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太田述正コラム#6302(2013.7.1)
<世俗化をもたらした宗教改革?(その2)>(2013.10.16公開)
2 世俗化をもたらした宗教改革
(1)中世まで
「何度も何度も、グレゴリーは、キリスト教は、基本的にコミュニティで生きて行くことに係るメッセージである、と執拗に主張する。
神はこう諭された、或いはイエスはこう諭された、はたまた、「私がお前を愛したように互いに愛せ」、と。」(A)
「1500年前後のラテン世界におけるキリスト教は、残りの人間生活から切り離された、そして切り離しうる何物かたる「宗教」である、とは理解されていなかった。
それは、そうではなく、全次元(all dimensions)を啓発する(inform)制度化された世界観だったのだ。」(I)
「<これについて、>ヘーゲルは、キリスト教の啓示(revelation)が、それ以前の神と人間との関係(divine-human relationship)を非正統化(delegitimize)することなく変更したところの、歴史的時間への独特の聖なる闖入に立脚していることを、極めてうまく定式化した。・・・
3世紀初期のカエサレアのエウセビオス(Eusebius of Caesarea)<(コラム#5396)>は、この考えに対して最初に真面目なゴーサインを出したキリスト教思想家であり、彼の進歩主義的物語が爾後の欧米における歴史思想の多くを形作った。
彼の説明によれば、神は、片方の摂理的な手を用いて、アブラハムからイエスに至るヘブライ人の歴史を導き、「福音を準備」した。
そして、もう一方の手で、彼は、ローマを、小さな共和国から、巨大にして力溢れる帝国へと作り上げた。
コンスタンティヌス<(コラム#413、1026、1761、2766、3475、3483、4009、5396、5492、6150、6152)>のキリスト教への改宗によって、この二つの軌跡が一つになり、聖なる真理の世俗的な(mundane)力との融合が起こり、神の地上における王国の新しい時代が始まった、と。・・・
しかし、エウセビオス主義は神学的な罠だった。
というのは、ひとたび悪い諸事柄が起こり始めると、この神話と、それにくっつけられた希望群は崩壊し始めたからだ。
アウグスティヌス<(コラム#1020、1023、1169、1761、3618、3676、3678、3718、3908、5061、5100、5241、5298、5414、5876、5884、6024、6070、6152、6171)>は、最も早く、このことを、410年のローマ略奪(sack of Rome)<(注2)という悪い事柄>の際に目撃した。
(注2)410年8月24日にアラリック1世率いる西ゴートによって行われた。ローマの略奪は、その約800年前に行われたガリア人によるもの以来だった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sack_of_Rome_(410)
ローマ人たるキリスト教徒達の間でただちに起こった絶望は蔓延し、彼らは、自分達が捨て去った古の異教の神々によって処罰されたのではないか、と思い悩んだ。
彼らに元気を与えるために、アウグスティヌス(Augustine)は『神の国(City of God)』を書いた。
これは、分厚すぎる、整理の悪い、しかし素晴らしい激論<の書>であって、空前の歴史に関する、最も偉大な、口伝ならぬキリスト教書として屹立し続けている。
アウグスティヌスは、キリスト教なる女性的な堕落によってローマが崩壊したと非難したところの、異教徒たる敵達を論駁しただけではなかった。
彼は、キリスト教思想を、歴史の流れから、終末論的終焉へと目を向け変えさせたのだ。
アウグスティヌスは、自分の読者達に向かって、我々は、神が異教徒のローマを繁栄させ、次いでローマをキリスト教会に参加させたのはどうしてかを知らないし、決してそれを知ることにはならないだろう、と告げる。
神がローマを崩壊させることを認めたのはどうしてかについても同様だ、と。
それは神のおぼしめしであって(That’s God’s business)、我々がなすべきことは、福音を説き、正しくあり、信仰心を失わず、神に仕えることで、その他のことは神の手の内にある、と。
『神の国』は、ほぼ、それが出現した瞬間から、カトリック神学の礎石となったが、エウセビオス主義の誘惑は、依然・・アウグスティヌス自身にとってさえ・・強かった。
そこで、彼は、主著<たる『神の国』>を書いている最中に、彼の弟子のオロシウス(Orosius)<(注3)>に対し、その種の議論もまた必要になる場合のために、キリスト教の到来以降、実際に生活がいかにどんどん良くなって行ったかを証明するところの、『異教徒達に対抗する歴史(History Against the Pagans)』を書くように頼んだ。
(注3)375?〜418年。現在のスペインのガリシア地方を中心に住んでいたケルト人(Gallaeci)たるキリスト教僧侶、歴史家、神学者。この本の正式名称はSeven Books of History Against the Pagans(但し、ラテン語)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Orosius
この、アウグスティヌスによる、巡礼的にキリスト教会が通り過ぎて行くだけというイメージと、エウセビオスによる、キリスト教化が勝どきを上げる(triumphant)イメージ、との間の緊張関係は、中世のカトリック教会において、決して解決されることはなかった。」(E)
