太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/
太田述正コラム#6520(2013.10.19)
<皆さんとディスカッション(続x2056)/オフ会「講演」:「日支戦争をどう見るか」シリーズを終えて(原稿)>
<太田>(ツイッターより)
「日本の要素満載のウルヴァリン新作に中国ファンは嫉妬…」
http://j.peopledaily.com.cn/206603/8429571.html
かくも日本を愛し、だからこそ日本に嫉妬する中共の人々ってなんてキャーワイーんだろね。
<太田>
<オフ会での>「講演」準備をしているのですが、狩猟採集社会の人間主義性についてのコラムがお分かりなら教えてください。
全部拾っていただく必要はありません。
初出のコラムをお願いできれば、と思います
<べじたん>
・・・このへんですか。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%22%E7%8B%A9%E7%8C%9F%E6%8E%A1%E9%9B%86%22+%22%E4%BA%BA%E9%96%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9%22+site:blog.ohtan.net/archives
2009/07/15
ヴィクトリア時代の小説の効用
http://blog.ohtan.net/archives/51387296.html
2009/09/08
人間主義の起源
http://blog.ohtan.net/archives/51403818.html
2011/09/25
日進月歩の人間科学(続X22)
http://blog.ohtan.net/archives/52101564.html
<太田>
あーなるほど。
ネット上に公開済みの過去コラムについては、通常のグーグル検索をかける方法があったんですね。
検索の際、
"狩猟採集" "人間主義" site:blog.ohtan.net/archives
といった具合に、最後に
site:blog.ohtan.net/archives
をつければよい、ということを知りませんでした。
また、検索の上、どれも捨てがたい3篇を選んでいただいたことにも感謝します。
それでは、その他の記事の紹介です。
ちゃうよ、前原サン、だから、日本の憲法には規範性がないんだよ。↓
「前原誠司元外相・・・今の自衛隊そのものが解釈改憲でつくられたものなんですよね。そこの歴史をひもとき、立憲主義に立つと、解釈改憲はおかしいという議論は成り立たない。・・・」
http://www.asahi.com/politics/update/1018/TKY201310180419.html
答えは簡単。
欧米は人種主義的にして女性差別的な社会だからだ。↓
「・・・ 日本語への翻訳の際、なぜ、「女性」「気さくさ」「黒人」といった性別、性質、人種を強調するような表現が採られてきたのか。・・・」
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013101300010.html?ref=comtop_list
これも、まあ、日本ヨイショ記事だと言えるな。↓
「追悼山崎豊子 日本社会に真っ向から切りこんだ作品群・・・」
http://j.peopledaily.com.cn/94473/8427995.html
オランダのかつての黄金時代が描かれている。↓
<16世紀オランダのスペインからの独立が、欧州最初の共和政革命だったって。(ちゃうぞ。13〜14世紀のスイスのハプスブルグ家支配からの独立
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9
が最初だろ。(太田))↓
・・・In the 16th century the Dutch began to fight off the Spanish king, and created a republic -- 200 years before similar revolutions in France and the US.・・・
Rembrandt, Spinoza, the East India Company and the stock exchange are patron saints of liberalism: the creed that considers individuals and their rights supreme. Then as now, Amsterdam was arguably “the world’s most liberal city”, ・・・
<17世紀のアムステルダムで当時の世界の本の3割を出版してたって。↓>
17th-century Amsterdam published perhaps 30 per cent of all books on earth.・・・
In 2001 the world’s first legal gay weddings were performed in Amsterdam. ・・・
http://www.ft.com/intl/cms/s/2/0cbc0e4c-34dc-11e3-8148-00144feab7de.html#axzz2i7c5Ti3o
ナチ占領下のデンマークでは、ユダヤ人の大部分が救われたんだね。↓
Denmark was the only European country to save almost all of its Jewish residents from the Holocaust.・・・
http://www.spiegel.de/international/zeitgeist/book-examines-how-jews-of-denmark-were-saved-from-the-holocaust-a-928116.html
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一人題名のない音楽会です。
ユリア・フィッシャーの8回目(最終回)です。
--フィンランド・ノルウェー・ベルギー・英--
Sibelius Violin concerto この曲に限らないが、庄司紗矢香の演奏(コラム#6339)と比べるのも一興だろう。
http://www.youtube.com/watch?v=hiwd2TUZ9gM
Handel-Johan Halvorsen(注) Passacaglia +Daniel Muller-Schott(cello)
http://www.youtube.com/watch?v=GGSJXDjuN2Y
(注)1864〜1935年。ノルウェーの指揮者・ヴァイオリニスト。なお、この曲は本来、ヴァイオリンとヴィオラで演奏される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%B3
イザイ(注a) 6 Sonatas for Solo Violin, Op. 27の No.1の第4楽章 5:35〜(注b)
http://www.youtube.com/watch?v=IQ-3sR5dclM
同No. 2(Obsession)の第1楽章
http://www.youtube.com/watch?v=P1OewoX7LLY
上記がリンク切れになってしまったので、フィッシャーならどんなにダイナミックな演奏かを想像しつつ、代わりのNatalia Lomeiko演奏をどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=qNLLxDNOESM
(注a)ウジェーヌ=オーギュスト・イザイ(1858〜1931年)は「ベルギーのヴァイオリニスト、作曲家、指揮者。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%82%A4
(注b)以前、私が記したこと(コラム#5339)が図星で、フィッシャーは、演奏前のインタビューで、ピアニストとしての技量を併せ維持することがどんなに大変かをフランス語で語っている。彼女はフランス語もまた、ネーティヴ並だ。
Vaughan Williams The Lark Ascending(コラム#5335)
http://www.youtube.com/watch?v=5AmiZk3LTs8
(完)
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--オフ会「講演」:「日支戦争をどう見るか」シリーズを終えて(原稿)--
