太田述正コラム#6352(2013.7.26)
<日支戦争をどう見るか(その7)>(2013.11.10公開)

 (9)ソ連

→ミター本人も、書評子達も殆んどソ連に触れていない、ということは、この本で殆んどソ連のことに触れていないということであり、この際改めて、この点を、この本の問題点として指摘しておきたいと思います。(太田)

 (10)日本

 「この本は、この戦争を歴史的文脈の中に置き、1931年の日本による満州侵攻より前には、日本が、いかに、アジアにおける発展の篝火(beacon)と見られており、そして、蒋介石自身を含む、支那の将来の戦争指導者達の多くが学んだ場所であったかを述べる。
 「日本は怪物にして侵攻者と見ることができるけれど、実際には、支那の良き指導者(mentor)だったのだ。
 支那とは違って、日本は近代化し、強力で発展した経済を持つ必要性をすぐに学んだ」と彼は述べる。」(D)

→日本が支那の師でなくなったのは、日本が変わったのか、支那が変わったのか、或いはその双方なのか、ミターは明らかにしていません。
 私に言わせれば、日本は一貫して師であり続けて現在に至っているけれど、不肖の弟子が戦間期には概ね師に背くに至り、その後、支那(中共)の指導層は、再び、日本を師として敬慕するようになっているものの、そのことを、民衆にも師たる日本に対しても固く秘している、のです。
 その根拠は、言わずと知れた、日本型政治経済体制のつまみ食い的継受であり、人民網(人民日報)の連日の日本讃嘆記事群です。(太田)

 「蒋介石政権軍の碌に給料が支払われておらず、規律も乱れていた徴兵達は、時々、一般住民に対して悪行を行った。
 それは、日本の監督下にあった支那の傀儡諸部隊においても同じだった。」(J)

→ミターは、当時の蒋介石政権軍や汪兆銘政権軍のような正規部隊もまた、匪賊(後出)的であった、と指摘しているわけです。(太田)

 「彼は、日本兵を思考力のない怪物として扱うのではなく、彼らが野獣化した過程を素描もしている。
 彼は、捕虜の大量殺害をもたらしたところの、日本の非軍人達と軍部との間の「機能障害を起こさせる(crippling)亀裂(division)」、正規の軍人(legitimate soldiering)に背馳する「匪賊(banditry)」<(注19)>なる諸観念に光を照射する。」F)

 (注19)「匪賊は、「集団をなして、掠奪・暴行などを行う賊徒」を指す言葉。・・・日本では、とくに近代中国における民間武装集団を指す。・・・
 軍閥の中には、匪賊と大差のないものもあった。兵士たちは給料の欠配や統率者への不満から容易に暴動(兵変)を起こし、放火・掠奪・殺人を行った。軍閥兵士や敗残兵が賊徒化したものが兵匪である。満州事変後、満州地域では「兵匪」が増加した。多少とも軍事的訓練を受けていた上、各自が銃器を所持しており、当局には対処が困難であった。共匪は、共産党まがいの匪賊で、また、共産党軍そのものも指した。・・・馬賊は満州特有の武装集団であり、その成員の大部分が騎乗することから日本ではそう呼ばれている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%AA%E8%B3%8A

→「日本の非軍人達と軍部との間の・・・亀裂」が何を指すのか不明であるところ、私のように、弥生モードの職業軍人達と縄文モードの徴兵達との間の亀裂がミターの念頭にあれば評価しますが、恐らくそうではありますまい。
 また、匪賊ないし匪賊的正規軍への対処にあたって、帝国陸軍自体が部分的に匪賊的になったという点はありうると思いますし、匪賊を生け捕りにした時に、裁判や軍律法廷でもあるまい、という意識も帝国陸軍にあったと思いますが、それは、非行が著しかった「匪賊」やスパイ的「匪賊」の非大量虐殺は説明できても、南京攻略戦後の「捕虜の大量殺害」は説明できません。
 そもそも、南京攻略戦以外の、支那における帝国陸軍の諸作戦において、「捕虜の大量殺害」は報じられていない、と承知しています。
 南京攻略戦に限って、松井石根中支那方面軍司令官が黙示による捕虜処刑命令を出したのではないか、と私が想像せざるをえないゆえんです。
 なお、(笠原十九司もそうであったので、余り強くは言えないのですが、)ミターが、第二次上海事変が始まる前の、支那側による在支邦人虐殺諸事件及びそれに対する日本世論の激昂に触れていないのは困ったものです。(太田)

