太田述正ブログは移転しました 。
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太田述正コラム#6920(2014.5.7)
<皆さんとディスカッション(続x2256)>

<太田>(ツイッターより)

 「日本のエコな消費習慣を見習おう…」
http://j.people.com.cn/94476/8617971.html
、「日本を訪れた中国人観光客、消費増税もショッピングに意欲的…」
http://j.people.com.cn/94476/8617926.html
。定番の人民網の日本ヨイショ記事を読むたびに、心が和むこと和むこと。

<太田>

 関連記事だ。

 「日本が優れているところって何?文化やマナーのほかにも意見続々―中国ネット・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/8805737/

<太田>

ブルネイがシャリア導入を決めたことにハリウッドでボイコット運動。
http://www.bbc.com/news/world-us-canada-27303085
 ナイジェリアでボコ・ハラムが少女数百人を誘拐した事件に米軍等が支援する運びに。
http://www.bbc.com/news/world-africa-27304441
 杭州で、再び、ウィグル人らしき者達による集団殺傷テロ事件発生。
http://www.bbc.com/news/world-asia-china-27289398
 一、とにかくイスラム教は困ったもの。
 二、チベット人は自殺で抗議してもテロはしない。仏教の力は大きい。
 三、自衛隊の役割は、基本的に、ボコ・ハラムのような国際的武力集団と戦うところにしか存在しえない。

<太田>

 関連記事だ。

 「中国「極端な宗教思想が脅威」 研究機関、ウイグル念頭に指摘・・・」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140507/chn14050700380001-n1.htm

 どこにも、宗教原理主義者はいる。↓

 「旅客船沈没:「捜査は宗教弾圧」救援派がデモ・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/07/2014050701448.html

<太田>(ツイッターより)

 「…改革開放後、中国の民衆が最初に日本現代文学に接したのは、…渡辺氏の作品を通してであった。…中国人読者に最も歓迎され、愛された日本人作家と言えば、…まず渡辺淳一氏、次に村上春樹氏…渡辺氏が描く複雑で繊細な感情は、日本文化特有のものであると同時に、グローバル性の高い要素も含まれる。…」
http://j.people.com.cn/94473/8618830.html
 ウーム、背景は蒼井そら人気と同じかも。
 渡辺の小説読んだことないが、彼の対談を読んで、あれほど男女関係に係る人間科学に疎い人物が元医者の作家かと呆れちゃったけどねえ。
 恐らく彼の小説、日本のAVをただ単に活字にしたものなんだろ。

<太田>

 関連ブログだ。

 「・・・女性目線からすると決して好まれなかった作家でもあります。私の知り合いの女性は「一度読んだだけでもう絶対に読まないと決めた」と完全拒否反応を示しているのですが、その理由は「男目線」であるということでしょうか?・・・中年、壮年男性と歳の差のある女性という組み合わせで、男のエゴが力づくで押し出されているところに時代背景も含めた作風がある気がしています。・・・」
http://blogos.com/article/85860/

<太田>(ツイッターより)

 「…主要紙フィリピン・スター<は>…「…今回の沈没への韓国<で>…の対応には見習うべき点がある」と指摘<し>…た。…<まず、>「船主などにも捜査の手が伸びている」として、原因と責任の追及が進んでいると評価した。…歴代大統領が汚職にからんで収監されたり自殺したりする韓国では、「強い恥の感覚や正義が十分に機能している」と付け加えた。そして、「フィリピンでは対照的に、フェリーが沈没すると恥も外聞もなく、乗員からオーナー、規制当局へと責任が転嫁される」と、批判の矢を国内に向ける。…フィリピンでは、別の地元紙も…、セブ島沖で昨年8月、…フェリーが貨物船と衝突し、100人以上が死亡した事故を挙げ<、>双方の船長は逮捕されず、フェリー会社は海に流出した油の回収を行った行政当局に費用を支払おうともしないと<指摘した>。」
http://news.infoseek.co.jp/article/sankein_sk220140506506
 日韓比の文明化の度合いに差があるってだけのこと。
 韓国罵倒はペケ。