菅官房長官は10月9日の記者会見で、「「我が国は戦後68年間、まさに自由と民主主義の国を築き上げ、世界の平和と繁栄に貢献してきた」と述べた。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20131009-OYT1T00889.htm?from=main3
私の日支戦争/太平洋戦争観は、これにひっかけて言えば、「戦後68年間」を「戦前から一貫して」に置き換える形で、これを覆そうというものだ。
日本は自由民主主義国家として世界の平和と繁栄に貢献するために先の大戦を戦った、と。
過去のコラムや「講演」と重複する部分もあるけれど、「日支戦争をどう見るか」シリーズを書き終えてから少し時間を経た現在、改めて、先の大戦観に係る私の知的遍歴を振り返ってみたい。
もとより、私の知的遍歴は先の大戦観を確立しようとしてなされたわけでは必ずしもないのだが、あたかもそうであったかのように、私の知的遍歴の大部分が先の大戦観確立に結びついていることに気付いたのが、このような話をする気になった理由だ。
今後逐次公開される「日支戦争をどう見るか」シリーズを読む方々や既に読まれたはずの有料読者の皆さんの参考になれば幸いだ。
1970年代半ばに20台半ばでスタンフォード大学に留学した時、たまたま同大の図書館で見つけた、大政翼賛会に関する邦書・・タイトル等を思い出せない・・を参考にしながら、政治学科の(日系の)イケ(Ike)先生との一対一のセミナーで、大政翼賛会に関するペーパーを執筆して提出したのだが、その折、戦前・戦中の日本は、決してファシズムではなかったことを自覚した。
また、同大学のビジネススクールでの伊丹先生(客員)の授業を通じて得られたヒントに基づき、日本の戦後の政治経済体制の構造について自分で勉強を始め、おぼろげにそれが見え始めて来た。
その粗々のイメージをペーパーにして、政治学科のアーモンド(Almond)先生のセミナーにペーパーとして提出した。
帰国後、私は、エージェンシー関係の重層構造をその特徴とする『「日本型経済体制」論』を書くことで、このイメージを具体化することになる。
その10数年後、小林英夫『「日本株式会社」を創った男 宮崎正義の生涯』等の読書等を踏まえ、私は、当時の先進国共通の資本主義の全般的危機に対応するために、日本は、国際軍事情勢の悪化に伴う総力戦体制の構築という名目の下、日支戦争/太平洋戦争中に、江戸時代に淵源を持つところの、独特の柔構造を持つ、この経済体制を構築した、と考えるようになっていた。
また、政治学科の別の先生・・名前を思い出せない・・のセミナーは、精神障害という観点が、社会現象を理解する手掛かりになりうることを教えてくれた。
こういったことは、防衛庁(当時)に入ってはみたものの、同庁の文官官僚の仕事の内容にがっかりし、こんなところにいて意義のあるキャリアを形成できるのか、という悩みを抱いていた私が、与えられた留学の機会に、自分の知的視界を広げられるだけ広げた、という域を超えるものではない。
しかし、結果的には、以上のようなスタンフォード時代の勉強が、その後の私の考えを形成することに決定的な役割を果たすことになる。
例えば、ここまで紹介して来たところの、いわば偶然の産物であった私の二つの「研究」には何の根本的問題意識もなく、従ってまた、この二つの研究相互間には何の脈絡もなかったのだが、やがて、戦前・戦中において、日本がファシズムでなかったことと日本型経済体制が完成したこととを総合するとどういうことになるのか、を考えるようになり、その20年以上後に、戦前・戦中の日本は、法治主義の下、普通選挙と市場が、補完的だが不可欠な役割を果たしているところの日本型「政治」経済体制であって、日本は基本的に自由民主主義の資本主義国家であった、そしてそれが戦後も基本的にそのまま受け継がれて現在に至っている、と思うようになった。
この考えに大きく貢献したのが、ゴードン・バーガー『大政翼賛会 国民動員をめぐる相克』(邦訳)と古川隆久『戦時議会』だ。
さて、話を元に戻すが、私は、帰国してから何年も経ち、30歳を超えた頃になって、、ようやく、せっかく奉職し、また留学する機会も与えてくれた防衛庁に骨を埋めるのも一つの人生であるという心境になり、日本の安全保障のことを、より真剣に考えるようになった。
最初に思い悩んだのは、安全保障政策に関して、戦前・戦中の日本と戦後の日本には断絶があるように見えるが、本当にそうなのか、何が断絶し、何が継続しているのか、ということだった。
冒頭に言及した菅官房長官発言は、安全保障政策のみならず政治体制においても、戦前と戦後が断絶していることを当然視している。
これが、戦後日本の「右」の人々の典型的な歴史観だ。
この歴史観を、「右」のみならず、「左」を含めた広範な日本人が共有している。
卑近な例を挙げれば、芥川賞作家の村上龍が出しているインターネット雑誌のJMMに連載している、在米の冷泉彰彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E6%B3%89%E5%BD%B0%E5%BD%A6
だ。
「「「古い日本」の名誉回復をするのではなく、「現在の日本」の名誉を高める、いや名誉だけでなく実質的に社会を良くしていく<べきだ>」
http://www.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_3183.html
という彼の口吻を見よ。
しかし、このような史観は、少なくとも政治体制に関しては間違っていると確信つつも、安全保障政策については、「本当に<断絶している>のか、何が断絶し、何が継続しているのか」については、五里霧中の状態が続いた。
この頃、私は、自衛隊が米国の対ソ抑止戦略の中に組み込まれていることを仕事を通じて「発見」した。
実は、米国は日本の戦前の対露・対ソ抑止戦略・・より一般的に言えば対専制主義戦略・・を継承しただけであり、そのような意味において、日本の安全保障政策は、それが意識的に追求された戦前から今度はそれが無意識的に追求された戦後にかけて継続していたわけだが、それに気付いたのは、それから20年後に防衛庁を辞めてからなのだから、我ながら時間がかかったものだ。
誤解がないように補足しておくが、私は、戦前の昭和期の日本が対ソ戦略を追求していたことはもちろん知っていたけれど、大恐慌後、米英両国を代表格として世界経済がブロック化して日本が締め出されていた中で、支那を始めとするアジアにおいて原料と輸出先を確保する、というもう一つの戦略との二本立ての戦略を当時の日本は追求していた、という認識だったのだ。
日本には両者を同時に追求するだけの国力はなく、だから対ソ重視の北進論と資源・市場重視の南進論のどちらをとるかという問題が生じた、と。
そして、米英は共産主義のソ連とは本来相容れないはずなので、日本が米英との間で衝突が生じたのはもっぱら後者のせいだ、そして、その結果としてアジアの欧米植民地の解放を掲げて日本は先の大戦に突入した、と思い込んでいたわけだ。
戦争末期の1945年に海軍省が公開したアニメの『桃太郎 海の神兵』も1963年に出た林房雄の『大東亜戦争肯定論』も、私見では、それぞれ事情があって、あえてあの戦争の日本から見た全体像を描いていないわけだが、こういうものだけを鑑賞したり読んだりした人は、上記のような先の大戦観を注入されたり増幅させられたりしたはずだ。
残念ながら、現在でも、先の大戦について、このような歪んだ認識を抱いている日本人が大部分なのではなかろうか。
さて、自衛隊が米国の対ソ抑止戦略に組み込まれていたこととも関連し、第二次冷戦下で、国民と米国向けのウソだらけの国会答弁資料の作成、そして米国向けの対米交渉資料の作成に邁進させられたことから、日本が米国の属国的存在・・当時は「属国」ではなく「保護国」という言葉が念頭にあった・・であるからこそ、こんなウソを付くような形の姑息な外交を米国と行わなければならないのだ、という思いが募って行った。
しかし、この認識もまた、甘すぎたことを思い知らされることになる。
英国留学から戻り、40歳を過ぎて、初めて課長として当時の防衛施設庁に出向した私は、仕事相手の在日米軍の文官達や軍人達の態度から、日本が紛れもない米国の属国的存在どころか、文字通りの属国であること、従って米国との間には、そもそも、本来の意味での外交関係など存在しない、という認識を抱いた。
私は、その後、もう一度防衛施設庁で、今度は、(沖縄を除く)米軍基地に関する在日米軍との調整担当になるのだが、この仕事をしている時に、上記認識は確信に変わった。
そして、集団的自衛権の行使を認めない憲法第9条の政府解釈、及び、これを踏まえた日米安保条約が法的に日本を米国の属国にしていることに思い至った。
