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太田述正コラム#6931(2014.5.12)
<戦争の意義?(その15)>(2014.8.27公開)
一見したところ、築城は、若干の進化生物学者達が好んで呼ぶところの、赤の女王効果(Red Queen Effect)<(注21)>・・・、(例えば、諸狐がより速く走れるように進化するといった)一つの諸適応が単に(<狐が捕食する>兎もやはり速く走れるようになるといった)他の種における諸適応への淘汰的諸圧力を生み出す<だけの>事例であるように見える。
(注21)赤の女王仮説(Red Queen's Hypothesis)とは、「進化に関する仮説の一つ。敵対的な関係にある種間での進化的軍拡競走と、生殖における有性生殖の利点という2つの異なる現象に関する説明である。「赤の女王競争」や「赤の女王効果」などとも呼ばれる。リー・ヴァン・ヴェーレンによって1973年に提唱された。「赤の女王」とはルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する人物で、彼女が作中で発した「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」という台詞から、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩として用いられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E4%BB%AE%E8%AA%AC
<兎のような>後者は、<狐のような前者の>当初の諸優位を相殺し、どの種も永久に先頭へと抜け出すことはない。
よりよく組織化された諸社会中、諸築城を行うことができる社会は、襲撃のより良い組織化と手を携えて前進したのであって、諸定住地(settlement)における破壊<跡が発掘された>諸地層が示しているように、諸襲撃は<築城に対する>諸攻囲へと変貌して行った。
<その限りにおいては、「矛盾」の説話の示すところのものだ。>
しかし、古典的な赤の女王効果とは違って、古代における諸軍事における革命群は、大きな長期的諸帰結をもたらした。
<すなわち、>全ての事例において言えることだが、ある一つの社会は、より強力な政府の諸制度についても再組織化することができた場合においてのみ成功した<社会となった>ところ、諸社会が<競い合って>同じことを行った結果、それらの諸政府は、対外的諸敵に対する団結(cohesion)の名の下でそれらの内部を平和化する<という大きな長期的諸帰結をもたらしたのだ>・・・。
二番目に・・・生じたのは、少なくとも旧世界においては、石製諸兵器の青銅製諸兵器での代替だ<(注22)>。
(注22)「青銅器が使用され始めた時期から、鉄器が使用され始めるまでの期間を青銅器時代と呼ぶが、・・・中国の青銅器時代の到来は若干ながら遅れている。・・・
本格的に青銅器が日本(倭)にもたらされたのは<弥生時代の>およそ紀元前2世紀であり、生産もその後すぐおこなわれた可能性が高い。主な青銅器は、鏡・矛・剣・戈(か)の武器類と銅鐸、やりがんな等である。武器類は、初めごろは実戦に使えるものであったが、日本ではほぼ同時期に鉄器や製鉄技術も伝来しており、武器や実用道具は性能に優れた鉄器にとって代えられた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E9%8A%85%E5%99%A8
「青銅・・・は、銅Cu を主成分としてスズSn を含む合金である。・・・オリンピックの銅メダルも、青銅(ブロンズ)で構成されている・・・添加する錫の量が少なければ日本の十円硬貨にみられるような純銅に近い赤銅色、多くなると次第に黄色味を増して黄金色となり、ある一定量以上の添加では白銀色となる。・・・鉄より錆びにくいことから、一部製品には鉄器時代以降も長く使われた。例えば建築物の屋根葺板、あるいは銅像といった用途であり、・・・大砲の材料としては19世紀頃まで用いられている。これは大砲のような大型の製品を材質を均一に鉄で鋳造する技術が無かったからであり、青銅を砲金と呼ぶのはこれに由来する。・・・鉄製砲を製作するための反射炉が、<日本で>開国による技術革新の象徴となった」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E9%8A%85
そこでは、耕作が始まってから6,000年前後経ったBC4,000紀末において、青銅製諸兵器が用いられるようになり、BC2,000年までには殆んど完全に石製諸兵器を代替した。