<太田>

 関連記事だ。

 全くひでーもんだ。↓

 「「いつも通り」の虚偽記載・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/06/2014050600780.html?ent_rank_news

 沈没船と同じ構図だね。↓

 「ソウル地下鉄事故、半日前の信号異常に対応せず・・・」
http://www.yomiuri.co.jp/world/20140507-OYT1T50032.html?from=ytop_main2

 だけど、こういう上から目線はよくない。↓

 「・・・「真の武士道とは何か」を、中韓に説いて聴かせねばならない。・・・」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140507/kor14050711050001-n1.htm

 韓国は自分で再生できるだろう。↓

 「旅客船沈没:「セウォル号は韓国の自画像」 在米ジャーナリストの文章がネット上で話題に 「国民意識に革命的な変化がなければ、大韓民国号が沈没」・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/07/2014050701451.html

 その過程ではこういうことも起きるが・・。↓

 「事故対応指示を全く信じないという非合理・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/05/06/2014050600625.html?ent_rank_news

 ただ、現在は茫然自失状況ってところだな。↓

 ・・・To outsiders, the Sewol disaster may seem like another tragedy that we will inevitably overcome. But here in South Korea, it feels like the country may never be the same again. It has traumatized our national psyche and undercut our self-image.・・・
http://www.nytimes.com/2014/05/07/opinion/kim-south-koreas-tragic-failure.html?ref=opinion&_r=0

<檸檬歌曲>

 いつもコラム配信ありがとうございます。
 太田コラムは首尾一貫した視座があり、世の中の事象を私なりに理解しようとする上で欠かせない存在となっています。
 無料メルマガ時代からの読者なので、たぶんもう10年以上お世話になっていると思いますが、このたび思い立って(事務連絡以外では)初めてメールを送ります。

 さて最近、一、「嫌われる勇気(岸見一郎・古賀史健/ダイヤモンド社)」という本がベストセラーになっています。
http://diamond.jp/category/s-adler
 アドラー心理学をベースに書かれた書かれた自己啓発本ですが、この影響からか、二、「アルフレッド・アドラー 人生に革命が起きる100の言葉(小倉広/ダイヤモンド社)」や、三、「アドラー心理学入門(岸見一郎/KKベストセラーズ)」といった本も良く売れているようです。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ogurahiroshi/20140402-00034176/
http://books.rakuten.co.jp/rb/1090243/

 このうち、上掲書二の裏表紙にはこうあります。
 「アルフレッド・アドラー Alfred Adler 1870-1937年/オーストリア出身の心理学者。フロイト、ユングと並ぶ巨人にもかかわらず、日本での知名度は低い。個人心理学(アドラー心理学)を創始し、『7つの習慣』のスティーブン・R・コヴィー氏や『人を動かす』のデール・カーネギー氏らに影響を与え、「自己啓発の父」とも呼べる存在である」

 また、上掲書二の8章冒頭では、「共同体感覚」に関するアドラーの言葉として、「幸せになる唯一の方法は他者への貢献」と記載されています。

 他者貢献に関しては、上掲書一の238pに「他者貢献が意味するところは、自己犠牲ではありません。むしろアドラーは、他者のために自分の人生を犠牲にしてしまう人のことを、「社会に過度に適応した人」であるとして、警鐘を鳴らしているくらいです。 〜中略〜 つまり他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです」との記述があります。

 太田コラムでは、ちょうど<デール・カーネギーの生涯と主張>が公開されたところであり、太田さんはその結論部分で「私の見るところ、カーネギーは人間主義を説いたわけです」と述べておられますが、もしかしたらカーネギーの源流としてアドラーを位置づけることができるのかもしれないと思い、筆をとった次第です。また、上掲書三の114pによると、アドラー心理学を学んでいる人のことを「アドレリアン」と称するようですが、あるいは「日本人=生来的アドレリアン」という表現方法があり得るのかもしれない、と思ったりもしています。

