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太田述正コラム#7204(2014.9.26)
<中東イスラム文明の成立(その10)>(2015.1.11公開)
この記事中に登場するヘイケルという人物の事実認識は間違っていますし、そんなヘイケルの言を中心とする記事を載せるNYタイムスもどうかしています。
なぜなら、ヘイケルは、Isisはワッハーブ派でイスラム同胞会はそうではない、ということを強調しているけれど、アルカーイダの創設者であるオサマ・ビンラディンは、「敬虔なワッハーブ派ムスリムとして育てられ、・・・<ワッハーブ派を国家宗派とするサウディアラビアの(太田)>ジッダの<国立>キング・アブドゥルアズィーズ大学・経済・管理学部に入学するが、宗教や詩作に向かいクルアーンやジハードの研究に没頭した」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3
人物なのであって、彼の出発点もまた、ワッハーブ派であったことは明らかなのですからね。
なお、ビンラディンは、「<イスラム>同胞<会>に加入、サイイド・クトゥブの思想に引き付けられる。さらに同大学で教鞭をとっていた<(ところの、当時、当人の信条がワッハーブ派とは抵触しないと考えられていたからこそ教師に採用されていたはずの(太田)、イスラム>同胞<会>のアブドゥッラー・アッザームの教えを受け、師と仰ぐようになった」(上掲)ところ、そもそも、ワッハーブ派もイスラム同胞会もサラフィー主義・・創生期のイスラム教への回帰を目指す・・に立脚している点では同じです。
ワッハーブ派とイスラム同胞会の違いは、第一に、ワッハーブ派が(私の言葉で言えば、)時間を圧縮して一気に創生期に回帰することを旨とするのに対して、イスラム同胞会は、ムハンマドがそうしたように、情勢の不利な時には雌伏し擬態をとり、情勢が有利になった時に初めて創生期に回帰することを旨とする点です。
想像するに、ワッハーブ派は、真正でない者が少なくないとはいえ、既に多数のイスラム教徒が世界に存在する以上、ムハンマド当時と違って情勢は基本的に有利である、という考えなのではないでしょうか。
違いの第二は、ワッハーブ派はイデオロギー集団であるのに対し、イスラム同胞会は国家内国家的な組織である点です。
http://www.meforum.org/3541/salafis-muslim-brotherhood
サウディアラビアないしワッハーブ派がこのイスラム同胞会を敵視するに至ったのは、サウディアラビアの支配者たるサウド家とイデオロギー集団たるワッハーブ派とは、後者が前者に支配の正統性を付与し、他方で、前者が後者に対して宣教活動の資金等の支援を行う、という相互依存、共栄関係にあるところ、イスラム同胞会は、イスラム教徒が多数を占める国家を内部から次々に乗っ取って行くことで、イスラム教徒全体を包摂するイスラム帝国の構築、ひいてはその全球への拡大を目指していて、サウド家にとって、本質的には敵対的存在であることに気付いたからでしょう。
で、アルカーイダは、どこが目新しいかと言えば、対外的ジハードの実践をメンバー達に課すところの、テロリスト/イデオロギー集団である点です。
サウディアラビアがこのアルカーイダをも敵視するようになったのは、ビンラディンが「メッカ・<メディナ>という聖地を有するサウ<ディ>アラビアの国内に<米>軍を駐留させないよう求めた<ものの>、サウディアラビア<が、米>・・・軍の駐留を認め<ただけでなく、>・・・<米軍等による>湾岸戦争<を積極的に支援したことを契機に、>急速に反米活動に傾倒<し>ていった」(ウィキペディア前掲)からです。
このように、対外的ジハードの主要対象をソ連だけから米国にまで拡大したことで、アルカーイダは、サウディアラビアないしワッハーブ派、及び、欧米、から、サラフィー・ジハード主義(前出)の烙印を押されるに至り、現在に至っているわけです。
さて、それでは、一体、アルカーイダとIsisは、どこが違うのでしょうか。