青銅器は、BC2,500年までにインダス渓谷に到着し、BC2,000年までには黄河渓谷に到着したが、恐らく、どちらの場合もメソポタミアからの伝播であり、どちらの場所でも急速に石器から代替された。
<新世界は、石器時代のままでとどまった。>
旧世界における三番目の軍事における革命群・・間違いなく最も重要なもの・・は、指揮統制面におけるものだ。
男たちの大集団を動かし、給養し、(とりわけその諸敵が突き刺し返してくる場合において、)諸敵のいる場所まで連れて行ってこれら諸敵を突き刺すためには、適切な軍事規律と参謀業務が必要だ。
指揮統制は、考古学的に裏付けることは困難だが、シュメールのラガシュ(Lagash)から出土した有名なハゲワシの碑(Vulture Stele)<(注23)>は、BC2,450年前後に彫られたものだが、将校群を伴った歩兵の一応規律ある編成を示しているように見える。
(注23)「エアンナトゥム(Eannatum、在位:<BC>25世紀頃?)は、・・・シュメール初期王朝時代のラガシュ第1王朝で王位についた。彼は・・・遺跡・・・で発見された・・・ハゲワシの碑(Stele of the Vultures)を含む一連の記念碑によって知られている。これらの記録は同時代の戦争を記述したものとして最も古いものである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%A0
「古代のラガシュ・・・は、・・・現代のイラク南部に存在<した>・・・ラガシュ、ギルス、ニナ・スィララ、グアバなどの都市が連合して成立した国家であった。・・・
ラガシュ・・・とウンマは100年にわたり国境を巡ってラガシュ・ウンマ戦争・・・を起こしていた。・・・後にウンマとラガシュは和平協定を結ぶが、これは史上最初の国際条約といわれている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AC%E3%82%B7%E3%83%A5
ハゲワシの碑は、隣国ウンマ(Umma)に対する、エアンナトゥム率いるラガシュの戦争勝利祝賀記念碑であり、様々な戦闘場面や宗教場面が描かれている。この碑の残存部分は、現在、ルーブル博物館に所蔵されている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Stele_of_the_Vultures
(続く)
<戦争の意義?(その15)>(2014.8.27公開)
一見したところ、築城は、若干の進化生物学者達が好んで呼ぶところの、赤の女王効果(Red Queen Effect)<(注21)>・・・、(例えば、諸狐がより速く走れるように進化するといった)一つの諸適応が単に(<狐が捕食する>兎もやはり速く走れるようになるといった)他の種における諸適応への淘汰的諸圧力を生み出す<だけの>事例であるように見える。
(注21)赤の女王仮説(Red Queen's Hypothesis)とは、「進化に関する仮説の一つ。敵対的な関係にある種間での進化的軍拡競走と、生殖における有性生殖の利点という2つの異なる現象に関する説明である。「赤の女王競争」や「赤の女王効果」などとも呼ばれる。リー・ヴァン・ヴェーレンによって1973年に提唱された。「赤の女王」とはルイス・キャロルの小説『鏡の国のアリス』に登場する人物で、彼女が作中で発した「その場にとどまるためには、全力で走り続けなければならない(It takes all the running you can do, to keep in the same place.)」という台詞から、種・個体・遺伝子が生き残るためには進化し続けなければならないことの比喩として用いられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B%E4%BB%AE%E8%AA%AC
<兎のような>後者は、<狐のような前者の>当初の諸優位を相殺し、どの種も永久に先頭へと抜け出すことはない。
よりよく組織化された諸社会中、諸築城を行うことができる社会は、襲撃のより良い組織化と手を携えて前進したのであって、諸定住地(settlement)における破壊<跡が発掘された>諸地層が示しているように、諸襲撃は<築城に対する>諸攻囲へと変貌して行った。
<その限りにおいては、「矛盾」の説話の示すところのものだ。>
しかし、古典的な赤の女王効果とは違って、古代における諸軍事における革命群は、大きな長期的諸帰結をもたらした。
<すなわち、>全ての事例において言えることだが、ある一つの社会は、より強力な政府の諸制度についても再組織化することができた場合においてのみ成功した<社会となった>ところ、諸社会が<競い合って>同じことを行った結果、それらの諸政府は、対外的諸敵に対する団結(cohesion)の名の下でそれらの内部を平和化する<という大きな長期的諸帰結をもたらしたのだ>・・・。