 ただ、上掲本はいずれも、どこからどこまでがアドラー自身が実際に言った内容なのか判然としない感じもあり、従って上記感想も今のところ思いつきの域を出ませんが・・・。

PS 過去コラムでアドラーに言及されたことはないような気がするのですが、もし既出でしたらスミマセン。

<US>

 鎌倉時代についてもう少し教えてください。
 ありていに申せば、鎌倉時代を使って弥生モード、縄文モードの定義をちゃんと理解したいと思います。

 完全ではありませんが関連するコラムを読み返しました。

 鎌倉時代を弥生モードとする理由として、
- 戦乱が続いた<コラム#6918>
- 創造的破壊と改革の証左である武家による幕府成立 <コラム#4140>
などがあると理解しました

 一方、私自身、しっくり来ない点として、以下2点があります。
1) 泰時、時頼などの実施した施策は、縄文モードの特徴であるエージェントの重層構造の精緻化 <コラム #6918 の形容矛盾として記しているところ、及び鎌倉幕府年表>
2) 鎌倉期は縄文モードの特徴である人口停滞時期 <コラム #116>
の2点があります。

 できの悪い学生のレポートのようで恐縮ですがここまで学習した弥生モード、縄文モード理論で、この2点について自分なりに解釈しようとすると次のような仮説が真である必要がでてきます。

-
時宗が実施した元寇という外因に対し命令系統の一元化、意思決定の迅速化のための組織・制度施策は、弥生モードである典型的な証左である。しかしながら、泰時、時頼の実施した組織・制度施策は、鎌倉幕府存続のための施策である。弥生モード時代と言えども組織存続のための手法として、縄文モードのときに見られるようなエージェントの重層構造化手法が用いられる
-
第一次弥生モード、第三次弥生モード期は人口増が見られたが、第二次弥生モード期たる鎌倉時代、室町、安土・桃山時代は、第一次稲作技術、第三次欧米工業技術導入などの人口増につながるイノベーションが存在しなかった。あるいは人口増減とモード論との相関度はない。

 スライド中、鎌倉期の弥生モードの正弦波が、まだ納得感を持って書けず、考えの足りないところや見落としている視点等あれば、ご指摘いただければ幸甚です。

 どうぞよろしくお願いします。

<太田>

 まず、2番目のご質問から。
 お示しのコラム#116には、

 「日本文明は人口が増加する弥生的な開国時代(=渡来文化時代、対外戦争の時代)から人口が停滞する縄文的な鎖国時代(=国風文化時代、平和な時代)へ、そしてまた人口が増加する弥生的な時代へというサイクルを繰り返して現在に至っているのです。・・・
 すなわち、自然環境等の変化に伴う増減はあったものの人口が基本的には停滞的であった縄文時代の後、弥生時代には渡来人の移住と稲作の導入による生産能力の向上によって人口が爆発的に増えました。そしてその弥生時代の延長である「古墳・飛鳥・奈良・平安初期時代」(4〜9世紀)・・・にも人口増は続きますが、「平安中後期・鎌倉・室町時代」(9〜15世紀)・・・には人口は停滞し、「戦国・安土桃山・江戸初期時代」(15〜18世紀)・・・には人口は再び増加します。そして「江戸中後期」(18〜19世紀)の人口停滞期を経て、「明治大正昭和時代」(19〜20世紀)の爆発的増加時代を迎えます」

とありますが、これは、まだ、私のサイクル論(モード循環論)の、いわば創世記の産物であり、言葉遣いも荒っぽい・・たとえば、当然、「対外戦争」ではなく「戦争」でなければならない・・だけでなく、人口の増減とモードとを同期させていた点は不適切であった、と思います。
 弥生時代/拡大弥生時代及び弥生モードにおいては、(我々の記憶に新しい第二次弥生モードの明治・大正時代がそうであったように、)海外からの文物等の継受とあいまって富国強兵策がとられ、人口増加基調とはなるものの、実際に顕著な人口増となるのは、弥生時代/拡大弥生時代及び弥生モードへの転換と同時ではなく、タイムラグが生じる、と考えるべきだったのです。
 (弥生時代/拡大弥生時代及び弥生モードから縄文モードへの転換の際にも、人口減ないし人口停滞は、やはり転換と同時ではなく、タイムラグが生じる、と考えるべきでしょう。)
 人口はネズミ算的に増える、ということがまず第一点ですし、第一次縄文モードから第一次弥生モードに転換した当初は、乱れた治安、繰り返された戦乱の下、人々は将来への希望を失い、子作りどころではなくなったはずだ、というのが第二点です。
 従って、各モードの時代区分は、その後、私が提示するようになったところのものの方が、より適切であると思います。
 すなわち、(平安末・)鎌倉・室町時代は、(第一次)縄文モードではなく、(第一次)弥生モードに属する、と捉える方が適切である、ということです。
 
