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太田述正コラム#6959(2014.5.26)
<欧州文明の成立(その7)>(2014.9.10公開)
3 欧州文明の成立
(1)階級主義
さて、プロト欧州文明の後継文明たる欧州文明においても、前者の階級主義(私の用語。class-ismとでも英訳すべきか)・・それを専制主義と言い換えてもよい・・は維持されたわけですが、ざっくり言えば、両者の違いは、前者は貴族階級と庶民階級の2層構造を前提にしたものであったのに対し、後者では、以下のような経緯で、ブルジョワ階級が貴族階級と庶民階級の間に加わった3層構造を前提としたものであった点です。
「近世に軍事革命が起きると騎士の様な軍人階級としての貴族制度は時代遅れとなった。イタリア・ルネッサンスを迎えて商工業が成長すると経済面でも貴族の衰退は続き、次第に社会的影響力を失っていった。近代に産業革命が発生すると商工業の発展は更に続き、対照的に騎士や諸侯貴族の経済的衰退は一層に深刻さを増した。入れ替わるように都市部の商人階級が資本家として社会経済の中枢を成す立場にまでな<った。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E6%97%8F 前掲
言うまでもなく、個人主義・・それを自由主義と言い換えてもよい・・のイギリスには、階級が存在せず、従って、イギリスは階級主義ではありえなかったわけですが、それに加えて、イギリスには産業革命もなかった(「産業革命をめぐって」シリーズ(コラム#1489〜)参照)わけですから、これだけでも、欧州文明とイギリス(アングロサクソン)文明がどんなに異質であるかが分かろうというものです。
なお、軍事革命(Military Revolution)については、それが、1450年から1800年にかけてのものであったという説がある
http://en.wikipedia.org/wiki/Military_Revolution
くらいであるところ、私は、イギリスおよび欧州において、戦国時代・・古代支那のそれ等とは違って、主要国が滅亡したり相互に合併・併呑したりすることが基本的にないという珍しい戦国時代・・が異常に長期間にわたって続いたことから、戦争遂行システム(=行政制度)、及び、軍隊の編成・装備の改善が継続的に、かつ競争的に行われた結果、イギリス(後には英米)及び欧州の世界のその他の地域に対する軍事的優位が確立した、というだけのことであると考えており、この総体を軍事革命と形容するのはおかしい、つまりは、欧州においては、イギリス的産業の継受であったところの産業革命こそあったけれど、(イギリスにおいてもこの点は同じですが、)軍事革命はなかった、という見解です。
また、個人主義と資本主義は裏腹の関係にある、ということは度々申し上げてきたところですが、欧州に比べて、豊かで政府に対する信頼があったイギリスでは、戦争・・イギリスに関しては基本的に対外戦争のみ・・経費を確保するために政府が経済を主導する必要はなかったのに対し、欧州では、貧しいために税収等が不十分で、しかも、政府に対する信頼がないこともあって、対外戦争のみならず、内戦や国内での叛乱にも対処しなければならず、治安維持すら容易でなかったことから、各政府が、積極的に経済を主導しなければならず、当然、経済の統制もしなければなりませんでした。
すなわち、欧州各国においては、広義の重商主義がとられたのです。
スコットランド人のアダム・スミス(Adam Smith。1723〜90年)が、「隣国」イギリスの資本主義を擁護し、主著、「「国富論」<において、>・・・大航海時代から発展した当時の<スペインやフランスにおける狭義の>重商主義(金貨銀貨を富とみなし、貨幣獲得のために貿易黒字を増やす政策)の行き過ぎを批判<し>、是正を求め・・・国富の基礎はカネではなく、土地と労働(人間)にあると論じた」
http://mainichi.jp/shimen/news/20140526ddm002070074000c.html
ことや、その少し後に、ドイツ人のフリードリッヒ・リスト(Friedrich List。1789〜1846年)が、「かつての<スペインやフランスの>重商主義をドイツの情勢に適用し、ドイツを国民として統一し、自由な国民とするためには単なる農業国であってはならず、商業国として独立するためには自国の工業を興さなければならない、と主張<し、>・・・国際貿易で後進工業国がイギリスに太刀打ちするためには、国家による干渉が必要であると」保護主義<(広義の重商主義)>を唱えた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
こと等を思い出してください。
(2)イデオロギー
イデオロギーに関しては、プロト欧州文明も欧州文明も全体主義イデオロギーを掲げている点では変わりがないわけですが、プロト欧州文明におけるイデオロギーたるカトリシズムが、イギリスの自然宗教的世俗主義の影響を受けて起こった宗教改革によって弱体化するとともに、イギリスの政治思想を歪曲的継受することによって、その代替物たる民主主義独裁イデオロギー・・ナショナリズム、スターリニズム、ファシズム・・を掲げる欧州文明へと変貌を遂げるわけです。
このことについては、これまで何度も取り上げてきているので、改めての説明は省きます。
(3)合理論(演繹論)及びローマ法系の大陸市民法
合理論(演繹論)及びローマ法系の大陸市民法、という二つの特徴に関しては、(イギリスにおける経験論(帰納論)、及びコモンローが一貫して変わらないのは当然のことであるところ、)欧州文明がプロト欧州文明からそのまま受け継いで現在に至っています。
このことについても、改めての説明は省きます。
(完)
<欧州文明の成立(その7)>(2014.9.10公開)
