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太田述正コラム#7172(2014.9.10)
<新しい人類史?(その3)>(2014.12.26公開)
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下掲がその後出たので追加しておく。↓
G:http://www.theguardian.com/books/2014/sep/05/were-we-happier-in-the-stone-age
(著者のコラム。9月6日アクセス)
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<脚注:カースト制について>
完結したばかりの「インド文明の起源」シリーズとの関連で、ここで、ハラリのカースト制論を紹介し、批判しておく。
「伝統的なカースト制を遵守するヒンドゥー教徒達は、・・・諸カーストの区分は宇宙的諸力に起因していると信じている。
非常に有名なヒンドゥー教の一創造神話によれば、神々は、プルシャ(Purusha)<(注1)>という非常に古い神話的存在の身体からこの世界をこしらえた。
(注1)「インド神話に登場する存在。原人とも。・・・世界の最初に存在したとされ、・・・千個の目と千個の頭、千本の足を持つと言われる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3
この物語によれば、太陽はプルシャの目から作られた。
月は彼の脳から作られ、聖職者達で最高のカーストのバラモン達(Brahmins)は彼の口から作られた。
戦士階級であるクシャトリヤ達(Kshatriyas)はプルシャの腕々から作られ、農民達や商人達であるヴァイシャ達(Vaisyas)は彼の股から作られた。
みんな汚い諸仕事を行うところの、召使達や奴隷達であるシュードラ達(Ahudras)は彼の脚々から作られた。
この物語によれば、バラモン達、シュードラ達、ヴァイシャ達、等々の間の社会政治的諸差異は太陽と月の間の差異と全く同じように自然で恒久的なものなのだ。・・・
多くの学者達は、ヒンドゥー教のカースト制は中央アジアからやってきた人々が約3,000年前にインド亜大陸に侵攻して地域の住民達を従属させた(sbjugated)時に初めて形作られたと信じている。
中央アジアからやってきた侵攻者達は、<自分達が>聖職者達、戦士達、そして商人達という指導的諸地位を当然のこととして占めたところの、階層化された(stratified)社会を樹立した。
原住民達には、より恵まれていない諸地位であるところの、召使達、農民達、そして奴隷達しか残されていなかった。
⇒この記述では、どうして聖職者達が最上位に位置づけられたのかが説明できない。(太田)
侵攻者達は、地域の住民達よりもはるかに数が少なく、時間が経てば自分達の独特のアイデンティティと自分達の恵まれた身分(status)を失うかもしれないことを恐れた。
これを回避するため、彼らは、人々を諸カーストへと区分した。
⇒混血が急速に進んだらしいことと矛盾する記述だし、そもそも、感染症防止策から始まったとの説(コラム#7162)の方が説得力がある。
また、これでは、厳格ではなかった初期カースト制が仏教の普及で更に減衰したところ、その仏教が衰えてからどうしてカースト制と表裏一体のヒンドゥー教が成立し、次第に下出のようにカースト制が精緻にして強固なものになって行ったのかを説明できない。(太田)
個々のカーストは社会の中で特定の役割を演じることが求められ、異なった諸身分、異なった諸権利(privileges)、そして異なった諸義務を与えられた。
この諸カーストの区別を維持するため、社会的交流(interaction)、結婚、或いは、割り勘にすることさえ、異なった諸カーストの混淆であるとして禁じられた。
この諸区別と諸禁忌は単なる法理論にとどまることなく、ヒンドゥー教の宗教、神話、そして慣行の不可欠な(integral)一部になった。・・・
このカースト制は、3,000年間にわたって全く同じ形で推移したわけではなく、時とともに変化した。
例えば、最初には、4つの極めて大きな諸カーストがあったけれど、何世紀もの間に、それらは諸サブ・カーストに分けられ、また、新しい諸カーストが付け加えられた。
最終的に、ヒンドゥー教のカースト制は、4つではなく、ジャーティ(jati)<(注2)>と呼ばれる約3,000の異なった諸カーストないし諸集団から構成されるようになった。
(注2)「ヴァルナ・ジャーティ制は、インドにおける身分制度に対する一呼称で、従来用いられてきた「カースト制」の別称。「カースト」がポルトガル語起源による外来の概念であるところから、それをインド在来の概念によって置き換えようとして、近年、導入が主張ないし検討されている用語。・・・ヴァルナ[(verna)]が概念上のものであるのに対し、ジャーティは内婚と職業選択に関するものであり、2,000とも3,000ともいわれるジャーティは、かならずいずれかのヴァルナに包摂されるという認識がある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E5%88%B6
