太田述正コラム#6389(2013.8.14)
<日支戦争をどう見るか(その24)>(2013.11.29公開)

 そのロシアで、現在、同性愛はどうなっているでしょうか。

 「ソ連が倒れる数年前においても、同性愛者は収容所(gulag)か精神病院に叩きこまれる可能性があった。・・・
 ロシアは、今日、ソ連体制下とさほど異ならないほどゲイにとって住みづらい場所だ。
 ゲイのカップルは、養子をとれないし、同性婚が合法化されている国の誰もロシア人の子供を養子にとることはできない。
 「非伝統的性関係のプロパガンダ」を禁止する新法は、未成年者に対して同性愛について何か肯定的なことを言うことを犯罪にした。・・・
 ロシアは、性(sexuality)について、欧米とはきわめて異なった歴史を持っており、今日起こっていることは、その歴史の結果だ。・・・
 フランスの歴史家のミシェル・フーコー(Michel Foucault)は、近代において、同性愛は一時的逸脱から種族へと変貌した、と記した。
 この考え方の変化は、1810年近く(late 1800s)に、生物学と心理学の発達や法の諸変化の結果としてもたらされた。
 ロシアでは、一つにはスターリニズムの学問的孤立によって、科学と法は我が道を行った。
 同性愛は、決して「生まれつき」ではなく、学習されたふるまいであって、「治療」することができる、とされたのだ。・・・
 1990年代における同性愛の「諸治療法」には、抗精神病薬<投与>やホルモン治療等があった。
 患者達の若干は、糖尿病的昏睡に陥らされ、目が覚めた時には性的好みが変わっていることが期待された。
 他の女性に対する欲望を治療できない女性に対しては、しばしば性転換が処方された。
 というのは、ロシアの精神医学の論理によれば、彼女らは本当は男であるはずだからだ。
 1999年に、同性愛は公式の精神病ではなくなったけれど、<依然として>多くの若い女性が精神病施設に行かされる理由の一つであり続けている。・・・
 治療が必要な「病気」であるレスビアンとは違って、他の男に対して欲望を抱く男は、処罰されなければならない「犯罪者」とみなされた。
 ロシアの刑法典では、1993年にボリス・エリツィン(Boris Yeltsin)がひっくり返すまでは、男性のゲイ行為は、銀行強盗のように扱われた。
 それは、一人の男が刑期を務め上げ、それから、思うに、社会復帰して犯罪から解放された異性愛の生活を送る<ことが期待された>ところの、犯罪だったのだ。
 投獄の判決にまで至らなかった男達でさえ、彼らの雇用主達や家族達に彼らの「犯罪」を通報されたくないだろうと警察によって脅迫されたものだ。
 これらの姿勢は欧米でも見られないわけではない。・・・
 <しかし、>欧米では、大部分の人々と大部分の法律が、好むと好まざるとにかかわらず、同性愛はなくならない、という若干の合意を反映するものとなっている。
 それとは対照的に、ロシア人の姿勢は、同性愛を一時的かつ治療可能な問題と見るところの、100年を超える科学的、法的思想(thinking)に立脚して構築されているのだ。
 おかしな性的諸慣行を「外国のもの」でスラブ精神(soul)の「脅威」である、と見てきたところの、ナショナリズムの心穏やかならざる歴史をこれに加えて見よ。」
http://www.washingtonpost.com/opinions/how-russias-science-of-sex-threatens-gays/2013/08/09/b1a21128-fedf-11e2-96a8-d3b921c0924a_print.html 
(8月10日アクセス)

 「ナショナリズム」はさておき、「100年を超える科学的、法的思想」の具体的説明がありませんが、そんなものがあったとしても、そんな科学や法がもたらされたことを含め、(この場合は、聖書に明確な根拠のあるところの、)キリスト教の論理こそ、ロシア人が同性愛を忌まわしいものと見ているゆえんに決まっているではありませんか。
 なぜなら、同じキリスト教圏に属する米国人だってイギリス人だって、ロシア人とほぼ同じ姿勢・・そんな姿勢は日本にも支那にも皆無です・・を同性愛に対してつい最近までとってきたことを想起してください。
 あの、自然宗教の伝統のあるイギリス人でさえ、ですよ。
 また、ソ連崩壊後も事情が変わらないということは、ソ連(赤露)時代においても、いかにロシアがキリスト教の論理が貫徹した社会であり続けたかを物語っている、と言ってもよいのではないでしょうか。

 ここで、補足的に、スターリンに「注入されたキリスト教の基本的な物の考え方が」いかに強力なものであったかを裏付けるもう一つの事実に触れておきましょう。
 妊娠中絶はロシア帝国では違法でしたが、取り締まりは緩く、例えば、1910年に起訴されたのは83件に留まっています。
 ロシア革命後の1920年10月、ボルシェヴィキはソ連内のロシア同盟において妊娠中絶を合法化し、やがてソ連では、女性は申告さえすれば、(しばしば無料で)妊娠中絶手術を受けられるようになります。
 ところが、1936年にスターリンは、一転、妊娠中絶を非合法化します。
 一般には彼が人口の増大を図ったからだ、とされていますが、私見では、彼のキリスト教論理が彼をそうさせたのであり、これは、彼による同性愛の非合法化と一対のものと受け止めるべきでしょう。
 しかし、同じく非合法であったロシア帝国時代に、既に妊娠中絶は野放しに近い状態であったことから、今回もヤミの妊娠中絶は高水準で続きました。
 そして、スターリンが1953年に死ぬと、妊娠中絶はただちに再度合法化され、現在に至っています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Abortion_in_Russia

(続く)