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太田述正コラム#6661(2013.12.28)
<映画評論41:永遠の0(その2)>(2014.4.14公開)
(2)この映画で残念だった点
既に示唆しているように、この映画の出演者の中にも、この映画のテーマの理解が不十分な人が少なくないことが、それがその出演者の演技、ひいてはこの映画の出来に直接影響を与えるわけではないとはいえ、残念だった点です。
まずは、主人公の宮部を演じる岡田准一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%87%86%E4%B8%80
です。
「宮部の時代は戦いが現実にあり、宮部は戦う怖さや悲しさを知っている。戦争に対して反対だという思いがある中、どうして戦っていたのか、悲しみを抱きながら戦うとはどういうことなのか、戦争というものに身を置いたとき、人はどう思うのか。今の感覚で言えることはありますが、それだけでは偏ってしまうと思ったんです。当時の人たちは、その時々に一生懸命生きていたんだと思いますし、宮部を演じる場合は、今の価値観で決めつけてはいけない。当時の価値観や宮部の生きていた時代の状況も踏まえて、演じるようにしました。」(A・4頁)という彼の言を読んでみてください。
「宮部<は>・・・戦争に対して反対だ」からは、岡田が、原作を読んだはずなのに、百田のことを調べていないと思われるところ、百田が戦争肯定論者であって、戦争反対論者を主人公とするような物語を作るわけがないことに気づいていないことが、そして、「今の価値観で決めつけてはいけない」以下は、この映画及びその原作のテーマが、時代を越えて普遍性のある人間主義についてであることを理解していないことがお分かりになることでしょう。
もとより、当時の日本人の価値観はいささか違っていたわけですが、それは、単に、「平時」と「有事」の違いに過ぎないのであって、戦後の日本人が、世界の中で例外的に「有事」観念を放棄してしまった結果、岡田だけではなく、現在の日本人の大部分が、それを「現在」と「昔」の価値観の違いだと錯覚してしまっているわけです。
また、超有名ベテラン俳優の平幹二郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B9%B9%E4%BA%8C%E6%9C%97
も、一シーンだけの出演ですが、「主人公は臆病者と呼ばれていますが、それは家族の幸せを守るために生き抜こうとする強い意志の表れで、非情な戦争に対して、自分のできる範囲で抵抗した人です。」というピンボケの言を吐いています。
宮部は特攻に反対こそしたけれど、「戦争」そのものに「抵抗」したわけではありませんし、特攻に反対した理由についても、それが必死の戦術であったからというよりも、前途有為の(大学生等の)予備士官の未熟な操縦士を特攻に投じることは無駄死にに近いものを強いることである、との公憤からでしょう。
そうでなければ、宮部が最後に自身が特攻を志願するはずがないのです。
宮部は、多数の教え子達の無駄死に少しでも報いなければならないと思いつめ、自分の操縦士としての技量を駆使して、敵航空母艦に大打撃を与えて・・その最後の瞬間が示されてはいませんが・・散華したのです。
(恐らく、原作でそのように描かれているのでしょうが、海面すれすれに飛んで空母に接近し、直前で急上昇してから急降下して甲板に激突する戦術は極めて合理的です。
海面すれすれに飛ぶのは容易ではありませんが・・。
実際、現在の巡航ミサイルの対艦攻撃パターンはそうなっています。
これは、海面すれすれに飛ぶと、地球は丸いので、空母のレーダーが機を発見するのが遅れるのと、そもそも、海上で電波が乱反射するので、機がレーダーに映りにくいですし、最後に急上昇してから急降下するのは、衝突の際の衝撃力を大きくすることによって、艦艇の甲板の下に突き抜けてから携行爆弾が爆発することで艦艇へのダメージを大きくするためです。)
こんな勘違いが起きるのは、基本的には岡田や平自身が不勉強だからですが、監督兼脚本(兼VDX!)の山崎貴
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E8%B2%B4
が、映画職人であって、大きな絵柄には関心のなさそうな人物で、彼自身、恐らく、この映画のテーマになどさして関心がないため、それを岡田や平に語り聞かせることもなかった、というより、語るべきものを持っていなかったせいでもあるのではないでしょうか。
そもそも、彼のように、美術専門学校卒(ウィキペディア上掲)の監督というのはめずらしいのでは?
