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太田述正コラム#6336(2013.7.18)
<日進月歩の人間科学(続x33)(その3)>(2013.11.2公開)

 (2)日本人における郷愁観念

 下掲の、古神道についての日本語ウィキペディアに目を通してください。

 「古神道は「原始宗教の一つである」ともされ、世界各地で人が社会を持った太古の昔から自然発生的に生まれたものと、その様相はおしなべて同様である。その要素は、自然崇拝・精霊崇拝(アニミズム)、またはその延長線上にある先祖崇拝としての命・御魂・霊・神などの不可知な物質ではない生命の本質としてのマナの概念や、常世(とこよ・神や悪いものが住む)と現世(うつしよ・人の国や現実世界)からなる世界観と、禁足地や神域の存在と、それぞれを隔てる端境とその往来を妨げる結界や、祈祷・占い(シャーマニズム)による祈願祈念とその結果による政(まつりごと)の指針、国の創世と人の創世の神話の発生があげられる。
 また、そのまま封建社会や中世を経て、近代化されても、現在まで排斥されず引き継がれる原始信仰は、ほとんどないので、日本独特ともなっている・・・
 「お盆」といわれるものはそのしきたりや形式は古神道の先祖崇拝であるが、寺で行われ僧が執り行うことと、その原因である神仏習合の影響により曖昧になっている。仏教は本来、輪廻転生し徳を積めば最後は開眼し仏となる教えであり、「特定される個人としての死」はないので先祖崇拝はなく、「盂蘭盆」が正式な仏教行事で釈迦を奉るものである。現在では、特定の仏教宗派に属さなければ、盂蘭盆に触れる機会は少ないことも、「お盆は仏教行事という認識」につながっている。吉野裕子によれば、盆即ち申の月と、寅の月つまり正月を祝う風習は、中国からの影響を指摘できるとしてもなお日本独特のものであるという。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%A5%9E%E9%81%93

 私流にまとめるとこういうことになります。

 古神道は、人間主義的な原始信仰がそのまま残ったものであったところ、この古神道が、人間主義者となること(悟ること)を標榜する、ユニークな世界宗教である仏教との神仏習合により、相互に補強しあって強固なものとなり、奇跡的にも現在に至るまで、日本で保持されてきた。
 お盆と正月は、一族郎党命主義に由来する先祖崇拝のみの行事である南支那の中元節(注2)

 (注2)「中華文化では道教を中心として旧暦の七月を「鬼月」とする慣習がある。旧暦の七月朔日に地獄の蓋が開き、七月十五日の中元節には地獄の蓋が閉じるという考え方は道教の影響を受けていると考えられる。台湾や香港、華南を中心に現在でも中元節は先祖崇拝の行事として盛大に祝われている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E7%9B%86

とは似て非なるものであり、世界に他に例を見ない、年二回行われるところの、郷愁に基づいた、時(現在と過去)、空間(原住地と出生地ないし祖先の地)の垣根(結界)を超えた、人(死者を含む)と人、自然(生物を含む)と人との交流行事である。
 すなわち、お盆と正月は、日本人の人間主義の修行と実践の場なのである。

3 終わりに代えて

 イギリス人は日本人に次いで人間主義的である、と私は指摘しているわけですが、「懐旧」に相当する単語を今なお持たず、また、他の欧米諸国同様、17世紀に至るまで「郷愁」に相当する単語を持たなかったイギリス人が、本当に人間主義的なのだろうか、という疑問を抱かれた方もおられるのではないでしょうか。
 ここでは、直接お答えせず、次の点だけを指摘しておきましょう。
 イギリス人が基本的にバスク人である、ということは覚えておられると思います。
 バスク人は欧州大陸の先住民であったわけですが、イベリア半島に取り残された彼らの中に、大ブリテン諸島への移住を敢行したグループもあったけれど、イベリア半島も大ブリテン諸島も、ユーラシア大陸の西端に位置し、新たな移民集団が東方から次々にやってきても、彼らは、そこから西方に逃げ出すことができませんでした。
 これは、東と西さえ入れ換えれば、日本人と同じですよね。
 吹き溜まりの袋小路だって、逃げ出せずにそこにずっと住んでりゃ都になることでしょう。
 しかも、前にも申し上げたことがあるように、大ブリテン諸島、とりわけイギリス地方も、日本列島も、まことにもって食糧に恵まれた風光明媚な所でしたからねえ。
 こういう所で暮らしておれば、そこから離れれば郷愁・・郷里の自然や人々に対する愛着・・を催すことは必定でしょう。
 こうして、日本人は基本的に人間主義者になり、イギリス人は基本的に人間主義的な人々になった、と考えたらどうでしょうか。
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<脚注:戦死者の遺骨の扱い>

 日本人に次いで人間主義的であるはずなのに、イギリス人は、戦死者を戦死した地に葬る。
 本日も、イタリアで大戦末期の1945年4月に墜落した英軍機と乗員の遺骨数体が発見され、遺骨が現地英連邦墓地に葬られることになったという記事が出ていた。
http://www.guardian.co.uk/world/2013/jul/17/british-airmen-shot-down-war-italy-raikes
 「イギリスは戦死者の遺体は本国に送還せず、階級差なく現地で埋葬するのが原則」
http://wikimapia.org/25678776/ja/%E8%8B%B1%E9%80%A3%E9%82%A6%E6%88%A6%E6%AD%BB%E8%80%85%E5%A2%93%E5%9C%B0
であり、これがいつからの「原則」なのか、戦死者以外の場合はどうなのか、知りたいところだ。
 面白いのは、できそこないのアングロサクソンの米国では、遺骨は米国に持ち帰って葬ることだ。

 「”彼らが家族のもとに帰ってくるまで自分たちはこの使命を貫く“という、遺骨収集事業を国として担うJPAC・・・(Joint POW/MIA Accounting Command:米国戦争捕虜及び戦争行方不明者遺骨収集司令部)・・・の使命感」
http://www.nichimyus.jp/2013/01/07/%E7%B1%B3%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%88%A6%E6%B2%A1%E8%80%85%E9%81%BA%E9%AA%A8%E5%8F%8E%E9%9B%86%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/

 ということは、恐らく欧州諸国でも米国と同じではなかろうか。
 他方、お隣の中共では、そもそも、米国のアーリントンや日本の千鳥ヶ淵のような無名戦士の墓があるという話を聞いたことがない。
 下掲のような書き込みは、決して誇張ではないのではなかろうか。

 「中国の抗日軍人の遺骨は、その辺に放り投げられている」
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1220&f=politics_1220_003.shtml
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最後ですが、ノスタルジアに関する日本語ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A2
には、英語ウィキペディアとは違って、「ノスタルジア」を基調とした音楽等の作品、が、私に言わせればかなり恣意的にですが、挙げられています。
 この話は、一人題名のない音楽会でそのうち取りあげたいと思っています。

 とまれ、皆さん、小さい頃、故郷で聴いていた音楽に時々耳を傾けましょう。
 人間主義が抑圧されている人々でさえ、懐旧の念を催し、人間主義的になるのですから、基本的に人間主義者である我々にとっての効果はなおさらでしょう。
 音楽以外では、故郷がある人々は、お盆や正月じゃなくてもよろしいので、時々帰郷しましょう。
 故郷らしい故郷のない、例えば首都圏在住者は、時々墓参りをしましょう。
 我々が基本的に人間主義者であることを再確認するために・・。

(完)

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