http://en.wikipedia.org/wiki/Caste ([]内。なお、この英語ウィキペディアの日本の士農工商をカーストとして説明したり、切り捨て御免を殺害の権利としたり、誤りだらけであり、日本人有志による訂正が強く望まれる。
(参考) 「士農工商という身分制度や上下関係は存在しない」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86
切り捨て御免は、「あくまでも正当防衛の一環であると認識されているため、<相手が士分の場合もあったし、「無礼」を働かれたことの証人が必要であり、脇差でなら刃向うことも許されたし、>結果的に相手が死ぬことはあってもとどめを刺さないのが通例である。<また、他藩の者に対して行った場合は極力控えられた。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E6%8D%A8%E5%BE%A1%E5%85%8D )
カーストは生誕によって決まるところ、ジャーティは、生誕を意味する。・・・」(F)
ここで、インド亜大陸におけるカースト制成立の経緯に係る私の仮説を簡単に再整理しておこう。
1.平等で平和な先住民社会があった。(インダス文明)
←インダス文明瓦解
2.平等で平和だが落魄した先住民社会になった。
←渡来民来訪・戦乱の始まり
2.渡来民間で、権力者層が、自分達をあえて次等に位置づけるバラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャの3つの区分を導入し、先住民をシュードラとし、バラモンは輪廻思想でもってこれを説明し、バラモン教が成立した。
←混血進捗・感染症蔓延
3.バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ相互の混淆が禁止された。
←釈迦が出現し、平等、平和への方法論を説く
4.より平等的で平和的な社会になった。
←マウリヤ朝のインド亜大陸初の帝国形成の試みがアショーカ王の仏教化により挫折
5.戦乱や新たな諸渡来民の侵攻から既先住民の生活の自律性を守るために上記区分が相互の混淆禁止とともに、より細分化された形で復活強化され、ヒンドゥー教が成立した。
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(続く)
<新しい人類史?(その3)>(2014.12.26公開)
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下掲がその後出たので追加しておく。↓
G:http://www.theguardian.com/books/2014/sep/05/were-we-happier-in-the-stone-age
(著者のコラム。9月6日アクセス)
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<脚注:カースト制について>
完結したばかりの「インド文明の起源」シリーズとの関連で、ここで、ハラリのカースト制論を紹介し、批判しておく。
「伝統的なカースト制を遵守するヒンドゥー教徒達は、・・・諸カーストの区分は宇宙的諸力に起因していると信じている。
非常に有名なヒンドゥー教の一創造神話によれば、神々は、プルシャ(Purusha)<(注1)>という非常に古い神話的存在の身体からこの世界をこしらえた。
(注1)「インド神話に登場する存在。原人とも。・・・世界の最初に存在したとされ、・・・千個の目と千個の頭、千本の足を持つと言われる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3
この物語によれば、太陽はプルシャの目から作られた。
月は彼の脳から作られ、聖職者達で最高のカーストのバラモン達(Brahmins)は彼の口から作られた。
戦士階級であるクシャトリヤ達(Kshatriyas)はプルシャの腕々から作られ、農民達や商人達であるヴァイシャ達(Vaisyas)は彼の股から作られた。
みんな汚い諸仕事を行うところの、召使達や奴隷達であるシュードラ達(Ahudras)は彼の脚々から作られた。
この物語によれば、バラモン達、シュードラ達、ヴァイシャ達、等々の間の社会政治的諸差異は太陽と月の間の差異と全く同じように自然で恒久的なものなのだ。・・・
多くの学者達は、ヒンドゥー教のカースト制は中央アジアからやってきた人々が約3,000年前にインド亜大陸に侵攻して地域の住民達を従属させた(sbjugated)時に初めて形作られたと信じている。
中央アジアからやってきた侵攻者達は、<自分達が>聖職者達、戦士達、そして商人達という指導的諸地位を当然のこととして占めたところの、階層化された(stratified)社会を樹立した。
原住民達には、より恵まれていない諸地位であるところの、召使達、農民達、そして奴隷達しか残されていなかった。
⇒この記述では、どうして聖職者達が最上位に位置づけられたのかが説明できない。(太田)
