太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/

太田述正コラム#7130(2014.8.20)
<英米性革命(その11)>(2014.12.5公開)

 「ホフラー氏は、マート・クロウリー(Mart Crowley)の永続的に革新的な(innovative)1970年の劇(drama)である『真夜中のパーティ』での芸術的達成を過大評価している、と私は思う。
 この著名な演劇(play)は、同性愛であることを明らかにしている登場人物達について一人の同性愛者によって書かれた最初の演劇としての分水嶺的文化的現象を代表していた。
 にもかかわらず、それは、公開同性愛者のエドワード・オールビー(Edward Albee)<(注66)>によって、同性愛の諸ステレオタイプの描写を厭われたが、この、三度ピューリッツァー賞を受賞したオールビー氏は正鵠を射ている。

 (注66)1928年〜。米国の劇作家。ヒューストン大学教授。生後2週間で劇場をいくつも所有する豊かな家庭で養子として育てられる。米トリニティ単科大学に学ぶも退校処分をくらう。前後して、養家と決別。
http://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Albee

 ホフラーは、ポスト・ドリス・デイ(Doris Day)<(注67)文化を変容(transform)させた米英の映画制作者達について、しっかりした(、そしてひどく噂話的な)判断を下しているものの、欧州の偉大な映画群・・例えば、自由思想のヒロインが登場するフランソワ・トリュフォー(Francois Truffaut)<(注68)>の『突然炎のごとく(Jules and Jim)』<(注69)>(1962年)や、イングマール・ベルグマン(Ingmar Bergman)<(注70)>のエロチックな大作である『ペルソナ(Persona)』<(注71)>(1966年)、或いは、ルイス・ブニュエル(Luis Bunuel)<(注72)>による中流階級の女性の性的妄想(obsession)の探索である『昼顔(Belle de Jour)』<(注73)>(1967年)・・が米国の識者(cognoscenti)に与えた大きな影響に言及していない。

 (注67)1922年〜。米国のドイツ系の女優・歌手。「1956年のアルフレッド・ヒッチコック監督作品『知りすぎていた男』の劇中で歌った『ケ・セラ・セラ 』が大ヒットし、アカデミー歌曲賞を受賞した。1968年に<3度目の>夫が亡くなり映画界を引退、活躍の場をテレビに移し『ドリス・デイ・ショー』(1968年-1973年)を中心に活躍<した>。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A4
 (注68)1932〜84年。「フランスの映画監督。ヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人。・・・パリに生まれたトリュフォーは両親の離婚から孤独な少年時代を過ごし、幾度も親によって感化院に放り込まれるような、親との関係で問題の多い少年だった。1946年には早くも学業を放棄し、映画館に入り浸<る。>・・・<彼は、>「暴力は嫌いだから戦争映画や西部劇は作りたくないし、政治にも興味はないから自分には恋愛映画しか作れない」と<語ったことがある。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC
 (注69)「ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌの奔放で開放的なキャラクターは多くの女性から共感を得た。・・・特に当時女性解放運動が活発化しつつあった<米国>と<英国>では、フランス映画としては異例のヒットを記録した。ただし、トリュフォー自身は、本作が「女性映画」のレッテルを貼られて政治的な文脈で評価されることや、登場人物と自分とを短絡的に結びつける自己愛的な映画の見方に対して否定的である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AA%81%E7%84%B6%E7%82%8E%E3%81%AE%E3%81%94%E3%81%A8%E3%81%8F
 (注70)1918〜2007年。スウェーデンの映画監督・脚本家・舞台演出家。ルター派の著名な牧師の家系に生まれながら8歳の時に無神論者となる。ストックホルム大学中退。5度結婚(4回離婚し5人目とは死別)したほか、多数の浮名を流した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ingmar_Bergman
 「『第七の封印』や『沈黙』のような、形而上学的とも言われる代表作から難解な作家とも評されるが、一方で(時に難解なテーマを伴ってはいても全体的には)わかりやすい作品も多い。また、女性を主役に据えた作品が多いのも特徴である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3
 (注71)看護婦と(舞台俳優で突然しゃべれなくなった)女性患者との関係を夢と現実が交錯した形で描き、最終的にこの2人の人格が融合して行く、という心理劇。
http://en.wikipedia.org/wiki/Persona_(1966_film)
 (注72)1900〜83年。「スペイン出身、のちにメキシコに帰化した映画監督、脚本家、俳優・・・。フランス、スペイン、<米>国、メキシコ、国境を越えて多種多様な映画を撮った。特にシュールリアリズム作品とエロティシズムを描いた耽美的作品で有名である。キリスト教に関する作品もあり、物議を醸した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB
 マドリード大学で農学、次いで生産管理工学、そして最終的に哲学を専攻。同じ学生館に居住していた(画家となる)ダリ、(詩人となる)ロルカと親友になる。
http://en.wikipedia.org/wiki/Luis_Bu%C3%B1uel
 (注73)「フランス・イタリア合作映画である。・・・カトリーヌ・ドヌーヴ<主演。>・・・原作はジョゼフ・ケッセルの同名小説である。第28回ヴェネツィア国際映画祭で最高賞である金獅子賞を受賞した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%BC%E9%A1%94_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