そうした中、前々から、日本の中央政治家の大部分が、人間としても、また識見においても、著しく遜色があること、しかも、その少なからざる者が腐敗していることが気になっていたが、同じ頃に、防衛庁の生え抜きのキャリアや外務省のキャリアの多くも退廃していて、悲しいことに、(外務省でも恐らく同じなのだろうが、)防衛庁のキャリアの中には腐敗している者すら少なからずいることを「発見」する。
私は、中央政治家や中央官庁の役人のこんな体たらくと、日本が属国であることとは無関係ではないのではないか、と思うようになった。
属国として安全保障を擲っているものだから、中央政治も中央行政も地方行政並の仕事しかなく、だからこそ、中央政治家には人材が集まらないし、キャリアには人材は集まっても多くが退廃するのだ、と。
そこで、自身、その相当以前より、自由な言動が許されないことから天下りはしたくないと思っていたところ、天下りは役人の腐敗の象徴であることが見えてきたので、私は、自分への(天下りの)肩たたきが予想される時期より前の時点で役所を辞め、日本の属国状態の解消、すなわち米国からの「独立」を目指そうと思い立ち、そのために自分の第二の人生を捧げようという決意を固めた。
しかし、そういう活動をするのであれば、なおさら、日本の戦前史観や先の大戦観、ひいては日本観、そしてまた(日本の宗主国たる)米国観を確立しなければならない、と自分に言い聞かせつつも、どれも問題が巨大過ぎて容易に手がかりが掴めない状態が続くことになる。
何度も行きつ戻りつして恐縮だが、こういうわけで、英国に留学したばかりの頃、初めて中共から英国防省の大学校に派遣されてきた、陸軍大佐・・後海軍に転じる・・たる同僚に対して、少し親しくなった折、(王陽明と漢字で紙に書き、)吉田松陰らが陽明学者であったことを例にとって、日本が支那に強い影響を受けていたことを述べ、その支那に多大な迷惑をかけたとして日支戦争について謝罪したものだ。
その時は、君から王陽明の話が出るとはね、と驚いて見せた彼に、あの戦争について何も君が謝罪しなくてもよかろう、と笑い飛ばされてしまった。
この英国留学は、思ってもみなかったことなのだが、アングロサクソン文明について、また、それと対蹠的な欧州文明について、私の目を大きく啓くこととなった。
これが、その後、10年ほどが経ってから、この両文明のキメラとしての米国文明・・後述・・、という発想を生み、私の米国観の確立に大いに貢献することになるのだ。
英国から帰国後、内局の課長を二つこなしてから、40歳台半ばで防衛大学校の総務部長を命ぜられ、大学の先生方とお付き合いをする一方で激務から解放されたおかげで、久しぶりに勉強をする時間がとれ、防衛学の先生(自衛官)が書かれたものから、日英同盟は米国が終了させたことを知ったり・・恥ずかしい!・・、新宿駅の東口駅ビル内の紀伊国屋で米国の外交官のジョン・マクマレー執筆の1935年の覚書を収録する本『How the Peace was Lost(平和はいかに失われたか)』に遭遇し、日支戦争については支那や米英の責任の方が大きいことを知ったりした。
このマクマレーの覚書には目から鱗の思いがした私だが、今から2年半ほど前に「ワシントン体制の崩壊」シリーズを書いている時に、この覚書を書く少し前までのマクマレーのダメ外交官ぶりを知り、かつ、この覚書の中で日本の対ソ抑止戦略について、恐らく認知しつつも触れていない彼の不誠実さにも気付き、自分自身のお目出度さに赤面させられたものだ。
以上述べてきた諸点がつながって線になるのは、全て役所を飛び出した2001年以降のことだ。
これには、私がその後書き始めたコラムの読者の皆さんの貢献も大きいのだが、ここではいちいち記さない。
一番最初に固まったのは日本観だった。
もう一人の、今度は米国人ならぬ英国人のジョン・マクマレーを知ったことで、私の日本型政治経済体制論が、かつて読んだ和辻哲郎の『人間の学としての倫理学』の影響を強く受けていることに気付き、日本文明の基底にある縄文モードの原理を人間主義と名付けたのがコラム#113(2003.4.1)だ。
(日本では、家庭でのしつけ、学校教育、神道行事等を通じて人間主義を自然に体得させるのに対し、仏教は、悟りにより人を本来の人間主義性に目覚めさせるという違いこそあれ、両者は人間主義を旨とする点で共通しており、日本において、神道と仏教が習合したのはごく自然な成り行きであったと言えよう。)
それと同じ頃、私は、日本史における、縄文モード・弥生モード交代史観をコラム#116(2003.4.24)で打ち出している。
それは、日本文明の基層は縄文モードなのだが、表層は縄文モードと弥生モードを繰り返す、という総論たる日本史観だ。
(縄文モードとは、縄文時代の人間主義モードということだ。
私は、縄文時代の日本は、本格的農業を伴わない、しかし、定住的な狩猟採集社会という、世界史的に見てユニークな、非定住的な狩猟採集時代の様相が定住社会にそのまま持ち越された社会であった、と考えている。
後に、かつての狩猟採集社会が、まさに人間主義社会であったことを知り(コラム#3038(2009.1.16)、コラム#3140(2009.3.8)、コラム#4850(2011.7.5))、また、ごく最近、この社会が、これまでの通説に反して平和な社会であった可能性が大であることを知り(コラム#6480(2013.9.29))、大いに我が意を得た思いがしている。)
私は、この総論たる史観でもって、戦前と戦後の日本の安全保障政策の表見的180度転換が説明できたと思った。
その後、各論たる日本の戦前史観や先の大戦観に取り組むこととなり、コラム#1613(2007.1.10)で、日本は幕末から、英国を模範とし、ロシアを脅威とするところの国家戦略を推進するという国民的コンセンサス・・これまた私が命名した横井小楠コンセンサス・・が成立していたことに気付いた。
このロシアがソ連に代わるとともに、ロシア抑止が赤露抑止に変わった、と私は後に指摘することになる。
先の大戦において、日本は原爆投下によってではなく、ソ連の参戦によって降伏した、とのハセガワの指摘(コラム#819(2005.8.10))は、まさに、この私の主張を裏付けるものだった。
また、2002年5月(コラム#35〜)と2003年2月(コラム#101〜)に私が中共を訪問した際、私は、戦前の日本の日支戦争/太平洋戦争への参戦を民主主義の陥穽論・・市場と資源を求める世論に国家指導層が押し流された・・で説明するとともに、なお、先方に対して遺憾の意を表明していたものだが、その後、そうではなく、当時の日本は、対赤露抑止の観点から満州、ひいては支那本体に干渉せざるをえなかったということであって、遺憾の意を表明するとすれば、日本のせいではないものの、結果的に対赤露抑止に失敗したことである、と考えを改めるに至った。
ここで、ちなみに、という感じで一言申し上げておく。
私は、英国留学から帰って以来、日本の論壇を殆んどフォローしなくなったために、日本では、自国が米国の属国であると言う人は少ないながらいても、彼らが、ことごとく受動的属国論、つまりは米国が日本を属国にしたという説、であることを知らなかったので、自分の能動的属国論、つまりは日本が自発的に米国の属国であり続けているという点を積極的には主張していなかった。
だから、そのように主張し始めたのは意外に遅く、コラム#1819(2007.6.18)あたりからだ。
米国観の方は手こずった。
コラムを書き始めてから比較的初期の段階で、私は、「米国<は、>人種差別(奴隷制・黒人差別・・・と黄色人差別就中日本人差別)とこれに関連した、戦前における東アジアへの恣意的介入・・・という二つの原罪を犯し、現在ではキリスト教原理主義にからめとられつつある・・・<。それは、>・・・米国<が>・・・できの悪い(bastard)アングロサクソン<であって、>・・・アングロサクソン文明を主、欧州文明を従とする両文明のキメラだから<だ。>」(コラム#502(2004.10.14))という考えに到達していたわけだが、「キリスト教原理主義にからめとられつつある」という点に、当時の私の考え方の未熟さが露呈している。
私は、その後しばらくして、米国は、英領植民地時代から、(当時は北部を中心に)キリスト教原理主義的であったこと、そして、そのことが米国をできの悪いアングロサクソンにして根源的理由であることを、早稲田大学での講義(コラム#3754(2010.1.7))等において、強く打ち出すことになる。
しかし、この段階では、キリスト教原理主義勢力の強い保守の共和党に対するに世俗的でリベラルな民主党、というイメージを抱いていたところ、ごく最近、このイメージが根本的に覆さるに至った。
