太田述正コラム#6350(2013.7.25)
<日支戦争をどう見るか(その6)>(2013.11.9公開)

 (8)米国

 「米国は米国人達を毛沢東を間近で観察するために送りこんだ。
 彼らは、ジャーナリストのエドガー・スノー(Edgar Snow)<(注14)(コラム#745、4591)>がいつも言っていたところの、毛沢東の「リンカーン的(Lincolnesque)」魅力とカリスマにイカれてしまう。

 (注14)1905〜72年。ミズーリ大学でジャーナリズムを勉強中、株であてて世界旅行に出かけ、結果的に支那にとどまり、ジャーナリストとして活躍することとなった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Edgar_Snow
 1937年に彼は後に有名となる作品『中国の赤い星 (Red Star Over China) 』を出版した。これは毛沢東を中心とした中国共産党を好意的に取り上げ、将来の共産党の隆盛を予見するものであった。 
 ・・・1941年にスノーは<米国>へ帰国し<たが>、・・・『赤い星』の愛読者だったフランクリン・ルーズベルトは、1942年に・・・スノーを非公式な情報提供者に任命<した>。・・・
 スノーは中国共産党に出合う前から、満州事変などに直面して日本に反感を持っており、1934年の処女作『極東戦線 (Far Eastern Front) 』では、・・・田中上奏文に触れて・・・満州事変頃の日本の侵略性について述べている。・・・ 
 <1941年には>『アジアの戦争』を書き上げ、日<支>戦争における日本を批判的に取り上げ<ている>。同書では・・・「日本軍は南京だけで少なくとも4万2千人を虐殺した」、「10歳から70歳までのものはすべて強姦された」と記し・・・日本人は<支那>人や朝鮮人より知的・肉体的に劣る存在、とも罵倒している。
 この『アジアの戦争』は、のち『東京裁判』における検察側冒頭陳述や「南京大虐殺」、更にGHQの占領方針と占領政策の基盤となった。米国の日本政策の根拠ともなった・・・」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%89%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%8E%E3%83%BC
 (この日本語ウィキぺディアは、スノーの学歴の所で既に間違ってコロンビア大学で学んだものとしており、信頼性は低いが、英語ウィキペディアには日本関係の記述がないので、止むなく日本語ウィキペディアから引用した。)

 毛沢東が、自分の領地(domain)で何を創り出していたかを自覚しないまま・・。
 ミターによって明確に描き出されたところの、毛沢東にとっての首都であった延安における暴力と道徳的腐敗は、これらの米国人達からは隠されていた。
 これらの米国人達は、蒋介石のはるかに大きな領域(territory)の暗黒面だけを見ていたのだ。・・・

→スノーは、件の二人の英国人文士とは違ってジャーナリストですから、ファクトを押さえることができてなんぼのはずなのに、彼の目は節穴である、としか言いようがありません。
 蒋介石政権の腐敗と対日戦争のやる気のなさを当初全く見抜けなかったローズベルト政権と、民間、政府の違いこそあれ、当時の米国人の目の節穴ぶりは、ちょっと信じがたいほどひどいレベルであったと言うべきでしょう。(太田)

 秘密主義的で敬虔なキリスト教徒たる蒋介石によって率いられた国民党は、腐敗し雑然としていた(disorganised)が、日本軍と戦った。
 疑いもなく、彼らはしばしば失敗し、捲土重来を期して退却し、日本軍の進撃を妨害するために黄河を決壊させ、その結果、何千万人も溺れさせたけれど、それでも、彼らは戦った。
 しかし、国民党が、最終的に「勝利をもぎ取ることに成功した」というのは誇張だ。
 それは、概ね米国に負う。
 もっとも、ミターの弁護をすれば、蒋介石は耐え抜いた。
 これはその自体が大いなる達成(achievement)だった。・・・

→ここは、ミターに対するツッコミにはなっていません。
 なぜなら、国民党は、「最終的に」中国共産党に壊滅させられたからです。
 蒋介石の最大の目的は、支那全土を蒋介石政権が治めることでしたから、日本に対して敗北しなかったことなど、彼にとっては、何の「達成」にもなっていないのです。
 同じことが米国についても言えます。
 米国の、日支戦争において蒋介石政権を支援した目的や、形の上からは日本によって口火を切られた太平洋戦争に参戦した(=日本を敗北させようとした)最大の目的は、蒋介石政権に支那全土を掌握させることだったわけですからね。(太田)

 他の心配に加えて、蒋介石は、ジョゼフ・スティルウェル将軍の存在に苦しまなければならなかった。
 彼は、蒋介石の隷下にあると装ったところの、米軍中の若干を指揮するために支那に送りこまれていた。
 スティルウェルは、気難しい(curmudgeonly)自己宣伝家(self-promoter)だったが、学者達によって、長く、偉大なる将軍であるともて囃されてきた。
 また、50年昔には、学生達は、毛沢東の本部である延安にいた米国人達・・『中国の赤い星』の著者のエドガー・スノウ、ジョン・サーヴィス(John Service)<(注15)>のような役人達、そして特定の騙されやすい学者達、等・・は正しく把握していた、と教えられたものだ。