(続く)
<世俗化をもたらした宗教改革?(その2)>(2013.10.16公開)
2 世俗化をもたらした宗教改革
(1)中世まで
「何度も何度も、グレゴリーは、キリスト教は、基本的にコミュニティで生きて行くことに係るメッセージである、と執拗に主張する。
神はこう諭された、或いはイエスはこう諭された、はたまた、「私がお前を愛したように互いに愛せ」、と。」(A)
「1500年前後のラテン世界におけるキリスト教は、残りの人間生活から切り離された、そして切り離しうる何物かたる「宗教」である、とは理解されていなかった。
それは、そうではなく、全次元(all dimensions)を啓発する(inform)制度化された世界観だったのだ。」(I)
「<これについて、>ヘーゲルは、キリスト教の啓示(revelation)が、それ以前の神と人間との関係(divine-human relationship)を非正統化(delegitimize)することなく変更したところの、歴史的時間への独特の聖なる闖入に立脚していることを、極めてうまく定式化した。・・・
3世紀初期のカエサレアのエウセビオス(Eusebius of Caesarea)<(コラム#5396)>は、この考えに対して最初に真面目なゴーサインを出したキリスト教思想家であり、彼の進歩主義的物語が爾後の欧米における歴史思想の多くを形作った。
彼の説明によれば、神は、片方の摂理的な手を用いて、アブラハムからイエスに至るヘブライ人の歴史を導き、「福音を準備」した。
そして、もう一方の手で、彼は、ローマを、小さな共和国から、巨大にして力溢れる帝国へと作り上げた。
コンスタンティヌス<(コラム#413、1026、1761、2766、3475、3483、4009、5396、5492、6150、6152)>のキリスト教への改宗によって、この二つの軌跡が一つになり、聖なる真理の世俗的な(mundane)力との融合が起こり、神の地上における王国の新しい時代が始まった、と。・・・
しかし、エウセビオス主義は神学的な罠だった。
というのは、ひとたび悪い諸事柄が起こり始めると、この神話と、それにくっつけられた希望群は崩壊し始めたからだ。
アウグスティヌス<(コラム#1020、1023、1169、1761、3618、3676、3678、3718、3908、5061、5100、5241、5298、5414、5876、5884、6024、6070、6152、6171)>は、最も早く、このことを、410年のローマ略奪(sack of Rome)<(注2)という悪い事柄>の際に目撃した。
(注2)410年8月24日にアラリック1世率いる西ゴートによって行われた。ローマの略奪は、その約800年前に行われたガリア人によるもの以来だった。
http://en.wikipedia.org/wiki/Sack_of_Rome_(410)
ローマ人たるキリスト教徒達の間でただちに起こった絶望は蔓延し、彼らは、自分達が捨て去った古の異教の神々によって処罰されたのではないか、と思い悩んだ。
彼らに元気を与えるために、アウグスティヌス(Augustine)は『神の国(City of God)』を書いた。
これは、分厚すぎる、整理の悪い、しかし素晴らしい激論<の書>であって、空前の歴史に関する、最も偉大な、口伝ならぬキリスト教書として屹立し続けている。
アウグスティヌスは、キリスト教なる女性的な堕落によってローマが崩壊したと非難したところの、異教徒たる敵達を論駁しただけではなかった。
彼は、キリスト教思想を、歴史の流れから、終末論的終焉へと目を向け変えさせたのだ。
アウグスティヌスは、自分の読者達に向かって、我々は、神が異教徒のローマを繁栄させ、次いでローマをキリスト教会に参加させたのはどうしてかを知らないし、決してそれを知ることにはならないだろう、と告げる。
神がローマを崩壊させることを認めたのはどうしてかについても同様だ、と。
それは神のおぼしめしであって(That’s God’s business)、我々がなすべきことは、福音を説き、正しくあり、信仰心を失わず、神に仕えることで、その他のことは神の手の内にある、と。
『神の国』は、ほぼ、それが出現した瞬間から、カトリック神学の礎石となったが、エウセビオス主義の誘惑は、依然・・アウグスティヌス自身にとってさえ・・強かった。
そこで、彼は、主著<たる『神の国』>を書いている最中に、彼の弟子のオロシウス(Orosius)<(注3)>に対し、その種の議論もまた必要になる場合のために、キリスト教の到来以降、実際に生活がいかにどんどん良くなって行ったかを証明するところの、『異教徒達に対抗する歴史(History Against the Pagans)』を書くように頼んだ。
(注3)375?〜418年。現在のスペインのガリシア地方を中心に住んでいたケルト人(Gallaeci)たるキリスト教僧侶、歴史家、神学者。この本の正式名称はSeven Books of History Against the Pagans(但し、ラテン語)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Orosius
この、アウグスティヌスによる、巡礼的にキリスト教会が通り過ぎて行くだけというイメージと、エウセビオスによる、キリスト教化が勝どきを上げる(triumphant)イメージ、との間の緊張関係は、中世のカトリック教会において、決して解決されることはなかった。」(E)
(続く)
太田述正ブログは移転しました 。
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