3 欧州文明の成立
(1)階級主義
さて、プロト欧州文明の後継文明たる欧州文明においても、前者の階級主義(私の用語。class-ismとでも英訳すべきか)・・それを専制主義と言い換えてもよい・・は維持されたわけですが、ざっくり言えば、両者の違いは、前者は貴族階級と庶民階級の2層構造を前提にしたものであったのに対し、後者では、以下のような経緯で、ブルジョワ階級が貴族階級と庶民階級の間に加わった3層構造を前提としたものであった点です。
「近世に軍事革命が起きると騎士の様な軍人階級としての貴族制度は時代遅れとなった。イタリア・ルネッサンスを迎えて商工業が成長すると経済面でも貴族の衰退は続き、次第に社会的影響力を失っていった。近代に産業革命が発生すると商工業の発展は更に続き、対照的に騎士や諸侯貴族の経済的衰退は一層に深刻さを増した。入れ替わるように都市部の商人階級が資本家として社会経済の中枢を成す立場にまでな<った。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E6%97%8F 前掲
言うまでもなく、個人主義・・それを自由主義と言い換えてもよい・・のイギリスには、階級が存在せず、従って、イギリスは階級主義ではありえなかったわけですが、それに加えて、イギリスには産業革命もなかった(「産業革命をめぐって」シリーズ(コラム#1489〜)参照)わけですから、これだけでも、欧州文明とイギリス(アングロサクソン)文明がどんなに異質であるかが分かろうというものです。
なお、軍事革命(Military Revolution)については、それが、1450年から1800年にかけてのものであったという説がある
http://en.wikipedia.org/wiki/Military_Revolution
くらいであるところ、私は、イギリスおよび欧州において、戦国時代・・古代支那のそれ等とは違って、主要国が滅亡したり相互に合併・併呑したりすることが基本的にないという珍しい戦国時代・・が異常に長期間にわたって続いたことから、戦争遂行システム(=行政制度)、及び、軍隊の編成・装備の改善が継続的に、かつ競争的に行われた結果、イギリス(後には英米)及び欧州の世界のその他の地域に対する軍事的優位が確立した、というだけのことであると考えており、この総体を軍事革命と形容するのはおかしい、つまりは、欧州においては、イギリス的産業の継受であったところの産業革命こそあったけれど、(イギリスにおいてもこの点は同じですが、)軍事革命はなかった、という見解です。
また、個人主義と資本主義は裏腹の関係にある、ということは度々申し上げてきたところですが、欧州に比べて、豊かで政府に対する信頼があったイギリスでは、戦争・・イギリスに関しては基本的に対外戦争のみ・・経費を確保するために政府が経済を主導する必要はなかったのに対し、欧州では、貧しいために税収等が不十分で、しかも、政府に対する信頼がないこともあって、対外戦争のみならず、内戦や国内での叛乱にも対処しなければならず、治安維持すら容易でなかったことから、各政府が、積極的に経済を主導しなければならず、当然、経済の統制もしなければなりませんでした。
すなわち、欧州各国においては、広義の重商主義がとられたのです。
スコットランド人のアダム・スミス(Adam Smith。1723〜90年)が、「隣国」イギリスの資本主義を擁護し、主著、「「国富論」<において、>・・・大航海時代から発展した当時の<スペインやフランスにおける狭義の>重商主義(金貨銀貨を富とみなし、貨幣獲得のために貿易黒字を増やす政策)の行き過ぎを批判<し>、是正を求め・・・国富の基礎はカネではなく、土地と労働(人間)にあると論じた」
http://mainichi.jp/shimen/news/20140526ddm002070074000c.html
ことや、その少し後に、ドイツ人のフリードリッヒ・リスト(Friedrich List。1789〜1846年)が、「かつての<スペインやフランスの>重商主義をドイツの情勢に適用し、ドイツを国民として統一し、自由な国民とするためには単なる農業国であってはならず、商業国として独立するためには自国の工業を興さなければならない、と主張<し、>・・・国際貿易で後進工業国がイギリスに太刀打ちするためには、国家による干渉が必要であると」保護主義<(広義の重商主義)>を唱えた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
こと等を思い出してください。
(2)イデオロギー
イデオロギーに関しては、プロト欧州文明も欧州文明も全体主義イデオロギーを掲げている点では変わりがないわけですが、プロト欧州文明におけるイデオロギーたるカトリシズムが、イギリスの自然宗教的世俗主義の影響を受けて起こった宗教改革によって弱体化するとともに、イギリスの政治思想を歪曲的継受することによって、その代替物たる民主主義独裁イデオロギー・・ナショナリズム、スターリニズム、ファシズム・・を掲げる欧州文明へと変貌を遂げるわけです。
このことについては、これまで何度も取り上げてきているので、改めての説明は省きます。
(3)合理論(演繹論)及びローマ法系の大陸市民法
合理論(演繹論)及びローマ法系の大陸市民法、という二つの特徴に関しては、(イギリスにおける経験論(帰納論)、及びコモンローが一貫して変わらないのは当然のことであるところ、)欧州文明がプロト欧州文明からそのまま受け継いで現在に至っています。
このことについても、改めての説明は省きます。
(完)
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
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