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太田述正コラム#7090(2014.7.31)
<キリスト教民主主義と欧州のプロト欧州文明への回帰>(2014.11.15公開)

1 始めに

 私は、かねてより、現在、欧州はプロト欧州文明に回帰しつつある、と指摘しているところ、表記によって、この指摘を補強したいと思います。
 手掛かりにするのは、下掲コラムです。
http://www.foreignaffairs.com/articles/141638/jan-werner-mueller/the-end-of-christian-democracy
 (7月21日アクセス)

2 キリスト教民主主義

 「今日の欧州はキリスト教民主主義者達が創造した。
 彼らは、欧州統合と戦後大西洋主義の建築家達だった。
 また、彼らは、1945年より後の欧州大陸の西半分を覆い(prevailed)、1989年のベルリンの壁の崩壊以来着実に東に延長されてきた立憲民主主義の形態の形成に決定的役割を果たした。
 欧州の最も強力な政治家である、ドイツ首相のアンジェラ・メルケル(Angela Merkel)はキリスト教民主主義者だし、欧州委員会委員長のジョゼ・マヌエル・バローゾ(Jose Manuel Barroso)、及び、彼の指名された後継者たるジャン=クロード・ユンカー(Jean-Claude Juncker)もそうだ。
 この5月の欧州議会選挙で、キリスト教民主主義諸党の欧州大陸連合・・欧州人民党(the European People’s Party=EPP)は最も多数の議席を獲得した。・・・
 <しかし、>一揃いの諸観念としても政治運動としても、キリスト教民主主義は、近年、その影響力も首尾一貫性も減じつつある。
 この衰亡を、欧州大陸の世俗的転換(turn)<(キリスト教離れ(太田))>だけに帰すことはできない。
 少なくとも同等に重要なのは、キリスト教民主主義者達の主要なイデオロギー上の諸敵の一つであるナショナリズムが勃興しつつあって、<キリスト教民主主義>運動の中核的な選挙区である、中産階級と田舎の選挙民達が縮小しつつあるという諸事実だ。
 従って、より大きなプロジェクトである欧州統合が新しい諸リスクに直面するにつれ、その最大の擁護者(backer)がそれを防衛(defend)することができないことが早晩明らかになるかもしれない。・・・
 19世紀の大部分において、法王庁は、自由民主主義を含む近代政治諸観念をその中核的諸教義に対する直接的脅威であると見ていた。
 しかし、カトリック思想家達のうちには、フランスの著述家のアレクシス・トックヴィル(Alexis de Tocqueville)の洞察・・好き嫌いにかかわらず、近代世界における民主主義の勝利は避けられない・・に同意する者もいた。
 いわゆる、カトリック・リベラル達は、大衆を正しくキリスト教化することで、民主主義を宗教にとって安全にしようとした。
 要するに、その理屈は、神を恐れる市民達の民主主義は、世俗的な臣民達のそれよりも成功するチャンスがはるかに高い、というものだった。・・・
 <だが、>キリスト教民主主義諸党が、法王庁から自分達自身を完全に解放し、戦後の欧州の秩序の建設に指導的役割を果たすのは、第二次世界大戦の終結を待たなければならなかった。・・・
 ドイツのキリスト教民主同盟のような諸政党はプロテスタント達も含めることとあいなり、かくして、何世紀にもわたった宗教紛争を終結させた。
 実際、彼らは、党派的諸代表のように見えるよりも、できるだけ包含的(inclusive)たるべく努めた。
 彼らの品質証明(hallmark)は、調和的社会のカトリック的イメージ・・そこでは、資本と労働さえ協力ができ、教会が社会サービスの提供(provision)に決定的役割を演じられる・・に立脚したコンセンサスと調節(accommodation)だった。・・・
 結局のところ、カトリック教徒達同様、本来的に国際主義者達であるところの、キリスト教民主主義者達は、国民国家に殆んど価値を認めなかった。
 実際、19世紀においては、(オットー・フォン・ビスマルクの文化闘争(Kulturkampf)として知られるところとなった)カトリック教徒達に対するいわゆる文化諸戦争を仕掛けたのは、統一国民国家たるドイツとイタリアだった。・・・
 キリスト教民主主義者達は、彼らの最大の敵である共産主義を失ったことで、手におえない政治的諸連立<諸党>をしばしば結び合わせるイデオロギー的接着剤の多くも失ってしまったのだ。・・・」

3 終わりに

 欧州は、絶対主義や啓蒙主義という形でイギリス文明の歪曲的継受を繰り返した結果、自らが生み出した鬼子たる、民主主義独裁の諸イデオロギーによって自傷行為を繰り返した挙句、アングロサクソン文明の影響を受けていなかったプロト欧州文明の当時に戻ろうとしている、と私は見ているわけです。
 その動きを中心となって推進したのは、カトリック教会であり、その政党たるキリスト教民主主義諸党だった、ということです。
 そのような欧州においては、当然、キリスト教の「人間中心主義・・・、女性・同性愛差別、ユダヤ人・イスラム教徒迫害、選民思想/殉教志向、終末論思想、そして最も傍迷惑な双極性障害性(利他主義と利己主義の両面性、ぶれ)、という論理」(コラム#7086)を水で薄めたところの、アングロサクソン文明とは対蹠的な代物が、そのイデオロギーとなるはずであるところ、実際、その兆候を、我々は、現在の欧州のあらゆるところに見出すことができます。
 また、プロト欧州文明当時は、政治的には分権的であり、神聖ローマ皇帝も、直接的管轄は広義のドイツ人居住地域にとどまっていたものの、観念的には欧州全体の皇帝であり、直接的管轄下にない地域の君主、例えば、フランス国王も、皇帝に立候補することができたところであり、選挙制に立脚するEUなる政治的枠組みは、まさに神聖ローマ帝国的なものの復活である、と見ることができるでしょう。
 で、そのようなイデオロギーと政治的枠組みが復活するところまでで、カトリック教会やキリスト教民主主義諸党の役割は終わり、その後は、プロト欧州文明当時により完全に回帰すべく、分権化というか、愛郷主義(patriotism。ナショナリズムとは似て非なるもの)の高揚が進展するはずであり、それがまさに現在の欧州で現在進行中である、といったところでしょう。 

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