それは、双極性障害者の利他性や妄想性を指摘するダリアン・リーダーの『Strictly Bipolar』(コラム#6172(2013.4.27))、リベラルとされる米国人達が実は極めて宗教的であると指摘するジェニファー・シュスラー(JENNIFER SCHUESSLER)のコラム(コラム#6361(2013.7.31)(未公開))、の二つに接したことによる。
そして、米国人が極めて妄想的であることを指摘するジェシー・ウォーカーの『The United States of Paranoia: A Conspiracy Theory)』(コラム#6435(2013.9.6)(未公開))に接したことがダメ押しした。
私は、リベラルとされる米国人達をリベラル・キリスト教徒と呼ぶことにし、米国には他国に比べて双極性障害者が多いことも踏まえ、次のように考えたのだ。
まず、キリスト教の利他的教義は信者達がそれを本当に実践しようとすれば彼らを双極性障害的(男性原理的)にしてしまい、アブラハム系一神教共通の敵味方峻別、終末論、殉教の思想と相まって、信者達に妄想を抱かしたり信者達を暴力的にしてしまう、と。
しかし、カトリシズムは、教会の存在自体が、そして宗教改革後に出現したキリスト教原理主義は聖書の記述が、このようなキリスト教の論理の貫徹にブレーキをかける働きをしていた。
これらのブレーキを一切を取り払った結果、キリスト教の論理を貫徹する傾向があるのが、米国におけるリベラル・キリスト教徒であるところ、米民主党は、このリベラル・キリスト教徒の巣窟なので、キリスト教原理主義者の勢力が強い米共和党よりも、一層双極性障害的であって妄想を抱きがちでその言動は極端から極端へとぶれがちであり、また、一層暴力的たらざるをえない、と
以上を踏まえ、民主党のローズベルト政権が、日支戦争/太平洋戦争をキリスト教徒蒋介石率いる中国国民党、プロキリスト教徒崩れのスターリン率いるソ連、スターリンの子分である毛沢東率いる中国共産党の側に立って、人間主義の日本と戦ったという認識に基づいて、私は、以下のような結論を提示した。
「日支戦争/太平洋戦争は、全球的覇権国化という妄想的な目的を抱いた米国が、ローズベルトを首魁として米国の指導者間で共同謀議を行いつつ、発動し、戦争犯罪を繰り返しながら遂行することによって、その目的を達成したところの、米国が率いる、キリスト教的(双極性障害的・産業)文明と日本本土が率いる人間主義的(尋常的・プレ/ポスト産業)文明との間の、空前絶後の規模で闘われた、文明の衝突たる戦争であった・・・。」(コラム前掲)
この中に英国が登場しない理由は省略する。
ところで、この戦争に日本が法的に敗北したことは明らかだが、実質的には必ずしもそうではない。
なぜならば、この戦争を、日本は、対ソ(対共産主義)抑止を戦略目的として、北東アジアにおけるソ連国境沿いに兵力を展開するとともに、その地域を緩衝地帯化し、ソ連(共産主義)の支那本体、ひいては日本領への間接侵略路を物理的に阻止しようとし、かかる営みを支えるために必要な市場と資源を確保すべく、その後背地たる支那本体の安定化・親日化、及び、東南アジアにおける欧米植民地の解放による全球的経済ブロックの打破、を期して戦ったわけだが、対ソ(対共産主義)抑止については、北東アジアを含む世界全体において、戦後、米国に、(朝鮮半島への兵力展開を含め、)完全に肩代わりさせることに成功したので、実に、自前の軍事力を保持する必要性そのものがなくなり、また、戦後、(日本による戦争間の東南アジア全域の占領等の衝撃で東南アジアのみならず世界において)欧米植民地が解放される運びとなるとともに、米国のリーダーシップの下でガットIMF体制が確立し、全球的経済ブロックもまた解消された、からだ。
すなわち、日本本体に関しては、日本はその戦争目的を完全に達成したわけだ。
その反面、旧日本帝国領の朝鮮半島と台湾は、悲惨な戦後史を送らされる羽目になったし、何よりも悲劇なのは、支那、及び東南アジアの大部分が共産主義化するか、共産主義との内戦を経験させられることとなり、その関連で天文学的な人命が失われたことだ。
結局、この戦争の最大の勝者はソ連(共産主義)・・ほぼ全東アジアを手中に収めた・・であり、最大の敗者は、この中でついに言及されずに終わった英国・・全植民地を過早に喪失した・・だということになる。
支那については、中国国民党政権が、戦争直後に中国共産党政権に取って代わられたことで、この戦争の敗者となったが、これは国内での政権交代に過ぎず、かつ中国国民党は容共ファシズム政権だったのだから、支那が敗北したとは必ずしも言えないけれど、共産主義化してしまったのだから、客観的には、支那は敗北した、と言えよう。
米国は、その全球的覇権国化という妄想を、ドイツ、イタリアのみならず、日本まで、戦争犯罪を繰り返しつつ敗北させたこと、そして、大恐慌以来の経済的停滞からこの戦争に参戦することでついに抜け出しえたこと、とがあいまって、僥倖にも達成することができたものの、その結果、東アジアで、戦後において、天文学的な人命の喪失を招くという、インディアンの撲滅や黒人の奴隷化・差別よりも桁違いに深刻な罪を犯したところの、この戦争に勝った負けたといった次元を超えた、人類史における空前絶後の戦争犯罪国なのであり、このような自覚を米国の人々に促すのは、日本の担っている重要な使命の一つである、と私は考えている。
過去コラム等を振り返る話ばかりをしてきたので、最後に、これまでしたことのない話をしておく。
(利他主義の宗教である)キリスト教の暴力性と(人間主義の「宗教」である)仏教の平和性に、欧米の知識人の多くも気付いており、だからこそ、それにあえて異を唱える者もいる(コラム#6411(2013.8.25)(未公開))わけだが、この際、改めて仏教の平和性を裏付けるところの、仏教普及に伴う、あの「好戦的な」モンゴル人の温和化、に注意を喚起したいのだ。
呆れたのは、「チベット仏教がモンゴルに入り広まった1400年以降、ヴァイキングの根拠地であるスカンジナビア半島にキリスト教が広まった1300年以降は、それぞれの侵略的行為が止まりました。救済宗教は人をおとなしく(馴化)します。それまで人を殺し富を奪うことを目的とした社会生活を止め、救いと倫理的生活態度の目標に方向付けられた社会生活が救済宗教が入ってくることによって形成されるようになるからです。」(橋爪大三郎「世界がわかる宗教社会学入門」)
http://www.iwakimu.ac.jp/~moriyuki/swr/08/08.htm (から孫引き。)
のような、トンデモ議論をする日本の学者がいることだ。
(橋爪については、下掲参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E7%88%AA%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E )
しかし、このような見方は全くの誤りだ。
一つには、キリスト教が広まった後にヴァイキングがその根拠地につくったスウェーデン、ノルウェー、デンマークの各王国は、非キリスト教地域で展開された十字軍や北方十字軍に積極的に参加した
http://en.wikipedia.org/wiki/Vikings
だけでなく、欧州のキリスト教諸国との戦争も活発に行い続けたからだ。
例えば、18世紀の大北方戦争で北欧・中欧・東欧に覇権を確立しようとして戦い続けたウェーデンのカール12世を思え。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%97%E6%96%B9%E6%88%A6%E4%BA%89
キリスト教が広まってからいわゆるヴァイキング活動がなくなって行ったことは事実だが、それはヴァイキング活動の大きな目的の一つであった奴隷獲得が、キリスト教会がキリスト教徒を奴隷にすることを禁じたことにより、控えざるをえなくなったことが大きい。(ヴァイキングに係る英文ウィキペディア前掲)
これに対し、仏教が広まったモンゴル人は、西方のイスラム圏に対しても、支那のような(仏教が衰退はしていたものの)「仏教」国にたいしても、押しなべて平和的になっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
(但し、テュルク系であったとみる説もあるオイラト(カルムイク)人にも仏教が広まるが、必ずしも平和的になったとは言い難い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%88
この点は、今後なお検討を要する。)
最後の最後だが、キリスト教と言えば、今年のNHK大河ドラマの『八重の桜』について苦言を呈したいし、また、以上の話の中で、私の日本観の重要な柱である性意識の問題を時間の関係で省かざるを得なかったし、更にまた、その関連で、最近の日本人の性意識縄文モード化の進展についても触れたかったのだが、それらについては、質疑応答の中で時間があったら取り上げたいと思う。