 これらの諸映画中のどれかを扱う方が、ホフラー氏が、スウェーデン・ポルノの輸入品である『私は好奇心の強い女(黄)』や、彼がそれと一緒に論じているところの、それよりも更に馬鹿げた猥褻性の『ディープスロート』の類を扱うよりもマシだった。
 『ディープスロート』の不朽性(immortality)は、<そのタイトルが、>ウォーターゲート事件暴露(Watergate revelation)に際してのボブ・ウッドワード(Bob Woodward)<(注74)>とカール・バーンスタイン(Carl Bernstein)<(注75)>の秘密のニュースソースの綽名として採用されたことに、より負うところが大きい。

 (注74)1943年〜。米国のジャーナリスト。「<エール大学>卒業後、海軍に勤務。そのときホワイトハウスとの連絡係を務め、ディープ・スロートことマーク・フェルト(William Mark Felt)と知り合う。・・・単なる侵入事件と見られていたウォーターゲート事件をバーンスタインとともに調査。FBI副長官になっていたフェルトの協力もあり、ウォーターゲート事件におけるニクソン政権の組織的な関与を裏付けた。・・・ポスト紙と二人の記者はピュリツァー賞を受賞した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89
 (注75)1944年〜。米国のユダヤ系のジャーナリスト。メリーランド大学中退。
http://en.wikipedia.org/wiki/Carl_Bernstein

 <また、>『私は好奇心の強い女(黄)』の長引く名声は大変なものだが、その名声の大部分は、ジャクリーヌ・オナシスが、それを<鑑賞中に>・・彼女の夫のアリ(Ari)<(注76)>を残したまま・・中途で抜け出たところを撮影されたことに負っている。」(G)

 (注76)1968年から1975年に彼が死去するまで、ジャクリーヌは、アリストテレス・オナシス(Aristotle Onassis)の妻だった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jacqueline_Kennedy_Onassis
 彼の名前の冒頭部分がAriだ。

3 終わりに

 最後の書評子のホフラー批判には頷ける点が多かったところ、要は、1960年代〜1970年代において、欧米全般において、ヴィクトリア朝的な性道徳からの脱却に向けて大きな進展が見られた、ということだと私は思います。
 イギリス人のジョン・トレヴェリヤンの顰に倣って、高い所から申し上げれば、欧米においては、この性革命にも関わらず、欧米全般の性道徳は、依然として、おしなべて、日本の江戸時代までの水準にまで達していない・・売春と売春宿の双方を認めているのは欧州の若干の国と米国のネヴァダ州だけに留まっている・・ことを見るにつけ、アングロサクソン、欧州、及び米国それぞれの文明が、どれも、性に関していかに発育不全であったか、そして発育不全であり続けているか、に苦笑せざるをえません。

(完)

太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/