侵攻者達は、地域の住民達よりもはるかに数が少なく、時間が経てば自分達の独特のアイデンティティと自分達の恵まれた身分(status)を失うかもしれないことを恐れた。
これを回避するため、彼らは、人々を諸カーストへと区分した。
⇒混血が急速に進んだらしいことと矛盾する記述だし、そもそも、感染症防止策から始まったとの説(コラム#7162)の方が説得力がある。
また、これでは、厳格ではなかった初期カースト制が仏教の普及で更に減衰したところ、その仏教が衰えてからどうしてカースト制と表裏一体のヒンドゥー教が成立し、次第に下出のようにカースト制が精緻にして強固なものになって行ったのかを説明できない。(太田)
個々のカーストは社会の中で特定の役割を演じることが求められ、異なった諸身分、異なった諸権利(privileges)、そして異なった諸義務を与えられた。
この諸カーストの区別を維持するため、社会的交流(interaction)、結婚、或いは、割り勘にすることさえ、異なった諸カーストの混淆であるとして禁じられた。
この諸区別と諸禁忌は単なる法理論にとどまることなく、ヒンドゥー教の宗教、神話、そして慣行の不可欠な(integral)一部になった。・・・
このカースト制は、3,000年間にわたって全く同じ形で推移したわけではなく、時とともに変化した。
例えば、最初には、4つの極めて大きな諸カーストがあったけれど、何世紀もの間に、それらは諸サブ・カーストに分けられ、また、新しい諸カーストが付け加えられた。
最終的に、ヒンドゥー教のカースト制は、4つではなく、ジャーティ(jati)<(注2)>と呼ばれる約3,000の異なった諸カーストないし諸集団から構成されるようになった。
(注2)「ヴァルナ・ジャーティ制は、インドにおける身分制度に対する一呼称で、従来用いられてきた「カースト制」の別称。「カースト」がポルトガル語起源による外来の概念であるところから、それをインド在来の概念によって置き換えようとして、近年、導入が主張ないし検討されている用語。・・・ヴァルナ[(verna)]が概念上のものであるのに対し、ジャーティは内婚と職業選択に関するものであり、2,000とも3,000ともいわれるジャーティは、かならずいずれかのヴァルナに包摂されるという認識がある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E5%88%B6
http://en.wikipedia.org/wiki/Caste ([]内。なお、この英語ウィキペディアの日本の士農工商をカーストとして説明したり、切り捨て御免を殺害の権利としたり、誤りだらけであり、日本人有志による訂正が強く望まれる。
(参考) 「士農工商という身分制度や上下関係は存在しない」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AB%E8%BE%B2%E5%B7%A5%E5%95%86
切り捨て御免は、「あくまでも正当防衛の一環であると認識されているため、<相手が士分の場合もあったし、「無礼」を働かれたことの証人が必要であり、脇差でなら刃向うことも許されたし、>結果的に相手が死ぬことはあってもとどめを刺さないのが通例である。<また、他藩の者に対して行った場合は極力控えられた。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E6%8D%A8%E5%BE%A1%E5%85%8D )
カーストは生誕によって決まるところ、ジャーティは、生誕を意味する。・・・」(F)
ここで、インド亜大陸におけるカースト制成立の経緯に係る私の仮説を簡単に再整理しておこう。
1.平等で平和な先住民社会があった。(インダス文明)
←インダス文明瓦解
2.平等で平和だが落魄した先住民社会になった。
←渡来民来訪・戦乱の始まり
2.渡来民間で、権力者層が、自分達をあえて次等に位置づけるバラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャの3つの区分を導入し、先住民をシュードラとし、バラモンは輪廻思想でもってこれを説明し、バラモン教が成立した。
←混血進捗・感染症蔓延
3.バラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラ相互の混淆が禁止された。
←釈迦が出現し、平等、平和への方法論を説く
4.より平等的で平和的な社会になった。
←マウリヤ朝のインド亜大陸初の帝国形成の試みがアショーカ王の仏教化により挫折
5.戦乱や新たな諸渡来民の侵攻から既先住民の生活の自律性を守るために上記区分が相互の混淆禁止とともに、より細分化された形で復活強化され、ヒンドゥー教が成立した。
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(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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