太田述正コラム#6357(2013.7.29)
<2013.7.28オフ会次第(その2)>(2013.11.13公開)

 神戸空港からこの会場に向かう途中に、鯨馬(ハンドルネーム)さんが、坂野潤治・田原総一朗による『大日本帝国の民主主義』を読んでいる、とその本を見せてくれました。
 私が・・別段私の説というわけではありませんが・・戦前の日本は民主主義であったと指摘してきたところ、坂野(ばんの)元東大教授も20年ほど前からそのような主張をしてきたのだそうです。
 (たまたま、私は、坂野さんの「アジア政治外交史」の講義を法学部当時に聴講しています。この「アジア」には日本は含まれていないわけですが、40年以上も前のことですから、坂野さんの話の中で、彼の、そのような後の主張につながるような気配を全く感じた記憶がないのは当然かもしれません。)
 このように、次第に、戦後日本の非常識な日本の戦前観が正されつつあるのは大変結構なことだと思います。
 ところが、戦前の日本は、もっぱら対赤露抑止戦略を推進していた、という重要な事実については、いまだに殆んど誰も指摘していません。
 これは日本だけじゃなくて、世界でもそうです。
 対赤露抑止戦略が事実であったことについては疑いようがない、と私自身は考えています。
 なぜなら、これまでコラムの中で何度も記してきたように、戦前〜戦中の首相や外相の公式発言や帝国陸軍の中枢の人々の発言や公的・私的文章は、日本が対赤露抑止戦略を推進していたことを裏付けるものばかりだからです。
 (帝国海軍はいささか趣が違っていたけれど、その話は省略します。)
 紹介したばかりの東條英機の遺書(コラム#6352)だってそうでしたよね。
 ところがです。この遺書を掲載しているサイトに掲げられた「コメント」にはこう記されています。
 「開戦した直接的な理由は自衛戦争のため<であり>、ABCD包囲網で石油などの重要資源の輸入を白人に止められ、戦わざるを得なかったわけである。・・・<この>大東亜戦争が起こらずに核兵器の開発が成功し、世界各地に植民地を持つ欧米の列強国が核兵器で武装していれば、永遠にアジア・アフリカの植民地が解放されることはなかっただろう」
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-755.html
 東條は、一言も「自衛のため」なんて書いていませんし、東條が付け足し的に付け加えた「今回の戦争に因りて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら幸いである。」という部分をこの「コメント」は随分膨らましてくれたものです。
 より深刻なのは、東條が最も強調していた対赤露抑止戦略(が根底から覆された)点をこの「コメント」が完全に無視していることです。
 靖国神社の史観・・神社が史観を宣明することへの私の違和感についてはここでは繰り返しません・・が、日支戦争/太平洋戦争が、「我が国の自存自衛のため、更に世界史的に視れば、皮膚の色とは関係のない自由で平等な世界を達成するため、避け得なかった多くの戦い」であるとしている(2005年当時の同神社サイト(コラム#920))ところ、上記「コメント」の筆者とこの史観とはほぼ一致しています。
 このような史観をぶち上げた人物として、忘れてはならないのが林房雄です。
 彼は1963〜65年に『大東亜戦争肯定論』を世に問います。
 それは、「「大東亜戦争」・・・は「東亜百年戦争」とも呼ぶべき、欧米列強によるアジア侵略に対するアジア独立のための戦いであった、と述べた」ものでした。
 (実は、この史観は林のオリジナルでも何でもなく、既に、「国策遂行のため建設された日本基督教団<が>、1944年の復活祭に「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰」を発表して、大東亜戦争は白人種の優越性という聖書にもとる思想によって人種差別と搾取を行う米英から、大東亜を開放するための聖戦であるとした」ところです。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%9D%B1%E4%BA%9C%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%82%AF%E5%AE%9A%E8%AB%96
 私の仮説は、占領軍が、阿吽の呼吸で吉田茂以下の外務省益追求/買弁勢力と手を組んで、対赤露抑止戦略史観を唱えることを禁止する一方で、敗戦日本人の鬱憤のガス抜きのために、このアジア解放史観の存続を黙認した、というものです。
 対赤露抑止戦略史観が継続すると、戦後以降に関してまさにこの史観を採用するに至った米英にとって、戦前・戦中の自分達の、それに真っ向から背馳する史観との整合性を問われ、窮地に追い込まれかねず、都合が悪かったに違いない、とお思いになることでしょう。
 他方、アジア解放史観については、それが内在的矛盾を抱えていることから、決して米英を含む諸外国の人々の琴線に触れることはない、と見切られていたはずです。
 内在的矛盾とは、日本自身もアジアに植民地や保護国を保有しており、しかも、アジアで、日本の言うことを聞かない・・つまりは日本からの「解放」を欲していたところの・・蒋介石政権を無害化、ないし打倒するために同政権と戦ったことを指します。
 林自身が、「<アジア解放の>理念が捻じ曲げられ、「アジア相戦う」ことになったことを悲劇と見て、「歴史の非情」を感じる」とこの内在的矛盾を認めてしまっているのです(ウィキペディア上掲)から何をかいわんやです。
 私に言わせれば、この内在的矛盾は、対赤露抑止戦略史観の下において、初めて矛盾ではなくなるのです。
 日本による、台湾・朝鮮半島植民地化、満州の保護国化も、日支戦争も、欧米のアジア植民地解放の戦いも、ことごとく、対赤露抑止戦略・・台湾・朝鮮半島植民地化については対露抑止戦略・・を推進するために、他に方法がないので止むをえずして行ったことである、と説明することによって・・。
 ご承知のように、戦後日本の「左」の人々は、日支戦争で「アジア相戦う」ことになったことにもっぱら注目し、それを日本による、侵略・・明治維新以来の侵略の最終場面・・、とする侵略史観を唱えてきたところ、これは、中共、北朝鮮、そして韓国の史観であるとともに、おおむね、米国における史観でもあるわけです。
 この史観に対して、戦後日本の「右」の人々は、対赤露抑止史観を掲げて戦うことをせず、「アジア相戦う」という内在的矛盾を抱えたアジア解放史観を、内弁慶的につぶやくことでお茶を濁してきた、という誹りを免れない、と私は思うのです。

 (「支那や米国についても、一層理解が深まってきた」ことに関して私が引き続きショートトークの中で話した内容は、現在進行形のシリーズ「日支戦争をどう見るか」の中でこれから展開するので、そちらをご覧いただくこととし、省略します。
 また、オフ会の席上での読者とのやりとりについても、今回は省略することにしますが、これからの「ディスカッション」の中で取り上げたり生かしたりして行きたいと考えています。)

(完)