 次に1番目のご質問について。
 『魏志倭人伝』には、卑弥呼に「弟がいて彼女を助けていたとの伝承がある(有男弟佐治國)。王となってから後は、彼女を見た者は少なく(自爲王以來、少有見者)、ただ一人の男子だけが飲食を給仕するとともに、彼女のもとに出入りをしていた(唯有男子一人、給飲食、傳辭出入)。宮室は楼観や城柵を厳しく設けていた(居處宮室・樓觀、城柵嚴設)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC
とあります。
 これは、拡大弥生時代の初期において、権威の担い手たる女性の「王」と権力(軍事)の担い手たる男性がいたことを推察させます。
 これは、弥生人が、縄文人を「統治」するにあたって、縄文人における女性優位性と戦争忌避性を「継受」した、ということではないか、と私は考えています。
 この時点では、まだ、権威の担い手たる「王」の宮殿は(恐らく日本がまだ統一されておらず、他「国」の攻撃を受ける可能性があったことから)城塞ですが、やがて、宮殿が事実上無防備になっていくこと、<他方、女性優位性がタテマエの世界からは消えて行ったこと、>もご承知のことと思います。
 弥生人の縄文人化が更に進展した、ということです。
 権威と権力の、前者の優位の下での分離は、日本で、その後、現在に至るまで、基本的に一貫して続いています。
 伝説上の人物なのか実在の人物なのか説が分かれていますが、三韓征伐を行ったことになっている神功皇后だって、天皇ではなくて「皇后」ですし、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%8A%9F%E7%9A%87%E5%90%8E
草薙剣を振るって征西や東征にあけくれたヤマトタケルは天皇の子で天皇の父でありながら、ついに皇位に就くことはありませんでしたし、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%83%88%E3%82%BF%E3%82%B1%E3%83%AB
ずっと時代が下って、皇族ではない・・但し、皇室の血筋ないしそう擬制された・・征夷大将軍が権力を担うことになり、それが第二次縄文モード(江戸時代)末まで基本的に続くことになるわけです。
 ただし、征夷大将軍が権力を担うことになったのは、室町幕府の第三代将軍の足利義満の時であり、鎌倉幕府の北条時頼の頃にはそうではなく、征夷大将軍は権威を天皇の権威の下で担う存在でしかありませんでした。(室町時代にも、権力を「前将軍である室町殿や大御所が握っている場合もあ<った>」ことには立ち入りません。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
 で、ご質問に対するお答えですが、鎌倉時代においては、(天皇の権威の下で権威を担う)征夷大将軍が認知する者が権力を担う、という一種の慣習法が成立していたと言えそうであり、北条時頼は、摂家将軍たる第四代将軍の藤原頼経によって執権職に就いた時に権力の担い手として認知されたところ、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%82%E5%AE%B6%E5%B0%86%E8%BB%8D
時頼は、後に、摂家将軍たる第五代将軍の藤原頼嗣を親王将軍たる第六代将軍宗尊親王にすげかえ、前執権となった時には、この第六代将軍によって引き続き権力の担い手として認知を受けています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%99%82%E9%A0%BC
 つまり、北条時頼は、日本の政治経済体制における、(少なくとも)拡大弥生時代からモード転換を超えて続くところの、権威と権力の分離、換言すれば、権力者が権威の担い手をお神輿として担ぐガバナンス・スタイルを象徴する人物なのです。

<K.K>

≫≫なお、質問ですが、例えば、2009年の所には、2010/1.13、等まで<(9.13はミスプリです。昨日のディスカッションのブログを訂正してあります(太田))>・・とは言っても、2010/1/1より後の日付の分は6メールだけですが・・入ってしまっており、各年とも同じような状況です。これはどうしてでしょうか?≪
 謎ですね。≪(コラム#6918。太田)