どちらも、同じくサラフィー主義であることには違いはないのですが、前者は、分散型組織でもって対外的ジハードに従事するテロリスト/イデオロギー集団であるのに対し、後者は階統的組織でもって領域的支配の維持拡大を図りつつ対外的ジハードに従事する戦闘集団である、という違いがある、というのが私の見解です。
バグダーディーが2010年5月に「イラクのイスラム国」(Islamic State of Iraq)の指導者になった時点では、「イラクのイスラム国」はアルカーイダのイラク支部でしたが、彼は、アルカーイダの方針に反して2013年にシリアにまで活動領域を拡大し、同年4月に、「イラクのイスラム国」を「イラクとレヴァントのイスラム国(ISIL)」ないし「イラクとシリアのイスラム国(Isis)」へと改称し、シリア内のアルカーイダ組織と抗争を始めたため、ついに、2014年2月、アルカーイダはIsisを破門(disavow)します。
そして、2014年6月29日にバグダーディーが、カリフを自称するとともに、Isisの名称を「イスラム国」へと再び改称したことはご存知の通りです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Abu_Bakr_al-Baghdadi
で、両者の違いなのですが、アルカーイダはワッハーブ派の母斑を残しており、その中枢は、かつてはサウディアラビア、そして現在ではタリバンという「国家」と相互依存、共栄関係にあるのであって、そのことによってイデオロギー集団としての純粋性を維持しているわけです。
ですから、その対外的ジハードの対象は、旧ソ連及び欧米ないしキリスト教徒ないしユダヤ人、次に(広義の)シーア派、そして次に「堕落した」スンニ派までであって、スンニ派の「国家」に至っては、基本的に対象とはしません。
それに対して、Isisは、イデオロギー集団としての純粋性を維持しつつ「国家」形成とその領域の拡大を旨としており、論理必然的に、全方位的な対外的ジハードを展開することにあいなるのです。
(続く)
<中東イスラム文明の成立(その10)>(2015.1.11公開)
この記事中に登場するヘイケルという人物の事実認識は間違っていますし、そんなヘイケルの言を中心とする記事を載せるNYタイムスもどうかしています。
なぜなら、ヘイケルは、Isisはワッハーブ派でイスラム同胞会はそうではない、ということを強調しているけれど、アルカーイダの創設者であるオサマ・ビンラディンは、「敬虔なワッハーブ派ムスリムとして育てられ、・・・<ワッハーブ派を国家宗派とするサウディアラビアの(太田)>ジッダの<国立>キング・アブドゥルアズィーズ大学・経済・管理学部に入学するが、宗教や詩作に向かいクルアーンやジハードの研究に没頭した」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3
人物なのであって、彼の出発点もまた、ワッハーブ派であったことは明らかなのですからね。
なお、ビンラディンは、「<イスラム>同胞<会>に加入、サイイド・クトゥブの思想に引き付けられる。さらに同大学で教鞭をとっていた<(ところの、当時、当人の信条がワッハーブ派とは抵触しないと考えられていたからこそ教師に採用されていたはずの(太田)、イスラム>同胞<会>のアブドゥッラー・アッザームの教えを受け、師と仰ぐようになった」(上掲)ところ、そもそも、ワッハーブ派もイスラム同胞会もサラフィー主義・・創生期のイスラム教への回帰を目指す・・に立脚している点では同じです。
ワッハーブ派とイスラム同胞会の違いは、第一に、ワッハーブ派が(私の言葉で言えば、)時間を圧縮して一気に創生期に回帰することを旨とするのに対して、イスラム同胞会は、ムハンマドがそうしたように、情勢の不利な時には雌伏し擬態をとり、情勢が有利になった時に初めて創生期に回帰することを旨とする点です。
想像するに、ワッハーブ派は、真正でない者が少なくないとはいえ、既に多数のイスラム教徒が世界に存在する以上、ムハンマド当時と違って情勢は基本的に有利である、という考えなのではないでしょうか。