(百田(同志社法)と井上(明大文)は大学に行っており、山崎と岡田と平は行っていないことが意外に大きいのではないでしょうか。
百田は中退ですが、5年間在籍したということですから、少なくとも教養課程は修了していたのでしょうし、要は、大学に行きたいと思う位の知的欲求と受験勉強をこなす形での(総合的)知的鍛錬をしていたことと、大学(の教養課程)で(総合的な)教養を一応身に付けたことが、後々効いてくる、と思うのです。
井上のように卒業までしておれば、(法学部ではないので、)それに加えて学問方法論・・真実らしきものを見極める方法論・・も一応身に付けるわけです。
岡田は歴史好きを自認しているけれど、自己流で好きなものだけ読んでいても教養は必ずしも身に付きません。
山崎のように専門学校を卒業していても、基本的に同じことです。
(以上、事実関係はそれぞれのウィキペディアによった。))
現に山崎は、「戦争末期は、日本の国全体がある種の狂気に囚われ、追い詰められていた気ががする」(A・17頁)などというズレまくった話をしているところです。
この山崎について指摘した点については、根拠が更に2つあります。
(続く)
<映画評論41:永遠の0(その2)>(2014.4.14公開)
(2)この映画で残念だった点
既に示唆しているように、この映画の出演者の中にも、この映画のテーマの理解が不十分な人が少なくないことが、それがその出演者の演技、ひいてはこの映画の出来に直接影響を与えるわけではないとはいえ、残念だった点です。
まずは、主人公の宮部を演じる岡田准一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E7%94%B0%E5%87%86%E4%B8%80
です。
「宮部の時代は戦いが現実にあり、宮部は戦う怖さや悲しさを知っている。戦争に対して反対だという思いがある中、どうして戦っていたのか、悲しみを抱きながら戦うとはどういうことなのか、戦争というものに身を置いたとき、人はどう思うのか。今の感覚で言えることはありますが、それだけでは偏ってしまうと思ったんです。当時の人たちは、その時々に一生懸命生きていたんだと思いますし、宮部を演じる場合は、今の価値観で決めつけてはいけない。当時の価値観や宮部の生きていた時代の状況も踏まえて、演じるようにしました。」(A・4頁)という彼の言を読んでみてください。
「宮部<は>・・・戦争に対して反対だ」からは、岡田が、原作を読んだはずなのに、百田のことを調べていないと思われるところ、百田が戦争肯定論者であって、戦争反対論者を主人公とするような物語を作るわけがないことに気づいていないことが、そして、「今の価値観で決めつけてはいけない」以下は、この映画及びその原作のテーマが、時代を越えて普遍性のある人間主義についてであることを理解していないことがお分かりになることでしょう。
もとより、当時の日本人の価値観はいささか違っていたわけですが、それは、単に、「平時」と「有事」の違いに過ぎないのであって、戦後の日本人が、世界の中で例外的に「有事」観念を放棄してしまった結果、岡田だけではなく、現在の日本人の大部分が、それを「現在」と「昔」の価値観の違いだと錯覚してしまっているわけです。
また、超有名ベテラン俳優の平幹二郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B9%B9%E4%BA%8C%E6%9C%97
も、一シーンだけの出演ですが、「主人公は臆病者と呼ばれていますが、それは家族の幸せを守るために生き抜こうとする強い意志の表れで、非情な戦争に対して、自分のできる範囲で抵抗した人です。」というピンボケの言を吐いています。
宮部は特攻に反対こそしたけれど、「戦争」そのものに「抵抗」したわけではありませんし、特攻に反対した理由についても、それが必死の戦術であったからというよりも、前途有為の(大学生等の)予備士官の未熟な操縦士を特攻に投じることは無駄死にに近いものを強いることである、との公憤からでしょう。
そうでなければ、宮部が最後に自身が特攻を志願するはずがないのです。
宮部は、多数の教え子達の無駄死に少しでも報いなければならないと思いつめ、自分の操縦士としての技量を駆使して、敵航空母艦に大打撃を与えて・・その最後の瞬間が示されてはいませんが・・散華したのです。
(恐らく、原作でそのように描かれているのでしょうが、海面すれすれに飛んで空母に接近し、直前で急上昇してから急降下して甲板に激突する戦術は極めて合理的です。
海面すれすれに飛ぶのは容易ではありませんが・・。
実際、現在の巡航ミサイルの対艦攻撃パターンはそうなっています。
これは、海面すれすれに飛ぶと、地球は丸いので、空母のレーダーが機を発見するのが遅れるのと、そもそも、海上で電波が乱反射するので、機がレーダーに映りにくいですし、最後に急上昇してから急降下するのは、衝突の際の衝撃力を大きくすることによって、艦艇の甲板の下に突き抜けてから携行爆弾が爆発することで艦艇へのダメージを大きくするためです。)
こんな勘違いが起きるのは、基本的には岡田や平自身が不勉強だからですが、監督兼脚本(兼VDX!)の山崎貴
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B4%8E%E8%B2%B4
が、映画職人であって、大きな絵柄には関心のなさそうな人物で、彼自身、恐らく、この映画のテーマになどさして関心がないため、それを岡田や平に語り聞かせることもなかった、というより、語るべきものを持っていなかったせいでもあるのではないでしょうか。
そもそも、彼のように、美術専門学校卒(ウィキペディア上掲)の監督というのはめずらしいのでは?
(百田(同志社法)と井上(明大文)は大学に行っており、山崎と岡田と平は行っていないことが意外に大きいのではないでしょうか。
百田は中退ですが、5年間在籍したということですから、少なくとも教養課程は修了していたのでしょうし、要は、大学に行きたいと思う位の知的欲求と受験勉強をこなす形での(総合的)知的鍛錬をしていたことと、大学(の教養課程)で(総合的な)教養を一応身に付けたことが、後々効いてくる、と思うのです。
井上のように卒業までしておれば、(法学部ではないので、)それに加えて学問方法論・・真実らしきものを見極める方法論・・も一応身に付けるわけです。
岡田は歴史好きを自認しているけれど、自己流で好きなものだけ読んでいても教養は必ずしも身に付きません。
山崎のように専門学校を卒業していても、基本的に同じことです。
(以上、事実関係はそれぞれのウィキペディアによった。))
現に山崎は、「戦争末期は、日本の国全体がある種の狂気に囚われ、追い詰められていた気ががする」(A・17頁)などというズレまくった話をしているところです。
この山崎について指摘した点については、根拠が更に2つあります。
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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