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太田述正コラム#6433(2013.9.5)
<日支戦争をどう見るか(その43)>(2013.12.21公開)

 (五)ミターによる「批判」

 「ディコッターは、恐怖でもって次第に民衆を従属へと追い込んで行った<中共の>システムを分析することに集中している。
 しかし、国家がこのようなシステムを遂行することが可能であったのはどうしてかが全く明らかではない。
 毛沢東より前の国民党体制におけるサディスティックな保安の長であった戴笠(Dai Li)<(コラム#6344)>は、民衆に対するこれほどの水準のコントロールを得られたらさぞ喜んだことだろうが、彼はそれを達成できなかった。
 ディコッターは、ある箇所で、ソ連史家のシェイラ・フィッツパトリック(Sheila Fitzpatrick)<(注81)>の画期的な著作に言及している。

 (注81)1941年〜。「オーストラリア出身の歴史学者。[シドニー]大学歴史学部名誉教授。専門は、ロシア・ソ連史。・・・メルボルン大学卒業後、オックスフォード大・・・で博士号取得。ロンドン大学スラヴ東欧学研究院フェロー[、シカゴ大学教授を歴任]・・・。」[ソ連史を、全てが国家によって決められたという全体主義史観ではなく、下からの階級闘争的史観で見直した。例えば、スターリンによる大粛清は、うだつが上がらなかった人々の上昇欲求に応えた新陳代謝という側面もあった、と指摘する。]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%91%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%AF
http://en.wikipedia.org/wiki/Sheila_Fitzpatrick ([]内)

 彼女のスターリン時代の研究は政治的パラドックスに関する理解を書き換えた。
 それは、どうして、ある体制が、その民衆を虐げ(abuse)つつ、同時に、真正なる人気を確保することができるのかについてだ。
 <中共に関する>解答の一部は、<その>1950年代・・それは、支那史に係る学術的世界における最も活気のある諸分野の一つだ・・に関して出現しつつあるもう一つの著作から得られるかもしれない。
 この新しい著作は、<中共の>社会のたくさんの部門において新体制に対する真正なる熱狂を、青年の文化と消費者運動(consumerism)といった諸分野を検証することによって示した。<(注82)>

 (注82)ミターは、この著作の名称や著者を記していない。

 多くの者は急速に幻滅したけれど、彼らのコミットメントは偽物ではなかった。
 ディコッターが<解答に関して>提示する一つの示唆は、毛沢東の支那を、本物のように見えたけれども実はスターリンの傀儡であったところの、1945年以降の東欧の諸体制との比較だ。

→基本的にこのディコッターの考えでよいのではないでしょうか。
 毛沢東はスターリンの、より醜悪なレプリカであると考えたらいい、というのが私見です。(太田)

 しかし、スターリンは<毛沢東の>指導教師(mentor)で、かつ、機能不全的な同盟者であったけれど、中共は支那の生来的(indigenous)な産物だった。
 毛沢東の革命とその化け物性(monstrosities)は、支那の内なる諸力の産物だったのだ。
 社会的不平等、日本との戦争、そして暴力的政治文化。
 その他の要素も中共の指導者達のふるまいに影響を与えた。
 例えば、この国の世界経済からの相対的孤立<もそうだ。>
 これに対しては、米国による諸制裁に直面していた以上、<中共としては、>なすすべが殆んどなかった。
 これらの諸要素のどれも、この本の中で注意深く記録された、<毛沢東による>身の毛のよだつ事柄群(horrors)の言い訳にはまずもってならないけれど、それらは、文脈を提供していることは確かだ。」(γ)

⇒ミターは、「支那の生来的な・・・暴力的政治文化」なるものについて何の説明も行っていませんが、「終末論・太平天国・白蓮教」シリーズ(コラム#4898、4900、4902、4904、4906、4908)の最後に(コラム#4908で)記したように、私が、「要するに、支那において、土着の無生老母信仰と結びついた弥勒下生信仰は、・・・支那における千年王国的伝統を形作り、その中から、白蓮教系の様々なセクトや、白蓮教的なものが更に旧欧州由来のカトリシズムと結びついたところの太平天国が生まれ、それらのものを綜合的に咀嚼しつつ、更に新欧州由来の共産主義(スターリン主義)なる千年王国思想を取り入れて、中国共産党が生まれた、ということです。・・・毛沢東の私党であったと言っても過言ではない、毛時代の中国共産党が、政権をとってから、特に身の毛のよだつような姿を現し、大躍進、文革等を通じて天文学的な数の支那人を虐殺したのは、支那の過去の千年王国的セクトが支那人等の虐殺を繰り返してきたことを思い起こせば、少しも不思議なことではない、ということにもなりそうです。」と考えていることはご承知のことと思います。
 しかし、白蓮教さえ、北インドが起源の仏教がベースであって必ずしも生来的なものではなかったわけですが、それはさておき、カトリシズムもスターリン主義もプロト欧州文明(カトリック文明)の産物であり、スターリン主義自体が、私見では、二重の意味でキリスト教の変形物(コラム#6387)であることからすれば、(容共政党でかつ蒋介石らがプロテスタントであった)中国国民党や(スターリン主義政党であった)中国共産党の暴力性、とりわけ、中国共産党の暴力性は、その大部分をキリスト教に負っている、と言ってよいでしょう。
 なお、ミターが挙げる「支那の生来的な・・・社会的不平等」は支那に限った話ではありませんし、「支那の生来的な・・・日本との戦争」に至っては、文章としてすら成り立っておらず、そもそも、この戦争は支那の「暴力性」がもたらした戦争であって、それが支那の「暴力性」の亢進をもたらしたわけではないことに鑑み、笑止千万です。
 
 (この項完)

(続く)

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