「日本はヒットラー<的な人物>を持たなかった。・・・
 東條は、ヒットラーのような、カリスマ性のある、あらゆる面で圧倒的な(all-overwhelming)な人格ではなかった。・・・

→前にも記したように、日支戦争は、日本の対英米開戦までに4年強、その後4年弱続いており、たまたま、その節目に首相をしていた東條英機だけを取り上げる点に、日支戦争と太平洋戦争を都合のよいように使い分けるミターの恣意性が現われています。
 日支戦争の8年強の間に、一体日本は何人の首相を持ったか、考えただけで、(ほぼ第二次世界大戦の全期間、ドイツの最高指導者であった)ヒットラーと(日支戦争の間の)日本の歴代首相のうちの1人とを比べることの無意味さが分かろうというものです。
 そして、これも繰り返しになりますが、ミターには、当時の日本が自由民主主義的国家・・考えようによっては、当時の英国よりも自由民主主義的・・だったことを全く自覚していないように見えます。
 ほんの少しでもかかる自覚があれば、ヒットラーと当時の日本の歴代首相を比較する、という発想自体が出てこないはずです。(注20)(太田)

 (注20)参考のために、東條の遺書からの抜粋を掲げておく。
 「元来日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志に依り行動すべきものであったが、一部過ちを犯し、世界の誤解を受けたのは遺憾であった。・・・

→旧軍は、人間主義を体現した存在であったところ、この大義に背く非違行為が一部に見られたことに遺憾の意を表したもの。(太田)

 東亜の他民族の協力を得ることが出来なかったことが、今回の敗戦の原因であったと考えている。・・・

→蒋介石政権を非難したものと思われる。(太田)

 終戦後、僅か三年にして、亜細亜大陸赤化の形勢は斯 (か) くの如くである。今後の事を考えれば、実に憂慮にたえぬ。もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上もないではないか。・・・
 今次戦争の指導者たる米英側の指導者は大きな失敗を犯した。第一に日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。 第二には満州を赤化の根拠地たらしめた。第三は朝鮮を二分して東亜紛争の因たらしめた。米英の指導者は之を救済する責任を負うて居る。・・・
 今回の戦争に因 (よ) りて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら幸いである。」

→日本にとっての日支/太平洋戦争の主目的(対赤露抑止)と副目的(欧米勢力からのアジアの解放)を簡潔に表現している。
 なお、東條は朝鮮戦争の勃発を予見していたと言えよう。(太田)
http://koramu2.blog59.fc2.com/blog-entry-755.html

 蒋介石には、チャーチルのこだまのような話だが、早い時点で明確に、自分は決して降伏しないと宣明した。
 まさにこのコミットメントこそ、先の大戦における極めて重要な転回点を生み出したのだ。
 支那が、最も追い詰められていた(the lowest point of its crisis)1938年に降伏していたと仮定してみよう。
 日本は従順な傀儡国家を支那の領域に創造したであろうし、その結果、ビルマ、インドネシア、そしてインドやオーストラリアでさえ、といった他の諸領域に、ずっとすぐに、かつずっと容易に目を向けていたことだろう。」(G)

→ミターは、自分自身がこう語ったことで、いかに彼が当時の日本について無知であったかを白日の下に晒してしまっています。
 蒋介石政権が日本に降伏し、支那に親日政権が樹立されれば、戦争が終わった日本は、対ソ抑止に必要な水準まで軍事支出を削減することができ、石油等の軍需物資に対する需要も相応に減るわけであり、他方で、英米等は、戦争が終わった以上、日本に対する禁輸政策を維持する根拠がなくなり、早晩禁輸の撤廃に追い込まれたことでしょう。
 従って、日本には、南方に進出する必要性がなくなるのであって、南方に「目を向け」ることなどありえないからです。
 もとより、ミターは、日本が蒋介石政権と干戈を交えるに至ったのは、偏に対ソ抑止のための後背地の安定化のためである、という基本の基本が分かっていないから、こんな頓珍漢なことを言い出すのです。(太田)

(続く)