 Gmailに「スレッド」機能というのがあります。
 (「Gmail では、最初のメールへのすべての返信が 1 つのスレッドにまとめられます。」
https://support.google.com/mail/answer/5900?hl=ja)
 ところが、この機能がたまに関係ないメールまでスレッドにまとめてしまうことがあります。この機能の誤作動でひとまとめにされて、最初のメールの日付で仕分けされたのかな〜、というぐらいしか今は思い浮かばないです。
 尚、Thunderbird側でどうなるのかわからないので、昨日の手順3-4)でこの「スレッド表示」をOFFにしています。

≫「after:2014/01/01 before:2014/05/01」フィルタだけが残っていましたが、これを削除するのを躊躇しました。どうするのかを確認するために、ここで作業を中断しました。≪(同上)

 まず、このフィルタは、一昨日、「受信トレイ」のメールを「2008年」-「2014年」に振り分けるために作成、利用した「フィルタ」であることを思い出してください(つまり、もともとは無かった)。次に、一昨日は受信済みメールの仕分けの為に「フィルタ」を利用しましたが(注1)、本来「フィルタ」はメールの着信時に機能するものです。2014年1月1日から2014年4月30日の日付で、メールを受信することはもうないので、この
「フィルタ」はあっても機能しません。ですから削除でOKなわけです(注2)。逆に、機能しないわけですから、あっても害はないですが。
*注1:「受信トレイ」にあるメールには「受信トレイ」という「ラベル」が付いています。「受信トレイ」にあるメールを「受信トレイ」には表示されず、「2008年」には表示されるようにするためには、i)「受信トレイ」という「ラベル」を剥がす、ii)「2008年」という「ラベル」を付けるという2つの操作が必要なのですが、「フィルタ」を使うと1度で済むので「フィルタ」を利用しました。(「受信トレイをスキップする」
という項目があったと思いますが、これが「受信トレイ」という「ラベル」を剥がす操作に相当します。)
*注2:この「after:2014/01/01 before:2014/05/01」というフィルタを「after:2014/01/01 before:2015/01/01」に書き換えると、今年着信するメールは全部「受信トレイ」には表示されず、「2014年」に表示されることになります。ただし、これを今やってしまうとPOP環境から新着メールが見えなくなってしまいます。

≫本日11:00過ぎに調べたら、12,606入ってました。≪(同上)

 「送信済みメール」の仕分けに関しては、GmailよりもThunderbirdの方が優れている(注3)ので、「xyz@gmail.com」アカウント作成後、Thenderbird側で仕分けすることになると思います。
 「2008年」・・・「2014年」フォルダの中に「送信済みメール」というサブフォルダを作成して、そこへ返信日時に基づいて振り分ける、という方向でいいでしょうか?

⇒はい。
それじゃ、後で、前回、中断した以降の作業をやりますね。(太田)

*注3:Gmailは「ゴミ箱」に入れる以外「送信済みメール」という「ラベル」を剥がせない仕様です。
 (「送信済みメールをアーカイブしたところ、アーカイブすることができたのですが、送信済みトレイに表示されたままとなっています」
http://okwave.jp/qa/q5337614.html)

<太田>

 コラム#6918の「9)」まで作業を終えましたが、その後はまだです。
 理由は三つ質問があるからです。
 一、Thunderbird上に「2014」のフォルダができていません。
 二、「2008」〜「2013」のG-Mail上のメール数とThunderbird上のそれとが一致していない。
 三、Thunderbird上のメールで未読の方が多くなっている。(そもそも、未読メールは存在しないはずです。)

 なお、ついでに教えていただきたいのですが、Thunderbird上の既存のフォルダはどうするのですか?
 (このコラムも、xxx@ohtan.net内の「受信トレイ」から送信しました。)
 また、G-Mail上の受信トレイはそのままでいいのですか?
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太田述正コラム#6921(2014.5.7)
<戦争の意義?(その10)>

→非公開

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