<皆さんとディスカッション(続x2056)/オフ会「講演」:「日支戦争をどう見るか」シリーズを終えて(原稿)>
<太田>(ツイッターより)
「日本の要素満載のウルヴァリン新作に中国ファンは嫉妬…」
http://j.peopledaily.com.cn/206603/8429571.html
かくも日本を愛し、だからこそ日本に嫉妬する中共の人々ってなんてキャーワイーんだろね。
<太田>
<オフ会での>「講演」準備をしているのですが、狩猟採集社会の人間主義性についてのコラムがお分かりなら教えてください。
全部拾っていただく必要はありません。
初出のコラムをお願いできれば、と思います
<べじたん>
・・・このへんですか。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%22%E7%8B%A9%E7%8C%9F%E6%8E%A1%E9%9B%86%22+%22%E4%BA%BA%E9%96%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9%22+site:blog.ohtan.net/archives
2009/07/15
ヴィクトリア時代の小説の効用
http://blog.ohtan.net/archives/51387296.html
2009/09/08
人間主義の起源
http://blog.ohtan.net/archives/51403818.html
2011/09/25
日進月歩の人間科学(続X22)
http://blog.ohtan.net/archives/52101564.html
<太田>
あーなるほど。
ネット上に公開済みの過去コラムについては、通常のグーグル検索をかける方法があったんですね。
検索の際、
"狩猟採集" "人間主義" site:blog.ohtan.net/archives
といった具合に、最後に
site:blog.ohtan.net/archives
をつければよい、ということを知りませんでした。
また、検索の上、どれも捨てがたい3篇を選んでいただいたことにも感謝します。
それでは、その他の記事の紹介です。
ちゃうよ、前原サン、だから、日本の憲法には規範性がないんだよ。↓
「前原誠司元外相・・・今の自衛隊そのものが解釈改憲でつくられたものなんですよね。そこの歴史をひもとき、立憲主義に立つと、解釈改憲はおかしいという議論は成り立たない。・・・」
http://www.asahi.com/politics/update/1018/TKY201310180419.html
答えは簡単。
欧米は人種主義的にして女性差別的な社会だからだ。↓
「・・・ 日本語への翻訳の際、なぜ、「女性」「気さくさ」「黒人」といった性別、性質、人種を強調するような表現が採られてきたのか。・・・」
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013101300010.html?ref=comtop_list
これも、まあ、日本ヨイショ記事だと言えるな。↓
「追悼山崎豊子 日本社会に真っ向から切りこんだ作品群・・・」
http://j.peopledaily.com.cn/94473/8427995.html
オランダのかつての黄金時代が描かれている。↓
<16世紀オランダのスペインからの独立が、欧州最初の共和政革命だったって。(ちゃうぞ。13〜14世紀のスイスのハプスブルグ家支配からの独立
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%B9
が最初だろ。(太田))↓
・・・In the 16th century the Dutch began to fight off the Spanish king, and created a republic -- 200 years before similar revolutions in France and the US.・・・
Rembrandt, Spinoza, the East India Company and the stock exchange are patron saints of liberalism: the creed that considers individuals and their rights supreme. Then as now, Amsterdam was arguably “the world’s most liberal city”, ・・・
<17世紀のアムステルダムで当時の世界の本の3割を出版してたって。↓>
17th-century Amsterdam published perhaps 30 per cent of all books on earth.・・・
In 2001 the world’s first legal gay weddings were performed in Amsterdam. ・・・
http://www.ft.com/intl/cms/s/2/0cbc0e4c-34dc-11e3-8148-00144feab7de.html#axzz2i7c5Ti3o
ナチ占領下のデンマークでは、ユダヤ人の大部分が救われたんだね。↓
Denmark was the only European country to save almost all of its Jewish residents from the Holocaust.・・・
http://www.spiegel.de/international/zeitgeist/book-examines-how-jews-of-denmark-were-saved-from-the-holocaust-a-928116.html
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一人題名のない音楽会です。
ユリア・フィッシャーの8回目(最終回)です。
--フィンランド・ノルウェー・ベルギー・英--
Sibelius Violin concerto この曲に限らないが、庄司紗矢香の演奏(コラム#6339)と比べるのも一興だろう。
http://www.youtube.com/watch?v=hiwd2TUZ9gM
Handel-Johan Halvorsen(注) Passacaglia +Daniel Muller-Schott(cello)
http://www.youtube.com/watch?v=GGSJXDjuN2Y
(注)1864〜1935年。ノルウェーの指揮者・ヴァイオリニスト。なお、この曲は本来、ヴァイオリンとヴィオラで演奏される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%83%B3
イザイ(注a) 6 Sonatas for Solo Violin, Op. 27の No.1の第4楽章 5:35〜(注b)
http://www.youtube.com/watch?v=IQ-3sR5dclM
同No. 2(Obsession)の第1楽章
http://www.youtube.com/watch?v=P1OewoX7LLY
上記がリンク切れになってしまったので、フィッシャーならどんなにダイナミックな演奏かを想像しつつ、代わりのNatalia Lomeiko演奏をどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=qNLLxDNOESM
(注a)ウジェーヌ=オーギュスト・イザイ(1858〜1931年)は「ベルギーのヴァイオリニスト、作曲家、指揮者。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%82%A4
(注b)以前、私が記したこと(コラム#5339)が図星で、フィッシャーは、演奏前のインタビューで、ピアニストとしての技量を併せ維持することがどんなに大変かをフランス語で語っている。彼女はフランス語もまた、ネーティヴ並だ。
Vaughan Williams The Lark Ascending(コラム#5335)
http://www.youtube.com/watch?v=5AmiZk3LTs8
(完)
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--オフ会「講演」:「日支戦争をどう見るか」シリーズを終えて(原稿)--
