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太田述正コラム#6945(2014.5.19)
<欧州文明の成立(その2)>(2014.9.3公開)

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<脚注:イギリス法体系における手続き的正義>

 「英米法における“due process of law<=手続き的デュープロセス=(法における)手続き的正義>”の理念とは「実体要件<のみならず>手続<要件に関しても>法定されなければならないのみならず、内容も<両要件>共に適正なものでなければならない。」というものである。・・・
 そもそも<この>思想の源流は、マグナカルタ39条にまで遡るといわれる。すなわち、「いかなる自由人も、その同輩の合法的裁判によるか、または国土の法によるのでなければ、逮捕、監禁、差し押さえ、法外放置、もしくは追放され、または何らかの方法によって侵害されることはない。」・・・
 米国合衆国憲法の場合には、まず修正5条でこれが謳われている。すなわち、「何人も・・法の適正な過程によらずに生命、自由または財産を奪われることはない。」
 同条の場合、連邦機関による恣意的な権力行使の抑圧を目指し、手続的デュープロセス<に関し>て、<個人や>州に対する連邦の干渉を禁止する趣旨である。・・・」
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaisunao/seminar/809criminal_procedure.htm

 すなわち、米国は、手続き的正義の担保を憲法に求めているところ、米国の法体系の母法体系たるイギリスの法体系においては、マグナカルタにも体現されているところの、コモンロー上の手続き的正義を制定法が毀損することは基本的に許されない、という法慣習が成立している、と私は見ている次第だ。

<脚注:イギリス法体系における衡平法>
 
 イギリス法体系においては、コモンローと制定法以外に(間に)、衡平法(エクイティ=equity)が存在する。
 「コモン・ローは、イングランドのコモン・ロー裁判所が下した判決が集積してできた判例法体系であるのに対し、エクイティは、コモン・ローの硬直化に対応するため大法官 (Lord Chancellor) が与えた個別的な救済が、雑多な法準則の集合体として集積したものである。
 コモン・ローとエクイティとの間には、主に次のような違いがある。
 コモン・ローは契約法、不法行為法、不動産法(物権法)、刑事法の分野を中心に発展してきたのに対し、エクイティは信託法などの法分野を形成してきた。
 コモン・ローは民事事件の救済として金銭賠償を主とするのに対し、エクイティでは差止命令 (injunction)、特定履行 (specific performance) などの救済が認められてきた。
 コモン・ローの訴訟では陪審審理が用いられるのに対し、エクイティの訴訟では伝統的に陪審審理が用いられない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AF%E3%82%A4%E3%83%86%E3%82%A3
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 なお、プロト欧州文明の後継文明たる欧州文明においても、しかも、貴族制が公式には廃止された以降においても、事実上の階級制は残っていることを後述します。
 プロト欧州文明における階級制の痕跡を如実に示しているのが、貴族であることを表すところの、名前の前置詞の、下掲のような現存です。

 「フォン(・・・von)は、ドイツ語の前置詞。英語の"of"にあたる。ドイツ圏の人名に用いられる場合は、貴族またはその子孫であることを意味する。旧ハプスブルク帝国支配地域の中東欧、<のほか、>・・・北欧人などにも見られる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3
 「フランス貴族の姓に見られる「ド」または「ドゥ」 (仏: de) の称号なども意味合いとして<フォンと>類似する。」
http://dic.pixiv.net/history/view/437127
 「ドン・・・はスペイン語圏とポルトガル語圏で使われる貴人・高位聖職者に対する尊称である。・・・ドンは男性に使い、女性へはスペイン語ではドーニャ・・・、ポルトガル語ではドナ・・・となる。ラテン語の君主への敬称であるドミヌス (dominus) に由来する。・・・ドン/ドニャ/ドナは個人名の前に付ける。姓につけるのは誤りである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%B3_(%E5%B0%8A%E7%A7%B0)
 「イタリア語でも、ドン (Don) を高位聖職者に対し使う。」(ウィキペディア上掲)
 「オランダ語<の>・・・ファンは、単に出身という意味であり、平民でも名乗ることが多い。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3_%28%E5%89%8D%E7%BD%AE%E8%A9%9E%29

 そして、ここから逆に、オランダ(ベルギーのフラマン語地域を含む)(と間違いなく13〜14世紀における建国後のスイス)を除き、かつて、プロト欧州文明下、欧州全域に、貴族(僧侶たる貴族を含む)と庶民の2層からなる階級制が存在していたことが分かります。
 ちなみに、その地域別実態は、下掲のようなものでした。

 「地域別に見ればイベリア半島のカスティーリャ及び東欧のポーランド・リトアニアにおいて貴族の割合が多く、他の地域が多くて2%程度であるのに対して約10%が貴族階級で占められていた。またハンガリーでも5%程度が貴族階級であり、ヨーロッパ・キリスト教圏とは異なる異文化圏と接していた地域に顕著な現象といえる。理由としては異文化圏との戦いで軍事階級に対する需要が多く、また報酬として用意できる領地も獲得できた為であると考えられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E6%97%8F

 ここで重要なのは、このようなプロト欧州文明における階級制もまた、ローマから継受した部分が大きいことです。

 「<欧州>大陸においては古代ギリシャ・古代ローマ時代からパトリキなどの貴族制が存在していた。同時に両時代においては共和制が一般的な政治制度として浸透しており、帝政ローマ時代も建前上は共和国として機能していた。ローマ時代には議会である元老院での貴族の支持を集める閥族派と、平民の支持を集める民衆派の対立が政治に大きな影響を及ぼした。
 一部では現代まで続いている<欧州>での貴族制度は古代の影響を受けつつ・・・中世に形成された<のだ。>」(ウィキペディア上掲)

(続く)

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