違いの第二は、ワッハーブ派はイデオロギー集団であるのに対し、イスラム同胞会は国家内国家的な組織である点です。
http://www.meforum.org/3541/salafis-muslim-brotherhood
サウディアラビアないしワッハーブ派がこのイスラム同胞会を敵視するに至ったのは、サウディアラビアの支配者たるサウド家とイデオロギー集団たるワッハーブ派とは、後者が前者に支配の正統性を付与し、他方で、前者が後者に対して宣教活動の資金等の支援を行う、という相互依存、共栄関係にあるところ、イスラム同胞会は、イスラム教徒が多数を占める国家を内部から次々に乗っ取って行くことで、イスラム教徒全体を包摂するイスラム帝国の構築、ひいてはその全球への拡大を目指していて、サウド家にとって、本質的には敵対的存在であることに気付いたからでしょう。
で、アルカーイダは、どこが目新しいかと言えば、対外的ジハードの実践をメンバー達に課すところの、テロリスト/イデオロギー集団である点です。
サウディアラビアがこのアルカーイダをも敵視するようになったのは、ビンラディンが「メッカ・<メディナ>という聖地を有するサウ<ディ>アラビアの国内に<米>軍を駐留させないよう求めた<ものの>、サウディアラビア<が、米>・・・軍の駐留を認め<ただけでなく、>・・・<米軍等による>湾岸戦争<を積極的に支援したことを契機に、>急速に反米活動に傾倒<し>ていった」(ウィキペディア前掲)からです。
このように、対外的ジハードの主要対象をソ連だけから米国にまで拡大したことで、アルカーイダは、サウディアラビアないしワッハーブ派、及び、欧米、から、サラフィー・ジハード主義(前出)の烙印を押されるに至り、現在に至っているわけです。
さて、それでは、一体、アルカーイダとIsisは、どこが違うのでしょうか。
どちらも、同じくサラフィー主義であることには違いはないのですが、前者は、分散型組織でもって対外的ジハードに従事するテロリスト/イデオロギー集団であるのに対し、後者は階統的組織でもって領域的支配の維持拡大を図りつつ対外的ジハードに従事する戦闘集団である、という違いがある、というのが私の見解です。
バグダーディーが2010年5月に「イラクのイスラム国」(Islamic State of Iraq)の指導者になった時点では、「イラクのイスラム国」はアルカーイダのイラク支部でしたが、彼は、アルカーイダの方針に反して2013年にシリアにまで活動領域を拡大し、同年4月に、「イラクのイスラム国」を「イラクとレヴァントのイスラム国(ISIL)」ないし「イラクとシリアのイスラム国(Isis)」へと改称し、シリア内のアルカーイダ組織と抗争を始めたため、ついに、2014年2月、アルカーイダはIsisを破門(disavow)します。
そして、2014年6月29日にバグダーディーが、カリフを自称するとともに、Isisの名称を「イスラム国」へと再び改称したことはご存知の通りです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Abu_Bakr_al-Baghdadi
で、両者の違いなのですが、アルカーイダはワッハーブ派の母斑を残しており、その中枢は、かつてはサウディアラビア、そして現在ではタリバンという「国家」と相互依存、共栄関係にあるのであって、そのことによってイデオロギー集団としての純粋性を維持しているわけです。
ですから、その対外的ジハードの対象は、旧ソ連及び欧米ないしキリスト教徒ないしユダヤ人、次に(広義の)シーア派、そして次に「堕落した」スンニ派までであって、スンニ派の「国家」に至っては、基本的に対象とはしません。
それに対して、Isisは、イデオロギー集団としての純粋性を維持しつつ「国家」形成とその領域の拡大を旨としており、論理必然的に、全方位的な対外的ジハードを展開することにあいなるのです。
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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