菅官房長官は10月9日の記者会見で、「「我が国は戦後68年間、まさに自由と民主主義の国を築き上げ、世界の平和と繁栄に貢献してきた」と述べた。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20131009-OYT1T00889.htm?from=main3
私の日支戦争/太平洋戦争観は、これにひっかけて言えば、「戦後68年間」を「戦前から一貫して」に置き換える形で、これを覆そうというものだ。
日本は自由民主主義国家として世界の平和と繁栄に貢献するために先の大戦を戦った、と。
過去のコラムや「講演」と重複する部分もあるけれど、「日支戦争をどう見るか」シリーズを書き終えてから少し時間を経た現在、改めて、先の大戦観に係る私の知的遍歴を振り返ってみたい。
もとより、私の知的遍歴は先の大戦観を確立しようとしてなされたわけでは必ずしもないのだが、あたかもそうであったかのように、私の知的遍歴の大部分が先の大戦観確立に結びついていることに気付いたのが、このような話をする気になった理由だ。
今後逐次公開される「日支戦争をどう見るか」シリーズを読む方々や既に読まれたはずの有料読者の皆さんの参考になれば幸いだ。
1970年代半ばに20台半ばでスタンフォード大学に留学した時、たまたま同大の図書館で見つけた、大政翼賛会に関する邦書・・タイトル等を思い出せない・・を参考にしながら、政治学科の(日系の)イケ(Ike)先生との一対一のセミナーで、大政翼賛会に関するペーパーを執筆して提出したのだが、その折、戦前・戦中の日本は、決してファシズムではなかったことを自覚した。
また、同大学のビジネススクールでの伊丹先生(客員)の授業を通じて得られたヒントに基づき、日本の戦後の政治経済体制の構造について自分で勉強を始め、おぼろげにそれが見え始めて来た。
その粗々のイメージをペーパーにして、政治学科のアーモンド(Almond)先生のセミナーにペーパーとして提出した。
帰国後、私は、エージェンシー関係の重層構造をその特徴とする『「日本型経済体制」論』を書くことで、このイメージを具体化することになる。
その10数年後、小林英夫『「日本株式会社」を創った男 宮崎正義の生涯』等の読書等を踏まえ、私は、当時の先進国共通の資本主義の全般的危機に対応するために、日本は、国際軍事情勢の悪化に伴う総力戦体制の構築という名目の下、日支戦争/太平洋戦争中に、江戸時代に淵源を持つところの、独特の柔構造を持つ、この経済体制を構築した、と考えるようになっていた。
また、政治学科の別の先生・・名前を思い出せない・・のセミナーは、精神障害という観点が、社会現象を理解する手掛かりになりうることを教えてくれた。
こういったことは、防衛庁(当時)に入ってはみたものの、同庁の文官官僚の仕事の内容にがっかりし、こんなところにいて意義のあるキャリアを形成できるのか、という悩みを抱いていた私が、与えられた留学の機会に、自分の知的視界を広げられるだけ広げた、という域を超えるものではない。
しかし、結果的には、以上のようなスタンフォード時代の勉強が、その後の私の考えを形成することに決定的な役割を果たすことになる。
例えば、ここまで紹介して来たところの、いわば偶然の産物であった私の二つの「研究」には何の根本的問題意識もなく、従ってまた、この二つの研究相互間には何の脈絡もなかったのだが、やがて、戦前・戦中において、日本がファシズムでなかったことと日本型経済体制が完成したこととを総合するとどういうことになるのか、を考えるようになり、その20年以上後に、戦前・戦中の日本は、法治主義の下、普通選挙と市場が、補完的だが不可欠な役割を果たしているところの日本型「政治」経済体制であって、日本は基本的に自由民主主義の資本主義国家であった、そしてそれが戦後も基本的にそのまま受け継がれて現在に至っている、と思うようになった。
この考えに大きく貢献したのが、ゴードン・バーガー『大政翼賛会 国民動員をめぐる相克』(邦訳)と古川隆久『戦時議会』だ。
さて、話を元に戻すが、私は、帰国してから何年も経ち、30歳を超えた頃になって、、ようやく、せっかく奉職し、また留学する機会も与えてくれた防衛庁に骨を埋めるのも一つの人生であるという心境になり、日本の安全保障のことを、より真剣に考えるようになった。
最初に思い悩んだのは、安全保障政策に関して、戦前・戦中の日本と戦後の日本には断絶があるように見えるが、本当にそうなのか、何が断絶し、何が継続しているのか、ということだった。
冒頭に言及した菅官房長官発言は、安全保障政策のみならず政治体制においても、戦前と戦後が断絶していることを当然視している。
これが、戦後日本の「右」の人々の典型的な歴史観だ。
この歴史観を、「右」のみならず、「左」を含めた広範な日本人が共有している。
卑近な例を挙げれば、芥川賞作家の村上龍が出しているインターネット雑誌のJMMに連載している、在米の冷泉彰彦
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E6%B3%89%E5%BD%B0%E5%BD%A6
だ。
「「「古い日本」の名誉回復をするのではなく、「現在の日本」の名誉を高める、いや名誉だけでなく実質的に社会を良くしていく<べきだ>」
http://www.jmm.co.jp/dynamic/report/report3_3183.html
という彼の口吻を見よ。
しかし、このような史観は、少なくとも政治体制に関しては間違っていると確信つつも、安全保障政策については、「本当に<断絶している>のか、何が断絶し、何が継続しているのか」については、五里霧中の状態が続いた。
この頃、私は、自衛隊が米国の対ソ抑止戦略の中に組み込まれていることを仕事を通じて「発見」した。
実は、米国は日本の戦前の対露・対ソ抑止戦略・・より一般的に言えば対専制主義戦略・・を継承しただけであり、そのような意味において、日本の安全保障政策は、それが意識的に追求された戦前から今度はそれが無意識的に追求された戦後にかけて継続していたわけだが、それに気付いたのは、それから20年後に防衛庁を辞めてからなのだから、我ながら時間がかかったものだ。
誤解がないように補足しておくが、私は、戦前の昭和期の日本が対ソ戦略を追求していたことはもちろん知っていたけれど、大恐慌後、米英両国を代表格として世界経済がブロック化して日本が締め出されていた中で、支那を始めとするアジアにおいて原料と輸出先を確保する、というもう一つの戦略との二本立ての戦略を当時の日本は追求していた、という認識だったのだ。
日本には両者を同時に追求するだけの国力はなく、だから対ソ重視の北進論と資源・市場重視の南進論のどちらをとるかという問題が生じた、と。
そして、米英は共産主義のソ連とは本来相容れないはずなので、日本が米英との間で衝突が生じたのはもっぱら後者のせいだ、そして、その結果としてアジアの欧米植民地の解放を掲げて日本は先の大戦に突入した、と思い込んでいたわけだ。
戦争末期の1945年に海軍省が公開したアニメの『桃太郎 海の神兵』も1963年に出た林房雄の『大東亜戦争肯定論』も、私見では、それぞれ事情があって、あえてあの戦争の日本から見た全体像を描いていないわけだが、こういうものだけを鑑賞したり読んだりした人は、上記のような先の大戦観を注入されたり増幅させられたりしたはずだ。
残念ながら、現在でも、先の大戦について、このような歪んだ認識を抱いている日本人が大部分なのではなかろうか。
さて、自衛隊が米国の対ソ抑止戦略に組み込まれていたこととも関連し、第二次冷戦下で、国民と米国向けのウソだらけの国会答弁資料の作成、そして米国向けの対米交渉資料の作成に邁進させられたことから、日本が米国の属国的存在・・当時は「属国」ではなく「保護国」という言葉が念頭にあった・・であるからこそ、こんなウソを付くような形の姑息な外交を米国と行わなければならないのだ、という思いが募って行った。
しかし、この認識もまた、甘すぎたことを思い知らされることになる。
英国留学から戻り、40歳を過ぎて、初めて課長として当時の防衛施設庁に出向した私は、仕事相手の在日米軍の文官達や軍人達の態度から、日本が紛れもない米国の属国的存在どころか、文字通りの属国であること、従って米国との間には、そもそも、本来の意味での外交関係など存在しない、という認識を抱いた。
私は、その後、もう一度防衛施設庁で、今度は、(沖縄を除く)米軍基地に関する在日米軍との調整担当になるのだが、この仕事をしている時に、上記認識は確信に変わった。
そして、集団的自衛権の行使を認めない憲法第9条の政府解釈、及び、これを踏まえた日米安保条約が法的に日本を米国の属国にしていることに思い至った。