 (注15)John Service。1909〜99年。米外交官。YMCAのための宣教師だった父のもとに四川省の成都に生まれる。米オベリン単科大学卒。国務省に入り、支那勤務。
 国民党をファシストで反民主主義的で封建的であるとする、次第に批判の激しさを募らせた累次の報告書を書いた。1944年7月に延安に派遣されると、中国共産党の指導者達を進歩的で民主主義的であって、国共内戦は不可避で、共産党が勝利するであろうと書き、米国は蒋介石政権単独支持を止めて国共合作の継続を支援すべきであり、そうしなければ、中国共産党はソ連の手先の地位を脱することはないであろうとした。
 時の米駐支大使(在重慶)のパトリック・ハーレイ(Patrick Hurley)は、当初、米政府方針にもなったサーヴィス案に乗ったが、しばらく経って、この方針に事実上の抵抗を始め、サーヴィスらを本国に召還させた。
 サーヴィスは、1950年にはマッカーシー上院議員による攻撃の対象となり、アチソン国務長官はサーヴィスを解雇したが、1957年に米最高裁は、解雇無効の判決を下した。
http://en.wikipedia.org/wiki/John_S._Service

 毛沢東は英雄で蒋介石は腐敗しきっているか、せいぜい、スティルウェルによれば、「小物(a peanut)」であると・・。
 しかし、例えば、ジェイ・テイラー(Jay Taylor)の『大元帥(The Generalissimo)』<(注16)>やハンス・J・ヴァン・デ=ヴェン(Hans J. van de Venn)の『支那における戦争とナショナリズム--1925〜45年(War and Nationalism in China, 1925–1945)』<(注17)>のような、より最近の諸研究からは、異なった絵が出現する。

 (注16)2011年出版。
http://www.hup.harvard.edu/catalog.php?isbn=9780674060494
 テイラーは、元米外交官で、文化大革命時代に香港で勤務していた。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/04/23/AR2009042303315_2.html
 (注17)2003年出版。
 デ=ヴェンは、ケンブリッジ大近代支那史教授。ライデン大学卒、ハーヴァード大博士。
http://en.wikipedia.org/wiki/Hans_van_de_Ven

 それは、内紛の絶えることなき(embattled)、ガタガタした(rattled)、そしてしばしば無能な、しかし、愛国的(patriotic)で決然していた(determined)国民党と、巧みにその諸秘密を闇の中に隠していたところの、暴虐的な共産党という絵だ。
 <さて、>ミターが素描するように、1950年代に入ると、「誰のせいで支那を喪失したか」を巡って嵐が起こった。
 そして、毛沢東を称賛して米国政府に対して彼と真剣に取引するよう促した者達は、主としてマッカーシー上院議員によって、「喪失」に向けて画策した「赤のシンパ(Comsymps)」として悪漢視された。
 これら全ては、<この本の中で、>ミターによってうまくさばかれている。
 しかし、ミターは、支那に生まれた外交官であるジョン・サーヴィスという重要(significant)人物は、共産党側を尊敬しただけではないことを知らないように見える。
 支那内戦の間、彼は蒋介石軍関連の諸軍事秘密を一人のソ連の工作員に与えていたのだ。
 彼は、何年も前に、彼が亡くなるよりずっと前に、延安にいた時に、毛沢東による毛批判者達への暴力については何も知らなかったと私に明かした。
 「私は共産党が勝利を収めて欲しいと思っていた」と彼は語った。」(I)(注18)

 (注18)このIの書評子はジョナサン・マースキー(Jonathan Mirsky。1932年〜)であり、ニューヨークに生まれ、コロンビア大、ケンブリッジ大、ペンシルヴァニア大で学び、ケンブリッジ大、ペンシルヴァニア代、ダートマス単科大学で、支那・ヴェトナム史、比較文学、漢語を教えてきており、1974年からイギリスに移住し、1993〜98年には香港でロンドンタイムスの東アジア担当編集者を務めた、という人物だ。
http://www.chinafile.com/contributor/Jonathan%20Mirsky

→英米では、21世紀に入ってから、ようやく、1930年頃に、広くは日本の世論や政治家、より端的には帝国陸軍が到達していたところの、蒋介石政権及び中国共産党についての認識に追いついたというわけですが、このことに気付いていないらしい、お目出度い限りのミターや書評子達を称する言葉が私は思いつきません。
 このことに気付いた瞬間、彼らは、自分達・・当時の自分達のトンデモナイご先祖様達はもちろんです・・の戦間期日本、就中その対東アジア政策に対する認識が根底から誤っていたことを認めざるを得なくなることを潜在的に恐れているからこそ、気付かないようにしているのだろう、と言いたくなります。(太田)

(続く)