二番目に・・・生じたのは、少なくとも旧世界においては、石製諸兵器の青銅製諸兵器での代替だ<(注22)>。
(注22)「青銅器が使用され始めた時期から、鉄器が使用され始めるまでの期間を青銅器時代と呼ぶが、・・・中国の青銅器時代の到来は若干ながら遅れている。・・・
本格的に青銅器が日本(倭)にもたらされたのは<弥生時代の>およそ紀元前2世紀であり、生産もその後すぐおこなわれた可能性が高い。主な青銅器は、鏡・矛・剣・戈(か)の武器類と銅鐸、やりがんな等である。武器類は、初めごろは実戦に使えるものであったが、日本ではほぼ同時期に鉄器や製鉄技術も伝来しており、武器や実用道具は性能に優れた鉄器にとって代えられた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E9%8A%85%E5%99%A8
「青銅・・・は、銅Cu を主成分としてスズSn を含む合金である。・・・オリンピックの銅メダルも、青銅(ブロンズ)で構成されている・・・添加する錫の量が少なければ日本の十円硬貨にみられるような純銅に近い赤銅色、多くなると次第に黄色味を増して黄金色となり、ある一定量以上の添加では白銀色となる。・・・鉄より錆びにくいことから、一部製品には鉄器時代以降も長く使われた。例えば建築物の屋根葺板、あるいは銅像といった用途であり、・・・大砲の材料としては19世紀頃まで用いられている。これは大砲のような大型の製品を材質を均一に鉄で鋳造する技術が無かったからであり、青銅を砲金と呼ぶのはこれに由来する。・・・鉄製砲を製作するための反射炉が、<日本で>開国による技術革新の象徴となった」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E9%8A%85
そこでは、耕作が始まってから6,000年前後経ったBC4,000紀末において、青銅製諸兵器が用いられるようになり、BC2,000年までには殆んど完全に石製諸兵器を代替した。
青銅器は、BC2,500年までにインダス渓谷に到着し、BC2,000年までには黄河渓谷に到着したが、恐らく、どちらの場合もメソポタミアからの伝播であり、どちらの場所でも急速に石器から代替された。
<新世界は、石器時代のままでとどまった。>
旧世界における三番目の軍事における革命群・・間違いなく最も重要なもの・・は、指揮統制面におけるものだ。
男たちの大集団を動かし、給養し、(とりわけその諸敵が突き刺し返してくる場合において、)諸敵のいる場所まで連れて行ってこれら諸敵を突き刺すためには、適切な軍事規律と参謀業務が必要だ。
指揮統制は、考古学的に裏付けることは困難だが、シュメールのラガシュ(Lagash)から出土した有名なハゲワシの碑(Vulture Stele)<(注23)>は、BC2,450年前後に彫られたものだが、将校群を伴った歩兵の一応規律ある編成を示しているように見える。
(注23)「エアンナトゥム(Eannatum、在位:<BC>25世紀頃?)は、・・・シュメール初期王朝時代のラガシュ第1王朝で王位についた。彼は・・・遺跡・・・で発見された・・・ハゲワシの碑(Stele of the Vultures)を含む一連の記念碑によって知られている。これらの記録は同時代の戦争を記述したものとして最も古いものである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%A0
「古代のラガシュ・・・は、・・・現代のイラク南部に存在<した>・・・ラガシュ、ギルス、ニナ・スィララ、グアバなどの都市が連合して成立した国家であった。・・・
ラガシュ・・・とウンマは100年にわたり国境を巡ってラガシュ・ウンマ戦争・・・を起こしていた。・・・後にウンマとラガシュは和平協定を結ぶが、これは史上最初の国際条約といわれている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%AC%E3%82%B7%E3%83%A5
ハゲワシの碑は、隣国ウンマ(Umma)に対する、エアンナトゥム率いるラガシュの戦争勝利祝賀記念碑であり、様々な戦闘場面や宗教場面が描かれている。この碑の残存部分は、現在、ルーブル博物館に所蔵されている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Stele_of_the_Vultures
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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