そうした中、前々から、日本の中央政治家の大部分が、人間としても、また識見においても、著しく遜色があること、しかも、その少なからざる者が腐敗していることが気になっていたが、同じ頃に、防衛庁の生え抜きのキャリアや外務省のキャリアの多くも退廃していて、悲しいことに、(外務省でも恐らく同じなのだろうが、)防衛庁のキャリアの中には腐敗している者すら少なからずいることを「発見」する。
私は、中央政治家や中央官庁の役人のこんな体たらくと、日本が属国であることとは無関係ではないのではないか、と思うようになった。
属国として安全保障を擲っているものだから、中央政治も中央行政も地方行政並の仕事しかなく、だからこそ、中央政治家には人材が集まらないし、キャリアには人材は集まっても多くが退廃するのだ、と。
そこで、自身、その相当以前より、自由な言動が許されないことから天下りはしたくないと思っていたところ、天下りは役人の腐敗の象徴であることが見えてきたので、私は、自分への(天下りの)肩たたきが予想される時期より前の時点で役所を辞め、日本の属国状態の解消、すなわち米国からの「独立」を目指そうと思い立ち、そのために自分の第二の人生を捧げようという決意を固めた。
しかし、そういう活動をするのであれば、なおさら、日本の戦前史観や先の大戦観、ひいては日本観、そしてまた(日本の宗主国たる)米国観を確立しなければならない、と自分に言い聞かせつつも、どれも問題が巨大過ぎて容易に手がかりが掴めない状態が続くことになる。
何度も行きつ戻りつして恐縮だが、こういうわけで、英国に留学したばかりの頃、初めて中共から英国防省の大学校に派遣されてきた、陸軍大佐・・後海軍に転じる・・たる同僚に対して、少し親しくなった折、(王陽明と漢字で紙に書き、)吉田松陰らが陽明学者であったことを例にとって、日本が支那に強い影響を受けていたことを述べ、その支那に多大な迷惑をかけたとして日支戦争について謝罪したものだ。
その時は、君から王陽明の話が出るとはね、と驚いて見せた彼に、あの戦争について何も君が謝罪しなくてもよかろう、と笑い飛ばされてしまった。
この英国留学は、思ってもみなかったことなのだが、アングロサクソン文明について、また、それと対蹠的な欧州文明について、私の目を大きく啓くこととなった。
これが、その後、10年ほどが経ってから、この両文明のキメラとしての米国文明・・後述・・、という発想を生み、私の米国観の確立に大いに貢献することになるのだ。
英国から帰国後、内局の課長を二つこなしてから、40歳台半ばで防衛大学校の総務部長を命ぜられ、大学の先生方とお付き合いをする一方で激務から解放されたおかげで、久しぶりに勉強をする時間がとれ、防衛学の先生(自衛官)が書かれたものから、日英同盟は米国が終了させたことを知ったり・・恥ずかしい!・・、新宿駅の東口駅ビル内の紀伊国屋で米国の外交官のジョン・マクマレー執筆の1935年の覚書を収録する本『How the Peace was Lost(平和はいかに失われたか)』に遭遇し、日支戦争については支那や米英の責任の方が大きいことを知ったりした。
このマクマレーの覚書には目から鱗の思いがした私だが、今から2年半ほど前に「ワシントン体制の崩壊」シリーズを書いている時に、この覚書を書く少し前までのマクマレーのダメ外交官ぶりを知り、かつ、この覚書の中で日本の対ソ抑止戦略について、恐らく認知しつつも触れていない彼の不誠実さにも気付き、自分自身のお目出度さに赤面させられたものだ。
以上述べてきた諸点がつながって線になるのは、全て役所を飛び出した2001年以降のことだ。
これには、私がその後書き始めたコラムの読者の皆さんの貢献も大きいのだが、ここではいちいち記さない。
一番最初に固まったのは日本観だった。
もう一人の、今度は米国人ならぬ英国人のジョン・マクマレーを知ったことで、私の日本型政治経済体制論が、かつて読んだ和辻哲郎の『人間の学としての倫理学』の影響を強く受けていることに気付き、日本文明の基底にある縄文モードの原理を人間主義と名付けたのがコラム#113(2003.4.1)だ。
(日本では、家庭でのしつけ、学校教育、神道行事等を通じて人間主義を自然に体得させるのに対し、仏教は、悟りにより人を本来の人間主義性に目覚めさせるという違いこそあれ、両者は人間主義を旨とする点で共通しており、日本において、神道と仏教が習合したのはごく自然な成り行きであったと言えよう。)
それと同じ頃、私は、日本史における、縄文モード・弥生モード交代史観をコラム#116(2003.4.24)で打ち出している。
それは、日本文明の基層は縄文モードなのだが、表層は縄文モードと弥生モードを繰り返す、という総論たる日本史観だ。
(縄文モードとは、縄文時代の人間主義モードということだ。
私は、縄文時代の日本は、本格的農業を伴わない、しかし、定住的な狩猟採集社会という、世界史的に見てユニークな、非定住的な狩猟採集時代の様相が定住社会にそのまま持ち越された社会であった、と考えている。
後に、かつての狩猟採集社会が、まさに人間主義社会であったことを知り(コラム#3038(2009.1.16)、コラム#3140(2009.3.8)、コラム#4850(2011.7.5))、また、ごく最近、この社会が、これまでの通説に反して平和な社会であった可能性が大であることを知り(コラム#6480(2013.9.29))、大いに我が意を得た思いがしている。)
私は、この総論たる史観でもって、戦前と戦後の日本の安全保障政策の表見的180度転換が説明できたと思った。
その後、各論たる日本の戦前史観や先の大戦観に取り組むこととなり、コラム#1613(2007.1.10)で、日本は幕末から、英国を模範とし、ロシアを脅威とするところの国家戦略を推進するという国民的コンセンサス・・これまた私が命名した横井小楠コンセンサス・・が成立していたことに気付いた。
このロシアがソ連に代わるとともに、ロシア抑止が赤露抑止に変わった、と私は後に指摘することになる。
先の大戦において、日本は原爆投下によってではなく、ソ連の参戦によって降伏した、とのハセガワの指摘(コラム#819(2005.8.10))は、まさに、この私の主張を裏付けるものだった。
また、2002年5月(コラム#35〜)と2003年2月(コラム#101〜)に私が中共を訪問した際、私は、戦前の日本の日支戦争/太平洋戦争への参戦を民主主義の陥穽論・・市場と資源を求める世論に国家指導層が押し流された・・で説明するとともに、なお、先方に対して遺憾の意を表明していたものだが、その後、そうではなく、当時の日本は、対赤露抑止の観点から満州、ひいては支那本体に干渉せざるをえなかったということであって、遺憾の意を表明するとすれば、日本のせいではないものの、結果的に対赤露抑止に失敗したことである、と考えを改めるに至った。
ここで、ちなみに、という感じで一言申し上げておく。
私は、英国留学から帰って以来、日本の論壇を殆んどフォローしなくなったために、日本では、自国が米国の属国であると言う人は少ないながらいても、彼らが、ことごとく受動的属国論、つまりは米国が日本を属国にしたという説、であることを知らなかったので、自分の能動的属国論、つまりは日本が自発的に米国の属国であり続けているという点を積極的には主張していなかった。
だから、そのように主張し始めたのは意外に遅く、コラム#1819(2007.6.18)あたりからだ。
米国観の方は手こずった。
コラムを書き始めてから比較的初期の段階で、私は、「米国<は、>人種差別(奴隷制・黒人差別・・・と黄色人差別就中日本人差別)とこれに関連した、戦前における東アジアへの恣意的介入・・・という二つの原罪を犯し、現在ではキリスト教原理主義にからめとられつつある・・・<。それは、>・・・米国<が>・・・できの悪い(bastard)アングロサクソン<であって、>・・・アングロサクソン文明を主、欧州文明を従とする両文明のキメラだから<だ。>」(コラム#502(2004.10.14))という考えに到達していたわけだが、「キリスト教原理主義にからめとられつつある」という点に、当時の私の考え方の未熟さが露呈している。
私は、その後しばらくして、米国は、英領植民地時代から、(当時は北部を中心に)キリスト教原理主義的であったこと、そして、そのことが米国をできの悪いアングロサクソンにして根源的理由であることを、早稲田大学での講義(コラム#3754(2010.1.7))等において、強く打ち出すことになる。
しかし、この段階では、キリスト教原理主義勢力の強い保守の共和党に対するに世俗的でリベラルな民主党、というイメージを抱いていたところ、ごく最近、このイメージが根本的に覆さるに至った。
それは、双極性障害者の利他性や妄想性を指摘するダリアン・リーダーの『Strictly Bipolar』(コラム#6172(2013.4.27))、リベラルとされる米国人達が実は極めて宗教的であると指摘するジェニファー・シュスラー(JENNIFER SCHUESSLER)のコラム(コラム#6361(2013.7.31)(未公開))、の二つに接したことによる。
