が持つことです。
 その上で、脱イスラム教化のために、我々は戦略を練るべきだ、と思うのです。 

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<脚注:イスラム教に苛まれるパキスタン>

 「私の国<であるパキスタン>は、貧困、女性の諸権利、及び教育、に関する種々の全球的序列で地の底をはい続けている。
 我々は、学校に行っていない子供たちの数・・500万人を超える・・において世界で2番目であり、また、世界経済フォーラムは、パキスタンを、イエメンとリビアに続く、この惑星上で最も危険な諸国のうちの一つであると序列付けた。
 過去15年間にテロ攻撃で少なくとも40,000人の人々が死んだというのに、パキスタンは、テロ容疑者達の起訴、断罪に関して嘆かわしい記録しか持たない。
 こんな状況は、要するに続けることはできない。
 状況を変えなければならないのだ。」
http://www.nytimes.com/2014/09/29/opinion/give-pakistan-back.html?ref=opinion&_r=0
(9月29日アクセス)

 しかし、このコラムの執筆者が、パキスタンの改革志向の政党の党首で、イスラム教福祉団体の創設者たる、イスラム教学者である(上掲)ことこそ、私に言わせれば、パキスタンの抱える問題の核心なのだ。
 何度も指摘しているように、真正イスラム教徒は、周辺の非真正イスラム教徒を巻き込みながら、最真正にして最過激なイスラム教徒へと移行して行く必然性があるのであり、実際、パキスタンは、国全体が最真正にして最過激なイスラム国家、つまりは失敗国家、への道を歩んできた。
 パキスタンが、国名を「パキスタン・イスラム共和国」とし、また、憲法でイスラム国家としている限りは、その失敗国家からの脱却など、およそ不可能なのだ。
 (国名に「イスラム」が入っていなかった時期が1947〜56年、1962〜73年。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3 
 他方、1956年の最初の憲法以来、憲法でイスラム国家であることが謳われ続けており、基本的には、憲法のイスラム色は深まるばかりで現在に至っている。
http://www.asafas.kyoto-u.ac.jp/kias/1st_period/contents/pdf/kb3_1/28sunaga.pdf
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(続く)

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