そして、米国人が極めて妄想的であることを指摘するジェシー・ウォーカーの『The United States of Paranoia: A Conspiracy Theory)』(コラム#6435(2013.9.6)(未公開))に接したことがダメ押しした。
私は、リベラルとされる米国人達をリベラル・キリスト教徒と呼ぶことにし、米国には他国に比べて双極性障害者が多いことも踏まえ、次のように考えたのだ。
まず、キリスト教の利他的教義は信者達がそれを本当に実践しようとすれば彼らを双極性障害的(男性原理的)にしてしまい、アブラハム系一神教共通の敵味方峻別、終末論、殉教の思想と相まって、信者達に妄想を抱かしたり信者達を暴力的にしてしまう、と。
しかし、カトリシズムは、教会の存在自体が、そして宗教改革後に出現したキリスト教原理主義は聖書の記述が、このようなキリスト教の論理の貫徹にブレーキをかける働きをしていた。
これらのブレーキを一切を取り払った結果、キリスト教の論理を貫徹する傾向があるのが、米国におけるリベラル・キリスト教徒であるところ、米民主党は、このリベラル・キリスト教徒の巣窟なので、キリスト教原理主義者の勢力が強い米共和党よりも、一層双極性障害的であって妄想を抱きがちでその言動は極端から極端へとぶれがちであり、また、一層暴力的たらざるをえない、と
以上を踏まえ、民主党のローズベルト政権が、日支戦争/太平洋戦争をキリスト教徒蒋介石率いる中国国民党、プロキリスト教徒崩れのスターリン率いるソ連、スターリンの子分である毛沢東率いる中国共産党の側に立って、人間主義の日本と戦ったという認識に基づいて、私は、以下のような結論を提示した。
「日支戦争/太平洋戦争は、全球的覇権国化という妄想的な目的を抱いた米国が、ローズベルトを首魁として米国の指導者間で共同謀議を行いつつ、発動し、戦争犯罪を繰り返しながら遂行することによって、その目的を達成したところの、米国が率いる、キリスト教的(双極性障害的・産業)文明と日本本土が率いる人間主義的(尋常的・プレ/ポスト産業)文明との間の、空前絶後の規模で闘われた、文明の衝突たる戦争であった・・・。」(コラム前掲)
この中に英国が登場しない理由は省略する。
ところで、この戦争に日本が法的に敗北したことは明らかだが、実質的には必ずしもそうではない。
なぜならば、この戦争を、日本は、対ソ(対共産主義)抑止を戦略目的として、北東アジアにおけるソ連国境沿いに兵力を展開するとともに、その地域を緩衝地帯化し、ソ連(共産主義)の支那本体、ひいては日本領への間接侵略路を物理的に阻止しようとし、かかる営みを支えるために必要な市場と資源を確保すべく、その後背地たる支那本体の安定化・親日化、及び、東南アジアにおける欧米植民地の解放による全球的経済ブロックの打破、を期して戦ったわけだが、対ソ(対共産主義)抑止については、北東アジアを含む世界全体において、戦後、米国に、(朝鮮半島への兵力展開を含め、)完全に肩代わりさせることに成功したので、実に、自前の軍事力を保持する必要性そのものがなくなり、また、戦後、(日本による戦争間の東南アジア全域の占領等の衝撃で東南アジアのみならず世界において)欧米植民地が解放される運びとなるとともに、米国のリーダーシップの下でガットIMF体制が確立し、全球的経済ブロックもまた解消された、からだ。
すなわち、日本本体に関しては、日本はその戦争目的を完全に達成したわけだ。
その反面、旧日本帝国領の朝鮮半島と台湾は、悲惨な戦後史を送らされる羽目になったし、何よりも悲劇なのは、支那、及び東南アジアの大部分が共産主義化するか、共産主義との内戦を経験させられることとなり、その関連で天文学的な人命が失われたことだ。
結局、この戦争の最大の勝者はソ連(共産主義)・・ほぼ全東アジアを手中に収めた・・であり、最大の敗者は、この中でついに言及されずに終わった英国・・全植民地を過早に喪失した・・だということになる。
支那については、中国国民党政権が、戦争直後に中国共産党政権に取って代わられたことで、この戦争の敗者となったが、これは国内での政権交代に過ぎず、かつ中国国民党は容共ファシズム政権だったのだから、支那が敗北したとは必ずしも言えないけれど、共産主義化してしまったのだから、客観的には、支那は敗北した、と言えよう。
米国は、その全球的覇権国化という妄想を、ドイツ、イタリアのみならず、日本まで、戦争犯罪を繰り返しつつ敗北させたこと、そして、大恐慌以来の経済的停滞からこの戦争に参戦することでついに抜け出しえたこと、とがあいまって、僥倖にも達成することができたものの、その結果、東アジアで、戦後において、天文学的な人命の喪失を招くという、インディアンの撲滅や黒人の奴隷化・差別よりも桁違いに深刻な罪を犯したところの、この戦争に勝った負けたといった次元を超えた、人類史における空前絶後の戦争犯罪国なのであり、このような自覚を米国の人々に促すのは、日本の担っている重要な使命の一つである、と私は考えている。
過去コラム等を振り返る話ばかりをしてきたので、最後に、これまでしたことのない話をしておく。
(利他主義の宗教である)キリスト教の暴力性と(人間主義の「宗教」である)仏教の平和性に、欧米の知識人の多くも気付いており、だからこそ、それにあえて異を唱える者もいる(コラム#6411(2013.8.25)(未公開))わけだが、この際、改めて仏教の平和性を裏付けるところの、仏教普及に伴う、あの「好戦的な」モンゴル人の温和化、に注意を喚起したいのだ。
呆れたのは、「チベット仏教がモンゴルに入り広まった1400年以降、ヴァイキングの根拠地であるスカンジナビア半島にキリスト教が広まった1300年以降は、それぞれの侵略的行為が止まりました。救済宗教は人をおとなしく(馴化)します。それまで人を殺し富を奪うことを目的とした社会生活を止め、救いと倫理的生活態度の目標に方向付けられた社会生活が救済宗教が入ってくることによって形成されるようになるからです。」(橋爪大三郎「世界がわかる宗教社会学入門」)
http://www.iwakimu.ac.jp/~moriyuki/swr/08/08.htm (から孫引き。)
のような、トンデモ議論をする日本の学者がいることだ。
(橋爪については、下掲参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E7%88%AA%E5%A4%A7%E4%B8%89%E9%83%8E )
しかし、このような見方は全くの誤りだ。
一つには、キリスト教が広まった後にヴァイキングがその根拠地につくったスウェーデン、ノルウェー、デンマークの各王国は、非キリスト教地域で展開された十字軍や北方十字軍に積極的に参加した
http://en.wikipedia.org/wiki/Vikings
だけでなく、欧州のキリスト教諸国との戦争も活発に行い続けたからだ。
例えば、18世紀の大北方戦争で北欧・中欧・東欧に覇権を確立しようとして戦い続けたウェーデンのカール12世を思え。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%97%E6%96%B9%E6%88%A6%E4%BA%89
キリスト教が広まってからいわゆるヴァイキング活動がなくなって行ったことは事実だが、それはヴァイキング活動の大きな目的の一つであった奴隷獲得が、キリスト教会がキリスト教徒を奴隷にすることを禁じたことにより、控えざるをえなくなったことが大きい。(ヴァイキングに係る英文ウィキペディア前掲)
これに対し、仏教が広まったモンゴル人は、西方のイスラム圏に対しても、支那のような(仏教が衰退はしていたものの)「仏教」国にたいしても、押しなべて平和的になっている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
(但し、テュルク系であったとみる説もあるオイラト(カルムイク)人にも仏教が広まるが、必ずしも平和的になったとは言い難い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%88
この点は、今後なお検討を要する。)
最後の最後だが、キリスト教と言えば、今年のNHK大河ドラマの『八重の桜』について苦言を呈したいし、また、以上の話の中で、私の日本観の重要な柱である性意識の問題を時間の関係で省かざるを得なかったし、更にまた、その関連で、最近の日本人の性意識縄文モード化の進展についても触れたかったのだが、それらについては、質疑応答の中で時間があったら取り上げたいと思う。
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